2013年12月31日火曜日

[と] トルーマン・カポーティ~ノベルの究極~

 1 ミスキャストだった「名作」
 
二つの挿入歌 トルーマン・カポーティと聞いて多くの人が最初に思い浮かべるのは、『ティファニーで朝食を』であろう。それも原作ではなく映画の方である。主演のオードリー・ヘップバーンの愛らしい顔や、彼女が窓辺に凭れかかって歌う「ムーン・リヴァー」の歌声が甦るのである。
ところでその「ムーン・リヴァー」であるが、原作中にはない歌である。映画用である。しかも甘くどこかせつないメロディーは、主役のオードリー・ヘップバーンを思い浮かべながら作詞・作曲(ジュニー・マーサー作詞/ヘンリー・マンシーニ作曲)されたものであっても、主人公ホリー・ゴライトリーを向こうに思い浮かべながら作られたものでなない。それどころか見向きもされていない。なぜなら原作には別の歌(本来の歌)が用意されているからである。それを使わないばかりか、映画ではまるで別なものにしてしまっている。窓辺で歌うところだけが原作から採られているのが、余計に原作軽視を際立たせる。おそらく作詞家も作曲家も原作を読んでいない。読んだのは脚本だけだった。原作は参考どころか作詞・作曲にとって邪魔でしかなかった。想像だがありえそうな話である。
最初の邦訳者(龍口直太郎)は、映画が原作を大きく外れた点に「解説」を超えて憤りを隠さない。「語り手」を不遜にも「おとこめかけ」に仕立てている点には、驚きをこえて「私はむしろ憤りを感じた」とあからさまである。問題の挿入歌についても同じ思いを抱く。そして両歌を原文に「(大意)」を添えて横並べに置く。無言の批判である。引用がすこし長くなるが、紹介しておきたい。

   Moon River, wider than a mile
   I’m crossin’ you in style some day
   Old dream maker, you heart breaker
   Wherever you’ re goin’ I’m goin’ your way.

   Two drifters, off to see the world
   There’s such a lot of world to see
   We’re after the same rainbow’s end
   Waitin’ ’round the bend
   My Huckleberry friend
   Moon River and me.

      (大 意)
 1マイルより広いムーン・リヴァーよ
 私はいつの日か、しゃれた姿であなたを渡ろう
 古き夢の主、心悩ます者よ
 あなたがどこに行こうと、私はついて行こう。
 
 世界を見るため旅立つ二人の漂流者
 見る世界はあんなにもたくさんある
 私たちは角を曲がったところに待っている
 同じ虹の果てをもとめている
 私のハックルベリーのような友
 ムーン・リヴァーと私は。

次ぎが原作歌の方である。

  
  Don’t wanna sleep,
     don’t wanna die,
     Just wanna go a-travelin’
     Through the pastures of the sky.

       (大 意)
   眠りたくもなし、
  死にたくもない、
  ただ旅して行きたいだけ、
  大空の牧場通って。            (以上龍口直太郎「解説」)

原作ホリーが口ずさむ調べは、一節だけの短いフレーズながら、自由性に向かう一個の意志(Don’tJust)と化している。ラブストリーとなってしまった映画のなかのホリーは、一見自由奔放を装っていても、所詮、「ラブ」の傘の下にとどまる。最初から見守られている。終着駅が見えてしまっているわけである。だが原作ホリーには終着駅という意味でもラブを落着点とはしない。あってもその向こうに新たな自分を訪ねるための手段でしかない。そのためには武器(魅惑性)は出し惜しみしない。彼女を支配するのは、剥き出しな生である。身を委ねることを厭わない唯一のものである。

原作者の憤り 挿入歌は一例に過ぎない。訳者が訝るように原作と映画とはまるで別物である。今なら著作権が争われかねない事態である。邦訳には村上春樹の新訳がある。解説を兼ねた「訳者あとがき」もこの問題に触れることから始められている。冒頭に記したような原作より先に映画が浮かんでしまう事態について、「これは小説にとってはいささか迷惑なことであるかもしれない」と綴る。そして、原作者はオードリー・ヘップバーンの起用を快く思っていなかったと伝えられていると紹介してみせる。批判とも解れる婉曲な言い回しである。たしかに事実である。それ以上だった。
亡くなる12年の間に断続的に行なわれた対話(「最後の肉声」)に問題の部分がある(ローレンス・グローベル/川本三郎訳『カポーティとの対話』文藝春秋、1988年)。質問者(ローレンス・グローベル)は尋ねる。再映画化の話が起こっていること、ホリー役にはジョディ・フォスターが当てられる予定だということについてどう思うか、原作者として観てみたいと思うかという部分である。答えはこうである。「ああ」と観てみたいと最初に口にし、前作は原作とは違っていたからだと語る。どういうところが? と尋ねられると、「すべてだ」と言い放つ。さらに荒い口調で言う。「あの映画はミスキャストだらけだった。まったく反吐が出る」と。問題のオードリー・ヘップバーンについては、彼女のファンであり非常に親しい友人だと断った上で「私は彼女があの役をやると知ってショックを受けた。非常に困惑した。彼女を起用するとは製作者の側の背信行為だ」と憤りを超えてほとんど断罪的になっていく。すべての約束を反故にされたとも言う。原作を尊重するということだったのだろう。そういう素ぶりを見せておいていざ契約書にサインすると手の平を返したように約束を破った、破ったどころではなく反対のことをした、と終に怒り心頭に発して、「彼ら(パラマウント社のこと、引用注)はブレイク・エドワーズのような最低の男を監督に起用した。あんな奴にはツバでもひっかけてやりたい」と凶暴的になって抑えが利かない。
すでに20年も経過している段階である。被害妄想的だった晩年の精神状態を差し引いても、ながく鬱積していた思いが一気に吐き出された感じである。あらためてジョディ・フォスターに話が戻されると、「彼女はあの役に理想的だ」と断言的口調で返ってくる。結論を聞かされたかのようにインタビューは次の話題に移される。

