2015年9月30日水曜日

[よ] 『夜の果への旅』の「楽式」~鷲巣繁男論への一視角


はじめに

執筆の経過 本ブログで鷲巣繁男をとり上げるのは今回で4度目である。①「ネストリウスの夜小論~ダニール・ワシリスキー(鷲巣繁男)の書・第壱『夜のへの旅』~」(20144月)、②連作詩北方と流謫~鷲巣繁男と北海道島~」(201410月)、③「『メタモルフォーシス』~鷲巣繁男の詩法」(20152月)。①は、俳句から詩に転じた初期詩篇の分析を通じて、詩人の成立とダニールによる詩集の誕生までを辿ったもの、②は詩的営為を詩人の生涯の宿命とも言うべき北方流謫から説いたもの、③は詩論的な視座から鷲巣繁男の詩の骨格を論じたもの。いずれも本ブログの起筆の順(五十音順)を現実的な契機とするが、前提には将来の鷲巣繁男論を企図したいがための思惑がある。内容も起筆順に囚われたアトランダムなものではない。今回は、①の不足を少しでも補っておきたいために起こすものである。


執筆の背景 ところで同「書・第壱」の詩集以降、鷲巣繁男は、日本詩に孤絶的とも言うべき一大叙事詩の塔を打ち立てて行くことになる。孤絶性は、それがかえって時代的ブーム(70年代から80年代中頃、ただしブームといっても一般的なものではないが)を呼び起こす超然性となったが、時間の移ろいのなかで忘却を余儀なくされていく。それも孤絶性(超然性)がもたらしたものであるかもしれない。

筆者が盛んに鷲巣繁男を取上げるのは、かつてのファンの一人で晩年の親交が加算される個人的理由からという単なる懐旧的な想いに発するものではない。またブームが何に拠っていたのか、事の真相を究明しようとするものでもない。詩作品としての孤絶的な意味が、詩論として日本詩の相対化を促すからであり、促しが忘却の淵に追いやられていることを詩史としても惜しむからである。

この先も当分の間、詩作品の分析に沈潜していかなければならないが、それが固執的態度を生む限りは忘却の淵から呼び起こすことは困難である。一般論を意識した立論に心がけねばならない。鷲巣繁男が日本詩にいかに位置付くのか、その位置によっていかに日本詩を相対化するのか、見出される視点は少なくないが、ここでは将来の鷲巣繁男論に向け予備的に副題の「楽式」に視点を求めてみたいと思う。しかし、いまだ一般論に対しては個別的かつ固執的である。



Ⅰ 第一部の「楽式」 

1 緒 論

副題の次第 詩に対して「楽式」とはなんとも奇を衒ったような副題と言わなければならないが、本をただせば、五十音順に進めるブログの方針のなかに発案の契機があったのである。グスタフ・マーラーの交響曲第7番である。同交響曲の第2・第4楽章には「夜の歌」の標題が付されているが、日本では同標題で呼び習わしているからである。一方鷲巣繁男の方にはそれに合わせたかのように、『夜の果てへの旅』中に同題の「夜の歌」の一章が見出せるのである。鷲巣繁男の詩はどこかマーラーのようだと感じていた個人的な感想もあった。したがって筆者の中では〈楽式〉は自然に導き出させる。そのまま副題とした次第である。


マーラー・ブームと詩人 詩人の所蔵レコード中にはマーラーがあった。少なくなかったのではないかと思う。また深く聴きこんでいたのではないかと思う。ただし詩集とマーラーとの間に直接的な関係があったかは知らない。なかったかもしれない。詩集が成ったのは1966年である。日本に関する限りその後訪れる一大マーラー・ブームとの間にはしばらくギャップがあるからである。

日本におけるマーラーのレコードの初見は、一大ブーム以前(70年代以前)の1964年から69年にかけてで、バーンスタインのマーラー全集が発売されている(柴田1984)。クラッシック音楽のレコード漁りにも余念のなかった在札幌時代の生活振りである。後日、随筆に当時のマーラー体験を知ることになるかもしれない。しかしそれがなくても詩集の各所に音楽的発想が盛り込まれていることは、章題や使われている詩語から明らかである。

今回マーラーの楽曲から思うのは、主に二つの点からである。一つは詩集の構成から、一つは詩行の立ち上げ方からである。それがマーラーを少なからず思わせるところがあるのである。なお「楽式」としたのは、「執筆の背景」ばかりではなく、音楽辞典に次のようにあるからである。「楽曲の全体構成、ないし諸部分の配置およびそれらの相互関係にかかわる原理」(『新編音楽小辞典』音楽友之社、2004年)と。

つまり「楽曲」を「詩集」に置き換えれば、「詩集の全体構成」としてそのまま詩論の一テーマとなるからである。それに「諸部分の配置およびそれらの相互関係」は、作曲法であるとともに詩作法に置き換えられるのである。


詩集の外形 詩集は、全体を貫くテーマをもって詩篇を一巻に編む。テーマを立体的に組み上げるために各章を如何に立てるかが問題なる。しかし、実際はあまり深く考えないで似たような内容をまとめるだけで終わることも少なくない。その場合、作詩時期の近さは内容に近しいものを生み出す。自然な成り行きであり、そのまま章立てへと繋がっていく。比較的容易な章立てである。

たとえば萩原朔太郎の『月に吠える』の「詩集例言」ではこう語られている。「詩篇の排列順序は必ずしも正確な創作年順を追っては居ない。けれども大體に於いては舊稿から始めて新作に終わつて居る」と。例言に先立つ「序」では詩の表現の目的についてさらにこう語っている。制作年代の近さが章になる原理であると。すなわち「にほひ」が根底をなすというのである。「にほひ」は、時間が近ければ自然と同じ香りを立てるからである。かく言う、「すべてのよい叙情詩には、理屈や言葉で説明することのできない一種の美観が伴う。これを詩のにほひといふ。(人によっては気韻と気稟とかいふ)にほひは詩の主題とする陶酔的気分の要素である」と。

したがって近い時期に生まれる詩とは、同じ陶酔的気分(にほひ)のなかにあり、かつ気分を深めることに詩作の促しがあり、連作を生んでいくことになる。かくして自ずと章の成立となり、その先には一巻の詩集が編まれることになる。

これは一人朔太郎に限らない。朔太郎に代表される抒情詩が詩集を編む上での大枠である。同時に自己規制である。音楽的にみれば、ここにはリートは生まれても交響曲は生まれない。この点で鷲巣繁男の『夜の果てへの旅』の「詩篇の排列順序」は、反抒情詩的であり、最初から交響曲的排列を指向する。鷲巣繁男の詩篇が章立てという外形上になす、視覚的にも日本詩に対峙的な在り方である。いうまでもなく外形だけではなく内容的にも交響曲的である。



2 詩集の楽式的構成感

詩集の「楽章」 楽曲構成ならぬ詩集構成として見ると、『夜の果への旅』は、大きく三楽章からなる。三楽章制は初期交響曲に特徴的な楽章構成である。マーラーとは時間的にも大きくかけ離れてしまうが、『夜の果てへの旅』では、実は三楽章制ではなく三部構成と読み替えられるのである。第一部「夜の歌」、第二部「インテルメッツォ」、第三部「ゲッセマネ」のとおりである。そしてこのように全三部構成と見立てると、これはマーラーに通有の交響曲の楽曲構成となる。「偽古典交響曲」とされる交響曲第4番を除くと、マーラーは、古典派以降の一般的な4楽章構成を踏襲せずに57楽章の多楽章形式を多用するが、いくつかのまとまりで各楽章を部に立て直すのである。それがときに二部構成となりときに三部構成となる。三部構成では大曲が生み出されることになる。

そのとき、第二部をつくるのが「スケルツォ」である。5楽章からなる第5交響曲の三部構成について柴田南雄は次のように述べる。「第一部と第三部とはともに《緩―急》の図式で表され、第二部にはスケルツォ楽章だけを置き、全体の中間点、転換点としたのである。このようにスケルツォを全体の中央に配置するのは、マーラーの基本的な構想の一つである」(104頁)と。スケルツォの楽曲的意義を知ることができるわけである。


