2012年7月31日火曜日

[う]2 運河沿いの画家たち




   

その運河は、鉤の手に曲がって北の海から引きこまれていた。反対に捉えれば(見れば)鉤の手の先で北の海に延びていた。横に長く延びた運河の一方の岸には、隙間なく並んだ小船が横一列に繋留されている。多くは早朝の漁を終えた後の、舷側の乾きのなかで、今は浮かぶためにだけ浮かんでいる小型漁船の群れである。反対側の岸には、示し合わせたように背丈を合わせた、相応に時間を経た風情のある倉庫群が運河沿いに建ち並んでいる。そのなかでも長い年月を運河とともに過ごしてきたらしい、運河色とでも言うべきくすんだ色合いを、しかしそれがかえって運河の面を緩やかに揺らす鈍い揺蕩いと呼気を合わせているかのような年代物の煉瓦造りもある。
倉庫群が途切れると、切れるのに合わせるようにして運河も終わる。終わった先には、北の海の海岸線の一部が遠近感を演じてみせるかのように唐突に姿を現す。建物が視界を遮っていて続きが追えないが、そのまま彎曲しながら半島に延びているはずである。
限られた視界内からは、数隻の中型船を横付けにした数本の桟橋が海面に延びている。一本の桟橋は、赤錆びた船腹を晒した貨物船を繋留している。船員の姿も貨物の山も見当たらない。積み荷を降ろしてしまったにしても、このまま出航することなく役目を終えて余生を桟橋で送ろうとしているかのようにひっそりと静まり返っている。その手前の別の桟橋には程なく出航時間を迎えようとしている観光船が、貨物船とは対照的に塗り直したばかりの白地に淡い青のストライブを上下に重ねた船体を凪いだ海面に瑞々しく浮べている。
甲板上は観光客の笑い声に溢れている。と言ってもその笑い声は運河縁に届く前に上空に拡散してしまう。それがかえって別世界を広げている。聞こえない賑わしさのなかで繋留綱が解かれ、スクリュー音が少しずつ高まると、離岸を待ち切れずにさらに大きく手を振る若い女性観光客たちの声が、分かっていてもそこからは届かない街に向かって発せられる。鈍いスクリューの唸り声が彼女たちの高ぶった気分を煽る。その高揚感のなかでおもむろに桟橋を離れた観光船は、一気にエンジン音を高め、船首をもたげ気味にして円弧を描くように外海に滑りだしていく。
取り残された桟橋が、左右に分かれる航跡を呆然と見送っている。やがて海面が凪を取り戻した時、いささか気だるさを増した港湾風景が、なにごともなかったかのようにもとの昼下りの静けさを取り戻していく。街中とは正反対だけでなく目と鼻の先でありながら別の時間を刻んでいる。観光客で賑わう、北の国でも知られた観光地の一つが演じる、まさしく場外劇にすぎないような真昼の喧騒とその後に深まる倦怠感だった。
 
