その部屋・その街・その時代――今から振り返ると、それはヌーヴォー・ロマンに似合いの、特別の装いをもった舞台だったような気がする。しかし同時に一回切りのものであった気もする。恐らくそうだったにちがいない。60年代後半から70年代前半(下っても中頃)までのことである。
その頃(の後半)、筆者は我々が「中央の地下」と呼んでいた、都会の真っただ中の文芸サークルの一室で文学談義に日々明け暮れていた。部室には雑記帳のような自由ノートがあって、読書感想文や折々の断想を思い思いに勝手に書きつけていた。すでに遠い昔のこと、具体的な内容は思い出せないが、当然、最新のフランス文学にも筆が及んでいたはずである。ノート記入者の一人であった筆者が、具体的に何を書きつけていたのか、最新のフランス文学、すなわちヌーヴォー・ロマンに筆を走らせる機会があったのか、一向に思い出せない。
故あって一度文学関係の書籍を処分してしまったが、書棚の一隅でそれら一群の作品が誇らしげに背表紙を見せつけながら一画を占めていたはずである。フランス文学関係で今手許に残っているのは、わずかな冊数でしかないが、そのなかに4冊セットの『現代フランス文学13人集』(新潮社、1965~66年)がある。ヌーヴォー・ロマンの主要な作家を中核に据えた最新の出版企画である。一人一作ながらヌーヴォー・ロマンを代表する作家が一堂に会していることからも、ヌーヴォー・ロマンの紹介にとっては、意欲的かつ意義深いシリーズであった。なお、同シリーズでは「ヌーヴォー・ロマン」の文学用語はまだ使用されておらず(第1冊の「解説」では「(フランスでは、ヌーヴォー・ロマン、つまり「新小説」なる呼称が一般化しているが、ロブグリエは私(白井浩司・注)に、呼称はどちらでもさしつかえないといった)」と括弧内ながら言及しているが)、「アンチ・ロマン」(サルトル)である。参考までに第1冊(カミュ、ソレルス、ジュネ)の「帯」*を掲げておこう。
カミュ、ジュネ他、ここに紹介する13の作品は、ジッド、プルースト、ジョイス等が、20世紀前半に果たした文学的遺産を継承しつつ、虚無と解体の危機に瀕している現代人の意識を、形式への鋭く執拗な探求を通じて描いている。アンチ・ロマン、アンチ・テアトルと呼ばれる一群の作品の集成であり、明日の豊饒な文学を用意する注目のシリーズである。
今回、久しぶりに手に取ってみて、処分してしまったものを含め、どこまで分かっていて読んでいたのか、読破しきれなかった作品も少なくなかったのではないか、おそらく相当に無理をしていたのではないかと、若輩の身に背伸びを強いていた当時の心境(〝文学青年〟の思いの丈)が気恥ずかしく甦るような気分だった。難解であるというより、実際難解と言うなら哲学書や思想書の方がはるかに難解であるので、けっして難解なわけではなかったが、取っ付きにくさのためである。それなのに次の作品、次の作家と手に取らずにはいられなかったのも事実である。今読み直してみて、相変わらず取っ付きにくい事体に大きな変更はないが、すこしは相対的な読み方が出来るような年齢になったなかで、あらためて思うのは、ヌーヴォー・ロマンのもつ非日本的な文学性であり、それ故であったにちがいない当時の読書欲の正体――作品側から突き離されてしまうことを良しとしない思いに発していた、言ってみればその思いの裏返しであった読書欲についてである。
以下、シリーズ中の諸作品に対する断想から筆者の中での現在のヌーヴォー・ロマン観を確認することとする。当時の思いを再定着しておきたいがためである。なんのために? と問えば、ほとんど〝自分史〟の域と答えるしかない。なぜなら恥ずかしながら一度は(?)仏文学の専攻生だったからである。
*なお第1巻の作家は、ソレルス以外はヌーヴォー・ロマンの作家ではない(ただしソレルスも周辺作家)。とくにカミュは世代的にも一世代前でヌーヴォー・ロマンにとっては、影響を受けながらも乗り越えるべき世代である。また帯中の「アンチ・ロマン」は、よく知られたことではあるが、シリーズ第2冊収載のヌーヴォー・ロマンを代表する作家の一人サロートの『見知らぬ男』(1947年、1956年再刊)の「序文」(サルトル)で使われた言葉である。
1 ヌーヴォー・ロマンの文学世界(瞥見)
