2012年7月31日火曜日

[う]2 運河沿いの画家たち

[う]2 その運河は鉤の手に曲がって北の海から延びていた。運河の一方の岸には隙間なく小船が繋留されている。多くは小型漁船である。反対側には運河に沿って背丈を合わせた倉庫群が建ち並んでいる。中には年代物の煉瓦造りもある。倉庫群が途切れると運河も自然と終わる。終わった先には北の海の湾曲した海岸線の曲がり始めた一部が見渡せる。
 その一画から延びる数本の桟橋には数隻の中型船が横付けにされている。一本の桟橋には赤錆びた船腹を晒した貨物船が横付けされている。船員の姿も貨物の山も見当たらない。このまま出航することなく役目を終えて余生を桟橋で送ろうとしているかのようにひっそりと静まり返っている。さらに手前の別の桟橋には程なく出航時間を迎えようとしている観光船が、貨物船とは対照的に塗り直したばかりの白地に淡い青のストライブを上下に重ねた瑞々しい船体を凪いだ海面に浮べている。
甲板には観光客の笑い声が溢れ、運河縁に届く前に空に吸い上げられている。やがて繋留綱が解かれスクリュー音が高まると、離岸を待ち切れずにさらに大きく手を振る若い女性観光客たちの声が、そこからは届かない見知らぬ街に向かって発せられる。北の中都市の港湾風景の昼下がりである。
 
 
迷いに迷って彼は声をかけた。絵描きは、絵筆を握った手をキャンパス上に止めて少しだけ肩を背後に傾けたが、彼の言葉にも応ずる気配はなく、また肩を戻してキャンバスに対峙した。彼はうろたえた。咄嗟に制作を不用意に中断させてしまったっことを詫びた。画家の小さな頷きに救われた。再び絵筆が動き始めたのを確かめて彼は後退った。
運河沿いには多くの日曜画家たちがイーゼルを思い思いに立てていた。とくに運河が終わった場所の小広場に集う画家たちの姿は運河沿いの風景の一つにさえなっていた。「運河沿いの画家たち」と題した絵画作品も写真家を含めて定番の題材になっていた。
でも彼が話しかけたその絵描きは、一団から大きく離れた場所にイーゼルを立てていた。人気のない場所だった。画幅の広がりも遠近感もともに中途半端にしか得られない場所だった。理由があって選んでいるのか、そうでなければまだ場所も碌に選べられない初心者が、先客が居ないことを良いことに安易に選ぶ場所だった。熟練者の集う一団の揶揄した笑い声が聞こえてくるかのようだった。
近くにはベンチがあった。運河沿いの散策路に据え付けられた、住人のためと言うより今では観光客のための休憩用ベンチだった。しかし折角のベンチも絵描きが選んだこの場所に限っては充分にその役目を果たしていたとは言えない。適当に腰を休めても長いはしないからである。すぐに離れてしまう。眺めが良くないからだった。しかも今は一人の絵描きが目の前で制作を続けている。ベンチからはキャンバスが丸見えだった。既得権はベンチの方にあったが、いつまでも座っているとまるで覗いているように思われてしまう
でもこれも別のベンチの話になると状況は一変する。運河沿いの画家たちはもともと覗かれるのを厭わなかった。反対だった。快くさえ思っていたからだった。しかもその内心を表明するかのように一団が漂わせている雰囲気には通行人に対して解放的なものがあった。近くには仮設のテントが張られ野外展のようなミニ展示が頻繁に行われていた。販売も行っていた。
近くには何脚ものベンチが据えられていた。運河を一望できる最良の景観が約束されていたからである。それだけではなかった。増設もされていた。市民でもあった画家たちが要望したのである。自分たちの休憩場所以上に観客席として機能するからであった。観光スポットの一部となっていることに画家たちはみな自覚的だった。貢献しているとも思っていた。自慢でさえあった。市内では「運河沿いの画家たち」と呼ばれていた。
誰もが自由にイーゼルを立てられる場所だったが、街の有力絵画サークルが占有していた。市議会で問題になったことがあったが、事情を知らない新人議員からの発言だった。