新訳本カバーの装画 いずれにしても、村上春樹も新訳出版に際して〝注文〟をつける。「だから翻訳者としては、本のカバーにはできれば映画のシーンを使ってもらいたくなかった」と。微妙な言い回しである。ホリーのアパートの一画、各階を繋ぐ外階段、ベランダに立てかけられたギター、そしてベランダの鉄柵の上を軽やかに伝う一匹の猫――新訳文庫本の「カバー装画」(民野宏之)を構成するマテリアルである。当時のニューヨークの佇まいを彷彿させる、戯画的なタッチとクレオン調の色遣い(パーブルブルー(窓)、朱茶色(壁面)、青黒色(窓枠・外階段・鉄柵))。注文は活かされたのだろうか。別な問題が発生しているようにも見えてしまう。裏に回るべき訳者が表に出てしまっているからである。
おそらく商業ベースから企てられた装丁(表紙カバー)であろう。別な見方をすれば悪くない出来である。なんといっても装画制作者の訳者への敬いが快い。ちなみに、旧訳の文庫本のカバーでは、表紙に黒いロングドレスを身にまとったオードリー・ヘップバーンの写真が、折り返し部分に映画のワンシーンの写真3葉が貼り付けられている。

ミスキャストの文学的意義 原作者や原作からみればミスキャストだったが、皮肉なことに映画はヒットしオードリー・ヘップバーンの代表作の一作ともなっている。たまたま題名が同じだけで別の作品として観賞すれば好い映画である。しかし、映画を「名作」に導くには、ホリー・ゴライトリーの強烈な個性は欠かせなかった。使うしかなかった。たしかに使った。原作ホリーなしには映画ホリーの個性も誕生しなかったからである。ただし問題なのは、そして原作者だけではなく訳者からも訝られるのは、原作を深く読みこんだ上で脚色化された個性とはとても言えないからである。
それでも、当時としては自由奔放に生きる魅惑的な新しい時代の女性として生み出され、製作者たちは自信をもって世に送り出すことができた。十分原作の精神を活かしたとも思っている。読み込みが足りないなどとも思っていない。結末を変えたことや、登場人物のディテールを操作したこともより良くするためだと前向きに捉えていたとしても、邪な思いが働いていたなどとは思いもしない。良い改変(深い読みこみ)だったのである。
それにジョディ・フォスターはまだ生まれていなかった。彼女の生年は、映画発表の年の翌年(1962年)であった。だから原作者に不満を抱かれたとしても、製作者たちには原作者の苛立ちを正しく受け止めることはできなかった。原作者も納得できるホリー像になっているはずだった。それ以上に映像世界を透してさらにホリーを豊かな女性に高める。映画的改変は芸術的な創作行為である。映画の可能性である。映画芸術は原作に優先するのである。
結局、原作が先に行きすぎていたのである。カポーティに不足していたのは、自分が先に行きすぎてしまっていることを客観的に見ることも正しく自覚することができなかったことである。これは『ティファニーで朝食を』だけのことではない。彼自身のノベル全般に亘って言えることである。しかも、『ティファニーで朝食を』の場合は、映画化という社会関係のなかではじめて他者と自分との距離を量ることができた。他にも映画化はされたが、自分を相対化するためにはたんに映画化だけではだである。社会的反響が伴っていなければならない。『ティファニーで朝食を』の場合は飛びぬけていた。結局、映画化されても同じようには還ってこない。自分(の対外的位置)は見えてこない。出版ベースに止まっている。自分(の対内的位置)しか見えていなかった。それでも構わない。自分に止まっていて差し支えがあるわけではない。作品は生まれる。
しかし、『冷血』でほぼ止まってしまったことを考えると、トルーマン・カポーティの場合はどうもそうはいかない。創作過程で次ぎの自分が生み出されなかった。以前の自分を次ぎの自分で再編したわけでもなく、総合したわけでもない。以前の自分はそのままの状態で止まっている。自己否定が弁証法的に体験されていない。それが一人の個人のあり方であるとともに、作家としての在り方でもあった。
ここには小説論へと回転していく個別の作家事情が潜んでいる。トルーマン・カポーティを読むとは、彼の小説世界の魅力だけではなく、同時に彼を通じて創作論を自問自答しなければならないことでもある。何故に『冷血』で止まってしまったのか。これが、以下の記述に繋がっていく。