《緩》の導入 鷲巣繁男の第二部「インテルメッツォ」は、意図的に排列された「中間点」ないし「転換点」である。しかもそれを音楽に倣っている。音楽用語である「インテルメッツォ」の使用がそれを物語っている。間奏曲ないしオペラ・セリアにおける幕間劇の謂いであるからである。しかも「インテルメッツォ」中には、より直接的に「スケルツォ」の詩篇も用意されている(「Scherzo Contemporaneo」)。すなわち「同時代的諧謔曲」である。ただし同時代と言っても鷲巣繁男が詩学的に獲得した時制のなかのそてである。この独自の「時制」を中間点とし、前後の転換点に用いようとしているのである。しかも時制によって詩想までもが生み出されることになる。適当な修辞ではないが、ここには「にほひの詩学」は不在である。

さらに《緩―急》について言及すれば詩章として実現されているのである。意識的な読み方が必要であるが、十分にテンポの違いが読み取れるのである。起句たる巻頭詩を「夜の果てへの道」とし立ち上げて方向性を定め、付属的・補足的な詩篇(「夏と預言者)を介在させながら以下のように連結的に排列する展開には、主題(「夜」「旅」)の重畳化による悠然とした時間の流れを一つの詩章内として獲得しているのである。すなわち巻頭詩とその付属詩以下の詩題を、詩集の排列のとおり掲げれば次のとおりだからである。

①「アンチゴネーの夜」②「オレステースの出発」③「オレステースの旅」④「オレステースの夜」⑤「テーセウスの夜」⑥「サムソンの夜」⑦「アッシリアの夜」⑧「ネストリウスの夜」。

①~⑧から固有名詞を取りされば、「夜」→「出発」→「旅」→「夜」→「夜」→「夜」→「夜」→「夜」と、前半を除けば「夜」が横並ぶのである。このように詩題の並びが語るとおり、予め詩題がつくる時間的な流れの枠組みを停滞的に定めて連結されているのである。連結には急ぎ足の様はないどころか、それぞれの「夜」にどっぷりと浸り、思いの丈を吐きだして「夜」を「夜」に接いでいく。同じ時間の流れを胚胎した「夜」の連結こそが、《緩》を生み出す仕掛けである。すなわち「楽式」の採用である。後半部の各「夜」から一部を掲げてみよう。

この重い夜の底へ死者達はくだつていく。
その上で金属どもは無意味な悲鳴をあげてゐる。
この「今」といふ疲れが絶えずおれを刻み、さいなみ、
しかし、おれは不死だ。苦悩の、再生のザグレウスなのだ。
おれの皮膚を犯し、おれの皮膚とならうとする不正に
おれは自らを裂きつづける。
                (④「オレステースの夜」1聯)
日は杳く ヒッポリュトスの骸は どこまで運ばれていつたか
この花園に 死せるパイドラーは なほすすりなく
情慾の鳥よ もはや来てはいけない
ここでは死よりも重く 生けるものが厳粛を学ぶ
                 (⑤「テーセウスの夜」1聯)
砂漠の果によりそつている生暖い都の上で、
夜はヒドラのやうに揺れてゐるのであらうか。
細やかに闇を組織する枝々に似た触覚が
水銀の睡りの底の群衆から立昇る無音の鼓動にをののきながら――
なほ傲然と聳えてゐる権力の太柱よ、
おまへは知らぬであらう、空しい風に舞ふ埃の祝福を。
自惚れた愛の笑ひがギンギンと軋みつつ瓦礫の底に埋れていく文明の重ね絵を。   
                    (⑥「サムソンの夜」)
今朝、光を偸み鳥々は去った。
遠い噴火。遥かなクウ・デタ。碧い湖を超える使信(メツセージ)
                      (⑦「アッシリアの夜」)
  わたしの眠りに海は遠く、夜はすべての襞を浸す。
年老いた石たちの記憶、神の亀裂。
人間の燥宴を象りつつ、やがて永遠の沈黙の中で、
それらは沙漠へ流れ去るであらう――
果しない苦悩を、純粋の神をも、運び去るであらう。
夢みてはならぬ脳髄よ、一切を。
危ふい映像のそそのかしを拒み、凡ゆる変相の中で唯一のロゴスを愛せよ。
だが、この闇を通して聞える戯れ女の嗄れた恋の唄は、頑なわたしの肉をさいなむ。 
                  (⑧「ネストリウスの夜」)
 
結尾となる⑧で「夢みてはならぬ」「愛せよ」の断定形や命令形を使い、詩行に振幅をもたせるが、それ以前ではたとえば④⑤では終止形が多用されて起伏感に乏しい。⑥では疑問形や倒置形で余韻を生み出すが並置の倒置形ではマンネリズムに失墜気味である。⑦は寡黙主義に詩行を立てている。いずれも⑧に向けた、ゆったりとした足取りである。《緩》を生む意図的操作である。古典派・ロマン派の通有の交響曲の第一楽章がつくる速度感とは異なるのは言うまでもない。この点からもマーラー的である所以である。


時制内時制 詩の内容については詩篇への詩人の思いの丈の程を含めて、⑧をテクストに前稿(20144月)で語ったところである。ではなぜ古代を詠わなければならなかったのか、古代を詠うとは如何なることだったのか。詩学的には鷲巣繁男が辿り着くべくして辿り着いた「時制」のなかの同時性の獲得のためである。そのとき古代はすでに古代ではなくなっている。時制が歴史的過去を過去として止揚しているからである。『夜の果てへの旅』ではそれを個別の詩篇としてではなく一巻の詩集として止揚している。

この時、「詩集の全体構成」が、止揚に果たすところが実に大であり、ついには止揚にとどまらず、詩作の必然と自己実現を結びつけた時制内時制の創出を経て、従来の日本詩とは異なる独自のエクリチュールを獲得するに至たる。この「時制内時制」こそが、あたかもロマン派の系譜を逸脱し、自らを起点とするしかないマーラーの音楽の、独自な音の系列と成立事情を同じくするのである。

 

 Ⅱ 第三部の「楽式」

1 主要楽章の構成内容

《急》の設定 それが第三部《ゲッセマネ》になると、「急」を以って一章を編むのである。第三部である。しかるになにをもって「急」としうるかといえば、ここでも詩題に確かめられるのである。次のとおりである。

①「年代記」②「十字架降下」③「ユダ・イスカリオテの祈り」④「書信」⑤「ピラトゥスの日課」⑥「ゴルゴタを行くドン・キホーテ」⑦「主ョ ワレ深キ淵ヨリ」⑧「老人と鳥」⑨「花とセバスティアヌス」⑩「ダマスコスの酒場」⑪「レギオーン」⑫「告発者の影」⑬「マリアの本」⑭「ダニールの祈り」

①~⑭には、第一部に見られるような詩題間に膠着的な連結が用意されてない。詩題の排列は、詩集のサブタイトルである「ダニール・ワシリ―スキーの書・第壱」を内容的に果たす、第三部結尾の⑭「ダニールの祈り」に収斂する形になっている。⑭を目指すことが目次(ただし巻末目次)として告知されているのであるが、かりにそれを知らないでも(知らない方が順当な読書態度なわけであるが)、第一部との違いが察知される。第一部がフーガ的に同一主題を再生し展開していくのに対して、ここではオラトリオ的な散文的展開になっているからである。とくに②~⑦は時間的入れ替えを伴っていたとしても受難劇であることは読み進むだけで明らかである。ドラマチックな前のめりの展開が期待され、実際にもそうなっているのである。


主格としての二重存在 《急》の設定は、主格の立て方にも現れている。たとえば①の場合は、一章の語り出しであるとともに語り手の予めの告知であり設定である。自身であると同時に他者でありながら、自己否定を相関的に突き付ける二重存在としての主格の設定である。第一部では結尾の詩篇を除けば、いまだ歴史的固有名詞がつくる主格に偏向埋没気味であったものである(ただし意図的)。以下に二重存在を胚胎した冒頭詩を掲げておく。

年代記
 
眠るがよい、けもののやうに、よ。
この重い疲れの底で、石さえも老いてゆく夜に、
めつむりながら下っていくよ。

引裂かれた世界から逃れて来た時間の影達が、
互いに罵りつつ おまへらの上に折重なる。
悪魔は叫びながら おまへらの中に入らうとする。

尊大な城門は絶えまなく闇を吐き、
おまへらの口から流れ出る涎は、
溶解された意識の恍惚。

おお 封印された夜。今醒めてゐる人は祈るしかない。
独り醒めてゐる人は祈るしかない。
そして、主よ、御身の祈りを聞きとつた者は一人もない故にこそ、

凡ゆる想像力の悲愴な痙攣がいつまでも、
そのとき見たといふ各々の夢魔の魅惑を、
荘厳に年代記の上にしるすのだ。
(傍線筆者)

