2013年5月31日金曜日

[す] 『砂の女』のなかの「女」

[す] はじめに たしかに唐突だった。『砂の女』が、その口から語られたのは。脈略もなかった。正確には、スクリーンに写し出された一カットの説明(解説者自身による渡航地先の写真説明)に使われた一句――「安部公房の『砂の女』のような砂の中」(やや記憶曖昧)であったので、説明の用をなしていたのである。別段、不用意に持ち出されたわけではない。でもその場限りで、一言を残して次のカットに移ってしまう。カットとともにそのまま立ち消えるはずだった。
そうならなかった。何か気にかかった。後で確認したが、「特に(深い)意味はない」と聞かされた。でもすっきりしなかった。内面からの一言なはずなのに、そうであっても剥き出しになるのを好としないで、前後関係を断った喋り口になる、そういうタイプなのではないかと疑った。疑えば余計気にかかることになる。しかも、直接には両者(解説者と『砂の女』のなかの「女」)に接点が見出せない。その取り合わせが二重に疑いを深めることになる。そのまま、「『砂の女』のなかの「女」」のタイトルとなった。

1 『砂の女』と「女」論 

諸言 説明するまでもなく、『砂の女』は、作者安部公房を世界的作家にした作品である。刊行後数年で数か国語に翻訳刊行されたが、今やその数は数十か国に及ぶ。昭和44年にはフランスの最優秀外国文学賞を受賞している。世界に広く受け容れられているのは、日本近代小説以来の日本臭をとどめない、出だしから日本との内縁関係を断った、「世界語」で書かれた作品であったからであるが、資質としても、それが余すところなく果たされている点が、世界文学者たる安部公房を日本文学史に稀有な存在とした。
書かれたのは、芥川賞を受賞した「壁―S・カルマ氏の犯罪」(昭和25年(1950)、26歳)から12年後の昭和37年の38歳時である。デビュー時のシュールレアリスチックな時空間には、作品のなかに張り巡らされたフレーム(絵画で言えば、古賀春江の作品に張り巡らされたようなフレーム)が透けて見え、非現実感がやや独り歩きしていた感があったが、『砂の女』には、作り物のはりぼて感はまったくといってよいほどない。むしろ、シュールレアリスチックな時空間に主人公とともに一度闖入してしまった後に待ち構えているのは、生々しい人間ドラマと現実味を増すばかりの小説舞台である。

「女」論への階梯 主人公は、ある一人の「男」である。名前は付けられていない*。「男」あるいは「彼」として呼ばれて、三人称的な意志によって場面を展開していく。場面展開は「男」に委ねられているが、終始、受動態である。閉じ込められた空間のなかでもがくだけである。苛立ちとなって返される徒労の連続である。もう一人の主人公は、「女」である。やはり名前は付けられていない。もし「女」以外の呼び方があるとすれば、この場合、タイトルの「砂の女」しかない。
一方、「男」には「男」以外に相応しい呼び名はないが、砂の壁に閉じ込められた「男」の話であるから、元来、「男」の別名は、「砂の男」である。タイトルとしても構わない。「女」を残して、『砂の男と女』あるいは『砂の女と男』でもよい。しかし、そう仮定してみてあらためてこの作品のタイトルが、『砂の男』でも『砂の男と女』/『砂の女と男』でもなく、やはり『砂の女』でなければならないことが再確認される。合わせて「女」には「砂の女」の別名が許されても、「男」にはそれが許されないことも。これは、作品の核心に触れる部分である。
しかし、安部公房は、「男」を正面に立てる作家である。タイトルにしても『棒になった男』(昭和44年(1969))、『箱男』(昭和48年)、『飛ぶ男』(平成5年(1993)、遺作)が物語るとおりであるし、それ以外の代表作を見ても、「男」の話である。たとえば、『他人の顔』は、「ぼく」であるが、一人称と三人称「彼」との重層である。はじまり方も、実際が「彼」からである。『密会』(昭和52年)では冒頭から「男」――「性別 男、(中略)、以下の報告は、右の男に関する報告である」と続いていく。個人名詞を使う場合でも『壁―S・カルマ氏の犯罪』(昭和26。年芥川受賞作ほかで再編刊行)のとおり男名である。
人称の重層形も、また男名も用いず、単純一人称(?)「ぼく」の場合(『燃えつきた地図』(昭和42年))は、一人称話者であるため、「女」との相克もより弁証法的になるが、それでも「男」の観念体系より前に出ることはない。結果として「女」(の観念体系)に操られていたとしても、また、人格的にも後れを取っていたとしても(『他人の顔』)、結論として導き出されるのは、それが肯定、否定のいずれであっても、「男」の枠内である。
『砂の女』も原則同じである。正面に立つのは「男」でしかない。そればかりか、『砂の女』の「女」の場合は、「男」の饒舌性の前で言われるままに控えていて、物言わぬ一個の物のようでさえある。にもかかわらずタイトルを勝ち取ったのは、「男」ではなく「女」の方である。それ以外には考えられない題名であった。この違いが、安部作品のなかの「女」の扱われ方でも、「砂の女」に特徴的な点である。決定的な相違でもある。「女」が、無言の中にあり、その一方で生身を晒すからである(後述)。以下は、「砂の女」が語る「女」論である。

