1 公園の午後
公園を足早に通り過ぎていく人々。人々が浮かべる、大理石のような冷たくてたいらな表情。寒々した気持ちにさせられる横顔。目線の上の不在。
なにも通り過ぎていく人々の面持ちがとくべつに気がかりなわけではないの。わたしを感じていないからなの。わたしがそこにいないかのように、目になにも浮かべていないからなの。だから不在なわけ。それを知りたいだけ。
見られていないことを見てしまうこと。わたしが自分をそれとして、見られていないこととして間近にかに感じてしまうこと。身体は身体として、誰の目にも浮かべてもらえるはずの、今わたしの前を通りすぎていくあなたと変わらないはず。同じ一人の姿形なはず――だからますます思ってしまうわけ、どうしてよと。そんなに平気な顔で冷たく通り過ぎていけるのと。
それとも、わたしがわたしとして見ているのは人々とはちがうもの。たとえば透けた体なわけ――透けた体に透けたわたしを見ているだけなの。それも、わたしだけに見えている、そういうことかしら。
しかも、なにも気づかずにいるということ。自分が自分の身体から離れてしまっていること自体に、当の本人が知らずにいる、そういうことなわけ?
滑稽ね。それではまるで案山子ね。
それはたしかに身なりは、身なりかもしれない。問いただされても仕方ないかもしれない。この寒々とした曇り空に白装束なのですから……。
*
今日も薄雲のかかった空。土曜の午後の空。公園の空。まだ季節の陽射しは弱々しくて、それほど厚い雲でなくても押し退けられずにいる。ときどき申し訳なさそうに、空を見上げる人に向けて、そこに自分がいることを精一杯知らそうとするのか、雲間にぼんやりと暈取りを浮かべて自分の所在を裏側に示し、雲が途切れそうなときは、わずかに輝きを放って見せるが、それでも地上に届くような光とはとてもならない。
虚空への眼差し。わたしはわたしで空を見上げる。暖かさを求めるからではない。見上げるのは、人々とは違う意味と意志、そして決意で。長い間の習慣となっているもの。もし意味合いを求められるなら、そのようにして平然と空がわたしの上にあるため。それもあることへの一種の抗議、訴えとして語りだしてしまうもの。
けっして当たり前ではないからなの。忘れているだけのこと。雲がとれれば太陽が現れる。青空がのぞく。だれも当たり前のことだと思っている。当たり前すぎて気にも留めない。でもそのようにしてなんの疑いもなく姿を見せていたわけではないの。意志によるもの。そして決意によるもの。だから空を見上げる人々の顔を見るたびに、当たり前な顔をしないでと、つい声をあげたくなってしまうわけ。つよく憤ってしまうことになるの。
でもそんなことを本気になって口に出してしまったなら、たちまち怪しまれてしまう。聞いてと呼び止めたりなどしたら、怪訝に思われ後退さりされてしまう。危険だと思われ、反撃の態勢をとられてしまうかもしれない。
幸いわたしは非力な老女。だから恐れられることも反撃されることもない。精神でも病んでいるのかしら、と気の毒がられておしまい。
でももう一度言うわ。当たり前ではないのよ。目の前を通りすぎていく貴女。あなたよ。あなたのこと。その手にしているデンワから顔をあげて頂戴。いまからわたしといっしょに行って欲しいの。心配ないから、そんな顔しないで。あなたがとても気に入ったの。
――教えてあげたいの。あなたに、女の人生を……。あなたがこれから共にしなければならない大切な人生だからよ。
*
「なにしてるの!」
怒気を含んだ声。その声に怯えながら振りかえるわたし。
一瞬、わたしから抜け出したわたしが発したのかと怪しむ。内なる声に思えてしまい。でもそこに佇んでいたのは、一人の少女。鋭い視線。わたしなどではない少女。
「いつまで待たせる気!」
腕時計に指をつよく突き立てて、「さっきからずっと待ってるのよ!」と声を荒げる。目を吊り上げて怒っている。
「お腹空いてるの! なにか食べさせてよ!」
でもなぜわたしが怒られなければならないのかしら。
なにも分からずにわたしは売店のスタンドを目指して、サンドイッチとポテトを買い求めて、「ご免なさい」とただ詫びている。
「飲み物は?」と苛立たしげに言われて、いますぐにと失態を取りもどそうと、大急ぎで売店にとって返し、二種類の飲み物を手にして立ちもどる。