識者の苦言 日本における尖鋭的なヌーヴォー・ロマン研究の一人で、近年(2011年2月)還暦をわずかに超えた若さで亡くなった江中直紀の遺稿集『ヌーヴォー・ロマンと日本文学』(せりか書房、2012年2月)に、ヌーヴォー・ロマンを読み論ずるということの奥義(難しさ)に触れる件がある。具体的には吉本隆明によるヌーヴォー・ロマンの読みと批評に対する批判的記述である。これは吉本と名指しされていても、分かりやすく固有名詞として掲げているだけであって、その批判の矛先は、広く「日本の読み方」に向けられている。その旧態依然とした通有の文芸批評的な読み方にである。
作品には真実や真理があること、読むとはその真理・真相を普遍的に読み取ることであること、それが批評であること。そして、同時にそれが批評行為の保証としても自覚されていて、自信に溢れた言説の数々が繰り出されることになること。江中は、そうした彼らのことを「探偵」と呼び、職業的習性によって真実を嗅ぎまわる探偵の徘徊を揶揄してこう語る。「それにしても(略)、真相に固執し、しかも真相をきまってさぐりあててしまう探偵がなぜこうもはびこっているのだろうか」と。そして、このシニカルな一文を前置きにして問題の吉本隆明の批評(ロブ=グリエ『嫉妬』へ評言)を引き、さらにこう綴る(72~73頁)。
吉本はもとよりロブ=グリエを読んでいるわけではない。問題のテクストは『嫉妬』ではないのだ。一義的にそう訳されてしまったjalousieとはどうじにブラインドでもあって、この書題にはあきらかな二が決定しがたい一としてゆらぎつづけている。そのことを考慮にいれるとしても、「現存する風景」「人間の動きを描き出している」「視線の現前」等々、まるでひとむかしまえの新刊紹介文さながら、とうてい信じられないほど型どおりに退屈な物語ではないか。(略)たとえ翻訳で読んだとしても、描写されない間隙こそ『嫉妬』と訳されたこの物語全体をささえていて、時間的秩序をまったく無視した描写の断片がいかに配列されてゆくか、とぎれとぎれの断片がいかに照応し、機能するようになってゆくか、そこに函数としてあらわれるテクストが一目瞭然ろこつに目をうたずにはいられないだろう。
そして、江中自身による読み方(「非現前をたえずよびだしてしまう構造」への視座)の一端を窺わせながら、まるで的外れな読み方をして堂々たる態度でいる大探偵たる吉本の「真相に固執」する在り方に対して、あえて辛辣に語り出してしまうのである。もちろん、繰り返せば、手厳しいのは、数多多数の探偵に向けるために、あえて声高になる必要があったからである。
べつに吉本の誤読をあげつらっているつもりはない。耄碌した探偵がよせばよいのに唯一の真相をみぬこうとしたら、なんともヒサンな推理譚を語ってしまっただけの話であって、なにしろ発見された真相なるものがまずあまりといえばあまりに陳腐すぎる。この「嫉妬」云々はまるで番組案内にのったメロドラマの要約さながらではないか。まさにロブ=グリエが戯れたようとしたステレオタイプそのものを、ただそれだけを、ずらそうとする契機も実践もみないままにおおまじめで逮捕してしまっている。だからある閉塞のなかでは気恥しいほど正解なのかもしれず、吉本ひとりの症例よりも、むしろその閉塞じたいをあげつらわねばならないのだろう。すなわち律義に、臆面もなく、あいもかわらぬ真相をどこにでも発見してしまう(発見させられてしまう)心性は、「『嫉妬』という作品のすべて]などと書きうる文春的心性こそなによりもずらされねばならない。
「あなたの誤読」 このくだりを読んでまず突き付けられるのは、「吉本の誤読」と言われるときに、それを「あなたの誤読」と言われているような気分にさせられてしまうことである。実は気分だけではなく、実際そう読んでいたかもしれないからである。たとえば次のような思いこみに関する部分である。読むことによって自動的になにかが得られる。読む前と後とでは違った自分になれる。読むと読まないでは内面に大きな差が生じる。それが読むということ、すなわち読書の本質であること。疑問を差し挟むこともなければ、そもそも疑う対象にさえなっていなかったこと。この大前提が揺らぐのである。ヌーヴォー・ロマンと一口に言っても多様であるが、ひとまず内容如何に関わらずとすれば、読むこと自体が揺らぐ読書体験、それこそが実にヌーヴォー・ロマンを読むということの実態である。