*正確には名付けられている。ただし巻末にである。家庭裁判所が発行した「失踪に関する届出の催告」書と、失踪者と認めた「審判」書の「不在者」および「失踪者」としてである。記された名前は、仁木順平である。でも、その名前は、見てのとおり「後付け」である。本稿では、名前はないものと見立てた。見立てることが、小説的意味でもあると理解するからである。

  2 『砂の女』に見る「男」

運命との邂逅 「男」の運命は、一夜の宿を提供されるところから始まる。夕暮を前にして、「男」は、昆虫採集に興じていた。汽車で半日の遠い辺鄙な場所だった。休暇を利用した採集旅行だった。三日月状の砂丘に取り囲まれた漁村だった。彼を怪しんだ土地の老人が近寄ってきた。県庁の役人だと思ったからだった。なにか漁村の調査をしているのではないかと探りを入れに近寄ってきたのである。「県庁?……とんだ人違いだよ……」名刺を差し出した「男」に老人は、「ははあ、学校の先生かね……」と安心し、やがて「男」に「当たり」をつけたと見え、「捕縛」に向けた誘いをしかける。その切り口である。
――「ときに、あんた。これからどうなさるつもりですな?」宿の斡旋に話もっていくためだった。そうとも知らず、「男」は、老人の術中にまんまとはまっていくことになる。バスもお終い、宿泊所もない、そう言われ、では隣の町まで歩きます、そう返したところで、待っていたように斡旋の一言が発せられるのである。「ごらんのとおり、貧乏村で、ろくな家もないが、あんたさえよけりゃ、口をきくくらい、わたしがお世話してあげるがね。」獲物は、ものの見事に針に食いつく。喜んで「好意」を容れる「男」。運命の扉は、今まさに開かれようとしていた。
案内された場所は、砂丘のなかに造られた、大きな穴の縁であった。「天然の要害」のような穴の中に一軒の家が建っていたのである。すでに暗闇が支配している。「男」は促されるままに長い梯子を使って穴のなかに下りていく。再び上がれなくなることなど思いも及ばない。当然である。鄙びた漁村には、善意はあっても、個人の人生を奪い去る悪意が潜んでいるはずがない。一晩の宿(善意の宿)でしかない。明日になれば、また、その梯子を使って地上に戻るのである。しかし、運命は、すでに始まっていた。「男」が下りたのを確かめた後、暗闇に紛れるようにして引き上げられてしまったのである。再び吊り下げられることのない梯子(縄梯子)だった。
まさに運命の梯子だった。あるいは運命へのかけ橋だった。そして、かけ橋の先に待っていたのは、「砂の女」だった。運命との邂逅であった。

「女」との毎日 なぜ砂の穴の中なのか、それは、海風が絶え間なく砂を運んでくるからである。砂を除けないと、家は砂に埋まってしまうのである。除けた砂も最初は土手程度だったのだろうが、やがて屋根の高さを越え、終には砂丘のなかの大穴となって、その中にすっぽりと家を沈める深さになっていたのである。沈んだ状態は、完了形とっているわけではない。現在進行形である。案内された家(宿)で、砂除けの労働に勤しんでいるのは、一人の女だけであった。「砂の女」である。「男」は、そうとも知らず――砂除けの労働力として囚われの身となるとも知らず、闇の底に向け、「民家」での一夜の情趣を楽しむかのように降り下ってしまうのであった。
物語は、砂の穴から出て行けなくなった自分の運命(災難)を、日ごとに深刻な状態として自覚していく形で進められる。運命からの脱出が様々に試みられ、その度にもがき苦しむことになる。ほとんど蟻地獄である。その一方で、「砂の女」は、自分が何をしているのか、犯罪行為(誘拐)に対する罪意識にも乏しいまま、他人行儀に気の毒そうな顔を見せることはあっても、人さらいに見合う悪意の表情を覗かせることなど一度としてない。それどころか、「男」の窮地を他所に、何一つ変わったことがないようにして、同じ日常を漫然と繰り返すのみの風情以上でも以下でもない。男のもがき、苛立ち、懊悩が、強まれば強まるほど、逆に女の無為さが、さらに際立つことになる。
「砂の女」は、描かれるところによれば、「三十前後の、いかにも人の好きそうな小柄の女」で、独り住まいである。でも、最初からそうだったわけではない。1年前の台風で、夫と娘を亡くしてしまったのであった。寡婦だったのである。あるいは砂との同居した寡婦だった。
砂の穴のなかの生活では、如何に砂から身を守るかが第一に優先されるべき事項である。着物を着て寝てしまうと、雨水のように天井から洩れてくる砂で、肌は「砂かぶれ」を起こしてしまう。だから寝姿は、顔だけを手ぬぐいで蔽った以外は素裸である。男が泊っていてもやはり同じスタイルであることが優先される。別段、丸裸に口実をつけようとしているわけではなかった。女の身に無頓着になるには、まだ十分若すぎるし、反対に「砂かぶれ」に事寄せてふしだらな思いを抱いていたわけでもない。翌朝、先に眼覚めた男からその姿が見られてしまった時、しっかりと恥じ入って見せたからである。咄嗟に背を向けたのである。勘違いしたに違いない「男」に対しても、淫らな姿態に関する事の次第を悟らせる。納得した「男」も、なるほどとシャツを脱ぎ去ることになる。