左右を見比べながらまた怒られてしまう気分になる。嫌いなものを買ってきてしまったに違いないからである。
でも戻ると少女がいない。姿が見えない。辺りを見回す。その先を探す。どこにも見当たらない。我慢できずに怒って行ってしまったのかしら。
「そこにいた女の子、いなくなってしまったんですけど……」
目と鼻の先にある交番。ずっと交番の前で立っていたお巡りさん。見ていたはず。責めるように問いただしてしまう。
「女の子? ですか」
「女の子と言っても中学生くらいの。三つ編みで白のブラウスに薄緑色のカーデガン、茶色のスカートで、白色のズック履いていて、やはり白色のリュックサックを背負って、そして背丈はこの位で、少し痩せていて、目鼻立ちはちょうどわたしくらいで……」
奥から出てきた先輩格のお巡りさんが、若い巡査とは違って親身になって応対してくれる。ちゃんと聞いてあげなきゃダメじゃないかと諭す。
それでも若い巡査は、そこにはわたししか見ていないと言いはる。それにあなたは一度もその場所を離れなかったとも。
ならこのカップはなに? どうして手にしているの? わたしの手もとを見つめる巡査の顔には、動かぬ証拠を突きつけられて、はっきりとした困惑が浮かんでいる。
二人はなかに這入る。なにかやり取りしている。
その間にも戻っているではないかと、わたしはあたりを見まわす。同じ歳格好の少女を探す。確かめる。リュックサックを追いかけて前に回りこむ。覗きこむ。
なんですか! と驚いたように少女が後ずさりする。
そのたびに尋ねる。見ませんでしたかと。お友達なんでしょう、あなたたち?
次の子にも訊く。その次の子にも。だれもが足早に立ち去っていく。
そうしている内に、だれかに肩を叩かれる。わたしはもう目に涙を溜めている。感激のあまり振りかえることもできないでいる。
――探しましたよ。
やはりそうだった、先生の声だ。香衣先生。カイセンセイ。ああ先生だ。
――また買い物させられたのね。
*
同じリュックサックの少女たち。海辺に並ぶ少女たち。歌を唱っている。浜辺に寄せる波の音を伴奏にして課題曲を唱っている。香衣先生は、わたしたちの学校の音楽の先生。合唱部の顧問で指導者だった先生。
土曜の午後の昼下がり。次第に混み合う公園。集う人々。手を振って居場所を教える待ち合わせの人。その手に大きく応えてみせる人。カメラを構える人。肩には三脚。
噴水。水面に落ちる水飛沫の音。その周り。一か所から上がる歌声。香衣先生ではないのかしら。行ってみよう。
聴こえるでしょう、わたしはわたしで耳もとに手を遣って独り言つ。やはり香衣先生のお声にちがいない。合奏団の指揮をしておられるのだ。
それが香衣先生のお姿が見えない。聴き違えのはずがない。独特な抑揚のあるお声。わたしたちはみんなで真似しあった。すこしでも先生に近づきたくて。いつも耳もとにとどまっている。今だったそう。目をつむれば先生のお声がはっきりと聴こえてくる。間違うはずがない。忘れるはずがない。
わたしを探しにきて、そのままお食事にでもいかれたのかしら。交替なされたご様子なの。いま立っているお方。香衣先生のお嬢様かしら。柔らかくて穏やかな面差し。それでいて結構ダイナミックな指揮。似ている。振り下ろすときの右肩の丸め方。まるで肩でお辞儀しているようなところ。「いいわよー」そう言っているところ。声の末尾を心持ち上げ気味に引きのばすところ。わたしたちがふざけ合って真似た口調。
右手の大きめな振りあげにも、しなやかに描かれる円運動。対照的な左手。細やかな動き。表情づけ。伸びきったその先にさらに手を届かせようとしている指先のふるえ。
その都度指示に応えようと大きく吸いこむ息。保たれる胸膜。静かに吐きだされる息。清流のように透きとおった歌声。厚みのある響き。斉唱から各声部への瞬時の切り替え。あるいは輪唱のたゆたい。高い水準に達している合唱力。目指すは全国コンクルール。狙うは金賞。
地区予選のときの決意。香衣先生のためにと交わしたわたしたちの約束。二年目で果たした全国大会出場。壁は厚かったけど、以来常連校となって、その伝統は今に繋がっている。金賞を勝ちとった年もある。わたしたちの最初の決意。その後のながい礎となった、そのときの強い意志。それが生涯の友情を生み、今も続く合唱部の同窓会。