 
2 『遠い声 遠い部屋』

デビューまでの年譜 予め彼の基本的な年譜を確かめておく。ただし第一長編小説(『遠い声 遠い部屋』)の出版まで。生まれたのは1924年。場所はルイジアナ州ニューオリンズ。南部文化の中心地である。1931年両親が離婚するが、夫婦の亀裂はすでにカポーティ誕生年頃までに遡り、誕生後も両親は別居状態であった。また母親は、幼い息子の養育には見向きもせず、それぞれの親元や親戚などに預けては恋人との逢瀬を繰り返す。やがて母親はニューヨークに転居。そこで離婚し翌年には再婚。再婚の翌年(1933年)、ニューヨークの母親のもとに移り、小中高一貫校の名門トリニティ・スクール(マンハッタン)の4年生に編入する。ここでトルーマン・カポーティを名乗ることになる(9歳)。最初の名前はトルーマン・パーソンズ。
しかし転校やトリニティ・スクールへの復帰が繰り返される。最終的には私立フランクリン高等学校を1942年に卒業(18歳)。在学中から雑誌『ニューヨーカー』のコピーボーイを勤める。不用意な問題事を起こして1944年同誌解雇。勤務当時から執筆に勤しむが未刊状態にとどまる。翌1945年になってそれが次第に形になっていく。短編「ミリアム」のオー・ヘンリー賞受賞である。
受賞を機に転機が訪れる。1946年である。芸術村(ヤドゥー作家芸術村、ニューヨーク州サラトガ・スプリングス)に招かれたからである。同じ南部出身のカーソン・マッカラーズの計らいであった。そこには20人ほどの多彩な顔ぶれが待っていた。やがて遅れて参じた人物がいた。運命的な出会いになった当時のアメリカを代表する文学者・批評家のニュートン・アーヴィンであった。そしてカポーティの作品(短編三作)を手にすることになる。大きな文学的な流れのなかで捉えられる大批評家の目には、それがたんなる南部のゴシック小説の系譜で終わるものではないことを即座に見抜く。感動を籠めて褒め称え、さらに君の作品を読みたいと愛情に満ちた言葉を投げかける。
1945年から書きはじめられ、第1章まで書き終えられていた『遠い声 遠い部屋』の執筆にもさらに弾みがつけられることになる。やがて翌年の19478月に彼の名を驚異的に世に広く知らしめることになる一つの長編が書き上がられることになる。『遠い声 遠い部屋』である。この一作によって華々しい文壇デビューが果される。まだ20代そこそこの若者に、かつて「ミレアム」で「恐るべき子ども(アンファン・テルブル)」の名前をつけた世間は、今度は天才の名を与えた。

