2015年1月30日金曜日

[む] 無伴奏組曲の「明日」


次の角に人の気配を感じる。その次の角にも。わたしを待ち伏せしている。待ち伏せしていると、そう感じてしまうわたしを待ち伏せしている。だからそう思ってしまうは、単なる心の持ち方の問題にすぎず、思いこみで創りだしただけの人(「角の人」)かもしれないけれど、その人の鋭い目線に晒されて、心を抉り出される思いに襲われる自分がいるのは確かで、そんな自分と闘い続けている自分がいる限り、自分で創った〈わたし〉などではないはずなのだ。そうでないと、というよりそう思わないと、わたしが〈わたし〉でいられなくなる、ひどく落ち着かない気分が、かろうじて内側で繋ぎとめている体と体を、身からも心からも無理やり引き剥がそうとして、さらに不安を呼び込むのだ。だから危険を冒してでも、待ち伏せに自分の方から身を晒す。すくなくともその時のわたしは、「角の人」の目には狙うべき価値ある獲物に映っているはずだから。自分の身を守らなければならないその時のわたしの中には、すくなくとも〈わたし〉しかいない。そうして次の角にさしかかるのである。

帰り道だったの。
コートのポケットのなかで手の平に爪を立てて、食いん込んだ傷みに耐えてみる。裂けるまでに立てた爪の間に血を滲ませてみる。ポケットから取り出した手の平に残る爪跡の傷を一方の手の指で赤く開いて、すかさず爪を食い込ませてみる。傷みで私をわたしに感じさせてみる。決して自傷などではない。
血に濡れた爪でガラスに傷をつける真似は、どこかガラスに立てたナイフの尖った刃先を味わう感じで、愚かな真似を嘲る笑い声に耳をそばだてていると、いつかナイフはわたしの手を離れて、わたしを帰らせまいとする「角の人」の手に握りしめられている。わたしの前に大きく身を乗り出すと、体を浴びせるようにしてわたしの身体の動きを一気に封じ、強引にコートのポケットに手を差し入れてくる。山のように覆いかぶさってくる圧迫感のなかで、気がつくとコートの中のわたしの手は、身動きがとれないままにナイフを握らされ、握らされた手を被う手が、それ以上の力で刃先をわたしの肉に立てて、もがけばどうなるかを教えようとしている。
コート一枚に守られた肉に息を詰めながらも、すでに諦め気味に力の抜けてしまった身体が、肉に突き刺さるナイフの冷たさを感じ取っている。崩れ落ちてしまいそうな私の体は、相手の力だけで立っていて、ビルの壁に押さえつけられて逃げ場を失っても、失ったことの自覚がない。
ビルの壁がナイフの刃先を待っている。硬い石壁で止まる瞬間に備えている。「角の人」の体の重みが、ナイフの柄頭と一つになる。その瞬間にも終わる命が、肉の一か所に全身の神経を集中させて、ナイフと一つになるその瞬間を、すでに絶命した側から待っている。
一度死んでいたわたしが目覚める。同じ場所で、同じ光景を見ている。顔を上げた先に「角の人」はいない。でもわたしはいる。どうなったの? 死んだのか死んでいないのか、死んでいないなら当事者は誰だったのか、誰でもなくなくわたしだったとすれば、結局、わたしの虚言だったわけ?

 一軒の家があった。優しい家族が暮らしていた。団欒があった。隣の家の窓から洩れてくる笑い。だれもが良い人たちだった。
 綺麗な街。しゃれた家並み。街路樹の植えられた通り。近づいてくる二人連れ。知り合いの親子。母親と娘。通りすがりに軽く会釈を交わす。いつもの日常風景のひと駒。
でも、頭の中に鳴っているのは、一晩中鳴り響いていたピアノの音。窓から洩れるソナチネの調べ。
――やはり眠れないの?
――(……)

主文。懲役一年六箇月執行猶予三年。
「心神喪失状態を勘案するに、凶器となったナイフを予め準備していた点、幸い被害者の防御によって致命傷を免れ重傷には至らなかったものの、一歩間違えば危うく人を死に至らしむるほどに過度に攻撃的であった点、また執拗に待ち伏せしていた点などから勘案しても、本件公訴事案は、心神耗弱状態をもって量刑を軽くする事案とは認定されず、よって、被告人生来の神経過敏な性状による情緒不安と事件発生時の特異な人間関係には情状酌量の余地があるものと見做して、主文の通り、被告人を懲役一年六箇月の刑に処するものとする。ただし刑の執行は三年の間これを猶予するものとする。」
 