「男」の煩悶 囚われの身になったと分かった瞬間から、「男」の頭の中にあるのはただ一つである。如何にしてこの窮地から我が身を救い出すかである。色々に策略を練る。仮病を使ってみる。上手くいかないと知ると、今度は「砂の女」を縛り上げてしまう。逆人質である。でもそれも徒労に終わる。何をしても上手くいかない。「男」のもがきの傍らで、「砂の女」は、相変らず何も変わったことがないようにしか振舞わない。停滞感を引きずり続けるだけである。その中で決まり事のように「男」に食事を用意し、砂と汗で汚れた体を手ぬぐいで拭ってあげる。
しかし水が断たれる。「男」の逆人質をさらに逆手にとった兵糧攻めであった。村からの水の配給を受けるには、砂上げの労働を再開するしかなかった。交換条件だった。致し方ない。でも音を上げたわけでも野望が潰えたわけでもない。逆である。さらに強まる。忍びのような真似(紐付き投げ鋏?)を使う。計略が功を奏して終に穴の上に出ることができる。しかし、それも一時のことに終わる。逃げ出せたかに見えたが、情けなくも再び連れ戻されてしまう。底なし沼のような砂場に足を掬われてしまい、危うく命を落としかけたところを、村人に救出されるのであった。
 「男」は、物のように穴の底に吊り下げられて、「砂の女」のもとに戻される。翌朝、「男」は、「女」のすすり泣きで目が覚める。「女」は、悲しみと喜びの入り混じった感情で、「失敗した」男の疲れ切った寝顔を傍らから見詰めていたのである。「何を泣いているんだ?」屈辱であった。でも、泣き顔を見破られないように咄嗟に後ろ向きになって、「男」にお茶を淹れようとしている女の姿を見ながら、「男」は、自分に対する哀れさのなかで、「女」の優しさに心が動かされる。
無限とも言っていい抱擁感である。包摂感と言い直すべきかもしれない。大本では村の悪意に加担して、そのおこぼれに預かっていながらも、悪意の「あ」の字もない一人の女である。この女――「砂の女」が、今、男を捉えはじめている。何かが変わりつつある。まだその正体は見えない。ただ、同じ女を思う時、男の妻(あるいは別れた妻、もしくは恋人、愛人……)のことが、不図、頭を過る。「(あいつ、今ごろ、なにかしているだろうな?)……昨日までのことが、何年も昔のことのように感じられた。」述懐にも似た想いを抱いていたのであった。
 
「男」の終着点 最終場面で、縄梯子が吊り下げられたままになり、自由に外に出られるようになっても、「男」のとった行動は、一度登りかけた縄梯子をまた下りてしまうことだった。逃亡失敗の後、しばらく経ってのことである、男は、家の外に据えておいた鴉の仕掛け用の瓶に水が溜っていることを発見する。砂の毛管現象だった。さすがに理科の先生である。穴の中だからこそ起きる現象だった。大発見だった。最大4リットル/日を記録した。これで水の配給に頼る必要もなくなる。
彼は狂喜した。「こうして、蒸水装置の研究が、あらたな日課としてくわえられることになる。」まだ、女には教えていなかった。そうこうするうち、夏に捕えられ、秋に脱出に失敗し、再び砂の穴の生活を始めてから冬が過ぎ、春のはじめになって女が妊娠する。「男」の子供である。「砂の女」は、同じ頃、念願のトランジスターラジオを(内職の甲斐があってようやく)手に入れることになる。砂の穴の中で唯一の楽しみとしていた宝物の入手だった。
しかし、二重の喜びを抱えた「砂の女」の様子は、一切描かれない。二人の関係の変化もまだ明かされようとしない。むしろ「男」は、旧態を引きずっている。さらに2か月が経つ。突然、女が下腹部に激痛を訴える。子宮外妊娠だろうということで(「親類に獣医がいるという部落の誰かが」下した診断で)、町の病院に入院させることになる。
縄梯子が下ろされ、搬出の準備が始まる。やがてサナギのようにくるまれた女が引き上げられ、オート三輪に載せられて運ばれていく。問題はこの後である。用が済んだ後でも、縄梯子は引き上げられずに垂れ下がっていたからである。自由への縄梯子だった。「待ちに待った、縄梯子なのだ……」手を掛けて穴の上にまで登る。遠くに砂煙が立っている。女を載せたオート三輪だった。まだ「研究」(蒸水装置のこと)を教えてなかったことが頭を過る。「……そうだ、別れる前に、罠の正体だけでも教えておいてやればよかったかもしれない。」そう思う。
その時、穴の底で何か動くものを背後に感じる。自分の影だった。影に目を止めると、傍らの「蒸水装置」(「鴉の罠」)にも目が移る。木枠が一本だけ外れている。さっきの引き上げの時だったのだろう。誰かに踏まれてしまった様子である。「男」は縄梯子を下りていく。修理のためである。家の中では、女のトランジスターラジオが、女の不在を他所に勝手に歌い続けていた。無償に悲しくなる。「泣きじゃくりそうになるのを、かろうじてこらえ」、「男」は、水のなかに手を浸してみる。「水は、切れるように冷たかった。」そのままその場にうずくまる。「べつに、慌てて逃げだしたりする必要はないのだ」と呟やいてみる。今、「男」は、「蒸水装置」の前で終着感のなかに蹲っていた。快癒した女を待つ新たな自分を抱きしめていた。「逃げるてだては、またその翌日にでも考えればいいことである。」脱出を中断した現実的な理由が見つけられたことに安堵していた。

