2015年2月28日土曜日

[め] 『メタモルフォーシス』~鷲巣繁男の「詩法」~

はじめに~書くことの理由~
 
中原中也の次作 詩はどのようにして書き継がれていくのであろうか。個人のなかにおいてである。たとえば詩作が生涯にわたっている詩人の場合、前を超えることが条件になって次が生み出されるのであろうか。その場合、目安になるのは何なのか。はたして目安があるのだろうか、学術論文のようにはいかないからである。したがって、前を超えるという言い方も詩作の場合は要領を得た言い回しではなくなる。深める(あるいは高める)という言い回しの方が相応しい場合もある。その場合でも超えると深めるのではどう違うのか、深めるの場合でも何を深めるのか、など定見を得るのは容易でない。個別に当たるしかない。

たとえば、中原中也の場合である。『山羊の歌』より『在りし日の歌』のほうが生命的な深さに届いていると理解しているが、では「深める」によって前作に向い合えばそれですべて済むかと言えば、そう簡単ではない。一般的に言えることは、エチュード的な初期詩篇に対してならそれで好いかもしれないが、一人の詩人として自立した後では、次作が前作に対してどのような立場をとるのか、その優劣の判断を含めて単純でない。中原中也にしてもいくばくかの余命が保たれて、かりに三作目にまで手が届いていたとしたなら(二作目も没後の翌年刊行であったのを考えれば、三作目を口にするのは詩人に対する非礼に類した仮定であるが)、前作との関係はその前の作(第一作)にまで遡り、「深める」として捉えた見方も再考しなければならなくなるかもしれない。それでも、前作(二作目)に対して否定的にたち現れる形は予想がつかないので、そう易々と「深める」の評価が覆されるとは思わないが、第一作の音楽性を再現的に取りこみながら、第二作とは異なる生命線の軌道の探索が行なわれていた可能性はある。ただしそのこと自体、中也の現世復帰なしには容易に実現されそうもないことなので、中也を例にとった生涯に亘る書き継ぎ論は、日本近代詩上での好例とは言えない。


 萩原朔太郎の転回 その点で萩原朔太郎の場合は、詩史上の重要性から見ても適例である。朔太郎における「深める」は、日本語表記の在り方と軌を一にしていたからである。見方によっては表記自体が、次の詩集発刊の意味となっていたほどである。一般に「スタイル」と呼ばれている(自ら呼んでいる)朔太郎の詩学のことである。発行順に追えば、『月に吠える』スタイル(大正6年)、『青猫』スタイル(大正12年)、『抒情小曲集』(大正14年)と『氷島』(昭和9年)を括った『氷島』スタイルの大きく三スタイルであるが、朔太郎の詩を読むとは同時に「スタイル」を読むことであり、朔太郎を論ずるとは「スタイル」を論ずることでもある。しかも「深める」の論で興味深いのは、「スタイル」が主導的役割を演じていることである。「愛憐詩篇」の場合である。刊行されたのは、『青猫』後で、最新作の『抒情小曲集』のなかに収載される形をとっているが、詩歴の上では最初期の詩篇(大正23年)である。この場合、『抒情小曲集』の文語詩法という「スタイル」が併載の仲介役を果たしたのである。「愛憐詩篇」が文語詩だったからである。つまり、朔太郎は詩作を文語詩に開始したのである。

本稿は朔太郎論を企図するものではないが、本論にも関わることなので前書の序に朔太郎詩を一瞥しておくなら(ただし「スタイル」の観点から)、文語(「愛隣詩篇」(大正23年))から半口語(『月に吠える』(大正6年)、『蝶を夢む』後半部(大正5年年))、そして口語(『青猫』(大正12年)、『蝶を夢む』前半部(大正11年)、「青猫以後」(昭和3年))、反転して文語(『純情小曲集』(大正14年)、『氷島』(昭和9年))となる。一転してではなく「反転して」としたのは、この後で『日本への回帰』(昭和13年)の上梓となるからである。しかも「反転して」に対して、「望むらくは新人出でて、僕の過去の敗北した至難の道を、有為に新しく開拓して、進まれんことを」(「『氷島』の詩語について」『詩人の使命』昭和12年)と述懐しているのである。あるいは「自虐的な『退却』だった」(同)としているのである。それでもこの「スタイル」しかなかったし、少なくとも「深まり」として同意に至るものであった。何に対しての同意かと問えば、当然にその時の自分に対してであるが、その時の自分とは内面的な想いすなわち心意であった。真意に定見も正解もないが、心意が『青猫』の際とは違っていた。故にそのスタイルである口語には拠れなかった、とは朔太郎自身が吐露するところだった。

 
 詩作への必然 人は何を目安として深まった乃至高まったと自覚的に自己同意できるのだろうか。何のために書くかに明確な詩学を準備していた朔太郎が、「退却」を余儀なくされたからである。したがって、自明であった朔太郎の場合さえ、何のために書くのかに遡って表現の必然が問い直されなければならない。朔太郎における最終同意とは如何なるものであったのか。

いずれにしても、何のために書くのか? 書くことの理由は? などの生真面目な「必然論」などは、まるで学生文芸サークルの合評会時の定番の切り込み文句でしかないかもしれないが、生真面目さと辛辣さは紙一重なので、人は、歳を重ねるに従い、まなじりを決したような意気込みが、赤裸々な内面の露呈以外のなにものでもないことに気がつき、露わな自己表出の度合いは段々と薄まっていくが、薄まるにしたがって、創作力の方も減退していくことになる。減退していくことが自己を自己批判から救うからである。裏返せば書く理由とはそれほどに辛辣なものである。しかし、一度、手応えある言語感覚を手中にした者には、百万言も夢ではない。私事になるが、昨年亡くなった知人の平井弘之はそういう詩人であった。「詩作の必然」を生き続けた人だった。一連の詩集の刊行(「書き継ぎ」)がそれを自己解説している。

*「詩の表現の目的は単に情調のための情調を表現することではない。幻覚のための幻覚を描くことでもない。同時にまたある種の思想を宣伝演繹することのためでもない。詩の本来の目的は寧ろそれらの者を通じて、人心の内部に顫動する所の感情そのものの本質を凝視し、かつ感情をさかんに流露させることである。」(『月に吠える』「序」)

 
詩的内実の喪失 そこで本題である。鷲巣繁男の場合はどうであったかが今回のテーマである。中也や朔太郎もそのための前言である。晩年の詩群からは書くことの理由(以下「作ることの理由」ないし「作る理由」)を模索する場合があったのか、額に皺寄せて自問自答を繰り返す姿が思い浮かばない。後年の叙事詩は確信に満ちた詩行群で占められているからである。しかるに本稿の表題ともした『メタモルフォーシス』(第4詩集、1957年)は、読み方によっては試行錯誤の産物でありその過程(まさしく『変身物語』(オウィディウス))なのである。しかし、後に詩人が好んで「変容」ということばを用い、そこに詩的営為の思いの丈を籠めるようなることを思えば、ここには自身の『変身物語』に「変身」以上の「変容」の位相を求める、高い形而上性への指向態度が窺われる。あるいは、試行錯誤を思えば、高い目標設定によって跛行性をカモフラージュする、苦し紛れの「寄らば大樹の陰」が想定されないでもない。おそらく実際は発奮のためであっただろう。それもこれも、詩作に向かわせ、その詩作を通じて自己対峙に向かわせる、かつての劇的な現実を失ってしまったからである。

これは鷲巣繁男個人にとどまらない、詩人であるとともに生活者でもある個人の等しく抱え込まなければならない自己命題的な課題ながら、時代に翻弄された鷲巣繁男の場合は、とりわけ劇的であった。それだけに、現実の喪失は、詩的内実の喪失であり、そのまま作る理由を根底から揺さぶることになる。反対にそれ以前が、詩的内実と深く関係づけられていた日々だったことを教えている。北海道の原始林への開拓入植とその挫折という壮絶な体験と、挫折後の生活の困窮を伴った札幌流偶とを現在進行形とする中で作られた詩作品は、作品の水準を問われても、作品を生み出すおおもとは問われない。苦難の日々は、すでにそれ自体が「文学」だったからである。故に作る理由も問われなかった。「作る理由」は、作品の側にあるのではなく、生活の側にあったのである。それこそ詩的内実の構造だった。

すこし具体的に記せば、第1詩集『悪胤』(1950年)と第2詩集『末裔の旗』(1951年)を一括した定本詩集中の「初期詩篇」は、それ以前の句作と創意を共有するものであり、直前までの開拓の日々を発意のベースとして、日常生活に去来する戦中戦前の来歴にも言い及ぶ詩的世界である。後年から思うと、詩人にかかる一時期があったのかも訝しがられる抒情を許しているが、いくらエチュードの要因を含んでいたといえ、抒情に流れるのを内済するのも、詩的感興をはるかに上回る、戦争体験を含めた生活の内実が、詩作への転化を許しているからであった。続く第3詩集『蠻族の眼の下』(1954年)は、定職を得るまでの打ち続く生活の困窮を背景としたもので、北辺流偶の思いがより強まるなかに要請された、強固な詩的内実の上に実践された詩作であった。たどりついたのが連作詩「北方」であった。作る理由として総括すれば、それは流謫の血肉化であった。あるいはそこに至る過程のアンソロジーであった。

これから先を詠うためにはあらたな生活の内実が必要であった。連作詩「北方」に脚ったものの言い様ながら、それだけに現実の生活と次の詩集との間には、従来にない乖離が広がっていた。「作る理由」との距離である。妙な言い方ながら定職を得てしまったからである。道内でも中堅の印刷会社(興国印刷会社)に校正係として正規採用されたのである。引き替えは、流謫者の存立が脅かされる事態の招き入れである。以下は詩的内実を第4詩集『メタモルフォーシス』に問う詩読ノートである。



Ⅰ 詩読ノート


新しい詩集 第4冊目となる詩集『メタモルフィーシス』の刊行年は1957年である(詩人42歳)。刊行は日本未来派(鎌倉)、印刷は入社先の興国印刷である。目次を覗いてみよう。大きく4章からなり、独立して序詩1篇(「詩法」)を掲げる。「愛と死」「メタモルフォーセース」「豫兆」「蜜」(原題はラテン語。後掲『評伝』を踏襲)と、いかにも後年の鷲巣繁男を思わせる観念的あるいは甘美的な題名であるが、詩章を構成する各詩篇の詩題はかならずしもそうなっておらず、「馬喰勘五郎の墓」「能吏変幻」「花を召しませ」「なぐられた彼奴(きゃつ)」など、詩章名に対して違和感を覚えるものを含んでいる詩体も散文詩の比率が増し、3詩集『蛮族の眼の下で』では巻末3編を飾るのみであったものが、第4詩集では中核詩体をつくるまでになっている。ちなみに挙げた4編はいずれも散文詩である。その一方では、後年の前身となる大長編詩(「大流蜜期」)を得て、巻末詩として一巻を閉じている。詩人の評伝を著わした神谷光信(同著『評伝鷲巣繁男』小沢書店、1998年、以下『評伝』)は、第4詩集をして「この詩集は過渡期の産物である」(同204頁)としているが、まさに詩人の詩歴上、次のステップにたしかな質的向上をもって移行する上での中間的な詩集であった。以下では、詩人の詩的葛藤を詩学的観点から辿る。


