2012年7月15日日曜日

[う] 占い師ミコ


[う] 顕子は不図したことで「占い」というか「占い師」に関わることになった。といっても顕子自体は占いには縁がなかったし関心も薄かった。それが突然声をかけられたのである。昨日の夜のことである。
  駅前アーケード街の通路の一画に占い師が店を出したのは一か月前だった。それらしい黒っぽいレース模様のショールを頭からすっぽり被っていた。イスラム圏の女性のようにスカーフを顔に巻き付けて鼻梁まで隠していることもあった。
  布を垂らした即席のテーブルには占星術を思わせるような円形のチャートが置かれていた。傍らのローソク型の赤色燈が占い師の顔を下から照らし出していた。
  いつ通りかかっても客の姿は見えなかった。近くにゲームセンターがあったからだ。場所が悪すぎる。勤め帰りの疲れ切った体を家に運ぶ通行人たちは、客の出入りのたびに全開状態になる店内の騒々しいゲーム音に辟易していた。顕子もその一人だった。その半ば暴力的な音を知っている者ならそうするように、予め店の前を避けて反対側を遠回りに横切っていく。
  誰も立ち寄るわけがない。ゲームセンターの対面ならまだしも選りに選って横並びである。もの好きがかりに腰を下ろしたとしてもまともな遣り取りは望めない。店内の騒音に何度話を中断しなければならないことか。ともかく場所が悪すぎる。
  あるいは悪すぎるのではなく、実は占いの店ではないということ。そういうこと? ゲームセンターのサンドイッチマン(ウーマン)。そうだとすれば偽りの店であって最初から立ち寄られては困ることになる。それがその場所が意味するところ、無言の意思表示というわけ。でもそれが一目で分かるかと言えば疑問。それにゲームセンターと占い師、マッチしているようでしていないしミスマッチのように思えなくもない。
  ――アキコさん、でしょう?
  気が付くと腕を捕られていた。
  腕を捕られて、自分が歩いていたのが、占い師側であったことに気が付く。
  週の終わりで疲れていたからか。それともゲームセンターが店内改装中で臨時休業だったのを体が無意識に覚えていて、人通りの少ない歩きやすい側に自然と身を寄せていたからか。捕られた腕への言い訳だった。
  それにしても自分の流れの側に餌が流れてくるのをじっと待って、自分の気配を水面下に潜ませていた清流の山女のように一瞬の早業だった。
  でもそれより「名前」だった。「アキコ」と呼び止められたことだった。なんで? でも彼女は平然と言い放った。
  ――私は「占い師」よ。そのくらいのこと分からないでどうするのよ。
  ちょっと待ってよ。そのくらいのことで好いわけないでしょう。
  すると彼女は言った。「占い師」ではないと。もっと凄いんだと言った。名前も占いで言い当てたわけではない。「探偵」の働きによるもの。と言っても誰か別人がいるわけではない。すべては自身一人内でのこと。つまり自分の体の中に居る「探偵」のことであって、もちろんその「探偵」が体の中から出ていくことはない。「現場」に直接出向くことはないということ。そうでなければ占い師以下。
  彼女はその「探偵」を「弟子」と呼ぶ。その「弟子」が知っていた、あなたが「アキコさん」であることを。そして報告を受ける。これがあなたを「アキコさん」と言って呼び止めた経緯。だからこれは占いではない、占いを超えたウラナイである、と。

  でも私が「アキコ」であることを知っているのは子秋と私自身しかいない。子秋が「探偵」なのかしら? 意味が分からない。
  そう言えば子秋が言っていたことがある。見られているような気がすると。
  子秋と居る時、近くのベンチに何回か同じ男の人が座っていたような気がしないでもない。あの男の人だったのかしら。私たちの話を盗み聞きしていた、そうだったの?
  同じように昼食を摂っていたので近くの会社の勤め人程度にしか考えていなかったが、そう言えば勤め人という格好ではなかった。
  ――「弟子」のことはいいの。そんなこと今は問題ではないの。
  勝手に不機嫌になる。でもその一方で宥め口調で平然と言う。
  ――アキコさんの気持が分からないわけではないわ。いくら私があなたの母親のような年齢の年上の女性だからといえ、それだけでこんなふうに話しかけて良いわけがない。娘でも姪でもあるわけではないし。しかも「探偵」までされる。これって人権侵害でしょう、そう思っている。でもともかく今はこの頭のおかしい女からどう逃げようか、そのことで頭の中は一杯。違う? でも簡単よ。このまま無視して立ち去ってもいいわけだから。でもできない。不思議ね。どうして?
  彼女は言う、繋がっていると。それがあなたを足止めにしているだと。あなたは気が付いていなかったかもしれないけど、店を出した時からあなたは私と会話していたのだとも。どう? 言われてみるとそんな気がしてきたでしょう。自分に正直でいいのよ。