人称関係 それでも最初は困惑が待ち受けている。まだ読むことの大原則が生きているからである。作品世界には意味があり、意味への参加が約束されていなければならない。当然登場人物の人間論的な試行があり、存在論との共感も試されるべき読書行為である。やがて日常を越えたところで普遍的な内面が立ち顕れ、読み手自身の前に晒されることになる。晒し方自体は、小説論的な(自然主義とか浪漫主義とか)の要素が強く、どちらかと言えば作者側の専権事項であるが、晒されること自体は、作品を書く側と読む側双方に意味をつくる。その共通事項に読書は行為として安定する。それが、猶予期間もなしに不安定の側に席を譲らなければならないことになる。
たとえば、第2冊収載の『迷路のなかで』(ロブ=グロエ、1959年)の場合。その人物たちと場面との関係。書き出しは、「いま私は、ここに、ひとりで、まったく安全なところにいる」であると、一人称で書き表される。普通ならこのまま「私」を語りとする一人称で進められることになるが、「男」「彼」「兵士」「少年」が主格として登場し、気がつくと「私」による一人称ではなくなっている。そうかと思うと、また戻されている。しかしよく辿り直すと、どうもそうではない。戻っているように思わされているだけである。正確なところは判然としないのである。年齢差の歴然としている「少年」が主格になり替わった瞬間はともかく、あとの三者(「男」「彼」「兵士」)と「私」との関係(移行関係)は、別人なのか同人なのか、どちらでもないのか、そんな区別は不要なのか、そんな状態である。つまり意図的に整序されていないからである。
移行関係に伴う途中の場面描写も誰が語っているのか、誰がその光景を見ているのか、そんな小説世界の初歩的な約束以前のことさえ、明確に打ち出されていないのである。すでに人称の次元では読めなくなっている。小説構造は解体的である。否、解体している。ただしノーマルな解体ではない。解体が目的ではないからである。解体していること、あるいは繰り返し解体に傾斜し移行しつつあることが、一種の無意識状態をつくっているのである。
いずれにしても人間論に参画するためには、前提となる関係(人称関係)の取り結びが必要である。それが書き手の二次的存在でもある読み手に向けて、はっきりと面を上げているのか、あるいは後ろ姿を晒しているだけなのかさえ分からなくさせているのである。それも人称が定まらないためである。複合人称なるものがあるとすれば、まさにそうした混沌に近いが、それでは三次元の秩序までも逸脱しかねない。でも逸れてしまっているのである。にもかかわらず場面は通常に展開していく。展開には人が関わり、関わりのために人は環境的諸条件を課せられなければならない。佇んでいるか座っているか、一人なのか人々とともにしているのか、その場所は部屋の中なのか戸外なのか、昼なのか夜なのか、連続的な諸条件から解かれることはない。
時制の揺らぎ これは単なる外形ではない。小説という形式のテクスト性を構成する基因・内因であり、それから自由になることは、人体から血液を抜き取ってしまうようなものである。それが同じ人間論に関与する場合であっても、小説と他の散文との違いであり、同時に他と入れ替わることのできない小説の固有性でもあり差別性でもある。しかるにこの固有性(差別性)が揺らぐのである。この場合、揺らぎの元となるのは、人称の錯綜とそれがつくる混沌だけではない。人称以上に小説の固有性を保証するかもしれない、もう一つの要因である時制である。この時制さえも揺らいでいるのである。それも在り来たりの時制の操作ではない。
たとえばドアをあけたら過去になっていたとか、あるいは逆に未来になっていたとかという、いまではアニメチックなエンターテイメントに墜しかねない単純な切り替えではないのである。それならむしろ安心感に繋がっている。それが、人称の位相の場合のように気がついたらそれまでの既知の時制ではないのである。そこには切り替えのドアもない。自分が内側なのか外側なのかも分からないのである。失われた時制のなかに放り出されたままなのである。
かくして読むだけでも揺らぐのに、それを今こうして言葉に転換しようすると、さらに揺らいでしまう。正直放擲してしまいたい思いにさえ囚われる。訳もなく締めつけられる頭の内側から発する命令である。その内圧も引き受けなければならないのが、しかし、ヌーヴォー・ロマンを読むということのようである。
たとえばドアをあけたら過去になっていたとか、あるいは逆に未来になっていたとかという、いまではアニメチックなエンターテイメントに墜しかねない単純な切り替えではないのである。それならむしろ安心感に繋がっている。それが、人称の位相の場合のように気がついたらそれまでの既知の時制ではないのである。そこには切り替えのドアもない。自分が内側なのか外側なのかも分からないのである。失われた時制のなかに放り出されたままなのである。