一曲が終わる。手を強く叩くわたしにその人が面をあげる。香衣先生だった。わたしの姿を認めておおきく頷いてくださる。また入れ替わられていたみたい。
振り返る生徒たちにもっと強く手を叩く。道行く人たちが立ち止まる。お聴かせしてあげて。思わず声をあげてしまう。声を上げた自分の声に自分が一番驚いている。
香衣先生が一声上げ、合唱団を一瞥する。前に向き直った生徒達に緊張が走る。先生の手が軽くあがる。息詰まる一瞬。次の瞬間を前に堪えきれずに、思わず目を閉じてしまうわたし。
*
聴こえてきたのは潮騒の音。唱っていたのはわたしたち。リュックサックが歌声に揺れている。指揮をするのは、海の彼方に浮かぶ香衣先生。
ごめんなさい、とわたしたちに遺した手紙。香衣先生の最期の言葉……。
堪えていた涙がついに頬を伝って流れくだる。唱い終わっても誰も声をあげない。重く口を閉ざしている。わたしは駆けだしている。海に向かって真っすぐに。追いかけてくる合唱部の団員たち。海を前に倒れこむわたしたち。寄せてはかえす波の音。わたしのはじまり……。
*
公園の木立に足を踏みいれ、落葉を踏みしめる。林のような静まり。足裏には厚く枯葉に覆われた地面が潜んでいる。
頭上の雀が、ふくよかな胸やお腹を地上に晒しながら、目まぐるしく梢から梢に飛びうつる。すぐそこにまで来ている春を一人占めするために、せわしなく飛びまわっては、啼き交わす仲間たちとの契り。
公園のすぐ上に広がる自由。地上に遊ぶ侵入者に立ち入りの自由を与えても、仲間入れは端から考えにない。交わされた公園の木立との占有権。自由への契約。
見上げる。そこには梢を透いて見える、春を目の前にした晩冬の空。その空にも繋がる彼等の自由。進んで空との間を公園に繋ぎとめる伝道者。梢の住人達こそ都会の小さな解放者。
それだけに暗く思う公園の外の世界。自分もその一員であること。いたしかたなくもそうあらねばならないこと。都市に住む人々の見上げる空。いつわりの空。同じように見あげなければならない虚しさ。さきほど来の訴えに深まる悔恨。
空を空としていない今の虚空。無為のままに林立を競うビル。さらに高く上天に聳え立つ高層ビル。かつて天が覆ったことのない、天の下のビルに覆われた地上。
今度は地上からの光景――都会の地上から見上げる青い空。たとえそこに青空が広がっていても、ビルの谷間に覗く青空は、本来の蒼穹とは異なるもの。様変わりしただけの、人々の欲望が人工的につくりだしたもの。ひろげたもの。いまが正しいように振舞っているだけのこと。その空のいま。
申し上げられるのは、欲望の内側には少しも変わりがないこと。今も昔も同じだということ。昔への郷愁もいまの怒りへと一変してしまう、これはそのおおもと。いまだに退けないところの原風景への執着。
*
京浜工業地帯の煤煙に汚れた灰色の空。忘れ去ることの早さ。人々というより社会。忘れ去るどころの話ではない。はるか彼方という忘却の美学に浮かぶ風景でしかなくなってしまっていること。そのことの傲慢さ。許せない点。
でもそのお顔はどうも違うことをお考えのよう。もしかしたら責任はわたしたちにあるとでもお考えなのかしら。忘却もかつての欲望の内に育まれていたもの。わたしたちがあらかじめ育てておいたもの。そういうことね。倫理のないお考え。いまの世の中そのままね。
*
裏通りを歩いています。わたしの住まいはこの先です。年老いたわたしを導くように路地に沿って電線が伸びています。無造作に家々の壁に枝線が引きこまれています。
わたしの住む木造アパートにももちろん引きこまれています。個人のお宅よりすこし太めで、その分重たげに垂れさがっています。古くなっているので枝線の表面は薄汚れています。目を凝らせばたしかに綺麗な眺めとは言えないかもしれません。
地下に埋設してもらいたいものだ、そうすればこのあたりも少しましな景色になるだろうに。そういう声が聞かれます。最近、表通りから電柱がなくなったからです。ついでにやってもらいたいものだというわけです。すぐ裏通りだからです。そうすればもっと効果が上ってこの辺も綺麗になるものをというわけです。いまや都市の美観を損ねるだけの、ずいぶんと嫌われものになってしまったというわけです。