作品の世界 トルーマン・カポーティの第一長編小説『遠い声 遠い部屋』が、彼の一方の極だとすれば、対極にあるのは『冷血』である。そして対極に辿りついてそのまま行き場を失ってしまう。その軌跡が一人の小説家が辿って見せたもうひとつの「作品」である。一方から一方を見て、同じ作家の作品だと見抜くのは至難である。まるで別なものとして創り上げられているからである。実際に起こった一家殺害事件を描いた『冷血』は、『遠い声 遠い部屋』やそれ以前の短編に背を向けた世界である。都市を背景とした『ティファニーで朝食を』もその中間に位置するわけではない。
なぜそれまでの作品を顧みようとしなかったのか。顧みられなかった作品とはどういうものなのか。カポーティが『冷血』に対して使った新しい小説形式である「ノンフィクション・ノベル」を引き合いに出せば、『遠い声 遠い部屋』は、まさにノベル、それもノベル中のノベルである。事実に背を向けた想像だけが小説的真理となる世界だからである。
構成は、全3章(「その一」~「その三」)からなるが、計12話が章で途切れないで連番で最後まで繋がっていく。主人公は12歳の少年ジョエルである。母親を亡くした少年のもとに、先妻の死亡記事を新聞で知った父親エドワード・R・サンソムから手紙が届けられる。我がもと(スカリイズ・ランディング)に来てほしいという誘いの手紙である。
南部のニューオリンズから汽車で行き、下車したビロクシーからさらにバスに揺られながらパラダイス・チャペルまで至る。小説ではすでにここまで(パラダイス・チャペル)辿り着いている。問題はこの先である。次に向かわなければならない町ヌーン・シティへまでの足の確保であった。ヌーン・シティは父親の在住地(スカリイズ・ランディング)の地方町である。父親の手紙によれば、パラダイス・チャペルから20マイル(約32km)の距離に位置するという。残念ながらバスは走っていない。迎えにもいけないという(車を所有していないため)。自力で辿り着かなければならない。招かれたのはいいが容易には辿り着けないのであった。今少年はカフェにいる。店の主人が入ってきた顔視しりの運転手に乗せて行ってくれないかと頼んでいる。
結局、冒頭場面は伏線であった。容易でないのはさらに屋敷に辿り着いても、肝心の父親になかなか会えないからである。辿りついた少年を出迎えたのは父親の細君であったが、先妻の子を迎える雰囲気ではない。面白く思っていないからではない。様子が変なのである。少年の登場は、当然この屋敷の生活の変化をもたらすはずなのにそれがない。それ以前からの日常が同じように引き継がれている。なにも特別なこととは思われていない。彼のことは事件ではなかったのである。
屋敷の佇まいがそうであるように、人々も旧態依然として以前のままの自分たちを変えようとはしない。この屋敷にはどこかの部屋に潜んでいるはずの父親(サンソム)と細君(ミシ・エイミイ)、使用人の黒人女(ミズーリ)とその祖父(ジーサス・フィーヴァー)、そしてミス・エイミイの従弟(ランドルフ)がいる。姿を現さない父親はともかく、いずれも個性的な人たちである。100歳を超えているジーサス・フィーヴァーはほとんどなにも口にしなくても存在感だけで小説の中にしっかりと居場所を定めている。ジーサス・フィーヴァーを含めそれぞれの日々があり人生がある。三人三様で一見勝手気ままながら混在したなかにも調和が保たれている。屋敷の調和を超えて物語の背景を成す一つの秩序になっている。さらに作品となっている。この作品が小説たりえているのはこの調和である。調和との契約の上に描かれた作品である。あるいは描かれなければならないとする創作的態度である。
近在の姉妹仲の悪い二人姉妹。とりわけ男まさりで気性が激しく、自分が少女と思われることに我慢がならない妹アイダベルの存在感と存在性。彼女の一貫した日常逸脱の行動は、この田舎町を凡庸な体系で終わらせないだけでなく、少年を異次元に導く行動力ともなって、多義的な文脈で「調和」を凡庸なロマンチシズムに失墜させない。彼女と訪ねる森の奥。神秘な静寂の中に佇む、ミステリアスなベールに包まれた廃屋と化した一軒のホテル。探検の開始。しかし、エドガー・アラン・ポーの描くアッシャー家のような、ゴシックの香りに包み込まれてそれで事終えないのは、アイダベルを前面に打ち出して静寂を撃ち破ることに露われているように、トルーマン・カポーティの目指した文学が、夢幻的な命運を突き破って、より生身で肉体的な生得性によって感得されるもののなかにあり、しかも執拗に拘ったからであった。「妄執(オブセッション)」と呼ばれる(川本三郎「解説」(『夜の樹』新潮文庫、1994年))。けしてシルエットでは我慢できないのである。しかしその場合でも、あくまでも「調和」が先行する。さまざまに巡らした複旋律も「調和」を高めかつ深めるためである。
たとえば南部文学の伝統を受け継ぐ黒人たちの描かれ方もジーサス・フィーヴァーによって存在感を高めている。孫娘と祖父とが織りなす実在感のある南部黒人の世界は、観念論的な少年と一歩距離を措いた強い実在感(リアリズム)に貫かれていても、作品全篇がほぼ「遠い声」であり「遠い部屋」でもあるなかで、少年にとっては異質であるが故に特別な「遠い声」でもあり「遠い部屋」でもある。それは、さらに別の黒人との関わりからも補われる。その結果、題名も彼に求められることになる。
題名『遠い声 遠い部屋』を少年が直接耳にするのは、その黒人リトル・サンシャインからであった。彼は遠い暗い森のなかで暮らす隠者だった。実は例のホテルを棲み家とする隠者(呪術師)だった。求めに応じてこちら側(「こっち」)にやってくる。たとえば孫娘の求めた呪いの施しとか。その折はジーサス・フィーヴァーの病を治すためであった。しかし、なぜかその際は、少年が求めた厄除けのまじないを種に必要を超えて自分から誘いをかける。「坊、欲しけりゃ自分でとりにくるんじゃぞ、わしはいつまたこっとさくっかわかんねえからな」と。
でも少年は隠者が住む場所を知らない。待ち構えていたように語り出す。「溺れ池」と呼ばれる池の謂われについてである。「ホテル」は「溺れ池」に面している。「溺れ池さえ見つかりゃ、ホテルを見のがしっこはねえ。」前置きだった。やがて「題名」が不用意に隠者の口を衝いて語られることになる。
もとはクラウド湖と呼ばれて、ホテルもクラウド・ホテルという名前であった。湧き出る水は水晶のように冷たい。各地から訪れる人々(貴人たち)が、一夏を優雅に過ごす避暑地だった。リトル・サンシャインはそこの馬丁だった。しかし、ある二つの事件をきっかけに客足は遠ざかってしまう。一つは湖に飛び込んだ少年が沈んでいた丸木に頭を打って死んでしまった事件、一つはいかさまばくち打ちが湖に泳ぎだしたまま再び戻らなかった事件。
以来、湖には不吉な噂がたっていく。新婚旅行でやってきた夫婦の漕ぎ出したボートが湖面から伸びてきた手でひっくり返されそうになったとか、湖底にばくち打ちと子供の光る眼を見たとか。ホテル経営者の未亡人は、無益とたしなめながらも地引網で湖底を浚う。結果を得られないまま、閑散として客の訪れなくなったホテルを後にセントルイスに出かけた未亡人は、そこで借りた部屋のベッドに石油をかけ、身を横たえてマッチをすってしまう。
「溺れ池」と呼ばれようになったのはその後のことで、「ダイヤモンドの瞳」であった湖水が、泥で汚れ、ホテルはホテルで荒れるに任せて朽ち果てていく。隠者(馬丁)も一度は逃げ出した。しかし、また戻ってくる。ここでずっと暮らし続けようと覚悟を決める。なぜか、逃げ出たのはいいものの、「たちまち遠い声が、遠い部屋が」彼の夢を掻き乱してしまうからだった。心の乱れを通じて「わしの正当な家なのだ」と、リトル・サンシャイは運命ともいうべきものをホテルに感じたのだった。
 隠者は少年を向こう側に導く道案内人だった。これがたんなる寓話を超えて作品の題名として採られた理由だった。結局、少年を呼んだ父親も実質的には「遠い声」の主にしかすぎなかった。中ほどまで進んでようやく明かされるのだが、実は身動き一つできない体になっていた父親は、屋敷の一室でながくベッドに繋がれたままだったからだ。そしてなんの用意もなく特別なことではないかのように引き合わされる。すでに小説は半ばまできている(「6」)。しかしあらたな展開が待っているわけではない。やって来た当時の日常に再び戻されるだけだった。ときたま傍らで本を読んで聞かせることはあっったにしても。また「坊やありがとう」と言葉をかけられることはあったとしても。でもその声は息苦しくたどたどしい。発声も思うようにならないことが分かる。それだけでも新しい展開がないことを暗示される。
少年は会わなければよかったとさえ思う。前のように想像で違う父親の姿を自由に思い描いていればよかったと。父親は少年にとって最初から「遠い部屋」の住人でしかなかった。それが夢想から現実に変わっただけだった。なにも変わらない。今も同じように「遠い声」と「遠い部屋」に向き合っている。基本は変わらない。それでも最後は知らない自分(「性」)を感知していくことになる。それでもそれが自己発見を物語ろうとしているかかといえばそうではない。この作品は、(心の)成長譚に語りかけたものではない。最後まで「調和」である。小説が最後に見る景色(「性」)があきらかに「こちら側」であること、「向こう側」で閉じていないこと、あらたな扉を開けようとしていることに対しても。あくまで予定調和の内であった。あるいは辿り着いたそれであった。

