2015年7月31日金曜日

[や] 夜陰のほほえみ

 1

夜久良にとって今のアパートは、入居当時を振り返れば――それももう忘れたも同じの昔のことになってしまったが、一時的な仮住まいのはずで、もう少し程度の良い物件に移るはずだった。それがもう一〇年を大きく超すまでになって、今やアパートの古株である。
誰かが、事情も知らずに、なにか気にいったところでもあったのかと尋ねれば、訊いた者は、なんとなくと気のない返事を聞かされることになる。なら街でも良かったのかと、素っ気ない態度を詰るように問い質せば、それはそれで「とくには」と、輪をかけて気のない返事を聞かされることになる。
それではいかにもニヒルな輩ととられかねないことになるが、そうではない。もしそう見えたとしたなら見誤りである。ニヒルというならそれに見合う人相が必要である。生憎持ち合わせていない。
ただ無為なだけである。それでも相手の人格に対しては敏感な方である。尋ね方が横柄でなければ――実はそのときは、よくあんなおんぼろアパートに長く居られるもんだと、昔の上司に呆れ顔で非難がましく言われたのが、つい勤めの時と同じ横向き加減の顔になっていただけであって――「ともかく家賃が安いんですよ、信じられないくらいに」と、今の収入に見合った、現実的な答えを聞かしてもらえることになっただろう。
目立ったビルも公共施設もない、小さな商店が建ち並んだ商業地の裏側の一角だった。でも都心である。山手線でも乗り降りの多い駅の一つである。駅からあまり離れていないのに信じられないような家賃の安いアパートが、同じ敷地に三棟並んでいた。その一軒だった。
そう聞かされると、どこか簡易宿泊所のような安普請で、手狭な居室を思い浮かべてしまうが、見かけが古いだけで造りはしっかりしている。風呂もついている。間取りで言えば一Kで、キッチンは狭いものの居室部分は八畳と広い。
安い理由は、再開発が絡んでいたからだった。一度話がまとまって多くの住人が退去したが、いざという段階になって計画が頓挫してしまったのである。次の計画がまとまるのを俟って、すこしでも家賃収入を得たい家主は、入居の再募集を行なう。条件は、計画が整えば速やかに退去してもらうであった。その代わり敷金・礼金は要らない。家賃も相場の半額でいい。
それが家主の目算は再度外れてしまう。なにか根本的な原因があるようだった。以後、再開発から取り残された、裏寂しい路地裏のこの一画は、ビルの谷間の墓地のような光景を、都心の一角に晒し続けることになる。
それでも家主はまだ諦め切れていない。今度はすべて自己資本でマンションに建て替えるという。もう執念のようなものだった。
決まったら出ていってもらう。そのかわり今までどおり家賃は据え置きとする。そして、一年が経ち二年、三年と過ぎていく。結局、意気込みとは裏腹にその計画も上手くいかない。どうやら息子に反対されているようだった。資産をすこしも減らしたくない息子は、うまい遺産相続の方法を銀行から入り知恵されているようだった。ほかにも不動産をいくつも所有していたからである。
一応、待機中だった。相続時が目安になるだろう。最近、入院したようだという噂だった。いつ退去要請がもたらされるか分からない。売却を考えているにちがいない。おそらくそうだろう。莫大な相続税をこの土地で賄う腹積もりなのだ。いい買い手でもあるにちがいない。銀行が斡旋しようとしているのだ。もう額も提示されているにちがいない。そうでもなければ部屋代を安いままにしておく説明がつかない。
外観の見栄えにまるで気を配る様子がない。回りが綺麗なだけに寂れていくばかりである。売れやすくしているのである。すぐ出ていきますから。いかにも合意ができている感じには、この方が都合が好いというわけである。
たしかに契約条項がなくても、速やかに退去に応じるだろう。一部の「定住者」を除けば、何年もいる住人はわずかで、出入りが激しいからである。早ければ数か月で出て行ってしまう。女友達も呼べないようなみすぼらしいアパートは、若者にとっては部屋代より切実の現実問題だったのである。おそらく住んでいることも隠しておきたかったに違いない。
なかには一か月かそれより早くで出ていく手合いもあった。それでも地の理もあって空き室にはならかった。
学生のような若者が多かったが、年配者も何人かいた。女もいた。ときには驚くような派手な格好の若い女が部屋から出てくることがあり、訪問者かと思っているとなんと住人だったりするので、「いつ越して来たのかな?」などと、普段なら挨拶も交わさない住人が、アパートの外で出会ったときなど、通りから女の部屋を眺め合いながら、「おたくもご存じない?」と、同じアパートの屋根の下で暮らす事実を拠り所にさらに詮索ムードを昂じ合うが、明日になればまた挨拶もろくに交わさない無言の住人同士に戻ってしまう。
若い女は案の定夕方出かけていく。深夜アパートの前にタクシーが止まる。仕事からのお戻りだった。彼女たちは出入りがとくに激しい。早ければ一、二週間の場合もある。一時的な仮の宿として店で借り上げているようだった。その日暮らしに困って申し込んで来たような子たちの、試用期間中の宿だったのかもしれない。
いずれにしても古びてくすんだアパートに艶やかな洗濯ものが干される。両側をシャツやタオルで隠してもなかの小物がときに風で露わになる。
「風紀に悪い!」
管理人の一階の初老の女が通りに箒を掛けながら二階を見上げて悪態を吐く。月に一度訪れる仲介の不動産屋の若い男の子に「責任もてないからね」と吐く。誰にでも貸せばいいものではないと問い詰めるのであるが、若い男子社員もどういう仲介で貸しているのか知らない。「前はこんなことなかったよ」と、二人で洗濯ものを見上げる。目の遣り場に困った男子社員に、「まったくいまどきの子ときたら」と、あんたの責任だよと言わんばかりである。
管理人は要らないようなアパートだったが、新築時からの管理人だった。当時は本格的なアパート経営を営んでいたという。マンションに建て替えたらそのまま管理人をやってもらいたい、そう言われていたらしい。
ほどなくして壁沿いの階段を問題の女の子が下りてくる。待ち構えていたように管理人は、いくつか注文をつける。まずは洗濯もの。その子は下着を平気に剥き出しにしていたからである。次は偽装のこと。いつまでいるのか知らないけど、すこしはわが身を心配しなさいよ、自分のことちょっとは可愛いと思ってるんでしょう、男とでも同棲しているように見せたら。
なにそれ! と当然に反感を呼ぶことになるが、夜中いつ男が忍び込んでくるか分からないからねと、架空の事件をつい最近近所で起った話にして、昼間下見しているらしいよ、と脅してかかる。「電気つけておくぐらいじゃだめだね」「男ものの服でも干しておくんだね」「できれば適当に見送ってもらうといいじゃない」そう言って管理人は夜久良の名をあげたのである。
夜久良は月の半分以上アパートに籠っている。「好いご身分だね」と管理人に言われる。悪意で言っているわけではない。性分だった。分かれば気にならない。
「さんざん働いてきましたから」
 そう弁解したとしてもまだ三〇歳にもなっていなかった。それでも「ああそうなの」と納得顔になるのは、夜久良の老け顔の所為で、実年齢より一〇歳以上年とって見えたからである。
管理人は頭から四〇過ぎの中年男として話を聞いていたのである。でも実際は一〇歳も若いと知って、「さんざん働いてきましたから」と言われたことが、なにか小バカにされたような気分になってしまう。
「じゃ好い給料もらってたんだ、普通なら稼げないような」
 顔には、それじゃまともな商売じゃなかったねとはっきり書いてある。
いいえ至って堅気なという言葉が喉元まで出かかって止める。管理人を二度侮辱してしまう気がしたからである。それに何かを思いだしている様子だったのである。思ったとおり息子を思い出していたのである。
一体何をどうすればこうした生活が送れるのか――それは金銭的な問題だけではなく、将来のことに平気で背を向けていられる、その生活態度を含めてのことだったが――管理人は、息子を夜久良に重ね、遊んで暮らしているのではないか、マンションを買って呼んでやると調子の好いことを言っていたが、結局安アパートに一人住まいなのではないかと、息子と同い年だと知らされた貧相な夜久良を前にして、出て行ったときの息子の威勢の良さを恨めしく思い返していたのである。
でも夜久良は、お喋りの息子と違って、自分からはあまり話さない。どちらかと言えば口数の少ない方である。
それが良かったのか――おしゃべりな男は好かん、碌なもんじゃないと(おそらく息子に向かっての小言だったのだろうが)ことあるごとに言うのだった――管理人は、なんやかやと夜久良の部屋のドアを叩くようになる。もらったからとお茶菓子を差しいれる。作りすぎたからとおかずを分けにくる。
お返しにと夜久良も甘い菓子を持っていくのであるが、そんなことはいいから代わりにと言って、廊下や階段の蛍光灯の交換を頼まれることになる。あるいは敷地を囲っている生垣の手入れをいっしょにやってくれないかと頼まれる。ゴミの出し方が悪いと町内会から苦情を言われたときには、アパートの住人向けの注意書きを作って欲しいと依頼される。ほかにも泊りがけで留守をするときなどには、代わりに管理人を引き受けてもらえるとありがたいんだがねと頼まれる。といても清掃程度であるが。
いまでは好いご身分だねも、日頃の挨拶代わりになっているし、どことなくこのまま定職に就かないでほしい口ぶりになっている。いずれ管理人を引き継がせるつもりかもしれない。
女の「男」になる話も承諾した。話はついているから、ただノックすればいいんだよ。なるほどそのとおりだった。軽く二、三回ノックすると、ドアを少し開けて、隙間から夜久良の姿を認めた女が、怒ったように出てきて荒っぽくドアを閉める。そこに夜久良がいたことに無償に腹立たしくなっている。
後もついてくる。距離を縮められるのが我慢ならない。いかり肩になって嫌悪感を浮かべた横顔で唇を噛みしめてみせる。並んで階段を下りようとすると、その時だけははっきり振り返って、大きく見開いた目に蔑みを籠め、全身でそれ以上の接近を拒絶してみせる。下りる音に紛れて舌打ちする。
ゆったりとした空き地がアパートを取り巻いている。アパートの敷地への出入口には小さな鉄扉が取り付けられている。女は自分では開けようとしない。開けられるのを待って、その時だけは夜久良を前に回らせる。背中を射る女の視線に馬鹿げたことに協力している自分を嗤う。どのみち例の管理人の勢いで引っ込みがつかなくなってしまったんだろう、いいですよ、と安請け合いしてしまったことを思い出していたのである。このスケベ! 女がそう思っていたに違いないからである。
女は、先に表に出た夜久良に一瞥もくれないで冷たい背中を見せて通りに出て行く。振り返って手でも振ったら、とそう声をかけようと思ったが、次回も結局、自分の方で女の背中を見送ることになる。やたらと腰をくねらせる後ろ姿に、随分見くびられたものだと思う。
「良ちゃんヒモらしくていいね」
敷地から見ていた管理人はご満悦である。よれよれのトレーナーに擦れたジージャン。乱れた髪にひげ面。サンダル履き。別にそのためにしている格好ではない。いつもの部屋着である。
「でもそれじゃモテナイね。あの子もあいつが侵入者じゃないのと言っていたよ。言われちゃったね。そうかもよと脅してあげといたからね」
さらにご機嫌になる。このまま話の先が変えられるからである。夜久良の女付き合いのことである。部屋を訪れる女を見たことがないからだった。
「別に気兼ねしないで連れてきていいんだよ。良ちゃんだっていい年なんだ。一人や二人ぐらい女友達いるだろうに」
でも夜久良はいつも乗ってこないのである。
「女が嫌いなわけ? 良ちゃんそういうことだった?」
「おばさん、前も訊かれたよ」
「分かってるよ。まだボケるには間があるからね」
「縁がないだけですよ」
「そうかね。ちゃんとすればわりかし好い男なんだけどね。好い人いたら紹介しようか」
「ええ是非」
「でも紹介するにしても今のままじゃねえ」
「そうなんですよ」
「他人事じゃないよ、ダメだねこれじゃ当分は」
 一件落着である。それ以上は立ち入らない。管理人と夜久良との間の不文律だった。それは夜久良が自分のことをあまり話したがらないだけではなく、それ以上に管理人本人がそうだったからである。夜久良のことは平気で訊いておいて、自分のことは、息子のことを除けばまるでといっていいくらい喋らないのだった。むしろそのために(立ち入らせないために)相手に対しても横柄な口ぶりなのである。
それでも夜久良が越して来た時にはいきなり言われた。亭主と別れたばかりだと。ああ清々したと。
「で、あんたは?」
まるで自分の方は言うべきことを言った、義理を果たしたんだから今度はそっちの番だよと言わんばかりだった。
随分と気の荒い女管理人だと思ったものだった。挑まれているようだった。でも不思議に悪意は感じられなかった。土足で踏みこんでくるのとは違っていたからである。それでも誤解されやすい人だろうと思った。もしかしたら最初の関係を「誤解」から築こうとしているのかもしれない。そんな感じだった。そう思うとどこか可愛げな感じさえする。それに三棟を任されている自負心もあった。横柄さもそれに支えられていたのだろう。その裏返しだったにちがいない。
「同じようなもんです。でも捨てられた方ですが」
思いつつくままに女管理人の反対を言っただけだったが、それが管理人の得心顔を生み出す。
「あんたは良さそうな人だ。女を捨てるより捨てられた方がいい。わたしには人を見る目があるからね。でもまともな人生は送ってこなかったね」
夜久良は笑って誤魔化した。そう言われればそうだったかもしれないからである。でも初対面で言われることだろうか。慣れるのにはすこし時間がかかりそうだった。
「で当分昼は居るわけ?」
堅気な商売かどうかを知りたかったのではなく、管理上の必要だった。交番の巡回連絡もあった。適当に代弁する必要もあったのである。
「ええ当分は昼も夜も居ることになると思います」
なにもしないでもしばらく暮らせる貯えはあったが、ほどなくして夜のアルバイトをはじめた。配送、土木現場、清掃、臨時の宿直や警備などなど。少し時間が早いときはサンドイッチマンもやった。それも月に一〇日程度と決めていた。いまも同じペースを守っている。別に「哲学」があるわけではなかった。でも後から思うと、一人の人物と出逢うためだったのかもしれない。昼の時間がなかったなら、おそらくそういう出会いにはならなかったはずだからである。
年収百万にも届かなかったが、ともかく安アパートである。自炊して質素に暮らしてさえいれば、七~八万程度の金額でもなんとか貯金を崩さずに生活は可能だった。
「ココハ天国ダナ」
 そう言って、月六万に欠けるような年金だけで暮らす老人が一人いた。夜久良と同じ棟だった。不足は貯えで賄っていた。
「夜久チャン、カルク一杯」
「いいですね、円さん」
 夜久良は誘われるままに酒を酌み交わす。週に二、三度の割合でお互いの部屋を往き来するのである。昼酒もある。
本名は草薙円二と言った。
「ハズカシイナァ……」
 そう言って最初から苗字で呼ばないで欲しいと言われたのである。はじめは「円二さん」だった。親しくなる内に「円さん」になった。本人は「エン(猿)さん」と言い直す。お気に入りである。
「ホントウニ天国ダナァ……」
 円二は部屋のなかを見回す。
「昔ノ家ニ帰ッテキタミタイナ気分ダナァ」とも。「マダコンナトコモ残ッテイタンダ」と言って、「落チ着クナァ」と、夜久良との出会いに感謝してみせるのである。年代物のアパートの一室での酒の酌み交わし。「天国ッ、天国ッ」と、心底気が休まると手を合わさんばかりだったのである。