 ただすがりたかっただけ。事件に。被告人にしたかったの。手を血で濡らすわたしを。
復讐! この胸を刺し貫く怒声。わたしがわたしに聞かせる叫び声。
 お優しいお子さん、そう言われてきたの。怒るのが怖くて、声が出せなくて。できればなにもかも毀したくて。自分の手の平に爪を立てて、皮膚に食い込ませるの。まだ五つだった。わたしがわたしではじまった五歳。
 ――思い当たることがないのか、そうか、きっかけがないのがきっかけか。
 取調室。やはり刺したのだ。きっかけなしに。
 ――まぁどうだか知らないが、自分でした、と言って君を庇っている。でも、一か所じゃないからね。背中にもあるし。それも自分で手を後ろに回してと言っているよ。健気だね。いい奴だ。心から好きなんだな、君のこと。
 君って? たぶん私のこと。二五歳。中肉中背。ショートカット。二十歳までは薄化粧だった。いつから夜の女になったの? そんなことも、訊かれた気がする。答えたのかしら。五歳の時からって。突然の激しい音。机を叩く音。ふざけるな! きっと殴られる寸前だったにちがいない。でも分かっていても同じことを繰り返してしまう。
 止めて! 耳の中でまた鳴っている。消えない声。あの先生の声。私をいたぶったヒトの……。
 刺したの。言い訳が必要でしょう。だから復讐だって言ったの。二〇年前の――。でもそれもわたしが創った〈先生〉だと言われるの。通院している病院の〈先生〉から。

 苦しいよね。苦しかったら遠慮なく言って。でも言えないよね。言えるぐらいだったら簡単だ。でもね、止めないよ。話し続けるよ。声がナイフでないなら。でもナイフなの? 切り裂かれる思いなの? ナイフより鋭く。ごめん。なんでこんな陳腐なことしか言えないんだろう。
――じゃ読むよ、一葉を。一葉の処女作をね。二人は隣同士の幼馴染。相思相愛の仲ながら子供の頃から兄妹のようできていたから気持ちをお互いに表にだせないんだ。僕のようだ。笑わないね。ともかく、次の場面は、「兄」が病の床に伏せる「妹」を訪ねる場面。

  「千代ちゃん、今日は少し快い方かへ」
  と二枚折の屏風押し明けて枕もとへ坐る良之助に、乱だせし姿恥ずかしく、起きかへらんとつく手もいたく痩せたり。
  「寝てゐなくてはいけない。なんの病中に失礼も何もあつたものぢやァない。それとも少し起きて見る気なら、僕に寄りかゝつてゐるがいゝ」
  (略)
  「御親切に有難うございます。ですが、今度は所詮癒るまいと思ひます」
  「又馬鹿なことを云ふよ。そんな弱い気だから病気がいつまでも癒りやァしない。(略)」
「でも癒くなる筈がありませんもの」
と果敢(はか)なげに云ひて、打ちまもる睫に涙は溢れたり。「馬鹿な事を」と口には云へど、むづかしかるべしとは十指のさす処。あはれや一日(ひとひ)ばかりの程に痩せも痩せたり、片靨(かたえくぼ)あいらしかりし頬の肉いたく落ちて、白きおもてはいとゞ透き通る程に、散りかかる幾筋の黒髪、緑は元の緑ながら油げもなきいたいたしさよ。         (樋口一葉「闇桜」)

 今度「一葉記念館」へ行こうよ。一葉の両親の出身地は、ボクの郷里の近くなんだ。だからと言って聞かせたんじゃない。君をともかくどこかに連れ出したかったんだ。「ソンナコト言ウンダッタラ云ウ前ニ早ク連レダシテ」って、以前ずいぶん厭きられたこと、その後も頭から離れなくて。でも「ワタシカラ〈ワタシ〉ヲ連レ出シテ」と言われてもね、その前にボクがボクを連れ出さなくてはならない、だから自分のこととして受け止めるだけでなく、最初から自分のことだったと考え直せば、君はボクのなかに自然と移り住めるわけ。違う?
やはりだめ? 影だから。そうなんだね。たとえそうだったとしても、ボクは手を差し延べて迎え入れる。影としてね。そのままの君としてね。それでいいんだ。でも君はそう言いながら、影に寄り添おうとしない。誰もがのばしている影なのに影を見ない。たとえ見たとしても影から体に目を移すことがない。言いたいことは分かっている。自分の影にさえ自分を感じない君には、他人の影など最初から存在しない。気持ちを移せるわけがない。それに自分を感じないのではなく、感じる影がない。影から影はのびないからね。それにたとえ影がのびていたとしても見ようとしない。結局、自分を見たくないからだ。
他人のボクが――そう思いたくないことは分かってくれていると思うけど――言うことなど、きっとなにも耳に入っていない。その前に音にもなってない。無言劇ならともかく、活動弁士のつかない無声映画のなかのドタバタ劇のように、映像がある分さらに深く音を失ってしまった事態かもしれない。呆然として見つめる君に差し延べた手は、たとえ君の体を支えることができても、影と化して影に身を寄せている君を抱き寄せることはできない。
 だから行こうよ、一葉記念館。一葉はまるで影のよう。最初から影として生きている。身体がないんだ。美しいと思わない? そうして作品だけが後の世に遺されて。まるで息遣いそのもののような流麗で繊細な綴り字。綴り字が創った作品。逆じゃないんだ。だからなにもかもが奇跡の出来事のよう。影であることも。そうして生きていること、いられることも。影が「時間」となっているからさ。
こういうことなんだ。その昔一葉が生きていたことは間違いない確かな事実なわけで、だれも疑えないことだけど、でもそれはそれだけのこと。事実以上じゃない。でも今は生きていた事実がなにか無償に素晴らしいことに思えてならないんだ。思えるだけじゃないんだ。実際今も生きてるんだ。これは事実とは違うことかもしれない。でも事実以上に感動的なことなんだ。発見したんだ。それが一葉記念館だったってことをね。
だから君を連れて行って一葉に会わせる。その時、それまで息遣いにすぎなかった一葉が、君の声のなかに生まれ変わる。君は一葉になる。一葉の影になる。影の影になる。だから影の影は君だ。なんて素敵な! 君は君を離れる必要などない。あるわけがない。連れ出される〈わたし〉など、どこにもないからさ。そうじゃないか、影は、そのとき、君の君になっているはずだからね。