1 主語の転位
 
仮託主語 最初に指摘しておかなければならないのは、第3詩集の主体的な主語であった「おれ(オレ/俺)」から「わたし(私)」への転位である。「作る理由」を一身に纏って強靱に詩行を立ち上げていた「おれ」に比べて、「わたし」の場合は相対的に自己との関係が、結びつきを弱め、その分、詩行との間に距離を生じることになる。したがって主語の転位とは、「わたし」を作る理由の側に引き寄せなければならないことであった。その一つの方法が、他者を主語に借りること(仮託すること)である。かりに「仮託主語」とする。事例を掲げる。

事例1
はりつめられたわたしの形象よ、
わたしを促す 限られたわたしの輪郭よ、
わたしの羽摶きはわたしを生み、
わたしに触れる物皆の 顫へるあはひ。
(「白鳥」起聯)

 ここでの「わたし」は、『古事記』中の「白鳥」すなわち倭健命である。それを明かすためにエピグラフが用意されている。すなわち「故其地に御陵を作りて鎮り坐さしめき。/……然れども亦其地より更に天翔りて飛び行ましぬ。〈古事記〉」と。

 事例2
  いかなるたくらみの矢で ねたましくわたしを狙はうとも、
  おお 小心なる〈時〉よ、
  わたしは滅びない――と、わたしの肉がわたしを支へる。
  光りはゆあみする。ひかりは光りの中で黒髪をねぶる。
  わたしの裸身は溢れ、おのれを食み、おのれを吐く。……かぎりないひとりを。
  (略)
  ぬばたまの闇より顕はれ出でて、熟れた 虚妄の果実(このみ)
  わたしの珠玉(たま)わたしの乳房(ちち)
  ただ わたしへのかすかな羞らひ……
                      (「十市断章」起聯)

 詩題だけでは分かりにくいが、後段に「わたし」が呼びかける相手が「皇子大友」だったと明かされることから、「わたし」とは大友皇子の正妃であった十市皇女であることが判明する。壬申の乱(672年)で父(大海人皇子=天武天皇)と夫(大友皇子)が争い、夫を失った後、天武天皇治世下での皇子大友の正妃であったことの苦しみが、異性関係を超えて「わたし」を他者(女性)に求める背景となっている。その苦悩が強く詠われている部分を掲げれば、「神よ、わたしは御身を呼ぶ。わたしは瀆されたもの、瀆されし幻を負へるもの、/いな、わたしはいまだ常処女と。/神よ、御身は言はるるのか。滅びることを希はぬもの、/瀆るることをいとふもの、愛とともには炎えつきぬもの、/それは狂ふにあたひするものと。」である。

 事例3
  はげしい風と闇の彼方に、エウリディケーよ、おはへは遠ざかる。
  わたしは振返る。罰されるため、わたしがわたしにかへるために。
  断たれゆくものへ、メルメスよ、おんみは黙しかなしむ。
  自然(プシス)は再び近づいて来るだらう、わたしへ、わたし孤りの核に。
(「エウリディケー」起聯)

 詩題がそのままに「わたし」の誰なるかを物語っている。すなわちオルペウスであることを。毒蛇に咬まれて亡くなってしまった妻エウリディケーを冥府から連れ戻そうとして、冥府の神であるハデスとの約束を破って最後の瞬間に振り返ってしまうオルペウス。永遠にエウリディケーを失うことになってしまう、この有名なギリシア神話に「わたし」を仮託できる根拠はと問えば、すなわち「罪」と「代賞」である。ともに詩人にとっては直接法の裡にあるものである。

振り返りは単なる過失では済まされない「罪」に値する愚行であった。その罪に重なるのが詩人の戦争体験である。ただし詩人の場合は、振り返らないことが罪だった。敗戦後の日本人の戦争に対する態度が、詩人の罪意識を深める。罪に対する「代償」とは、オスペウスの場合は、後にマイナス(ディオニュソスを信奉する女性)たちによって体を引き裂かれてしまうことである。対する詩人の場合のそれは、敗戦後の罪の意識を背負った北辺流偶の苦難の日々である。以上の対応関係のなかから詩作を自らに許す道が見出される。罪に対する代賞を経て詩文が辿り着く先は「愛」でる。流謫の先にも見出されなければならないものだった。そのくだりを引けば(最終2行)、「死の底でわたしを支へつつ、エウリディケーよ、限りないおまへの愛が/わたしを待つ、闇の彼方の微かなためいきゆゑと。」である。


 自己内主語 次は自身に自身として重ねられる「わたし」の事例である。かりに「自己内主語」とする。

 事例4
  マーシャよ、雪は闇を急ぐ。
  わたしは急ぐ 前のめりに。
  わたしの眉の谷に雪はちぢれ ひかりを呑み。
  荒ぶる雪はむほんをのみ下し けもののやうに闇に華やぐ。
  並んで歩く頬あかきものマーシャ。裏切りを知らぬ
  素直なえり首。失墜を知らぬ
  充実のひとみ。
  いつの日かおまへがゆびさすであらう 炎の中の父。一点の死。
  ああ その死はまことあきらか。その業はつねにほとび。
  マーシャよ 父になべて子は重い。
       (「SCHNEEKÖNIGIN―十二歳のマーシャに―」起聯)

 丁度日誌的にも長女真弓が12歳になっているので、身辺詩としてよいものである。次聯以降の内容とも齟齬しない。娘に向かって詠うにはとくに資格は要らない。ここではそういう「わたし」に重なる「わたし」である。ただし、娘の成長を願って終えるだけの家族詩ではない。詩行が進むに連れて唐突にシリアス感が深まるからである。父である己の「業」の果ての「死」を、罪に汚れていない、またこれからも汚させはしない、無垢にして純真なる娘の正しきに契機を得て促し、運命的に課そうとする。罪深い己を先行的に措定し、身辺詩から心情詩へと説き起こそうとしている点では、自己の他者化を試みる「わたし」でもある。「さかまく雪に 今は遠ざかりゆくマーシュよ/おまへは旗を振る。/たしかな死への歩み、その私をば祝福する――/と。」は、最終聯である。

 事例5
蚊がくるしんでゐる。女はとほく旅をしてゐる。闇には桃の匂ひがする。
  おゝ羽毛よ、ひとたび人間のおよびに触れたつばさよ。
  かりそめのけがれが、今おまへを むしばみ初めてゐるのか。
  (5行分略)
  蚊がくるしんでゐる。わたしの前に。ゆゑもなく。しかしそれがことわりなのだと……。
  女はとほく旅をしてゐる。私からとり戻した羽毛に曙のひかりがおとづれるまで。
おゝ 見えない舞よ。あなたはめぐる。はてしない夜を、ゆゑしれぬ衰への中で……。
              (「夜の羽毛―去つていつたひとに―」)
 
単聯詩である。恋愛詩であろうか。とすれば「わたし」への理由付けの説明はさらに不要である。省略した中間部5行に観念的な思念が詠われるが、前作愛娘への詩に比べ、自己内主語からの他者化は深まらない。もともと必要がないからである。単聯の囲いに充足し、枠組みに身を潜めることで全き「わたし」になれるのである。試みのつもりだったのか、作詩の真相は知らない。

以上は「愛と死」の詩章の諸篇である。同詩章には、ほかに主語として「おのれ」や「少年」がある。「おのれ」の場合は、姿を見せない第三者的主語の例として処理可能ながら、「少年」は定着した主語となっている。「初期詩篇」から続く主語であり、後の詩法に引き継がれるものである。2篇あるが、一篇のみを掲げる。「少年」を借りてもやはり「自己内主語」である。

事例6
  朝
少年が空気銃で雲を撃った
夕ぐれ 伝説の中で夫人は倒れた
すでに いちにち 刑事たちは走り 怖れは街をおほひ
喪は むらさきに花々の唇に兆してゐた
昨日 少女は少年を意味なく嗤ひ
銃をいだき
少年はイカルスよりもみじめなのであつた
(「夏」全体)

 「イカルス」の挿入によって水平的な回想に失墜させまいとするほか、浪漫的小説の筋立てを弄するが、「少年」に自己を抒情的に諮る域を出ていない。無条件に自己同化が可能であるが、前詩集に与えられていた「作る理由」となる主語としては立ち上がってこない。形式化した「自己内主語」である。


踏襲主語 以上に対して「豫兆」の章では、前詩集で主題と化していた「おれ(俺)」が、主要な主語の一つとして引き継がれている。しかし、前詩集に漲っていた前面化にも顕在化にも乏しく、また詩篇としても小品である。一篇だけ掲げておく。ひとまず「踏襲主語」としておく。

 事例7
  河岸の芝生にねころばう
  おれは波洵(パーピマー)、ダニール・ワシリースキー
  眼をつむれば(いろどり)の知慧の輪あそび
  今おれは心弱く怠けてゐよう
  あゝ たぎる太陽とほく吊られ――
  かがやく蟻がつきあたると
  おれはたちまちスフインクス

(第2聯略)

古武士のやうにいかめしく雲を従へたこの街々の
河岸の芝生にそつときて ねころばう
眼をつむり 彩の知慧の輪をころがして
おもれも呼ぼう
アーナンダのやうな美しい書記を――
このひとときのまどひをしるすため
(「午後の魔」)

 角が取れて丸くなってしまった感さえある「おれ」であるのに、詩人自身としても照れ臭いほどに自覚的であったのであろう、不本意を変貌の術によって挽回するべく「変容」を試みる。初期仏教における大悪魔である「波洵(パーピマー)」に身をやつしてみたり、ギリシアやオリエントに飛んで「スフインクス」への変わり身を試みたりする。その挙句、最後には変貌を「まどひ」として、無為に浸る自己記録を釈迦十大弟子の一人アーナンダ(阿難)に託そうとする。思いがけなく「ダニール・ワシリ―スキー」なる聖名が登場しているが、第6詩集に記された「ダニール・ワシリ―スキーの書・第壱」の前身ではない。なぜなら正教の受洗名であるものが仏教下に仮借されているからである。しかも聖名とは打って変わって悪魔の名としてである。