♪♪
最初の日、絵描きは運河の畔に立ちつくしていた。彼の方が先客だった。人気のないこの場所で一時を過ごすのは彼の日常生活の一部になっていた。頭を休めたり気分を切り替えたりするためであった。だから何もしないで1時間でも2時間でも過せる。
しかし大抵は通行人によって彼の静寂は破られる。通行人と言っても日中は大半が観光客である。地元然とした風情を漂わせて尋ね易い雰囲気を漂わせていたからだろう、老若男女を問わずしばしば問いかけられた。大抵は道を尋ねるものだった。近くもあれば遠くもあった。美味しい食事処を尋ねられる場合もあった。ただ話しかけられることもあった。住みやすい街かと訊かれる。観光客に辟易していないかと訊かれる。すこし話が続くと昼間からこんなところに居て何の仕事をしているのかとずうずうしく訊かれることもある。もっと訊きたい、一緒にお茶しない?と誘われることもある。
その日、絵描きは30分ほどして立ち去った。当然である。別の場所を探した方が好い。一団とは別の絵描きであることは身形ですぐ分かった。それにデビュー風でもあった。この運河沿いのことなら彼は何でも知っている。始めてみる顔だったからである。ただスケッチブックを抱えているだけだったので頭から絵描きと決めつけていいか迷ったが、彼の直感のなかでは絵描きだった。そして外れない。
彼は絵描きの後ろ姿を目で追った。次の場所を探しているためか、ゆっくりした足取りで一歩一歩確かめるように運河沿いの偽木に手を掛けながら移動していった。でも途中で運河縁を離れてしまった。一団が占めている場所が近づいたからだろうと思った。
何の変哲もないこの場所で絵描きは思いつめたように前を見つめていた。彼の関心を引いた絵描きの後ろ姿がまだ瞼の奥に止まっていた。絵描きが見つめていた方向に彼も視線を注いだ。倉庫の壁が視界を遮っているだけだ。両並びも同じように塞がれている。彼は立ち上って運河縁に立った。絵描きと同じ敷石を確認して足を置いた。
試しに時計に目を遣る。30分後の時間を確認する。ベンチの30分を長いと感じたことはないのに、長い30分だった。それに何も見えてこなかった。感じることもできなかった。ベンチでの自由な空気も壁に塞がれてしまった感じだった。ただ倉庫の壁が塗り替えられてそれほど時間が経過していないはずなのに、見つめている内に同じ一色でも多色で平面を構成しているように見え、いままでさんざん座っていながら何も見ていなかったことが可笑しく思えた。さらに見つめると多面体がさらに大きな単位の構成に変位し、眼を左右から上下に転ずると一枚の壁が上下に波打っているような錯覚を覚えた。錯覚ではなかった。粗い仕事だと思うと、なにか自分のことにも思え思わず彼は苦笑した。でも30分を過ごすには色面の発見だけでは物足りなかった。
次ぎの日、彼は少し早めに来た。すでに絵描きは来ていた。イーゼルを立て、キャンバスの上に絵筆を走らせていた。彼はパソコンを膝の上に開いた。打つとはなしに打った。打っては消した。キャッチコピーの試し打ちだった。
彼は商業デサイナーだった。と言っても相手は新聞チラシだった。市内の数か所の印刷所とフリー契約を結んで中小のスパーや時には大型量販店の折り込み広告を制作していた。最初はデザインだけだったが、次第にキャッチコピーもこなした。少しでも経費を落としたい印刷所からの乱暴な依頼だった。
美大を卒業して学生時代からの仲間と結成した制作グループで定期的にグループ展を開催したこと、個展を何度も開いたこと、公募展にも果敢に応募したことも、すでに遠い昔のことだった。生活のために高校の非常勤講師を長く続けていた。途中からは子供相手の絵画教室も開いた。数年で閉めた。噂を立てられたからである。少女趣味ではないかと。
彼は独身だった。正確には長く独身だった。一度結婚したことがあったが数年で別れた。見切りを付けられたのである。