 解説すれば、傍線部分に表出するのが二重存在である。「肉」「錨」は、二重存在の外縁をなすメタファである。「おまえら」は、他者の創出に向けたその人称化である。「今醒めてゐる人」ほか「各々」も同じ他者ながら自己を含意する点で「おまえら」とは異なる。二重存在の一方をなす他者たる存在者である。最終聯は主体者を裏側に回りこませているが、この括弧付き「記者」こそが自身である。現在を生きる身でありながら同時代人としてキリストの受難を語る年代記の記者である。時制内時制を生きる存在者である。


時制化の時空 前稿の繰り返しになるが、「年代記」に記すのは、詩人が生きた戦争(アジア太平洋戦争)、とりわけ中国戦線での自己認否を突き付けられる体験であり記憶である。すなわち「戦争詩」なのである。文脈としても戦前期の昭和にとって構わないのである。それがまるで文脈を違えた新規なエクリチュールとなっているのは、自己体験の時制化に見出された詩学が、人がその時々に創る体験を歴史的記憶から解き放ち、同時性を今に甦らせているからにほかならない。鷲巣繁男の詩(叙事詩)が目指す時空の創出である。

かくして「年代記」は、キリストの受難から使徒の受苦に亘ることを自己体験に組み込みながら血肉化をも自己認可していくことになる。第一部がギリシア神話やギリシア悲劇あるいは古代オリエントを措辞するのは、自己体験の深淵を覗かんがための予めの遡行である。あわせて絶対者キリストの再措定の予備作業である。


 2 詩篇の構成

開始の調べ いずれにしても以上の時空創出によって詩人はキリストの十字架降下(②)の現場に立ち会うのである。そして自らの声として呟けるのである。読む側にも与えられる同時体験である。以下詩篇の頁を開いてみたい。「楽式」を念頭に置きながら。

主は去りたもうた そして主は来りたまふであらう
その二重の意味への確信を わたしたちは語らうとしてなほ口ごもる
うちひしがれたおん母マリアの傍らで……
              (「十字架降下」1聯最終3行))

 次は「ユダ・イスカリオテの祈り」である。キリストの裏切った者である。「わたしがあのひとを人間に売つたやうに あのひとはわたしを人間に貸す。」かくして使徒(十二使徒)たる身となって生き直すのである。筆者はこの1行をさえ詩人の戦争体験(1行の前半部分)に読み、戦後の北海道開拓入植=北方流謫(同後半部分)に読まずにはいられないのである。「そして、わたしは凡ての罪を秤る。」の1行に自己断罪に向かう呻吟の内声を聴き、最後の2聯を次のように引かずにはいられないのである。

  わたしに終りはない。あのひとは完璧となるだらう。
  だが、風に漂うわたしにいりようなものをまことに知つてゐるのだらうか。
  愛でもない。憎しみでもない。わたしがわたしをはつきり認めるための
  ほんのひとつまみのわたしの重みについて……

  ねがわくば、わたしを一箇の重みとなさしめたまへ。
  銀よ、おまへのやうにすべての罪を秤るために。
ねがわくば、わたしを純粋な重みとなさしめたまへ。
  星よ、御身のごとく、すべての存在を支へるために。
            (「ユダ・イスカリオテの祈り」234聯)

 詩篇の理解を身近なものにする上に作者の経歴を知ることは不可欠である。「風に漂うわたし」とは、開拓入植に失敗し札幌に出て様々な職業を変遷しなければならなかった体験の上に記された詩句である。「わたしの重み」とは表面的には「風に漂うわたし」に対して定住化の許しを求めることながら、内面的には流謫のなかの自己実現のことである。「わたしを純粋な重みとなさしへたまへ」の「純粋な重み」の意味である。


展開部の音楽的語法 いずれにしてもユダに詩題を求めるのは、流謫者ダニールの再認識のためであり、その階梯を据えるためである。話を楽曲上の《急》に戻せば、ひたぶる気持ちを前に押し立てることが必要である。急かし気味にすることで《急》を得るのである。排列が肝心となる。シモンの登場はそのためでもある。その人を知らないとキリストとの関係を否認したシモンを、畳みかけるように次の裏切り者として登場させ、「書信」を詠わせるのである。音楽的には第1主題(「受難」)の展開である。

シモン、シモン、逃れていつたシモン!
おまへのあしあとは砂上に啜泣いてゐる。
今朝、見知らぬ商人は禿げた駱駝に鞭うつて発つた。
厲しい感動とくるめきを胸うちにたたみ、
夥しい兵士と汚れた群衆をくぐりぬけて――
魔術と祈禱、レプラやあしなへに充ちた聚落。
香料、没薬、綾布や金銅の交易の市。
それらが永遠であるやうに彼の道は果しない。
彼は再び見るだらうか。丘の上の処刑者を。
釘づけにされた盗賊、石で打たれる異教徒を。
更に間断ない地震。日蝕の預言。
泣いてゐる女等の傍で充実した白日の野草の花。
(「書信」2聯)

転調から再現・小結尾 次の1篇(「ピラトゥスの日課」)は転調のパッセージである。それも《急》のためである。アクセントをつけたのである。その時ピラト(ローマ属州ユダヤの総督でキリストの審判の立会者にして最終裁定者)は、ただ立場によって威厳を纏うだけで、元来は一人の小心で善良なしかも恐妻家でしかない、それが彼だけではない世の一般であるとして世のなか(歴史的な世のなか)を代表して詠せるのである。
故に彼は二重存在の外に置かれる。しかし音楽的には楽曲の多様性・多元性を高め、続く第1主題(受難)の再現部「ゴルゴダを行くドン・キホーテ」からその展開であり一つの結尾の楽節である「主ヨ ワレ深キ淵ヨリ」に至る。

〈ピラトゥス、小心のピラトゥスよ。
日課は終わつた。君のリポートはブランクだつた。
君はただ不幸な立会人だつた。誰よりも徒労な人生を知つてゐて、
しかもそれらの日々のために、いつも最善はつくして来たが、
おお、ピラトゥス、忠実なピラトゥス。
(略)
君の唯一の努力とは、君の妻の不安をなだめることだ〉
       (「ピラトゥスの日課」2聯(2字字下げ聯))

わたしが泯び去つたと誰が言ふのか。
わたしの上でまあるく時間を支へてゐた天使を
見た者は、
今もわたしを見るだらう。
(「ゴルゴダを行くドン・キホーテ」1聯)

うづたかい死は夜へなだれた。
柵を越えて逃げた男は砂の上にすすりなく。
灯をかかげて美少女は来る。
白毛を散らし希臘共通語(コイネー)の岩山をわたしは辿つた。

壁の裂目から小鳥は翔つた。密輸犯は䌫を断ち、
屍衣を奪つた兵士らの カルタのランプ。
今、嬰児らは産声をそろへて泣く。
(いず)ヨ、ワレ深キ淵ヨリ叫ビヌ(ぐるびにー うじわーゆ ふ てーべ ごすばでい)
(「主ヨ ワレ深キ淵ヨリ」23聯)


2主題の展開 次に再転調パッセージの「老人と鳥」(「鳥たちは朝々に賢く、/ガラス戸の内側に/人々は過去の軸を廻つている。」同1聯部分)を挟んで、新たな主題の提示となるが、第1主題の発展形である「受苦」(第2主題))として殉教者セバスティアヌスが立てられる。二重存在たる殉教者の登場である。

続く「ダマスコスの酒場」は、タイトル通りのイメージで、楽曲的位置は「エピソード」的ながら不用意な挿入がいささかスケルツォを彷彿させないでもない。それかあらぬか、「このダマスコスの酒場で 間断なく時を刻んでいるジャズ」などの意表を衝いた詩行の企みが敢行されている。最後は異端の烙印を押されたマルキオンを唐突に立て「マルキオン 御身を愛する」と語らしめ、第2主題を閉じる。閉じ方はいささか早急ながら、コーダを満を持して開始するためであることが分かる。マルキオンはそのための布石である。


前半部コーダ1 「レギオーン」と「告発者の影」は、前半部のコーダ的として企図される。同時に第三部の前半部に弾みを付け後半部に転換していく役割を担う。まずは「レギオーン」であるが、重厚感を増すために「主題労作」に付加的な主題(「信仰」)を盛り込んだ、錯綜した複雑な対位法的書法が駆使される。なお意味的には「レギオーン」(軍団)こそは、詩人がかつて属していた大日本帝国陸軍にほかならない。一兵卒であった自身を念頭に詩人は記すのである。