 2

小柄だったが肉体労働で鍛えた頑強な体をしていた。七〇を超えていた。七二歳だった。越して来たばかりだったが、夜久良は、すぐ老人と親しくなった。タイミングが良かったのである。たまたま管理人が息子のところに一週間ばかり泊まりがけで行っていて、その間に越してきたからだった。
管理人の代理としてアパートの取り決めを説明する。特に町内会から睨まれているのでゴミ出しは決められたように分別して出して欲しいこと、吸わなければ構わないが、煙草の投げ捨てでも目を付けられていること、被害妄想だと思うが隣の棟に覗かれていると言って時々大声を出す中年女性がいるが、気にしないで欲しい、普段は好い人だからと。
そのほか伝えておいた方がいいと思われる、いくつかのアパート事情に関すること、とくに例の女の子たちのこと。同じ階に若い女の子が入居しているが、仮住まいであるから住人というわけではないこと。遅くに帰ってくるのですこし足音がうるさいかもしれないが我慢してもらいたいこと。ただあまりうるさいようだったら注意します、自分が言えば聞くはずですからと、いざこざを起こさないでもらいたいこと。酔いに任せて深夜に音を鳴らす子もいたのである。
「東京ダネ」と、感心して聞いていた円二は、最初、夜久良のことを「管理人サン」と呼んで止めようとしないのだった。
「すいません、管理人ではないので、そう呼ばれてしまうと、分かるでしょう、あの管理人さんが、『私を追いだす気かい!』って一喝されてしまうので」そう言って、「分かりました。僕もあんまり使いたくないんですが、いいです、夜久で、そう呼んでください」と認めることになる。
最初、「良」と読んでくださいと言っておいたのである。それを「先輩」は苗字で呼ばないと失礼に当るからと変に義理堅いのである。でも「夜久さん」と呼ばれるのではと躊躇っていたのである。そこで「夜久ちゃん」で手を打つことになる。一種の〝名刺交換〟だった。これも親密になる一因だった。
円二は酔うとよく言った。「猫ノヨウニ」と言うのだった。死ぬ時のことであった。死ぬ時の猫が姿を隠すからだった。そして「夜久チャンナンダカラ」と、その時は厄払いをして欲しいと頼むのであった。
 本気のようにも冗談のようにも、いずれともとりがたかったが、もう円二は夜久良が嫌がるのを面白がっている。「厄払イ」だけでなく、「厄病神」とか「薬中」とかいろいろに連想できる苗字だったからである。だから嫌だったです、と閉口気味な夜久良に、「良イ名前ダネ、キット福ノ神ガツイテイルンダ」と、なにを言いたいのか無茶苦茶になっている。普段は口下手な円二も、酒の量が進むと口も滑らかだった。
ともかく、自分のような者が畳の上でこんなふうに仕合せにしていたのではバチが当たるというのだった。「オ部屋サマニ悪イカラナンダ」ともいう。自分にとって分不相応なものに対しては、なにかと「サマ」付けである。
管理人に対してもである。「管理人サマ」だった。本人としては親しみをこめたつもりの呼びかけだったが、「良ちゃん、私をばかにしているのかね!」と、「ああいう爺さんとは」と言って、いかにも反りが合わない感じで、夜久良が円二と仲が好いのを面白く思っていない。深く関わってはいけないみたいに、「やけに気が合うんだね」と皮肉っぽく言われるのである。
知ってか知らでか、「ソロソロ潮時カナァ……」とぽつりと呟く。鈍感そうでも嫌われていることには敏感なのである。部屋を見回しながら「ココニ来ラレテ良カッタ、良カッタ」と自分に言い聞かせている。仕方ないとも言っている。
と言っても管理人に嫌われているからではない。嫌われていることにもどこか安心しているようなのだ。だから転居のことではない。もう次はない。最期の気がする。ここに住めたのが最後のご褒美らしい、でもそれも時間切れのような気がする、だから仕方ないことなんだ、そう言おうとしているのだった。
円二は定住したことがなかった。中学卒業と同時に集団就職で上京して住み込みの仕事に就いた。それが唯一の定住だった。それが数年後、些細なことで傷害事件を起こしてしまう。むしろ被害者みたいなものだったが、押し倒したときに倒れた相手の当たりどころが悪く、重傷を負わせてしまう
執行猶予がついて実刑は免れたが職場は馘になってしまう。折から新聞で集団就職の特集記事を組んでいたため、実名は伏せられていたが、東京に馴染めない若者の実例として取上げられてしまう。週刊誌も面白おかしく書く。郷里にも噂が伝わる。田舎にも帰れなくなる。
それ以降のことである、定住者でなくなったのは。各地のヤマを渡り歩く渡世の道を選んだのである。飯場生活だった。実は叔父の真似だった。
たまに郷里に帰って来ては、実兄である円二の父親に小言を言われていた叔父に、円二は小さいときから親しみや憧れを抱いていたのだった。身なりは田舎の人以上に粗末だったが、どこか輝いていたのだ。田舎の人たちとは人種が違って見えたのである。筋肉の盛り上がりと深い顔の表情は、どこか異人さんのようだった。憧れは、一刻も早く外の世界に出たい想いを膨らませて、円二の東京行きへの想い一層強める。田舎が好きではなかったのだ。
叔父から連絡が来たのである。一度遊びに来いと。そのまま叔父を頼ってヤマに入る。以来、ヤマ一筋の人生を送ることになる。
ずっといっしょだった叔父も亡くなってしまう。これを機に下りようかとも思ったが、下りなかった。決心がつかなかった。結局四〇年を越す渡世になっていた。ヤマを下りたときには六〇も半ばを越していた。不景気で仕事がなくなったのである。
東京に出た。長い飯場経験で各地に伝手があったが、事件以来一度も戻ったことのない東京を選ぶ。なぜ東京に? 訊かれた円二は、「戻ッテコイ」そういう声が聞こえたんだという。「結局、気ノ迷イダッタンダ、色気ガデタンダナ」と、よく分からないことをいう。どこか他人事のような笑い方だった。自分でもよく分かっていなかったのではないか、それでよしとしましょう、と自分に言って聞かさせている感じなのである。
宿舎のある建設会社だった。体力もあったし腕もあったのですぐに雇われた。働けるまで働いていいと言われる。夜久良のアパートに越して来たのは、その仕事を辞めた後だった。七〇歳になっていた。辞めてしばらく都内を放浪していたらしい。遊んでいたんだと言っていた。だから正確には移ってきたのはその後だった。
一度東京での生活をしてみて、「最後ノアガキ」だったことがよく分かったと言った。そして「ソレカランダ」と言って、柄にもなく急に自分を振り返るようになったんだと言うのだった。
「要スルニ歳トッタンダナァ」
振り返るといっても、これからの人生を思い遣るからでも、残された人生に望みを託そうとするからでもない。やりたいことが残されているわけではない。むしろ何も残っていない。昔を思い出すぐらいのことしかない。
「情ケナイナァ」「仕方ナイナァ」
でも言い様とは反対に、生き生きとしている。そんなときだった。コップ酒を片手に思い出を聞かせてくれるのは。でもいつも同じ話だった。
大粒の汗をかいた体を風呂に沈めて上がりたてにビールを一缶飲む。飲み終われば夕食が待っている。配膳の段取りがいい。気をつかってくれている。賄いの老夫婦は、自分の本当の親のような気がした。二人が仲良く並んで料理を作っているところを見ると、夫婦とは好いもんだとつくづく思う。胸も熱くなる。
「本当ニ美味カッタナァ」
そして第二話がはじまる。
出稼ぎの者たちからは故郷や家族の話を聞かせてもらえる。季節になると同じ顔ぶれが揃う。土産を持ってきてくれる。
飯場が閉じるまで居残る。自分からは先に移らない。知り合った者たちを毎年待つ。半年なんか一か月ぐらいみたいなもの。自分への口実にもなったんだ。自分の方が先にいなくなっては申しわけない。義理にも欠ける。
目を閉じて昔の光景と向き合う円二に、その日に限って訊いてしまう。
「一度も所帯を持たなかったんですか」と。
円二は答える代わりに、
「淋シクナンカナカッタゾ」
と子供のように少し向きなって言う。
勇み足だった。聞いてばかりいてはと思って、つい口にしてしまったのである。
円二は目を閉じたままだった。謝る夜久良に、目を笑うように開いて、「謝ルコトナンカナイゾ」とどこか楽しげである。「ホントダ。ホントダ」とはしゃぎ気味でさえある。「モラオウカナァ、モウダメカナァ、ダメダロウナァ、えん(袁)サンデハ」と、解いた腕組みを両膝に立てて、立てた腕で笑っている。自分で自分に笑っている。
日焼けで地肌と化した黒ずんだ肌。鈍く黒光りした顔。顔面の深い皺。手の甲や腕のいたるところに出来た小さな傷跡。大きく伸ばしたときに半袖の下着から覗く二の腕の深い傷跡――円二の人生を貫いてきた傷と傷跡。闇と闇の向こう側。ヤマの人生。容易には入りこめない深い山あい。奥深い森。森の狩人。彼の強靱な身体。
「イイナァ、夜久チャンハ、コレカラダ、コレカラダ」
見抜かれている。寂しいのは自分の方らしい。
夜久良は饒舌になる。円二の経験に比べたらはるかに足らない人生だった。とるに足らないほどだ。でも喋らずにはいられない。打ち明ける。
逃げ出すように田舎を出てきたことを。季節労務者のように工場で働いていたことを。工場の宿舎から出て新しい仕事を見つけてアパートを借りたことを。女と出会った場所だったことを。いっしょに住み始めたことを。数年して女と別れたことを。自分のもとを去っていった日のあの想いを。その悲哀を。未練がましくいまでもアパートの近くまでいくことがあることを。もう女はいないそのアパートの前にと。