前日まで二人は普通に暮らしていた。勤め先の学校から戻ると、記入し終えられた離婚届がテーブルの上に置かれていた。簡単なメモ書が添えられていた。早い方がお互いのために良いからと書かれてあった。実家宛に送ってもらいたいとも書かれていた。
そのまま記名捺印して送った。それでも投函する寸前で手を一度止めた。自分の方はまだ愛していると思えたからだった。彼の絵を気に入って付き合いはじめた相手だった。自分をモデルにしてもらいたいと言われた時の妻の直向きな顔が思い起こされたのだった。彼はそれまで人物画を描くことはなかった。それが書いてもいいと思ったからだった。その絵も妻は残していった。

♪♪♪
最初、見るとはなしに見ていた目線が次第に釘づけにされていく。数メートル先のキャンバスに描かれていた絵の内容のためだった。風景ではなかったからである。しかも風景描写でないことがすでに明らかであるにもかかわらず、相変わらずキャンバス越しに目の前の景色に目線を上げているからだった。なんのための目線の動きだったのか、たしかに風景を前にしているからといえ別に写実的な風景画でなければならないことはない、抽象画であっても一向に構わない。風景の中に抽象を捉えるのは一つの制作態度である。「内面風景No1」とでも名付ければよい。サブタイトルを付けたければそれも構わない。しかし彼の前で行なわれている制作は風景画のためのそれでしかなかった。彼の観たことのない絵だった。
次ぎの日もまたその次の日も同じだった。一日に一点が仕上げられていく。絵描きの目線は彼の不信を募らせるばかりだった。しかし程なくして彼はその訳を知った。理解したのだった。
絵描きが現れて四日目、その日、彼は入稿を早めに済ませて喫茶店の一画を占めたていた。行きつけの喫茶店である。彼の若い頃の作品も飾られている。マスターとは古くからの付き合いだった。デザイン制作のために一日近くいることもある。もう一つの工房のような店だった。
ビルの2階だった。運河が一望できる場所だった。ベンチも道路を挟んだ真向かいに位置しており、喫茶店の窓から見下ろしながら彼はよくデザインの構想を練る。時には行き詰まった脳みそに刺激を与えるために、ベンチに腰掛ける人の人生に勝手な必然を求めて一人納得して見せる。
絵描きは昨日と同じようにイーゼルを運河縁に立てていた。キャンバスにはすでに塗り残しの余白は認められなかった。それでも同じようにキャンバスから顔を上げて、絵筆の動きを景色のなかで止める。やがて核心を得たかのように動かして見せる。
描き切ったのだろうか、絵筆が置かれた。腰掛けた簡易な折りたたみ椅子の上で上体を起こし気味にしてキャンバスと正対していた。後ろを通りかかる人々がキャンバスを覗きこみながら通り過ぎて行く。立ち止まる人もいた。声を掛けられたのだろうか、少しだけ肩が動いた。口元は見えなかったが、応じているような感じではなかった。背後の人だけが無言の背中に話しかけている、そんな感じだった。
解放されるとまた同じようにキャンバスと向きあう。30分ほど立った時だった。一人の中年の女性が絵描きに近寄って傍らに佇んだ。話しかけている感じではなかった。ただそこに佇んでいるだけだった。それだけでは俄かに二人の関係は分からなかった。女性は一歩を踏み出して運河縁の偽木の柵に手を掛けた。
絵描きがそうだったように運河の前の壁と向き合っていた。しばらくして絵描きの手が延びた。女性の腕を掴んだ。掴んだまま腰を上げると、まるで女性の背中を壁のようにして手の平でなぞりながら女性の反対側の傍らに佇む。今度は絵描きの方から話しかけているようだった。中年の女性が軽く頷く。
通行人が、絵描きがその場所を離れたことで剥き出しになったキャンバスを覗きこんでいた。どちらが制作者であるのかを確かめるかのようにキャンバスの傍らに佇む二人の背中に目を上げる。若い女性たちの数人のグループも立ち止まる。先客の通行人を交えてキャンバスを扇型に取り囲んでいる。一人の若い女性が手にしていたカメラをキャンバスに向ける。断りの言葉を掛けていたようには思えなかった。先客は若い女性グループの一員と知らない間にいっしょになってその場を立ち去っていく。
