2014年5月31日土曜日

[の] 「ノート」1~5:小川洋子『沈黙博物館』を読むためのノート


緒 言 この「ノート」は、元来、「創作」と組み合わせの形を採って進められたものである。「ノート」の表題も、当初は「講義ノート」だった。「創作」は、「講義ノート」に先行する形で、「講義者」を「彼」として綴られた。形式的には、両者をセット(「創作/講義ノート」)として前後関係を保ちながら進める形を採っているが、時にはいずれか一方が挿入的に参画して、双方向的に交錯する多層的な組立てともなっている。

両者セットをなす併走構造は、筒井康隆の『文学部唯野教授』(岩波書店1990年、その後文庫化(岩波現代文庫・文芸1、2000年)に倣ったものである。その「彼」は、「彼」としていまだに新しい物語を求めている。

今回は、諸般の事情で新稿(〝月極レポート〟)を起こせなかったこともあり、「創作」部分を外して、旧稿の「ノート(「講義ノート」)」部分だけを代わりにアップすることにした。成稿日は末尾に掲げたが、今回アップに当たって適宜加除を施した。

なお、接続関係を高めるために「創作」(無題)の冒頭部分だけを掲げておく。


1 新学期の教員控室(はじまり)

講義を終えて、教員控室に戻る。自動給湯器でお茶を淹れ、閑散とした控室のなかで首筋を伸ばしながらお茶を啜り、講義で渇いた咽喉を潤す。

午前中賑わっていた教員控室のなかは、午後に授業を残している一部の教員だけが丁度昼食を摂っているところだった。話し声もほとんど聞こえてこない。すでに午前中に2コマをこなしている、専ら土曜日を専属としている非常勤講師たちだった。さすがに続けて2コマの後では、出したくても、しばらくは言葉がでてこないにちがいない。

酸素欠乏症に陥っているからである。教室では気圧が低くなるのである。特に閉め切っている場合は。教員控室は気圧調整室でもある。午後に備える教員は食事以上に体内気圧の回復を必要としている。かりに平然としていられるなら、割り当て発表で進められるような、授業慣れしたベテランに違いない。今も臨席の女性教員たちに向かって話題を振りまいている御仁がいる。教授クラスの年配者である。

大学は横の連絡に乏しいが、思いがけないところで、いろいろなところが見える。教員控室はその縮図のような場所である。些細な仕草の向こうに今終えてきたばかりの授業風景までも連想させてくれる。重く引きずった体をそのまま椅子に降ろして小首を傾げる教員もいる。毎回だ。誠実な授業への取り組みが眼に浮かぶ。颯爽と立ち戻ってくる者もいる。でも内面を隠している。目の輝きが出かける時は違う。バックから取り出した眼薬は神経にさしているのだ。中堅の女性教員である。彼女の人生だって想像できないではない。まだまだある。その気にさえなればいろいろに物語が創り出せる。繰り返しになるが、教員控室はまさに人格の縮図でさえある。見方次第では深入りも可能である。

幾人かの新しい顔ぶれも見える。もしかしたら新しい局面が切り開かれるかもしれない。彼の観察眼にとって新学期の最初の頃はとりわけ刺戟的なのである。その一方で彼は端から旧態依然を決め込んでいる。つまらなそうなお方。どこからか自分に向けられた声が聞こえてくるようだった。思わず我に返ったように彼はお茶を啜る。目線を上げて誤魔化すように外を見る。

大きな透きガラスの一枚窓の向こうには、次の校舎との間に調整池が設けられている。一校舎分以上の広い空間が空いている。長閑なキャンパスである。いつも雑踏の中にいる彼にとって、出講日は一日早い「休日」のようだった。それに曜日も土曜だった。土曜の午後の大学は、休日を前にして次第に閑散としていくキャンパスのなかで物悲しい静けさを広げているのである。

窓一面に広がる青空に浮んだ白い雲も止まっている。彼は雲に向かって笑いかける。手を振る。でもテーブルの上に目を移すと、片手が片手を押さえている。手など振ってはいなかったし、笑いかけてもいなかった。いつか手を振って失敗したことがあるのだ。女学生には気を付けなければならない。「女・学生」なのだ。学生ではないのだ。
教室の風景を思い出す。
時たま思い出したように窓の外に目を向ける学生の横顔が思い浮かんでくる。窓の先になにか気にかかるものがあったのかもしれない。違う横顔なのだ。一瞬自分に立ち戻っている学生の内面が思い浮かぶ。不思議に人間関係を感じる彼の好きな一瞬だった。

上辺では教員や黒板に向かって正対している学生の数がひとまず主流を占めている。しかし、その学生たちを含めて、教室の中は様々な想いを包み込んでいる。形式的には、教員だけに許された、一方通行的な言説に一先ず支配される形を教室は受け容れている。

――ここのところはよく覚えていてもらいたい。
そして、この支配感を好いことに教員は念を押すのである。
彼だってそうだ。人のことを言えた義理ではない。でも、彼は、この支配感に忌まわしい思いを募らせるのである。

どことなく自己不在感を伴った一方通行だったからだ。自分しか通行していない通路が延びている。学生たちは、早くも出口側にいる。戻ってこようとしない。来られない。一方通行を逆走することになってしまうからだ。交通法規の遵守である。ならと思って自分の方から近づこうとするが近づかない。違う、そうではなく、出口には近づいても、学生たちに近づいていかないのだった。逆に遠ざかっていくのだ、学生であるより出口の方が。

こうして彼は、新学期が近づくといつも鬱屈気味に学生たちとの人間関係を疑うのだ。別けても「女・学生」たちとの。

繰り返されるこの関係。時には疑念として突き返されてくる自己不信。その累積――いつ頃からか、出口に背を向けてしまう自分を準備している。後ろ向きで近づくのである。前に在るのは本来の後ろだ。正対関係の反転である。一度、彼はそのようして体を廊下に向けながら教室に入ってみた。一番手前の学生(女・学生)が、呆気にとられた顔をして目の前を横切っていく物体を眺めていたが、彼女を含めて笑い声は立たなかった。笑い声以前だった。

彼が受け持っていたのは、博物館資料論だった。この学芸員資格取得のための授業に、必要な単位を取得する以上の前向きな気持で出席している学生は、おそらく彼が考えているより数少ない。彼は一定の出席回数を要求し、それに満たない者には単位授与のためのレポートを書く権利を認めなかった。

自然と出席率は良くなる。自分で課しておいて出席の良さに驚く。学芸員資格を取得するための必須科目である。間違っても再履修で同じ苦痛は味わいたくない。うつ伏せになっているのだって教員が考えているよりきつい。ときにそれが無言の抗議であることも彼には分かっている。背中が寝ていないのだ。でも水準を下げるつもりはなかった。さらに引き上げた。