移動する軍団(レギオーン)! 盲ひた力よ。無数の顔、無人の足。わたしの青春のの戯画
この帝国の夜の道に、わたしはおまへらとゆくりなくすれちがふ。
狂ほしいカラカラの手兵たち、わらふべきエラガバルスの親兵だつたもの。時空の中に変貌し、
この道の上を黙々と歩み、運命のなかに殺戮し、掠奪し、犯しゆくもの。
黒曜石の神も、ミトラも、そしてイエスよ御身すらも愚行の象徴に過ぎないのか。
あらゆる情熱と欲望の旗印。軍団(レギオーン)! おまへらは征き、わたしは帰る
ともに砂漠の果へ向かって――。
(「レギオーン」2聯)

 2行目「わたしはおまえらとゆくりなくすれちがふ」によって時制転換が企てられる。いつかカエサルに率いられるローマの軍団が、歴史時間の現在形に佇んでいる。3行目の「カラカラの手兵」「エラガバルスの親兵」に擬らえるのは、常軌を逸した戦争が普通の人々にもたらす狂騒であり嘲りであり、その繰り返しである。本来の過去(古典的過去)の掲示によって現在のそれが時制的転換下で再強調されたのである。

愚かしさは軍団にとどまらない。異端を巡る宗教論争をも論わないわけにはいかない。多声による対位法的書法が重ねられる。

わたしは思い出す。きのふの茶番劇の終幕を。陰謀と詐術に満ちた会議の結末を。
慌てふためいて駆けつけたアンティオキアの坊主達。傲慢な教長の髯。怒りに膨れた長老の耳。
ビザンチウムとアレクサンドレイアのどすぐろい嫉みと憎しみ。
すべての打算と利害、まやかしの坩堝の余熱。権力と血と阿諛と哀願。
あゝ その中で、わたしの孤独に何の栄光があつたらう。
わたしには、あの熱狂した殉教者すら もはや無縁だ。
(同3聯部分)

 「わたし」とは、前段の「エピソード」(「ダマスコスの酒場」)の最後に記された異端者扱いを受けた「マルキオン」を感じさせながらあるいは影としながら、現世の流謫者である詩人自身を重ねた、一人称にして普遍性に生きる「二重存在」たる「三人称」を兼ねる存在(話者)である。すなわち三人称たる話者による公会議批判と虚しさとを覗きこむ詩行の連なりである。

やがて虚無感は、絶望的な感慨に「わたし」を陥れる。いまや主題の「受難」や「受苦」にさえ背を向けかねない。「イエスよ、御身が十字架の上で幻であらとも、神の子であらうとも、生身の人間であつたとしても、/それらは、つまりどうでもようことなのだ。」(同4聯)。あたかも音楽的「反行」を聴くがごとき仮行的な響き具合であるが、それも次の最終聯(5聯)を聴くことで到達点を高く響かせる前置きの調べであったことが分かる。「もはや、わたしにとつていりようなのは、御身が偉大な魔術師であることのみ。」(同4聯)。この尊大な態度を露わにして吐き出される以下の詩行に、しかし最大級のイロニー(「豚」)が籠められていたのを知る。戦後生まれの身にはただ胸苦しいばかりのイロニーの響きである。

されば、御身の呪詛がなお力あらむことを。
移動する軍団(レギオーン)
主よ、御身の一言によつて彼らが豚となつて走らむことを。
死と滅びの淵へまつしぐらに――。
(同最終聯)

 前半部コーダ2 「告発屋の影」は「わたし」のドミナントである「おまえ」を話者(奏者)として冒頭コーダを重く引きずる。

いささかのためらいのあとでおまへに絡む夜へ
樹よ おまへの中に囲はわれた いま一つの夜が溶け入るとき、
記憶の中の太陽が深淵の愛をまさぐつてゐるとき、
おまへを養ひ おまへを聳てしめた死者たちの囁きと
夜を盈たすべき苦悩の歌が、
巨大な告白者に おまへを仕立てていつた。
(「告発者の影」1聯前半部)
やがて第三部終曲部にむけて前方にかすかな光を見出していく。その前に結語しておかなければならない、かつての自分でもあった若い兵士たちのために。罪の意味とさらなる重みについて。

 そして、いつの日か、ユダの繩は朽ち、彼は顚落していくであらう。
 そして樹よ、おまへも言葉なく朽ちていくであらう。
 裏切られた愛と、裏切られた怨みの、とりとめのない風の中で、
 おまへの影だけが巨大に佇ちつくすであらう。
 この帝国の道を進む若い兵士たちの いぶかしげな眸のまへに。
(同3聯) 
 

3 終曲部の書法

イ 終曲部前半 

聖母(生母)マリア 後半部(終曲部)を構成するのは、2篇(2曲)ながら、枝篇数は5篇+5篇で全体とすると長編である。最初は「マリアの本」である。なぜマリアなのかといえば、同詩篇のエピブラフに真実を知ることができる。

そこに在るということの貴さを、そこに在るということの恵みをひとが感じるとき、彼はその母の思いを彼の深淵から汲む。/おとづれの衝撃。そして充足。未知なるものに包まれてある故の存在の輝き。(「マリアの本」巻頭詩「告知」エピブラフ)

 ここにあるのは、詩人のなかのもう一つの二重存在、言い換えれば詩人の立場を一端離れたもう一つのそれである。生母の存在である。生母は、関東大震災で倒壊した家屋から幼い詩人兄弟を庇って亡くなったのである。その生母が一方に措かれた二重存在である。「彼はその母の思いを彼の深淵から汲む。」生かされて在ることの深淵からである。しかしあからさまに聖母マリアに重ねることはできない。本篇では通奏低音として忍ばせている。想いの丈の激発を差し控えたのである。

それでも今まで使われなかった「年老いたぼく」なる人称形が前触れもなくたち現れる。あたかもマーラーの楽音に突然鳴り響く鈴の音を甘く聴く思いである。自然、読み手側としては、「生母」の姿を遠くに浮かべながら読み進めることになる。時には身近に。

マリアよ、あなたの疲れた眸が、ふと水際の折芦を見た。
ひとり離れて、けんめいに、僅かな光を支へてゐるのを……。
マリアよ、あなたを呼ぶ声は、そこから聞こえてゐたのだらうか。
それとも、おん母よ、あなたのそれが似姿なのだらうか。
           (「マリアの本」巻頭詩「芦辺のマリア」最終聯)

 もうこれでは――「折芦」などと聞かされるのでは――倒壊した家屋の下で兄弟を庇う壮絶な姿を痛々しく直視する思いである。でも、懐旧に浸らない。余韻を断ち切ってただちに次篇を起こしていく。曰く「ピエタ」としてである。「哀れみの聖母」である。響きも一変する。上行音階を駆けあがって高止まりし、絶唱気味に一篇を走り抜ける。

ピエタ

その胸の小さな傷口から地平へ広がる亀裂に、
暗黒の昼を たえまなく稲妻が注いでいる。
この大きな「不在」の中心に曝されてゐる裸身の上に、
マリアよ、おんみのみが現身(うつしみ)を確かめる。

なんといふときあかしが強ひられるのであらう。
喪はれたものが還つてくるよろこびは、悲しみの極みにあると。
これぞ、おんみの時。再び喪ふであらう予感の中で、
おんみの涙は洗ふ。形を、形を蔽つてゐる死を。

ひそやかやあこがれ、のぞみ、肉の時劫を、
ある日まつすぐに一つの言葉は来た。
光がはじめておんみを射たときの はぢらひ、めまひ、
荒廃の世界()の頂で、それらはおんみから放電する。

おお 絶対の喪失者よ、母の中の母、
哀しみの中に聖化されていくおんみの肉よ、
今はただ 素朴な頬ずりのみが識るであらう。
涙が洗う形を、形を蔽つてゐる一切の死の意味を。

詩行数も意図的な定型である。同じ44聯を踏襲することで、前後の違い(響きの違い)を際立たせるのである。続く「マリア被昇天」も44聯である。調子としては前2篇の融合である。

マリア被昇天

誰がわたしに言ふのだらうか。何故に御身は選ばれたのかと。
何ゆゑ聖霊(みたま)が宿りたまうたのかと。
おもいがけなかつたもろもろに養はれきて、
不思議ないのちよ、わたしは今それを終らうとする。

2聯省略)