分かっていないのです。わたしみたいな者には、そんな陰口を聞かされると、自分の人生が蔑にされているみたいな感じになるのが。暗闇に追いやられた気分です。それも墓穴です。埋められるのはケーブルではなくわたしの方です。お分かりでしょう。否応なしに地下の墓穴に追い落とされる気分がどんなものなのか。
映画を観てその時代を懐かしむのは勝手ですけど、その気持ちはその場限りというわけですね。映画館を一歩外に出れば、また美観を損ねる電柱でしかなくなってしまうわけですか。さっきの気持ちはもうどうでもよくなるのですね。
かつてわたしたちが頭上に見上げていた電線は、わたしたちの命の流れをつくっていたようなもの。大袈裟なと笑われるかもしれません。もちろん分かっていて申しあげているのです。悔しいからです。
電柱や電線は時代や社会と一つだったもの。生活の一部だったもの。たるんだ電線を見ているとなんとなく気も休まるというもの。路地を狭めるのも逆に一体感を深めているように感じられるもの。コールタールを塗られた丸木の電柱は、都会のあたらしい匂い。街に沁みついた生活の匂い。
まだ高いマンションもなかった時代。人々の家は電線より低く連なっていて、屋根の上に伸びる電線は、その高さを地上の高さとしてどこか誇らしげだったわ。生き生きしていたの。煤煙で曇った空との間で。ときにはうなり声をたててね。頼もしかったわ。わたしたちに授かった、あらたな力みたいな感じで。
それが今のこのお空。違うんじゃない。そう思ってしまうの。抗議の声を上げたくも、忘れないでと訴えたくもなってしまうわけ。ビルの谷間から青空を見上げるときはとくにね。いい気なものよねと。お空が悪いわけでも罪があるわけでもない。そうかもしれないけど「貴方」になにか訴えてもらいたい気分なの。貴方だってそうじゃないの。さんざん汚されてきたんですから。
忘れることは良いことなの? 忘れてもいいけど、いまがすべてだなんて思わないでもらいたいの。
*
工場の事務員だったA。最新のスチール机と回転椅子。でも窓際に取りつけられたタイル張りの流しがもう一つの「机」。午前・午後のお茶入れ。もちろん来客にも。入社以来の今に続く「仕事」。
でもAが自分から進んで受けもっている「仕事」。Aの自慢の「仕事」。
これいつもの? とよく言われる。来客用を使ってない? とも。
お湯加減で同じ会社支給の廉価のお茶でも微妙にちがう。茶袋を新しくするたびにAは、見合ったお湯の温度をさがす。お湯と言っても一度沸騰させて冷やして置いたのをもう一度火にかけたもの。井戸水だったらもっと美味しく淹れられるのだが。Aは田舎の井戸水を懐かしく思いだす。
それに急須への湯の注ぎ方。揺らし方。濃さのだし加減。各自の湯飲みへの均等な注ぎ方。本当に美味しいというときの課員が見せる反応。返される日々のお礼。
それくらいだから本来の仕事にも集中力が人一倍働く。迅速で正確。それを平然とこなして、空いた時間を別の「仕事」に充てる。自然にさらに美味しくと気合がはいる。
知り合いに話すと、逆に楽しみは? と訊かれる。不満顔なのである。毎日がこんなに楽しいのにと思う。でもあまり考えたことがないと答える。
知り合いは、所謂、「新しい女性」、「働く女性」のお手本。そうとだけ簡単に言われて、これ以上言っても仕方ない顔をされる。わたしのできるのは微笑みを浮かべることだけ。
*
合唱部の同窓会。先生のお名前を頂いて名づけた「櫂の会」。海原を目指す櫂。海面に浮かぶ小舟。漕ぎ出さんとして、その手に握りしめられる櫂。
同窓会には「貝」を持ちよる。そのときの海辺で拾い集めた貝殻だった。好きに選んで最初に「櫂の会」のテーブルに差し出すのが習わし。秘密結社の同志を真似たような親密感にわたしたちは浸る。
順番に一年を語りあう。語り終えると銘々の貝を香衣先生のお席に置く。一年を生きてきた証を先生に届ける。
わたしたちは目を閉じる。潮騒に耳を傾ける。先生のお声を聴く。指揮のお姿を目に浮かべる。心にハーモニーを奏でる。
わたしは香衣先生の案内役だった。ご自宅にお迎えに上がるのも、お席にお連れするのも、帰りのお伴をするのも。
近くに転居もした。お体の調子が悪くなられたからだ。
明日はなにを召し上がっていただこうかしら。
先生と過ごす窓辺のひと時。高台の二階のお部屋。溢れる陽射し。お隣の屋根に舞いおりる雀たち。その競い合い。お庭の木から落ちた屋根の上の餌取りに余念がないのだ。
――カイセンセイ!
