2012年12月31日月曜日

[く] グレン・グールド~演奏家という存在形態~

[く] はじめに~一本の映画~ 表題は濁音。でもそのピアノはどこまでも清音。今年もいろいろな映画を観てきたが、グレン・グールド(193282、カナダ人)に関する映画もその一つ。映画の題名は『グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独』(ただし封切りは昨年秋)。原題は『Genius Within The Inner Life of Glenn Gould』。「愛」の解り方次第だとしても原題の方が良い。ドキュメンター映画である。グールドに関する映像(演奏風景やインタビューなど)はWeb上でも多く流れているが、本作品は伝説的なベールを取り去ってグールドの内面を追求し、彼の音楽の前提となる人間グールドを掘り下げようとした意欲的な作品(監督:ミシャル・オゼ/ピーター・レイモンド、2009年、カナダ、108分)である。

 
 Ⅰ グレン・グールドの音楽

 希代の異端児 この映画を観たのはブログを見込んでいたからではない。以前、良く聴いていたピアニストの一人だったからである。それに音楽的源泉に人を誘う上に特別な存在であったからである。いうまでもなくその斬新さによってその名を一気に世に知らしめることになったグールドのバッハ(「ゴルトベルク変奏曲」1955年録音)の演奏である。そして、「ゴルトベルク変奏曲」をはじめとした「バッハの音」を基点とするグールドのピアニズムが創る既存の音に対する否定的な響きに長く囚われていたからである。たとえば、グールドのモーツァルトやベートーヴェンの演奏である。同時代に対して挑戦的すぎる演奏である
映画の中にはそんなグールドを彷彿させるレナード・バーンスタインとの共演シーンがある。演奏に先だって指揮者が会場に向けて説明する場面である。しかも弁解シーンである。異例中の異例である。曲目はブラームスのピアノ協奏曲第1番であるが、これから演奏する協奏曲のテンポはグールド氏の選択によるものであって「(私には)まったく同意できないものである」というコメントである。指揮者は致し方なく従ったのだと但し書きして演奏を開始した(しなければならなかった)のである(19624月ニューヨークでの演奏会)。指揮者を困惑させるエピソードには事欠かないグールドである。しかも紛う方なき〝異端児〟である。奇行だけでなくそれ以上にその音楽がである。その折の演奏会のテンポも、(非常識に)極めて遅いものだったのである。

 
グールドのピアノ 一冊の本を読んだ。グールドに関する最新作である。題名は『グレン・グルード 未来のピアニスト』(筑摩書房、2011年)。執筆者は青柳いづみこ。彼女はピアニストでドビッシーの研究家としても知られているが、文筆家として多くの音楽評論を手掛けている。本書は昨年7月の出版で、映画の封切り(20111029日)前であるが、「あとがき」(同年4月)では上記映画の感想にも触れている。カナダ在住者(グールド関係書籍の翻訳者)から先に送られてきたようである。それはともかく、本書は、さすがに「実演家」であるだけに指使いについて同業者でなければ気がつかない奏法についての数々の指摘があるが、エッセンスとなるのは、著者自身の演奏家という在り方を重ね合わせるようにしてグールドの本質的課題に迫っている点である。小文が副題とした「演奏家という存在形態」に関する課題についてである。音楽芸術における演奏家の位置付けを自問自答的に問い、その問題をもっとも先鋭化させている存在としてグールドを捉えているのである。
グールドは、上記した「ゴルトベルク変奏曲」のレコード録音をはじめとした斬新な解釈によってバッハに新しい光を当てた。解釈だけではなかった。20世紀半ば、一時タブー視されていたピアノによるバッハ演奏*を再建的に復活再生させた(吉田秀和1975)。しかも単なる再生ではない。ピアノという鍵盤楽器だけが創り得る「音」を発見したのである。「ゴルトベルク変奏曲」の演奏は、その「音」の具現である。グールドのバッハは、ピアノ故に生み出せる「音」のなかに発見された音楽芸術である。絶対音感の保持者ならぬグールドの絶対的な自信(確信)だった。あらゆるスコアに曲想を超えて「音」を聴くことができた。彼の解釈の前提であり、「音」を発見した自分自身に向けた確信だった。
 