 カポーティの文学性 トルーマン・カポーティは捉えどころのない作家だと言われる。文学史的位置も今一つ定かでないとも。評伝と作品論とを重ねた一叙述(越智博美『世界の作家 カポーティ――人と文学』、勉誠出版、2005年)の最後(「むすびに代えて」)でこう語られている。「こうしてカポーティの足跡をたどってみると、彼の軌跡は『はじめに戻る』というものにも思えてくる。では『アメリカ文学』の中で、カポーティは今、どこにいるのだろう。(略)カポーティはアメリカ文学史におさまりが悪い。『属している場所をもたない』作家に近いものがある」と。
おさまりの悪さは、全体的結論として言われているように、長編第一作『遠い声 遠い部屋』もその一部を構成している。題名には、ファンタステックでかつミステリアスな響きが漂い、ポエテックでもあるが、内容的にはときにシリアスであったりドラマチックであったりで一様でない。訳者の「解説」(河野一郎『遠い声 遠い部屋』新潮文庫、1971年)にも迷いが感じられる。「作者はこの作品で何を描こうと試みたのだろうか? この問いに対しては、冒頭に掲げられた旧約聖書エレミア記からの引用――「心は万物(すべてのもの)よりも偽るものにして甚だ悪し 誰かこれを知るをえんや」の一句が、おおむね答えてくれているが、さらにつきつめるならば、これは傷つきやすい豊かな感受性を持った少年が、自我を見出すまでの精神的成長の途上でたどる数々の内的葛藤を象徴したもの、と言ってよいであろう」と。
しかし、少年は少年である故に意味があり、成長には与しない立場に立って綴られている。やはりそれが読後感である。旧約聖書エレミア記が語る「心」は、むしろ「成長」を拒む側から唱えられた一句である。そして成長を拒めるのが、まさに少年であることの意味であり、存在形態であり、世界をもそのなかで読み替えられることになる。これこそが「調和」である。読み替えること動機とし結果とした創作態度である。読み替えられたものに目的があったわけではない。だからこそ宝石のような文体がさらに特別な輝きを発することになる。最初の立会人にして最大に輝きを浴びるのは訳者である。次ぎの一文(「解説」)は、まさにその実感が言わしめた「一句(名句)」である。

カポーティはこのうつろいやすい心の季節を、現代作家に中でもまれに見る新鮮な言語感覚をもって、ゴシック風に織り上げていく。詩的なムードに適合するよう自在に言葉をたわめ、頭韻や類韻をふんだんに用いたそのまばゆいばかりの「濡れた」文体は、たしかにこれまでのアメリカ文学に類を見なかったものであり、ヘミングウェイ、スタインベック、ドライザー等に代表されるリアリズム文学の乾いた文体からの脱出と見ることができよう。                      (「解説」271頁)

 
 3 『冷血』
 
事のはじまり その「濡れた文体」が、奇妙な樹上生活を描いた『草の竪琴』に引き継がれ、やがて目先を変えて都市生活に向かい『ティファニーで朝食を』を生み出すまではいいが、その直後、急転直下する。文体からではなく文体が創り出す世界と決然と袂を分かって、端から「遠い声」とも「遠い部屋」とも決別した世界にどっぷりと浸かっていく。それが『冷血』である。
それは一つの新聞記事が目にとまったことからはじまる。19591116日付け『ニューヨーク・タイムズ』。地方から送くられてきた記事なので、けっして大きくは取り扱われていなかったが、陰惨な一家殺害事件であった。「裕福な農家の主人と外の家族三名、惨殺」。殺害されたのは、農場主(リヴァー・ヴァレー農場)のクラスター一家。夫クラスター(48歳)・夫人と二人の子供。娘ナンシーと息子ケニヨン。娘はもうすぐ17歳、息子は15歳。クラスター氏は信仰心の厚い誠実で心優しい人柄で通っている土地の名士。犯人は、20代の白人。二人の若者。刑務所仲間であった。事の発端は、その内の一人が、同家で働いたことがある同房囚から話を聞かされたことにある。いつも大金が金庫に眠っているという直接見てきたかのような話。その話から完璧な計画を思いついた犯人の一人リチャード(ディック)・ヒコックは、同じ刑務所仲間の一人ペリー・スミスに犯行を持ちかける。ペリーは最後まで乗り気でなかったが、出所後、ついに犯行に加わることになる。
結局、大金はなかった。同房の思い違いであった。そうではなくいい加減な作り話だった。いくら主人を脅しても金庫などない。逆に小切手しか使わないと返されてしまう。これほどの屋敷で、そんなはずがないと、一家を縛り上げて探し回っても一向に見つからない。財布の小銭しかない。全部合わせても40ドル足らずである。恨み事の一つでも吐いて本当はそのまま立ち去ればよかった。それなのに一家を惨殺してしまう。散弾銃で至近距離から頭を撃ち抜く。凶悪な犯行だった。
閑散としたもの寂しい農園地帯で起こされた深夜の惨劇に誰も気がつかなかった。捜査は難航した。それが例の同房囚が、事件を知って、「まさか本当にやるとは!」と驚き、気わされていた手口(皆殺し)と同じであったことから、奴に違いないと密告して一気に解決に向かう。高跳びしたメキシコで一旗揚げようと目論んでいた計画に立ちどころに失敗し、再び立ち戻って資金繰り(偽小切手)に奔走しているところだった。事件から一か月半経った1230日、容疑者の身柄がラスベガスで確保さえる。
犯行が行なわれたのは、アメリカ中西部カンザス州西部のホルカム村。確保から一週間後、容疑者が移送されてくる。彼らを一目見ようと、捜査本部の置かれていたホルカム村に近いガーデン・シティーの裁判所の前には大勢の人が集まっている。カポーティもその中にいた。二人の内の一人ペリーは、カポーティのように小柄だった。この第一印象がはじまりだった。事件直後から現地入りしていたカポーティは、犯行現場を含めて盛んに事件を探っていた。危険ないくらいだった。嗅ぎまわっている奴がいると聞きつけた犯人から危害を加えるかもしれないからだった。でも警察以上に情報収集に躍起なる。なにかが彼を惹きつけた。しかしその際はまだ容疑者は見つかっていなかった。あるいは連行されてきた容疑者を一目見て、それまでの関心が一気に冷めることも予想された。それが、逆に火に油を注ぐことになる。さらに彼を内面的に突き動かしていくことになる。160センチほどの身長はそれだけで特別な人間関係を生み出す。大柄の人種のなかで小柄であることにはそれほどの意味があった。内在的意味だった。