再び運河沿いの一人となって海岸縁から戻した目線をあたりに注いだ彼は、「すいません」と迷いに迷って声をかけた。いや最前まで遠くに目をやっていたのも、実のところ呼吸を整えて、場外劇の終焉を機に決意をし直すためだった。
背後から声をかけられた絵描きは、絵筆を握った手をキャンパス上に止めて、少しだけ肩を背中に回して見せたが、応ずる気配はなく、また何ごともなかったかのように肩を戻してキャンバスに対峙した。彼はうろたえた。声をかけたこと以上に制作を不用意に中断させてしまったっことを。詫びた。詫びの一声に画家が小さく頷いた。再び絵筆が動き始めたのに救われたような思いで彼は後退った。
運河沿いには多くの日曜画家たちがイーゼルを思い思いに立てていた。とくに運河が終わった場所の小広場に集う画家たちの姿は運河沿いの風景の一つにさえなっていた。「運河沿いの画家たち」と題した絵画作品も写真家を含めて定番の題材になっていた。
でも彼が話しかけたその絵描きは、一団から大きく離れた場所にイーゼルを立てていた。人気のない場所だった。画幅の広がりも遠近感もともに中途半端にしか得られない場所だった。理由があって選んでいるのか、そうでなければまだ場所も碌に選べられない初心者が、先客が居ないことを良いことに安易に選ぶ場所だった。熟練者の集う一団の揶揄した笑い声が聞こえてくるかのようだった。
近くにはベンチがあった。運河沿いの散策路に据え付けられた、住人のためと言うより今では観光客のための休憩用ベンチだった。しかし、折角のベンチも絵描きが選んだこの場所に限っては充分にその役目を果たしていたとは言えない。適当に腰を休めても長いはしないからである。すぐに離れてしまう。眺めが良くないからだった。
しかも、今は一人の絵描きが目の前で制作を続けている。ベンチからはキャンバスが丸見えだった。既得権はベンチの方にあったが、いつまでも座っているとまるで覗いているように思われてしまう。
でもこれも別のベンチの話になると状況は一変する。運河沿いの画家たちはもともと覗かれるのを厭わなかった。反対だった。快くさえ思っていたからだった。しかもその内心の思いを表明するかのように一団が漂わせている雰囲気には、通行人に対して解放的なもの、同時に特権的なものがあった。近くには仮設のテントが張られ野外展のようなミニ展示が頻繁に行われていた。販売も行っていた。
近くには何脚ものベンチが据えられていた。運河を一望できる最良の景観が約束されていたからである。それだけではなかった。増設もされていた。市民でもあった画家たちが要望したのである。自分たちの休憩場所以上に観客席として機能するからであった。観光スポットの一部となっていることに画家たちはみな自覚的だった。貢献しているとも思っていた。自慢でさえあった。市内では「運河沿いの画家たち」と呼ばれていた。
誰もが自由にイーゼルを立てられる場所だったが、街の有力絵画サークルが占有していた。市議会で問題になったことがあったが、事情を知らない新人議員からの発言だった。



   