かくして読むだけでも揺らぐのに、それを今こうして言葉に転換しようすると、さらに揺らいでしまう。正直放擲してしまいたい思いにさえ囚われる。訳もなく締めつけられる頭の内側から発する命令である。その内圧も引き受けなければならないのが、しかし、ヌーヴォー・ロマンを読むということのようである。
クロード・シモンの「難解性」 斯様にここには小説の既存体系がないのであるが、既存がないとは、あらためて文学論的に言い表すなら、形式が形式性を喪失していることである。これが単に喪失だけを目指すなら、それは「アンチ・ロマン」(サルトル)かもしれないが、結果として喪失するだけであって、しかも喪失しているという現在完了形にならないで、喪失するという現在進行形のなかに見出されるエクリチュールであること、さらにそれが「テクスト」として新規に定着していることである。本来なら単なるヌーヴォー(新しい)だけでは済まされない、このバーチャルな事体とどう向き合えばよいのか、否、入り込めばよいのか。どう読めばよいのかという基本事項を難しくしているだけなのであろうか。でもそれだけでは何も始まらないし、はじまらないままでいることがどういう状態なのかさえ、実に漠然としたままなのである。まさに進退ここににきわまるに近いのかもしれない。
これがクロード・シモンでは、さらにセンテンスの次元で事態を複雑にしてしまう。一行の読み進みさえままならないのである。しかも意味が解れないためではない。難解性の対極にある日常的な話し言葉のレベルにおいてである。一つの思念や動作に別の思念や動作が同時性で重なり、センテンスで重要になるのは、意味の区切りとなるひとまとまりの分節でもなく、別の思念を挿入するための括弧やダッシュとなる。しかも使用頻度としても挿入句の域を超えて平気に数行(以上)に亘る。むしろ普通なら意味の補足にすぎないはずの挿入句の方が、知らぬ間に主文であるかのように延々と引き延ばされ、まるで自分の立場を弁えない。しかもその頻度は全編に及び、一歩たりとも踏み出してはいけない気分にさせられるなかで、読む前から次に身構えてしまっているのである。これは地の文だけのことではない。会話は会話で壊れたレコードを聴いている気分にさせられるのである。以下に引くのは、シリーズ第4冊の『草』(白井浩司訳)の地の文の一部(あまりに長いので一部しか引けない)とその後に続く会話の一節(引くには適当な一節)である。
(前略)サビーヌ(弟の妻)は、もう一つの肱掛椅子に大の字なってよりかかり、扇を使っている、指輪をはめたその手が動くたびに、冷たい、色さまざまの鉱物的な同じきらめきを投げかける、彼女は扇のうしろから義姉――サビーヌと同じ性ながら、いくらか性がなくなったみたいなこの被造物(彼女はまちがいなく、深い哀れみ、軽蔑、そして――誰が知ろう?――羨望などの混った気持で考えているのだ)――に、当惑気で、考え深そうで、途方に暮れたような眼ざしを投げかけていう、「でもあの家が、あのなかには、あすこには……」
すると彼女が、「ええ、ええ……」
するとサビーヌが、「でも家をもう一ぺんごらんになりたくはないの? せめて一度、手放す前に、見にもどったら……」
すると彼女が、「そんなことしてなんになるの? これでいいのよ、ほんとうに……」
するとサビーヌが、「でもいままでずっと……」
すると彼女が、「ええ、そうよ。もちろんよ。でも、行ってどうなるっていうの? わたし達の家では、ああいうことには、絶対に気を回さないのよ。話にもあがりゃしない。それに、ウージェニーが死んでから、あすこでわたしは一人ぼっちだった……。そうよ。これでいいのよ」
するとサビーヌが、「でも……」
すると彼女が、「これでいいのよ」
(後略) (傍線引用者)
傍線部分が括弧・ダッシュを使った挿入句的な叙述(かりに「挿入叙述」)として例示したものであるが、本来はさらに長い叙述に亘る、頁越えも厭わないもので、上記のように引用し切れないので会話部分が上手く後続することから便宜的に引用したものである。4年後に発表された『ル・パルス』(1962年、平岡篤頼ほか訳『世界の文学23 シモン』集英社、1977年)ではさらに複雑化する挿入叙述は、括弧の中に括弧がつく入れ子状態の頻発で、あまりに長いので括弧の始まりと終わりの対応関係をその都度視認することになる。しかも頻繁にである。上掲の会話部分も会話と言えば会話かもしれないが、遣り取りから自然に齎される緊迫感や緊張感に背を向けた感じである。ほかの会話も程度の差はあるが、〝盛り上がり〟を嫌っている。