 ――いつからわたしは男の真似などしているの。それとも男だったの。それならそれで構わないけど、そんなわけがない。ただ男でいたいだけ。それだけのこと。わたしを苦しめるのはわたしが女だから。胸の奥に前から抱えている自分の力ではどうにもならないもの。顔面に覚える違和感。頬のふくらみ。鼻梁の反り上がり。目もとの窪み。重い睫毛。それなのにすこし薄い眉毛。そして俯くばかりに過ごす日々。髪で被われた額。かき分けた髪から下方に覗きこむ重い目線。目線が受ける膝頭。思わず両手で押さえつけて抱えこむ怯え。硬く強ばる背筋。背中に圧しかかる重し。冷たい背中。わたしが載せた重し……。
なら女でなかったらすぐにでも楽になるわけ? 戦う相手が分かっていて、勝つとか負けるとか、突き進むとか引き下がるとか、二つながらに相手取れるならまだしも、すこしは突き返す力が残っていても、それも無限に重なる鏡の奥の自分に向かって語っているだけだと分かってしまい、最初から戦う気力も失せて、バカな真似をと思うだけではなくて、投げやりな言い草が辛辣な気持ちにもさせて、わたしを女でいさせていることについ腹立ち、そのたびに怒りにまかせて男にしようとする。でもそんな男になったとしもどうなるわけではない。よく分かっていること。だらしない男に決まっているからだ。逃げてきた女を甘い言葉で待ち構えているような。挙げ句の果てはそんな男からも抛りだされかねないわけ。それが今のわたし。
女であったことがいやなわけではない。繊細さは好き。こよなく。だからほんとうは男が嫌い。嫌いと思うこと自体がすでに嫌い。遠ざかっていたい。男になることだけでなくなにもかもから。でもこれが答え? 求めていたもの? そんなわけがない。わたしがこのまま繊細な心でいられるなら、わたしはなんになっても構わないし、なんにでもなれる。男でいたいと思ったときでもそれだけは失くさないつもりだったし。肉体は借り物。そう思えば、好い男にも簡単になれる。なる気がないだけ。