 3

夕暮れの都心は、勤めを終えた人々でごった返していた。スマホを睨みつけながら正面から突っ込んでくる若い男に小柄な円二は危うく突き飛ばされそうになる。それを寸前で避ける。男がではない、円二の方がである。
今度は若い女である。やはりスマホを片手にしている。円二は避けない。寸前で驚いたように女が避けるが、避け切れずに肘が当たってしまう。双方で避ける気がなければ当たるべくして当たってしまう。スマホを見ながらの歩行が日常茶飯事なら、寸前回避もいまや日常的に要求される反射神経の一つとなっている。
若い女は目を丸くする。事態を呑み込むと、一瞥をくれ、引きつったように目許を吊り上げて、まるで突然飛び出してきた野良猫を見下すような眼つきで、自分より大分背の低い円二をにらみつける。そして無言の口許にはっきりと吐き出している。口に出していたらとても彼女がと思えない、耳を疑うような品のない一言を。
寸前までは小奇麗だった女。もちろん「悪態」を吐いた後でも外形は変わらない。腰元を締めつけたワンピースに自慢のスタイルを伸びあがらせたほっそりとした体。片側に流した黒髪が上腕部に流れ下っている。流れに合わせたような高いハイヒール。腰元に溜めた上半身のわずかなしなりが、スタイルの良さをさらに誇示して見せている。だれが連れであるのか分かったのか、夜久良を睨みつけながら女はたち去っていく。
「〝当たり屋〟ト思ワレタノカナ……」
 円二は笑いながら女の背中を見送る。
 人波は次から次へと押し寄せてくる。夜久良は円二の腕を抱えていた。人波を避けるためだった。路地に誘導しようとしていた。円二は夜久良に顔を向け、もう少しと、その腕を引き戻して応じようとしない。
二人は酔っていた。いつものようにアパートで飲んだ後だった。でもそれほどの量ではなかった。酔っていたとしてもそれは体ではなかった。体以上に気分の方だった。円二の足許はしっかりしていた。一日中歩きまわっても平気で次の日も出かけていくくらいだった。実際のところ、独りでよく出歩いていたのである。
「夜久チャン、一緒ニ当タロウカ!」
 円二は執られていた腕を執りかえして「物件」を前方に求めるのだった。さっきの女の一瞥が円二を傷つけていたのだ。違う、女を信じていたいからだ。裏切られたくないのだ。
 いまや二人は遊び歩いている、仲の良いダチのようだった。事実、夜久良は、共犯者であるべき心持ちになっている。円二に腕を執られるままに自分の力を弱めている。
 そんな二人を雑踏は嘲っていた。夕ぐれの帰宅を急ぐ勤め人にとって、どこからか突然湧いてきたような、ただの「違和感」以外の何ものでもなかったからである。それに小柄な円二だけならともかく、腕を執り合った男二人連れである。邪魔というよりは自転車の並走のように迷惑以外の何ものでもなかった。
端から避けられていたが、円二はご機嫌だった。突然、イイナ、イイナ! を連発しどおしである。なにがいのか分からない。通りすがる女たちが綺麗だったからか。キレイ、キレイ! スゴイ、みんなスゴイ! ということなのか。それともその反対の逆説なのか、疎外されていることに対する。それを自分に言い聞かせようとしているのか。
方針が転換される。「覗きこみ屋」に変身する。スマホに食い入る若い女を覗きこむのである。なに! と一瞥を浴びせられるまで。
でも蔑みばかりではない。目のあった円二に微笑み返す子もいる。でも圧倒的少数派である。たいていは嘲笑気味に見返される。なにッ! と、追い払うような眼つきをされる。それでも円二はイイナ、イイナ! を続ける。
「円さん、キモイッって言われちゃったね」
そう告げて、再び腕を自分の方に執り返してすこし手荒く路地に引きずりこむ。円二は後ろを振り返って名残惜しそうにする。「円さん行こう」を繰り返す。円二が晒し者になっているような気がしたのである。
すこし歩くと神社があった。「オ参リシテイイカナ?」と円二は薄暗い境内に入っていく。鳥居の前で一礼する。夜久良も後をついていく。暗闇の拝殿に向かって柏手を打つ。震える闇に静けさが一段と深まる。その前で体を曲げる。深々と。
なにを祈っていたのだろう、最後の頼みみたいな、謎めいたことを言う。
 二人は裏道から帰った。もう一度戻りましょうか、と尋ねた夜久良に、もういいよと返す。「十分、十分、夜久チャン悪カッタ」と謝るのであった。子供みたいなことをしてと、酔いが醒めてきた円二は、すこし照れ臭そうだった。
また一緒に出ましょうよ、と声をかける。本当は昼も一緒に出歩いてみたかったのだった。どこを歩いているのかも知りたかった。
「タダブラブラシテルダケナンダ」と先回りして答えられてしまう。結構勘がいいのだ。面白いところでもありましたか。尋ねると「ドウカナァ、アテモナクダカラナァ」とまたおとぼけの円さんに戻ってしまう
でも結構気に入っているという。街の景色を見ているだけでわくわくする、とくに働いている人たちの姿を見るのはという。
集団就職で上京した当時を思い出しているのだろうか、「イロンナ仕事ガアルンダナ」と「えん(袁)サンハやまシカ知ラナイカラナァ」と溜息をつくように呟くのだった。
「子供ミタイナモノダ」
 そんなことを珍しがっているんだからという。公園もだという。公園がいいと。楽しいと。公園で食べるとお昼も美味しいと。本当に子供なんだ。それにお金もかからないし、いいことづくめだと言うのだった。