過度の深入り 3年をかけて集められた資料は膨大だった。書き起こされた分量は、ノートにして6000頁にも及んだ。州裁判所で下された判決は死刑だった。再審が請求され、死刑は何度か先延ばされた。死刑囚たちとの文通が始まった。それも膨大な量だった。一人につき週2回のペースですべて合わせると数百通に及んだ。特別許可で行なわれた面会も数を重ねた。死刑執行で完結することになっていた作品は、死刑の延期とともに先送りされた。
まるで二人の死刑を待ちわびているかのようだった。複雑な心境だった。とくにペリーとは心情を分かちあう関係になっていた。深く関わりすぎた。背丈だけではなかった。両親から愛情を注がれずに育った生い立ちも似通っていた。つくり上げられた感受性もそうだった。一歩間違えば自分がペリーの側に立っていたかもしれなかった。ペリーはいまや分身にまでなっていた。
そして、ついに処刑の日が来る。カポーティは立ち会う。死刑囚から立会人の一人として指名を受けたのである。当日、滞在したホテルに刑務所から電話が何度も入る。彼らが会いたがっていると。しかし拒み続ける。堪えられなかったからである。それが最期を前提とした面会であること、その現実に。直接には生身に襲いかかる極度の緊張だったが、その後に待っている出版が頭の隅を過り、死に臨む者たちに罪の意識を感じたのかもしれない。
いよいよその瞬間が来る。ディックからだった。その一時間後ペリー。処刑台に上る間際にペリーは、カポーティに向かって言葉をかける。「アディオス、アミーゴ」。そして「友(アミーゴ)」の頬にキスをする。二人の死を見届けたカポーティは、処刑場の隅で吐いた。帰りの機内では、止むことない体の震えのなかで、なにかに縋るように同行編集者の手をしっかりと握り続けた。人目も気にせずに(編集者の回顧談)。普通なら墓標もない死刑囚の墓に暮石が建てられた。カポーティが手配したものだった。また処刑後、ペリーの私物(遺品)が、カポーティのもとに送り届けられてきた。ペリーの意思だった(以上は上掲越智に基づく)。

新しい手法 かなり詰めこんだ仕立てで550頁の厚さになる分量(文庫本)である。「ノンフィクション・ノベル」という新しい小説形式の名称に相応しく、単なるドキュメンタリーではない。しかしノベルではない。オブジェクト(素材)もデスクリプション(記述)も、すべからく客観的事実から構成されそれを繋ぐからである。世間で共有された素材である。結末を含めて予め決められている内容である。詳細な記事内容でも新聞なら半面も要らない。雑誌の写真や周辺事項を取り込んだ特集記事でも10頁を超えることはない。それが一大長編にまでなる。ノートの量から見ればそれでも抑えられたほうである。抑制されてもこの分量である。なにが話を長くさせるのか。創作上の問題である。
 作品は、4章(「Ⅰ 生きた彼らを最後に見たもの」(分量114頁)「Ⅱ 通り魔」(127頁)「Ⅲ 解答」(150頁)「Ⅳ 隅っこ」(143頁))からなっている。章題で明らかなように事件前、犯行時、捜査時(逃亡時)そして収監中(刑の待機中)である。4章中では一番短いとは言え、それでも100頁が費やされるのが「Ⅰ」(事件前)である。400字詰め原稿用紙なら233枚である。中編である。しかも作者は、「物理的」に生前の家族に会うことはできないのである。
ノンフィクションや新聞・雑誌のレポートなら事件が起きたところから書きはじめられる。これから起きようとしていることを実行者(加害者)についてならともかく被害者について綴る。綴っても構わないが、回想形ではない。現在進行形で時空を共にする。回想の場合は、生前の面影をあえて挿し込んで犯行の凶悪性を強調する形である。まるで違う。一家の描き方は、その先に待っている運命とは切り離されて、今現在を生きるしかも明日に繋がる姿として描かれている。
ほとんど浮かび上がる情感といい家庭小説である。違うのは、実行者たちが「予定」に向かって同時に動き出していることである。横並びで交互状態に記述される。あたかも対等の立場で次ぎの出番を待っているかのように。また作者だけが知っているその後(惨殺)を要所々々で付加することである。たとえば、「彼(クラター氏・注)はその日の仕事のためわが家の方に向かったが、もちろん、それが自分の最後の仕事であるとことには気づいていなかった」などと。あるいは、当日家族と会った人々(保険の勧誘員、雇人、娘の恋人、息子の友人、隣人たちなど)の回想、彼らが応じた事件後の事情聴取の際の一部と同じ文体への同時横並び的な挿入――「『それがあの人たちの見おさめでしたね』彼はその翌日、そう証言することになった」。これは畑を耕していた雇人の言である。巧妙な時間トリックを働かせている。これから死ななければならない理不尽さが際立つことになる。しかし、驚くべきことに理不尽さは犯行への憤りに直接跳ね返らないのである。それが読む側を、読みことの体験として、異常体験の域に連れ出していく。