   *
 
今日も公園の中は小さな日溜まりになっていて、そこだけ風も通りぬけずに、見えない角を避けるかのように自分から向きを変えて遠回りに流れていく。だからここは二重公園。公園の中にある公園。二重公園の外か中のいずれの側からか、あるいはどちらでもない角度からか、見方次第でいろいろに違う景色が、現れては消え消えては現れ、そのたびに誰かが現れる気もするし、そうではなくて現れるかどうか分からない人を待っているために、気持ちを落ち着かせようと風景に風景を見いだそうとしているだけの気もする。
いずれにしても、もどかしい思いに囚われているうちに、なにからはじめようとしていたのかも、どうしてここにいるのかも分からなくなってしまう。もとの場所にも戻れなくなっているのだけれど、景色を見失ってしまったことより、その前にここはどこだったのかが気になってしまう。見知った場所のような気がしてならないからだ。一体わたしの感覚機能はどうなってしまったのだろう。だって此処は海の上。デッキに手をやって身を乗り出しているさ中、というわけだから。
大海原の碧い海面の果てしない広がりに浮かび漂う、なんともはかない個人の迷い。さ迷い。舳先にあたる大波。砕け散る波頭。海風に運ばれてくる白い波しぶき。空に舞い上がる波しぶきを除けるように、一瞬に細長い体を翻して海風を超えていく一羽の海鳥。それが、いつかの公園の鳥に姿を変えて、いまはその公園の空を舞っている。そして、その下で揺れているブランコ。大きく円弧を描いて宙に浮きあがり、一瞬を留めるために中空に止まってしまった有人ブランコ。揺らしていた人が、鎖を硬く握りしめ、全身にみなぎる躍動感を踏み板の上の足許に集めて、踏み板を蹴る反動で一気に空を目指すばかりに空に顔をつけている。
 ――止しなさい!
 ――(……)
 ――夢が浮かぶ、鳥が舞う、小舟が帆を張って波頭の上を滑っていく。見えるのである、感じられるのである、白い砂が。焼き焦がすのだ、仰向けに太陽を浴びるのだ、白い砂に埋もれるのだ。安らげよ、憩えよ、寛げよ。夢が広がる、鳥が舞い上がる。さればこそ、我が娘よ、おのれを呪う押し殺した怒声を虚空に高く放てよ、夢の彼方に向けて。
 ――(……)
 ――なにをお笑いか? 滑稽なわが身の常なるをか。道化師なるをか。
 ――違います。そのようなこと。自分をです。自分から抜け出せずに、自分で描いた小さな円のなかで、さらに輪を狭めては息苦しい思いを膨らませて、重い体で円の中を巡っている自分を嗤ったのです。それだけではないのです。それ以上に絶望的な思いに囚われていたからです。このところ姿をお見せになられないのは、情けないわたしになど会いたくないからにちがいない、そう決めつけていたのです。それがお姿を前にし、そんな自分が愚かしくてならなかったからです。
 ――夢が浮かぶ、鳥が舞う、おのれが舞う、誰もいない劇場、舞台、われが舞う、夢が舞う、舞い上がれよ、わが身を捧げよ、かの娘子に。
 日溜まりの公園。円形に溢れる日差しのなかのステージ。用意されたその日の舞台。朗読に直立するもの、演奏に上体を揺らすもの、舞踏に全身を撓めるもの。いつも傍らに少女。見上げる一途な眼差し。客席から密やかに見つめられ、見つめられるままにまどろむ少女の瞳。大人たちの、少女を夢に浮かべて愛しく愛でる、愛情に名を借りた深い欲望。いまも悪意を知らぬ振りに少女へ注ぐ眼差し。円形の日差しを避けて影の中に潜む、もう一人の少女。同じ少女の怯え凍える小さな胸。
 ――またまた浮かぶよ、舞うよ、舞い上がるよ、夢よ。娘子の胸の内、脈打つ鼓動に力を得て、蒼き面を紅潮させて、面差しを蔽い隠す掌で掴めよ、怒りを。もし胸の奥に潜むなら、深く隠しおくなら、そのまま高い青空に擲てよ、舞い上がらせよ。されば夢が浮かぶ、鳥が舞う、我がマントが翻る。我がマントこそは、すなわち、怪人二十面相? 怪傑ゾロ? オペラ座の怪人? ダークナイトのバットマン? なんでも構わぬに、わがマントの夜の風に翻るは、たがため、娘子がためならむや。
 ――でもそれでも……。
 ――古き時代よ。汝がために設えた、静まりかえる館の奥の一室。途絶えた足音に足音を恐る恐る重ねるナイトガウンの乙女よ。窓辺に差し込む月明り。満月の夜の密約。誰もいない人気の絶えた劇場。我らのみが演じる、我らのみの舞台。射しこむ青白い光のもと。面を上げて、窓辺の鉄枠からひと思いに碧い夜の空に向けて舞い上がれよ。わがマントに深く包まれて。
 ――お名前を教えてください。
 ――名前をもたぬが主義。悪く釈られるな、娘子よ。生まれてこの方、名前を使わずに打ち過ごしてきた日々。あるいは我と進んで亡失したもの。心地良き名がなき無名の身。その都度に呼ばれ、呼び返され、いつか一つの名となった、「この野郎!」。されどこれでは娘子の口許を汚すだけ。きたならしい襤褸切れのマントに近いもの。では呼ばれよ、「上野の西郷さん!」と。
 ――でも西郷さんはマントは纏っていません。
 ――蓑と思われよ。愛犬をもすっぽりと被う一回り大きい幅広の蓑。お国で負けても上野では負けぬ。再度の戦、上野戦争、今度は官賊相手に一勝負。
 ――いつのことですか?
 ――おそらくさほどの猶予はなかろう。このテント村。ダンボール村は、現下の「官賊」と大合戦を〝おっぱじめる〟が宿命ながら、今度はこっちの番。「この野郎! この野郎!」の連呼で〝おっぱらってやりゃなぁ〟男が廃るというもの。なれど、娘子は娘子の仕事を。我らのためにも速やかに。
 男が廃ると大見得を切った人。公園での出会い。実はまだ最近のこと。明かしておこう、その経緯を。噴水脇で腰掛けている娘子。対岸にはダンボール村。一方に目を遣れば大道芸人で賑わう上野公園の広場。大きな笑いと歓声。娘子との落差。来る日も来る日もそこだけ空いた翳りの円座。ある日、使者として遣わされた人。
 ――描かせてもらいました。
 すでに筆が進んでいたスケッチブックの景色画。抗議を受けるものとばかり身を硬くしていると、使者から切り出された唐突な一言。
 ――取り壊される前にとでも?
 ――取り壊される?
 それが公園管理条例を盾に取った、実力行使を辞さない退去通告だと教えられた娘子は、そんなつもりではと、まるで悪いことをしていたかのようにスケッチブックを閉じようとする。一瞬早く使者の手が伸びる。再びスケッチブックを開けさせて、「使者」は、一言のもとに言い放つ。
 ――色をつけて欲しい、色を、である。
 これが最初。そして約言。
役目を果たし終えたのか、使者は足取りも軽く、噴水の回りをスキップしながら何度も巡り巡りして、一度娘子の上からスケッチブックを覗きこむと、後ろ姿に手を振りながら、See you tomorrow !と再会を約してそのままダンボール村のマイホームへ。以来、「名無し人」を表明するまでのこの間、娘子と使者との交流は、約言の対価として語られる「講話」を経て、いよいよ約言を果たす今日に至ることになる。
 
