2012年5月31日木曜日

アンサンブル―二つの「人間集団」(補訂版)


初出:2012531日木曜日  補訂版:2019年4月23日火曜日
   アンサンブル二つの「人間集団」

序奏
 先週(201252125日)のNHKFM「ベストオブクラッシク」は、2002年に90歳で世を去った不世出の大指揮者「ギュンター・ヴァント生誕100年特集」(『ベストオブクラシック 〝北ドイツ放送交響楽団の貴重音源~ヴァント生誕100年~〟』)。北ドイツ放送交響楽団を振った一連のライブ録音(ハンブルク・ライス・ハレ)である。

ギュンター・ヴァント(19122002)と北ドイツ放送交響楽団との付き合いは、1982年の第4代首席指揮者就任以来のもの。1991年から亡くなるまでは、名誉指揮者として関わり方は客演指揮者的になったものの、最後まで首席指揮者当時と変わらぬ数々の名演を生み出したオケ。その両者によるブルックナー(7番から9番までの3曲)が3夜(201252325日)にわたって厳かに響き渡る。3曲とも最晩年の演奏(19994月・20004月・同年11月)である。「究極の音楽芸術」としてあえて誇張した解説に拘ったのは、当夜の案内役(解説役)であった音楽評論家広瀬大介。そして、彼のヴァント演奏への拘り(心酔)に賛辞を惜しまない、「究極の音楽芸術」を共有したいとして心を露わにしている一視聴者。

でもヴァントを取上げたのは、とかく剥き出しになりがち心の内を、そのために結果として一過性に墜してしまいがちな折角の高揚感を、言葉によって抑制的にオブラートし、再度心の内に仕舞いこんでおきたったからだけではない。それとは別に「究極の音楽芸術」を可能にしたアンサンブルそのものに強く惹かれたことがある。そこにあったのは「人間の奇跡」であり、聴いたのは、ブルックナーの名演であると同時にアンサンブルが生んだ「人間の奇跡」であった。

しかもカタカナといえ『あ』音ではじまる「アンサンブル」。そのアンサンブルに立ちはだかるブルックナーの交響曲。作曲者ブルックナーの名前はアントン・ブルックナー(『あ』音)(ただしフルネームではヨーゼフ・アントン・ブルックナー)。そして、我々にとってブルックナーと言えば、いうまでもなく今は亡き朝比奈隆(2001年没)。陸続する『あ』音。

でもまだ終わらない。アナトリア高原にアレキサンダー(アレキサンドロス)大王へと続く。ブルックナーの音楽と内的連関を保つとされたこの二つの『あ』音。でもこの『あ』音に関しては理由が示されなければ唐突な感は否めない。個人的な体験談なので直接関係しないことと断って先を続けてもいいが、一言しておけば、荒涼としたアナトリア高原こそブルックナーランドと考えた人間(ブルックナーに人生を奪われた一人の人間)がいたこと、その彼が、交響曲第8番ハ短調(「破綻調」)をして、小アジアから中央アジアを舞台にしたアレキサンダー大王の東方遠征の人生(進撃と退却(無念の退却))と大王を遡るもう一つのクセノフォンの宿命のアナバシスとを重ね合わせた壮大な楽曲とした壮大な構想を打ち立てたこと、そしてかつてその文章(「『破綻調』アナバシス」)に驚異的な思いで接したことが思い起こされた『あ』音であったということ。

 
* 本稿は、五十音順にはじめた筆者開設ブログ『インナーエッセイ』の「あ」のその3に該当している。「『あ』音」とはそういう意味である。



1楽章

524日(木)はブルックナーの交響曲第8番。金管の音が全体に大きいブルックナーの交響曲のなかでもとりわけ金管の高音の響きがクライマックスを高く奏でる一曲(大曲)である。指揮者は拳を握った片手を高く掲げてオーケストラを鼓舞し攻めたてる。金管奏者は、一様に頰を膨らませ続けて顔面を紅潮させる。肩で大きく息をして「握り拳」に向かってさらに息を吹きこみ、長大にして強大な音を総量として楽器から響き渡らせる。

そのようにしてかつて多くのブルックナーをブルックナー・ファン(同時に朝比奈隆ファン)は聴いてきた。朝比奈隆のことを「我らがマエストロ」と呼び合った。ファンの多くは朝比奈隆と大フィル(大阪フィルハーモニー交響楽団)による東京公演には欠かさず足を運んだ。朝比奈と大フィルが創り上げるブルックナーに心を奪われた。ブルックナーにしか聴けない音の塊量(マス)を求め続けた。そしてファン以上にマスを追い求め続けた朝比奈隆は、人々を圧倒的な量感で包みこんだ。