アパートに戻ると、夜久良は円二から手帖を差し出される。見て欲しいというのであった。一頁分になにかの名前、住所が書きつけてある。その下の行には人の名前がある。さらにその下の行には日付と曜日が入っている。数えると計一〇日分を書きつけている。
どうやら一〇回訪れたということらしい。その記録である。以下は大きく白紙になっている。頁の頭の部分は、店の名前だと教えられた。店と言ってもとくに変った店ではない、普通の店なんだとも。
次の頁も内容・書き方とも同じである。五回訪れている。それが一〇頁に亘っている。一〇人分だった。みんな女性の名前だった。「勝手ニツケタンダ」と、円二は照れ臭そうにする。みんな若い子なんだという。名前があった方が「会イヤスイカラ」と言う。
会いやすい? 夜久良が怪訝な顔をするのを見て、「ソウカ、付キマトイダ、コレデハ。今ドキ風ニ言エバ、すとーかー、カナ」そう言って黄色く変色した前歯を見せながら笑う。
「イイ歳ヲシタ色呆ケオジイダゾ、コレデハ」
でもなにか訳がありそうだった。頁をめくりながら夜久良は記号が付けられていることが気になった。
説明される。こう言うのだった。
――恥ズカシイケド、夜久チャンダカラ言ッチャオウカナ。[○・△・×]ハ気分。アノ子タチノソノ日ノ。自分デ見テ思ッタ。二重丸モアル。弾ンデイル日ナンダ。若イ子タチハ表情ガ豊カナンダ。行クタビニ表情ガ違ウ。イイネ若イ子タチハ。
でもと言う、最初はそれが目的なわけじゃなかったんだと。ただ見ていたかっただけなんだ、街の人を、働いている人を、顔を、と言うのだった。それが若い子たちを発見したんだという。発見の印なんだという。それに印を付けると、それだけで近づきになった気分になれるんだとも。それにその方がすぐ思い出せるからなんだ、だから〈目印〉を兼ねているんだ、顔の感じだけでなくその日のことも合わせて、と説明する。
それにそうやって見ていると、他の人の顔も今までと違って見えてくるようになったんだという。たとえば重苦しい顔をしている人がいるとする。すると若い子の顔を思い浮かべてしまうんだと。あの子ならどんな声をかけて上げられるのか、と。
――カケラレタカラトイッテ、ソレデソノ人ノ気持チガ楽ニナルカドウカ知ラナイ。ソレデモ好イ子ニ声ヲカケラレレバ、少シハ楽ニナルカモシレナイ。デモソレモ偶々ノコト。人ノコトハ分カラナイ。ムズカシイ。分カルハズガナイ。ダカラソレダケジャナカッタンダ。人ノコトハ口実ナンダ。
そう言うと話を切り替えるかのように、「笑ワレルカナ、笑ワレチャウナ」と頭をかく。だんだんあの子たちのことを深く考えるようになったというのだった。そして変なことを考えるようになったんだとも。
――えん(猿)サンニハドンナ顔ニナルノカナ。見セテクレルノカナ。嫌ワレルカナッテ。
笑いながらだったのがかえって身につまされる感じだった。夜久良は、もう円二と気持が一つになってしまっていたのだ。
返された手帖を手提げ袋のなかに押しこめながら、「ミットモナイモノ見セチャッタ」とまた照れ臭そうにしている円二を見て、夜久良は別の機会に聞かされた「巡礼参り」の話を思い浮かべる。
ヤマの仲間で巡礼参りから戻ってきた男がいたらしい。男は言う。難しいことは要らない。ただ歩けばいい。それだけだ、目的なんか要らない。男の声に耳を傾けていた円二は、いつか自分でもと思うようになったらしい。
結局、往かなかった。年をとって自信がなくなったこともあったが、それよりは難しいことは要らないと言われたことが、反対に気に食わなくなってしまったからだという。聞かされたときに、なるほどと感心したのも、年をとるにしたがってそう思えなくなった、というのだった。
難しいことは要らない、そう言えるのは、まだ人生に先があるからなんだ。余裕のある人間の話なんだ。自慢なんだな、そう言えることが。だから所詮、若いうちの話なんだ。
男は五〇だった。だから五〇は若いということなんだ。聞いていた自分のことでもあるんだ。それにヤマだったからだ。だからそんなことを畏まって言えたんだ。それにエン(袁)さんみたいにありがたがって聞く奴もいたからなんだ。
でも一度ヤマを下りてもう戻らないと決めてしまえば、わけが違う。ヤマでしか意味がない。もう今は人生をやめる瞬間だけなんだ、残っているのは。やめるには邪魔なんだな、そういう話は。一見良さそうに見えても。
でも街は違う。一度追い出された場所なのに。気持ちが動かされる。教えようとしているんだ、それに教わろうとしているんだ。歩け歩けという声が聞こえてくるんだ。
ヘンなこと言いだしちゃった。頭がすこし変になってるのかな、老けたんだな、痴呆症かな。認知症っていうのかな。徘徊かも。エン(袁)さんもいよいよかな。年貢の納め時かな。
きっとそのことの言い訳でもするつもりで取り出した手帖だったにちがいない、と夜久良は思う。そんな悟ったような偉そうなことを言っておきながら、結局は、「若い子」にご執心なのを、無様もいいところなのを、笑われても仕方ないことを恥ずかしくもなくしようとしているのを、聞かせようとしているのだと。
でも言い訳だけのつもりで聞かせようとしていたのだろうか。もしそうだとしたら、「若い子」の顔を盗み見している円二を、哀れに思わなければならなくなってしまう。でも本当にそうなんだろうか、そんなことを疑ってしまうこと自体が苛立たしい。複雑だった。
結局は未熟だったのだ。そんなふうに思ってしまうことは。でもそのときはまだなにも知らなかったのだ。夜久良は、円二の寂しさを勝手に哀れむ。哀れむ自分を哀れむ。「手帖」を哀しむ。




 4

雇い入れられた東京の建設会社は、主に夜間の道路工事を中心とした、社員一〇人ぐらいの小さな土建会社である。常時二、三現場を抱えている。小さいながらも会社は順調だという。円二は臨時社員で採用される。
はじめての現場で想像もしない顔ぶれに出迎えられる。髪の毛を染め耳にピアスを嵌めた、来る場所を間違えたような、見るからに現場に似つかわしくない若者たちだったからだ。ほかにも幾人かの外国人がいる。ヤマでは考えられない顔触れである。
今日からうちの、といって円二は紹介される。頭を下げた円二にこちらこそよろしくと言って声を返してくれたのは、若者たちとは違う手の、中年の一人か二人である。金がなくなると使ってくれと顔を出す、不定期労働者のような、気ままな人生を送る連中だという。若者たちは単なる連絡事項を聞いているだけのような、表情を失った顔で立ちつくしている。
社員は、現場監督と監督見習い、そしてオペレーターだけだった。中年連中を除くと、他は仲介業者から送り込まれてきた、現場ごとの一回限りの連中である。
若者たちはまるで石のようである。挨拶しようとしないだけではない。そこに円二がいても、物かなにかが置いてある程度にしか見ていない。端からの無視である。不気味なのは、無視しているのが円二だけでなく、自分自身でもあったことである。
工事現場に立っている自分自身を認めていない。あるのは体だけである。仕方なく運んできた、それだって我慢できないと考えている。どうにか許せるのは、時間が経過していくからである。時間の過ぎるのを待つ。待っているのを待つ。刻んでいく針を頼りに死んだような石の顔で時計に顔をつける。一緒に働く気など端からない。見せる気配もない。
挨拶をしないのは外国人も同じである。でも知らないだけである。その分愛想を浮かべてみせるからである。ときには慣れない片言の日本語で話しかけてくる。でもその時はその時で円二の方が固くなってしまう。
これが東京か、そういうことか、どうということはない、すぐ慣れる。それに若者たちのことも憐れに思えてしまう。慣れない手つきでいたずらに力を入れ、見ていても情けないくらいの要領の悪さだった。それでもまた体をかがめ、意固地になって力んでいる。憐れにもいじらしくも見える。自分から声をかけてもいい。そう思うようになる。
たしかに慣れた。慣れないのは、街の方である。夜がなかったことである。ヤマには闇がある。夜がある。すべてが闇の底に沈む。それがない。
ないだけではない。昼間と同じように車がヘッドライトの強い光をのばしながら忙しく道路を流れていく。無数の街灯、ネオンサインが夜空を明るく照らし続ける。ビルや鉄塔に取り付けられた赤い照明灯は、一秒の狂いもなく点滅を繰り返す。
宿舎に戻ってもなかなか眠つけない。現場脇の道路から上がる走行音と、今度は宿舎近くの幹線道路の走行音とが入り乱れて、耳の奥で増幅し、頭のなかで騒音となって鳴り響く。瞼の裏ではビルの夜間灯が点滅を繰り返している。
挫けずに気持の張りを保つ。保てたのは、雇い入れてくれた会社の恩に酬いなければならないからである。大事にもしてくれるからである。
でも街の赤い光が脳裏の奥から消えない。点滅灯が引き金になって街全体が覆いかぶさってくる。次第に体調が思わしくなくなる。眠れない。体を無理やり疲れさせる。疲れを体に覚えさせる。すこし眠りを覚える。脳裏に浮かぶ点滅も次第に薄れていく。
そして一年が過ぎる。克服できたと思っていたとこに突然の体調異変だった。現場で倒れてしまう。救急車で搬送される。精密検査が行なわれる。異常は見つからない。精神的なストレスだろうと診断される。
静養が必要だと言われる。社長からもしっかり休養してまた仕事に復帰して欲しいと言われる。ありがたいことだと思う。
でも遊んで食べさせてもらっているのが耐えられない。一刻も早く復帰しなければと気持ちが焦る。体力を落としてはならない。無理してでも出歩こうと体に鞭打つ。
休んでいなければだめと言われるのを、事務所の女性の眼を盗んで出歩く。でも長く出歩けない。会社の近くを歩くだけで終わる。体の重さがとれない。太陽の光も眩しい。目眩にも襲われてしまう。脇を通過していく車の音も、轟音となって頭のなかに残ってしまう。車が近づくと耳を押さえずにはいられない。
それでも歩く。復帰のことしか頭にない。顔を上げる。空を見る。見上げなければならない。
ギラギラと光り輝く太陽に面を向ける。目を閉ざす。一瞬、山あいの光景が頭をよぎる。雪を載せて太陽の光を反射する山の頂である。目を開ける。瞬間、手を翳す。高層ビルの窓ガラスに反射する陽の光に襲われる。
体調が戻らない。情けないと自分を責める。責めるとさらに体調が思わしくなくなる。重苦しくなる。見通しが立たない。いつまでもこうしているわけにはいかない。辞めるしかない。
慣れない手紙を認める。口では上手く言える自信がない。感謝の気持ちを伝えなければならない。田舎に戻ると綴る。もう忘れた田舎である。社長や監督を心配させないためである。口実である。