言葉遊びである。「知慧の輪をころがして」と記すからである。したがって「スフインクス」の場合も同じである。メソポタミヤ神話のスフィンクスやギリシア神話のスフィンクス(スピンクス)として解れば、その姿はライオンの身体に人間の顔をもって両翼をもつ怪物となる。両翼はすなわち鷲の翼であった。したがって鷲巣繁男に自動的に導かれる仕掛けである。それでも省略した第2聯では観念に働きかける。しかし、かつての哲学的な厳しさ滲ませた思考は、「河岸の芝生」にねころぶところからは生まれない。「知慧の輪をころがして」の延長でしかない。言えることは、「おれ」では最早「作る理由」を心昂るようには生み出せないことだった。


 2 散文詩の試み

 詩学の実践場 次は過度期を象徴する散文詩である。散文詩は、2篇(「蜃気楼」「光の中で」)を除いて「METAMORPHOSES」(「変身物語」)の章に集中している。詩章名は詩題ともなっている。特別の思いがあったにちがいない。詩章は序詩となる短詩「フォーヌと母」にはじまり、「馬喰勘五郎の墓」を最初のそれとして、2聯構成の改行詩「枯木の道」を間に置き、以下「能吏変幻」「花を召しませ」「なぐられた彼奴」「双頭の鷲」と四篇の散文詩を続けて締めくくる。上記したように従来になく後続にも乏しい詩題が中心を占めるのは、上記した形而上性の意味を籠めた「METAMORPHOSES」が、一方では副題が示すとおり反形而上性指向をも併せ持っていたためである。掲げられた副題とは、ラテン語で綴られた「Satirae vel Satyri」である。パーンたる半獣神フォーヌを詩の題財とする序詩は、実に意図的だったことになる。副題のとおり風刺劇ないしサテュロス劇を真似ていたからである。しかし対極性を顕示するためではなかった。逆だった。一種の弁証法だった。

なぜならサテュロス劇は、ギリシア悲劇のなかで悲劇三作とサテュロス劇一作をセットとして演じられたもので、表面上は「悲劇のすさまじいアクションの後の一種の鎮静剤、解毒剤」(人文書院版全集Ⅰ、高津春繁、42頁)であるが、完全な形で現存する唯一のサテュロス劇であるエウリピデスの『キュクロプス』の「解題」(同全集Ⅲ、竹部琳昌)では、「単にふざけた道化芝居とは見られないものがあり」と、悲劇に通じる創作的精神の高さに触れている。悲劇を先に三作連続で演じた後でその日の最後にサテュロス劇が演じられる。解放感のなかにもたらされる悲劇への働きかけ――戯作化とはある種の「変容」であった。「変容」に参画するのが一連のエピグラフであった。以下では詩読の視点を主語関係からエピグラフに転ずる。ここにはあらたに詩学を構想する挑戦的な詩人がいる。


エピグラフ1(荘重) まずは「馬喰勘五郎の墓」である。「マタイ伝」からの採録である――「パリサイ人よ、汝らは預言者の墓をたて、義人の碑を飾りて言ふ、『我らもし先祖の時にありしなば、預言者の血を流すことに与せざりしものを』と」。しかるに本体の方では、「柩ニハ溢レルバカリ花ヲ。」と墓ならぬ柩から語り始める。柩に入っているのは、馬喰勘五郎である。散文詩の主人公である。「パリサイ人」ではない。あえて言えば「義人」である。
敗戦で一夜にして世の中の価値が一変してしまったなかで、それ以前(冒頭柩の語り出しとなる以前)、ある競り売りが行なわれる。その件りが綴られていく。昨日は尊徳二宮金次郎像がたったの5円で競り落とされる。今度は御真影奉安殿(石造り)の番である。1円からはじまり250銭まで吊り上げられる。これで決まりかと思ったところへ勘五郎がなにを思ったのか、50円の無鉄砲にも程がある高値をつけたのである。一同の驚いた顔が一斉に向けられる。最初に1円の値を付けた砂金採りの甚兵衛が、「イツタイ勘五郎サンナニスルダ!」と恐る恐る問う。返ってきた答えは、「墓ニスルダ、オレノ墓ニヨ!」の一声だった。その放談を得て冒頭(「柩ニハ溢レルバカリ花ヲ。」)へのたち返るとなる。以下は冒頭部を承けた最終場面である。大きく略して掲げる。

ゲニ、ナニハブシノ勘五郎ヨ。オマヘハアスカラソノ墓ノ中デ、永遠ノ眠リヲ眠ルノダ。(略)学校ウラノドド林ノ、金文字入リノオマヘノ墓ガ、オマヘヲ不滅ニスルタメニ。
柩ニハアフレルバカリ花ヲ。野ニハ吹雪ガハシリ。トド林ニハカラスガ啼キ。オマヘハイソグ。アスシヅシヅト奉安殿ヘイソグ……ソノ前ニチヨツピリ焼カレ。

略した部分には奉安殿を競り落とした理由が書かれている。そうでもしなければ天子様をお守りできないのだと。強烈なアイロニーである。詩人はかつて天皇崇拝者(ただし古代天皇の)だった。エピグラフとした「マタイ伝」からの引用は、さらにその効果を高めずにはおかない。第231336の「聖書学者、パリサイ人の偽善」の件りを、日本の敗戦の前と後のそれ(偽善)に重ねたからである。そのなかでも最大の偽善である預言者の死に対する弁解(パリサイ人の自己弁解=日本人の弁解)に、戦前戦時中の象徴的な代物である奉安殿の競り値(安値)を掛けたのである。かつて「おれ」として発語していた件りを「悲劇」の台詞とすれば、ここではサテュロス劇のそれとして、同劇がつくる反面教師にそれを語らせたのである。詩体を散文詩としているのも、深読みすれば、韻文改行形の荘重な響きをわたらせる悲劇との差別化を図ったためである、と想定するのも一つの詩読態度となる。


エピグラフ2(懐旧) 次の「能吏変幻」は、敗戦直後の混乱をエピグラフの漢詩世界に絡めた諷詩作品である。「ニコヨン」――低賃金で働く日雇労働者のこと、1949年東京都が日雇い日給240円と定めたことによる――で暮らす夫婦の悲哀が、明日の命を左右する吏(ここでは「能吏」と皮肉る)の差配振りに風刺化される。叙事詩はほぼ俗語の遣り取りで占められ、詩文に相応しい修辞は皆無である。意図的に避けられている。それがかえって野卑な俗語調によって社会の底辺に深く切りこみ、時代相を鋭く抉りだすことになる。エピグラフの効果でもある。

引かれたのは、杜甫の三吏三別六篇の一篇「石壕吏」のわずか二行分(五言古詩の起聯の一部)であるが、象徴的な件りである。「吏呼ブコト一ニ何ゾ怒レル/婦啼クコト一ニ何ゾ苦シメル」。吏はなにを怒り、婦はなにを苦しむのか。吏は徴兵係である。家々を襲い容赦なく引き立てて行こうとしているが、目当ての男がこの家にはいないのである。気配を察知した家の主(老翁)は、直前にこっそりと逃げ出していたのである。代わりに戦場に赴かんとする婦女の胸中がこの後に詠われる。この時代、婦人も参戦することがあったようである。婦女の心中にあるのは、自分が征けば、逃げた夫も追々立ち戻るので、残された娘と孫の生活もたち行くであろうという、家族の安泰を思う気持ちばかりである。

敗戦直後のダム建設現場で共働きした経験が下地になっているにちがいない。その時妻は夫以上の働き振りを見せたのである。体験が先立つというより、叙事詩という詩形式の立ち上げを仲立ちにして再認識(再評価)した懐旧的な体験であったにちがいない。作品がそう語っているのである。どこか後付け的な発話だからである。


エピグラフ3(聖俗) 次の「花を召しませ」は、詩題が暗示するように意表を衝いた実験的な作品である。冒頭部を示しておこう。

壁にかかつてゐる上着はうしろむき。壁に匐つてくる〈ひばり〉の歌。
主人はヘルツノイローゼ。昨夜は酔ひ、コミュニスト・ヤポンスキーの眉間を割り、おのれは鼻をすりむいた。傷よ、傷口よ、愚昧な弟子たちよ、そして又、非業の死よ、煩瑣な末流よ、阿毘達磨大比婆沙。善財流浪に飽きて、寝そべつて読むオウィディウス・アルスアマトリア。自動車に雪どけの泥を浴せられ、とび込んだラーメン屋。並んで喰う女の子たちへのてれかくしに、主人は焼酎をもう一杯。精液を噴く巨大なプリアップを支えてゐる悲しい顔つきの僧さながら。

 冒頭一行目の「〈ひばり〉の歌」とは、エピグラフに直結させて立ち上げた1行である。後続の仏教関係の件りも同様の立ち上げ方である。すなわち、「〈ひばり〉の歌」に関係するエピグラフが、「花を召しませランララン 愛の紅バラ 恋の花〈当世流行歌・美空ひばり〉」で、仏教関係のそれが、「阿弥那識ハ甚ダ深細ナリ、一切ノ種子ハ瀑流ノ如シ〈解深密教・心意識相品〉である、両エピグラフは聖と俗を際立たせるように併記されている。当時の詩人の姿でもある。一時期の無頼な日々の生活を背景として(『評伝』169頁)、やけっぱち気味に斜に構えて手荒くなぞった後に、気が済んだのか、歌謡曲にリズムをとりながら陽気な裡に擱筆する。以下はその最終節。繰り言に明け暮れる3節分を大きく省略している。

  主人はやがて消えるだらう。阿頼耶識は残るだらうか? ヤポンスキーは裏切るだらうか? 輪廻の中で、見しらぬ犬が吠えつづけるだらうか?
  壁に匐つている〈ひばり〉の歌。ひとびとは胸に手をあてて聴いてゐる。
  家出した田舎娘のやうにうつとりと。花を召しませランララン……と。

 主語は「主人」で詩人自身である。仮託の形はとっていない。『評伝』の語るところによれば、詩人は、当時、心臓神経症(ヘルツノイローゼ)に苦しんでいた(実際は頸椎損傷。20年近く経って判明(同163頁))。また文学関係の一人の女性(東京から来道した女性詩人)と懇意になったこともあった(同169頁)。それがオウィディウス・アルスアマトリア(古代ローマの詩人オウィディウスが著わした『恋の書』=アルスアマトリア)として記されることになる。あるいは深酒が過ぎた時などは文学仲間としばしば口論となったようである。それがコミュニスト・ヤポンスキーとなる。