「反思考」の文学 このように細部に至るまで作為的で「既存」を失なわせる。上掲江中直紀の論(「クロード・シモン論」)では、「まず問題になるのは、シモンの文体である」として挿入叙述についてこう語る。「記読法に対して宣戦布告をしたような長い分の中に踏み込んだ読者は、自分のなかでの自分の位置を忘れてしまうのだ」と。そして「括弧」については、「括弧が叙述の流れを中断し、それが創造であることを思い出すように強制する」として、その多用がつくる文体上の特徴に触れる。すなわち、「この括弧も非常に多用されており、時には括弧の中の括弧が数ページにわたる場合さえある。『……のように』などによって導かれる従属節や言換えが異常とも思える長さになり、比喩や仮定であった筈のものがいつの間にか主題になることも終始ある。いわば文章自体が絶えず枝分れを起こすので、そうして主題が次々と転換されていく結果、読者は自分の立つ地盤が流動的であり、いつ足の下からなくなるか解らないという印象を抱くのである」と。
今このくだりを思考の在り方として読み替えれば、思考自体が「枝分かれを起こすので」ということになるが、それだけならまだしも大本となる幹との一体性までもが失われるのである。すでに枝と幹との関係ではなく、枝であった筈の枝が、気がつくと別の幹になっている。言ってみれば、思考とは、幹と枝との位階制でもある。枝が幹になってしまう、両者関係(従属関係)の失われたなかでは思考は成り立たない。これにロブ=グリエのように時制の転位が絡まるのである。最早、正体としては作品以前のなにか、名付けようのないもの、「小説を問う小説」(菅野1993年)とも言われる、読むことさえも儘ならぬヌーヴォー・ロマンの世界である。
といってもそれがその世界のすべてではない。クロード・シモンやロブ=グリエが特別なのである。そのなかでもクロード・シモンはとりわけ尖鋭的である。しかし、それ故にヌーヴォー・ロマンの深淵に立たせてくれるのである。なにか健常のまま異常であるのを強いられている気分でさえある。中江の論中に「人間の意識の忠実な報告ではない」(30頁)という一文があるが、忠実を誠実に置き換えれば、不誠実を誠実とする思考作用に類するもので、かかる仕儀となっては為すすべもない。既述したような内圧による脳内の締め付けのさらなる強まりを再自覚するばかりである。なにか健常のまま異常であるのを強いられている気分でさえある。
読書はその先になにかが得られることを無条件の条件(約束事)としている。これでは繰り返しになってしまうが、得るべきものが何もなかった場合にこの原則を適用すれば、得られなかったことを得たことになる。このような言い回しは普通なら逆説でしかないが、こんな修辞がヌーヴォー・ロマンに似つかわしいのは、ヌーヴォー・ロマンを読むということは、読書体験の外に置かれる体験のようなものであるからである。それでいて一方ではたしかな読書体験である実感を伴っていて、その思いからも外に出られない。実に困ったことである。なにも始まっていないのに始まっていないことが始まっている。詭弁を弄するつもりはない。ヌーヴォー・ロマンの紹介者(翻訳者)の一人である菅野昭正は、その叙述の在り方を「不連続に連続する記憶の動き」(109頁)と評する。ヌーヴォー・ロマンは、「反小説」ではないかもしれないが、まさしく「反思考」である。
ヌーヴォー・ロマンを読むこととは(?)をかりに「反思考」を読むこととするなら、なぜそのような「反思考」を読もうとするのかという、また別の問いが誘発される。その際、ヌーヴォー・ロマンの「反思考」で驚かされるのは、作品の長さ(分量)である。次から次へと矢継ぎ早に言葉が生み出されてくるような創作的想像力の刺激に対しては努めて淡白であるにもかかわらずである。また「反思考」と言っても別段論理的記述を必要としているわけではない。したがって、哲学思考によるような、意味の連鎖で次の言葉が潤沢に生み出される論述の上昇性や、言い換えによる意味の再現性もない。むしろロジックには背を向けている。にもかかわらずその分量を確かめると(かりに400字原稿用紙として計算すると)、ロブ=グリエの『迷路のなかで』が約340枚、クロード・シモンの『草』『ル・パラス』がともに約400枚である。普通ならそれほどの枚数でもないかもしれないが、実際に当たれば、この分量は思考の脅威ともいうべき枚数であることが実感される。そしてこの尋常ではない「反思考」の思考力の持続性から学ぶのは、フランス文学による言語力でありその拡張度の著しさである。