最初の日、絵描きは運河の畔に立ちつくしていた。彼の方が先客だった。人気のないこの場所で一時を過ごすのは彼の日常生活の一部になっていた。頭を休めたり気分を切り替えたりするためであった。だから何もしないで一時間でも二時間でも過せる。
しかし大抵は通行人によって彼の静寂は破られる。通行人と言っても日中は大半が観光客である。いかにも地元然とした風情を漂わせて、気兼ねなく尋ね易い雰囲気を漂わせていたからだろう、老若男女を問わずしばしば問いかけられた。
たいていは道を尋ねるものだった。近くを訊かれることもあれば遠くもあった。美味しい食事処を尋ねられる場合もあった。ただ話しかけられるだけのこともあった。住みやすい街かと訊かれる。観光客に辟易していないかと訊かれる。訊いている本人に向かってそうかもしれないとは言えない。言ったとしても気分は害しそうにない。ただ街を歩いているだけではつまらなくなって、地元の人となにか話していきたいのである。その方が旅の味わいも深まる。それでもそれだけでは終わらずに、すこし打ち解けてくると、昼間からこんなところに居て何の仕事をしているのかとずうずうしく訊かれることもある。もっと訊きたい、一緒にお茶しない? と誘われることもある。二人か三人連れの若い女性たちである。
その日、絵描きは三〇分ほどして立ち去った。当然である。別の場所を探した方が好い。一団とは別の絵描きであることは身形ですぐ分かった。それにデビュー風でもあった。この運河沿いのことなら彼は何でも知っている。始めてみる顔だったからである。ただスケッチブックを抱えているだけだったので頭から絵描きと決めつけていいか迷ったが、彼の直感のなかでは絵描きだった。そして勘は外れない。
彼は絵描きの後ろ姿を目で追った。然るべく次の場所を探しているからか、ゆっくりした足取りで一歩一歩確かめるように運河沿いの偽木に手を掛けながら横歩きのようにして移動していった。でも途中で運河縁を離れてしまった。一団が占めている場所が近づいたからだろうと思った。
何の変哲もないこの一画で絵描きは思いつめたように前を見つめていた。絵描きの後ろ姿がまだ瞼の奥に止まっていた。絵描きが見つめていた方向に彼の視線が注がれる。分かっていたことだとはいえ、倉庫の壁によって彼の視界は遮られてしまう。両並びも同じである。やはりその先を塞ぐように壁が横に延びている。彼は立ち上って運河縁に立った。絵描きと同じ敷石を確認して足を置いた。そうすれば気がつかなかったなにかが見つかるかのようにして。
試しに時計に目をやる。三〇分後の時間を確認する。ベンチの三〇分を長いと感じたことはないのに、長い三〇分だった。それに何も見えなかった。感じることもできなかった。ベンチでの自由な空気も壁に塞がれてしまった感じだった。ただ倉庫の壁が塗り替えられてそれほど時間が経過していないはずなのに、見つめている内に同じ一色でも多色で平面を構成しているように見え、いままでさんざん座っていながら何も見ていなかったことが可笑しく思えた。さらに見つめると多面体がさらに大きな単位の構成に変位し、眼を左右から上下に転ずると一枚の壁が上下に波打っているような錯覚を覚えた。錯覚ではなかった。粗い仕事だと思うと、なにか自分のことにも思え思わず彼は苦笑した。でも三〇分を過ごすには色面の発見だけでは十分ではなかった。物足りなかった。
次ぎの日、彼は少し早めに来た。すでに絵描きは来ていた。イーゼルを立て、キャンバスの上に絵筆を走らせていた。彼はパソコンを膝の上に開いた。打つとはなしに打った。打っては消した。キャッチコピーの試し打ちだった。
彼は、商業デサイナーだった。と言っても、相手は新聞チラシだった。市内の数か所の印刷所とフリー契約を結んで、中小のスーパーマーケットーや時には大型量販店の折り込み広告を制作していた。最初はデザインだけだったが、次第にキャッチコピーもこなした。少しでも経費を落としたい印刷所からの乱暴な依頼だった。
美大を卒業して学生時代からの仲間と結成した制作グループで定期的にグループ展を開催したこと、個展を何度も開いたこと、公募展にも果敢に応募したことも、すでに遠い昔のことになっていた。絵では食べていけないのでいろいろなアルバイトに追われる日々だったが、高校の美術の非常勤講師に就いてからはゆとりのある生活とはいかないまでも安定した日々を送ることができるようになった。制作量も増えた。途中からは子供相手の絵画教室も開いた。勧められたからである。でも数年で閉めた。噂を立てられたからである。少女趣味ではないかと。
彼は独身だった。正確には長く独身だった。一度結婚したことがあったが数年で別れた。見限られたのである。
前日まで二人は普通に暮らしていた。勤め先の学校から戻ると、記入し終えられた離婚届がテーブルの上に置かれていた。簡単なメモ書が添えられていた。早い方がお互いのために良いからと書かれてあった。実家宛に送ってもらいたいとも書かれていた。
そのまま記名捺印して送った。それでも投函する寸前で手を一度止めた。自分の方はまだ十分愛情を養えられると思えたからだった。投函してしまった後でも未練があった。
彼の絵を気に入って付き合いはじめた相手だった。自分をモデルにしてもらいたいと言われた時の妻の直向きな顔が、離婚届に記入する手を止め、捺印を思いとどまらせ、そして投函を躊躇わせた。彼はそれまで人物画を描くことはなかった。それが描いてもいいと思った。その時の彼女の顔が描かせたのだ。
その絵も妻は残していった。それがすべてだった。離婚届以上の重みだった。事実彼女はその絵の上に自分の分は記入済みの離婚届を広げて置いていったのである。彼に残されていたのは、淡々と記入し、事務的に捺印した離婚届を、最後まで君の良き理解者であったことを差し示す思惑のためにも厚く糊付けして投函することだった。彼女が求めていたのが、良い人ではない、それ以上のもの――そのためにはたとえ良い人でなくても構わない、そういうものだったことが分かっていたとしても。



   