まるで監視されているのを悟ったかのように女性が振り返った。腰を偽木の柵で支えながら少し上体を起こして反対側の建物の窓を道路越しに一つ一つ確かめるように見つめていた。やがてその目が彼の窓辺に移される瞬間が来た。咄嗟に窓際から顔を離すと、彼は窓に背を向けた。
考えすぎだった。女性はビルの上に目を上げただけだった。街の背後には山がある。山の稜線をなぞっていたのである。後日そう思うようになった。それにその日、彼が再び窓の向こうに目にした光景を考えれば、監視していたと思われようと思われまいとたいしたことではなかった。息を呑む思いだったのである。窓の向こうの二人に。
実際、彼は思わず声を上げそうだった。盲目だったのである。全盲ではなかったかもしれないが、絵を描くための視力は備わっていなかっただろう。風景は見えていたかなかったのである。中年の女性は母親だったに違いない。そして絵描きは彼女の娘だったのだろう。娘を迎えに来ていたのである。
彼は喫茶店の窓に顔を寄せ、二人の動作を交互に見返していた。母親はイーゼルからキャンバスを外し、合わせにしたキャンバスの四隅をキャンバスクリップで止める。簡易テーブルの上の絵筆を溶液で洗い、パレットの絵の具を布切れで拭き取る。処理が終わると絵具箱に一式を納めて布袋に仕舞う。テーブルと椅子を折りたたみ紐を掛ける。
その間、絵描きの娘は渡されたキャンバスを両手でおさえ、手渡された専用の肩掛け袋にキャンバスの角を確かめながら仕舞いこむ。仕舞い終わると偽木に立て掛ける。もちろん手探りにである。倒れないように確かめ、確かめ終わると、中空に手を差し伸べイーゼルの一端を捉える。捉えるともう一方の手を伸ばしてイーゼルの頭を捉え、捉えたとこからイーゼルの形を確かめるように撫で下ろし、やがて足のネジを捕える。捕えるとネジを一本ずつ緩めて足を縮める。渡された紐で結わえる。
すでに母親は袋に道具を仕舞い込み、イーゼルを手渡されるのを待っている。絵描きの娘は、前がけの紐を外し、上掛けを脱ぐ。二つを丸めこむと母親に手渡す。母親がそれを肩掛けの布袋に入れ込む。娘はキャンバス袋を肩に掛け、掛けた側の手に椅子を下げる。
二人で手をつないで歩く。母親の手が娘の足取りに気を配っている。手を引いてないように見せている。キャンバスに向かっている時と同じように大きな軟らかい麦藁帽子が絵描きの娘の顔を被っている。ゆったりとした歩みにつば先が軽く揺れる。肩から背中にかかった黒髪が時々風に膨らむ。見えなくなるまで彼は二人の後ろ姿を追う。

♪♪♪♪
中年の女性はやはり母親だった。彼はスケッチブックに描いた何枚ものクロッキーを母親に見せた。母親は怪しまなかった。代わりに色を付けてもらいたいと頼まれた。そうすれば娘にも見える。自分を描いてくれた絵です、喜ぶと思います、そう言われた。喫茶店の中だった。
母親は彼のことを知っていた。正確には絵画教室として知っていた。個展も観ていた。高校の非常勤講師をしていたことも知っていた。知人の母校だとも言った。
そんなこともあって娘を通わせよとしていたとも教えられた。小さい時から絵の好きな子だった。交通事故に遭って脳を強く打ってから視力が落ち、生活にも支障がでた。視力を失うかもしれないと言われたが、最後のところで止まった。回りも昼間ならぼんやりと見えている。安全のために白杖をもたせているが、なくても出歩ける。でもあまり出歩かない。今25歳だと教えられた。
家にいて絵ばかり描いている。家からでは外もあまり見えない、窓際に立てたイーゼルには、それでも風景のようなものが書かれている。でもそれは事故に会う前の窓からの景色だった。回りは大きく変わってしまった。でも変わった街の景色ではない。見えていないのか、見えていてもはっきり見えないから描けないのか、それとも描きたくないのか、もしかしたら描きたくないのかもしれない。