かつてのそうした東京公演の一つとして聴いた東京カテドラル聖マリア大聖堂でのブルックナー(1983(昭和58)913日)を、しかし筆者は批判的に受け止めた(聴いた)。響きが教会堂の天上の高みに吸い上げられて耳元にとどまらないし、残響が長いために時として反射音で混濁し、あるいは打ち消し合って希薄化し、朝比奈隆特有の絞り上げた音がその拳から逃げ去ってしまっていたからである。

敬虔なカトリック信者であったブルックナーにこそ相応しいとして企画された東京カテドラルでのブルックナー。しかも曲目は第7番。リンツ聖フローリアン(ブルックナーの亡骸が眠る教会堂)で行なわれた朝比奈隆&大フィル欧州公演(1975(昭和50)年)での演奏にまつわるエピソード(第2楽章の演奏終了を待っていたかのように鳴り響いてきた教会堂の鐘楼の音とその鐘の音が終わるのを待って開始された第3楽章に纏わる思い出話(朝比奈隆『楽は堂に満ちて―私の履歴書』日本経済新聞出版社、1978年)』)を彷彿とさせる会場。神へ捧げられた音楽であるブルックナーの壮大な交響曲の実現。そのようにも書かれ讃えられた公演(東京公演)。しかし、「そこには真のブルックナーは鳴っていなかった」(筆者による身内雑誌(『原始霧』浦和ブルックナー協会)への寄稿文の一節)――ずいぶん時間の経ってしまった話だが、ヴァントを聴いて、ブルックナーに熱かった頃の(若い)自分が思い起こされたのである。

なぜなら(昔を思い出したのは)、ヴァントの響きはそのカテドラルの「音」だったからである。かつて批判した響きだったのである。しかし批判(否定)が誤っていなかったことを再確認させる演奏でもあったからである。と言っても以上はすべて逆説であり、真実はまさしく解説者広瀬大介が躊躇いもなく公然と告げなければならなかった「究極の音楽芸術」にほかならなかった(正確には「人間が創り得る究極の音楽芸術」)。そして究極の達成を媒介したのが音の響きであった。ブルックナーの立場に立てば、人の世(カテドラル)に鳴り響く音色とでもいうべき類。しかもこれまで人の世に鳴り響いたことのなかった、鳴り響くことのありえない音だった。それをかつてのカテドラル演奏に逆説的に聴いたのである。

ヴァントは客演を繰り返す指揮者に批判的だったという。求める音を響かせることが至難の業であることを誰よりも知っていたからである。もちろん第一線の錚々たる指揮者なら誰だって知っている、客演先のオケからそれを抽き出すのがいかに難しいことであるのかぐらい。でも積極的に客演する。だからといって商業主義とはまるで次元が異なる。オケにとっても指揮者にとっても創造的な芸術的な音楽行為の一環である。それに出会いでもある。更新的であるということもである。ヴァントにだって分かっている。それにヴァントだって客演している。日本でも客演している(初回は1968年の読響、ほかN響と3度(197983年))。分かっていて言うのである。自分に向かって言っているのである。言いながら追い求めている音楽(音の響き)に改めて向き直っていたのである。まさに広瀬大介を茫然自失させた響きに向かってである。

公共放送(しかもクラッシックの居城ともいうべきNHKFM)で音楽評論家がそこまで言い切るには理由がある。視聴者の気持を代弁しなければならなかったからである。解説者では足りなかった、代弁者でなければならなかったのである。なるほど、解説の域を超えていた、解説しえない音の響きだった、たしかにそういうこと。そして、評論家として客観性を問われかねない言辞をあえて吐かせた。評論家であるより視聴者と共有していたかった、自らも一視聴者でありたかった、そうなるしかなかった、そういう音楽体験だった。
事実、そういうふうに音が鳴る(鳴っている)こと自体が奇異なことだった。ウィーン・フィルやベルリン・フィルの音色に酔わされるのとは違う種類だった。そういう意味では楽団の(伝統の厚みに支えられた)力量とはすこし性質の違うものだったし、所謂「(その)オケの音色」なる言い回しでは説明し切れないものだった。素っ気ない言い方だが、ただ単に鳴ったことのない響きだった。実に簡単で原因も明白だった。しかし、簡単で明白だからこそ茫然自失にまで突き落とされる。人間の感性は複雑な一方で実に正直で単性的にできている。しかし単性的であるのは、突発的で刹那的な場合の「所与」向きであり、持続性が必要な場合となると持ち堪えが利かなくなる。