「ノンフィクション・ノベル」の内側 ここにあるのは不条理性である。「事実」(素材)だけでは得られないものである。土地の叙景描写にしてもそうである。「事実」と「事実」を繋いだり説明したりするだけの単なる背景画に終わっていないからである。それにこんな長閑な田舎で? を強調するためでもなく、その営みを、後1日の余裕もない営みと分かった上で、次ぎを断つことなく、不断の人生とその現在性である連続した一駒に、彼らの個々の今を位置づけるのである。ノル以外の何ものでもない。それでいて既存のノベルでないのは、「次ぎ」を一方的に奪い取るのが作者の創意によるものでなく彼らだからである。作中人物であっても実在人物であることで作品の外側に立つ者たち。その彼らの「判断」(犯意)だからである。この作品の「外側」からもたらされる、言い換えれば創作を超える「外形」が、「ノベル」を超えるのである。やはり「ノンフィクション・ノベル」でなければならなかった。世界構造の問題であるからだ。
トルーマン・カポーティのこの事件への異常な関心が、容疑者確保以降は、その一人であるペリーに自分のなかの負の部分を見たという、個人的な思いに駆り立てられることにあったからとはいえ、それ以上に事件を記述することそれ自体の内にあった。「記述すること」と「記述すること自体」では一見それほど違いがないように思われなくもないが、「ノンフィクション・ノベル」ではそうはいかない。
普通ならそれほど気にしなくても済むことが、記述対象(事件)を超えて事実以上のものとして還ってくる。記述者の位置をも脅かし続ける。相手はすべて「事実」である。しかも普段の日常を構成しない「事実」である。「ある朝(19591116日)、私は一つの記事に目を留めた」として書きだせば追跡レポートになる。その後、「私は」を表に出さなくても、追跡自体が追跡者(記述者)を一体的に物語ることなる。追跡行為は、実質的には捜査行為と重なる部分があるから、「私は」の事件への関わり方は一見強そうに見える。しかし、捜査が終われば次ぎの捜査に移って、事件との関係を断つことができる刑事のように、追跡者も次ぎのルポルタージュに移っていく。記憶に止まっても仕事の範囲内である。関係性も自然と清算されていく。
実は「私は」は最初から存在しない。それが追跡の構造である。単に背後に控えているだけではない。記述者として存在しない。事実が実在者(記述者)と一体だからである。「記述事実」だかである。それが「記述」部分が取り外されてしまう。構造的に存在しないのである。これがカポーティの場合にも一義的には当てはまりながらも、むしろ「事実」が取り外され「記述」が残される。でもこれではドキュメンタリーを抜け出せてもノンフィクションの域は脱せられない。「ノンフィクション・ノベル」はふたたび「記述事実」に立ち返り、「記述」も「事実」からも遠ざかるのである。書くことそれ自体に対する向い合い方とは、この場合、記述者として存在しながら存在しないことであった。同時実現であった。
 それは、方法論的には文体や細部の叙述以上に場面の再構成であった。とりわけ時間の再構成であった。その点では手法的には第2章以降でも変わらない。捜査員も聴取対象者も、逃走を続ける犯人も、再アプローチされる被害者も、「存在しながら存在しない」記述者の実現のために、記述者つまり作者との関わりを喪失する。時間的にである。
誰もが出番をまって横並びの椅子に座っている。重要な役柄でもけして控室は与えられていない。被害者だけが、並びの位置から少し離されているだけである。舞台に立った人を皆で眺めている。見上げるその目には、相互間の利害関係は被害者と加害者とのそれを含めて一切写し出されていない。それ以前に相互関係を支えるものがない。関与がない。通常は他者との関与で成り立つはずなのにそれがない。日常を支える上ででさえそうであるのに、非日常を演じる舞台上である。出演者たちである。

 ノベルの究極 『冷血』以後、それまでの文学的業績を引き継ぐ作品が生み出されなかったのはなぜか。深く入りこみすぎたからだと言われる。とくにペリーに。処刑から受けた衝撃から立ち上がれなくなってしまったからだとも。あるいは『風と共に去りぬ』以来のヒット作となって、有名人になってしまったためだとも。セレブな生活に創作意欲が削がれてしまったのだとも言われるのである。いずれも外形的な評にすぎない。
生活態度を改めて世俗から引きこもったならはたいして次作は生み出されたのだろうか。深く入りこみすぎてしまったに関しても、それだけではなにも語っていないことになる。なぜなら、それならば時間が解決してくれるはずだからでる。しかも生活態度さえ改まっているとすればなおさらに次作は確実である。そうだろうか。『冷血』に比肩するものあるいはそれ以前を含めた第三の総合的世界は世に送り出されたのだろうか。
 小説的方法論だったものが、ノベルの真理に辿り着いてしまった。自分を消すこと(上述)。それが作品の質を高めるため以上に、書くことの意味を形成してしまったこと。しかも問題なのは後付けだったこと。書きながらならともかく、書き上げる直前ないしはその後だったことにより、書くことの意味がそのままその時点で固定してしまったからである。しかも結果としてもまた実質としても、書くことの意味とは自分を消すことに集約されることであった。そして、見事に消し去られた。戻らない、戻ることはできない。
ノンフィクション・ノベルにしてしまったからである。相対立する行為を一体化すること、それは矛盾である。つまり、ノンフィクション・ノベルとは矛盾の言い換えである。「ノンフィクション」は、一義的に作家の想像力を容れないのであるのに対して、「ノベル」の場合は想像力を条件としているからである。アンチ・ノベル。これがノンフィクション・ノベルの真相だったのである。
作家は超えてしまったのである。おそらく気がついた時に。向き直るとそこは対岸だった。同時に此岸だった。此岸に立ちながら同時に彼岸に立つ。おそらくノベルの究極の在り方。その登場が彗星のようであったとすれば、トルーマン・カポーティは、すでに軌道を逸れ誰も追うことのできない、そして自分でも追うことのできない暗黒の宇宙へ旅立ってしまったのである。
 