* バッハの時代の鍵盤楽器は今のピアノ(打弦鍵盤楽器)ではなく音の響きが構造的に違うチェンバロ(撥弦鍵盤楽器)であった。またバッハが使用していたのは二段鍵盤である。したがって、平面的には二段を一段にした鍵盤楽器がピアノである。二段用に作曲されたバッハの鍵盤曲を一段で演奏することは矛盾である。極めて複雑な手の交差や差し込みが要請されることになる。グールドはそれをいとも簡単にこなす(以上は青柳著から)。
グールド以前、この楽器上の矛盾(音の矛盾)に立脚して、本来の正しい音(正しいバッハ)の復権を求めて、バッハはチャンバロで弾くべきとピアノとの違いを実証してみせたのが、チャンバロ演奏の復活を主導したワンダ・ランドフスカであった。その後、彼女がアメリカに渡ったこともあり、「合衆国では若い世代のピアニストにとってバッハをピアノでひくのはタブーであり、時代遅れの愚劣な行為に近く見られるようになった」(吉田著、177頁)というのである。

モーツァルトの演奏 しかしその確信が為さしめたともいうべきモーツァルトはどうだろう。とくに物議を醸した「ピアノ・ソナタ第11番イ長調K.331」の演奏である。青柳によって「危険な領域」(321頁)とさえ譬えられるほどの演奏である。「実験的演奏」かもしれないが、モーツァルトへの挑戦である。聴き方によっては〝嘲笑的な演奏〟でさえある。そのモーッアルトに関してグールドはかく言う(青柳著孫引き)。

私がモーッアルトの音楽に対してやっていることに彼自身は賛成しなかったに違いないと思うことがよくあります。演奏家は、たとえ盲目的であれ、自分が正しいことをしているのだという信念を持たなくてはなりません。それは、作曲家本人すら十全に実現できなかった解釈の可能性を見出しつつあるかもしれないのだという信念です。(『発言集』)

 流れるように弾かない。響かせない。優雅になどしない。してその演奏はと言えば、第1楽章の途中までの極端に遅いテンポに、一音々々を区切るようにして弾く奏法(ノン・レガート)で、止まってしまうような音をやっと繋ぎ止めている。ぎりぎりの停止状態に挑んでいる。まさしく実験台にしている。あえて嘲笑的なと言ったのも大胆すぎるためである。でも『発言集』のとおりである。彼は信念以上に理論――「作曲家本人すら十全に実現できなかった解釈の可能性」で遂行していたのである。しかも事実、聴こえなかったモーツァルトが鳴っているのも事実である。
一体に遅いテンポをとる場合には、しばしば予期せぬ音楽的効果が期待されることがある。これはシンフォニーの例ではあるが、良く知られた例にセルジュ・チェリビダッケ(191296)の指揮がある。ブルックナーの音楽に〝耳が肥えていた〟我々には余りに遅いテンポだった。客演した場合、楽団員のなかには棒が振り下ろされるのを待ち切れず先に音が出てしまうほどだったというエピソードも生れた。しかし、耳が馴れてくると従前のクレッシェンドでは味わえないような悠揚とした音の、時間の過ぎてしまうのを惜しむような高まりに包まれる新鮮な体験もした。それにテンポに馴れてくると、底流する熱いロマンチシズムの響きを聴き取ることもできる。むしろそのテンポは、より奥行きのあるロマンチシズムに辿り着くための手段であった。実際、彼の音楽の出発点にはフルトヴェングラー(後述)があった。
 このようにチェリビダッケを引き合いに出すと、同じテンポの遅さでもグールドの(K.331での)異質さに気づかされることになる。なるほどチェリビダッケはブルックナーを否定していたわけではない。逆だった。演奏史上でブルックナーを同時代的に「否定」しただけだった。しかるにグールドは違う。外面的にはチェリビダッケ同様にモーツァルトの既存の演奏を否定していたが、同時に内面にも及んでいた。行きつくところは作曲家の否定だった。これは単なる好みの問題ではない。事実、彼がモーツァルトを好んでいなかったとしても、意味内容が違う。「理論」の範疇である。「作曲家本人すら十全に実現できなかった解釈の可能性」が為せる「否定」であった。
冒頭からの超スロー・テンポで、モーツァルトのア・プリオリな音ともいうべき淀みなく流れ下る調べを唐突に止め、ノン・レガートで音の頭出しを顕在化させた。さらに、伴奏的な左手の従属性を解き放って、主旋律を奏でる右手に対等的(以上に)に対峙させて既存の響きを相殺した。あるいは別な響きにした。かくしてモーツァルトの内面(優雅ながら〝疾走する悲しみ〟と喩えられる内面)は失われるに至った。