その名前を名無し人と告げられて、名を持たぬことになにか心が掻き立てられた娘子は、迷いがふっきれたかのように色付けを終え、名無し人に見せる楽しさに浮き立ってスケッチブックを抱え上野公園に急ぐ。
しかし、そこに待っていたのは、一変してしまった公園の一角。木立の間。かつてそこにあれほどの数のダンボールハウスがあったのがまるで嘘であったかのようにして一つの痕跡も残さずたち消え、今は一変した木立のなかで散策を愉しむ人たちの姿――子供連れ、仲睦まじい老夫婦、寄り添う恋人たち。あるいは忙しく鞄を揺らすサラリーマン、その先の藝大に急ぐ学生(女学生たち)。
でも、娘子の目を引きつけたのは、厳めしい制服姿の数人。あたりに目を光らせながら獲物を狙うかのように徘徊し、数日前までは保たれていたであろう、あの都会の解放区を地面の底に埋めて、名無し人たちの生活の痕跡を二度と地上に浮かび上がらせてなるものかと、必要以上な荒々しさで踏みつけ、踏みつけ歩き回る警備員。自ら進んで違和感を演じて見せる、異なる立場にはいかにも勇ましい面構え、その姿。
 今はない「村」に向かってスケッチブックを開く。色づけしたダンボール村の水彩画。セザンヌのヴィクトワール山の麓の村の家並みを思わせるような縁取り・面取り。「家々」の一方の輪郭線を強調した太線・二重線。しかし、色合いは単色ごとで塗り重ねない配色。色ごとに独立した緑(梢)と黒(幹)・黄(「家」)・茶(地面)。そして空気感(水色)。それでもよく見ると水色には濃淡がつけられていて、それが木立に射しこむ日差しの表れとなっている。影のない画面。意図的につけられていない影。奥行きのない木立の前景。かえって強調する「家々」の建ち並び。
二枚目。西の空に傾いた太陽が強い逆光となって、木の間に射しこんで「家々」の間を赤・橙・藍に染めあげる。一枚目と違ってあまり溶かさずに塗られた黒と灰の絵具の塗り重ねで、公園の樹々は、空に向かって猛々しく聳え立ち、いかにも外敵の侵入から一帯を守っている感じで、根元も強く踏ん張っている。白の点描でそれと分からせた「家々」が、そこだけ別世界を形づくって地面側で点描の色と密度を変え、最後は地面と一つの色になっている。不安感に訴える一方で侵されざる重い沈黙を画面に漲らせている。
三枚目はパステル画。四枚目も同じ。絵柄も同じ。違うのは線だけ。一枚は定規で計ったような直線世界で、もう一枚はすべて曲線。色使いが同じだけに二枚を並べると線の違い以上に二枚の違いが際立ち、間に別の一枚が欲しくなる。どうやらそれが狙いだった。でも用意してあったのは、両者の斉一をはかるような風景画ではなく、むしろ分断するような個人の自画像であった。名無し人の全身像である。
 でも顔がない。顔面が一面白と化している。それでも白の中に白が描かれている。「色」を辿ると目鼻立ちらしき線と輪郭を埋める白濁によってぼんやりと表情が浮かぶ。でも名無し人ではない。どうも身体を借りているだけらしい。画帳から切り離されて三枚がベンチの上に並べ置かれる。指先が顔面をなぞる。考案している様子だった。未完成なのだ。想いを白に映して想いに白を湧き立たせる。あるいは白の奥に白を視て想いをふくらます。白と白の間を揺れ動く想い。白は単なる白ではない。おそらく娘子の心の空白なのだ。
一端白から目を離す。白紙状態のままの背景に色をつけようとパステルが取り出される。塗り重ねられる数色。自画像を引きたたせるだけではなく、三枚を一枚に繋げるように塗られていく。気がつくと、二枚の違和感は立体感に生まれ変わっている。そして、最後の色づけとなる。想いに像を結んだのだ。指先の一色のパステルの先端が、白色の顔の目許にのびる。いま白は白としての役目を終えようとしている。
その時だった。背後からベンチを蔽う人の影に娘子の指先の動きが止まる。振り返った先に見出したのは身体のない影。しかも貌がない。違う。白に塗られている。影のなかに白く際立つ白色の顔面。その輪郭。でもそれは同じ白でもスケッチブックのそれとは違う。心に空いた空白のための白ではない。体に空いた空洞の白である。自分の顔で埋めるべき、つまり影に影を重ねて埋めるべき、影の空洞である。