彼は、学生との内的な繋がりを保つために、「資料原論」という概念論的な世界を授業計画の冒頭に掲げるようになった。

ところで「資料原論」とは、簡単に言ってしまえば、〈資料とはなにか〉である。彼は、関係文献に当たったが、当然のごとくすべからく哲学的である。彼としてはまんざら嫌いではなかったが、考えていたのは形而上的に過ぎる議論ではなかった。しかしそうは言っても、個別具体的な「講義ノート」が予定されていたわけではない。講義として成立する体系立った原論は、意気込みとは裏腹にしばらく手探り状態が続くことになる。

そんな時、彼が出会った『沈黙博物館』(小川洋子)は、そうした漠然とした思いを払拭させただけではなかった。ここには博物館やその資料に対する見事なまでの反対概念があった。覚醒的でさえあった。実際、学生たちの目の輝きがそれを証明していた。学生個人を越えて教室全体が、予想以上の驚きをもってその「反対概念」を迎え入れていたからである。ここにあるのは「死」だった。死の世界で生きる博物館だった。

それは、まるで知らなかった、気がつきもしなかったもう一つの真理が提示されたに近い出来事であったのかもしれないし、あるいは学芸員資格を取得し、どこかの博物館に職を求めることが可能ならと考えている学生にとっては、その将来的自己像が根底から否定されるに等しい類の話であったかもしれない。たとえ一瞬のことであったとしても。 

 生者に立ち向かわない博物館と、その資料が物語る限りなく内向的な世界が創る真理は、真理とは裏腹に、土曜の限の教室を淀んだような気配で包み、教師に対する訝りを含んだ猜疑心を静かに押し広げていくことになる。

――でもこれは博物館とその資料が抱えている一つの真理です。博物館資料の本質とも繋がっています。

ある頁を朗読した後だった。ショッキングな内容だったかもしれない。おそらくそうだったのだろう、ノートを録る女学生の手が止まっている。目ざとく彼は、教壇上から女学生を補足する。

真面目そうな、そして賢そうな女学生は、自分の中に一瞬疑いを抱いた。それまで漏らさずノートを録とっていた、つい先刻までのペンシルの動きが見事に止められている。

教師の言葉はすべて正しいと考えていた、了解事項であったものを前にして女学生はためらっていた。教師の向こうに『沈黙博物館』の漠然とした闇が浮かび上がっていた。感受性が強いに違いない。闇に危険なものが潜んでいることを女学生は肌で感じとっていた。

なにか危険な匂いがする。女学生は、教壇を見詰めながら、そこに佇む教員が浮かべる、勝手に曝け出しておいて自分では平然としている表情に、どこか不遜なものを感じとる。ノートに録るか録るべきでないか、その判断が、そのまま自己選択を迫っているような思いにまで膨らむ。まるで教員を容れるべきかを試されているような。

(『沈黙博物館』小川洋子、ちくま文庫、2004年6月、定価680円)

結局、女学生は、板書された小説名だけを書き取って、それ以上に教員の「言説」は、ノートに書き止めなかった。


ノート1(「資料原論」)

まずは「資料原論」とう呼び方である。聞き慣れない言葉であるが、なにも難しく言おうとして通有の資料論を使わないわけではない。むしろ逆である。たとえばその分野で深い学問性を究める歴史学におけるそれ(「史料論(学)」)を思い浮かべると(石上英一『日本古代史料学』東京大学出版会、1997年など)、一歩も先に踏み出せないからである。ここで扱う「モノ」「コト」論も、あえて原論と呼ぶことで、その重圧から解かれ、手っ取り早く(簡易に)人との関係性の構築を目論みたいとするからである。必ずしも学問性に対して後ろ向きなわけではないが。

ところで、資料には、その漢字表記の違いで「史料」「資料」「試料」がある。辞書の解説を引用すれば(たとえば『広辞苑』)、「史料」は「歴史記述の素材」、「資料」は「もとになる材料」、「試料」は「試験・検査・分析などに供する物質、または生物。生物の場合は、検体と呼ぶことが多い」などとある。一義的にもっとも人との関係が薄いのは、「試料」であるが(ただしそのなかの「検体」には「献体」などという医学造語があり、この場合は他の「シリョウ」を抜いて一気に人に近づくことになるが)、ここでは三様の漢字表記とそれによる意味内容の相違をさらに遡る。そこにあるのは、「モノ」と「コト」の世界である。
 
 資料原論は、史料論(学)とは別な意味で、深入りすると哲学的議論に陥ることになる。そして、議論の方向が異なるために、本旨を逸れることにもなりかねない。本ノートの「モノ」「コト」論は、そのためにも哲学的議論と一線を画した世界を模索しなければならない。『沈黙博物館』(小川洋子)を読むのはそのためである。

博物館は、その表記三語(「博」「物」「館」)の各漢字の布置関係のとおり、「物」を中心に置く(挟みこむ)。したがって、『沈黙博物館』の場合の「物」は、沈黙している(沈黙していなければならない)ことになる。そのために、通常の「物」が、博物館資料としてモノからコトになるのとは別の途を歩む。それではどのような途を辿るのか、沈黙博物館におけるモノとコトの関係は、いかなるものであるのか、沈黙博物館といえどもモノから出発しているではないか、すなわち、同館が収集する博物館資料である「形見」のことである。形見といえども、モノからコトに移行する物質的原理を有している、そうではないのか。

たしかにそうかもしれない。表面的には、形見も展示物として展示ケースに納められ、その手前にキャプション・カードをたて並べられることで、一般的な博物館資料と同質化する。しかし、沈黙博物館が違うのは、まさに決定的に違うのであるが、それが死の世界にある存在、最初から生の世界の対極に位置していることである。

小川洋子の『沈黙博物館』が、死の世界の物語ではなかったのではないだろうかと語ったのは、同書文庫本(ちくま文庫、2004年、単行本2000年)の巻末解説文の「あらたな生への引込み線」の堀江敏幸である。彼は、解説文の最後にこう語る。「(前略)村に残る決断をした『僕』は、じつはもう死んでいるのかもしれない。それどころかこの村は、すでに命のない人々の住む場所なのかもしれず、兄に宛てた手紙が『僕』に送り返されてきたのも、兄が死んだからではなく『僕』が死んでいるせいかもしれないのだ」と。

主人公の「僕」(博物館技師)は、近況を伝え、病弱な兄嫁を気遣う手紙を事あるごとに兄に書き送る。しかし、一度として返事がもたらされたことはない。たしかにこの小説世界では、生と死の境界を「手紙」に仮託していたのかもしれない。死の世界から書き送られた手紙は、そのために「僕」の今を生きる誠実さに対して、なんら返す言葉を知らないまま、終に閉じられた時間のなかで、作品を通底するもう一つの「声」でもある「沈黙の伝道師」の記憶に引き寄せられるように重なり、あるいは触れ、そして失われていく。