しかし、ヴァントのブルックナー8番(8番に限らないが)ではそれが約80分間も続くのである。どこかの小節で偶然(突発的に)実現されたのとは訳が違うのである。剥き出しにされた感情(単性的感情)が1時間以上80分にわたって曝け出され続けるのである。人間の経験としてあり得るかあり得ないかの問題。答えは簡単である。あり得ないのである。レトリックの勢いに流されていないでもないが、一先ずはそういうこと。

残念ながらその響きを言い表す術を知らない。かりに朝比奈隆のブルックナーと比べたなら朝比奈が追い求めた重厚さとは趣が異なるもの程度の判断はつく。だから朝比奈の背後にある戦前のヨーロッパの指揮たちが創り上げたロマン主義的な音楽(たとえばフルトヴェングラー)に少なからず心を奪われてきた立場からすると、まるで予想外の音の響きである。しかも厄介なことにヴァントの音の響きも、それ以上にドイツ・オーストリア系の重厚な楽音の極みに照準を合わせているから余計にである。

しかるに第二次大戦前の演奏スタイルと言えば、強弱を際立たせて音をうねらせ、時にはめくるめくように直走り、転じては最弱音に沈む。その折のオーケストラの楽員たちを想像するに(昔、記録フィルムを視聴したことを思い起こせば)、果敢に攻めまくる指揮者の前で大きく揺れ動き、ピアノで凝縮し、瞬時に上体を起こして全合奏(トゥッティ)のフォルテに雪崩れこむ。大仕掛けとさえ言えるほど。しかしオーケスラの(最初の)黄金時代に相応しい舞台上の律動感でもあったはず。

仕事の関係で演奏会にあまり行けなくなっていた頃、ヴァントと北ドイツ放送交響楽団の初来日が実現された(1990年のこと。再来日2000年もまた然り)。その際のヴァントの指揮振りも北ドイツ放送交響楽団の演奏振りも知らない。鳴り響く金管奏者の息継ぎの様、弦パートの弓の弾き方・撓り方の程を基に綴ることはできない。あるいは管楽器の奏者は大きく肩で息継ぎを繰り返していたかもしれない。弦パートの奏者は奏者で弓の強さと一つになって上半身を大きく傾けていたかもしれない。全合奏も然り。膨れあがる音に煽られるようにして躍動感を舞台に惜しなく繰り広げていたかもしれない。

でもステレオから鳴り響いてくる音は、オーケストラの実演振りを再現しない。拒んでいる。既存の音ではないからである。往年の音なら音だけでも奏者の演奏ぶりが身振りとして浮かび上がる。でも音が違う。したがって身振りと一体的な奏法だって違うはずである。そうでなければ、全合奏に「マス」とともに「ディテール」が同時実現されるはずがない。結果として姿が浮かばない。往年の演奏に限らず同時代的にも事例を知らないからである。

音が消えるべくして消えない。聴き分けられるはずもないのに聴き分けられてしまう。オーケストラ(の響き)を知っていれば知っている程に、そうした音楽の専門家の耳を怪しませる音色の深淵。それがその夜の音の響き。パート合奏が、本来なら全合奏に埋没するはずが、そうならずにときに全合奏を凌いだ如きブルックナー。そして、それがためにより厚く響くアンサンブルの全体性と奥行。アンサンブルの深窓に集った奏者たち。厚い響きだけを届けてその奥に隠れて見えない顔でやり過ごす楽団員一人一人。それ故に果てもなく想像力を掻き立たせて巨大化して止まない音楽的宇宙に茫然とするしかないその夜の一人となるしかない者――ヴァント体験とは、そういうオーケストラ体験(内部体験)をも併せ持ったものだったのである。


 第2楽章

ところで「ヴァント生誕100年」の特集に予定外に踏み込んだのは、その音の響きに驚嘆を隠しえなかったにしても、それだけではない。「音楽時評」はいわば前置き。以下はもう一つの「人間集団」とそのアンサブルの話。
 