宿舎を出て少しして、数日のうちに体が軽くなっていくのが分かる。それはそれでまた情けないと思うことになる。でも復帰は頭に浮かばない。もう次の段階に移っている。人生が終わる。終わりに向かっていく。終わりから見かえす。見かえすことが大事に思え、今必要なことにも思える。逆から始める。日々をはじめる。
簡易宿泊所を引き払って街に出る。ひとまずコインロッカーに荷物を入れて手ぶらになった体で外を歩き回る。気がつくと何時間も経っている。
駅に戻って荷物を出す。出す寸前でそのまま電車に飛び乗る。山手線だった。二周する。
二周目の途中から訳の分からない圧迫感に襲われる。絶え間なく流される車内放送、二~三分おきに止まる電車の扉の開閉音、停車中の車内に流れこんでくるプラットーホームの騒音。そして人々の忙しい乗り降り。
なぜ一周で止めなかったのかと思う。慣れるためである。慣れなければならないためである。そのために乗っている。そう思い続ける。理由付けで乗っている。
一周目の上野駅。集団就職で駅に降り立ったときのことを思い出す。なにもかもが驚きの連続だったことを。上京するまではまわりに知らない人はいなかった。知り合いの中でしか生きたことがなかった。それが知らない人ばかりである。知らない同士で成り立っている。当たり前である。当たり前のことを初めて知ったかのような思いになっている。無知に晒されている気分だった。それでも自分に違和感を覚えたようなことはなかった。まだ一員にもなっていないのにもう一員だった。一員になっている自分を感じ、感じている自分を自分でも認めている。人々も認めている。
いまの山手線のなかはまるで違う。円二の隣に座ろうとしない。座った者も間違ったところに座ってしまった感じになる。
真っ黒に日焼けした顔や首筋、手の甲。丸刈り頭。綺麗に洗濯してあっても、体形に合っていないぶかぶかのズボン。ところどころに沁みをつけた皺の寄ったシャツ。薄汚れた運動靴。
違和感そのもののような老人が、しかも小柄だったので座席に深く腰も沈められず、そわそわした様子で回りを落ち着きなく見回している。挙動不審者に見られている。
円二は逃げ出すように東京を離れる。普通列車の終点まで行く。隣のホームに待機していた列車を乗り継いで終点まで下る。二時間半が費やされる。宿をとる。
夜が下りてくる。静けさにも包まれる。それでも途中で目が覚めてしまう。ビジネスホテルだからである。はじめて泊ったのである。
暗い天井を見上げる。ホテルの外を走り去っていく一台の車を耳で追う。夜間工事の光景が浮かんでくる。騒音が聴こえる。夢中になって働いている。
スコップで砂利を撒く。均す。空になった一輪車をすぐに二トン車に横づけして満杯にする。重さに揺れる一輪車を操る。またとって返し砂利を撒き均す。むきになっている。
ベッドに横たわる自分をだれかが見ている。そんなことをしていていいのかと言っている。寝ていていいのかと言っている。街に戻れと言っている。
朝が明けるか明けないうちにビジネスホテルを出て、始発に乗る。始発駅からの人たちは一様に目を閉じ、上半身を腕組みのなかに沈めている。足りない睡眠を補っている。終点で一度乗りかえればそのまま上野である。乗換駅でも列車は混む様子はない。週末の朝である。
車両の一番隅に席をえる。列車が動き出す。揺れの中で目を閉じる。揺れている。車輪の小刻みな震動が体に伝わってくる。眠気を誘っている。で引きこまれない。引きこむのは、先の見えない闇である。
円二には見える、闇の中でさ迷う自分が。引きずりこまれたまま抗えないでいる自分が。終点が闇に口を開けている。自分を待っている。
かつての終点に待っているものを思う。終点であり同時に始まりの場所であった特別の駅である。いまも上野駅が待っている。このまま辿り着く。でも辿り着くのは列車だけである。自分は辿り着かない。どこに向かおうとしているか分かっていない。なにも知らされていない。
それでも街に戻らなければならない。コインロッカーから荷物を出さなければならない。その後は街に出ていかなければならない。宿も探さなければならない。でもなんのための宿さがしなのだろう。なにも始まらないのに。
そのときだった、闇が語る、語りかけようとする、残っていることがあるだろうと。
そうかと思う、墓場のことか、墓探しだったのか。墓場から呼びかけられていたのだ。なるほど闇はたしかに待っていた。はじまりだった。おわりのはじまりだった。墓場の口が自分を待っていた。