差し出した手を躊躇いがちに執って、いいのにと言いながら「ありがとう」と椅子から腰を上げる先生。窓辺に立った先生の腕を執って甘えるように体を寄せるわたし。
――えいこ君、また恋をしている? 図星ね。
公園の噴水の前。居たでしょう、えいこ君よね、と先生は言う。
――おデートだったの?
でもいまわたしが心配なのは、転校生のあの子のこと。
わたしは嫉妬している。あの子に。暗い影を引きずって校庭の片隅にいつもひとり。手にはかならずご本。文学書。ときには難しそうな哲学書。声がとてもきれいだという。先生は合唱団に誘おうと考えておられる。
風のように去っていったあの子。一学期だけいて夏休みが空けるともう姿は見えなくなっていた。別の学校に移ったのだという。なら転校生が転校ね? そう言って合唱団の子たちははしゃいでいた。
わたしだけは知っていた。あの子が入院したことを。普通の病院じゃないことも。
2 エイコ君
いまのわたしのお友達はエイコ君。若いお友達。でもなんでも話し合える仲。わたしの話にも嫌がらずに真剣に耳を傾けてくれる。
でもと、その日は言われてしまう。
勝手にわたしのこと「あの子」なんて、そんなふうに可愛らしく呼ばれたくなんかないわ。私の柄じゃないし。それに少女趣味はないの。「公園の話」のことだった。
「えいこ君」って呼ばれていたわよね。おばあちゃんのこと? でもおばあちゃんは「えいこ」じゃないじゃない。だれのこと? 昔のお知り合い?
さぁとわたしは目許に薄い笑いを浮かべて謎かけを愉しむ。
「ニックネームね」そう決めつけるようにして、「いいわよ、『あの子』ではイヤだけど。『えいこ君』なら」
あの子は、自分の名前を使わない。嫌いなのだ。
贈物になるかしら?
若い友人ができたことが、わたしの最期に彩りを添えてくれそうだった。もうそうなっていた。
*
わたしたちは逢った日から仲好し。
まだエイコ君になる前のあの子が、親御さんに声を荒げていたのをわたしがきつく叱ったから。
わたしは道徳的な人間なの。時代がそうだったからでも、親がそうだったからでもない。それが人間だから。道徳は血と同じもの。生きてきたのも道徳の中。それがわたしの人生。これだけは譲れないわ。
エイコ君は、そのときわたしに打たれたといったけど、いくらなんでもそんなことをするはずがない。父も母もわたしには厳しかったけど、打たれたことなど一度もない。だから人を打つなんてありえない。エイコ君の被害妄想。
そういえばエイコ君は、咄嗟に頬を手の平でおおうことがある。打たれてきたのだろうか。そんな親御さんには見えない。複雑な過去があるのかもしれない。でも関係ない。いまのエイコ君で十分。
*
はなし好きなエイコ君。それもどちらかというと議論。議論好き。しかもむずかし哲学的な議論。頭の良い子なのだろう。わたしが知らない言葉をたくさん詰めこんで、詰めこんだ言葉に気持ちを高ぶらせ、高ぶらせるたびにますます難しくなっていく。
「ごめんね、分からなくて」と、わたしはエイコ君をがっかりさせる。せっかくの話(議論)を止めてしまう。
でも止めるのは、致し方なくではなく、止めてと頼まれていたからだった。そうしないと延々と続いてしまう。自分では止められないのだった。
いつもだれに?