 
時代の音楽事情 グールドのデビュー同時(1950年代)の音楽界は、戦前のヴルトゥオーゾ的な過剰気味な演奏から楽譜に忠実な演奏が志向されていた。楽譜に書かれていることを深く読みとり、作曲家の意図を忠実に反映させるのが正しい演奏スタイルであるされていた。前代に対する反動の上に求められた楽譜主義的(「楽譜に忠実派」的)な態度であった。技巧主義に対抗的なのはグールドも同じであったが、楽譜至上主義は彼の容れられるところではなかった。したがって時代は彼に反作用的に作用し、グールドの反楽譜主義的な立場をより昂じさせ、一層、理論化に仕向けていくことになった。
しかし、時代はその一方で録音演奏というあらたな時代に入っていき、音楽を一回性の制約から自由にして、異なる音源の組合せによる再編集的な演奏を可能にした。レコード芸術(再生的音楽表現の世界)の台頭である。この新時代の録音技術の進展によって、グールドの演奏理論は、彼を演奏会場からスタジオに回避させ、録音に結実する音楽芸術へとその演奏家的態度を硬化させていった。ステージ演奏の拒否である。デビューから10年と経たない1964年のことであった。

 体現者グールド それはそれでよい。ここで問題なのは、こうした態度の硬化も、作曲家を乗り越える手段に転化していたことである。フレーズの長さで組み替が可能な再編作業を通じて、楽譜が作曲家の手を離れ自分の側に近づく。スコアの読み替えである。書き換えでさえあった。すでに意識内行為であった。ステージ演奏の否定は、グールドを演奏家から「作曲家」へと変質させていく。今や作曲家を乗り越えるためにこそ演奏家としての自己存在がある。見出されていったのはアイデンティティであった。一見奇抜とも思える数々の解釈(「作曲」)が正統化されていた背景である。そして、青柳いづみこが、グールドを20章(序章・終章込み)の長きに亙って評するのも、恐らく、この既定の演奏家の域を飛び越えた「意識内行為」の著しさのためである。演奏家の存在形態が問われていたのである。それを一身に体現していたのである。青柳は体現者としてのグールドのことを次のように語っている。

彼は、作曲家と演奏家が分離して以来の本質的矛盾に立ち向かったのだ。
                                     (「終章 未来のピアニスト」353頁) 