3 「砂の女」の「女」像

 「女」論の始発点 安部公房の文学は、冒頭のとおり「男」を正面に立てた世界である。立てられるのは、観念的世界と一体的な「男」である。したがって、知的な内面をもった、もしくはそうした操作が好きな「男」が多い。職業的にもそうである。知的職業――と言ってもそれも状況次第で、すべからく職業は「知的」であるが――に就いている人物が少なくない。「砂の男」の場合は、たまたま学校の教師であったことになる。
砂は、それが土壌学的な研究対象から、住処の存続を左右する物理的条件に様変わりした時、やがて一義的な知をも粒状化して、内側から崩していく。そして、崩壊後に新たな知を育む。小説世界で言えば、「鴉の罠」であった蒸水装置である。一度解体された地上の知(理科)は、「砂の女」との新たな生活に向けて、別な枠組みで再生されようとする。「男」は、「女」と同じように、いまや「砂の」の冠詞を戴くことの許された、一人の人間に生まれ変わろうとしていた。「砂の男」――この固有名詞こそは、観念的世界の終着点でもあった。同時に「女」論の始発点に還されるものでもあった。
 何故か。それは、「女」が「男」と違って、最初から「砂の女」でしかなかったからである。はじめから「結論」を身にまとっていた、そう言い換えられる存在だった。「砂の女」を我が身に引き寄せる時、我々は、普段、「女」が身にまとっていた「結論」に気付いていないこと、あるいは見過ごしていることを思い知らされるのである。
独り身の女が、宿屋でもない自分の家に男を迎え入れるのは、たとえ明るい日中であっても普通にはないことである。しかも「砂の女」の場合は、夕暮れ時と言え、灯りが必要な暗闇の中に身を潜めているのである。年齢も30歳前後である。見ず知らずの男を泊めることなど、到底及びもつかない。もしそんなことをしたなら、世間からだけではなく、自分のなかの「女」の常識を大きく逸脱してしまう。
しかし、「砂の女」は、あろうことか、翌朝には、「素裸」を晒していた。たとえ就寝中に天井から降り注いだ砂で体が薄く被われていたとしても、そして、それを以って決して丸裸などではないと言い張ったとしても、あまりに生々しすぎる姿である。そんな姿態を男に露わにできるのは、いうまでもなく、肉体関係をもった男女でなければならない。これは道徳でもなければ倫理でもない。生物学的な次元(原理)である。「女」論の原理(始発点)でもある。

「女」の原理 「砂の女」は、この原理にいとも簡単に背を向けている。しかも背理に見合う理由と言っても、「砂かぶれ」以外にそれらしい理由が見出せない。皮膚の障碍を懼れて、全身を晒すことを好としてしまう。まずは羞恥心を疑うことになる。長い砂の穴の生活で、女としての羞恥心が麻痺してしまったのだろうか。そんなわけがない。繰り返すまでもなく、普通の羞恥心を持っていたのである。男の目に晒されていることに気が付いて、咄嗟に背を向け、その視線から逃れて見せたからである。と言うことは、話は逸れるかもしれないが、大胆に肌を露出させておきながら、電車の対面座席の男を蔑むように見返す若い女の子の、確信犯的な「矛盾」の延長だろうか。つまり、目を向けた方が咎められることなのであろうか。女の子たちにとっては、「矛盾」ではなく「逆説」であるのかもしれないが。
でも小説のなかでは、「男」には、女を目覚めさせなければならない切羽詰まった理由があった。梯子が見当たらなかったからである。それに、話を「矛盾」に戻せば、「砂の女」は、遮蔽物で仕切り、中を隠した一間ではなく、開放的でかつ共有的なイロリの横で体を横たえていたのである。しかも仰向けになったままのもっとも無防備な姿で。単なる「矛盾」ではないのである。
どうも我々の常識は通用しないようである。「砂の女」が特殊だからではない。逆である。実に普通だからである。でも普通と言い切っても、それだけでは理解は得られない。説明にもなっていない。「普通」の基準を問い直さなければならないからである。基準が違うのである。「普通以前」なのである。だから余計に世間を逸脱することになるのである。しかし、男と女の在り方とはなにか。異常(「素裸」)も、「普通」がつくり出しただけではないのか。男女間に「正常」も、事の「真相」もない。なにもない。でも「女」の原理は、男女間に優越する。それ自体が秩序である。「普通」も「普通以前」も、そのなかのことであるにすぎない。だから、「実に普通」であってもいいことになる。