しかし、死とは、それが死と気付かれぬままに、生の再構築を企てる反対概念をそのなかに常に抱え込み、あらたな物語に向わせもする。だれも気づいていない。それは、死の世界が無限大に広く、深い闇を背後に控えさせて、その中に潜んでいるからであった。しかも、同時に生と背中合わせであることが、死の側にいることの、各自の立場をも忘れさせている。すでに休むべき、ながく寛ぐべき時を許された自分であることを忘れている者たち。そう思う時、その寛ぎのもっとも近くにいるべき、博物館の主である老婆のたて続く癇癪や苛立ちがひどく痛々しい。

彼女は、死んでなおかつ再生すべきものを「形見」として、自身の遣り残しの、限られた人生の許された(生存の)時間のなかに凝縮し、その「形見」が創るだろう意味の中心に、心臓が送り出す血潮のざわめきを感じ、やせ衰えた身体を巡る血脈の高鳴りに生存の意図を重ねる。彼女は、沈黙を許さない。死を認めない。もっとも永く死(形見の主の死)を生きていることを、自分以外の誰にも知らせない。いずれにしても彼女は我慢がならない。「形見」が、死することも生きることもできずにいるからだ。彼女の癇癪や苛立ちは、彼女の傍らに向けられているのでも、形のうえでは常にその矢面に立たされている主人公の博物館技師である「僕」に向けられているのでもない。漠とした、形になり切らない(なろうともしない)ものに向けられているのだ。

「生」は、その状態の不確かさを問われて、おそらく、老婆がもっとも嫌うその代表的なものの一つであったにちがいない。そのままでは、博物館資料も老婆には目障りなものにしかならない。そして、老婆を館主とするとき、沈黙博物館は、「モノ」をあるべき姿に立ち還らせる時空間そのものとして立ち顕れ、あらためて、「資料原論」にとって、意味のある館としてわれわれの眼前に浮かび上がることとなる。


ノート2(「形見」と展示)

死の世界に繰り広げられる物語(その中核としての博物館資料の整理とさらなる収集に費やされる物語)が、「モノ」にとって興味深いのは(そして意味あるのは)、モノがその一つの存在形態として考古資料の形を採っている状態であり、それが新たな時間的関係で再編されようとしている時である。地中から掘り起こされるモノは、それが工事中や耕作中であれば、残土のなかに再び埋もれるか、地上に顔を晒したとしてもそれがモノにとって意味ある状態に措かれていることはない。むしろ逆である。モノとしての一次的所在地を失われた状態に放り出されているからでる。それに対して、モノが考古資料という存在形態を纏っている場合とは、発掘調査という記録手段によって、その一次的所在地が記憶に焼き付けられた状態を、原則として将来に向けて永く保障されている状態(性状)に在ることを言うとともに、その状態が本来「モノ」にとって予定されていなかったことにある。

この状態(性状)を『沈黙博物館』に擬えれば、死者の所有物(近親者にとっては死者の「形見」となっている物)であった状態から、老婆が収集し自宅に持ち帰ることができた段階の、その物が置かれている現在時の存在形態に相当する。異なるのは、記録手段が考古資料の場合は、図面や写真それを補う文字であるのに対して、『沈黙博物館』では(いいかえれば「形見」では)、専ら収集者(老婆)の記憶に限られている点である。したがって、「形見」には、その一次的所在地が使用状態を含めて客観的状態では記憶されていないことを意味している。

しかし、一方で収集された「形見」が考古資料に「モノ」として勝るのは、それが「形見」という言葉に言い表されているように、一次的所在地と常に一体的であること、すなわち、それそのものですでに「コト」の状態に達している点である。言い換えれば、最初から「モノ」ではない「物」である。それにもかかわらず『沈黙博物館』の「形見」に意味があるのは(「モノ」としての意味があるのは)、それが多くの場合、通常の「形見」が形成する生者とのノーマルな関係(例えば形見分という姿になりうる性状を常に備えた関係)から当初より切り離されていること、しかも、「形見」との関係性において、形見が生成する人間関係(遺族・近親者などとして取り遺される生者との間に取り交す関係)の外側におかれた状態で、それを遺品としてではなく、関係性の外側からの意味付けにおいて再措定された、あるいは、その「物」が抱える一次的所在地とは無関係な関係性において再認識された状態を保持しているからである。これは、一次的に「コト」であったものが、文脈外の作為性によって、見ようによっては短絡的に「モノ」に転化された状態であるとも言える。

しかも、窃盗に近い異常な状態(手段)で収集されていることが(なぜなら老婆は知人であったわけでもない故に)、その「物」にまとわり付いていた一次的な性状(一次的所在地と背中合わせの性状)を一気に削ぎ落とし、収集者の存在形態を他者であったものから主体者に転換させることに大きく寄与する。そして、生者との新たな関係を付与され、その過程で普遍的な「形見」として再生され、その時点、元来一次的に「コト」であった存在形態を再度獲得するに至る。あとは、通常の博物館資料と同じように個別カードが付され、収蔵目録が作成されるだけである。「形見」は、その作業を博物館技師として採用された主人公「僕」によって行われ、「沈黙博物館」の博物館資料として登録され、さらに展示される機会を待つだけの状態にまで資料化される。

続けて指摘しておけば、次の段階として重要視されるのは「展示」である。なぜなら、その展示は、死者の世界に向けられるだけに留まらず、生者の側に向けられているからである。むしろ、生者の眼を意識した展示でさえある。しかし、大前提となる時間的な関係を疾うから絶たれたこの展示は、生者に重苦しく圧し掛かり、場合によっては苛立ちを呼び起こしかねない。関係性を断たれた博物館資料にたち向う術など、準備もない生者には弁える余裕もなければ、かといって学芸員(博物館技師)からも教えられないからである。展示自体の不条理さが問われる。この不条理な関係に固定されたままで、生者は回り込む回路を見出せずに、その博物館資料(「形見」群)に逆に見詰められる。そして、その「形見」のはじまりに引き戻され、すでに他人では済まされない立会人として、「形見」に問いかける役目を負わされることになる。

その場(ある展示室のある展示ケースの前という場)で、たとえば、「貴女の人生など関係ない!」そう突き放すように叫んだとしても構わないが、遠からず、自己嫌悪を伴った空しさが、陰鬱な気分を引きずったまま取り残されることになる。そしてはじめに引き戻される。「そうだったのか」と展示室の入り口に自分を振り返る。否定するにせよ、肯定するにせよ、「彼女(たち)」や「彼(ら)」と内面で出会わなければならない。態度の明確化も必要となる。求められているのは、人生への立ち入りである。それが沈黙博物館の回路に仕組まれた展示の意図だったからである。

そして、二室目ないし三室目にまで進んで、ようやく展示室の暗さに少し慣れてきた目で、この先に博物館からの出口を求めるためには、一度自分も死者の側の回廊に回りこむ必要のあることが理解されるにいたる。生者は、死者を内面でしか捉えられない。しかし、いままでそれを内面に視覚的に捉える必要を感じることも、その機会もなかった。ただそれだけのことでしかなかった(ということかもしれない)。