 グールドの矛盾 まさしく「矛盾」なのである。演奏家がその演奏を突き詰めることが、「作曲家」である自分に出会ってしまうことは。もちろん表面的には歓迎されることである。より高い課題に自らを晒すことになるからである。当然、新しい演奏に反映されることにもなる。しかし、それだけでは(新しい演奏に出会うだけでは)、「矛盾」とは言えない。また、演奏家を辞めて作曲家に転じていくとしたなら、その場合も「矛盾」ではない。修辞的に言い表せば作曲家になれない「作曲家」なのである。だから「矛盾」なのである。しかもなれなくてもならなければならないから、この「矛盾」は、なおさらに「本質的矛盾」なのである。
この「矛盾」から解かれるためには、作曲家にならなければならないとする態度を捨てるだけでは果たせない。同時に演奏家であることを放棄しなければならない。しかし「矛盾」に近ければ近いほど放棄されない。むしろ「矛盾」のなかでより高い演奏を演奏家に見出させていく。外見的には楽譜の深い解釈でしかないが、単なる解釈法とは異なる。解釈法だけでは作曲家を乗り越えられないからである。しかしグールドは違う。少なくとも彼の中では作曲家を乗り越えている。乗り越えたことに自覚的な演奏だからである。
 たしかに内面観として問い詰めていくと、演奏家とは不思議な存在である。青柳のように現役のピアニストで同時に文筆家である異なる表現手段に自己を表出する立場にあっては(グールドもそうだが)、「矛盾」はより先鋭化されることになる。ピアノは、その顕在化の上で特殊な楽器的役割を果たしていた。楽器の中で唯一オーケストラに匹敵できるような機能を兼ね備えているからである。しかも音楽の全体に作曲家のように個人として亘れるからである。


 Ⅱ 指揮者の音楽芸術

フルトヴェングラーの場合 ところでこの個人の立場をより以上に体現するのが指揮者である。作曲家と演奏家の両者が分離する以前の未分離状態を今現在でも継いでいるのも体現性の大きさ故とも言えるが、グールドとの対比で興味深いのは、フルトヴェングラー(18861954)の存在である。20世紀最大の指揮者であった彼は、一方で作曲家であることを自認するに相応しく、交響曲3曲ほか室内楽曲、歌曲、器楽曲の作品を残している。交響曲は60分から80分を要する長大さで、室内楽曲もそれに近い長さである。
フルトヴェングラーの存在が問題なのは、指揮者によって達成される音楽芸術の域が「作曲家」(自己内他者)によって達成されるそれを大きく超えている点である。しかもその超え方が問われる。グールドとの違いとなる点でもある。グールドの場合は、自作(「弦楽四重奏曲作品11955年、約35分)の作曲内容が、彼の演奏や音楽観が否定したロマン派的な範疇を抜け出していなかった。ポスト・モダン的な演奏と齟齬していたのである。結局、終始「作曲家」を志向しながらも挫折を繰り返すしかなかった。
その点、フルトヴェングラーの場合は、彼自身が敬愛する、自身の血脈でもあるドイツ・オーストリア系の重厚なロマン派作曲家の強い影響(なかでもブルックナーの影響)を受けた作曲内容で、指揮(演奏)と作曲が一致していた。ただし、そのために(旧態依然としていたために)、内省的な深い響きを重々しく聴かせる大作でありながらも、作曲家としては音楽史上に名を留めなかった。それはともかく、作曲内容から見ても演奏による作曲家の否定はなかった。ありえなかった。むしろ事態は逆だった。ドイツ・オーストリア系の音楽の絶対的肯定である。肯定のための指揮だった。しかし、この肯定的な(絶対的な)指揮が否定ではなく、乗り越え――作曲家の乗り越え――という新たな事態を齎すことになった。フルトヴェングラーの存在が問題であると同時に興味深いのはとりわけこの点である。