最初、見るとはなしに見ていた目線が次第に釘づけにされていく。数メートル先のキャンバスのため、そこに描かれていた絵の内容のためだった。風景ではなかったからである。しかも風景描写でないことがすでに明らかであるにもかかわらず、相変わらずキャンバス越しに目の前の景色に目線を上げ続けているからだった。
なんのための目線だったのか、たしかに風景を前にしているからといえ別に写実的な風景画でなければならないことはない、抽象画であっても一向に構わない。風景の中に抽象を捉えるのは一つの制作態度である。「内面風景No1」とでも名付ければよい。「――壁のなかのささやき――」などとサブタイトルを付けたければそれも構わない。しかし彼の前で行なわれている制作は、内面を覗きこんでいるそれなどではなく、どれをとっても――つまり目線の動きに浮かぶ対象物との対応関係は、まさに風景画の上に現われるそれでしかなかった。にもかかわらずキャンバスに写し取られるのは風景画ではない。なんらかの具象画でもない。形が追いきれないという意味では抽象画だったが、それでも抽象画とも言い切れない。いずれにしても心象風景ではない。ジャンル分けができない。そういうもどかしささえ植え付けられるという意味では、見たことのない絵に分類するしかなかった。
次ぎの日もまたその次の日も同じだった。一日に一点が仕上げられていく。絵描きの目線は彼の不信を募らせるばかりだった。しかし程なくして彼はその訳を知った。理解したのだった。
絵描きが現れて四日目、その日、彼は入稿を早めに済ませて、空いた時間を喫茶店の一画を占めることに費やしていた。行きつけの喫茶店だった。彼の若い頃の作品も飾られている。マスターとは古くからの付き合いだった。デザイン制作のために一日近くいることもある。もう一つの工房のような店だった。代わりに店のチラシを場所代替わりとして無料で請け負う。店では定期的に生演奏がはいる。地元の若者バンドの援助のためだった。
ビルの二階である。運河が一望できる場所だった。例のベンチも道路を挟んだ真向かいに位置しており、喫茶店の窓から見下ろしながら、彼は、よくデザインの構想を練る。時には行き詰まった脳みそに刺激を与えるために、ベンチに腰掛ける人の人生に勝手な成り行きを求めて、それもその人が然らしめた必然として一人納得しては空想に浸る。
絵描きは昨日と同じようにイーゼルを運河縁に立てていた。キャンバスにはすでに塗り残しの余白は認められなかった。それでも同じようにキャンバスから顔を上げて、絵筆の動きを景色のなかで止める。やがて核心を得たかのように動かして見せる。
描き切ったのだろうか、絵筆が置かれた。腰掛けた簡易な折りたたみ椅子の上で上体を起こし気味にしてキャンバスと正対していた。後ろを通りかかる人々がキャンバスを覗きこみながら通り過ぎて行く。
立ち止まる人もいた。声を掛けられたのだろうか、少しだけ肩が動いた。口元は隠れているが、応じているような感じではなかった。背後の通行人だけが無言の背中に話しかけている、そんな感じだった。
解放されるとまた同じようにキャンバスと向きあう。三〇分ほど立った時だった。一人の中年の女性が絵描きに近寄って傍らに佇んだ。最初からそれまでの通行人とは違った感じだった。話しかけない。ただそこに佇んでいるだけだった。微妙な位置関係だった。絵描きの占有空間に一歩踏み込んでいる感じだった。でも絵描きは動じない。二人の関係に関心が湧くがそれだけでは分からない。女性は一歩を踏み出して運河縁の偽木の柵に手を掛けた。