 「砂の女」の条件 男女とも思春期を迎えて異性にときめき、恋心も芽生え、さらに成長してより深い関係を求め始める。恋人を得ては恋愛関係から多くを学ぶ。その分傷きもする。結婚しても同じである。離婚もある。そのまま生涯を独身で過ごす者もいる。最初から独身を通す者もいる。今の世では一派を形成する勢いである。
簡単にはいかないのが男女の仲であるが、それとは違う意味合いで「砂の女」に居場所が見出せない。「砂の女」にも思春期はあったであろう。でも、男女間の紆余曲折が見出せないのである。なるほど本人が語って聞かせたところによれば、結婚し子供をもうけていた。一人娘だった。でも自然災害で亡くなってしまった。台風から鶏舎を守ろうとした父親とともに、砂に生き埋めになってしまったのだった。まだ昨年のことだった。中学生だったというから、逆算すると、10代で結婚したことになる。もし中学3年だったとすれば、あるいは「砂の女」は、中学を出て間もなく結婚し出産したことになる。思春期年齢からいきなり「女」となった。そして、30前後の若さで今度は寡婦の身にもなった。何も見出せないわけである。
それに、繰る日も繰る日も家の周りの砂掘りと、地上から縄で吊り下げられたドラム缶に掘り上げた砂を詰め込んで運び上げてもらう作業の繰り返しである。男が現れることが確実視されていたわけではない。それに「届け物」のことは、自分一人ではどうすることもできない。村人の力に頼るしかない。いつ届けられるかも分からない。届けられないかもしれない。そのような中でどのように心を保つのか。最初から「届け物」とは無関係なのか。ヒントは「素裸」である。
その日の夜から開始された男との新しい生活は、男女間の手練手管を知り尽くした女であっても戸惑うものである。それが、唐突に「素裸」で次の朝を迎えていたのである。本当に「砂かぶれ」のためだけだったのだろうか。体(裸)を晒すことが、男女にとっていかに重大事であるかなど、言わずと知れたことである。でもそうなっていないのは、小説では「砂の女」の内面を覗こうともしないし、覗くことを拒んでもいるが、すべからく砂の穴のためであったに違いない。砂の穴が創る生態的な条件のためである。男女間の関係は生まない環境下であった。とても心の説明にはならないが、ひとまず状況説明にはなるだろう。
綺麗に着飾り、入念に化粧を施し、男の気を引く術を身に付け、男の誘惑には簡単に応じない。「砂の女」は、際どい男女間の駆け引きも、「肉体」の深い意味も知らないまま、思春期からいきなり結婚・出産へと肉体的階段を一気に駆け上がってしまった。しかもその年齢で寡婦をも生きていた。「砂の女」に限定的なことではないにしても、問題は、今の寡婦とどう向き合っているかである。自分事としていたか怪しいからである。
喪明けを待って再婚を考えている風でもないし、今の境遇に身の不幸を哀れんでいる風でもない。寡婦を含めてすべての自覚らしい自覚に乏しい。さらに遡って、結婚したことも出産したこともそうである。事実であってもそれ以上ではない。自分が変わる契機にはなっていない。実は事実ではなかったのである。
躊躇いもなく男の前に立ち、男のことを「お客さん」と呼び、他人である「事実」に立脚している風であっても、現れた瞬間から家の一員としてしまっている。「男」がいることが、不思議とも思わないで済まされてしまう。実は「男」も「事実」ではなかったのである。それが「砂の女」(の心)である。「砂の女」の条件でもあった。