彼の乗り越え 具体的に掲げれば、フルトヴェングラーによるベートーヴェンやブラームスの演奏(とくに交響曲演奏)である。しかもグールドが否定したライブ演奏においてである。作曲家への敬愛と楽曲への陶酔的解釈は、その指揮をして指揮者自身を作曲家より高みに押し上げてしまったのである。誤解されかねない言い回しである。言い方を換えれば、作曲した作曲家本人でも実現できない指揮(楽音)の高さである。指揮が上手いとか下手とか、あるいはオーケストラのレベルが高いとか低いとかいう類の次元ではない。楽想に胚胎されていなかった響きだからである。
乗り越えも外面的にはスコアの深い解釈としてしか顕れないが、解釈の在り方が問われることになる。解釈ではなく作曲だからである。しかも作曲的解釈を超えた作曲的作曲なのである。だからベートーヴェンやブラームスを超えるのである。しかも、それだけに(高すぎたために)自分にも還されて、自身の作品も乗り越えられてしまうのである。指揮の高みに作品は届かない(及ばない)のである。
再び「矛盾」が顔を出す。この関係性(作曲家=「他者」―指揮者=「自己」―「作曲家」=「自己内他者」)それ自体が矛盾だからである。①まずフルトヴェングラーから見た場合に「矛盾」なのは、ベートーヴェンやブラームスを乗り越えたとしても前提となるのは二人の作曲家の作品(交響曲)だからである。この前提は乗り越えられないのである。②今度は反対にベートーヴェンやブラームスから見た場合である。作曲ではフルトヴェングラーの上位に立っていたとしても、フルトヴェングラーによって振られた自分たちの楽曲が創り上げた高みは、フルトヴェングラーの存在が前提なのである。前提と共にある高みである。自らの曲でありながら「他者」(この場合の関係性では指揮者が「他者」になる)に左右されるのである。フルトヴェングラーの指揮ではすでに所有関係も「他者」の側に移行している。関係性自体が「矛盾」となる所以である。


Ⅲ グールドの回帰点

音楽芸術の根源 いささか極論に過ぎていたかもしれないが、あえて「矛盾」の構造を際立たせるためである。自作の最高の指揮者(演奏家)が、かならずしも作曲家自身でない根拠を開示するためである。あるいは明示するためである。両者未分離の時代であれば惹起しない「本質的矛盾」である。「自己内他者」を抱えこむ演奏家の立場だけが引き受けられ、関与できる音楽的矛盾である。あらたな創造性と向き合う音楽芸術の未知の領域でもある。
話をグールドとモーツァルトとの関係に戻せば、グールドはフルトヴェングラーの立場とは異なる。「前提」すなわち「他者」(作曲家)に対する立場が異なるからである。青柳が「危険な領域」(321頁)と譬えるモーツァルトの演奏(すべての演奏ではないが)は、前提を前提として認めないところから開始されているからである。これも〝独りオーケストラ〟であるピアニストに特権的な権利であるにしても、時には独善的にすぎる演奏は、外形的には演奏でも内実はすでに演奏ではない。そうかと言って編曲でも作曲でもない。作曲家と演奏家の分離が齎した一種の極論的領域である。しかし究極的には音楽芸術の性格に規定されるものである。演奏の介在を条件とする芸術的特性にである。グールドは気づいていたのである、その音楽芸術の根源であるとともに演奏の「哲学」であるものに。しかも20代そこそこの若さで(「ゴルトベルク変奏曲」の録音は22歳時)。