 その人間集団とは「CC」と呼ばれていた人たちのことである。数か月をかけて地球を一周する船舶ツアーで、乗船者の船内生活を充実するための各種講座や、寄港地先の現地ツアーの際に通訳者の任を果たすCommunication Coordinatorであってその頭文字をとって「CC」と呼ばれている。構成員は全員で12名(ほかにリーダー(裏方)が1名)。男女比は男性3の女性9名で2.57.5。年齢は20~30代。日本人が多いが英語圏・スペイン語圏のメンバーを含む混成チーム。ただし他国籍者と言っても日本国内での実績を引っ提げての乗船で、信じられないほどの短期間で日本語をマスターした逸材ぞろい(その逆もまた真なりで日本女性の英語習得も驚異的なもの)。

出航後、最初に行なわれる様々な船内行事。そのなかの一つであるスタッフ紹介。事務局員やクルーの面々そして最後に紹介されたCCたち。最初から事務局員たちとは異質な印象を受けたが、後日、別の機会に設けられた自主企画的な自己紹介を経て、異質さは驚愕(脅威)に転換――それが表題の背景をなしている。

英語圏のCC1名は、両親が東洋人であったこともあり顔立ちは日本人。そのほか米国人の父親と日本人の母親を両親にもつCC1名参加していたが、彼女の日本語は「ネイティブ日本語」。したがって「日本人集団」ともいうべき「CCs」。会場に詰めかけていた乗船者の年齢は、シニアを中心にCCと同世代の若者たち。若者では女性が圧倒的に多い。
 
会場(イベント会場)に参集した人々の見守る中で行なわれる個人別の自己紹介。多彩な経歴の持ち主のオン・パレード。しかし、経歴披歴に際しても特別なことをしてきたというような気負いもなく平然たるもの。今から思うと登壇順に取り決めがあったのかも知りたいところである。なぜならトップに立ったのが米国籍のCCであったからである。かりにその起用を前向きに捉え直せば、会場との一体感を手っ取り早く得るためであったのだろう。これは彼女の豊かな表情、身振り、話振りに期待するところが大きかったとの推測に拠ったものである。あるいは彼女自身による自発的な名乗り出だったのかもしれない。自発性も抜きん出ていたからである。
 
それはともかく、期待は瞬時にして実現される。彼女の天性とも言うべき資質のなせる業。しかしここで問題発生。惹き寄せられたとしても一体感とは微妙に違うものだったからである。しかもその原因が彼女のレベルの高い日本語力にあること。日本語を通じて体現された彼女の資質そして資質に裏付けられた全身的な魅力であったこと。「問題発生」とはそういう意味である。

したがって英語での自己紹介だったなら問題なかった。大きな身振り、全身で発散する感性、明確な言葉遣いと豊かな表情(と口許)は、まさに米国人の特権である。惹き寄せられたとしても異言語文化として自分を外に置いておけるもの。距離を保てる手合いのもの。でもそうならなかった。日本語だったからである。違和感のない感情をくるむことさえできる日本語力だった。まさに顔立ちがそうであるように「日本人」の日本語だった。自分たちと同じ。同じ側にいる子。

それなのに表現力だけが違う。異質のプレゼンテーションである。人格と背中合わせになった個性的なもの。ご婦人方を襲った未知の「人格」。立ち入り難いもの。自分たちの居所を失わせかねないもの。幸いだったのは、彼女がまるで日本に居る自分の娘のように可愛い子だったことだ。彼女との距離を埋めるにこれ以上手頃なものはない。「人格」との正対を不問に伏して納得的に囁き合う、「ほんとに可愛い子!」と。実際、彼女への語りかけは、自分の娘に語りかけるような最大限の親しみを籠めたものだった。そして、彼女はご婦人方のアイデンティティに優しく微笑みかける。極めて自然に、ナチュラルに。

と言っても個々の関係形成は後日のこと。会場はいまだ自己紹介の先行きを見つめ続ける緊張感で時間を止めてしまっている。確かめなければならない。最初の「日本人」が鮮烈な〝デビュー〟を飾ったからである。
 
それにしても実によくできた順列であった。やはり適度に演出していたのではないのだろうか。そうでないとしたならCC各自に自然と演出力が備わっていたにちがいない。登壇前の「危ぶみ」(次の登場者を待つ、読み切れない先行きによってもたらされた緊迫感)は、新たな驚きに転じて人々の判断停止に働きかけていたからである。
 