交通事故で娘は父親を亡くした。二人で歩いていたところを車に跳ねられた。父親は娘を庇おうと咄嗟に強く抱きかかえた。娘は一命を取り留めたが父親は搬送先の病院で亡くなった。
娘のために家を越そうと思った。でも娘は今の家に拘った。自分としても気持ちの整理を付けたかったが、父親の書斎も変えないでとせがまれた。次第にその書斎で娘は長い時間を過ごすようになった。いまではアトリエとして使っている。
外で描きたいと考えているようだった。いろいろの場所に連れて行った。運河はその一つだった。他の場所は大抵一回か二回で終わって別の場所を探してと言われたが、今は気に入っているようだった。しばらく通うかもしれない、それに娘は「先生」のことを気にかけている。自分のことを描いている人がいる、そう口にして、どんな人かしらと言っていた。
実は娘に話を聞かされて次ぎの日から「先生」のことを近くの喫茶店で見ていた。絵画教室の「先生」だと分かった。窓辺に釘づけになっている私のことを不審に思ったのか、お店のマスターがお冷を注ぎながら「『先生』また描いているな」と微笑んでみせたからだった。自分の方から事情を話すと、マスターは「心配ない人」と言って「先生」のことを教えてくれた。
思わずあの絵画教室の、と声を上げてしまい、知っているのですかと尋ねられたので、個展を観た話をした。すると、お店の油絵のことを教えられた。窓辺に席を取ることに気をとられていて店内を見回す余裕はなかったが、どこかで見たような絵がかけられているとは思っていた。
そう言い終えると見張っていたことを謝りながら母親は続けた。しばらく見ていました。「先生」と娘を見較べていました。先生は何枚も娘を描いていました。途中から娘がポーズをとっているのが分かりました、そう言った。
 
♪♪♪♪♪
彼はまた絵を描くようになった。彼は娘の「先生」になった。彼は娘の絵をたくさん描いた。三人でスケッチ旅行もした。喫茶店で小さな二人展を開いた。「運河沿いの画家たち」が入れ替わり立ち替わりにやってきた。
彼の絵は二重画だった。娘が描いた絵を画面に取り込んでいたからである。一枚の絵の中に娘の肖像画と絵描きの娘の描いた絵が嵌めこまれている。背景を成しているだけの場合もあれば、胸に抱えた構図もある。膝に立てた姿もある。絵描きの娘の作品はすべて額装された絵である。彼はその絵をあえて一枚の中に同化させなかった。同じ絵の中にありながら物理的にも別の絵が紛れ込んだように描いた。額縁の描き方でそれが可能だった。額縁も多様だった。単独だと失敗作のようにも見えた絵も、娘の「原作」と並んだ時、両方の絵はともに別の絵に生まれ変わった。
評判になった。地元紙の記者が取材に来た。彼の若い時の作品のことも訊かれた。でも記者の関心は「原作」の方だった。その作者のことだった。彼は応じなかった。もちろん彼女のためにである。「盲目の画家」の見出しは、新聞の紙面を飾るには打ってつけの文句だったかもしれないが、結局、彼女を人々の好奇な目にさらすだけである。それに娘は画家になるために描いているわけではない。自分の目のために描いているのである。それもいつ失われるかもしれない視力に悔いを残したくないからというより、今見えていることにときめきを覚えているからであった。
もちろん視力を失わずに済むかもしれない。その公算の方が強い。場合によれば新たな手術によって今以上に回復されるかもしれない。でも自分の視力の先行きに左右されることはない、そう訴えかけるように彼に語った。
彼は「絵描きさん」と娘を呼んだ。すると彼女は一生絵描きさんでいようと決める。かりに全盲になった時でもである。今から絵具に点字を貼り付けている。そうなった時の訓練も行っていた。