 5

それからである。当分の根城を見つけて、街に出はじめたのは。
まず乗り物からである。でも電車ではない。宿泊所から出かける時に決めていたのはそのことだけで、あとはなにも決めていない。それがバスに乗ろうと思い立つ。かまわず乗る。都バスである。一日乗車券という五百円で済む便利な乗車券を見つけたからであるが、都バスという名前に惹かれたのである。子供の頃を思い出したのである。
特別なことでもなければバスになど乗ることはない。家からバスの停留所までは小一時間もかかる。まだ田舎の道は舗装もされていない。日に数本の運行数である。それだけに子供には憧れの的となる。
特別な音である。谷間に響く警笛の音である。その時間になると、校舎の窓辺に耳を傾けて遠くにその音を聴くのである。曲がりくねった道路である。よく警笛が鳴らされたのである。放課後、連れだってみんなで眺めに行く。バスが谷川沿いに走っていく。丘の上から歓声を上げる。並走するように丘の小道をみんなで突っ走っていく。
バスはそのまま都会への憧れとなる。都会といえば、映画ニュースで観る東京の街並のことである。学校で定期的に上映する映画である。上映冒頭に映画ニュースが流されたのである。
当たり前にバスが走っている。少年円二のなかに東京への夢が大きく膨らんでいく。都会人になった気分を味わってみる。バスを自由に乗り降りしている姿を思い描く。今度は運転手になってみる。違う場面では大きな工場でバスを造っている。
床が一段高い、一番奥の窓側に座って、始発から終点まで乗車する。自分だけである。目的地もなしにただ揺られているのを楽しんでいるのは。時たま母親に連れられた小さな子たちを除けば。
集団就職ではとバス観光をしたのかもしれない。会社で連れて行かれたのかもしれない。デートだったのかもしれない。同じ故郷の子である。
なにも思い出せずにいる。ヤマが忘れさせたのである。今だって思い出そうとしているわけではない。
辿り着く記憶の先は、田舎の少年時代だけである。老いが深まっている。それが田舎を思い出させている。でも懐かしむためではない。もうこれは墓探しを越えている。先を行っている。墓場行きの予行演習のようなものだからである。
見納めにしようとしている。それを少年の自分に語りかけている。代行である。彼に自分を看取らせようとしているのである。
だからといって車窓の景色が変わるわけではない。見方を変えようとしているわけでもない。それに少年時代は、所詮、見えない反対側の車窓にしか映らない景色である。目の前の窓ガラスに映し出されているわけではない。
別の日には、ある路線を選んでいる。さらにビルのたち並ぶ都心部を通過する路線である。ビルが見たいからではない。むしろ見たくない。選んだのは、夜間工事の現場を通るからである。昼間のなかでもう一度見てみようと思い立ったのである。
現場に差しかかったところで降りる。別な光景である。間違ったのかと自分の記憶力を疑ってしまう。でも間違っていない。ビルの名前をいくつか覚えていたのである。幾晩も通ったのである。
ビルは別人になっている。巨大な闇の箱を夜空に突き上げて、冷たく聳え立っていたあのビルが、ひっきりなしに人々を呑み込み吐き出している。入り口の両側にガードマンが石像のように立っている。
まさに一対の石像だった。両手を後ろ手に組んで、微動だにしない不動の姿勢をとり続けている。でもそれだけではない。真横を平気で人々が通り過ぎていくからである。挨拶を交わす距離である。人間関係が問われる間合いである。たとえ無言で通過しても目配せするのが普通の人間である。
それがない。むしろ女の方が妙なのである。体すれすれのところを平気で横切っていくのである。相手は男である。頑強な身体を具えている男の目の前である。だから石像だった。
その「石像」が、自分を発見したのに気づく。その瞬間からガードマンは石像でなくなる。生き還っている。しかも野獣にである。視力だけでなく嗅覚も利かせている。あたりに獲物の小動物を嗅ぎつけた目つきである。
逃げ去るようにその場を離れる。近くに公園がある。夜間工事の時の休憩場所だった公園である。周囲をビルに取り囲まれている。公園だけは変わっていない。それは夜見るのと昼見るのでは同じ公園でも雰囲気が違う。まるで違う。変わっていないのは、同じように時間が止まったままだからである。 
たしかに止まっている。周囲の街が忙しく動いている分、停滞感が広がっている。夜の時より止まっている。でも深い停滞感には寛ぎが沈んでいる。安らぎがある。夜よりずっと落ち着いている。
深夜の公園の静けさには、追われたものの逃げこみ先のような、深い底に口をあけた不気味さが沈んでいる。休憩場所だったが、それだけに余計に落ち着かない。
それが今は自分一人のためのようである。だれもがそう思っているのが、余計に気分を和ませる。
それほど大きな公園ではないが、都心部とは思えない静けさである。防音壁に囲まれている。見えないだけである。
それまで昼休みで埋まっていたベンチから、午後の始業時間の開始を前にして人の姿が見る間に減っていく。昼時の公園は特別である。その時間帯だけは止まっていない。逆に動いている。体内運動である。人々の休息をエネルギー源として午後に備えているのである。
笑い声の絶えない女同士の幾組かもあれば、食後の飲み物を片手に空を仰いで足を長く伸ばしている中年男もいる。食べ終わるのを待ち切れずにデンワの画面に食い入っている若者もいる。多くは食べながらである。傍には屈伸運動に深く体を沈める男がいる。四〇代ぐらいである。違うベンチでは初老の年配者の一人が新聞を大きく広げている。我関せずの顔である。
どこを見まわしても目に写るのは違う人種である。同じ「休息」でも中身が違う。同じにするなと咎められてしまう。最初から外に立たされている。入っていけない。求められもいない。
しかし公園は次の場面を待っている。昼下りの午後のひとときである。一気に停滞が取り戻されていく。より深くである。養分を吸いとったからである。
空になったベンチに戻る。公園のぐるりを取り巻いた木立の木の根元で、幹を背凭れにして昼食を摂っていたのである。ベンチで摂ってはならなかったからである。
その円二に昼休みを過ぎてもベンチを立たない者の姿が目に入る。黒い鞄を小脇に抱えて一点を見つめている。なかなか立たない。立っても足取りが重い。まだ若い。二十歳そこそこである。
これからどこに向かうのか。顧客回りか。慣れない営業に就かされている感じである。自信がない顔である。無理を自分に強いている。公園を出たくない。背中が語っている。重たい体がベンチから若者を立たせようとしない。
見回すと他にも同じ姿をベンチの上に晒した背広姿の勤め人が何人かいる。若者だけではない。いい歳の男もいる。休息の居残り組ではない。休息が解けていない。停滞感が解けていない。重い体は、見ているだけでも辛い感じがする。それでも自分とは違う。最初からベンチに座っていられる者たちである。
その時、公園の一角から若い女の子たちの笑い声が聞こえてくる。もうしばらく前からいる。相変わらずこの場に自分たちだけしかいないかのような笑い方である。
まわりが気になってない。声が高いからではない。それ以上に身なりである。一人は丸刈りである。一人は頭の上に丸く残っているだけである。それも紫色である。上に大きく開いた黒い睫毛。目許を蒼く塗っている。金属の輪が耳だけではなく鼻や唇に嵌められている。首からは鎖が垂れ下がっている。腰回りにも一か所に金物の束がある。腿や膝頭が大きく破れた、擦り切れたズボンを穿いている。
 十代か二十歳前後だと思っていた女の子たちは、驚いたことに一人は二〇代後半である。もう一人からは「ほやほやの三十路ちゃんよ」と教えられる。近寄ってきた円二を不審にも思わない。
「ハ~イ!」と手を上げ、「どったの、オジイチャン」と微笑んでみせたのである。
といっても蒼い眼もとに浮かべる微笑みは、円二が見たことのない、機械仕掛けのような金属質な不自然さである。突っ張った笑い顔は未来人である。
「道に迷っちゃったわけ、それとも家出?」「なんか食べたの? 飲む?」「疲れちゃってない? 大丈夫?」
「女の子」たちは、自分たちの前に訳もなく立っている円二の頭の天辺から足の先まで興味深げに観察する。
「凄い! カッコいい!」と黒く焼けた顔や首回り、シャツから伸びた手首に興味津々の様子である。一人の子はもう円二の手の甲を擦っている。
 彼女たちは待機中だったのである。近くの店でこれからイベントに出演するという。リハーサルを終えて公園で昼食を摂っていたのだという。まだ出番までは小一時間ある。よかったらその間お相手してと言われる。
木の茂みの下に移動して円座を組む。円二が持ち歩いている新聞紙と雑誌を敷く。即席の座布団である。
彼女たちの一人が、鞄の中から飲み物を取り出し円二に勧める。勧めてくれるときの機械仕掛けの強ばった笑みにどう応じてよいか戸惑うことになる。
それに「女の子」たちが自分に示す関心が気にかかってならない。この界隈では見かけない「動物」だからである。
「マッサカ!」と、二人は互いを見合って、お互いの呆れ顔を確かめ合っている。年上の子からは、「それ言うんじゃ、逆じゃない?」と言い返されてしまう。
そうか、近寄って行ったのは自分の方だった。もの珍しい顔を晒して。虚を衝かれた感じの円二に年下の子が、「話してみると結構まともでしょう」と、相変わらず動かない(動かさない)目許をそのままに口許だけで微笑んで見せる。
そんなつもりで近づいたわけではないが、円二は詰まらないことを訊いてしまったと思う以上に、訊いただけでも相手を疎んじていることに気づく。しかも彼女たちは、それさえも円二に責任を負わせないのである。
「そんなことよりさっきは茶化しちゃってごめんなさい。わたしエリ、この子リーゼ。二人合わせてエリーゼ。おじいちゃんは?」
 円二は「エンジ」と名乗る。自分たちに合わせなくても好いのよと言われる。「でも上の名前はもう使わないんだ」と、「だからエンジなんだ」と、あらためて名乗ってみせる。
 すこし力んだ感じになってしまう。たしかに写真でしか見たことのない格好の女の子たちだった。でもそれだけではなかった。下に隠されていたものを見てしまったのである。
円二は自分に向かって言い直す、「エンジだけでかまわないんだ、そう呼んで欲しいんだ」と。それだけで十分だった。それを使わないんだと、苗字に託けて自分の話をしたくなっていたのである。切り出し方が分からず、変に構えてしまったのである。
「そういえば、あたしたちなんか、上の名前だけでなく下の名前も使わないねぇ。ねえリーゼ」「まったく!」「どうなるんだろうね、わたしたち?」「ほんと!」
 二人の方が、自分たちのことを話しはじめる。リング外して髪伸ばしてお化粧落として、昔の名前に戻って、そしてなんになるんだろう? たしかに続けたくても一生は無理だし。結局、奥様ってわけ? 子供持って、旦那や子供に「行ってらっしゃい/お帰りなさい」の毎日で、洗濯して掃除して、買い物して、料理作って、お風呂沸かして、取りこんだ洗濯もの畳んで、帰ってきた子供に「気をつけて行くのよ!」と習いごとや塾に送り出して、遅い旦那にいらいらして、浮気でもしてるんじゃないかって、シャツ嗅いだりして。どうリーゼ? やめてよ、エリ!
ああおぞましいと吐き捨てるように言い合う二人を見ているうちに、なんか急に若くなりたくなっている。若くないのが我慢できないのである。好きなってしまっている。そんな自分を受け容れてしまっている。
でもなんと言って声をかければいいのか、どうするつもりなのか、まともに女たちと付き合ったこともないのにと、昔会ったバーやスナックの女たちのことを思い出す。あの子たちとさえまともに話せなかったのである。良い子がいたのに。口説けなかったのである。口説いて欲しいと言っていたのに。
でもこの子たちにならなにか話しかけられそうな気がする。なんでも。自分のことを。全部を。惹かれている、最初から。立ち上がった時からもう声をかけようと決めていた。ごまさなくたってもいい。
「どう思う、エンジさん?」
 思わず赤くなりそうになる。いやもう赤くなっている。
ずっとそのままでいいんだ、それで、と言ってもよかったかもしれない。でも言えない。首を横に振るしかできない。
そして、「悪いね、(自分には分かりそうもない)」としか言えない。
 円二は驚いていた。彼女たちが慎ましやかなのに。自分のことを訊いてこないのである。見るからに都心の公園に相応しくない風体と人相なのに。訊いてこないだけではない。素振りも見せない。話と言えば自分たちのことばかりである。それも聞かせようとしている。気を使っている。気づかせないように使っている。
「そうか『家出』かもしれない……」
 自分から話しかけるべきである。そうではないか、話しかけてくれたのも彼女たちからではなかったか。ふらふらと近寄ってきたこの怪しげな老人にである。すこしも不審な顔を見せずに。
逆ではないか、これでは。なにかして返すべきではないか。むずかしくもなんともない。それが普通だ。
違う。そうではない。彼女たちは気になんかしていないのだ。それに義理として聞かそうなんて彼女たちに失礼だ。
 気がつくともう口を開いていた。
簡易宿泊所を根城にしていることを。その前を。夜間工事の現場で倒れたことを。さらにその前を。二十歳になる前からヤマを根城にしていたことを。親からは勘当されたことを。その理由を。傷害事件のことを。その理由を。そして、それからの人生を。全国を渡ったことを。ヤマでの生活を。その深い闇を。静けさを。仲間たちのことを。出稼ぎの者たちのことを。そして「女」のことを。独りだった人生のことを。
――だからほんとうに『家出』だったかもしれないんだ。
そして「人生からの」と言いかけてしまい、「世間からの」言い直おす。でも人生だったのである。彼女たちを前にあらためて教えられる。彼女たちが人生を惜しげもなく曝け出していたからだ。剥き出しで。
――毎日、出歩いて。訳もなく歩き回って。それに変に感心してしまって。前から歩いてくる人に。信号を待ってる人に。きれいな格好をしている人に。ビルに入る人に。出てくる人に。忙しそうに働いている人に。人だけではなく、ビルにも。店のショーウインドにも。高いビルにも。見るものみんなに。
聞いていてくれる。
――まるで子供なんだ。見るものがみんな驚きだなんて。でも身を乗り出しているわけではないんだ。感動なんかしていないんだ。逆なんだ。びっくりするくらい昔のものがなにも残っていないんだ。知ってるものが。でも嘆いているわけではないんだ。逆に感心することばかりなんだ。嫌になるくらいに。
「じゃ、あたしたちには?」
――惚れたんだ。
思わず言いそうになって、あわてて寸前で止めて、しかも止めたことを、よかったと思っていない。笑われてもいいからとさえ思っている。そんな資格があるわけもないのに。無様もいいところなのに。どうかしてしまっている。
 なるほど惚れたんだには理由など要らないかもしれない。でもそういうわけにはいかない。一歩間違えば浮浪者と思われてもおかしくない、貧相な年老いた老人である。この公園で寝起きしていてもおかしくないのだ。手提げ袋に沢山入れたこの新聞紙はなんなんだ。よれよれの服は。腰の手拭いは。サンダルは。
本当は憐れみでも請うつもりだったのではないか。それでは格好がつかないから「惚れたんだ」などと訳の分からぬことをいう。
違う、違うのだ。あの子たちはそんなことは思っていない。怒られてしまう。そうではないか、最後には「エンちゃん」とまで呼んでくれたのだ。時間になって公園から出ていくときは出口から大きく手を振ってくれたのである。立ち際には二人で両側から頬に接吻してくれたのだ。
それだけではない。まだある。お店の名刺をくれたのである。定期的に出演している店だった。よかったら聴きに来て。そう言ってくれたのである。
ずっと大事に持っているだろう。でも行かない。行きたくても行けない。華やかな六本木だったからか。出番が夜の遅い時間だからか。自分が出かけていけるような場所でも時間でもない。そうかもしれない。でもそうではないのだ。
名刺を手にしながら思う。行かない理由を。それでも迷っている理由を。迷いながらも行かないと言い聞かせている理由を。
「ベンチ」がないからだ。自分が座るベンチがである。公園とはわけが違うのだ。
でも迷っている。本気に惚れているらしい。だから我慢しているのである。出かけていきたいのである。入りやすい店だから心配しないでと言われていたのである。連絡してくれれば、お店の人に分かるように手配しておくからとも。そこまで言われていたのである。行くべきだ。行きたいのだ。
違う、違う、違うのだ。出かけて行きたくなんかないんだ。彼女たちの背中を見たくないんだ。自分に振り向かない背中を。たとえそれが彼女たちの本意でなくても、それが都会なんだ。街なんだ。
だれが悪いわけじゃない。そうじゃないか、「来てくれなかったね」そう言われるのだ。自分だって同じだ。でも惚れたのだ。それで十分だった。
さっきまで座っていたベンチが、「主人」を失ったまま空いている。ベンチに戻る。しばらくしてイベントの音らしい音楽が公園にも届く。彼女たちが歌っているのだろうか。
よかったら聴きに来て。
でも円二は照れ臭いからと断ったのである。ここで応援しているよと、そう言ったのである。