絵描きがそうだったように運河の前の壁と向き合っていた。しばらくして絵描きの手が延びた。女性の腕を掴んだ。掴んだまま腰を上げると、まるで女性の背中を壁のようにして手の平でなぞりながら女性の反対側の傍らに佇む。今度は絵描きの方から話しかけているようだった。中年の女性が軽く頷く。
一人の通行人が立ち止まる。絵描きがその場所を離れたことでキャンバスは歩道側に剥き出しになっている。女性たちのどちらが制作者であるのかを確かめるかのようにキャンバスの傍らに佇む二人の背中を見つめている。若い女性たちの数人のグループも立ち止まる。先客の通行人を交えてキャンバスを扇型に取り囲んでいる。一人の若い女性が手にしていたカメラをキャンバスに向ける。断りの言葉が掛けだれているようには見えなかった。やがて先客は、若い女性グループの一員といっしょになってその場を立ち去る。
その時だった。まるで監視されているのを悟ったかのように、女性が振り返える。上体を偽木の柵で支えながら、少し上体を起こして、反対側の建物の窓を一つ一つ確かめては気配のもとを探っている。そのように見えてしまう。やがて、その目が、彼の窓辺に移される瞬間が来た。十分距離はあった。でも道路越しの目線から逃れるように咄嗟に窓際から顔を離した彼は、窓に背を向けて身を隠す。
考えすぎだった。女性はビルの上に目を上げただけだった。街の背後には山がある。山の稜線をなぞっていたのである。そうだったにちがいない。後からそう思うようになった。それにその日、彼が再び窓の向こうに目にした光景から受けたショックを考えれば、監視していたと思われようと思われまいとたいしたことではなかった。ほんとうに息を呑む思いだったのである、窓の向こうのその二人の女性たちに。
実際、彼は思わず声を上げそうなくらいだった。盲目だったのである。全盲ではなかったかもしれないが、絵を描くための視力は備わっていなかっただろう。風景は見えていなかったのである。中年の女性は母親だったに違いない。そして絵描きは彼女の娘だったのだろう。娘を迎えに来ていたのである。
窓辺に顔をつけて二人の動作を追い続ける彼の前で、イーゼルからキャンバスを外した母親は、合わせにしたキャンバスの四隅をキャンバスクリップで止める。簡易テーブルの上の絵筆を溶液で洗い、パレットの絵の具を布切れで拭き取る。処理が終わると絵具箱に一式を納めて布袋に仕舞う。テーブルと椅子を折りたたみ、紐を掛ける。
その間、娘は渡されたキャンバスを両手でおさえ、手渡された専用の肩掛け袋にキャンバスの角を確かめながら仕舞いこむ。仕舞い終わると偽木に立て掛ける。もちろん手探りにである。倒れないように確かめ、確かめ終わると、中空に手を差し伸べイーゼルの一端を捉える。捉えるともう一方の手を伸ばしてイーゼルの頭を捉え、捉えたとこからイーゼルの形を確かめるように撫で下ろし、やがて足のネジを捕える。捕えるとネジを一本ずつ緩めて足を縮める。渡された紐で結わえる。
すでに母親は袋に道具を仕舞い込み、イーゼルを手渡されるのを待っている。娘は、前がけの紐を外し、上掛けを脱ぐ。二つを丸めこむと母親に手渡す。母親がそれを肩掛けの布袋に入れ込む。娘はキャンバス袋を肩に掛け、掛けた側の手に椅子を下げる。
二人で手をつないで歩く。
母親の手が娘の足取りに気を配っている。手を引いてないように見せている。キャンバスに向かっている時と同じように大きな軟らかい麦藁帽子が絵描きの娘の顔を被っている。ゆったりとした歩みにつば先が軽く揺れる。肩から背中にかかった黒髪が時々風に膨らむ。見えなくなるまで彼は二人の後ろ姿を追う。