やがてその私にもパネルが見えてくる。内面に広がる展示空間に掲げられた白い展示パネルである。その展示説明が、閉じられた任意の人生の評価を求めている。あるいは、その記憶を、鑑賞者(内覧者)の内面に転写(転生)させるために、目を閉じた個人の心のステージにジオラマ化され、かつ同一化を促す囁きを音声解説として耳元に流す。気がつくと、その死者の掛け声にも似た囁きは、自分が少し前まで発していた(自分を問う)言葉に応じたものだったことも理解されるに至る。

「あなたと一緒に生きたい」
「わたしを連れて行ってください」
「わたしはさらに強く生きる、生きます」

そんなふうにあからさまにではないが、展示室の壁や天井に響きわたる、高ぶったというよりかは上擦った声が聴こえてくる。誰の声だろうか、形見の主とも、あるいはかつて形見を否定する側に居並んでいた者たちの贖いの声とも、いずれの語りかけとも聴き分けがたい。それが新たな不安を送りこんでくることになる。

しかも、聴き分け方によっては自分が自分に向かって発している声とも疑われなくもない。それも自身の弱さを前にした、苛立ちとしてである。その声が次第に増幅されて、気持ちの高ぶりへと転化する。高ぶる声は、声の先に相手を求めはじめる。重なりたいのだ。救われようとして。でも声はたち消え、求めた相手が「形見」の主であることを予測して身構えさえ出来ていたのに、終に捉え切れないでしまった空しさのなかで、無言のままに「形見」と正対しているしかなくなる。

でも、誰かと話を交わしていたのだ。肌触りもあったのだ。しかし、見回しても、展示室には自分しかいない。その誰かはどう見ても自分自身でしかない。ますます自分が落ち着かなくなる。自分として在るだけではない別な自分を求めなければならない。はっきりしたのだ。しかし、一人の自分としてしか見えない。さらに落ち着かない気分を引きずりながら、再び誰かを求めてその先に耳を傾ける。

私は、乱れた息を整えながら、次の展示室にはいる。並べ置かれた展示品に、彼らが語りかけてくる前に自分の方から言葉をかける。そして再び誰かと話を交わしはじめる。その誰かは、ここでは、はっきりと自分自身ではなくなっている。いまや異なる自分への自覚に覚醒的でさえある。私は、確かめるようにして一つ前の展示室を振り返る。何かを留め置いてきた気がする。わたしの身から離れていったものである。連れ去られたものであったかもしれない。体内に不思議な空洞感を覚えながら私は展示室を出る。

沈黙博物館の外に出た私は、私が立っている博物館の前庭の芝生から不思議な感触が足裏に伝わってくるのを感じる。それは、展示室の床を踏んでいる時と同じ感触だった。その感触からもたらされる浮遊感にも似た想い、それがやがて私の心を柔らかい光の中でさらに別な場所に誘っていく。


ノート3(ミゼラブル)
 
小川洋子の『沈黙博物館』が教えるのは、「モノ」や「コト」を論じること(「モノ・コト」論)が生者の世界の理屈だということである。博物館資料の理論で言えば、「モノ」は「物」として認識され、さらにそれが記録(ドキュメント)を伴っていることで「シリョウ」となり、人文系シリョウであれば、史料や資料となる。博物館資料は、展示(任意の人間への問い掛け=発語)を前提にして、そのシリョウの内部化を促し、博物館資料に仕向けていく。

「モノ」が「コト」になるのは(変容するのは)、ドキュメントが人為的(人文的に)に再編された段階である。具体的にはそれが史料であるのか、あるいは資料であるのかの認識段階である。したがって博物館資料をその文脈(「コト」化への移行過程)で捉えれば、博物館資料とは、「コト」の選択的再編・再解釈・再措定を加えられた「コト」的「物」であり、「モノ・コト」論流にいえば「モノ」の「コト」化を経た後の、言い換えれば、「結果」の後の解釈(学)であると言える。その解釈学から「結果」が否定的・批判的に問い返される機会は、滅多にない、と言うよりも博物館資料が備える「解釈学」にはその理論武装が元来なされていない、という恵まれたなかにあるというべきで、そして、それは生者(の側)の解釈が行き着く一帰着点であるといえる。

一方、小川洋子が創り上げた死者の世界では、「コト」から始まる。「コト」であることが前提となる。収集対象となった、「手術用メス」「シロイワバイソンの毛皮」「絵具」といった一般名詞的な「物」が、彼女(老婆)のもとで「形見」に再編される。死者の世界の展示は、この「形見」から始まる。「コト」から始まるとはこのことを指す。しかし、「形見」は、外見上「物」にしかすぎない。むしろ「物」でありすぎる。老婆の再編は、それが彼女の記憶にとどまっているかぎり、その外見上の姿は、外に対しては永遠に「物」の範囲を抜け出ることはない(できない)。彼女の日常的な癇癪は、見方によればそれ故ともいえる。「物」であり続けていることへの如何ともし難い(自分の単独の力ではどうにもし難い)苛立ちによるものなのである。

ではなぜ、彼女老婆は、彼女たちや彼らにそれまでして拘るのか、まるでそのために老醜を晒すことも一向に厭わずに生き永らえてきたかというようにして……。分かり切るものではないが(おそらく老婆自身も抱えるジレンマに似ていると思われるのだが)、すべては、「形見」に集約され象徴されているとだけは言える。そして、それはまた、形見という言葉なしには成り立たない世界であることも事実である。肉親や近親者が選択する「形見」は、死者を貶す要因が作為的に排除される時、その「形見」は、死者にとって人生の一面にとどまり、況や死者の苦悶を掬ってはいない。むしろそうした発想は、死者を鞭打つことだと考えている。

死者の人生は、死によって「免罪」補注されていなければならない。生者は、その存在をすべからく肯定しなければならない。しかし、その肯定は、反対概念としての否定を伴っていない。すでに関係性が絶たれているなかで、そして、死者が肉体的に確実に「モノ」と化していくなかで、人は、それが近しければ近しいほど、死者からその人生を再び拾いだすことはしない。完結したものは、遺されたものにとっては完済されたものであるからである。そして「形見」は、その完済証明である。

その時、異議を唱えるものの発する声がうち顫える。それはその人生が完済されたこと、されようとしていることへの烈しい怒りでもある。たとえば、「絵具」という「形見」がある。肢体の不自由により悲しく飢死に追い遣られた、一人の年老いた絵描きの老女が、倒れた床の上で、飢えと喉の渇きを癒すかのように歯を立てて咬み搾り出していく絵具、その歯型の残る絵具類が物語るもの、それはその絵描きの老女の否定された人生の到達点であるとともに、その人生を終始否定し続けてきたそのものでもあった。