 おわりに~「『空気』を読む」はありえない~

 トルーマン・カポーティのことを考えると、アメリカという国のことが脳裏に浮かび上がってくる。第二次世界大戦後の世界覇者だが、けして歴史(白人入植者の歴史)が長いわけではない。文学・芸術も然りである。それでも文学は技術的な部分での制約の縛りがないからか、芸術に先んじて独自の歴史(文学史)を築く。
ヨーロッパにない広大な大地や荒野、南北を貫く大山脈という自然的特徴や、社会的には奴隷制の偏在、諸民族の移植、先住民の駆逐、そして政治的には独立戦争、米英戦争(第二次独立戦争)、南北戦争と文学的触発の機会に事欠かない。また作家の個人的側面にも社会的背景などからアメリカ文学に独自なものが窺われる。
 話は脈略なく飛んでしまうが、数年前乗船していた世界一周クルーズで、同船の米国人や米国での生活体験者たちによる座談会があった。旅の仕方やアメリカ談議(アメリカでの生活の仕方や日米比較論を含む)などであった。参加メンバーの顔触れは、白人系や東洋系の米国人、ハーフ(日米)、在米日本人など。すこし記憶が怪しくなっているが、はっきりと記憶に残っているのは、「空気を読む」のテーマであった。日米比較論である。
日本滞在5年の実績を誇る一人の米国人(すでに日本語は上級レベル)が、米国では全くありえないことだと発言した。米国内の学校生活を例にして説明がなされた。学級は多民族で構成されている。つまり一次的に顔付きが違うのである。民族を超えて共通の表情などない。表情は個別に留まり個別の域を出ない。グロバールではない表情では伝え合えない。通じない。気持は言葉でしか伝えられない。どう思っているのか、嫌なのか、それともそれで構わないのか、「言葉」ではっきり明確に伝えるしかない。「空気」では伝わらない。ありえない――「空気」を読む、などということは。
 そこで再びアメリカ文学である。日本文学と較べると、言い換えれば「空気が読める」文学と較べると、言葉との関わり方が根本から違うのではないかと思われてくる。叙述法では日本文学は、アメリカ文学だけではなく〝世界一〟の手段(漢字・ひらがな・カタカナ・ローマ字など)に恵まれている。あるいはこれに「空気」も付け加えられなくもない。しかし叙述対象がとくに人であった場合、彼に迫る言葉が、彼を通じて作者に跳ね返ってくる度合いは、二重存在化して倍加されることになりかねない。作中人物を生きるだけではなく、「生きる生き方」に直面してしまうのである。
縛られるだけではない。奪われるのである。言葉まで。おそらく最初からそんな事態は見込んでいなかったかもしれないが、結果がすべてである。奪われている。それが結果である。おそらく個人の文学的資質だけの問題ではないはずだ。それがアメリカ文学だったからである。短絡的だが、その「犠牲者」がトルーマン・カポーティであった。しかし言い方を変えれば、究極的文学の「体験者」だったことになる。
                                (未校正)

引用・参考文献

越智博美『世界の作家 カポーティ――人と文学』勉誠出版、2005
川本三郎「解説」(カポーティ『夜の樹』新潮文庫、1994年)
河野一郎「解説」(カポーティ『遠い声 遠い部屋』新潮文庫、1971年)
龍口直太郎「解説」(カポーティ『ティファニーで朝食を』新潮文庫、1968年)
龍口直太郎「解説」(カポーティ『冷血』新潮文庫、1978年)
村上春樹「訳者あとがき」(カポーティ『ティファニーで朝食を』新潮文庫、2008年)
ジョージ・プリンプトン/野中邦子訳『トルーマン・カポーティ』新潮社、1999年。
ローレンス・グローベル/川本三郎訳『カポーティとの対話』文藝春秋、1988



◆ 付記~年越し直前~

いよいよ今年もカウントダウンまであとわずか。
我が家からは煌々と明かりを灯す地元の神社(参拝客が多い)が、元旦際を前に杜ごと夜空に膨らんでいる。

どのような1年だったのか、振り返る余裕もなく、今年最後のブログをアップしようとしている。

いろいろな人と出会い、語らい、時には一献交わし、そして明日になにかを繋げようと自分を覗きこむ。特にこれといった人生の節目があったわけではないが、毎日を節目として思いを過去や未来に巡らし、そして現在に立ち戻る。思い出したように「時間」を懐に仕舞いこむ。逃がさない。意味もないことだが、時には子供じみた真似も悪くない。よろしければお試しを。

それぞれの場所で人々は生きている。
人々を思うことは、その人が生きていることを感じるこである。
自分一人ばかりを思うのではつまらない。
ときには人の生きていることの方が輝かしく思われる。
――「人」とは凄いものだ。

   *

ブログをはじて1年と8か月。
五十音に引きずられ、いまや自らはお使い人。
それも良しとして、今は心静かに除夜の鐘の音を待つ。

お読みくださってありがとうございました。

皆様、どうぞ良い年をお迎えください。






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