見上げてゐる聖なる人々よ、さやうなら。
とりわけトマスよ、不信の愚かなトマス、
わたしの帯に触れ、確かめてゐる者よ。
わたしはおまへに送るのだ、最も親しい最後のまなざしを――。

 不信者トマス 「不信の愚かなトマス」は、詩人に立ち戻った鷲巣繁男が措定する二重存在の一人である。

疑い深いトマス(十二使徒の一人)は、人々が墓から蘇ったイエスに会ったと言っても、「私はその手に釘の後を見なければ、私の指をその釘の場所に差し込まなければ、手をその脇腹に差し込まなければ、決して信じない」と最後までイエスに帰依しなかった。そこにある日(八日の後)、いずこからともなく現れたイエスが、トマスに語る。その指で釘跡を確かめるがよい。その手を脇腹に差し込むがよいと。そして「不信仰をやめて、信ずる者らしくしなさい」と。言われたトマスは「わたしの主よ、わたしの神よ!」(以上ヨハネ福音書202428)と答える。

本詩集がダニール・ワシリースキーを冠した第壱の書であるとは、キリストへの帰依を自ら標榜したに等しい行為である。ときに詩人齢50を数える壮年後期である。初老を眦に浮かべる歳でもある。

詩人は、明治以来の正教の家に生まれた身である。いかにも遅まきながらの帰依を表明しようとしたのである。ただし信仰的生活の兆しは遡る、8年前の継母の死に見出せるという(神谷2002「年譜」)。いまだ詩作上では帰依を詩語化しえなかったのが、8年の歳月で帰依を詩想としえたということであろうか。

いずれにしても、「わたしはおまえに送るのだ、最も親しい最後のまなざしを――。」は、自分の犠牲となって死んでいった生母が事切れる間際に自分に送った「最後のまなざし」にも読めるが、わが子の帰依とその行先を見守るそれにも読みとれる。

かくしてすべては整う。不信者トマスを立て彼を一端生きることで不信仰者は、いまや聖名(ダニール)に帰ろうとするのである。大曲たる「書・第壱」の詩集は、大終曲部を奏すべく、「ダニールの祈り」のスコアをいままさに開かんとする。


 ロ 終曲部後半

 書法とテンポ感 音楽的観点から前稿で触れえなかった点を挙げれば、5篇(「狼」「果実と傷口」「ダニールのための夜の歌」「冬の一夜」「ダニールのための朝の歌」)からなる同詩群中、中核となるのは、中間部をなす「ダニールのための夜の歌」である。量的にも最大だが、もっとも特徴的なのは書法が多様である点である。まずは長行化である。改行すれば35行となるのを1行としてしまっている。例示すれば、

おゝ くらがりの中で片意地な記憶の核が、新しいのちを分泌するのだらうか。おぼろな「私」といふ輪郭を夢み。その核が夢みる無数のわたし。それを殺しつつ日々のわたしは、祈りを真似るのか。
(「ダニールのための夜の歌」1聯部分)
あるいは、

レプラと共に光の中を歩むとき、残酷な時をいかに弾劾すべきか。おお、魔術師のやうに倨傲に歩むのか。イエスのやうに悲しみの裳裾をひくか。日の下に、瞬時にして蒼ざめる文字よ。霧散する歴史!
                       (同3聯部分)
 見計らったようなテンポ感である。小刻みでありながら次々に発話を繰りだし、瞬時にして響きを詩行中に定着させてしまう。それが計11行を費やして間断ないのである。譜面的に擬えれば、弦楽器のパート譜である。それも大きな各弦の応酬と総奏を繰り返しながらの長丁場を緊密な響きで埋め尽くしていかなければならない。トゥッティで弾き切った後には、高らかに響く高音階の金管が待ち構えている。問いを発するためである。それが二度にわたって奏でられるのである。山括弧は弦による応答部である。

主よ、どのやうに死は叫ぶのでせうか。
死はどのやうな創口から飛び出すのでせうか。
〈おゝ、ゼウスの頭から一声叫んで飛び出すアテネ。その時諸神は褶伏した〉
そのやうに、死の前に万物はひれ伏すのです。主よ、しかし、あなたの光が私に触れるとき、わたしは祈るでせう。
〈死は風景です。私に中の記念碑です。闇の中の、自ら光を放つ塔なのです。やがて私の中の神話なのです。〉
                       (同4聯)
 応答後は再び弦パートの合奏に戻されるが、再現部で調性を長調にとって、しかも内容もエピソード的でかつ叙情的である。マーラーのような切り替え方ともいえる。

轆轤は廻つていた。幼いわたしたちはみつめているのだつた。一つの形を夢みつつ削られてゐる粘土を。芯棒をつたはつて神様が下りてくるのを。
そのとき、小さな明かり窓から、ふしぎな光が差してゐた。幼いわたしは思ふのだつた。物の中で挫折する或る魂を。光に沿つて逃れていく見えない或るものを。
                         (同5聯)

オーケストレーション この直後、「書法」も改行形から一続きの散文形に変えられる。しかし、連続的な変化である。定量化されたパッセージは固定的で、同量的な小節で詠われていく。凝縮した散文形でアフォリズム化し、同時にリズムカルな響きを得ようとしているのである。全体への配慮が行き届いているからである。細部の詩法化が全体のそれと通行し合っているのである。

このとき叙事詩は、詩人にとってまさに一つの交響曲であった。故にオーケストレーション抜きには詩篇は編めないのである。

陽気な獄吏は鍵を鳴らして歩む。庭の木は忽ち夜をまとふであらう。われらは見る。死の速度を。物達がひそかにまじわる卑俗な時間を。壁はめぐつてゐる。壁は増殖する。果しない罅割れには、売られた歌がうたつてゐる。
                       (同5聯部分)
あるいは、

風は厲しく打つてゐる。髭の中の汚れた思想を。独裁者の不眠の鼓動を。古びた死者達は地球をめぐつてゐる。人工衛星のやうに。引裂かれた新しい死は拡がるであらう。探鉱の技師たちがたどつて行く渓間の黄昏を。孵化場の夥しい銀の昧爽を。
                       (同6聯部分)
 最後は短行の改行詩に立ち戻って2聯を立て、再度異なる響きを聴かせるが、切り変えは木管に担わせる。断絶的な鋭い音を上げずに柔らかいクラリネット色のソロを奏でる感じだからである。別の木管が被さった後、打楽器の一打で膨らませて、一打の響きが消えないうちに木管アルトでやわらかく閉じ、結尾を俟って静まる。弦に惹起された結尾は、結末をあえて飾らずに打楽器の再打(一打)で後続を断ち切ったように終える。このあと変奏部を挟みながら終曲「ダニールの朝」に至ることになる。

背の書割は風を孕んでゐる。
運河の上にしつらへられたサーカス小屋の藁臭い舞台の中で、
私は、にはかづくりの手品師なのだ。
――神よ、御身は何と遅いのか!
観客は皆、小さな口をあけて待つてゐる。
奇蹟が起るのを。

私は待つてゐる。しかし、
――神よ、それは御身ではないかもしれない。
地平に現はれるレオニダースの使者!
(「ダニールのための夜の歌」最終聯)

 終曲「ダニールの朝」については、それが中原中也の「朝の歌」と同じ意味合いを帯びていたことを前稿で指摘した。詩集名『夜の果てへの旅』も、結局、詩集巻末の一篇「ダニールの朝」を得るためでもあった。ここではそれを「楽式」として辿り直したことになるが、あらためて詩集全体が交響曲的な楽曲であることを感じ、実際にも楽式的企図が強く働いていた痕跡を彼処に認めることになった。しかもマーラー的であることを。



Ⅲ 第二部の「楽式」

スケルツォの意義 次にとり上げるのは「インテルメッツォ」である。中間点であり転換点でもある立て方とともに詩の内容及び書法から、ここではさらにマーラー的であるのを知ることになる。

マーラーのスケルツォは、曲によっては前後の楽章との連続をことさら断つように独自な曲想を錯綜的に詰め込んで響きも個性的である。しかし諧謔がときに思いがけないような哀しみと背中合わせであるように、マーラーのスケルツォは、アダージョやアンダンテを相対化しうる多彩な響きと異質な調べとで総合的にも詩的水準を獲得している。ときには「重いスケルツォ」(柴田南雄1984119頁)となる所以である。

このスケルツォに「インテルメッツォ」の詩篇を読む視点を入手する思いである。音楽として「読む」ことを可能とする一巻の詩集がここにある。詩学的意義の再認を要求しているかのようである。