文字による思考 ここには文字を発明したことによって、それを持たない場合の思考では切り拓くことのできない、一つの究極の姿が開示されている。言語論ではないが、人と言葉、言葉と認識の深層には、日常では必要としない、それを欠いても特に生活に支障をきたすことのない認識論が隠されている。人類史からみれば文字の歴史はいまだ最近時のことである。したがって、本来呪術的であった文字が散文的に利用され、その過程で得た文字を通じた思考などは、ほとんどつい昨日のこととさえ言える。人類史上の新種に類する文字による思考は、しかし、今に続く文字によらない思考(「野生の思考」はその一形態)を異種と見做すかのようにして、人類史の基幹(ただし思考系統)から離れて、極言すれば、その言語体験は異なる惑星の住人が使うそれであるかのようである。
そして、同じ文字による思考に生きる住人でも、ヌーヴォー・ロマンという惑星の住人とは、文字の持つ機能性をそれが機能しない方向で最大限に発揮した人々である。おそらくそのような逆説的な使い方は、まったく予定されていなかったはずである。文字に求められた機能は、韻文であれば、声だけでは得られない感性の高まりの定着と、定着に上積みされるさらなる情感の高まりである。散文であれば、さらなる意味の展開と、そのために必要となる蓄積された意味への自由自在な立ち戻りであり、総合化に向けた再編である。
意味は実在を離れて文字として形象化される。視覚的には映像化でもある。しかし意味の形象化である文字は、それ自体は実在の錯覚でしかないが、あらたな実在と化して思考の表面で再映像化される。その場合の映像は、状態的には具象画である。一次的に意味と離れる抽象画的な在り方としては映像化されない。もしこれが離反した状態下で一次状態を維持するとするなら、精神異常に親和的な内面の保持者と見做されることになる。
机の冬は、病み上がりの色できしみつづけ、
妙なる屍は、新たなる酒を飲むであらう。
これはソシュール研究者としてひろく知られた丸山圭三郎が、ソシュールの優れた概説書でもある一書(同著『言葉とは何か』ちくま学芸文庫、2008年(初出1994年))のなか(080頁)で、言葉とは何かを説明するために著者がみずから試行的に「作詩」した二行である。次ぎの一文は、「詩作」に付された著者による解説及び読者への問いかけである。「次の二行を見てください。いずれも独特の連合関係からの選択がその効果を生み出していますが、一行目は失語症患者の文、二行目はシュルレアリストの実験詩であるとしたら、いかかがでしょうか」。ここに言う「連合関係」とは、言語行為における諸項(コード内の音素・単語など)の選択(コード的選択)のことである。いずれも言語学内のことであるが、その関連で選択能力に障害があることを「連合関係」がこわれると言い、失語症の一症例を言い表す言葉と解説される。
丸山が失語症患者になり替わって作った一行目は、はたして丸山が言うように「独特の連合関係からの選択がその効果を生み出していますが」と評価できるかと言えば、実は解説は逆説であって、「独特の連合関係からの選択」であっても「その効果」はそれに見合わないどころか効果以前であることを言外に言おうとしているのである。それはシュルレアリストの二行目がそれなりに「その効果」を上げているからである。
付言するまでもなく、「机の冬は、病み上がりの色できしみつづけ」には「意味」が不在である。詩的にも掬いとることができない。掬いとれなければ詩語にも詩の一行にもなれない。この一行にそれでも「意味」を与えられるとすれば、それは文字ではなく、色あるいは音によってである。「抽象絵画」は、あくまでも色の先にある存在形態であっても(もちろん色は線や面として形態化しているが)、文字の先に実現されるものではない。文字による思考は、それが二行目のようなシュルレアリストの手によるものであっても、原則「意味」から離れられない。繰り返しになるかもしれないが、具象画であるとはその原則を言い換えたもの、すなわち「意味」から離れられない(断絶できない)存在形態のことである。