人は、自らを否定するものを自ら生きる。高校教師(非常勤講師)の時の、教え子の男子生徒との肉体関係とそれによる放校、贋作に手を染めて永遠に失われる画家としての人生、それでも画家としてしか生きられなかった生涯、その最後を締めくくる絵具のなかでの餓死。この人生の悲惨(ミゼラブル)。悲惨の証言者としての絵具。その絵具を収集した老婆の意思と行為。その老婆と老女画家の負の遺産。二人の間に取り残された完済されない人生。死者を揺り動かす彼女の叫び、怒り、再びの生に向うその叫び声

生き切れない者たちの思いが、彼女の心のなかに満ち満ちる。すべてが許しがたく老婆を襲う。彼女は引き受ける。生き切れない人々の思いに身を沈める。生きることの意味を疑う。彼女は救われないものの意味に立ち向かう。彼女が引き受けるもの、それは永らえてなおその意味の苦しさに晒される自分自身。彼女は選択した。その苦悶は残されるべきものであると。別の生の手によって象られるべきであると。彼女は、若い命にそれを託す。繋ぐのだ。彼女は、自分の役目を悟る。そして博物館技師が必要だと自覚する。かくして今、『沈黙博物館』はあらたな生の語りのはじまりに佇むことになる。

1 この叫び声は、ジョルジュ・ルオーの「ミゼレーレ」の版画集を思い起こさせる。そのフォーブな輪郭線、それは、別に一連の「受難」の厚塗りの油彩画を、パッションと読むだけでなくミゼレーレとも読ませることで、盛り上がった絵具のフォービズムがつくる叫びの先に、画家老女の絵具が創生する人生(ミゼレーレ)を悲しく思い浮び上げることになる。

補注 「免罪」を「一つの偉業」として内済した取り扱い方がある。生前、交流の途絶えていた父親の最期を見守りながら、亡くなった傍らで呟かれた箴言とも言うべきくだり。「人は死者に自然な敬意を払う。相手はついさっき、死という個人的な偉業を成し遂げたばかりなのだ」(村上春樹『1Q84 BOOK3』(431頁)新潮社、2010年4月、傍線引用者)。集金人をしていた父親は、集金率が上がるからと子供を連れて集金に回った。小学校の知り合いの家もあった。後年、子供の辛い気持を慮ることがなかった父親と主人公は長く断絶することになる。昏睡状態に陥って意識の回復が見込めない状態になって、はじめてベツトの傍らで「会話」がなされる。「一つの偉業」は、その締めくくりともいうべき一言(「免罪」符)であった。


ノート4(過去に向わない死)

再び死の世界に立ち戻ってみたい。
ところで、実生活のなかで生起する死や死者は、構造上、生や生者と背中合わせになっており、しばしば一体的でさえある。それは、ある任意の時間のなかで前に進みも後に戻りもしない、ほぼ固定化された時間として出現し、多くの場合、その時間の一次性は、死者の側が所有するところとなる。したがってここには、過去という時間軸は成立しない。過去は、死とは異質な概念として、死との相対的関係の外におかれている。

死は、時間を刻まず、時間の経過を前提とする過去とは相容れない。まさに、時間概念から切り離されている。その意味において、死は生を克服している。永遠性の前で生は死の外側に退去する。

それを一つの真理にまで高めたのが宮澤賢治である。彼が『銀河鉄道の夜』で創り上げた死は、まさに常しえの「死」である。ジョバンニは、死を生き、死を生きることの意味を具に我々の前に指し示す。その息遣い、辺りに漂い流れる闇の夜の微かな湿り、その闇の厚みに守られた死者たちが集う光の環、その光のなかでの語り合い、かつて生あった者たちの生への回顧(回想)、彼等の語らいがその向こう岸に浮かべる闇の静寂(しじま)とそのさらなる深まり……。

その生身に触れるような危うい感覚に包まれながら、丘の上の草のなかに眼を開いたジョバンニは、表向き、夢を見ていたのだとしても、言い換えれば生の側に居たのを思い出すことになったのだとしても、その目覚めが、はたして生のなかでの目覚めであったのかと問えば、ほとんどその覚醒は、カンパネルラの死のはじまり時点にまで遡る、時間的な逆行作用と一体的であることに表されているように、すでに一度死を生きてきたことは、生の行き先を見通せることであること、その意味においてジョバンニが目覚めたのは、彼が夢に入る前のその時点ではすでになくなっていたはずである。おそらく、その時点でジョバンニが目にしていたのは、生の前面に立っていた(回り込んでいた)自分自身を見る自分の姿であったと思われるが、それが死者(銀河鉄道の列車のなかのカンパネルラ)の側に引き寄せられた状態であることに、真実、自覚的であることが、すでにジョバンニを夢見前の同じ生の営みなかに引き戻していながらも、もう一人の自分(カンパネルラの死を共に生きる自分)と向かい合う時間の移ろいを抱えこませることになる。

ここには、あらたな「時間」がある。流れている。死と生を合わせ持った時間、しかもその時間は、常に死の側から再生される「時間」である。そして生は、かつて一度として知らされていなかった、生の終わりに繋がる死ではなく、死から呼び戻される再生的な姿形で、死の側に刻まれる「時間」の自己所有に対して、仮託的な立場を保持していくことになる。この時間のなかには、いまや過去も現在もない。その両者(時間的両極性)と一線を画した時間的自覚、それが我々を未知の閾にまで足を踏み入れることを促している。
 
この生と死を生きる、あるいは記憶の奥底に眠っている不思議に懐かしい自覚的想い、しかし、それは、既存(既得)としては見いだし難く、生が直面する最大の悲しみの中にも見いだせないのである。たとえばよく知られた宮澤賢治の一連の絶唱がある。最愛の妹とし子(トシ)の死(大正1111月末、享年25歳)に直面し、その通夜の晩に一気に詠み上げたという兄賢治の、叫び声にも似た慟哭の詩(「永訣の朝」「松の針」「無声慟哭」)である。

けうのうちに
遠くへ行ってしまう私の妹よ
霙が降っておもてはへんに明るいので
(*あめゆじゅとてちてけんじゃ)
  うすあかくいっそう陰惨な雲から
霙はびちょびちょ降ってくる
     (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
  青い蓴菜のもやうのついた
これ等二つのかけた陶椀に
おまへが食べる雨雪をとらうとして
  わたくしは曲った鉄砲玉のやうに
このくらい霙の中に飛びだした
     (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
原註* あめゆきをとってきてください
「永訣の朝」冒頭一三行
  
(前略)
  嗚呼けうのうちにとほくへさらうとする妹よ
ほんとうにおまへは一人でいかうとするのか
  わたくしにいっしょに行けとたのんでくれ
泣いてわたくしにさう言ってくれ
    おまへの頬の けれども
なんというけふのうつくしさよ
    わたくしは緑のかやのうえにも
この新鮮な松のえだをおこう
    (後略)
「松の針」中間八行

  こんなにみんなにみまもられながら
おまへはまだここでくるしまなればならないのか
  ああ巨きな信のちからからことさらにはなれ
また純粋やちいさな徳性のかずをうしなひ
わたしが青ぐらい修羅を歩いてゐるとき
おまへはじぶんにさだめられたみちを
ひとりさびしく往かうとするのか
(後略)
「無声慟哭」冒頭七行