4 『楢山節考』の「女」たちと「砂の女」

「女」たちの姿1 「砂の女」以上に思春期などさえ思い浮かばない存在に、同じ閉じ込められたような場所で生きる、ある山間の村の女たちが思い浮かぶ。『楢山節考』の「女」たちである。ここでは結婚という言葉も通用しない。「嫁に行く」「嫁に貰われる」である。したがって、具体的な存在形態としても「女」と言うよりは「嫁」である。あるいは嫁に行く前であれば「娘」である。歳をとれば「おばあやん」である。おばあやんが「おりん」、嫁が「玉やん」、娘が「松やん」である。ここでまず問題になるのは、玉やんが後妻としておりんの倅の許にやってくるまでの経緯である。
おりんは、69歳。はやくお山参り(姥捨て山参り)に行きたいことばかりを考え、そのためにも寡夫になってしまった倅に早く後妻が来ることを願う日々のなかにいる。そこに運よく嫁が見つかる。玉やんである。向こう村の女だった。まだ3日前に夫の葬式を上げたばかりらしい。それなのに次の嫁入り話である。寡婦となった嫁の「始末」を早くつけてしまいたい、どうもそういうことらしい。
それにしてもこの後妻話は、おりんからはまるで臓器移植を待っていたようなものである。どこかに後家でもあったら声を掛けてくれと頼んでおいたからである。そんなおりんものとに、良い話がある、と実家から報せが来たのである。当人たちは知らない話である。決めたのは、おりんと、その知らせを携えて実家の使いとしてやってきた飛脚(実は玉やんの実兄で、下調べをかねて飛脚の役を買って出た模様)とである。報せだけでなくその場で二人して決めてしまったのである。なんとも手際の好い婚姻話であることか。
それをおりんは、まるで「手柄話」でも知らせるかのように仕事から帰ってきた息子(辰平)に話して聞かす――「おい、向こう村から嫁が来るぞ! おととい後家になったばかりだけんど、四十九日がすんだら来るっちゅうぞ」「そうけえ、向こう村からけえ、いくつだと?」「玉やんと云ってなあ、おまんと同じ四十五だぞ」「いまさら、色気はねいだから、あっはっはっ」――こうしてあとは玉やんが来るのを待つだけとなる。
別に変ったことではない。この村々では結婚とはこの程度のことである。すべて当事者なしで取り決めらてしまう。面倒なことはなにもない。「ただ当人がその家に移ってゆくだけである。」ほとんど「引っ越し」と変わらない。実際のところ、「玉やん」の嫁入りの「儀」も、祝い事もなければなにもない。なさすぎるほどであった。
ある日、大きく膨らませた信玄袋を提げた「玉やん」が、前触れもなく現れる。家の前の根っこに腰掛けていたのである。嫁ぎ先の家であるか決めかねている。家の中から姿を認めたおりんが、嫁ではないかと検討をつけ声を掛ける。
すると、「辰平やんのうちはここずら」と返ってくる。「玉やんじゃめねえけ?」(「ええ」)「さあさあ早く入らんけえ」と促さるままに上がりこんで、それで一件落着。済んでしまったのである、儀式事は。しかも夫となるおりんの息子はまだ山に行っていて帰っていない。
玉やんの前に御馳走が並べられる。その日はたまたま村の祭日だった。「さあ食べておくれ、いま辰平をむかえに行ってくるから」。そんなことより玉やんはもう御馳走に気が取られている。「うちの方のごっそうを食うより、こっちへ来て食った方がいいとみんあが云うもんだから、今朝めし前に来たでよ」。失笑ものである。しかもその後の肝心の辰平との対面場面は描かれない。食べ物に押されて省略された形である。

 「女」たちの姿2 食べ物の話はこれで終わらない。今度は「松やん」の話である。おりんの孫(けさ吉)も、急遽、嫁(松やん)を貰らうことになったのである。同じ村の娘である。どうやら〝できちゃった婚〟らしい。でも玉やんと五十歩百歩である。その後、結納があった訳でも結婚式があったわけでもない。事実婚の延長でしかない。
ある日、松やんが家の前に腰掛けている。昼飯になるとなぜか孫のけさ吉と並んで食べている。夕飯も食べる。今度はけさ吉とじゃれあいながら食べる。孫も大人になったものだと感心していると、そのまま帰らず泊っていってしまう。しかも孫の布団の中にもぐり込んでしまう。そのまま居ついてしまう。
どうも子ができているらしい。おりんは最初の日から5か月以上と見抜いていた。そのとおりだった。晩婚が多いこの村では珍しいことだったが、子ができたことも、二人で同じふとんで休んでしまうことも(はしたないことも)、なに一つとして咎められない。そのままおりんの家の一員(孫=跡取りの嫁)になってしまう。嫁入りである。
相手の家からも早く行けと言われていたに違いない、おりんはそう思った。ところが、あまり大食なので(最初の昼飯からそうだった)、ある時、ふと思った――「けさ吉の嫁に来たのじゃねえ、あのめしの食い方の様子じゃあ、自分の家を追い出されて来たようなものだ」と。
村は冬を越せるかいつも命がけだった。実は失笑ごとでは済まされない現実問題だった。此処には、言ってみれば「食べ物」(食糧事情)を超えて若い男女の恋愛は存在しない。松やんだけではない。玉やんにしても、そして家族の食いぶちを減らそうと、早いお山参りを一心に願うおりんにも通じる、男女事に先行する生存条件だった。男・女のことなど入口にすぎなかった。この「女」たちの姿には、はるかに人間存在を超越したものがある。人間の感情など取るに足らぬものであることを思い知らされる。かつてそれを「真理」の範疇でとらえたことがある(私家版2007)。『砂の女』にも言えることである。