 構成の特徴 第二部たる第2章「インテルメッツォ」は、次の6篇からなる。詩題を掲げる。

①「死者たちへの手帖」②「Scherzo Contemporaneo」③「奇怪な夕暮」④「霾」⑤「死者の庭で」⑥「インテルメッツォ」。

詩形式で掲げ直すと次のとおりである。

①長編改行詩―②枝篇改行詩―③短文散文詩―④単聯改行詩―⑤長文散文詩―⑥散文的改行詩

一目して明らかなように、実に変化に富んでいる。枝篇改行詩とは一篇中にさらに小さな詩篇を複数有することである。ここでは3篇からなっている。こうした改行詩一つをとっても、前後楽章(詩章)に対して同楽章を中間部とし転換部とするためのかなり意図的なリズムが採用されていることが分かる。変幻自在ともいうべき書法の開陳である。


一人称主語とエピグラフ ①~⑥の特徴は、前後楽章が二重存在を介在しているのに対して、一人称主語として詩篇群に立っていることである。時制の変換や同化を介さないで戦争体験を現在形に呼び戻しているからである。しかしこれはこれで私小説化(現在形一人称)の回避を企図する、体験のリアリズムに対する尊びを具体化したものである。

この際、エピグラフに大きな役割が託される。エピグラフは鷲巣詩篇の特徴であるが、ここでは重みの嵩上げとしてではなく拡張として使われている。引き合いによる緊張感を生み出して詩的効果を高めようとしているのである。一種の〝綱引き〟である。確かめてみよう。

事例分析1 まずは全体に対する前置きとして使われたのが、20世紀イタリアを代表する詩人の一人サルヴァトール・クァジモドの「不滅の死」である。すでにエピグラフの題名自体が第二部に対する諧謔を物語っている。しかも引かれた一節(原文掲示)は、「ワレラノ談話ハウツリカワリ、今ハ不条理モ条理トナル。」(鷲巣繁男訳(大意))である。念頭にあったのは戦争の語りのことであったはずである。そして1行を開けて第二部の巻頭詩(①)となる。戦後も傍らにとどめ置き、事あるごと開いていたに違いない『軍隊手帖』を指す「手帖」である。内容から読み取った推測である。①は計20聯からなる。以下はその冒頭部分である。

草たちの陰謀の中へ蜥蜴が入つていくとき
神の憐みは小さな尾へ注いでゐる。
若者たちを見送つた丘に立つと、
港の眩しさに、私は忽ち老いる。
崩れた土くれに永代借地の鉄線は朽ちたまま なほ続いてゐる。
(「死者たちの手帖」1聯)
 中国戦線に征く折りに眼にとどめた港の船出風景であろうか。「忽ち老いる」とは当時と現在との自己変容に成立する一人称現在形である。以下、手帖に記されていた内容が発想源となっているのだろうか、エピソードが陸続と押し出されてくるのである。二三掲げる。

海峡は膨らむ。死者たちは花粉を放つ。
渡つていく孤独な蜜蜂師の背中に今も貼りついてゐる戦闘(コンバツト)
《声をあげたきり 居なくなつた おまえ!
《声をあげたきり 振り向かなかつたのか、おまえも!
この(きりぎし)、晴れた白い道は渇いて尽きる。
(同3聯)
 言ってみれば死ぬための渡海である。戦場の声を現在形で聴いているのである。続くことのない「声」である。死の襲来である。ために二重山括弧は完結しない、しえない。戦友たちの死を後ろに残して形だけの「征旅」に向けた道が、定めのないままに結局先を塞いだ「崖」に辿り着くだけしかないのである。虚しい見通しのなかに続く道である。

今、春婦が飲んでゐるカプセルは秘められた宇宙飛行士のやうに溶解する。
ひきつつた戦争からはじかれた帰休兵は、
酒をあふりながら、彼方の夥しい死者の談笑に属してゐる。
やがて果樹園を吹き抜けた夜が、伽藍の空洞に
化石になるのを待つてゐる天使らを包むとき、
蜥蜴の夢だけが、この世の連帯の虹色をステンドグラスに燃やすだらう。
(同5聯)
 詩人は最前線(通信斥候兵)から傷病兵として一時「帰休兵」となった。負傷兵が横たわる病院での思い出だろうか。療養中にも思いは戦場の戦友たちに向かう。彼らの死に新たに重なる死を思いめぐらすのである。離れていても彼らの死と一つになる、ならざるをえない。戦争の外に生き夢みる蜥蜴にこそ実存主義は謳われるべきなのである。これは詩ではない。真実である。

雲たちが絵具を煉つてゐる隠微なホリゾントの彼方。
若い兵士が倒れてから無量の時間が流れた。
鳥が生まれ、わたしのカンバスに死ぬ。
影は去り、啼き声だけが鋭く「今」を裂く。
兵士の吐息は最後の生を密林の中で試みるだらう。 
(同9聯)
 戦争が終わり「若い兵士」との間には長い時間が流れている。カンバスは「今」の日々の最中に立てかけられている。かつて鳥籠の中で啼き声を聞かせてくれた鳥(小鳥)も死んだ。いまは死者の声を運ぶ啼き声となって彼の声を今に甦らせる。玉砕に立ち向かう声。忘れえようか。私の「今」は絶えず引き裂かれる。死者を私は生きる。生きようとすればするほど、でもこの現実との間に大きな亀裂を生む。すでに詩行は次の聯に跨っている。そして呟く、「この亀裂は大地の稲妻のやうだ」(10聯起句)と。

死者を生きてもすでに一人称現在形の「今」にしかとどまれない詩人は、亀裂に生を引き裂かれなければならない。死者を生きるのが亀裂なら、そのようにしか生きられない不条理は人の定めにほかならない。ゆえに「くちづけ」するしかない。詩人が「手帖」に記す最終聯である。

だが、やがて亀裂はこの世界を締めつけるだらう。
その中で私たちは、ただくちづけをするしかない。
冷たい金の十字架の両側から……
愛の堅さ、死の堅さ、苦痛の胸、主よ、御身の不条理への叫びの上に!
(同最終聯)
今一度エピグラフを引いてみよう。「ワレラノ談話ハウツリカワリ、今ハ不条理モ条理トナル。」最終聯を得て、その先に「二重存在」たる自己存在を措定し時制を生き直さんとするのである。前後楽章との連携である。


 事例分析2 次のエピグラフは、④「霾」に使われた「詩経」である。「終風且霾 恵然肯来 莫往莫来 悠悠我思」(詩経・邶風)。巻末の「エピグラフ自注」には以下のよ注記されている。「詩経・邶風の中の第二聯」風のうえにほこり 吹ふきまわし次第。行きも来もせずに 心はわびしい(魚坂善雄氏訳による)」。「霾」とは辞典によれば、「つちふる。大風が土砂を空に巻き上げて降らす」(『角川 漢和中辞典』)とある。

戦場に広がる大地を往くいまの詩人である若い兵士が、道すがら見た光景の一つである。詩人は中国古典に若年より親しんでいた。霾のなかに霞む中国3千年の詩文の輝きである。なぜ侵略しなければならなかったのか。詩人となった今の寂寞とした大地への思いが昔日の光景を甦らせるのである。

    霾
終風且霾 恵然肯来 莫往莫来 悠悠我思
〈詩 経・邶 風〉
満目の
あふれ拡ごり 音もない喪の(とばり)
腕を組んだ老爺には 腕を組んだ女が続き
腕を組んだ少年がつづきます
そして その無言の列は
もう一万年も動きません
(略)
動いてゐるのは
あれは凶兆 地平です
あふれ拡ごり 音もない喪の幕です
(略)
土が降ります 歴史のやうに
自らを捲きおこし 自ら舞ひ 沈みます
(略)

 話し言葉に一瞬胸の突き刺される思いを抱くのは、予め詩人が目論むシュールな言語感覚によるものである。ベースで低く開始しておいて、突然、冒頭で我に帰ったかのように弦のトゥッティで思わせ気味に「満目の/あふれ拡ごり 音もない喪の幕」と厚めに響かせながらわずか3小節で休止してしまい、以下最後まで弓を下ろしたまま、奏者たちが耳にするのは、木管ソロの淡々とした応答のみである。マーラーのスケルツォの幾つかのパッセージに聴くような変幻自在な書法と言わねばならない。


 事例分析3 最後は第二部の巻末をつとめる⑥「インテルメッツォ」のエピグラムである。「カクノ如キ欲望ノ、カクノ如キ愛ノ、苦悩ヲ御身ラハ曽テ聞カザリシヨ。(トマ「トリスタンとイズー」)」(同自注)。