   *

影を失う。失われている。そのために使ってしまったたことで。ここにある一個の体。青脈の浮き出た青白い肌。冷え切った肉。忍び寄る無感覚。あるはずの重みを欠いた身体。それが体内の軽さにそのまま還される。いまは失った影の代わりを厚化粧がつとめている。濃い口紅。碧いアイシャドーと黒のアイラインにマスカラ。つけすぎかもしれない目もとの陰影。陰影を隠すように顔面に垂れさがる黒髪。黒髪の遮蔽。それが目の前に闇をひろげる。
闇にさらわれた体が暗闇に忍びこんでいく。立て続けにドアを押し開けて深く侵入していく。背後で誰かに硬く閉ざされるドアの、重く冷たい響きに急きたてられる足許。手にしていたハンドバックを振りまわしながら、声にならない叫びを自分に向けて上げる。気がつけば振りまわしていたはずのバックが本人を回している。回転するわたしという本人。水中に渦を巻いて螺旋形に吸い込まれていく〈わたし〉というわたし。
一本の枯木が静かに枝を揺らしている。深く下降する体のはずが、枯木の根元にうずくまっている。舞い降りるためにその姿態で枝を揺らす一羽の大烏。わたしの肩に止まって小賢しくくちばしで髪の毛を掻き分ける。露わになった耳もとに嘴を指し込み、脳味噌を突く。それでも螺旋の回転は、めくるめく動きを止めることなくさらに激しく渦を巻き、すでに足先から一本の針金のようになって渦のなかを回り続けるわたしの体を、逆立った黒髪ごと深い水底に引きずりおろす。
永遠の時間が一瞬に過ぎ、一瞬が永遠に生まれ、時間のなかで時間が失われていく。気がつくといつしか時間のなかをさ迷いながら闇の底に静かに横たわっている。安らかな気分が体を包む。どこか慣れ親しんだ地の底のような温もりがひろがっている。
羊水よとあの人は囁くかもしれない。一度生まれて、生まれたからはわたしであると教え続けるあの人が、わたしを愛しむ思いは、それはなにものにも代えがたい重いものに違いないが、それは理解しているつもりでも、わたしの決意を容れようとしないあの人の頑なな思いにわたしはいつも抗ってきた。それでも永遠に解こうとしないなら、あの人をそれ以上は苦しめたくないわたしは、わたしを抑えて愛を受け容れる。でもわたしは、そのたびに思う。再びあの人の闇に戻って、闇に紛れこんで見えない姿形でわたしを生まない身重になっているだけ、と。
もうだれからも生まれないし、だれも生まない。だからわたしでいる必要もない。屍になるわたしを待つのは、わたしに執拗に関心を抱く大烏だけ。でも今は突かれてもなに一つ感じない。だいいち見えないわたしを突いてもはじまらない。愚かな真似を笑うのは容易い。笑えないのは、闇に向かって執拗に突きつづける大烏の目が、うすく涙で曇っているから。
 