かく本作品は、『評伝』に知るところで詩の組み立て方が解釈可能であるが、実験作とする所以は、作る理由が、修辞への新たな挑戦と読み替えられるからである。しかるに詩人を満足させる水準は得られていない。逆に呻吟する姿が浮かんでしまう。対極にあるエピグラフ間の乖離は、詩本体とそれとの乖離にもなってしまう。とくに仏教との内的連携を維持するのは至難だった。浮いた感じが否めないからである。意に反して作る理由は本人を遠ざかろうとしていた。結局、「作る理由」を「作る理由」とする詩作にしかならなかった。後続(「なぐられた彼奴」)ではエプグラムが落される。エプグラムから散文詩を構想する限界だった。


 小説指向1 戦時中の一エピソードなのか、あるいは部分の事実関係に基づいた創作なのか、目の前に情景が具体的に浮かび上がってくるのである。まさにその時、上官に殴られた一兵士がいた。家(日本の家)に帰りたいあまり自傷を試みたのである。実際は真似(「銃剣を腹に突刺す真似」)だけだったが、喚びだされたのである。執拗な問いただしに答えた内容はと言えば、日本にいる若い叔母のことであった。姦通していたのであった。咄嗟に軍曹の大きな平手打ちが、男の頬を激しく見舞い、男の体はその勢いで地上に押し倒されてしまう。しかし、散文詩は次のようにはじまっていく。一連の経緯は後段で明かされる。

  その荒寥とした部屋の窓ぎはに、ただ一つのピアノがあつた。それは埃つぽいとげ立つたホスピタルにおよそ似つかぬ、真新しく巨大な代物であつた。何者が、何ゆゑに、このやうな物をここに運び据ゑたのであるか。しかし、そこにピアノは存在した。そして今、扉があくと、いきなり髑髏のやうな容貌の男が入つてきて、しづかにその前に坐つたのであつた。髑髏のやうな――彼の眸は、どこを見てゐるのかわからぬまま、或る一箇所をみつめてゐるのであつた。ふと彼は微笑した。
(「なぐられた彼奴(きゃつ)」冒頭)

 この場面だけだとそれが戦場を舞台としているのに気づかないが、続く一節に「窓の外には国境の街があって」とあり、さらに「下士官の膝で春婦が唱いながら」と出てくるので、一気にシリアスな感じが深まっていく。詩題の野卑な響きと袂を分かったように開始する、ゴチック調にも立ち上げられた冒頭場面を承けて、男の指が狂ったように鍵盤を捉え、「目もとまらぬはさやさせ」でピアノを弾き続ける。それもショパン、シューマン、ベートーヴェンである。この直後に平手打ちのエピソードが唐突に語られる。改行もしないで同じ文脈に載せられる。非連続を連続とする継ぎ方は、詩文の特権であると言え、一方(平手打ち)が生々しすぎて、ゴチック調の件りは違和感を深めてしまう。それでも詩人の日本語能力は卓抜である。戦場とピアノとの不整合を異郷の趣きに変えて妖しく詩情を漂わす。以下は殴り倒された後である。

  街の向ふには一木もない曠野が果なく拡がり、日輪を狙ふいまわしい雲は、その曖昧なあたりから湧いてゐるのであつた。奇怪な弾奏者は曲を続け、荒寥たるホスピタルは静かに旋回し始めてゐた。千の指の中に踊る時間の合間に、彼の叔母の白いししむらは息も絶えだえであつた。窓の下には街があつて、春婦はまだ下士官の膝に乗り、指はいきいきと踊つてゐた。……千の兵士達が卑猥な唄を合唱して。

 ここで終われば、味わいのある大陸文学にも読み替え可能な、日本の外に閉じた時空の創出に成功することになる。戦前であったなら安西冬衛主催の同人誌『亜』にも相応しい内容である。詩誌中で交感の度を深めることになるであろう。しかし作品は、ここで終わらなかった。終えられなかった。詩人の「大陸文学」は、敗戦後の本土で再び戦争を生きなければならなかった。それが詩文を終えさせない理由であり、しかも作品を歪める原因にもなってしまう。主題が追加されてしまうからである。それが聯を分かって立ち上がる次の最終聯である。直前部分から引く。

  いきなり陽が翳つた。忽ち彼等は悉く白骨となつて歌い、歌いわめいた。その時、髑髏のやうな男は、少年となり、いきいきと頬赤く、旋回する叔母は少女のやうに匂い出すのであつた。

  そして、強烈な日が断末魔の光を再び街の一角に注ぎ、また翳るたび、兵士等は白骨に、白骨から兵士に、――少年は髑髏に、髑髏から少年に、――旋回するオスピタルの中で――叔母は少女に、少女から伯母に、旋回する曠野の中で、奇怪な弾奏の中で、卑猥な合唱の中で、――変貌はいつつきるとも知れぬのであつた。

断章風に織り込んだ殲滅場面(広島・長崎の原爆か)は、主題追加による転調を詩文にもちこむ。しかし、後付け的であることを免れられない転調が呼び込むのは唐突感でしかなく、まとめ上げ方も慌ただしい「旋回」に終わることになってしまう。散文詩群中ひとり異色な諧調を刻むこの作品は、後に詩人が手掛ける創作と連携してさらに深刻な散文文学(小説)を生み出すことになるが、叙事詩の枠組みを逸脱する散文的発現力は、ここでは叙事詩に対する制約として作用することになった。

ただし、「作る理由」たる内発力は、その反作用として生まれていたとすれば、試される意義は十分あったし、次の第5詩集の副題を得ることに繋がっていくことで、詩人のエキスとなるものであった。すなわち、『魂のための神聖劇 神人序説 広島および長崎の霊に捧ぐ』のごとくにである。


小説指向2 最後を飾る散文詩「双頭の鷲」は、冒頭部と終盤部に「わたしを支へてゐる喜劇」と二度に亘って「喜劇」を掲げ、喜劇に自己同化を試みようとしているが、作品自体は、アイロニカルな精神を基調に据えているとはいえ喜劇ではない。むしろアイロニーは、ここでも散文詩を散文詩であるより創作に仕向け、味わい深い作品に仕上げている。人間存在の侘しさや孤独感に散文的筆致が深く及んでいるからである。小窓から覗きこむような開放的でない視野の保ち方が作品を貫いている。視点の設定には、上掲ゴシック調に通じるところがあるが、ここには幻惑的な部分はない。むしろ即物的である。時代の近さから言えば、「第三の新人」張りである。小説としても十分一佳品足りうる。しかし、散文詩として制作されたものである。それがここでも無理を強いることになる。やはり過渡期の作品として当たらなければならなくなる。
 
まずは先に問題とした「主語」のこと。ここでは婦長がその役を担っている。しかし、詩文からは女性が匂い立ってこない。影も感じられない。内省的な冒頭の展開部は、「おれ」とまではいかなくも「わたし」であり、事実「私」「わたし」として出てくるのであるが、浮かび上がってくるのは男としての「わたし」でしかない。

 (前略)
雪が降る。聞えてくる、あれは安売のマーケットが鳴らす〈双頭の鷲〉。遠くでは歌〈カチューシャ〉。堕ちてゆく雪の闇の、ずんずん深くなる闇の、私の底から昇る、もう一つの歌、キリエ・エレイソン! キリエ・エレイソン!
あゝ、なんといふ他愛のない一切の結合、悉皆の離散。わたしは沈む、それら雑駁の音楽の底。私を支へてゐる喜劇よ。私の孤独、もうそつと私の傍においで。おまへの知らない新しい出来事をきかせよう。きのふ、けふ――だけど昔の事のやうにも思へて、わたしはひとりでに笑い出す。孤独よ、しかし、黙つてお聴き!

 しかし、その後すぐに、「わたし」から聞かされる話で、「わたし」が婦長であることが明かされる。病院内の話である。夜更け、一人の男が病院を訪ねてくる。「婦長さん、あんたはここの婦長さんだね。何だつて、うちの女房に子どもを産めなくしたんでえ」と。そのやりとりがしばらく続く。婦長が赴任してくる前のおととしの話(手術の話)だった。結局、男の妻の虚言だったことが判明。妻にとって男は新しい夫だった。前夫との生活のなかで避妊手術を受けたのを隠して、この病院で受けた子宮外妊娠の手術で産めない身体にさせられたと説明していたのだった。なぜ子が授からないのだと責める男に対する釈明だった。

婦長もカルテを調べて知ったことだったが、そのまま事実(避妊手術だった事実)を伝える。男の抗議もこれで一件略着となるが、本題部分はこれからである。子宮外妊娠自体は事実だった。それに男の「子ども」だった。なにを思ったのか、その際取り出した「子ども」の「形」が欲しいと言いだしたのだ。当然ながら最初から「形」もなければ、「形」以前のものは決まりとして焼却処分することになっていた。「そんなら、その灰があるだらう」。今度は「灰」を欲しがったのである。

おととしのことである。残っているわけがない。残っていてもほかの(直近の)灰しかない。すると、またもや思いもよらぬことを口にするのだった。「それでいいんだ。わつしはそれを。わつしの子どもと思い、大切に、永久にしまつておくよ。その灰を下さい。婦長さん。」と。そして用意したあった壺を差しだすのである。
 困惑しながらも婦長は壺を抱えたまま奥に入っていく。嘘だった。灰などどこにもなかった。話を聞かされた当直医師は大笑いして、同時に男の振る舞いに腹を立てて、部屋のストーヴの抽斗を引くと、吐き捨てるように「これを入れろ」と告げるのだった。その直後、たっぷりと詰まった壺が男に渡されることになる。そして「話」の最終場面。

――お断りしておきますけれど、この灰はあなたのお子さんのではありませんよ。
  と、わたしが冷やかに言ふと、あいつはなほもにこにこと、
  ――いいとも、いいとも、わかつている。しかし、わつしはこの灰を、わつしの子と思つて抱いていくよ。いや、これは正真正銘のわつしの子さ。
  眼よりも高く壺を捧げると、一礼して、大切さうに白布に包み、女房を無言で促した。女は青白く肯いた。
  雪は激しかつた。扉をしめる間も、すさまじくタタキの上に入つてきた。

 小説ならここで筆を擱く。冒頭の書き出しも「雪が降る。」である。結局このまま終われないのは、前の作品と同じである。小説との違い、つまり散文詩と小説との違いである。以下はいささか詩論への言及である。


省略と加算 改行詩ならここで終わってよかった。終わるべきだった。後付け的な説明は避けなければならない。詩学でもある。有名なところでは吉田一穂が拠ると厳格詩学である。「白鳥」15章の極相が語るものはそのまま一つの詩学である。一切の説明を削ぎ落すからである。別の詩(「鴉を飼うツァラストゥストラはかく語った」)では、5行詩の内の最初の1行と最後の2行は要らないようなものであると語った一穂である(吉田秀和「吉田一穂のこと」)。