6 

 円二はいなくなった。突然だった。黙って出ていった。後から手紙が届いた。死出の旅立ちに見送りは要らないんだ。だから独りで出て行ったんだ、悪く思わないでほしいと書いてあった。
詳しい居所は書かれてなかったが、はるか遠くの町の病院か施設のようだった。もうながくない、ヘンな病気に取りつかれた、隠れていたようだ、出てきたくなったんだろう、もってもあと一年程度なんだな、とあった。この期に及んで、また他人事を装う。
半年ほど前、アパートをしばらく空けたことがあった。しばらく出かけてくると、旅にでも出かけるようなことを言っていたが、どうも最期の場所探しだったようだ。
円二には貯えがあった。最期の始末は自分でつけなくちゃ、いつもそう言っていた。質素な生活もそのためだった。
――長ク生キスギタ。笑ワナイデホシイ。マダ七五歳ジャソンナコト言ウ資格ナンカナイノニ。
ヤマで終わりたかったからなんだ、という。一〇年は余計だったと。
――夜久チャン、怒ラナイデクレ。本当ハモット早クあぱーとヲ出ルハズダッタンダ。
自分がいたからだという。酒をいっしょに飲むのが楽しくてという。「夜アソビ」もと。そして、だからなんだという。もう酒も呑めない。どうして呑めないんだ。どこか悪いんだろうと言われるに決まってると。
――悪イナ。夜久チャントハ元気ナママ別レタカッタンダ。現役デ。イズレ報セガイク。デモソノ時ハモウ墓ノ中ナンダ。えん(袁)サンデモ入レテモラエルオ墓ガアッタンダ。イイ場所ナンダ。
一冊の手帖が同封されていた。例の「手帖」だった。「形見」だと書かれてあった。捨てようと思ったが、持っていてもらいたくなった、迷惑だったらかまわず捨ててかまわないからとあった。
じゃ元気で。いい人生を。祈ってるよ。管理人サマにもよろしく。あまり嫌わないで欲しいんだな。そして結びに、幸せなまま終われそうだ、できすぎなんだ、ほんとうにありがとう、とあった。

 円二は単なる「目印」だと言った。そうではなかった。意味のある「目印」だったのだ。迷いに迷って送って寄こしたにちがいない。
夜久良は「目印」を探しに行った。
まずは一頁目の「目印」からだった。以前見せられたときにはなかった、その場所までの行き方がつけられている。都営バスだった。停留所の名前も書かれてあった。降りると商店街だった。店もすぐ分かった。
最初の店は洋品店だった。昔ながらの地元の店といった感じだった。手帖には「和子」とあった。円二らしいネーミングだった。
洋品店の前は歩行者専用道路だった。怪しまれないように店のなかを覗く。いまそこに「和子」がいるかと思うと、変な高揚感に包まれる。商品を眺める振りをして入口から少し体を中に入れる。客は居ない。店員の姿も見えない。閑散とした店内には、昔ながらの並列状態で洋服が長くかけられている。
奥に引っ込んでいるようである。おそらく客もあまり入らないのだろう。辺りを見回す。アーケード街である。その場を一端離れ、しばらしくてから今度は反対側に回ってなかを窺う。人影は見えない。吊るし下げられた洋服の影にも目を遣る。やはり誰もいそうにない。幸いその場所は書店だった。洋品店と違って賑わっていた。店も何倍も大きかった。
三〇分近くねばった。その間に何人かの客の出入りがあった。応対に現れたのは相当年配の女性だった。ほかには誰も現れなかった。目当ての女性はいない様子だった。その女性が「和子」だろうか。円二よりはたしかに年下である。でも円二が言っていたのは「若い子」だった。
休憩中だろうか。休みの日だろうか。それとも辞めてしまったのか。でも最新の日付はまだ新しい。一か月と経っていない。それともこの店の娘のことなのだろうか。奥に引っこんでいるだけで待っていれば顔を出すのだろうか。
監視できる距離に喫茶店があった。窓際に席を占めて二時間を潰した。結局「和子」らしい若い子は見当たらなかった。店の前に現れたのは例の年配の女性だけだった。店の娘の線も確信があったわけではない。やはり休みなのかもしれない。出直すことにして移動しやすい次の店を目指すことにする。
次も洋品店だった。ここでは「久美子」だった。でも結果は同じだった。店のなかには二人の女性がいた。一件目よりはるかに若かったが、二人とも四〇代だった。やはり若い子というわけにはいかない。
本当はもっと若いのだろうか。すこし大胆になっていた。入店した。幸い別の入店者が後に続いた。店員は夜久良に近寄ってしばらく見守っていたが、後続の来店客に声をかけられて、ごゆっくりご覧下さいと言い残してその場を離れた。もう一人は最初から接客中だった。
店の規模から見て二人以上は必要なかった。奥からも誰も出てこなかった。それに二人とも外から見るよりは若かったが、やはり「若い子」というわけにはいかなかった。ここでも非番なのだろうか。一件目の店より若やいだ店だったが、若い子が勤める雰囲気ではない。彼女たちが「若い子」なのだろうか。
その日、三件目までを訪ねることができた。夜久良は帰りのバスで「若い子」の意味を探っていた。三件目も同じ結果だったからである。それにそこでも洋品店だったからである。名前は「礼子」だった。見かけたのは初老に近い女性だった。それでも艶やかに着飾っていた。顔立ちも美しかった。歳嵩では一番上だったが、三人に負けない色香を漂わせていた。円二もそう思ったにちがいない。そう思って、「若い子」の意味が違うのではないかと考えるようになった。
「礼子」の立ち居振る舞いが脳裏に浮かんだからだ。夜久良は、「礼子」の若い頃を夢想しはじめていた。そこに円二の登場である。出会いの演出だった。なんとも好き勝手な作り話だった。おまけにラブロマンスを演じさせようとしていたのである。円二に聞かせたくなるほどだった。でもこれなら「若い子」の謎も解ける。
でもまた解けなくなる。「礼子」の頁には「目印」につける○×や△の記号が少ないからだった。三店のうちでは二店目が一番多い。円二から見れば娘の年齢だった。ならそういうことだったのか。でもあの「娘」たちは、はたして円二に父親として接するだろうか。いつかの歩道上の女たちを思い出さずにはいられなかった。でも最後まで通っていた一軒だった。
結局、どこを回っても「若い子」の答えは出てこなかった。なにを目的に街を巡っていたのか、しばしば出歩いていたのか、まるで分からなくなってしまう。分かったのはすべて洋品店だったこと、店構えは個人商店かそれに毛を生やした程度だったこと、それに山手線内でも昔からあるような商店街の一角だったこと、そんな程度だった。

それが、これか、このためではなかったかと気づいたのは、ある店でショーウインドの飾り付けをしているところに出くわしたときだった。着せ替えの最中だったのである、マネキンの。これだ、これだったのか、と夜久良のなかで一瞬の間にすべてが繋がったのである。
どの店にも通りに面してショーウインドにマネキンが飾られていたのを思い出したのだった。たしかに「若い子」だった。それに名札が付いていたわけではない。だから勝手につけたというよりは、名付け親の権利を持った上での命名だったのである。
円二は話しかけていたのである。会話していたのである。でも「記号」はなんだったのか。こう言っていた。
――日付ノ後ニツケタ[○・△・×]ハ気分ナンダ。アノ子タチノソノ日ノ。自分デ見テ思ッタ。二重丸モアル。弾ンデイル日ダ。若イ子タチハ表情ガ豊カナンダ。発見シタンダ。来ルタビニ表情ガ違ウノヲ。
着せ替えのことなのか、似合っているかどうかの。でも円二にそんなファッションセンスがあるとは思えない。なら自分の気分だろう。その日の。着せ替えられた「女の子」たちの前に立った時の。語りかけた時の。あるいは「女の子」たちから返された言葉を受け止めた時の。
でも違う。どこか違う。第一、洋品店は若い子向けの店ではない。マネキンに着せた洋服の年齢層も、若くても三〇代、それも後半以降のファッションスタイルだった。
夜久良はショーウインドの前に立つ。近づく。見つめる。目を見ながら話しかける。そのときだった。
――アナタ、えんじサンノオ知リ合イ?
夜久良はのけ反る。錯覚か、いや違う、たしかに喋った。口は開かなかったが、声が聞こえてきたのである。
そうか、やはり会話していたのだ。話していたのだ。
その声はそれに「若い子」だった。違うのは、今の子たちの喋り方ではなかったことだ。落ち着いた声だった。大人びている。だからファッションスタイルも今でこそ若者向けでなくても、一昔前なら、あるいはさらに前なら、丁度円二が三〇か四〇の頃なら、「若い子」向けと言っても十分通用しただろう。そして「若い子」というより「彼女たち」と呼ばれる色気を醸し出している。「あの子たち」と、円二が口にしていたとき、浮かんでいたのは「女」の色香を思わせる、そんな大人びた子たちの姿だったにちがいない。
――哀レカナ……。
円二はいつも言っていた。口にしていた。独り身でとおしてきたことだった。ヤマの生活のことだった。それが今はこのことだったのかもしれないと思い直す。いやマネキンのことだったにちがいない。
夜久良は話しかける。
――オ綺麗デスネ。キットオ好キニナッテシマッタンデスネ。
マネキンの目許が緩んだ。自分の目を避けている。見つめないでと言っている。
そうか。やはり気分なのだ。マネキンの。いや違う、「和子」「久美子」「礼子」と名前を持つ「彼女たち」たちの。円二と話すときの。
と言うのも、突然、「彼女たち」が不機嫌になってしまったからである。気がつくと通行人が後ろに立っていたのである。不信に思っている。ショーウインドに写った男は、夜久良の顔を斜め後ろから覗きこみ、その眼でマネキンと彼とを見比べていたのである。スーツ姿に身を固めた、いかにも物見高かそうな中年男だった。
回り直した。すべての洋品店を。マネキンを。違う「彼女たち」を。ある「彼女」の前に立つ。すこし茶色がかった無地の麻のワンピースを着ている。胸もとは濃茶のボタンで止めている。腰紐で締めずにローブのように裾を垂らしている。対象的にサンダルのような黒色のヒールで、細く足許を引き締めてすっきりさせている。
もうすぐ夏だった。「彼女」が歩く歩道の木陰には涼しげな風が流れてくるにちがいない。ほっそりとした長い首筋。しなやかに伸びあがる後頭部。スキンヘッドの頭部。細くてもバネのある腕。軽く折り曲げられた手首。長い指先。
夜久良は「彼女」を見つめる。見つめられるあからさまな目線に動じようとしないまなこ。黒色のなかの黒い瞳。全身黒のマネキン。
――ナニカ聞カサレテイマセンデシタカ?
尋ねる。円二が消えてしまったことをである。知っていましたかと。
無言である。「彼女」との会話は成り立ちそうにない。でも手帖にあるのは「○」ばかりである。気が合っていたのだろう。自分の方は最初から相手にされそうもない。いい女に縁がないということか、夜久良は自嘲気味に微笑みを浮かべる。
――ドコカ連レテッテヨ!
名前は「瑠美」だった。「子」がつかない名前は「彼女」だけだった。「瑠美」は円二にそうやって呼びかけていたにちがいない。その手はいまでも軽く円二に向かって上げられていた。その瞬間、夜久良は苦笑いを浮かべる。円二に対する僻みが湧き上がっていたのである。
――ワタシヲ連レテ逃ゲテ!
円二はなぜ傷害事件を起こしたのだろう。訊いたことはない。訊きたいと思ったこともない。それがなぜ? 「瑠美」があまりにいい女だったからだ。
夜久良は、円二を忘れて「彼女」を見つめる。前屈みになって覗きこんでいる。口説くつもりでいる。思わずドキッとする。円二が後ろに立って笑って見ていたからだ。えん(袁)サンノコトナンカ気スルナヨ。口説イテミロヨ。そう言っている。デモ深入リスルナヨそう言い残して早々に立ち去ってしまう。
火照っている。体を起こした夜久良に素知らぬ顔の「瑠美」が遠くを見ている。たち去った円二を見ている。