止め役のことだった。
誰もという。
必要なかったというのだった。本当は無口だったからだという。言葉を忘れたように。
ずっとそうだったのいうので、小さいときからと訊くと、子供の頃のことはよく覚えていないという。中学生までの記憶が白く飛んでしまっているというのだった。
かわいそうにと言うと、なんとも思っていない、たいしたことではないと、あっさりと言い返されてしまう。
でもこまることがあるんじゃないの?
ない、とそれにも素っ気ないのである。
必要があれば――といっても自分の代わりなる「他人」を確かめておく程度で、その場限りのことだというが、そのときは写真を引っ張り出すという。母親が貯めていたものだという。「自分だと思って大切にしなさい」そう言われているという。
卒業写真や母親から渡されたアルバムをめくってみせてくれる。
どうもこの人。生きた記憶がないので「この人」と呼んでいるという。写真に「自分」を認めようとしないのだ。
何度目かに、でもあなたに違いないのよ、とわたしは声を強めてしまう。
アルバムの「自分」に空々しいのは構わないが、母親の気持ちを蔑にしているように思えて――その時はアルバムを投げ出すようにしたので、写真を哀しく貯めている母親の気持ちが伝わってくるようで、思わずとがめてしまったのである。
違うの。そういうことではないの、そう言って、そういう時のわたしが後に引かないのを知っていて、だから大切にもっているでしょう、と弁解気味になって、たしかに私かもしれない、いいえ、私でしょう、でも忘れていることなの、忘れたままにしておく「自分」なの。それで構わないと言いたかっただけ、とわたしを気遣ってみせる。
嫌な思い出があるのにちがいない。苛め? そうね?
そんなふうに思われたくなかったのだろう、口が利けなかったの、と一言、今度は抗弁気味である。
「でもママだけがそう言っているだけ」
また母親だった。エイコ君は敏感にわたしに反応して――なにもかも空っぽ! だから埋めるの。後付けね。結構気に入ってるの。やり方としてはね、とあまり責めないでよと、やさしくしてよと甘え顔になる。
「エイコ君」でも構わない? いいの? いやだったとしても、仕方ないわね。もらってしまったんだから。後悔しなければいいけど。
後悔? 後悔させられるわけ?
多分ね。
そうなのね。仕向けられたのかしら。空っぽになりたかったわけ?おばあちゃんも。
また「哲学」になりそうだった。そういうことではなく、もらってもらうほどのものではない、といことよ。申し訳ないということ。
なら変えてしまっても構わない?
ええお好きなように。
でも変えないわ。
決意表明みたいにして、投げ出したアルバムを再び開き、「他人」を覗きこむ。
無理に表情をつくっている。「エイコ君」として見ようとしている。気に入って欲しいと思う。
*
死ぬなんてどうでもいいの。意味がないの。死ぬ理由よ。理由がみつかれば後はどうでもいいの。死のうが死ぬまいが。理由が生存を超えているなら。死をも超えるよう理由であれば。その時は死んでも「理由」が残るわ。自分になんか意味はないの。
どうしてそんなことを急に言いだすか、いかにも自殺願望が潜んでいるような口ぶりだった。死なないでいる自分を責めているような響きも籠っている。「理由」で自分を責め立てているようにも聞こえる。
香衣先生に向き合っていたのだった。
でももう上げた過去。わたしはなにも言わない。エイコ君が思うようにすればよい。
でも墓参だけはわたしの役目。自分も行くというなら連れて行こうと思う。でもその前にしておかなければならないことがある。いろいろある。
まずは公園に連れ出すこと。行ってもらうこと。
あんなに強気な口ぶりでも、エイコ君は独りでは外を出歩けないのだった。まるで子供。違う。傷ついた子供。
これも「哲学」が決めたこと。だから行かなければだめ。
分かったわ。行くべきことを、私に課すわ。課すのが私ではなく、エイコ君ということなら、私がなにか言える立場にはないし。
*
最初の内はわたしも後を追った。わたしの姿を認めて、顏には表わさないが、安心しているにちがいないエイコ君がいじらしかった。複雑な過去。解けない闇。愛おしくてならない。もうあの子はわたし。わたしそのもの。
彼女はすこしずつエイコ君になっていく。もうすぐわたしの役目も終わる。ある日訪れる到達点。あとは彼女の前から消えるだけ。
でもまだしばらくは必要とされている様子。だからエイコ君ではないけれど、「まだとどまるべきと、わたしはわたしに課す」ことにしましょう。
それにエイコ君に「哲学」を習わなければ。言われているのだ。生の意味に届かなければだめと。届いてもそれで満足してはだめとも。
エイコに発破をかけられているのだ。普段から死出の旅立ちの話など聞かされるからだった。エイコ君に見送られたいなどと。
でも生の意味だなんて?