実は同じようなことはかつて萩原朔太郎も晩年になって語っていた。大岡信の萩原朔太郎論に紹介されている。大岡信が三好達治と対談した折に聞かされたことである。後述の鷲巣繁男の「詩法」にも関係する。

  萩原さんは、ぼくの書いたものを前において、「詩というものは、前と後をヘシ折って書くんじゃ」と言った。それはね、簡単な言葉だけど、大事なことを言っているんだ。(略)今になるとよくわかる。だからね、先生はそういうこと、すごくよく知ってるんだ。あれも(三好達治の自作の事・引用注)、いかにだらだら書いているようなことがあってもね……。詩はやっぱり〝省略〟しなければだめだね。省略についての目安とか神経とか、そういうものを持たんければならんじゃないか? この頃のは非常に散文的だな。散文精神なら、引っくりかえってもいいけどな。(大岡信『萩原朔太郎』ちくま文庫、13頁)

 そして当の大岡信も、この朔太郎の教訓を、他人を介してであっても「身にしみて忘れられない」としている。吉田一穂を「一穂師」と呼ぶ鷲巣繁男にも分かっていたことである。師に倣うかのような作り方もしている。しかし、詩人は同じ道は選ばなかった。選べなかった。吉田一穂の言だけではなく、「この頃のは非常に散文的だな」と、非省略的な同時代詩に批判的な三好達治の言い回しに対してもであった。叙事詩への道とは「〝省略〟」の止揚であったからである。

しかし、散文詩段階ではいまだ詩学には高まっていなかった。とくに上掲散文詩の場合は、「散文的だな」ではなく散文そのものだったからである。その意味では〝省略〟以前だった。むしろ必要だったのは〝加算〟だった。散文で終わらせないため、すなわち詩作品にするためであった。その加算部分が以下の終盤場面である。

  私の孤独よ、お話しはそれで終わりさ。それから先を、わたしは知らぬ。おゝ、わたしを支へてゐる喜劇。わたしは声をたてて笑ふ。だが、それからは何も続かない。
雪が降る。あのひとは帰らない。あのひとはサガレン? あのひとはモスクワ?
きこえてくるあれは〈双頭の鷲〉。孤独よ、おゝ、おまへは、わたしを呑まうとする。わたしは、じつと目をつむる。雪の闇の底から、わたしの底から、昇つてくる歌――
キリエ・エレイソン!

 詩人になり代わって課題を上げれば、まずは女の「わたし」にすること。創り上げること。ということは当然に詩的エクリチュールと対峙しなければならなくなるが、「キリエ・エレイソン!」(主よ、憐れみたまえ!)で事済んでしまったのだろうか。それとも祈りの前では性差は問題にするほどのことではなかったのだろうか。そんなことはなかったと思われるが、結果から見れば、詩的試行は祈りに回りこんで課題の回避の道を選び取っている。前向きにとらえれば、回避も次のステップ(叙事詩)への負の試金石となる。そうだったはずだ。同じ詩集のなかで叙事詩が誕生しているからである。巻末の一大叙事詩「大蜜流期」である。


 詩的疎外感 結局、第4詩集は、改行詩にあらたな主語「わたし」を模索しながらも、「わたし」が強く立ち上がらないことから詩語は自ずと制約的に発意の度を弱め、詩体の弱体化を招いてしまう。挙句、疎外感に晒される羽目に陥ってしまう。すでに改行詩に関しては主語関係から事例を重ねてきたが、この詩的疎外感からも幾例かを引くことができる。ここでは一例だけを示しておく。

    光

喪を急げば 光 野にうごく

いかなる訃音か わたしは知らぬ
変移へ 崩れるものへ わたしは喘ぐ

並木は重く 花粉のにごり
花粉は交合の匂がする

ああ ひとよ 手には熟れたる果実――その故を知らず
灯をともし蛾を狂はしめ 時を祭るか

野にうごく光は知らぬ
ソドムの火? ヘドロの布告(ふれ)

急ぎつつわたしは廃れ
サチュロスのごとく醜く渇き

とほく 子は日夜シンデレラを想ふ

 もし詩的疎外感のなかに散文詩への詩脈が追い求められたとするなら、同じ詩集に編まれることで「光」のような「小品」も立ち位置の景色が変わる。散文詩が借景となるからである。勿論、それぞれの制作時点では単独の成立が指向されていたはずであるから、編集時の発見を含め結果論でしかない。とりわけ散文詩では制作意識も高かったはずである。第三詩集『蠻族の眼の下』を初出とする散文詩が、第4詩集とちがって主語を「おれ」の範囲でとっていたのが、本詩集では「おれ」だけでなく、あらたに浮かび上がる主体者(「変身者」)に詩的実感を覚えようとしていたからである。

故に詩人は、意識の高さに裏切られる形で二重に詩的疎外感を味わうことになった。散文詩ではさらに疎外感の増幅に晒されることになった。仮借が一義的に散文的行為すなわち小説に帰属するものだったからである。ならば何故、分かっていて、散文詩を試みたのか。改行詩に覚えた詩的疎外感が、事の始まりだった。


詩史的課題(提示) 今回は言及できないが、この問題は日本近代詩の課題でもある。たとえば萩原朔太郎と変遷する詩的遍歴の問題(上述)。対極に位置する朔太郎の生涯に亘る友人であり詩友であった室生犀星の不変の詩歴など、追い求めれば切りがないほどである。とりわけ問題の核心を衝いているのが犀星の「詩論」。すなわち「不変の詩歴」のことである。自身の全詩集の編集に自己解説を施した次の件りで発せられた文言(〝開き直り〟)である。「本全集編集にはやはり抒情詩が主体であることは、私の詩集が悉く抒情詩以外は書かなかったことに原因してゐる。最後まで抒情の世界から出なかつたことは、今日の私にはせめてもの拠りどころであって、この点で私に過失はなかつたことを再記したい」(室生犀星「『室生犀星全詩集』解説」、1962年)である。「過失」とは、いかにも神妙なる言い回しである。ならば、定めし朔太郎は過失だらけとなる。ただし犀星詩論への逆説としてであるが。



Ⅱ 鷲巣繁男の「詩法」


「詩法」の誕生 以上の問題はすべからく何故詩を作るのかに再集約される。結果としての詩学でありその遍歴である。日本近代詩の場合、作る理由が主に情緒に発しているだけに、発展的に詩歴を重ねることが至難の業となっている。情緒は発展より停滞に親近感を見出すからである。ときには拘束に向かう代物である。鷲巣繁男の場合も第4詩集で表出した改行詩による詩的疎外感は、情緒によるものである。その藻がきであったとしたなら散文詩はまだ試されてもよかった。独自の水準を得ていたからである。でも試さなかった。情緒の補完にしかならなかった。悪く言えば情緒による改行詩の借景の用にしか役立たなかった。分かってしまったのである。詩集全体の序詩をなす「詩法」は、かくして確信の内に生まれることになる。

詩法

コノ回転スル自我ノ球体、何タル透明ノ断絶。

設定スル己レノ中ノ己ノ一点ハ空シク、
阿僧祇劫ニ流転スル仮相ニオイテ
水ト窒素ト燐ノ内燃ニ投影サレテ
既ニ我レヲ去リシ言葉ニ ナホ震駭スルコノ生臭キ肉体(ニク)

アア時空ヲ截断シテ己レニ何ヲ与ヘルト云フ。
イカナル理由ト価値ヲ己レニ与ヘルト云フ。

常ニ永遠ヘノ自尊ト悲願ノ故ニ、
強引ノヨビカケヲ以テスベテヲ引キトメントスル
発セラレシ言葉ヲ、支ヘ、タダヨウ、コノ妄執ト孤独。
無常ナル声ハ無ノ中ニ互ニ呼ビカハス。ソノ時再ビ

(マーヤ)変現スルデアラウ、一ツノ現実!

 すなわち、「一ツノ現実」とは「もう一つの現実」の謂いであった。詩的現実の実相を失った改行詩という「現実」でも、主語関係だけでなく、形式全体を小説体に仮借しなければならない散文詩という「現実」でもない「もう一つの現実」――それが、長編改行詩である叙事詩というもう一つの詩的現実であり、詩人の「作る理由」の上にも詩的実相を回復させるものであった。したがって、この「詩法」なる詩作品の一々の件りも、回復に向けた言挙げの連なりであった。序詩の立場に立てば、前門の鉄扉を押し開らき、前方に向かって高らかに告げる来訪の声は、積年の思いを籠めた新生へ向けての掛け声であった。

その声を発する者こそ、新たな主語関係を取り結ぶ主体者であったが、「詩法」ではまずそれを「コノ回転スル自我ノ球体、何タル透明ノ断絶」の裡に求める。しかし、求めようとしても「設定スル己レノ中ノ己ノ一点ハ空シク」あるばかりで定めがたい。「透明ノ断絶」が難解なのである。自身に向かってもいかにも不透明な感じを拭い去れない。それでも実感されるのは観念以上に身体である。言い方を変えれば、観念は薄れても肉に刻まれた過去の歩みは消えないのである。故に「既ニ我レヲ去リシ言葉ニ ナホ震駭スルコノ生臭キ肉体(ニク)」の件りを記すのである。そこに嘘はないのである。

されどいまだ確たる術を知らないのも事実である。知らぬままに今は手を差し延べるのである。永遠の時空に向けてである。行為を先立たせるのである。同時に問いかけるのである。「アア時空ヲ截断シテ己レニ何ヲ与ヘルト云フ。/イカナル理由ト価値ヲ己レニ与ヘルト云フ。」と。しかし、問いかけはやがて予感に高まり変容を準備していく。回復される言葉は自己のそれとなり再びの自我となる。「常ニ永遠ヘノ自尊ト悲願ノ故ニ、/強引ノヨビカケヲ以テスベテヲ引キトメントスル/発セラレシ言葉ヲ、支ヘ、タダヨウ、コノ妄執ト孤独。」の存在論となる。存在に潜み、永遠の時空を蔽う「無」を容れる。無の中に生まれる幻影。「幻(マーヤ)」。幻なれど「変現スルデアラウ」もうひとつの「現実」。わが「詩法」たるもの。この作品であるとともに詩論でもある「詩法」を支えるのは、詩人の「日本詩」に対する批判的精神(同詩集「覚書」)であった。


詩的批判精神 以下では「覚書」で語られる「日本詩」に対する批判的精神を紹介しておきたい。小文であるが、大きく、①詩の目的、②日本詩の脆弱性、③情緒(論)、④韻律(論)、⑤詩人の成立に言及している。①~⑤を任意に引いてみよう。