帰り道なの。
身重の身体で野菜籠を片手にぶら下げているの。
前からくるのは、あまり無理をしないでと、労りの声をかけてくれるご近所の方。心優しい小母さん。わたしが心を許す人。それ以上にわたしを助けてくれる人。
その日、まどろみながら思い浮かべていたのは、まだ生まれていないはるか昔のこと。はるかな遠い時代に生まれた時間が、すぐ手まえで折り返して行くところ。小母さんに出会ったのは、まさにその一瞬だった。
――連れて行ってください。
思わず声をかけてしまうわたし。思いつめた声。怪しむでもなく小母さんは、いつもどおりに優しい微笑みを浮かべてわたしの手をとってくれる。籠を持ってあげると手を伸ばす。ずっと働き続けてきた女の人の手。つよい手首。思わず隠す。マニキュワの自分の手を。小母さんが声を上げる。ステキと。小じわが目立つ目もと。生え際に目立つ白髪。わたしはお礼がしたい。お化粧をしてあげたい。髪を染めてあげたい。構わないと言うなら、マニキュワも。いままでなに一つ自分のことは構わず生きてきたにちがいないからだ。
――ほんとうにお綺麗!
やだ? と照れながら小じわを寄せる小母さん。でもほんとうのことなのだ。陰ではいろいろ悪口を言い触らす人もいる。独身で通してきたことをあれこれ言う。気にくわないのだ。小さいときからの憧れの女性。囲われているのよ。そう言う人もいた。囲われているって? 大事にされているということ。説明してくれた母に、じゃおかあさんはだいじにされていないのね、となにも分からいままに尋ねる小さな女の子。大きくなったら分かるわよ。そうかもしれないが、なにも分からずじまいで過ごしてしまった気もする。それにだいいち通って来たのは弟さんだったではないか。
――お元気ですか? 今はどちらに?
――南方の島。亜熱帯地方というのかしら。濃い緑の森に囲まれた丘の上で畑を耕しているわ。近くに家を構えてね。独りで。
遠く離れていても姉弟は、二人で一人を生きている。
小さい子は、三人で一人だと、当時はそう思っていた。
――すごく可愛がってもらいました。
――あの子も可愛い可愛いって、自分の子のように言っていたわね。手紙にもいつもどうしているかって必ず書いてよこすのよ。返事を楽しみに待っているの。
――またお目にかかりたいって、どうか、そうお伝えください。
このまま連れて行ってください。そう言ってしまっていたかもしれない。濃い緑のなかで、みずみずしい植物が真紅の花を咲かせている。ほの暗い森の、すこし湿り気を帯びた地面に潜む生き物たちの這いずり。茂った森の、葉裏に感じる高く青い空の気配。森の外の崖。鋭く切り立って碧い海に落ちている。砕け散る波の響きを足許にまで伝える波濤。波しぶきに濡れた黒い岩肌と岩肌に光り輝く朝陽。少女が歩く早朝の浜辺。白く広がる砂浜。小さく砕けて砂に紛れこんだサンゴ。無数の貝殻。砂浜を踏みしめる少女。わたしが生んだ子。まだ生まれていないわたし。母になるわたしが生む〈わたし〉。
――お元気そうでなりよりだわ。
わたしを救ってくれる小母さん。一言がそれだけで救いをもたらす声の響き。すべてを容れる優しい眼差し。
わたしの不安を自分の中にそのまま容れて、当人のわたし以上にわたしになろうとする。なろうとする小母さんの気持ちが、それだけでわたしを救いだしてくれる。母に内緒で小母さんの家に潜りこんだかつての日々。このまま帰らなくてもいいと何度も思った幼心。大きくなるにつれてさらに高まる小母さんへの思慕。近寄ってそっと触れる手の平に手の平を重ねる小母さんの、わたしを強く抱き寄せるあたたかい両の腕。腕の中で腕にすがる少女。少女が募らせる哀しみ。
いつからだろう、哀しみではなく苦しみとして受け止めてしまうのは。母が小母さんの家からわたしを遠ざけたときから。でもそれはいつ? (母が)涙を見せたときから。わたしが小母さんと愉しそうにしていたから。見かけてしまったから。でも母はすこしも遠ざけなかった。母の気持ちを思ったわたしが、自分で小母さんの家からわたしを遠ざけた。
わたしは母を愛していた。悲しい母が憐れだった。やがてそれがわたし自身になることを懼れ、おそれを追い遣るように母の悲しみを自分の胸に抱きしめた。
雪の日の深夜、独り起きだした母は、降り積もった庭先に佇む。夕方から降り始めた雪だった。まだ止む気配もない。黒髪に白い牡丹雪が次から次へと舞いおりてくる。青白い街灯の光が、上空の雪を求めて夜空を仄かに照らしだしている。
遠い日の、わたしが思う、わたしがまだ生まれていない時間の闇のなか。雪のなかの母の後ろ姿。家の中から見ているわたし。少女のわたし。いつか娘になっているわたし。それは雪の中のわたし。母の背中に見るわたしの背中。肩に降り積もった白い雪。遠い日の、わたしの肩の上の雪。融けない雪。
――ごめんね、いろいろ訊いたりして。
小母さんは涙をやさしくぬぐってくれる。わたしは首を横に何度も振り、かまいませんからと言う。もっと訊いてもらいたいから。自分だけでは責めるばかりになってしまうから。逃げるように心を閉ざしてしまうから。逃げ続けている、行き場もないのに。
 ――子供生んだことないから私が言っても真実味に欠けるけど、大丈夫よ、何とかなるわよ。
 まず前を向くこと、と小母さんはすこし照れ臭そうに言う。きっと小母さん自身のことなのだ。でも、今、小母さんに手をとられているわたしが向いているのは、折り返した先にある遠い日のひとつの光景。わたしを生まない母のこと。すべてのはじまりだった日のこと。でもわたしはここにいる。ここにいて母を遠くに見ている。自分を見るようにして見ている。
 少し坂道。どこからかせせらぎの音。鳥の囀り。さっきまであんなに都会だったのに、ごった返した人通りに居場所を失っていたわたしは、いつか彼処を見まわす今のわたしになっていて、流れ下る川の音に耳を澄ましている。傍らの木立の梢を見上げては鳥のさえずりを聴きとろうとしている。道端の奥には林がひろがっている。林の上から飛びたつ野鳥を待って上空に目をやる。空には白い綿雲が浮かんでいる。青い空の下には小高い山並みが低く連なっている。そう言えば、どこか行きたいわね、と話していた。そうだ一緒に登ろう。今度はわたしが小母さんの手をとる番……。
小母さんが顔を向ける。まるで思いを感じ取ったかのように。でもそうではなかった。用事を思い出したのだった。すこしも構いませんと、わたしは笑顔で頷きかえす。
 ――ごめんなさいね、あわてないでゆっくり来るのよ、いいわね。
 そう言ってわたしの野菜籠を手にしたまま早足で先を急ぐ。それでも何度も振り返ってわたしを気遣う。大丈夫です、とわたしはそのたびに大きく手を振る。小母さんの体が前に向き直る時、野菜籠が揺れる。揺れる野菜籠にわたしの心が揺れる。道が曲がっている。もうすぐ小母さんの姿は道路脇の木立の陰に隠れてしまう。その前にと思い立ったようにして、
 ――小母さん、ごめんなさい。お野菜は小母さんがおつかいになって。
 と、もう届かない声を唇にのぼせている。
見えなくなってしまった姿を曲がった道の先に追っている。見つめている。戻ってこないか確かめるためではない。もっとお礼を言いたかったからだ。気づいた小母さんが手を振って応えてくれるのを見たかったのだ。
しばらくして「身重」の体をやって来た方向におもむろに戻す。道が延びている。もちろん同じ道。でも戻る道ではない。前に延びる道。自分で自分の手をとろうとしているわたしが、かつて「帰り道」と呼んでいたもの。わたしは待っている、あの時失った影が、再び私の前に回りこんで背後からのびる瞬間を。わたしがわたしに重なるその影を。