「北の国」の住人 まさしく天才たる所以であるが、青柳はその天才ぶりをアルチュール・ランボーやレイモン・ラディゲに喩えた(同著「はじめに」)。気の利いた比喩である。しかし、グールドが二人の天才と異なるのは、世界文学の渦中(フランス)に生れた二人が、一時とはいえその文学サロンに身を置いていたからである。しかも作品の輝きは、いまも輝きを失っていないとは言え、時代の文学観(象徴詩・シュールレアリスム)の中に止まる。その点でグールドは二つともに異なるのである。一つは「音楽の都」ではなく周辺のカナダであったこと、一つは時代の音楽観(楽譜主義)に背反的であったことである。別にグールドの人間性を追い求めようとすれば、カナダで生れそして音楽を学んだことは、必須の分析対象になるはずである。音楽的環境とともにカナダのもつ文化的・自然的環境がグールドの人間形成(とりわけ哲学的志向)に大きな影響を与えたからである。
グールドの内面を綴る文章がここにある。作者はミシェル・シュネデールで著書名は『グレン・グールド 孤独のアリア』(千葉文夫訳、ちくま学芸文庫、1995年、初出は1991年)である。「訳者あとがき」によれば、著者のミシェル・シュネデールは、多彩な才能の持ち主で多面的な顔(行政官・精神分析家・音楽評論家・小説家)を合わせ持っていたようであるが、両親は音楽家で自身もアマチュア演奏家であったと記されている。味わい深い文章(訳文)の素地である。ゴルドベルグ変奏曲の30の変奏に倣って30章からなり、最初と最後を「アリア」で挟んでいるが、その「第21章」にグールドとカナダのこと、正確にはカナダを含む「北の国」のことが綴られている。「彼は北の国が好きだった」ではじまる「第21章」は、「好き」の真の意味は実際の国である以上に北の国が広げる「心の風景」であるとする。「自己のメタファー」ともなる内景観である。続けてシベリウスを引き、両者に同じ影を見る。別に北欧(フィンランド)の作曲家だからではない。魂が繋がっているからである。そして、「魂」を生んだ「北の国」ついて綴る。

北の国、それはまた寒さであり、性的なものの凍結のことだった。北の国、それは事物の透明度を高める冷たさのことだった。凍てついた大気が、目に見える事物の輪郭をはっきりとさせ、熱気のなかだと曖昧になって輪郭がぼやけてしまう音に精確さをもたらすように、凍てついた手によってたどられるグールドのピアノ演奏の線と曲面と稜辺は、氷結した国に夜明けをもたらす厳しい光のなかで姿をあらわす。北の国、それは孤独の超越的な規則性だ。
               (ミシェル・シュネデール『グレン・グールド』第21章冒頭)
 (引用注:文中「性的なもの」と出てくるのは生涯独身であったグールドが「中性的」と言われることがあるからである。)
 
 シベリウス(18651957)が最終的に辿り着いた「音」(とくに後期交響曲)、それは重厚なドイツ・オーストリア系の楽音を借りながらも、その延長では聴き取れない「音」――たとえばグスタフ・マーラーとは異質な「魂の音」――であった。それを聴き取らせたのが「北の国」の力なのか知らないが、その「音」の正体は実に微妙である。グスタフ・マラーを最後ににして先に続かなかった(?)西洋音楽の「王道」が、血脈の外で繋がったからである。しかもマーラー以上の響きは期待できないと思っていた楽曲系のなかにおいてである。微妙なのはそのためである。「北の国」であることはやはり必要であった。やはりそう思われることになる。
 そして、同じ微妙さで別の「音」を手に入れたのがグールドであった。シベリウスが、ドイツ・オーストリア系の重厚な対位法の中に聴いたものを、グールドは外に聴いた。外に聴くことができたのがグールドの天才であった。しかも作曲家としてではなく「自己内他者」と同体の演奏家としてである。

「反楽譜」の音楽観 再び青柳いづみこの著作に戻る。グールドの楽譜批判の件である。楽譜は記号以上ではなく、しかも不十分な記号だということである。楽想が転位し切れないからだけではない。同時に楽想の喪失に手助けにしているからである。ここにこそグールドの楽譜批判(「反楽譜」の音楽観)の根源があり、別に「音」を再生しなければならない「理論」の必然があった。以上は、音楽の門外漢に過ぎないブログ執筆者が(真似ごと程度にすこしだけピアノを弾くが)、青柳の著作を知ることなしには知りえなかったことであるが、青柳はグールドの想い(「理論」)を代弁させる形で一人の指揮者と一人の作曲家のことば(楽譜観)を紹介し途中を自己見解で繋ぐ。
一人はグールドも共演したことのあるストコフスキー。一人はブラームスである。ストコウスキーが楽譜の限界性――表せる限界性とそれ故に果たさなければならない演奏家の役割――を指摘するインタビューを前置きにして、青柳はこう続ける。