①〈書くことは愛である〉とは、究極に於ての自覚であり、一切が人間万歳のプロセスであるとの諦念に関連する。(略)この自覚が重要であるのは、この観念(愛・引用注)が、より深く詩人を傷け、躓かせ、存在の深淵に直面せしめるからに外ならない。

 ②主体的には、詩は志であり、この古風なる語は、時空に挑む実存者の意志として展開せられねばならない。(略)詩行為は永遠に挑む一回限りの者の一瞬の反逆であり、そこに定着された言葉に復讐されるのは又詩人自らである。(略)一見相反する如き二者(反逆と復讐・引用注)は実は無に、無根柢、非存に根ざす人間存在に於て相異しない。日本詩がその情緒性に於てのみ継続する限り真の詩の確立は訪れない。新体詩以来その限りなき変貌に拘らず、一貫するのは情緒であり、方今のヒューマニズムもコミュニズムも詩に於ては一に情緒性に支へられてゐるところに脆弱性がある。

 ③情緒に支へられる者は外向的意識に依存し、自らに戦慄するなく、震駭なく、超克なく、時空に対決する意志を喪失し、ただ詠嘆に終わるであらう。(略)〈心昏ク識寡ク悪重ク障多キモノ〉との親鸞の自覚は情緒ではない。情緒は可能性にをらない。悪の可能性に戦慄しない。

 ④内部震駭なくして真の韻律は生じないであらう。(略)意味の断絶は、生が深淵・断絶であるといふことに根ざし、言葉が無に挑む意志であるといふことに支へられる。断絶によつて交換がある。しかも生は常に恢復を志向し、平衡を希ふ。反復と均衡は韻律論の定則であり、人間実存と方法論は必然的に一致するであらう。情緒に於ては真の韻律はない。そこには現象と共に流れ去る《歌》あるのみである。韻律は生の確認であり、無に挑む存在感の表象である。

 ⑤友よ、形而上学は深山に無く、密室に無く、舶来書には無く、凡庸なる炉辺の猫にある。倫理の深層は、陋港トラコーマの老婆の繰り言に、磨滅した数珠に、打ち拉がれた労働者の拳の中にある。かくて在りの儘なる極相を求め、我等の血肉を仔細に検し、万般を探り、何に抵抗し、何を養ふか――事物に触発し、そこに詩人は登場する。
 
 ①に浮かぶ〈愛〉には、オプティミステックな響きが漂うが、それがむしろシリアスなそれであるのは、⑤の「疎外者」への傾斜に明らかである。本詩集の幾つかの詩篇に立ち戻ると、まさに①の実践であったことが了知される。やがてそれは後年の宗教(正教)と同体化していくにしても、ここではかつての生活の実相(関東大震災・兵役・敗戦・開拓入植・挫折と流偶)が経験的に手にしたものである。それでも以前のような詩との一体化をそのままに実現できない葛藤(詩的疎外感)からもたらされる苛立ちは、「覚書」においてかく語り口の度を強めることになる。したがって発声は、実質的には外に向けて以上に内に向かう自己批判の精神を籠めたものだった。実作を促すためであった。実際、詩人の場合、詩の実践が観念に先行していた。語調の高まりは、さらなる叱咤の誘発だった。〈愛〉なる観想にしても、生活者の立場では体験の先に演繹的に見出されたかもしれないが、詩人としての立場では、先行的に詩作が見出した帰納的な〈愛〉だったのである。
 
②③も同様である。詩の先行が前提となる詩的批判精神の開陳であった。萩原朔太郎にも同じ詩の先行性が認められる。言語表現を先立たせて詩想が後追いしていくからである。ただし、両者は大きく異なる。その根底が「情緒」である。②及び③は、それを言はむとしているのである。
 
④はその方法論である。「情緒に於ては真の韻律はない」とすれば、それは朔太郎にも遡試されなくてはならない。とりわけ『月に吠える』の冒頭「竹とその哀傷」の響きは、日本語表現のあたらしい「韻律」に発していたはずだからである。あるいは生物的なイメージ喚起に対するまったく新しい言語表現であった「くさった蛤」のこともある。大岡信かく評する。「現実に対する全身的不快感と無力感を、これほどやすやすと、またなまなましく、ぬめぬめする生類のうごめきのイメジを通じて形象化し得た詩人は、日本の詩歌の歴史でそれまで一人もいなかった」(同著『萩原朔太郎』150頁)と。問題は、朔太郎本人がその「一人」から抜け出せなかったことである。

朔太郎は、この後、『青猫』や「青猫(以後)」を経て、「形象化」の術を離れて『氷島』に文語転回し、その序でこう述べるに至る。「近代の抒情詩、概ね皆感覚に偏重し、イマヂズムに走り、或は理智の意匠的構成に耽って、詩的情熱の単一な原質的表現を忘れて居る。(略)芸術としての詩が、すべての歴史的発展の最後に於て、究極するところのイデアは、所謂ポエヂイの最も単純なる原質的実体、即ち詩的情熱の素朴純粋なる詠嘆に存するのである」(『氷島』「自序」)と。昭和9年の「詩論」である。当時の詩的状況(『詩と詩論』のモダニズムなどのことか)を向こうにして認められており、単純に比較できないまでも、③との詩的世界の開きはあまりに大きい。なぜなら、朔太郎はその続きに括弧して「(この意味に於て、著者は日本の和歌や俳句を、近代詩のイデアする未来的形態だと考へて居る。)」と綴っているからである。


二重主語の発見 その違いは、単に長編叙事詩と「近代詩のイデアする未来的形態」とする「和歌や俳句」との外見的違いだけではなく、④の「韻律」に於いて決定的に違っているからである。④が言う「韻律」とは、朔太郎が採らんとする「韻律」を《歌》以上に評価しないからである。詳しくは情緒論に立ち返って再考の機会を俟たなければならないが、いずれにしても④は「初期詩篇」以来の詩人なりの韻律を経て、しかもそれが詩的閉塞を生む先に、散文詩の量感をも抱えこむなかに見出されたものである。その時、⑤は、「形而上学」を「主語」とする詩人の存在形態としての自己表明であった。「二重主語」の発見である(詳しくは後述の「二重主語(再述)」及び「『動詞』という主語」)。しかし同時に後に評される難解詩人の世評、しかも難色を示す評価を引き受けなければならなくなる。それを含めての二重主語の発見である。

難解は詩人も同意するところであろう。しかし、難解が形而上詩と呼び替えられ疎んじられるのは好としない。形而上詩ではない。⑤が、思いの丈を籠めて語ろうとしているのはそのことである。散文詩は、⑤の精神を形象化したものである。おそらく読まれる機会に乏しいにちがいない。後の叙事詩からは遡れない相貌を帯びているからである。その意味でも詩人の詩歴は、①~⑤とは別に日本近代詩の対極に立つ詩的営為として再評価されなければならないであろう。これも含めて課題は膨らむ一方であるが、最後に「詩法」の実践作を読んで一先ず本稿を閉じる。

* 情緒論の場合、差し当たって問題になるのは、「作る理由」である。このすべての解決策に通じるともいうべき内的必然が、一見問題にされそうもないからである。短絡的かもしれないが、歌詠みがそうであるように、事前の了解事項として表に浮かび上がってこないからであるである。しかし、「作る理由」を見出すのは、了解事項を超えては実際難しいのである。分かりやすい例は、リフレインに陥ってしまうことである。個別の作品だけではない。詩集としてのリフレインが惹起されやすいからである。
かりに、それを良しとして「過失」はなかった、と自足する室生犀星を生涯の詩友としていたとしても、朔太郎の詩歴は、詩を作る意味を常に言語表現として厳しく問い立てていたため、文語から口語、口語から文語への変遷が、最終的には自己敗北(「過去の失敗」あるいは「自虐的な『退却』だった」)を口にさせていたとしても、日本近代詩のそれ(言語表現と「作る理由」との鬩ぎ合い)を代弁していると捉え直すことで、萩原朔太郎とは、ほかと入れ替わりのできない、「日本詩」の核心的問題の最も近くにいる、生涯をその詩語化に捧げた最初の情緒体現者(敗北者)なのであり、今に至っても情緒論の主役なのでもある。


 
 Ⅲ 長編叙事詩へのアプローチ


 例示と設題 一大長編叙事詩「大流蜜期」を以下に読む。31342聯計330行で各章にエピグラフを伴う大作である。単に長編だからではなく、緊張感を維持する以上に詩としていかに読むかが問題である。「日本詩」に類例がないからである。もちろん細部においても総体においても純粋に一篇の詩である。長編だからといって、明治期に多く作られた「劇詩」ではない。物語性はまるでない。拠り所としていない。それだけにいかに読むかがその都度問われるのである。「詩法」からだけでは息が続かないからである。長さそれ自体を詩的緊張として維持することが必要になる。詩読上、最初に現れる課題というより途惑いであろうか。

いずれにしても従来の読み方では読み切れない。情感を高めるにも手放しでは臨めない。受身ではなにも得られない。読み方への問い立てが求められているのである。抒情詩にない、作品が最初から突き付ける条件である。「詩法」や「覚書」を参照しながら読み方を模索しなければならない。差し当たって取っ掛かりとなるのは、「情緒」「詠嘆」「韻律」である。たとえば、前二者がなく後一者だけしかない言語体系を想定することになる。掲げるのは冒頭部1節分である。読んでみよう。

      1

野に蜜が流れ 思念はたじろぐ。

おゝ 思い北方、地襞は深く、引裂かれた神は横たはる。
――その広がり果てしなく、その血の染みた岩叢に 緑は甦りを繰返す。
道には霞む悼みの歌。空に花輪を掲げる歓びのコロス。
(極を感じ 常に地軸の痛みに貫ぬかれる終駅の人よ)
いま 蜜が流れ、千の樹々重く、千の花々匂ふ。
根元を秘めた均整の中、ひた走る虫の弾道。迸る無の精液。
虚しさに支へられ、己れ充実するもの。
光を吸ふわたしの肉も、厲しく可能に揺すれ、
その行方を知らぬ……
時の泡立ち!