次のCC。一見受け身な感じで進行役の質問にも必要以上の答えには打って出ない。最小限度で慎ましやか……。和様? と思わされたのも一時。必要最小限度に答えられていく中身を反芻すれば、たちまちして“反和様”が露見。外国育ち(所謂帰国子女)は構わない。問題は帰国後。とくに「安定期」に入った社会生活(20代後半)からの一気呵成の離脱と自己発見に向けた挑戦的な長期海外渡航。しかも「というところかな」とマイク片手にいとも簡単にまとめ上げる平然さ。無機質さ。同じ日常生活の裡、その周辺、よく言ってもその周辺然とした物言いにして物腰。「あなた日本人じゃなかったの(!)」とはご婦人方の内面を憶測し代弁したもの。

「兵揃い」では済まされない、ということであった。「他者」ではないからである。二人とも「日本人」なのだ。でも人格に遡ると国籍事項を超えている。帰属関係が意味をなさない。それなのに肝心なこと(一線を超えた行動力)に対して無頓着。言い放し。彼女らにしてみれば当たり前のことかもしれない。でも「日本人」にそんなに容易く了解できるわけがない。でも次の展開も大同小異。同じことが、結果として矢継ぎ早に繰り出されてくる。
 
内に強い意志を秘めて眼もとに理知の輝きを溜めたCC、そして彼女の直向きで実直な活動歴と強い人生。言語(「日本語」)以上に表情や表情と一体になった感性がバイリンガルでそれが輝きを放つCC、そして彼女の「日本人歴」が放つもう一方の未知。このように次から次へと続く、怪しむべき程の経歴と経歴に裏打ちされた彼女たちCCの今現在の顔。対照的に興味本位な思いを内にしまいこむしかなくなる人々。
 
一時代前の日本人の愁いを帯びた横顔を覗かせて一瞬人々を安堵させ日本回帰に舵を切らせながらも、やはりと思わなければならない彼女のなかに同居する異質、そして異質の先に大海原を浮べるCCの眼。そのインテリジェンスだけで都会のなかに居場所と活躍の場を保障されるはずなのに、(日本の)都会の日常に留まる自分(の停滞)に我慢できずに自分で自分の背中を押し続けるCC。最初からターゲットを海外に絞ってその絞り込み方に無理がなく、平然とかつ飄然と異国に生活拠点を置いてその生活と同化しているCC。彼女たちから披歴されるメニューの数々を物珍しがっている時間はもう過ぎた。いまや意味は、自分たちとは別な個体(人格)を前にしていること、その前に連れ出されてしまっていること、整合性を自らに験されていること。
 
海外で暮らす日本女性をTVは取上げる。観たこともある。でもTVのなか。それに脚色が働いているのでもう一つの「テレビドラマ」に留まっていて、感心させられても明日の話題の一つでこと済む。自分の娘がそうなるとも考えていない。でも眼の前のCCたち。娘たちと同世代。彼女たちCCには日常であっても自分たちには非日常でしかないもの。しかも日常と紙一重の「非日常」。紙一重ではTVで取上げないかもしれないが、ドラマではない目の前の現実。この会場――両者間に距離のない「ナマドラマ」。


3楽章

全長約240mで総トン数約38,000tの大型客船。間違いなく数か月を共にする人たち。しかも自分たちの案内役。これから耳にも目になり口にもなる自分たちの代弁者。仲介者。でも違う人たち。違う人間存在。こうして彼女たちから打ち解けようとしてくれているのに。自己紹介の場を設けてくれているのに。でも落ち着かない。どう受け止めればよいのか考えると混沌として不明裡のままで何処にも行き着かない。

たしかに理性では人間の感情(不安)は抑え込めない。自分たちの人生経験の意味が問われているということであっても、問われているという認識さえ浮かばないから。それに理性が呼び戻されたとしても事態の深刻さには気づくわけがない。大体それが深刻と受け止めるべき範疇なのかさえ同定できず、設問自体がそもそも未分野領域から発生しているから。自己同定できるのは自己紹介が続けられているということ、聴く側であってもイベントに参加する一員であるということ。相応に応じなければならないこと。

でもそれは追い打ちを掛けられることであって、止めを刺されるに似た「参加」だったことを、とりあえず後日の理解に委ねていただけのことでもあった。実際、自己紹介の後半も前半に劣らずに人々の整合性に揺さぶりをかけるのに申し分ない「打線」(ライン・アップ)だったからである。