「文字体験の逆説」 ヌーヴォー・ロマンの作家たち、とりわけ上記二者(ロブ=グリエ、クロード・シモン)による「反思考」とは、一行目の在り方(「連合関係」の瓦解)を、ディテールとしてではなく(したがってエクリチュールとしては「連合関係」は維持されているが)、その積み上げの先にテクストとして実現したものである。本来散文の中では思考のためであった文字が、すなわちその手段であったものが、思考過程との対立関係を誘発し、実際に相克状態を生み出したのである。これは我々が知る限り、文字による思考が、極限まで推し進められた在り方であるが、ヌーヴォー・ロマンを読むということは、「文字体験の逆説」を体験することでもある。
この逆説体験が意味あるのは、日本文学に立ち返って、我々の近代小説から我々(「私」)を最も遠くに連れ出してくれるからである。なぜなら、意味の累積に背を向けた「反思考」では「私」(近代的自我)は最初から成立しようがないからである。もっとも我邦らしい文学で言えば、「私小説」の不存立ということになる。それは私小説の否定の立場に立っている場合でもそれだけでは「不存立」から免れられるわけでない。とかくこうした議論は概念論的になってしまう。それを避けるためにも具体的事例に当たってみたい。大江健三郎の文学論である。
2 大江健三郎の「私小説」
私小説の解体者 以下に引くのは、『私という小説家の作り方』(新潮社、1998年)という大江の作家としての自己表明書中に認められた「私小説論」の一節である。
『懐かしい年への手紙』への展開で、その後の私の小説の方法に重要な資産となったのは、自分の作ったフィクションが現実生活に入りこんで実際に生きた過去だと主張しはじめ、それが新しく基盤をなして次のフィクションが作られる複合的な構造が、私の小説のかたちとなったことである。この点において、私は日本の近代、現代の私小説を解体した人間と呼ばれていいかも知れない。
(傍線引用者)(「8章 虚構の仕掛けとなる私」)
傍線部分のように私小説を「否定した人間」とではなく「解体した人間」と呼ぶのは、この章のなかでも触れられているが、自らの小説経験が、私小説を真正面から否定する形として開始されたことが前提になっている。「小説を書きはじめた時、(略)すくなくとも意識的にいうかぎり経験に立って書こう、という気持はなかった。むしろ私はフィクションを書く、ということに徹底したかった。とくに私小説について、(略)非文学と見なす態度が私にあった」のとおりである。
大きなテーマとなる障害を抱えた長男との関係も、当初は私小説的な取り結び方とは別な対象化(フィクション化)だった。それが長男との関係を深く生きるなかで、彼との関係の先に出会った在り方は、かならずしもフィクションの側に立つ姿ではなく、かつての姿(フィクションを求めた姿)を一つの経験として再体験化する「自分」であり、その「自分」を主体とする表現者の在り方であった。具体的には次のよう語られることになる。「その作品(フィクション作品・注)の総体が、この世界で生きる私のもうひとつの経験として積み重なることにもなったのだ」と。
以上の小説家論(=存在論)が、傍線部分の先駆けになる「私小説」的作品(『新しい人よ眼ざめよ』)の、文学論的位置の確定を自らに課する中で、あらたな方法論(先行文学者の注釈を作品に取り込んでそれを一つの柱とする方法)を得て、<非私小説的私小説>の文学世界を切り拓くことになる。「私小説を解体した人間」に向けての歩みである。
「後期の仕事」と「私」
文字による思考の形象化(作品)を実存的な生きた過去として捉え直すことは、言ってみれば文字による思考の二重化である。その意味において「反思考」の側に寄っており、その思考態度はヌーヴォー・ロマン的である。とりわけ、「後期の仕事(レイト・ワーク)」と括られる小説作品は、「小説を問う小説」(菅野昭正)、「物語についての物語」(江中直紀)とされるヌーヴォー・ロマンのような実験的要素が濃厚で、実験的要素がそのまま小説になったとも言える世界である。
ちなみに、上掲13人集シリーズの第2冊(サロート、ロブ=グリエ、イヨネスコ)の「帯」には大江健三郎の一文が寄せられている(大江3 0歳)。その最後を引くと、「いま、ここに厳選されて新訳される、最前衛の13の小説は、サルトル、カミュ以後のフランス文学が、真に文学的な冒険の試みを、いかに多彩に続けてきたかということを、一挙に明らかにする実力をそなえるものである」。障害を持った長男が誕生した2年後の一文である。代表作の一点である『個人的な体験』(1964年)は、前年の刊行である。