 高村光太郎は言う、「こんなにまことの籠つた、うつくしい詩が又とあるだらうか」と。そして地方の言葉(岩手弁)の挿入と、その詩句としての比例的美しさに頷き、さらに詩全体を捉え、「さうしてこの地方の言葉が生きてゐると同程度に彼の詩語全部が生きてゐる。内面から湧き出してくる言葉以外に何の附加物もない。不足もないし、過剰もない。どんな巧妙な表現も此所では極めてあたりまへでしかない。少しも巧妙な顔をしてゐない。此の事は詩の極致に属する」(高村光太郎「宮澤賢治の詩」より)と詠嘆する。そう言われれば、さして異論はない。

しかし、「詩の極致」とまでは思わない。かく吐き出されても、詩語は賢治を貫きも突き抜けもしていない。宮澤賢治がここで向かい合う死は、『銀河鉄道の夜』が向かい合う死とは、同じ個人の内面が関与する同一の対象(意識対象)であるにしても、性質の異なるもの、異質にして溶け合うことのないものである。むしろ別の個人によるものとさえ言うべきである。しかも一度きりのもとして。大事なのは、読む側もそのように読んでいることであり、一回性に届く詩語・詩行として同調的であることである。言い換えれば「詩の極地」とは一回性と契約した態度であり、同時に読む側の了解事項が連体保証人になっていることである。

いずれにしても広義の極致に向う詩想の立場とは認められない。たとえば、妹トシへの想いは、失われる死を生に留め置き繋ぎ置くための必死さであり、そう叫ばなければならないのは、その絆が断たれることがすべてを失うことに繋がる(と決め込んでいる)からである。そして強く呼びかけることで(呼びかけ続けることで=連作することで)、まだトシの生と繋がっていられることを賢治は内面に(トシと共有する現実感、それはトシが居てはじめて達成されるものであるが、その一面的には絶対的でありながらきわめて相対的である現実感の再生を伴いながら)感じとる。

いずれにしても、トシが死という形(姿)で自分との絆を(一方的に)解くことを受け容れることはできない。賢治の愛情は特別だった。しかも愛情が向う対象の側(すなわちトシの側)でその愛情を同じ状態で生き直していたことが、その愛情を過大に膨らませた。しかしながらその双方向的で相乗的な愛情から発する、まさしく激情的なまでの気分の張り叫びは、肉親という血のざわめきがなさしめるものであり、それ以上でも以下でもない。しかるに愛情は、勝れて呪縛的である。

もちろん、その呪縛的部分を含めて、真心が詩語に至らないとまでは言わない。しかし、血のざわめきは、健常人ならだれでも(その強弱や深浅の度合いはあるにしても)嵐が必ず止むように、そして海面が再び凪のなかに静まっていくように、次第に平安を迎え入れる。精神的なものであるとともに多分に生理的なものであるからである。したがって大枠では、治癒感とともに在るもの、その自覚のなかにあるものである。しかるに、ジュバンニの生きた死には、この感覚も自覚もない。生理的な死との対峙ではないからである。

妹トシの死の翌年の大正127月、賢治は青森、北海道、樺太方面へ旅行し、トシへのいくつかの挽歌(「青森挽歌」「オホーツク挽歌」ほか)を創作する。花巻(岩手)からより遠くなるごとに、賢治のなかにも次第にトシの死に対する距離感が芽生えてくる。激情から醒めていくにつれ、詩語は、あらたな発語系に組み替えられなければならない。激情を思い出してもすでに気分は自分を遠退いていく。絶唱に続く言葉を探すこと自体がすでに意味をなくしていく。時間の経過は、トシの死を確実に過去に置き換える。

賢治は、トシの死がそうして過去となることを受け容れるためにあたかも挽歌を創作したかのようである。しかも、その契機がそのように北への旅であったのは、あたかもトシの死を招いた岩手から青森、オホーツクさらに宗谷海峡、樺太へと地理的に遠退くことが内面的な促しになっていただろうことを予想させる。しかもこの促しのなかには、悲しみの深さが唯一死者との距離感の解消を保証していた、その内面性自体をも過去としていくことが含まれている。

かくして過去は、対象(トシの死)それ自体と、その対象と一体的に形成されていた自己を伴いながら過去として完結していく。『銀河鉄道の夜』と比較して興味深いのは、形式的には(表面的には)この過去への橋渡しを列車(汽車)が担っていることである。

こんなやみよののはらのなかをゆくときは
客車のまどはみんな水族館の窓になる
    (乾いたでんしんばしらの列が
せはしく遷ってゐるらしい
     きしゃは銀河系の玲瓏レンズ
巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる)
(中略)
私の汽車は北へ走ってゐるはずなのに
ここではみなみへかけてゐる
(中略)
  汽車の逆行は希求の同時な相反性
こんなさびしい幻想から
  わたくしははやく浮びあがらなければならない
 (中略)
  あいつはこんなさびしい停車場を
たったひとりで通っていったらうか
  どこへ行くともわからないその方向を
どの種類の世界へはいるともしれないそのみちを
  たったひとりでさびしくあるいて行ったらうか
  (後略)
           「青森挽歌」『春と修羅 第一集』(傍線・波線筆者)

上掲、挽歌(本来長詩作品。引用部はほんの一部)を少し分析してみよう。波線(イ、ロ)は『銀河鉄道の夜』に近い部分、傍線(ad)はその反対の部分である。前者が『銀河鉄道の夜』に近いのは、イの「やみよののはら」が暗澹たる想いのなかに暗く沈むのではなく、逆にロの対位法によって異なる位相の彼方の前に立たされ、あるいはふとした機会に、瞬時にその青白い輝きを浴びて、新たな時空間のなかに迎え入れられる予感を、それとなく滲ませているからである。トシの死も、ここでは別の時空を生きる。しかも、そのことでかえってトシは、自分の死を自身として生きていることが諒解されることになる。「やみよののはら」と「きしゃは銀河系の玲瓏レンズ」、さらに言外の「トシの死」というこの三者は、あたかも無人の演奏会場に別段示し合わせたわけでもなく、気が付くと、結果的に集っていたという、その夜の別の音系に浮ぶ主役たちにも思われる。

一方、傍線部分(a~d)、すなわち『銀河鉄道の夜』とは相容れない発想がここにある。aの「わたくしの汽車」という表現にすでにすべてが表明されている。言葉の上では銀河鉄道の列車に近い汽車と言いながら、この汽車は、賢治自身にほかならない。もちろん傷心を引きずる賢治である。したがって「汽車」は「心」であり、しかも「傷心」であるが、それを「わたくしの汽車」というのは、詩人の発想としてその卑俗(「わたくしの傷心」という直接的な表現)を許さないだけであって――しかしトシの死に直面したその日、そしてその晩では、その傷心は、より次元の高い痛みである慟哭によってかえって直接性として現われ、いまだトシの生身と共にある自分の確認をもたらすのだが――「汽車」に託けようが、その続きに現れる表現行為は、只管、「わたくしの傷心」の内側を経巡ることになる。したがって、傍線部分(ad)はもちろん、その前後でも詩の1行は、「わたくしの傷心」を(多感に)飾るに費やされる。