おゝ 漲つてゐる一切から何をわたしに引き寄せるのか。
かなた 陽に充ちた野、生命の樹々。千の蕊、万の蜂群!
一斉に広ごる運び手。まめやかに飛翔する智慧の翼。
(をののく非在よ
真昼の蜜の燃焼に煽られ 私の中の嘘よ 騒げ)
塔が見える。
カヤファスのやうに能弁な学識経験者のしたり顔。また男根のやうに悲しむ僧よ。
わたしは無為。そして君等よりも傲慢だつたのか。
蜜は流れる。
分裂するものを埋めるべく、黄金の知慧を流す。
――きらめく、おごそかなもの、傲慢の胸へ、破砕された心へ、一点の真実なもの拡がると。

悲しく瞶める顔よ、あらゆる行為はその故を知らぬ。
その非難めくまなざしは、その故を語れといふのか。
きのふ、この道で罪について語つた友よ。罰について二人は吃つた。
じつに友よ、行為には確たる規範があつて、ひとはそれに従ふべきだといふのだらうか。
わたしも知る、朧な一つの道を。
……それとも友よ、行為は空しく、一切は無であるのか。
凡ゆる均整は死に浮ぶ仮幻であるのか。死に湛へられた一つの可能であるか。
しかし友よ、ここに、この根元を秘めた均整、何たる充実!
広がる蜜の完全な尊容。無をとぢこめる幻が放つ強烈な光。
発すれば 炎え出づる言葉! 歩めば 炎え上る身体(からだ)

 
叙事詩の発声法 必ずしも褒められた書き出しではない。「野に蜜は流れ」は良い。違和感はない。なにかがはじまりそうな気配で、刺激的な語り出しである。しかし、「思念はたじろぐ」と続けられたのでは、二の句が継げなくなってしまう。あたかも足を掬われた気分である。撰者にかかればひとたまりもない。しかも思わせ振りの1行1聯仕立てである。2聯との繋ぎもまるでなっていない。この場合、「おゝ」は要らないのです、と直ちに添削されかねない。その時である、詩人がしたり顔になるのは。なぜなら、反情緒主義の書き出しに手応えを得て、満足気に笑みを浮かべるからである。断っておけば、以上は以下に繋ぐための起こしである。勿論、逆接技法としてである。

感動詞「おゝ」の使い方を含め、修辞としては褒められたものではないと決めつけるのは、読み方が「日本詩」に毒されていたことの証に他ならないからである。一行の範囲で決まりをつけないのである。詠嘆を呼びこんでしまうからである。反詠嘆の立場からは異なる韻律が求められなければならない。冒頭からはやくも「詩法」・「覚書」の実作化が果されていたのである。読み返せばさらに明らかである。

ただしこれだけのことなら、姑息な手段で終わってしまう。志を高かく掲げる分、冷ややかな視線に晒されねばならないし、一角の詩人なら難なく遣って退ける範疇である。そのためにも読み進めなければならない。読み進めには未知との直面感が見出されるからである。未知に向かっていく思いを強めるのである。これが誰にでもできるわけではない詩人に独自の詩的修辞法であり、その構築物の提示である。

括弧で括られた挿入句(「(極を感じ 常に地軸の痛みに貫ぬかれる終駅の人よ)」)が、冒頭1行を含めた直前3行の前面に対して後ろから回りこむのである。その時の逢着感に、「思念はたじろぐ」の再起が図られる。すなわち、「極を感じ 常に地軸の痛みに貫ぬかれる終駅の人」の「思念はたじろぐ」となるのである。ここに至って循環する冒頭部は、すでに情緒とは一線を画した領域に分け入っていることを実感せずにはいられない。叙事詩を構成する一つの発声法がかくして見出されるのである。詩読法の獲得でもある。


叙事詩の内声 次の6行の内の前3行は、「野に蜜が流れ」を承ける詩行である。「人」から「蜂」への主語の入れ替えである。主語入替えは往々にして聯を分けるが、それを同じ諧調で繋ぐ。主語の同格化を目論むからである。正確ではないが、効果としては対位法的複合の獲得に成功している。そこへ次の詩行である。豊饒な言語力を縦横無尽に駆使できる詩人の見せ処である。

根元を秘めた均整の中、ひた走る虫の弾道。迸る無の精液。
虚しさに支へられ、己れ充実するもの。

冒頭句「根元を秘めた均整」などの律動的で神秘的な描写も非凡ながら、次行「虚しさに支へられ、己れ充実するもの。」の擬人法的昇華には、人間存在の足元を脅かす、なにやら哲学的警句の陽動に働きかけるものがある。その時、脅かされる側であり従前からの主語であった「わたし」に芽生える「時の泡立ち!」――この「詠嘆」を容れない、情感に立ち塞がる言葉の立て方、感嘆符の付け方、あるいは感嘆符付きの止め方、あるいは詩行の立て方、もって行き方、挿入句(括弧部分)を中軸線に見立てた場合の、左右の均衡とそれがもたらす合わせ鏡的な効果、意味の膨らみ。いずれも辿り着いた叙事詩に知る詩的感動の各態である。
 
3聯を告げる「おゝ」がある。順接の「おゝ」である。しかも懸かるのは同一行の「何をわたしに引き寄せるのか」だけではなく、次行の「千の蕊、万の蜂群!」にも、3行目の智慧の翼」にも、さらに括弧内の(をののく非在よ/真昼の三つの燃焼に煽られ 私の中の嘘よ 騒げ)にも一律に懸かる。冒頭部「おゝ」との差別化にも効果的である。遡及的な懸かり関係を要請するからである。ここには(つまり懸かり方の複数形には)声に対する強調はない。実際にも聴きとれない。「声」を誘発しないで「意味」の強調に心を詰めた使われ方が企図されている。感嘆符の使い方も同様である。他に事例が無いわけではないが(たとえば詩人との関係で言えば、上掲吉田一穂)、直接「意味」に働きかける懸かり方は、鷲巣繁男の叙事詩の場合、詠嘆とは異なる内声に耳を傾かせる符号になっている。我々読む側の内声による集音化と重音(奏法)化が果された時、求められる意味の結集化へともろ共に高まっていくことになる。
 
ここでも擬人法に働きかける修辞の非凡さが見出される。「まめやかに飛翔する智慧の翼。」この間接話法に対して直接話法をとる「をののく非在よ」の布置。そして、「智慧の翼」と「をののく非在」によって生み出される「私の中の虚」。しかも「虚」をして「騒げ」とする存在形態への劇的な昇華。集約としての、あるいは総体としての上昇句であり、高止まりである。真正主語(「幻=マーヤ」)の「蜂(蜜蜂)」との合体である。情緒で詠われる「蜂」の姿はここにはない。


二重主語(再述) 以上は優れた詩人なら果たしえることである。詩人(鷲巣繁男)が詩人たるのは、この先にある。「詩法」で言う「強引ノヨビカケヲ以テスベテヲ引キトメントスル発セラレシ言葉」である。時空への侵入である。「アア時空ヲ截断シテ己レニ何ヲ与ヘルト云フ。/イカナル理由ト価値ヲ己レニ与ヘルト云フ。」のように自身としても戦くことであったに違いないが、「常ニ永遠ヘノ自尊ト悲願ノ故ニ」一歩を踏み入れたのである。しかし、歴史を素材としてルポルタージュ風に言葉を連ね、行を改め、詩文とするのは容易である。今ではそんな散文的な詩は作られないにしても、詩人が厳しく戒めてきたところであったにちがいない。歴史(あるいは古典)に自分(の主体)を奪われないためである。

主語の仮託法(メタモルフォーシス)を経て詩人が辿り着いたのが、「二重主語」である。ここでいう二重とは、二という積算上の基数というより、時には複数になり変数になるなどの概数的なものである。その意味でも名詞に限定されない。かりに二重が名詞上に限定される場合(たとえば固有名詞の重複)であっても、二重性を強調する観点からすれば、名詞からの離脱が必要である。固有名詞のような離脱に対して否定的にたち現れる場合でも同様な態度を要する。カタカナが頻出するだけに、惑わされてはならない点である。むしろ詩法的には名詞であっても動詞と見立てる必要がある。歴史的固有名詞(カタカナ)は、歴史的人物といわれるように固有名詞であると当時に動詞的存在であるからである。文法上、「こと」(形式名詞)などを付けて名詞化する以外、そのままでは主語になれない動詞が、名詞変換を経ないで主語になるうる所以である。二重主語に見出す一形態であるが、以下は「動詞」が動詞としての品詞の内側から用意する変容性である。


「動詞」という主語 名詞が活用しない自立語という意味(文法的意味)で、時空間のなかで静止的な性格なものであるとすれば、動詞とは、空間に働きかけるだけでなく時間にも働きかけられる、時空間に対する両属的な可変性を帯びたものである。それを時に具現化したものが「時制」である。時制とは「過去、現在、未来などの『時』のいずれにあるかによって、動詞の語形を変化させる語法」(『現代国語例解辞典第二版』小学館)である。この辞書の説明よりも、詩学的で触発的な言辞を伴うのが、ロブ=グリエやクロード・シモンのような、ヌーヴォ・ロマンに見る時制に挑戦的なエクリチュールの在り方である。「動詞」による時空参入に新局面を開いたのが彼等だからである。それはフランス語が所有する多様な動詞形(動詞過去形)という言語的特性であるとともに、それ以上に描写上(叙述上)の特性に求められるものである。

それをロブ=グリエの小説論(同著/平岡篤頼訳『新しい小説のために』新潮社)のなかの一節(「今日の小説における時間と描写」)から一か所引けば、「描写的な部分の興味の一切は(略)、もはや描写されるもののなかにはなく、描写の運動そのものの中にあるのである。」(傍線・引用者)の「描写の運動そのものの中にある」の件りである。その直前の「描写されるもののなかに(ある)」とは、従来の時制である。ロブ=グリエは、バルザックを例にとって説明している。傍線部が本稿に関わる超時制である。彼は、自分たちつまりヌーヴォー・ロマンへの批評家たちの批判が、とりわけ描写法(「無用であいまいだという」点)に向けられていることを自己解説してこう述べる。「無用というのは、筋と現実的な関係がないからで、あいまいというのは、見させるという、描写の根本的役割とでもいうべきものを、果たしていないからなのだそうである」と。補足すれば、「描写の根本的役割」が、役割に沿って時制を再生していないからで、そのことがとくに批判されているのだと語っているのである。ではなぜヌーヴォー・ロマンは時制に挑戦的なのか。

簡単に言えるような問題ではないが、本稿の範囲内で限定するなら「時間」との緊張関係を自己の現前化において認識すること、あるいは認識することの認識状態を時制のなかで同時実現的に辿ることである。たとえば「時間」の一様態としての「現実」がある。時制の非再生に執着するのは、ヌーヴォー・ロマンが「目に見える映像、耳に聞こえることば以外に、現実はありえない」とする「現実」に、一見対立的な過去や未来がはたして「経過する時間」なのかを問いつめるためである。見出されたのは、「永遠の現在の世界」であった。「過去のない世界」であった。