街に出る。円二と歩いた夕方の歩道を歩く。若い女性を狙う。当たる。でも気持ちでしかできない。結局自分には円二の真似はできない。できない自分のなかに円二の胡麻塩頭を思い起こす。
少し離れると人影で見えなくなってしまうのである。なぜかその先にそのまま消えてしまうのではないかと思ってしまう。二度と見つからないのではないかとも。
たしかに小柄だった。でも背丈のことではない。円二は街のなかにいても街の外にいた。人混みのなかにいても人混みのなかの一員ではなかった。だからだった。
でも円二は街に向かっていく。背を向けない。逢わなければならない。出会わなければならない。何かに。誰かに。つまり「彼女たち」にか。
違う。「彼女たち」は見守っていただけなのである。円二の思いを。その気持ちを。円二を見送るために。野辺送りに佇む麗人たちとして。
その「彼女たち」に別れを告げる。自分がその役を頼まれたのか。自分でしていかなかったからか。
そんな人ではない。手帖を「形見」だと言った。未練がましい。そんなことをする人ではない。それに「彼女たち」を発見してもらえるかさえ分からないのだ。嫌になって途中で放り出されてしまうかもしれない。考えたはずである。
ならなぜなのだ。これは「遺書」なのか、街と向かい合せでいたいための? 見続けていたいための? それを引き継いでもらいたいための? 違う、そんなさもしい真似をする人ではない。すべて独りで済ませる。そういう人だ。
どこかで聞いたことがある、古代ギリシア人は後ずさりしながら「死の国」にはいっていくと、つまり前を向いたまま後ろ向きに墓に入っていったのだと。そのとき目の前にあったのは、彼らの「過去」であったという話を。
円二は酔うと言っていた。墓場ヲ見ツケナクッチャ、と。今、それを円二は遠くに見つけた。良い所だという。海でも見える高台なのだろうか。それとも静かや山あいなのだろうか。それも谷川を見下ろす、小高い丘の中腹に開かれた一画なのだろうか。故郷を思わせるような。
でもそれも口実だ。亡骸の始末で迷惑をかけたくないから、わざわざ遠く離れた場所を選んだだけのことだ。でも気持ちはこちらを向いている。つまり前を向いたまま後ろ向きに墓に入ろうとしている。
だからこう言っているのだった。
――夜久チャンニ持ッテイテモラエレバイイ。捨テラレテモイイ、ソレナラソレデイインダ。
しかも、こうも言っているのだった。
――迷惑ダナンテ、スコシモ思ッテナイカラ。
一瞬、分からなくなる。胸を張って自信たっぷりに言っているからだ。「ダッテソウダロウ」とも言っているのだ。
――夜久チャン、夜久チャンハ自分ジャナイカ。
そしてこう続けるのである。若い時の(自分じゃないか)と。言っとくけど、夜久ちゃんを見ていると若い時の自分を見ているようだ、なんて話じゃなくて、本当に自分の若い時だ、夜久ちゃんは、と。  
――自分タチハ二人ジャナイ、一人ナンダ。タマタマ逆ニナッテシマッタダケナンダ。ナニガッテ? 自分タチノ「時間」ガダヨ。夜久チャンダッテヨク分カッテルハズダ。
本当なら自分の方で振り返らなくちゃいけないんだ、という。若い時の自分を。それが順当だと、普通のことだという。
たしかに自分がいまあるのは、夜久ちゃんという一人の人間がいたからさ。でもまだ自分にもなっていない夜久ちゃんが、自分を振り返れるわけがない。それが「時間」というもの。そんなことぐらい、いくらこのエン(袁)さんだって分かる、と。

夜久良は、空部屋になったままの円二の部屋に入る。小母さんから鍵を借りたのだ。擦り切れた畳がかつての居住者を懐かしんでいる。まんなかに胡坐を組んで座る。腕組みして部屋の壁を見る。そこに下がっていたしみのついたシャツを思い出す。思い出しながら見まわす。部屋の片隅に誰かが立っている。自分だった。
分カッタダロウ、と円二が語りかけてくる。そのまま入れ替わっている。胡坐を組み直して、腕組みを解いて窓の外に目を移している。懐かしんでいる。昔の窓の景色を。四〇年以上前の。夜久良にもどった自分の若やいだ眼で。
その間に夜久良は自分の部屋に戻る。本当だった。部屋は空だった。まったく同じだった。壁には白いシャツが下がっていた。擦り切れた畳が広がっていた。自分がまんなかに座っていた。円二ではなく自分だった。振り返ると「瑠美」が立っていた。
円二は言う。
――モウ一度見テミロヨ。
『手帖』だった。
――自分デツケタンジャナイカ、忘レタノカ。
そうだ、自分でつけたのだ。奥付を確かめる。発行日が入っている。たしかに四〇年も前の日付だった。
頁の上半分には、購入者(使用者)の住所・氏名・生年月日・連絡先の記入欄がある。たしかに「夜久良」と記されている。住所はこことは違っている。あのアパートだった、女と二人で暮らした。電話番号もそうなのかもしれない。氏名・住所だけではない。すべて自分のものだった。「拾ワレタ方ハオ手数デスガゴ連絡クダサイ」ともある。自分の字だった。
なら「草薙円二」が拾ったのだろうか。それで送って寄こしたのか。四〇年経って……。
違う、四〇年経ったこの自分が自分にである。「草薙円二」は偽名だった。夜久良の名前が嫌で。女友達に「草薙君」と呼ばれるときの響きがまんざらではなくて。

夜久良はアルバイトでマネキンの配送をしたことがあった。部屋にも一台置いていた。もらったのである。廃棄処分にするからというので。出かけるときは頬に口づけした。ただいまとまた口づけした。就寝前にも。
休みになると配送先の洋品店を自分の足で回った。多くは地域の商店街だった。大型店の出店もまだ一部に限られていた時代だった。どの店も繁盛していた。
ショーウインドの前に立ったのである。マネキンの着飾った姿を見るためだった。その時である、記号を付けたのは。自分が思ったようなイメージに着せられているか。自分の配送したマネキンである。裸のまま送り届けたのだ。後は知らないというわけにはいかない。そして「名前」もつけたのである。つけてもらってないからだ。部屋のマネキンには最初からつけた。「瑠美」と。正式な同棲相手となったのである。
なぜこんなことを思い出したのだろう。違う、思い出そうとしているのだ。でもおかしい。そんなはずがない。思い出すはずがないのだ。
かりに草薙であったとしても円二などではない。それにマネキンを置いたことなどない。いやないはずだ。「瑠美」の前に立ったとき、置いてもいい、置きたいと思っただけだ。
それでもこんなことまで思っているのだ。ぼくはヤマにいる。飯場に。《瑠美》のために事件を起こして。彼女を守るためだった。傷害事件だった。大けがをさせてしまったのだ。身勝手ということで実刑だった。〝《彼女》を愛するあまり〟と新聞や週刊誌に面白おかしく書きたてられた。誰からも見向きされなくなる。そのまま逃げ出したのである。
ヤマに入ると、慣れない重労働が待っていた。でもほかに生きる場所はない。ここしかない、そう思ってスコップを握りしめているのである。
そのぼくを援けてくれる者がいる。頭に白いものが混じった毬栗頭の年配者だった。小柄だったが頑強な体をしている。眩しいほどの輝きだったのである。
わざわざ現場監督に申し出て、自分のもとにつけてくれるようにと手配してくれたのである。それを、なにも言わなくてもいい、というのだった。お礼を言おうとしたことだった。それに経歴のこともだった。「事件」のことだった。服役したことだった。話しておくべきだと思ったからだ。でもいいというのである。
それでもと、打ち開けようとすると、じゃ女の話でも聞かせてくれというのだった。
でもぼくにとって「女」は、「瑠美」だった。結局、経歴の話になってしまう。思い切って打ち明ける。
笑われも呆られもしなかった。そうか、《女》のために臭い飯を喰ってきたのか、そう言われただけだった。

 夜久良は公園にいた。これも円二に教えられた都心の公園だった。夜の公園だった。『手帖』を取り出す。もう一度自分のために使えというのか、ちがう、それでは逆になってしまう。ただしくない。使い直せと言っている。使い切って欲しかったからだと。
だから、ぼくのために準備しておいてくれたのだ。夜の訪問を。「瑠美」との夜会を。違う。再会を。やり直しを。夜久良は、促されるようにその一頁をめくる。頁の終りに「→」をつける。矢印の先に新しい頁を立てる。再び「瑠美」の名を書きつける。

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