敗戦後の日々を懊悩の中で生きる詩人が、かつて自身を囚えた確信(天皇崇拝(ただし崇拝対象は古代天皇))を、死によっても絶ええない永遠の確信(恋情)に自己の存否を量るかのように引いたのである。あるいは意味のあることであったかと、自己否定に晒し続けるためである。やがて思い至った愚かさを遠くゲッセマネのイエスの祈りに及ぼすのである。そして人こそ愚かなりと思いを新たに深まりゆく苦悩を一つのリフレインに唱えるのである――「イエスが祈つていたそのひととき/寝込んでしまつたおまへの疲れは/この夜の果てしないやうに深いのだらう」(同1聯字下げ3行部)と。夜を重ね明かない時間に響き渡る声。声に声を重ねる敗戦後の生。宿命。以下は最終聯である。

だが、それにしても、この痛さ、この切なさ、これこそ現実(うつそみ)なのだと、ぼくの踵は主張する。ぼくの恋人は来ないのだうか。
ぼくの珈琲は乾からび果てた。満載する奴隷。輝いてゐる象牙海岸。着飾つた商人の女房たち。ぼくは不実のキュンティアをかいまみた。
ぼくは女陰を太陽と化す錬金秘儀に身をすりへらし、またブルトンの騎士と顔蒼ざめた。
ああ、魂の幕間に、無敵艦隊(アルマダ)報ラせ!
そしてすべてはイエスの傍らの
怠惰な肉から起き上つた
影たちの見る夢だらうか。
           (同「インテルメッツォ」最終聯)


厚い和声 かくして第三部「ゲッセマネ」にバトンタッチされる。繋がれていくのである。「イエスが祈つていたそのひととき」のリフレインは、「主題予示」である。音楽的に読もうとするとき第二部たる「インテルメッツォ」は、工夫された旋律、リズムあるいは和声を随所に聴き取ることができる。だからといってなにも特別なわけでも鷲巣繁男の独壇場であるわけでもない。もともと定型詩の定型性も盛り込まれる脚韻も、音楽的効果の獲得を求めたものである。自由詩ではさらに自由奔放な音楽性が追求される。詩史として繙けば『詩と詩論』は一つの頂点である。

とりわけ和声の追及は、戦後詩を牽引する大きな音楽的要素である。入沢康夫の「わが出雲」(『わが出雲・わが鎮魂』思潮社、1968年)には、詩作上の和声学を見る思いである。鷲巣繁男の和声的手法は、比較的ノーマルで穏やかなほどである。それが殊更に音楽的に捉えられるのはなぜか。しかも交響楽的に聴こえるのである。詩自体が内側から発するものである。厚い和声を伴っているからにほかならない。

そもそも日本詩を長大な交響曲に捉えられることさえ稀である。多くは独奏曲であり室内楽であり、ときに合奏協奏曲を思わせる程度である。日本詩の内的構造がそうさせるからである。それが同じ交響曲でもマーラー的に聴こえるのである。やはり従来にない日本詩の特徴として再掲示しなければならないのである。


異端の宿命 しかし、異端は異端である。異端が正統を越えて大きな宇宙を作るのは困難である。小宇宙にとどまるのが普通である。このまま容れられないかもしれない。相変わらず「世間」との接触を作品が自らの言辞によって拒んでいるからである。言い換えれば、日本詩への位置づけをその孤高性によって自ら断っているのである。ならば読み手によって作品を日本詩に問い位置づけを試みなければならない。しかし、それはそれで膨大な準備が必要である。しかも作品を離れてはなしえないのである。

前稿はじめこれまでの記述は、もっぱら作品分析に終始したものである。それをよしとし現下の方法論としているのである。今回もまた同様である。まだ言及すべき作品は数多く残っている。先は見通せない。課題は先送りされる。しかし作品のなかにしか道はない。それが日課的な分析から一点突破の詩論に立ち上がることを信じるしかない。
以下、本稿を閉じるに当たってマーラーについて少しだけ触れておきたい。繰り返しマーラー的と言いながらその音楽的特徴に触れないままにきたからである。もちろん、範疇としては鷲頭繁男を念頭に置いた「音楽論」である。



 Ⅳ マーラーの音楽的特徴

執筆経緯 まずはマーラーを取り上げなければならなかったのかを語っておかなければならない。肝心な点である。上記したように詩人と親交があった段階から――そのとき我々はブルックナーを頻繁に聴いていたのであるが――常々思っていたのは、鷲巣さんの詩はマーラーに似つかわしいと思っていたからである。最初の動機である。しかしその時は、似つかわしさの程度は個人の詩篇の域にとどまっていたのである。それがながく鷲巣詩に親しむ内に、日本詩へのアンチ・テーゼであることに気がつくようになっていく。次の動機であり筆を取らせる必要を強く感じることになる。それにマーラー自身のこともあった。マーラーの音楽が西洋音楽に対してアンチ・テーゼであったからである。それが両者を取り合わせた執筆契機となる。以上が経緯である。


マーラー論1 そこでマーラーである。実作者(作曲家)の眼を以って論じた柴田南雄のマーラー論に「マーラーを理解することの意味」という一項がある。ここから入っていきたい。

マーラーの音楽は、われわれに管弦楽とは何か、交響曲とは何だったのか、と語りかける。ソナタ形式という枠組の意味も、じつはベートーヴェンのような典型的なものだけを見ていたのでは分からない。マーラーを鑑賞し、観察することで、古典におけるそれらのあり方が分かってくるし、古典音楽の構造そのものの意味も明らかになってくる。マーラーの理解と鑑賞は、だから、古典とは何か、何だったかを問う行為でもあり、音楽史を新たな視座から見直すことでもある。マーラーの音楽は、それ自体まさにメタ・ニュージックである。(同書34頁)

 文中の「音楽」を「詩」に、「古典」を「近代詩」に「音楽史」を「詩史」に置き換えれば、最後の一文は「鷲巣繁男の詩は、それ自体まさにメタ・ポエムである」に書き換えられる。ではなにがマーラーをそのような視座を持ち得る音楽としているのか、柴田は全交響曲の一曲ごと分析しているので、作曲家から見た特徴をいくつか挙げてみよう。ただしその分析は専門的知識を前提とした音楽論的なもので門外漢の筆者には挙げるに限界がある。あえて挙げるのは次の文献を意識しているからである。箇条書きで掲げる。

 1「主題」の扱い方である。動機(=主題分解されたモチーフ)の連鎖や組合せからクライマックスに導く古典派的技法に対して、マーラーでは主題の旋律線の変容(メタモルフォーズ)をもとにそのニュアンスの多様化で行なっている点(「第一主題の変形」79頁)。⇒メタモルフォーズ化

 2 交響詩と交響曲という従来峻別されていた二つのジャンルを融通無碍に通底して拡大的に一つのもとしたこと。何を表現するかが従来の作曲技法ではすでに受け皿になりえなくなっていたためであるが、古典派=ロマン派を前提にする同時代人がマーラーを受け容れられなかった大きな要因の一つであったこと(「交響曲の枠組みの拡大」823頁)。⇒新しい「器」の獲得

 3 マーラーの交響曲の頂点をなす第9番から導き出せるが「メビウスの輪」であること。それは(つまりメビウスの輪であることは)、第9番が上記2を得るために、楽器の新規採用を含む多様な響きの駆使を経て、ただしそれがともすれば非西洋的な側面を浮かび上げていた第9番以前に対して、「西洋の音による思考が全篇を貫いている」(「交響曲の頂点」163頁)からであって、それが原点回帰ではなく、さらなる深い自己回帰に仕向けられていたために、「ここへ来てマーラーは、いよいよ古典派=ロマン派の交響曲の世界の背後へ、さらにはメビウスの輪のように自己の想像してきた世界の裏側へ、回りこんでしまった」のであること(「背後の世界」173頁)。⇒自己の在り処への旋回

 結局、3が挙げられることで、12を通じてマーラーからそれ以前の交響曲やそれを成り立たせているソナタ形式を根底から問い直せることになる。シェーンベルクではできない。断絶的すぎるからである。