鷲巣繁男とって「時制」に意味があるとすれば、まさに同様な「時間」との緊張関係を叙事詩のそれとして目論むからである。しかも「永遠の現在の世界」という「超時制」としてである。「描写の運動そのものの中」の「描写の運動」とは、この場合、超時制を実現する「叙述法(描写法)」を筆の上に言い換えたものであるが、たとえば「過去を再生していく過程そのものが物語という形をとる」(江中2012**というエクリチュールの在り方に擬えれば、「再生していく過程そのもの」の「再生していく」という動作を「過程」で停止(体言停止)させず、あるいは完了(体言完了)させず、「そのもの」へと投げ放ち、非停止・非完了を生み出し続ける、動作動詞が姿を変えたものであるから、「過去の存在」しない「永遠の現在の世界」を「詩法」に取りこもうとすれば、動詞が動詞として運動を完結できない状態を措辞に借りなければならない。そのためには主語を省略ではなく、定位できない、主語そのものが非在の叙述を構想しなければならない。「『動詞』という主語」の、そもそも非成立が成立する経緯がここにある。過去を現在とする時制の上に求められたものの、超時制を「わたし」に回復する詩文法上の真正主語である。ヌ―ヴォ・ロマンに見るのは、その時の述語部分となる。

面白いのは、彼等の文学の(結果としての)読みにくさは(ロブ=グリエは「失望感(を与えること)」と呼んでいるが)、まさしく鷲巣繁男のそれでもあることである。また読者との関係でも「べつの参加の仕方をとるよう誘いかけずにおかない」(同上)と語られている点と相即的である。先に新たな読者としての立場が求められているとした点である。いずれも結果としての類似性であるが、それだけに詩読のダイナミズムに取りこまれる部分が少なくない。いずれにしても、「『動詞』という主語」に支えられた詩的叙述上の仕組み(「時制」への参入)こそは、鷲巣繁男の詩(叙事詩)の特性であり、詩の現在化を今に求め続ける作品側に仕組まれた錬金術である。

* たとえば、ロブ=グリエの『覗く人』(講談社、1970年)の翻訳者望月芳郎は、「解説」で特性に関わる部分を「四つの系列」に分かれる「時間構成」として、仏人による『覗く人』論を紹介する。そして「残念ながら日本語には動詞過去形のさまざまな様態の区分がフランス語ほど明確ではないので」と、翻訳に不安を覗かせる。とりわけ、「さまざまな様態」の内の、現在形と半過去形のみで描かれる「遠い過去」ではなく、「過去、現在、未来がともに現実の行為の水準にまで高められ、それら相互の区別がはるかに困難となっている」単純過去形で描かれる「現実を表す現在」「近い過去」「想像力によって予見された未来」についてである。

** 江中直樹『ヌーヴォ・ロマンと日本文学』せりか書房、2012年、32頁。


「時制」への参入 詩読に戻れば、該当するのが「塔が見える。」以下である。唐突な固有名詞カヤファスの名前上げ最初のそれである。まさしく「強引ノ呼ヨビカ」である。しかし、ここは暗示にとどまる。「カヤファスのやうな能弁な学識経験者のしたり顔」がイエスの審判を行なうユダヤ教の大司祭カヤファスのことで、彼が語り聞かすように言う、「一人の人が民全体に代わって死ぬ方が得である」(ヨハネ福音書1814)であるならば、まさにそのときの「したり顔」であるわけだが、そのしたり顔が懸かる先は、「君等より傲慢だった」わたしの「無為」であるので、いずれにしてもカヤファスは固有名詞であっても一修飾語の範囲で終わる。しかし、その「わたし」にしても「蜜は流れる。」を呼びだすための仲介者でしかない。収斂する先は「黄金の智慧」である。ダッシュ以下は、到達点ともいうべき高さからの述懐である。詩法的には複声による聯止めであるが、次聯への転調を見込んでいる。そして次聯こそは「時空ヲ截断シテ」の時制を主語とした詩行が演ずるダイアローグである。

ここに至って、1章のエピグラフが俄かに面を擡げる。使われたのは、『バガヴァッド・ギーター』の一節である。

ガーンディーヴァの天弓は 我が手より落ち、我が膚は一面に燃え、自ら立止まる能はず、我が心をちこちに彷徨う。〈バガヴド・ギーター〉

 『バガヴァッド・ギーター』は、ヒンドゥー教の聖典である。最強の戦士アルシュナ(王子)と友(師)クリシュナとの哲学的な遣り取りが18章に亘って繰り広げられる。事の発端は、同族間の争いである。場面は、両軍(パーンダヴァ軍(友軍)/カウラヴァ軍(敵群))が対峙する戦場に開始する。アルシュナは、両軍の間に戦車を進めるべく御者を務める友クリシュナに要請する。「両軍の間に私の戦車を止めてくれ。不滅の人(クリシュナのこと・引用注)よ」と。しかし、実際に自らが戦うべき相手を見て、居並ぶ顔触れが親・兄弟に等しい親しい人々や義父・親友だちであることを見て取るや、「この上ない悲哀を感じて沈みこみ」、次の一節を口にする。引かれたエピグラフはそのなかに含まれる。傍線部分は、詩人が作品に取りこんだ語句である。すこし長いが「『時制』への参入」の先触れとして引いておく。ただし今回は「先触れ」で終わる。

   「クリシュナよ、闘おうとして立ちならぶこれらの親族を見て、
   私の四肢は沈みこみ、口は干涸び、私の身体は震え、総毛立つ。
   ガンディーヴァ弓は手から落ち、皮膚は焼かれるようだ。私は立っていることができない。私の心はさまようかのようだ。
   私はまた不吉な兆を見る。そしてクリシュナよ、戦いにおいて親族を殺せば、よい結果にはなるまい。
   クリシュナよ、私は勝利は望まない。王国や幸福をも望まない。ゴーヴィンダよ、私にとって王国が何になる。享楽や生命が何になる。
(略)
   彼らが私を殺しても、私は彼らを殺したくはない。たとい三界の王権のためでも。いわんやこの地上のためには……。
   ドリタラーシトラの息子たちを殺して、我らにいかなる喜びがあろうか。この危害を加えようとする者たちを殺せば、まさに我々に罪悪がかかるであろう。
   (略)
   一族を滅ぼすをよく知る我々が、この罪悪を回避する道を知らないでよいはずはない。
   一族の滅亡において、永遠なる一族の美徳(ダルマ)(義務)は滅びる。美徳が滅びる時、不徳(アダルマ)すベての一族を支配する。
   (略)
   ああ、我々は何という大罪を犯そうと決意したことか。王権の幸せを貪り求めて、親族を殺そうと企てるとは。
   もしドリタラーシトラの息子たちが、合戦において武器をとり、武器を持たず無抵抗の私を殺すなら、それは私にとってより幸せなことだ。」
   アルジュナはこのように告げ、戦いのさなか、戦車の座席に坐りこんだ。弓と矢を投げ捨て、悲しみに心乱れて……。 
(上村勝彦訳『バガヴァッド・ギーター』第12847、岩波文庫、1992年)

 第2章以下で問答が繰り返される。ほとんどはクリシュナによる教喩・教導である。それというのもクリシュナは身を人間の姿にやつした神、すなわちバガヴァッド(「崇高なる神」)だったからである。親族が相手であったとしても戦わなければならないこと、たとえそれで一族の滅亡を招いたとしても、義務でこそあれ罪ではないこと、それをアルシュナに容れることを中心命題として存在論や行為論、解脱論など多義に説き及び、着実に自己を取り戻させていくこの哲学書は、文芸作品としてみても長大な言説を詩文化した珠玉の一篇である。

鷲巣繁男の詩文4聯冒頭の「悲しく瞶める顔よ、あらゆる行為はその故を知らぬ。」や、4行目の「じつに友よ、行為には確たる奇跡があつて、ひとはそれに従ふべきだといふのだらうか。」中の「行為」は、したがって同書から抽き出された哲学的詩語である。詩想の上では、王子アルシュナの同族との戦いという「行為」と、蜜蜂の「大流蜜期」という「行為」とが重ねられ、さらに「凡ゆる均整は死に浮かぶ仮幻であるのか。死に湛へられた一つの可能であるか。」中の「死」に遡る詩人の「わたし」が諮られることになる。それもこれも求めるものは終わり3行を導き出す故だからである。

しかし友よ、ここに、この根元を秘めた均整、何たる充実!
広がる蜜の完全な尊容。無をとぢこめる幻が放つ強烈な光。
発すれば 炎え出づる言葉! 歩めば 炎え上る身体(からだ)

 ここでも3か所に感嘆符が打たれている。言い表そうとするのは、「強引ノヨビカケ」とそれによる「引キトメ」に始まったものの「意味」による同意であり、その表示行為である。あるいは変位を予感する「内部震駭」(④)である。すなわち詩人の言う「韻律」である。鷲巣繁男が手中にした「詩法」である。


 未完の詩読 わずかに1節を読んだだけである。先は長い。待ち受ける多くのフレーズが連なっている。読み止まるなかに再生する1行が、その先で再びの起立に備えている。振り返りを求める一行も彼処に潜伏している。循環を希いその都度拡大していく詩的言語空間に投げ込まれた者は、「(マーヤ)ハ変幻スルデアラウ、一ツノ現実!」のフレーズを追体験するだけでなく、「詩法」として追体験しなければならない。あるいは読み解かなければならない。そのためには、詩人がS・J・ペルスの詩から受けた衝撃も確認しておかなければならないだろう(神谷光信『評伝』、206頁)。なすべきことは多い。今は、稿を閉じるにあたって最終節を掲げ、未完の詩読の欠を補っておきたい。

      4

実に、をののく非在の底から、不断に打出される私。
漲る一切を己れとし、一切となつて漲る無よりの炎。
悪に撃たれ、悪に目覚め、悪を鞭うち、刻々に死し、寸々に成る私。
わたしを塗れ 智慧の蜜。わたしを養へ めぐる大流蜜!
かなた 陽に充てる野の生命の樹々。
山毛欅(ぶな)(かしは)(しな)よ、千の蕊。群。
無限の浸潤。無辺の拡大。万の陣痛へ。
そして燃える蜜よ、アルペンの羊へ。
殺到する縞馬の蹄へ。疾駆する獅子の鬛へ!

おゝ めぐれ、蜜。
死せる神々の傷口より甦る緑のやうに、
言葉よ、死の底より自らの蜜を分泌せよ。
流れる蜜の、その大循環に養はれ、暗黒の中に輝く星々よ。
寂寥の中の無尽の発光体、交換する億万の自我。
滅びたのちも輝く 証明の愛よ。


付)
 いつものことながら、推敲が行き届いていない。成稿は、1年を切った「五十音順」の脱稿後に再編(ジャンル化)と合わせて然るべく果たすつもりである。今は草稿としてアップを急いでいる。弁明にもならないが。

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