しかしグールドは、楽譜そのものを疑う。作曲家もまた、そのときえられた霊感を正しく楽譜に書き留めていない可能性があるからである。書き方が悪いか、霊観がとんでしまったか。(同著「第18章 受肉の音精神」337頁) 

 楽譜への根本的疑念である。しかも事実なのであろう。補うようにブラームスの言(インタビュー中の言)を引く。

  意識しつつ求めていた着想がかなりの力とスピードを伴って流れ落ちて来るが、つかもうとするのが精一杯で一部しか覚えていられない。すべて書き留めるのは絶対に無理だ。一瞬輝いたかと思うと、紙に書いておかなければたちまち消え失せてしまう。私の作品に残る主題というものは、すべてこんな具合にやって来る。(アーサー・M・アーベル『我、汝に為すべきことを教えん』)

 おそらく消え失せて書き留めらなかった「着想」が、一度自己完結してしまって失われたものを回想し切れなくなっている楽譜からではなく、鍵盤上で再発見されていく。再発見の程度にもよるが、時には作曲家(初譜稿)を相対化してしまうものとなる。演奏家というより演奏行為だけが切り拓いていくことのできる、まさに作曲家と演奏家との分離以降の創造性である。しかも音楽という再現芸術の根源として再発見されるものである。音楽に占有的な創造世界**である。

 ** 同種の創造世界に詩作がある。誰もが詩人になれるが、実は誰もなれないのである。音楽芸術に見るような「本質的矛盾」の先に立てる者だけが詩人たる資格を得ることができるのである。ことばを意味から、それも自分のなかにある意味から解ける者だけが詩人なのである。極めて困難である。他者関係で形成される意味から解くことはできても、他者の介在しないなかで解くのは。なぜならことばは他者関係そのものだからである。その難しさは、ベートーヴェンとフルトヴェングラーの両者を生きることと置き換えることができる。まさに逸脱である。でもそれが詩人である。またその行為(詩作)である。だから誰でもなれるわけではないのである。しかし、なれないこと(の構造)を知ることは、立場は詩人の外にあったとしても、詩の側に立つものである。なお、本ブログ執筆者もまたなれない側に立つ者の一人である。


おわりに

身体としてピアノ かくしてグールドは作曲家が自室に閉じ籠って作曲に勤しむように、コンサート会場を離れ録音スタジオに閉じこもるのであった。「作曲」だからである。絶対的静寂が必要であった。さらに必要であったのは、専用のピアノだった。グールドの場合、「作曲」は五線譜ではなく鍵盤の奥(弦やハンマー・ダンパーなど)にあったからである。物質としてのピアノは同時に彼の精神でもあり、「作曲」の具体的な形象でもあった。「作曲家」はピアノとともに生き死ぬのである。大袈裟でもなんでもない。上掲シュネデールの著書(第7章)には、一度「死にかけた」エピソードが紹介されている。
19573月のことであった。愛用の「スタインウェイ174」(1955年入手)がコンサートの帰路トラックから落ちて大破してしまう。「喪の悲しみ」にくれてたグールドは脱力感のなかで呟く――「スタインウェイはいなくなってしまった。何年後かには、ぼくもまた引退するだろう」と。結局、1960年に至って新たに「スタインウェイCD318」を手に入れ(欠点はあるものの)、以後の録音(レコード録音)の大部分を共にしていくことなる。
 このエピソードを踏まえて、シュネデールはピアニストとピアノの関係に触れ、「ピアニストにとってピアノは演奏者の身体に仕える楽器ではない。ピアノは演奏者の身体そのものなのだ。そしてある種のピアニストはたぶん身体を獲得するためにピアノを必要とする」(094頁)と記す。まさに身体***である。病的なまでに寒がりであったグールドにも同じように身体であった。しかもピアノと化した身体は、まるで無音界に音を求めるような舞踏家の手先に似て、空いた左手を掲げ撓らせて架空のオーケストラを指揮する。「奇行」の一つとされる左手の指揮(〝舞踏〟)である。