マーラー論2 マーラー研究に30年を費やしてマーラー伝の大著(各1200頁からなる三巻の伝記)を著わしたアンリ=ルイ・ラ・グランジュは、講演のための原稿をもとに10章からなるマーラー論を著わした(グランジュ1993)。13を念頭に置きながら同著書によりマーラーの特徴をいくつか挙げてみたい。「⇒」は柴田との対応関係を示す。

a 音楽は宇宙のように絶え間なく生成を続ける無限のようでなければならないとする考えから、「無限なるものの断片」の導入という手法により、交響曲的に叙事詩的広がりや宇宙的響きを与えかつ20世紀的な人間の豊かさと内的複雑を盛りこむことに成功していること(「失われた無限を求めて」21頁)。⇒「2」

b 民衆的な響きをはじめ多彩な響きを取り入れて「ロマン派の根本概念のひとつである主題のオリジナル性を否定」する楽想を体系的に定着したこと(「マーラーとシェーンベルク」114頁)。⇒「1」

c 古典的手法である変奏のさらなる発展・拡大を企図して、価値に乏しい旋律的な常套的書法(伴奏部)からの退去とともに、反復や再現、後戻りからの離反(「非可逆行性」(アドルノ))によって、諸主題を「言説にそって動きまわる」ような、エピソードの惹起性や遊動・躍動性と一体化し(「マーラーとシェーンベルク」129頁)、ときには「スコアを挟みで断ち切ったような」「文脈に関係ない音楽を挿入」し(「交響曲第7番の謎」152頁)、「小説風交響曲」(アドルノ)を創生したこと(「マーラーとシェーンベルク」129頁)。⇒「1」

 もう一か所引用する。以上のような従前との相違点から見えてくる独自性について語られている箇所である。交響曲第7番フィナーレのオプティミズム――楽曲中唯一の「肯定」を音楽的に支えたもの――に潜む真理(フロイト的真理)として書かれたくだりである。「⇒」は同上。

彼は当時(交響曲第7番作曲時、引用注)、自分自身の矛盾から生じるはずのもの(フロイト的真理のこと、引用注)を、予想もしていなかったのではないだろうか。つまり、急激な変化や、音域の変更や、あらかじめ定められた統一性と、力に満ちた総合(ジンテーゼ)を拒否することが、やがて、きわめて明晰な瞬間として、世界の限りない多様性の非常にアクチュアルな証明として、予言として、すなわち彼の全作品のもっとも独創的でもっとも現代的な特性として出現することを。(「交響曲第7番の謎」154頁)⇒「3」

 マーラーを聴くものなら多くが肯う、マーラー音楽の核心が縷々記るされている。同時にマーラー交響曲が、古典・ロマン派から自身を差別的に再編する音楽的特徴であり、ベルリオーズを例外として(同「マーラーとベルリオーズ」)、マーラーが前代の作曲家たちとの間につくる非系譜性を生み出す源となる部分である。

 
結語~マーラー的なもの~ 以上において「⇒」を付して標題的にまとめたのは、そのままでは対比しづらい音楽と詩とを繋げるためである。鷲巣繁男のマーラー的な部分とは、すなわち「メタモルフォーズ化」「新しい『器』の獲得」「自己の在り処への旋回」の言い回しで示されるような、「1」~「3」・「a」~「c」に読み替えられる詩学である。今回はそれを〈楽式〉として提示したことになる。



おわりに~回想としてのマーラー体験と詩人生誕100年~

 詩人のレコードライブラリー マーラーに鷲巣繁男論を立てる契機があったとすれば、筆者がマーラーを聴く契機は鷲巣さんにあった。気にかかるようになったのは、詩人が武州与野円阿弥(旧与野市・現さいたま市)から同大宮南中丸八幡(旧大宮市・現さいたま市)に越してからだったと思う。したがって1977年(昭和52)以降である。それまではもっぱらFM放送で聴いていたマーラーを、詩人のレコードライブラリーに多数マーラーがあるのを知って、一気にマーラーへの関心を高めたのである。

これが前段である。前段を承けたのが以下である。丁度よい機会なので当時のマーラー体験をコンサートから拾っておく。ただし「おわりに」もならない、自分用メモでしかない。


コンサート体験 演奏会でのマーラー体験は、手もとに残してある演奏会プログラム(廃棄してしまったものも多数あるが。というのも一時はコンサート狂いで、いくつかの定期会員に加え、予算の範囲ながら目ぼしい演奏会を物色しまくっていたので。ともかく定期の学生券は大変廉価だった。通しでなら一回当たり500円程度になっていたのではなかったかと思うが)を引っ張り出してみたところ、最初は19791119日だった。

日フィル第317回定演(東京文化会館)でプログラムはなんと前半が「さすらう若人の歌」、後半が「交響曲第9番ニ長調」という極め付きの選曲である。ブログラムだけではない。前半の歌手は、アルトの世界的名歌手のヴィエラ・ソウクポヴァ、そして指揮者は、フランクフルト放送交響楽団を世界的オーケストラに引きあげたかのエリアウ・インバルである。後年、彼は我々にブルックナーの初期作品や原典版で新しいブルックナーを聴かせることになる。公演時の年齢も43歳という脂の乗り切った年頃である。

次は1980728日の朝比奈隆/大フィル(第19回東京公演、東京文化会館)による交響曲第5番嬰ハ短調。以下は1981728日の同じ朝比奈隆/大フィルで交響曲第7番ホ短調「夜の歌」と同年928日のガリー・ベルティーニ/都響で交響曲第6番イ短調「悲劇的」。それ以前にも定期会員として足を運ぶ中で交響曲第1番「巨人」は聴いていたと思うが、同じ定期でもマーラーを目当てに足を運んだのは上記からである。時代としては日本でマーラー・ブームが本格化し、盛んに演奏曲目に取りこまれるようになってからである。


対談の中のマーラー・ブーム 今回、マーラーを調べる過程で次の対談記事に接した。なるほどたしかにそうだったと思った次第である。中沢新一と吉松隆の対談の一くだりである。中沢は早く60年代後半かマーラーファンであったようで(「マーラーとの出会い」)、70年に入っても関心を持続していく。それが途中、研究の関心からマーラーを離れることになる。チベットやインド訪問を要したためである。自然、音楽ももっぱら民族音楽になり、西洋音楽を聴いたとしてもプログレッシヴばかりになる。それが帰国すると、思いがけなく世の中(日本)はマーラー・ブームになっていたといのである。以下はそのくだりである。

吉松 音楽もあっちの方を。
中沢 ヨーロッパのものってほとんど聴かなかったし、あとはプログレッシヴばかり聴いていたんですね。日本に戻って来たら異様なマーラー・ブームが始まりかけていて。
吉松 いつですか、それは。
中沢 789年かな。これは、やはり危険な言葉ですが、仮にまあポスト・モダンっていう、そういう時代が日本にも来始めているのだなあ、という感じを受けたっていうことですね。(以下略)
――「対談 新しいマーラー像に向けて」(河出書房2011

 
生誕100 「異様なマーラー・ブーム」と言われればたしかにそうだったかもしれない。これも時代の違いであろう、今の世にとくに「異様な」と名のつくものの対象があまりに違いすぎる。この21世紀10年代の現在に「時制内時制」は創れるのだろうか。ブログもフェイスブックもツイッターも知らなかった鷲巣繁男である。詩人のメタモルフォーシスはネットを内在化しうるであろうか。

現在86歳の巨匠にして奇()才の映画監督アレハンドロ・ホドロフスキーは、「異様なツイッターファン」である。「ツイッターは21世紀の芸術装置だ」とも。15ツイート/日を日課としているという。詩人鷲巣繁男もホドロフスキーばりの精神構造である。手にしていたならフォロアーを獲得できたであろうか。しかし存命であるとしても今年で100歳である。いわずもがなの結果となるであろう。

ところでどこかで生誕100年記念の催しはなされたのだろうか。寡聞して詳細は知らない。ならばあとは勝手に個人的な生誕記念とするしかない。本年稿にもう一本「『メタモルフォーシス』~鷲巣繁男の『詩法』~」がある。本稿とともに永遠の詩魂に捧げたい。



テキスト
『定本鷲巣繁男詩集』国文社、1971

参考・引用文献
アンリ=ルイ・ド・ラ・グランシュ/船山隆・井上さつき訳『グスタフ・マーラー 失われた無限を求めて』
神谷光信『詩のカテドラル 鷲巣繁男とその周辺』沖積舎、2002
柴田南雄『グスタフ・マーラー―現代音楽への道―』岩波新書、1984
 塚本虎二訳『福音書』岩波文庫、1963
『萩原朔太郎全集』第1巻詩集(全)、新潮社、1959
『マーラー 没後100年記念総特集』文藝別冊、河出書房、2011

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