   *

 誰も思ってもみなかった「お千代」の急変。「癒くなる筈がありませんもの」などは、冗談だと思って聞き流していた矢先のこと。しかも「妾(わたし)と思つて下さい」などと、同じ日の今朝方、痩せた指から抜き取った指輪が、その手に嵌められているかを確かめようと、良之助が差し出した手を引き寄せて、その指に指輪がたしかにあるのをしみじみと眺めては、思いが遂げられたかのように胸を詰まらせ、そのまま涙ながらにうつ伏してしまう始末。形見としてもらってもらったものだからだ。驚き慌てた良之助は、「千代ちやん、ひどく不快(わるく)でもなったのかい。福(お手伝いさん・注)や、薬をのましてくれないか。どうした、大変顔色がわろくなつて来た、おばさん鳥渡(ちよつと)」と大声で母親を呼び寄せなければならぬ、思ってもみなかった事の成り行き。
 しばらくして、閉じていた目を開けた千代は、なにを思ったのか、枕もとの母親に向かって「良さんは」と尋ね、母親はそれが片時も傍を離れずに居て欲しい、良之助を慕う娘千代の当然の思いと釈ったので、安心するようにと「良さんはお前の枕元に、そら右の方においでなさるよ」と聞かせてあげるが、それがにわかに良之助に退室を願う始末。
いまにも事切れそうな差し迫った状況を前に退出などできるわけもなく、「なぜですか、僕がゐては不都合ですか」という、良之助は良之助で当然の反発にも重ねて退去を求め、そうこうするうちにも容態は、そのまま最期を迎えてしまいかねないほどに悪化の一途を辿り、あまりの急変に「身も狂するばかり」の母親は、訳も分からず、いまはともかく娘千代の言うとおりにと、「良さんおきゝの通(とおり)ですから」と涙ぐむばかりの一声。そして以下の終局場面へと至る筋運び。

  娘は一語一語呼吸せまりて、見る見る顔色青み行くは、露の玉の緒今宵はよもと思ふに、良之助起つべき心はさらにもなけれど、臨終(いまは)に迄も心づかひさせんことのいとをしくて、屏風の外(ほか)に二足(ふたあし)ばかり。糸より細き声に、「良さん」と呼び止められて、「何(な   
に)ぞ」と振り返へれば、
「お詫びは明日(みやうにち)」
  風もなき軒端の桜ほろほろとこぼれて、夕やみの空鐘の音(ね)かなし。
                           (同前「闇桜」)

  ――叶わないと分かっていて、「お詫びは明日」と口にする。最期を見せるのを硬く拒むのも壮絶。
 わたしが〈わたし〉に「明日」を強いる、いと容易きこと。