賢治の詩は、少なからず長い。それが別な内面による「心象スケッチ」である場合、賢治の文学(世界)の豊穣を幾度となく約束するが、ここでの挽歌の場合、かならずしもそうはいかない。かえってその創作行為の通俗性を少なからず曝け出す。しかし、それでも賢治の文学が掛け替えなく天上的にまで高いのは、そうした通俗性をも抱え込んだ同じ個人のなかで、もしくはその傍らで飛躍的に高い創作力に飛び移ることを容易になしうるような、しかもその飛翔する寸前まで気づかれずにいた、まさに未発見の自分が同居しているからである。あるいは見方によれば、自らの通俗性に我慢ならないために、只管、未知の自分を求めていたものとも考えられ、そうであるならば、彼の激しい感情の直截性には、逆に普遍の高みに横滑りできる天才性が傍らに隠され、日常的にも裏腹の関係であったことを教えている。

すなわち、二つの自己、言い換えれば文学的表現行為における二つの叙述(エクルチュール)は、一方を他者とすることの、その再生的現実と賢治が日常のなかで対峙し続けることであり、それを内面化すること、言い換えれば距離化することであったのだと。そしてもう一つの挽歌「オホーツク挽歌」のなかでは、その距離化の萌芽が認められる。おそらくそれは、上記したように賢治の身体が、北方旅行というなかでトシの死を生じた岩手からさらに物理的(地理的)に遠ざかっていることによって、文学的内面のなかの距離化(他者化)をもたらしているのだと認められる。したがって、現実の地理的な具体性から飛躍した文学的内面とは未だ一線を画していると言わなければならず、それは同挽歌の後半がトシに回帰(それは自家撞着を生み出しているはずだが、挽歌であることによって自己容認される、そうした自分に回帰)していることに表出しているとおりである。賢治がこの回帰から外に出るには、別な地理的環境が必要であった。そのことによってしか、一度垣間見た未知のもう一つの自分に、時空を超えて感覚的に還えることはできない。すなわち、それが「イーハトーヴ」であったことに相違ないだろう。

しかし賢治の童話世界は、そのイーハトーヴをも超えている。時空を超越しているからである。予め必要とするものはなにもない。賢治は語り出し、語り出しながら時空を感じ、感じながらその中を突き進んでいく自分を知り、しかもその自分を身体的にも感じとる。身体は今や心をも超越している(付記しておけば、この身体は現代作家では村上春樹が別な形で所有している)。だからここには一切の過去がない。過去は心が創るからである。しかも、新たに生まれた身体は、瞬時にしてその「過去」をも思うままに再生でき、あれほどまでに激しかった賢治の心をその再生のなかに優しく迎え容れながら、賢治をして二人の自分を生きる彼自身の再生へと目覚めさせることになるであった。


ノート5(今を生きる死)

小川洋子の『沈黙博物館』は、さらにわれわれの「過去」(=「心」)を掬いとった状態で、前触れもなくすでに世界を始めている。その当たり前さは、気が付くとなにか空恐ろしい程であり、このようにしてすでに同じ地点に引き寄せられ、同じ符丁に耳をそばだてていることが、なにか他人事のようでさえありながら、やはり振り返るとそこには自分しかいない(見えない)。より立体的に捉えれば、私はもうその用意された内側でしか意味を感じられなくなってしまっていたのである。しかもそれは、ある意味では過去そのものでさえある。ここではあらゆるものがあらたな意味のなかで生きていこうとしている。「過去」もまた例外ではない。宮澤賢治のなかで形成される(されようとしているトシの死という)過去も、ここで始められた日常への参加(参入)を留保される。慟哭も挽歌も立ち止ったままになる。

ここには、気付かれないだけで別な営みがある。それが(その気付かれずにいる営みが)、人々のあらゆる過去を一先ず止めている。時計の針だけは同じように時間を刻みながらも、昼の光も夜の闇もその同じ輝きやその深さを失い、人々のまとっていた生の営みは気づかれないままに「今」を離れ、我々を安定させていたすべて、すなわち、周囲の光景・ざわめきに私たちを向わせる知覚作用、そして、内面を掌る「過去」及び「今」という時間であり、かつ空間としても生きている意識作用から、われわれの身体(すべてを喪った身体)だけを浮かび上がらせて、別な椅子(ベンチ)の上に置き去りにする。気が付いたときには、私たちは知らない町(村)の古びた駅の改札口を前にしていたのである(『沈黙博物館』への帰着)。ここには、この目の前には今現在も過去もない。なにかのはじまりだけが私たちを待っている。

改札口を出て、駅前に広がる町(ただしくは村のなかの町)の光景を目にしたとき、すでに始まっていることのなか(それはどこか遠い記憶のようでもあるどことなくと懐かしい感覚のなか)に踏み出そうとしている自覚的な想いが、同時に私たちの奥深い意識の底に向けて、遠い記憶を意識の彼方に思い浮かべるに似た時間の移ろいを感じさせていく。数歩を踏み出した時、そして、駅前の広場で背後に伸びる自分の影の姿になにか別な自分の気配を感じて思わず振り向いた時、私は自分が乗ってきた列車(あるいは汽車)のことも、その列車がこの町に向っていたことも不思議に遠い記憶の底に沈んでしまっていることを知り、さらにここに至るまでの経緯を何一つ覚えていないことに気が付く。あるいはまだ想い出せるかもしれないが、それが自分にとって何の意味があるのかと考えると、思い出せないこと自体を気にかけないでいられる。別ななにかが始まることの想いの膨らみを感じながら、影から目線を逸らし、顔を上げて視線を虚空に注ぎ、駅舎の屋根の上に降り注ぐ季節の柔らかい光に面を晒す。

私は驚く。太陽は駅舎の斜め後ろにあったからだ。私の「影」は、前に伸びていなければならなかったのだ。驚きからまだ醒めないなかで、私はなにやら今度は自分の人生を思い出せないでいる。それが積み上げてきた本来なら意味あるべき人生の数々の想い出に至る知覚から遠く離れ、さらにそれと連れ添う自分自身を思い出せないでいる。かつて自分とともにあった、ある部分では内的でさえあった時間や光景が失われてしまうと、いとも簡単に自分自身という意識の大枠さえも失われてしまうのだ。

唯一、私を過去と繋ぐ列車、その列車は駅のプラットホームに止まったままだ。いつまでも動き出さない。やはりここは終着駅(終着点)であったらしい。しかし同じ客車の乗客の人々の顔が思い出せない。下り立った人々の顔が思い浮かばない。そうした人々がいたのかも実は先ほどから定かでなくなっていたのだ(私だけが降り立ったということのようだが、そう言われても、それさえ実のところ定かでないのだ)。