CCsのなかでは先輩格の女性。豊かな人生経験を潜ませてほかのCCを立てるかのような控えめな自己紹介。でももう騙されない。自分たちに近しい「大人」の感じを滲ませていても(内面からのものであるにしても)、きっと違う日常を生きていて、経験でそれを目立たないようにしているだけ。「キケン」さえ仕舞い込めるほがらかな笑顔。でも横顔には真実が(見えていて)。やはりね……ともはや年の功を積んだご婦人方に先回りされてしまう。

二組のCCカップル。一組目。女性CCの強烈な個性。剥き出しで攻撃的で畳みかけるような説法にも似た舌先(ぜっせん)。ヘルメット被らせてタオル口許に巻いたらたらそのまま新左翼のアナーキーな女闘士。誰が予想しえただろう彼女の「過激」を。前世紀20世紀の終盤のこの日本で育った個性(!)の程度で済ましてよいのだろうか。彼女の過激は日本では収まらずに米国までも互角に相手取って、選ばれたパートナー(CC)とこの船上にいざ見参といった勢い。

二組目。国際色豊かな家庭環境で育った女性CC(上述)。パートナーのCCとともに世界的な先端企業からナチュラリストに転じて日本の大自然のなかでの自活の日々。一見すると「山の手」のご令嬢。しかるに畠仕事に汗を流す泥んこの素顔。第一印象から窺い知れない逞しい根っ子を持った芯の強さ。そして「テツガク」の保持者。パートナーとの自活生活は日本人でも真似できない水準。それを身の丈を弁えて背伸びするでも肩を怒らすわけでもなく慎ましやかに行なって今や定着期。船内の若い女性の憧れの的となる、パートナーとの半永続的な新婚振りもさることながら、侵犯不可能な二人の「非日常」にご婦人方はつくづくと溜息(脱力感)。

この二組。片や米国内カップル。片や日本国内カップル。逆転したような乗船前現在(地)関係。それがカップルの非国籍性をより強める。二組であったことはおそらく偶然。でもその偶然が、単身形態のCCに負けず劣らずに「異質性」を倍加させていた。しかも結婚形態のあらたな定量化にも寄与していた。でも船上であってよかった。ご婦人方にとって結婚形態まで脅かせるのは尋常なことではないからである。と言ってもこの船、多彩な(個性的な)ご婦人方を多数乗せていて安易なことは言えない。

いずれにしても下船後は太平洋を挟んだ両サイドで演じられる別々の結婚生活。しかし今は同じ船の上。同船者となったのは偶然の偶然のそのまた偶然。この両カップルを含めて邂逅すべき邂逅として集結したCCs。現ポジションを離れて船上で同一チームになったこと。この人たち、女性CCsに押しまくられて立場を失いかねない(?)男性CCsだって並みの男性たちとはとても思えないが、ここではともかく女性CCたち。王冠のように彼女たちに被せられる「CC」という「称号」。偶然の邂逅を遡って持ち寄った各々の「源」。プレイヤーとしての同質性。同質性が奏でる響き。指揮者にして奏者でもある「人間集団」。もう一つのアンサンブル。


4楽章

こうした対比が妥当かは分からない。ただここで筆を擱いてしまったなら何のことか分からなくなってしまう。しかし両者を連携させるのは簡単ではない。見るからに外面が違うからである。オーケストラとCC。それでもあえて対比的に取上げたのは、外面的な違いの大きさがかえって体験の特異性を際立たせるからである。なぜなら人々は外面性のなかで日常生活を送っていて、外面性は見込みの範囲内に収まっているからである。

オーケストラでも同じである。コンサート体験が豊富であれば豊富である人ほど、それが超一流のオーケストラの場合であっても、その場の感動が既存(の感動)をすっかり上書きしてしまうわけではない。なるほど感動はその都度新規なものであって、とりわけ歴史的名演奏ならその絶対性は唯一無二のものかもしれないが、それでも既存を前提にしている点では見込みの範囲内である。次の名演奏で更新されるのである。折角の感動を貶されたと異議を唱えられるかもしれないにせよ。

しかるにヴァントと北ドイツ放送交響楽団の響きは、既存から量れる範囲を超えていた、というより既存それ自体を覆すものであって、したがって既体験を超えたところに聴こえてくる響きだった。真正の驚きであったわけだ。ただし驚きが必ずしも感動にそのまま直結するわけではない。感動を最終目標とすれば、驚きは感動に辿り着く方法の一つであって、驚き自体が最終目標ではない。にもかかわらずヴァント体験の驚きに限って言えば、驚きだけで成り立つ次元であり閾だった。それが事の真相だった。そして、CCという人間集団から受けたそれでもあり、両者を連携するものだった。そういうことだったのである。