*** この「身体」に関する話として、グールドとは別に観た映画があった。やはりドキュメンタリー作品であるが、こちらは調律師の仕事(究極の仕事)を追った映画である。題名は『ピアノマニア』(原題に同じ)。各地の映画祭で受賞している。制作年代も同じ2009年である。この映画(監督:リリアン・ブランク/ロベルト・シビス、オーストリア・ドイツ合作、97分)は、演奏家の音に対する拘りがいかに強いものか、拘りを超えて演奏の唯一無二の条件でさえあるのを生々しく知らせてくれる。まさに「身体」であった。映画に準主役として登場するピアニスト/ピエール=ロラン・エマールの拘りは、やはりスタンウェイを選定する場面を通じてグールドのそれを彷彿させるのである。なお、映画のなかでピエール=ロラン・エマールが究極の調律師シュテファンと共に求めていた音とは、やはりバッハの音(ただし「フーガの技法」)であった。

〝未来のピアニスト〟 そう、まさに「トランス」状態だった。「自作」に陶酔していたのである。すでに観客はいない。まさに映画の題名ではないが「天才ピアニストの愛と孤独」の独演である。しかし演奏の極地である。彼のトランス状態は音楽の真相でもある。多くの映像に彼のトランス状態が捉えられているが、青柳が引くなかに(オストウォルド『グールド伝』)トランス状態の意味を説く一文がある。「彼の演奏の本当の説得力は、音楽へのエクスタティックな没入をとらえた映像でこそ最良の形で鑑賞できる。そこでは、ピアニスト、作曲家、鍵盤楽器が、魔法の融合を成し遂げているように思える。そしてそれは、宗教的ともいえる霊妙な要素や神秘的な要素をグールドの奏でる音楽に与えるのである」(342頁)。
すでにピアニストを超え、超えたことで再びピアニストに立ち戻る。超えた場所は「未来」であり、また戻って来た時空も「未来」であった。生きていることが「未来」だった。青柳はそれを「未来のピアニスト」と呼んだ。その見えない「未来」を現実の中に生きた姿が彼だった。演奏家としての存在形態だった。


引用・参考文献

青柳いづみこ『グレン・グルード 未来のピアニスト』筑摩書房、2011
ミシェル・シュネデール/千葉文夫訳『グレン・グールド 孤独のアリア』ちくま学芸文庫、1995年(初出は1991年)
吉田秀和「ピアニストについて」『吉田秀和全集』6、白水社、1975



[付記]

◆ ブログを読んで下さる皆様に(お礼) ◆
1年の大詰めを迎えるに当たって、日頃のお礼を申し上げます。

五十音を道しるべとして拙くもアップし続けてきました。一つの方法論ですが、「他者」に導かれる――では本当はいけないのかもしれません。
なおブログ名の「インナーエッセイ」は、開設当初、次のステップに進むために仮題としていたつもりが確定されてしまったものです。スキル未熟もあって未訂正のまま月日を重ねてしまいました。いささか気恥ずかしいので改題したい思いはいまだに強いのですが、いまさらの心境となりました。
でもエッセイらしいエッセイがなく、表題に偽りありの状態です。いまだ成果に乏しいエッセイを含め、何を書くのかの自問もブログをはじめてより高まったものです。ブログが教えてくれた緊張感です。不思議な感覚です。エッセイになるかもしれません。

いずれにしても読んでいただけるのは日々の喜びです。読者の皆様への感謝を籠めて1年を締めくくりたいと思います。
 
どうぞ良いお年をお迎えください。

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