でも構わない。そうだった、私はわたしを失い、喪った自分を前にしているだけでよかったのだ。それがわたしに求められたいたことのほとんどすべてだったのだ。私は準備を終えたのだ。やがて一人の少女(沈黙博物館の老婆の養女)が出迎えに来る。私は、はっきりと取り戻した意識のなかで、思い出したようにして体の向きを反転させ、駅前広場に顔を向ける。柔らかい光が同じように広場に降り注いでいる。確かめるように足許に目線を下す。すると、その目の前で、思ったとおり私の前に「影」は徐に回りこみ、陽の高さに応じて影の長さを求めようとする。

すでに驚くには足らぬ。はじまりが私を出迎えている、まさしくその確信によって出迎えられる自分が、私を出迎えに来ている少女の前に向わせている。少女こそ私のはじまりだったのだ。そしておそらく賢治も思う。トシの死を超え、その死からはるかに高い、そしてその高さの成層から横へ横へと延び広がる累々とした時空を、そしてさらにそこに賢治が出会うであろう少女を。賢治は、わたしと同じように少女によって目覚め、その別の世界への案内を少女の招きよって受ける。

しかし、そのはじまりは、実に平凡な当たり前の言葉ではじまっていく。
「ようこそ」
少女は一言そう言った。これがすべてだった。

(前落)
 依頼主からの手紙には駅に迎えにやると書いてあったが、僕の容姿については何も伝えていなかったので、うまく出会えるかどうか心配だった。僕はホームを繋ぐ階段を下り、改札口に出た。ほかにこの駅で降りた人はいなかった。
「ようこそ」
 待合室のベンチに腰掛けていた女性が近づいてきて言った。予想よりもずっと若い、少女と言っていいほどの年頃だった。
 (略)
 季節は春のはじめで、風にはまだ冷たさが残っていたが、彼女はふんわりと裾の広がった綿のワンピース一枚きりで、カーディガンさえはおっていなかった。空は気持ちよく澄み渡り、薄い雲が風の乗って流れ、あちこちの陽だまりにクロッカスや水仙やマーガレットが咲いていた。
                     ――『沈黙博物館』冒頭部

別な時空の前に立ったことに気がついても、なにも変ったことはなかった。特別な言説が用意されているわけではなかった。だから多くの人々は気づかずに傍らを通りすぎてしまうことになる。いつもそうだった。すべては連続しているとしか理解していない人々に、過去をもたないでいる人の存在のことは理解できない。しかし、そういう人はいたのである。まさになにも語らない少女であるその人である。彼女の存在は、彼女が積み上げてきたであろう彼女の人生から欠落している。だからそれは、語る以前の問題というべきであった。少女は、語るべき自分自身を失っている。しかも、悲しみもなしに平然と失っている。

再び彼女の前に立つ。「ようこそ」そう言って、彼女は微笑んでいる。駅前の広場を渡る春の風のように、その声はやわらかく心地良い。陽だまりのなかに招き入れられる私は、自分を出迎える人が自分よりはるかに年若い少女であったことの意味に少しずつ気づいていく。気づかされるというべきか。少女より長い時間を生きてきた自分は、それまでそれが意味あることだと思って生きてきた。後ろに伸びた影は、私の人生とともにあって、わたしはその影とともに成長してきた。そういうことだったと思っていた。

それが、「ようこそ」と、そう言葉をかける彼女に、私の人生も、その人生へ傾けてきたそれなりに重みのある複雑な想いも、ほとんどたいした問題ではなかった。人生を失っていることの方が、はるかに重かった。それにもかかわらず、彼女は微笑みのなかに佇む。それが私を否定に導く。それ以上に気後れを呼び起こす。彼女よりはるかに年上であることに対してである。少女を前にして、まだ自分の人生の意味のなかに佇んでいる、未練にに対してである。

再び沈黙博物館の世界を見渡す。少女だけではない。失われているものの集積の影が、ひっそりとその気配を沈黙の底に沈めている。そうではないところでも、未だに失われずにいるものを失おうとしている。

沈黙の伝道師は、沈黙を呼び込むことのなかで、それと引き換えに言葉を失っていく。言葉を失うなかで、無言に深く沈みこんでいく身体だけが、残された自己証明の痕跡として、最初から沈黙のなかにいるシロイワバイソンの毛皮を纏う。生の営みに繋がろうとするもの、生の先行きを強引に引き寄せようとするもの、ここでは失われたものを過去に送りこまない。過去は、始まりの傍らで影のように寄り添い、もう一人の自分として生の営みを分け合う。少女は、すべてのはじまりを見届ける。彼女は、この町(村)の時空と重なる。光に透けて、彼方にもう一人の自分を浮かべる。彼女には「影」がない。影から見るべき自分がない。影の必要がない。

再び駅の広場に立つ。
「ようこそ」

何度でも同じ言葉がかけられる。彼女は年を取らないで生きている。そう思われてならない。時間を後ろに送らないでいるからだ。彼女とともにはじめられるあらたな時の刻み、それは、私が自分の「影」を踏み込んでいる上に刻まれていく。傍らの少女の眩い微笑が、わたしの新たな生の営みを優しく導く。

はじまりを迎え入れる。ここに得るものに私たちは名前をつけなければならない。その時、すでに私たち自身の過去をも傍らに見据えながら、「形見」は、あらたな生命として呼び起こされることになる。私たちはおそらく生まれ変る。意味あるものの形を前にあらたな生命が導かれようとしているその時に。そして、そのことの自覚のなかに、まさに今、新たな生が目覚めようとしている。言い換えれば、すでに私たちは「沈黙博物館」のなかに再び入りこみ(あるいは回帰し)、その沈黙(まさしく「死」を組み込んでいる沈黙)に包みこまれながら、あらたな「過去」を生み出す日々を前にして、未知なる時が設える在り処に迷い込む不安さえ心地良く迎え容れ、その館の展示室(かつて私の身(身体)から離れていったものを留め置くその展示室)に籠る空気を胸の奥に深く吸い込む。やがて息を整え終えた私の心のなかに、滲むように広がり浸透していくもの。その中でなにかを感じ、感じるままにはじまりのなかに身を委ねる。

――かくして私がわたし(あるいは博物館技師)として始まっていくのだった。

1 この「影」は、村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンラーランド』(新潮文庫、1988年。単行本は同社・1985年)に登場する主人公の「僕」と別れさせられた(剥ぎとられた)「影」を意識したものである。


[付記]なお小川洋子には、『沈黙博物館』の「形見」以前に「標本」(『薬指の標本』新潮文庫1998年、単行本1994年)ほか「まぶた」に関する話(『まぶた』(短編集)新潮文庫2004年、単行本2001年)がある。それら「標本」や「まぶた」が象る身体部分に関する逸話は、「形見」の伏線である。
                          (200983成稿)

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