名義性と匿名性 しかし、『楢山節考』には全員に名前がある。「おりん」「玉やん」「松やん」のとおりである。名義性(名辞性)の世界である。不思議なことに名前があると顔がある。『楢山節考』を成り立たせているリアリズムの一つでもある。「女」たちの顔の前では、譬えは悪いかもしれないが、フェミニズムもジェンダー論下の女性も立場を失う。胸をときめかした思春期の思慕も、燃え上がった成年期の恋愛も、まるで用をなさない。焚火ほどにもならない。結納や結婚式もまた然り。厳粛さも神聖さもあったものではない。時間の無駄である。ほとんど男女のことは物寸前である。しかし、それが(物化が)おりんたちに引き受けられた時、真実がものの見事に抉り出されることになる。ほとんど女として生れてきたことに意味があるのかとさえ思われるなかで、なお、玉やんや松やんが、女であることである。しかも最初から。逆に思春期や成年期に遡る脈略を断っていることが(松やんはすこし違うが、それでも「普通」の思春期ではない)、生の空間を無限大に押し広げている。
その一方で、男の側に存在感が乏しい。主人公がおりんだからかもしれないが、おりんに集約される年輪が、男に刻まれていなからである。同じ様に物化されながら、女には物化なかでの純化がある。無欲さである。しかもその無欲さの大半が、後の時代の「女性」であることに対するものである。しかし、繰り返せば、この無欲さは、名義性によって成し遂げられている点を忘れてならない。『砂の女』では、同じ無欲さを「砂の女」の匿名性によって勝ち取っていたからである。ただし最後局面で「砂の女」は、「女性」を胚胎することになる。そして、我々が最初に知っているのも、「女」ではなく「女性」である。肉体性が、逆説的に高い文学性を獲得する同時代としての「女性」である。
『楢山節考』は、女の先に「生」を覗かせる。『砂の女』は、女の先に「女性」を覗かせる。おりんたちの時空間に下りていくことはできない。前近代の時空だからというだけではない。かりに身近な存在であっても会話が見出せないのである。相手から話し掛けられたとしても同じである。会話は保てない。方言が使われているからではない。おりんたちが完結しているからである。民俗的な閉じられた環である以上に、我々との間で「女性」であることを断っているからである。しかも、それは本人たちの地声である。否、生得的な声であるからである。我々に振り返ることない後ろ姿である。
しかし、「砂の女」は違う。最終場面でオート三輪の荷台に乗せられて町の病院に向かう最中でも、もし手が振れるなら、たとえ縄梯子から地上に顔を出していなくても、その手の平で、別れの挨拶ではなく、再会の約束を男に送り届けようとしただろう。男もそれに応えることになる。いまや「男」は、我々の思いの集約である。あらたに「女性」を発見しようとする、「男」と同体化した我々の眼差しである。しかし、『砂の女』の世界は、そこで終着点を迎えてしまう。「砂の女」は、「砂の女性」とは入れ替わらない。入れ替わるべきかにも直接触れられない。判断を同時代性の中に任そうともしていない。

物語の終焉 しかし、すでに作品世界は、作者の範囲を超えている。女が戻ってきた時、女は以前のように「砂の女」のままでいられるだろうか。いられない。本人の意志とは無関係に多分に「女性」を生きることになる。「砂の男」に容れられるのである。愛おしい存在(「女性」)になるのである。
でも、それでは『砂の女』の逸脱である。文学的裏切りである。「男」が「砂の男」になるための引き換え条件などであってはならないからである。それが『砂の女』の文学的野心である。したがって、「砂の女」は、あくまでも「砂の女」のままでなければならない。「砂の女」であるとは、砂の穴で暮らす「女」に引き換え条件として与えられたものであった。しかし、一度「女性」を意識し始めた「砂の女」にとって、「女性」になる誘惑から身を引くことは容易ではない。おそらくできない。この際、無欲さは脆弱さだったのである。
それがヒューマニズムであったとしても、砂の穴に地上の世界は持ち込めない。砂の穴が、「女」を生み、「砂の女」を創ったのである。それ以上でも以下でもない。「男」を容れられても、「男」に容れられた時から、言い換えれば、同じ「砂の」の関係性を纏った時から、砂の穴は、世界としての意味を失い、その壁は四方から崩れ、埋め尽くされてしまう。物語は終わるのである。