   

中年の女性はやはり母親だった。彼はスケッチブックに描いた何枚もの彼女の娘のクロッキーを母親に見せた。母親は怪しまなかった。代わりに色を付けてもらいたいと頼まれた。そうすれば娘にも見える。自分を描いてくれた絵です、喜ぶと思います、そう言われた。喫茶店の中だった。
母親は彼のことを知っていた。正確には絵画教室として知っていた。個展も見ていた。高校の非常勤講師をしていたことも知っていた。知人の母校だとも教えられた。
そんなこともあって娘を通わせよとしていたとも教えられた。小さい時から絵の好きな子だった。交通事故に遭って脳を強く打ってから視力が落ち、生活上にも支障がでてしまう。視力を失うかもしれないと言われたが、最後のところで止まった。回りも昼間ならぼんやりと見えている。安全のために白杖をもたせているが、なくても出歩ける。でもあまり出歩かない。今、二五歳だと教えられた。
家にいて絵ばかり描いている。家からでは外もあまり見えない、窓際に立てたイーゼルには、それでも風景のようなものが描かれている。でもそれは事故に会う前の窓からの景色だった。回りは大きく変わってしまった。でも変わった街の景色ではない。見えていないのか、見えていてもはっきり見えないから描けないのか、それとも描きたくないのか、もしかしたら描きたくないのかもしれない。
交通事故で娘は父親を亡くした。二人で歩いていたところを車に跳ねられた。父親は娘を庇おうと咄嗟に強く抱きかかえた。娘は一命を取り留めたが父親は搬送先の病院で亡くなった。
娘のために家を越そうと思った。でも娘は今の家に拘った。自分としても気持ちの整理を付けたかったが、父親の書斎も変えないでとせがまれた。次第にその書斎で娘は長い時間を過ごすようになった。いまではアトリエとして使っている。
外で描きたいと考えているようだった。いろいろの場所に連れて行った。運河はその一つだった。他の場所は大抵一回か二回で終わって別の場所を探してと言われたが、今は気に入っているようだった。しばらく通うかもしれない、それに娘は「先生」のことを気にかけている。自分のことを描いている人がいる、そう口にして、どんな人かしらと言っていた。途中からは娘が運河に足を運ぶ理由にもなっていた。
実は娘に話を聞かされた次ぎの日から「先生」のことを近くの喫茶店で見ていた。お許しください。親としては確かねておかねばならないことでしたから。ほどなくして絵画教室の「先生」だと分かった。窓辺に釘づけになっている私のことを不審に思ったのか、お店のマスターがお冷を注ぎながら「『先生』また描いているな」と微笑んでみせたからだった。自分の方から事情を話すと、マスターは「心配ない人」と言って「先生」のことを教えてくれた。
思わずあの絵画教室の、と旧知の人に思いがけなく出会った時のように驚きというよりは喜びの入り混じった声を上げてしまい、知っているのですかと尋ねられたので、個展を見た話をした。すると、お店の油絵のことを教えられた。窓辺に席を取ることに気をとられていて店内を見回す余裕はなかったが、どこかで見たような絵がかけられているとは思っていた。
そう言い終えると見張っていたことをあらためて謝りながら母親は続けた。しばらく見ていました。「先生」と娘を見較べていました。先生は何枚も娘を描いていました。途中から娘がポーズをとっているのが分かりました、そう言った。



   