それでも人間のことを語るのは容易でない。それに人と人との関係には更新が付きものである。今度はCCのこと。あらたな局面を得てCCと個別の関係を築きながら人々は当初の「距離」(「自己内距離」)から遠ざかる。無意識理の自己防御である。自浄作用といっても構わないだろう。そのために「距離」はひとまず横に置いておかなければならない。そのうちに置いていたことも忘れる。忘れなければ、というよりは忘れるようでなければ、ただでさえ限られた空間の中での船内生活は余計に窮屈になる。好むと好まざるにかかわらず(好まない側ではあるにしても)、それが人との付き合い方である。CCとであっても例外ではない。なるほどということ。

ただ肝心なのは、それが同質化を前提にしているかどうかという点である。たとえば平気で文句を言える人たちである。その人にとっては正当な文句だったのかもしれないが、わずかな案内上の滞り(通訳上の滞り)に遠慮容赦なく声を荒げられるということ――彼にはすでにCCたちとの間で創っていた原則(つまり「自己内距離)ともいうべき人格的関係からの束縛はない。遠くに追い遣られている。見えなくするために。CCは不当に平準化されてしまう。優位にさえ立たれてしまう。実際乗客という上位に立った立場での一声(文句)だけで。際立つ同質化の過程である。

しかし同質化はあり得ない。特例にすぎない。北ドイツ放送交響楽団の楽員たちのことを考えればよく分かる。たとえば楽員たちと来場者の関係である。終演後の楽屋裏での一場面である。それまで(楽屋裏に引き下がるまで)音によってのみ来場者と関係を結んでいた楽員は、詰めかけた熱烈なファン(きっとご婦人)から語りかけられれば、今度は声で応じる。会話が進めば新たな関係も生れる。そんな折、予想に反して品位を疑うような言葉が発せられたとする。思い描いていた(膨らませていた)印象が崩され落胆しかねない。でも「原則」は変わらない。「原則」とはあの音の響きを生みだした個人でありその存在であるという事実(それに伴う聴く側の自己認識)。むしろその時の彼との落差は、なにが本物であるのか真実であるのかを知らされる機会となる。

オーケストラという「声」を失った人(奏者)たちの集団。失ったなかで獲得されている真実。「声」を失うことなしには一員にはなれないこと、真実には至れないこと。だから来場者の立場であるということは、彼ら奏者の側のものでしかない「声」の外に置かれるということ。むしろ外に置かれたことを受け容れそれを前提にすること(条件にすること)で、このように彼(「声」を失っている彼)の前に立つことも許されるのだということ。況や自分の側への同質化など思いもよらないこと。まさにそれに尽きるのである。

楽員たちには本来の場所(「声」を失った場所)へ還ることができる。コンサートホールの舞台上へである。でもCCたちにはもう舞台はない。下船後のことではない。自己紹介の行なわれた舞台上のことである。正確に言い表せば、自己紹介後の次の日から始動した平準化の船内には舞台はないということである。同時にCC同士が舞台の上で聴き合った声はもう再現しないということである。
CC同士にしても特別の声だったはずである。自分の声として聴こえ「倍音」(ハーモニクッス)として聴こえていたもの。知らない自分さえ発見するかもしれない体内に聴く自分の声。メンバーの声であって自分の声であるもの。

再びキュンター・ヴァントと北ドイツ放送交響楽団。ヴァントが発見し楽員たちが実現した音の響き。数台のホルン、トロンボーン、トランペット、同一楽器群。それぞれの楽器のそれぞれの奏者(プレイヤー)が自分に聴き、同一列の傍らの(両隣の)もう一人の自分に聴き、聴きながら実現した同一音。その同一音に至る仕組み(仕掛け)が、オーケストラの全合奏に場を移して重奏的に再現されさらに未知の域に響き渡らせたもの。奇跡の「人間集団」。
 
 ――すでにCCに転化する必要はないだろう。それにヴァント&北ドイツ放送交響楽団のライブ演奏(来日コンサート)を聴き逃したことを惜しむ気持ちがまだ残っていたとしても、CCという「ライブ」を日々共にすることができたのだ。それだけで十分というわけだ。

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