「少し待っていて」
  そう言って彼女は店を畳んで路地の奥に消えた。着替えてくるというのだ。この格好では入れないでしょう。いっしょにお茶を飲むというのだ。
  どこで着替えて来たのだろう、10分ほどして戻ってきた彼女は、「仕事着」とはまた違う不思議な出で立ちに身を包んでいた。目を丸くして見てしまったからか、彼女は両手を広げてバレーダンサーのようにゆっくりと一回転して見せる。傍らを通る人の目は彼女だけでなく私にも向けられていた。
  一先ず合格ねと言った。合格? 待っていたから? そういうことらしかった。
「これがあなたの写真」
  次は写真だった。知らない女性のポートレートだった。若そうにも見えるがよく歳格好の分からない人物写真だった。それにこの写真? すこし黄ばんだ白黒写真。ずいぶん時代がかった代物。見開きの厚みのある写真台紙。写真を嵌めこんだ窓枠。お見合い写真? 間にはカーテンのように半透明の薄紙が挟まっている。
  彼女は言う、「気に入らないの? それは善くないわ」と。
  今度は好き嫌いについて言う。勤め先の人間関係、交友関係、男友達のことについても言う。またしても「それは善くないわね」と付け加える。
  遡って小中学校のクラスの子たちのこと。そうかと思えば、ミッション系の女子校だったわねと言う。そして女子校の生活のこと。「それは善かったわね」と言うこともあるが、それ以上に「それは善くないわね」だった。最後に恋人へと話が振り向けられる。最初から咎め立てる口調。結婚は止しなさいと言う。最初からやり直しましょう、それがいいわと言う。
  でも私の専らの関心はオーダーのことだった。「後にして」女の子が来るたびにそう言ってオーダーを取らせないのだ。まるで水だけで結構と言っているみたいだった。それに断っておけば、私は別に会話の相手をしていたわけではない。彼女が勝手に話を創って一人二役を演じていただけだった。
  頷いていたじゃない、そう言われればそうだったが。
  遂に店長らしい人が出て来た。そうなる気配がしたので、店長から言われる前にと思って、レモンティーを二つと言って小声で注文した。
「駄目ね。あなたは。そんなことではこれからが心配」
  そう言うと、店の女の子を手招きで呼んだ。いい加減止めて下さい、と声を上げようと身構えていると、「私の少し濃くしてね」と注文し「シュガーは付けなくていいわ。その代わりにレモンを一切れ多くね」と付け加えるのだった。
「わたしがレモンティー好きなこと知っていたのね」と満足気な顔をして、「他人同士じゃないからよ。これで分かったでしょう。それに話をちゃんと聴くことができる。決めたわ。アキコさん、これで合格よ」とほとんど母親口調だった。もちろん無難だったからレモンティーを頼んだに過ぎない。
  どうやら本当に合格のようだった。でもなにが「合格」なのかさっぱり分からなかった。
「これからのことだけど、そろそろお店に戻らなければならないから、それは次でいいわ」そう言って彼女は最後の一口を飲み干した。
  口を付けないつもりでいたが、アキコのカップも底が見えるまでに減っていた。
「あなたが払うのよ。勝手に注文したんだから」
 そう言って悪びれることもなくさっさっと店を出て行ってしまった。

 
顕子は喫茶店に残って子秋にメールを送った。
  ――あなたの周りで何か変わったこと起こっていない? 急にごめん。変なメールして。
  少ししてメールが戻ってきた。
  ――何か変わったことって? 私の方は何もないけど、何か困ったことでもあったの?
  ――知らない人から話しかけられたとか?
  ――ないけど。知らない人って何のこと?
  ――ごめん。なんでもないの。何も起こっていなければそれでいいの。良い週末をね。
  ――そう、なにか心配だけど。なにかあったら連絡してね。じゃあなたも良い終末をね。
30分ほどして顕子は喫茶店を出た。そして占い店に向かった。写真を手にしていた。
頭からショールを被って彼女は何事もなかったかのように座っていた。
「写真、困るんですけど」
 そう言って、テーブルの上に置いた。
「あなたは?」
 顔を上げたのは彼女ではなかった。
 意味が分からなくて茫然としていると、その女性は納得したような顔になって、薄ら笑いを浮べていた。掛けて、そう言われた。
 実は彼女には一時的に座ってもらっていただけで、どこの誰だか自分も詳しいことは知らないと言う。「ミコ」とだけ名乗っていたけれど、もちろん本名とは思えない。どうして座ってもらうことになったかと言えば、この「お店」にしても将来の開店に備えて客層を下調べするために一時的に開いているだけで、客を取るつもりで開いていたわけではない。それに自分もまだ修養中の身。だから客にはその辺の事情を話して、もし切羽詰まった話だったら自分の処に回すようにと先生から言われている。ともかく安易に観てはいけない、そう言われている。
そこへ現れたのが彼女(ミコ)。「客じゃないわよ」そう言ってたっぷりと小1時間。観られたのは私の方。占いとは違うがなぜか聴き入ってしまう。ミコに言わせれば占いを超えたウラナイだという。そしてそれが変に納得的。挙句の果てにはあなた占い師向きではないわねと言われる始末。
見習い占い師は、同じ言葉を繰り返しながら自嘲気味に笑って見せた。そこでミコからの申し出。20時まで座っていてあげる。マーケティング(客になりそうな人の通行量調査)なら私の方が目利きなはず。そう言って彼女の独り決めで始まったこと――と言うのだった。