ところで、ここで問題となるのは、「実験」による「私」の超克である。その「私」とは、世間から「私小説」と見なされがちな作品にはまり込んで、いまや創作活動の原点としている「小説家」である「私」のことである。一体に奇異な感のする題名をつけるとりわけ「後期の仕事」中の一作である『さようなら、私の本よ!』(講談社、2005年)の「私の本」とは、まさに「小説家」という存在形態に規定され、そのなかでしか生きられなかった限定的な生を受け持つしかなかった「私」の外形を指したものであり、「さようなら」とはその存在論的な超克を指し示している。いずれも「私小説」の解体に発想された、つとめて尖鋭的な「小説論」的題名である。そうしないと必ずしも「奇異」ではなく、普通の意味ありげなになってしまう。
ただし、思考態度やそれに基づく作品の実験性には、ヌーヴォー・ロマンに類似なものがあるが、言葉の次元では相違がある。ヌーヴォー・ロマンでも難解さを代表する上記二作家が創り出した言葉の次元は、まさに言葉のための言葉で、最初に原因であったものがいつまでも原因のままに原因を再生し続け、原因と結果との対応関係をとらないでその発話状態に終始する。しかしそれが、言ってみれば一極的な発話が、作品を運動体として臨界状態を保ったまま推進していくことになる。その作品(たとえば『嫉妬』)は、「ことばの運動じたいが物語を産出していく装置」(江中、同書17頁)であること以上にテクスト化することを最初から求めていないのである。従来の作品では、「物語」の完成のために「ことば」が予定されている。ヌーヴォー・ロマンが「ヌーヴォー」であるのは、物語の(劇的な)完成が見込まれているわけではないからである。むしろ物語も原因化の発生に組み込まれ、原因化をより純化する役回りに終始する。
その点、大江文学(「後期の仕事」)のなかの言葉は、「私小説」の「私」を内部から否定(解体)することに向けて、同じように「物語」を一次的な目的にしていないが、言葉に向かう在り方に限って言えば、作為的な言い回しで跛行状態を文節間に凝固するセンテンスのディテールは、あるいはそれ故に、つまり物語を目的としていないなかで点綴される文体の凝固性故に、実は「私」を否定(解体)する在り方にしても、範囲としては脚本家や演出家の「私」までで、もう一人の属性である役者(現実との交錯者)である「私」はその外に留め置かれることになる。
外に置かれるからと言って「解体」から無傷であるわけではなく、それはそれで存在論的であり、「私」の内部分離がもたらす「私」への一体化への要請が、次の作品の動機に繋がっていることは十分予想され、事実、「後期の仕事」をより個性的なものとしているが、この物語以前に物語がある大江作品の構造(上掲「複合的な構造」)に宿命的とも言うべき「私」のなかの「分離」は、必ずしもヌーヴォー・ロマン的ではない。ヌーヴォー・ロマンがつくる「分離」は、「私」の内側(自己)というより、外側(人称・時制など)を舞台としているからである。しかしその相違を超えて、大江健三郎の「私小説」を読むことには、ヌーヴォー・ロマンを読むことに近いものがある。
自分史への立ち返り いきなりまとめになってしまうが、それは我々の「複合的な構造」の意味を自分に引き付けて見詰め直す機会を提供してくれることになるにちがいない。なぜなら、冒頭で述べた「中央の地下」とは、「複合的な構造」の中核となり起点となるものだからである。それを大江作品(「私小説」)を介してヌーヴォー・ロマン的に問い直す。それが自分史的なヌーヴォー・ロマンを読むということでもあるはずである。強引な冒頭への立ち返りであるが、再出発のための着地点としてひとまず筆を擱く。
◆引用・参考文献
菅野昭正・平岡篤頼(兼解説)・大久保輝臣訳『現代フランス文学13人集』2、新潮社、1965年
清水 徹(兼解説)・菅野昭正・白井浩司訳『現代フランス文学13人集』4、新潮社、1966年
松崎芳隆・平岡篤頼(兼解説)訳『世界の文学23 シモン』集英社、1977年
菅野昭正『セイレーンの歌 フランス文学論集』小沢書店、1993年
大江健三郎『私という小説家の作り方』新潮社、1998年
丸山圭三郎『言葉とは何か』ちくま学芸文庫、筑摩書房、2008年
江中直紀『ヌーヴォー・ロマンと日本文学』せりか書房、2012年