彼はまた絵を描くようになった。彼は娘の「先生」になった。彼は娘の絵をたくさん描いた。三人でスケッチ旅行もした。喫茶店で小さな二人展を開いた。「運河沿いの画家たち」が入れ替わり立ち替わりにやってきた。
彼の絵は二重画だった。娘が描いた絵を画面に取り込んでいたからである。一枚の絵の中に娘の肖像画と絵描きの娘の描いた絵が嵌めこまれている。背景をなしているだけの場合もあれば、胸に抱えた構図もある。膝に立てた姿もある。絵描きの娘の作品はすべて額装された絵である。彼はその絵をあえて一枚の中に同化させなかった。同じ絵の中にありながら物理的にも別の絵が紛れ込んだように描いた。額縁の描き方でそれが可能だった。額縁も多様だった。単独だと失敗作のようにも見えた絵も、娘の「原作」と並んだ時、両方の絵はともに別の絵に生まれ変わった。
評判になった。地元紙の記者が取材に来た。彼の若い時の作品のことも訊かれた。でも記者の関心は「原作」の方にあり、当然にその作者の人物像に向けられていた。
彼は応じなかった。もちろん彼女のためにである。「盲目の画家」の見出しは、新聞の紙面を飾るには打ってつけの文句だったかもしれないが、結局、彼女を人々の好奇な目に晒すだけである。それに娘は画家になるために描いているわけではない。自分の目のために描いているのである。それもいつ失われるかもしれない視力に悔いを残したくないからというより、今見えていることにときめきを覚えているからであった。
もちろん視力を失わずに済むかもしれない。その公算の方が強い。場合によれば新たな手術によって今以上に回復されるかもしれない。でも自分の視力の先行きに左右されることはない、そう訴えかけるように彼に語った。
彼は「絵描きさん」と娘を呼んだ。
すると彼女は一生絵描きさんでいようと決める。かりに全盲になった時でもである。今から絵具に点字を貼り付けている。そうなった時の訓練も行っていた。
目を閉じたまま絵具の調合を行う。パレットを使い分ける訓練をする。キャンバスの四辺に手を当てて指を広げて隅からの距離を測る。キャンバスの空間構成を手測りで割り付けるのである。空間を記憶するために別にイーゼルを立て、取り付けたキャンバスと同大のマジック板に形や大きさの異なるマジック釦を使い分けて絵具や調合した色ごとに止める。筆の始点と終点にである。複雑になるかもしれない。釦が落ちてしまうかもしれない。ずれてしまうかもしれない。彼は「絵描きさん」が混乱するところを想像した。流れる涙を思い浮かべた。
彼は言った。僕の絵で良ければ僕の絵を描きなさいと。彼は彼女の通っていた盲学校の教諭に絵を点字化する方法を打診した。試作品を前に彼女は目を瞑った。何度も点字をなぞった。別に立てたイーゼルのキャンバスの上に距離を移した。その指をわずかに横や縦にずらして空いた手を絵筆に見たてて、始点から終点に色を付けた。さらに別の点字に指を当てて色を読みとる。再び一方の端を読み取ってその距離を移す。同じことを何度も繰り返す。
実作を試みた。別に描いておいた彼の「元図」と比べた。細かいところを見なければ同じ絵だった。もっと複雑にしても大丈夫だろうと彼は思った。彼女もそう言った。でもこれではいつか満足しなくなる、自分の絵ではないからである、そう彼は思った。それにこれでは芸術とは言えない。複雑になればなるほど技の世界になってしまう。彼女がそれでも良いと言っているのは自分を敬ってくれているだけで、作品の再現を通じて創意に疑問を抱き始めれば事情は変わる。教師を越えたくなる。ことが芸術なら当然である。
彼は提案した。逆になろうと。再現役は自分の方がなろうと。彼は彼女の手になる。心にもなる。彼女の心を抽き出す。視力のために彼女が知らない色を彼女の心に植え付ける。彼女の芸術を育む。
でもいつまでですかと訊かれる。ずっとですかと訊かれる。訊かれるのを分かっていて提案したことになる。

     ※

 運河沿いの画家たちは朝から陽気な声を上げている。市展に向けて絵筆を競う。観光客も朝早くから繰り出している。彼は久しぶりに運河沿いの画家たちの作品を見に行く。「運河の一年展」がテントの下で開かれていたからである。
同じ構図の風景画が、季節の彩りを添えて春夏秋冬図風に連作されている。あえて屏風絵と記されている作品がある。時代を遡った想像裡で描かれた運河風景図もある。大正ロマンの色合いが復元されている。ガス燈に照らされた運河の水面が橙色に浮かび上がっている。運河縁を行くのは着物姿の女性である。この街の昔を懐かしんだ作品である。でも哀しい女性の町であったことを知らない人の絵である。
残雪の裏山を背景にした早春の運河図がある。出漁の漁船が運河を回り込んで海に出ていく景色もある。初夏の運河図である。反対に雪に埋め尽くされた白一色の風景画がある。意欲的な色遣いであり手馴れた筆遣いである。厳冬の運河を動的に捉えようと白の中に風を捉えて粉雪を舞い上げている。人を寄せ付けない冬の運河が描き出されている。サークル賞受賞の札が下げられている。
一枚の絵が彼の足を止めた。風景の一部をズームアップしたかのような構図だった。運河縁のベンチから腰を上げてキャンバスに向かう若い女性の背後に佇む一人の男を大写しにした絵である。男は背後から声をかけている。絵描きの若い女性の少し傾いた肩が背後を気にかけている。座った姿より絵に変化が出るからだろうが、そんなに真後ろに立った覚えはなかった。「運河縁の人模様」という在り来たりのタイトルがかえって秘密を覗かれたかのような思いにさせる。
 彼は自分のベンチの方角に向かい合った。彼女は手術を前に大学病院に入院している。海に張り出した街の東を限る山並の稜線の上に目線を上げる。山の向こうには彼女が入院した大都市が広がっている。大学病院の窓に付き添いの母親と二人で佇んでいる姿が浮かび上がる。今度また運河縁にイーゼルを立てる、そうしようと思う。

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