「もう来ないんじゃないかな。あなただったのね。つまり〝お眼鏡にかなった人〟」
 そう言って興味深げな眼差しを向けてくる。止めて下さい。見習い占い師は顕子の困惑ぶりを愉しんでいるかのようだった。
こうも言っていたのよ。条件があるって。時給のことは気にしなくていいって。要らないからって。でも結果は出すって。その代わり私の都合で辞める。でも最低一か月は居る。それ以上居るかもしれないけど、その場合はあまり見込みないということになる、この街は。でもそれはないでしょう、とりあえず一人はいる。めぼしい子がね。そう言っていたわけ。時給のこと言われて、えっと思ったけどね、黙って頷いていたわ。
ところで目ぼしい子がいると言われて、訊かなかったけど、本当は娘さんの素行調査か、お知り合いから何か頼まれていたのではないかと思って、それなら目的があってかえって安心だし、それに開店時間は20時を予定していたので、早時間帯のことを知っておくのも参考になるかなと考えて、それなら構わないかなと思って。それに目的はなんであれ、「実力」はたしかそうだったから、ともかくお願いしますだったわけ。
じゃこの写真のことは? 
「何も聞いていないけど」
 でもなにか知っているみたいな口振りだった。「拝見するわね」と言って見習い占い師は写真を開いた。
「知っている方ですか」
「私が?」知ってるわけがないという突き離した言い方だった。
「でもなにか心当たりは」
 少し悪いと思ったのか、そうね、みたいにして今度は思い巡らせて見せた。
「やはりあなたで好いじゃないの」
 そして、そう言われたんでしょうと付け加えた。
「変なこと言わないでください」
顕子は抗議した。一瞬、一連のことが手の込んだ勧誘のための罠ように思われたからだった。
「少し前、ミコさんがね、引き継ぎの時、こう言っていたの。『アキコさんという若い子が来るかもしれないけど』って。『写真持ってくるかもしれない』って。そして『返そうとしても受け取ってはだめ。自分の写真なんだから本人が持っていなくてはいけない、そう言って上げて』って。それに私に返されても困るのよ。ミコさん、もう来ないと思うから。『ノート』渡されたの。〝マーケティング〟のね。訊かなかったけど今夜で終わりということだったんじゃないかな」
 押し問答はしたくなかった。でもこの「お店」でのことなんだから責任感じて受取って下さい、そう言いたかった。正論だったはずだ。

 ※

 どこからどう見ても自分とは繋がらないし全く関係ない写真にしか見えなかった。一夜明けても新たな発見はない。あるわけがないのだ。それに昨夜のこともなにかの間違いだったのではないかとしか思えなかった。催眠術にかけられていたとは思いたくなかったが。
疲れた目を窓辺で休める。梅雨空。天気予報では雨は大丈夫そう。
郷里の母親に電話すると、朝早くから出かけてしまった様子。相変らずご活発なこと。でもそれに引き替え妹の気のない返事。「どうしたの?」眠たげな声。「別に変ったことないわよね」「ないない」早く切りたそうな気配。「ならいいの」早々に切る。
 窓辺に椅子を持ってきてティーカップを口に付ける。そういえば私も濃い目を好む。喉越しのビール感ではないが、より刺激的。脳髄も悦ぶことだし。
 公園に向かう自転車の親子連れ。背中にバックを背負っている。歩くと20分はかかる。森のような自然公園。人工的でないのが売り。空を隠すくらいに生い茂った木々の下を歩く。吹き抜ける風に運ばれてくる幹の甘い匂い。揺れる梢。ざわめく枝葉の音。休日の午後のひと時。午後を目一杯過ごすとやがて訪れる閉園時間。夕暮れを迎えた森から人影が少しずつ消えていく。遅しと待っていたように森の精に明け渡す時間が森を包んでいく。
そうか「森の精」(a wood nymph)か。彼女(ミコ)。着替えた服。時代の最先端を行くようでどこか中世染みていて、それにずっと世の中を見てきたかのような瞳の奥とその奥に潜んでいる影。そのウッドニンフさん。間違えて街に迷い込んでしまったのだ。違う。森の生活にすこし飽きて街中にお出ましだったというわけだ。そして適当に愉しむ。ならこの私――遊ばれた私。ではこの写真――その時代、彼女に〝遊ばれた〟もう一人の女性。

――夕べはご免。なんか心配させちゃって。実はすごくいい話だったの。来週会ったとき話すわね。返事要らないからね。
子秋へのメール。そして支度をはじめる。午後からはデート。と言っても無難な相手。学生時代からの男友達。彼女のこと相談に乗ってもらいたいと言われていたのをずっと放っておいて、催促の電話があって仕方なくの〝デート〟。
いつまで経っても成長しない男。それとも当て付け。
なら言ってあげよう、『やり直しなさい』って。『別れなさい』という意味よと。

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