目を閉じたまま絵具の調合を行う。パレットを使い分ける訓練をする。キャンバスの四辺に手を当てて指を広げて隅からの距離を測る。キャンバスの空間構成を手測りで割り付けるのである。空間を記憶するために別にイーゼルを立て、取り付けたキャンバスと同大のマジック板に形や大きさの異なるマジック釦を使い分けて絵具や調合した色ごとに止める。筆の始点と終点にである。複雑になるかもしれない。釦が落ちてしまうかもしれない。ずれてしまうかもしれない。彼は「絵描きさん」が混乱するところを想像した。流れる涙を思い浮かべた。
彼は言った。僕の絵で良ければ僕の絵を描きなさいと。彼は彼女の通っていた盲学校の教諭に絵を点字化する方法を打診した。試作品を前に彼女は目を瞑った。何度も点字をなぞった。別に立てたイーゼルのキャンバスの上に距離を移した。その指をわずかに横や縦にずらして空いた手を絵筆に見たてて、始点から終点に色を付けた。さらに別の点字に指を当てて色を読みとる。再び一方の端を読み取ってその距離を移す。同じことを何度も繰り返す。
実作を試みた。別に描いておいた彼の「元図」と比べた。細かいところを見なければ同じ絵だった。もっと複雑にしても大丈夫だろうと彼は思った。彼女もそう言った。でもこれではいつか満足しなくなる、自分の絵ではないからである、そう彼は思った。それにこれでは芸術とは言えない。複雑になればなるほど技の世界になってしまう。彼女がそれでも良いと言っているのは自分を敬ってくれているだけで、作品の再現を通じて創意に疑問を抱きだせば事情は変わる。教師を越えたくなる。芸術なら道理である。
彼は提案した。逆になろうと。再現役は自分の方がなろうと。彼は彼女の手になる。心にもなる。彼女の心を引き出す。視力のために彼女が知らない色を彼女の心に植え付ける。彼女の芸術を育む。
でもいつまでですかと訊かれる。ずっとですかと訊かれる。訊かれるのを分かっていて提案したことになる。

 運河沿いの画家たちは朝から陽気な声を上げている。市展に向けて絵筆を競う。観光客も朝早くから繰り出している。彼は久しぶりに運河沿いの画家たちの作品を観に行く。「運河の一年展」がテントの下で開かれていたからである。
同じ構図の風景画が、季節の彩りを添えて春夏秋冬図風に連作されている。あえて屏風絵と記されている作品がある。時代を遡った想像裡で描かれた運河風景図もある。大正ロマンの色合いが復元されている。ガス燈に照らされた運河の水面が橙色に浮かび上がっている。運河縁を行くのは着物姿の女性である。この街の昔を懐かしんだ作品である。でも哀しい女性の町であったことを知らない人の絵である。
残雪の裏山を背景にした早春の運河図がある。出漁の漁船が運河を回り込んで海に出ていく景色もある。初夏の運河図である。反対に雪に埋め尽くされた白一色の風景画がある。意欲的な色遣いであり手馴れた筆遣いである。厳冬の運河を動的に捉えようと白の中に風を捉えて粉雪を舞い上げている。人を寄せ付けない冬の運河が描き出されている。サークル賞受賞の札が下げられている。
一枚の絵が彼の足を止めた。風景の一部をズームアップしたかのような構図だった。運河縁のベンチから腰を上げてキャンバスに向かう若い女性の背後に佇む一人の男を大写しにした絵である。男は背後から声をかけている。絵描きの若い女性の少し傾いた肩が背後を気にかけている。座った姿より絵に変化が出るからだろうが、そんなに真後ろに立った覚えはなかった。「運河縁の人模様」という在り来たりのタイトルがかえって秘密を覗かれたかのような思いにさせる。
 彼は自分のベンチの方角に向かい合った。彼女は手術を前に大学病院に入院している。海に張り出した街の東を限る山並の稜線の上に目線を上げる。山の向こうには彼女が入院した大都市が広がっている。大学病院の窓に付き添いの母親と二人で佇んでいる姿が浮かび上がる。今度また運河縁にイーゼルを立てる、そうしようと彼は思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