5 『燃えつきた地図』のなかの「彼女」

「彼女」の顔 安部公房の文学世界に戻れば、「男」は、地上に再帰する必要があった。再び物語を始めなければならないからである。あらためて「女」が必要になる。しかし、再開された物語のなかの「女」は、「砂の女」とは逆向きに佇んでいた。逆向きとは、「女性」の側から「女」に回線を繋いでいたことである。「砂の女」の場合は、「女」から「女性」だった(正確には未了状態で留まっているが)。「女性」から「女」への典型例が、5年後に書かれた「依頼人の女」である。『燃えつきた地図』(昭和42年)のもう一人の主人公である。
作品中では、「依頼人」「彼女」「女」で通されるが、作品の冒頭部分に挿し込まれた、いささか思わせ振りな枠付1頁には、事の発端を告げるかのように、一枚の「《調査依頼書》」が認められており、見ると、末尾に「依頼人氏名 根室波瑠」とある。失踪した夫根室洋(34歳)の調査を興信所に依頼した1枚のペーパーである。しかし、固有名詞としてはこの場限りである。以下の本文では、一切根室波瑠の名前は出てこない。多くは、「彼女」であり、時に観察場面になると、「女」が使われ、あるいは、客観的な場面では「依頼人」となる。私情を抑えるためであった。その点からも冒頭1頁に引かれた枠線は、別枠であるのを意図的に明示しようとしている。根室波瑠と「砂の女」との間を分ける1頁にも見えるが、そこまで意図されていたかは判らない。
根室波瑠は、名前を持ちながらも、名義性に背を向ける必要があるかのように名前を背後に沈めて、主人公の興信所の調査員(「男」)との間で、「彼女」「女」あるいは「依頼人」の関係しか結ばない。たちまち匿名性に還されていたのである。地上に生きる「女」の生存条件は複雑多義で、「砂の女」のままでは生きられないが、「砂の女」の匿名性は、同じ匿名性を通じて「彼女」(根室波瑠)の顔でもある。だから「彼女」は、根室波瑠の肢体から自由になれない「女」に立ち返る時でも、その顔を匿名性でメークし、「砂の女」がそうであったように「男」から自由である。
たとえば、調査を依頼しておきながら(それも安くない費用を承知で)、終始、失踪者(夫)に対して他人の関係でしかない。調査を依頼したのは、妻であっても「彼女」ではなかった。妻という社会関係だけで行なったことであった。調査員(主人公)も、次第に妻=「依頼者」ではない、私情に冷ややかな「彼女」に向き合うことになる。見えないものが、調査範囲を超えて、調査員を深入りさせていく。「この女は、化粧によって、ますます透明になり、よけいに内部が透けて見えるのだ。」しかし、透ければ透けるほどますます見えなくなる透け方だった。見えなくなったことによる不在感が、「女」の背徳性を暴きたてるかのように調査員をさらに探索にのめり込ませ、果ては探しているものが、「彼女」を通じて、自分のなかに潜んでいたものであったことに気付くことになる。
「砂の女」も化粧していた。「おりん」「松やん」「玉やん」は化粧をしない。前近代の奥深い山村である。3人のことは分かる。「砂の女」はなぜ化粧をしていたのだろう。それも乾燥してかえって醜悪になるような化粧を。30前後だからだろうか。いつか「男」が届けられるからだろうか。根室波瑠はどうだろう。おりんたちのことが分かるように、彼女のことも分かる。対極だからである。でも「透けて見える」と分かっていて化粧するだろうか。自覚の程度は分からないが、結果は、化粧する側もその顔を見る側も、双方を裏切るものだった。でもすぐに気が付くことではなかった。

三人称の顔 それとも、根室波瑠は、最初から納得済みだったのだろうか。自分がなろうとしている顔に。夫を捜しながらも捜していない「女」の顔、それをあからさまに見せないでいられる顔、そういう顔になろうとしていることに。なんのために? 失踪を機会に妻の関係性から解かれたいため? それとも、そのためにも調査員の気を引きたいため? でも媚態はない。「砂の女」の化粧の場合とは逆なのである。「男」が来るのではなく、去るのを(去り続けているのを)待つ顔だったからである。
そういう化粧顔が実際あるのか知らないが、一度透けて見えた向こうに浮かぶ顔は、透けてしまった分、見る側には立ち入ることのできない顔だった。結局、それが「男」を容れない顔にもなっていた。ただし根室波瑠本人にしても、相手(「男」)に見えなくなった顔が、はたして自分に見えていたのかは分からない。いずれにしても、その顔は、「女」であるよりは「彼女」である顔であった。根室波瑠に始まる顔だった。
その顔も、別に探せば、『燃えつきた地図』を数年遡る『他人の顔』(昭和39年)のなかの主人公(「男」)の妻の顔でもあった。「妻」の顔の場合は、根室波瑠と違って「男」を容れた顔でありながら、「男」との距離感は根室波瑠以上だった。「男」にはけして超えられない距離感だった。
自分(『他人の顔』の主人公)は、「他人の顔」(仮面)で姿を隠しておきながら、「他人」として妻を誘惑して、その誘惑に簡単に乗った妻を軽んじながら、実は、試したつもりで試されていたのは夫(「男」)の方だった。「妻」のなかの「女」しか知らない「男」になど、真似のできようもない「哲学」である。すでに「妻」の前では、「女」論はあたらしい段階を迎えていたと言わなければならない。しかし、『砂の女』のなかの「女」は、「哲学」のはじまりであった。「女」論の始原である。そのことは再述する場合でも変わらない。

おわりに

その口から『砂の女』を聞いた時、聞いた者としてどこまで事態を把握できていたのだろうか。本文として捉え返せば、「すでに『女』論は、あたらしい段階を迎えていた」のさらに先に聞いた声であり、耳元に残る響きであったにちがいない。
しかもそれだけではない。文脈が違うのである。いつか、我々の知らない間に、「日本」の女性たちは、途中経過を十分詳らかにすることなく、勝手に袂を分かってしまったのである。勝手と言うのは、安部公房の「彼女」たちとの繋がりを明かさないという意味である。疾うに清算済みのことかもしれない。そうだとすれば、さらに『砂の女』の世界に親和的なのかもしれない。まやかしの風景ではない、むき出しな感じが、原初的な感情を掻き立てるのである。『砂の女』のなかの「女」とは、その源として読み替えられたことになる。
   ならば、本文は何も語っていなかったことになる。冒頭の疑問も依然解かれなかったことになる。それでも構わない。再びその場面に立ち戻ればよいことである。まだ航海は長いのである。

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