だめ、歳に関係ない。エイコ君からの〝逆襲〟だった。
3 カルテ
歳ヲトルコトニシマシタ。
彼女は普通に言ったつもりでいる。だから平然とした態度で聞いていなければならない。でも怪訝な顔で応じる。解せません、みたいな表情をつくることになる。彼女が主役だからである。
ダカラ。
と同じことが繰り返される。彼女は苛立っている。虚しいわねとも言っている。もう私を見下している。
ドウモ分カッテモラエナイヨウデスネ。ツマリ「歳をとる」デス。ソノコトデス。
と声を少し荒げる。
誕生日ヲ迎エテ一ツ歳をヲトルノハ、歳ヲ重ネルコトデスガ、ソレハ見カケ上ノコトデショウ。重ネテイク「とる」ノ「歳をとる」デハナクテ、先程カラ申シ上ゲテイルノハ、累積ノ方デハナク減ラス方ノ「とる」ノコトナノデス。
減らす方の、ですか?
ソウデス。減ラス方ノ、デス。
なるほど。分かりました。
本当カシラ?
お気持ちのことですね。若い気持ちを持ち続ける、若いままでいる、いつまでも若い気持ちを保つ、そのために歳をマイナスしていく。なるほど、歳をとる(減らす)ですか。それは結構なこと。なら歳をおとりください。おおいに。いまでも十分お若いかと思いますが。
研修医ノ方ガマダマシ……。
言いかけてつぐんだ口が、唇にそう言い残していた。
彼女の十八番なのである。
「研修医ノ方ガマダマシ」と口にするのは。
マダオ分リニナラレテイナイヨウデス。違イマス。「とる」ハ「盗る」ナノデス。申シアゲタデショウ。大キナ声デハ申シ上ゲラレナイコトデスト。デハ単刀直入ニ申シ上ゲマス。「歳を盗る」ナノデス。窃盗デス。窃盗罪ニ問ワレルコトナノデス。
いま「盗る」とおっしゃられましたが、それで若返らせてもらえるなら、感謝されこそすれ、窃盗罪だなどとは誰も思いません。むしろ人援けです。その「盗る」なら。お礼を言われることです。どうぞ盗って上げてください。そしてお聞かせ下さい。盗ったその続きを、ぜひこの次は。
もう彼女は完全に侮蔑の態度を露わにして、気ガ向キマシタラネ、と憤然と席を立って、一瞥も加えずに部屋を出ていく。
彼女の残した表情を思い浮かべながら、カルテを綴る。「議論」を書き残す。すでに何冊もの本になるほどの量。彼女はまだ私がこの病院に赴任したてのときからの患者。彼女もずいぶん歳をとった。そしてこの私も。
*
このような話を前にしてお互いに愚かなことだと分かっていても――彼女の場合は愚かなことであればあるほどむきになる、むきになる自分を手に入れる、入れることが必要になり、必要になるためにその分ますますむきなる。たしかにそうであったとしても――毎回同じようなことを繰り返す。私の場合は当然の関与である。「歳を盗る」にしてもたわいない子供が思いつくようなことでしかないが、分かっていて真に受けて受け答えするのは、その裏に精神をまるごと奪われた彼女の生が隠されているからである。侮蔑的な態度にでるのは、自己保身の裏返しである。いまを生きる力にしているもの。私はそのための案山子。
彼女は奪われた心をカモフラージュして(身繕いして)しか私に向き合えない。被害者ではなく加害者としてしか前に立てない。
私は待つ。強奪された心を私の前にさらけ出してくれるのを。でも彼女は曝け出さない。出せない。おそらくそれさえも奪い取られてしまったにちがいないからだ。だから待つ。蔑まれることなどなんでもない。
でも私は正直疲れている。彼女にではない。自分にである。彼女の前の自分にである。そして今では自分であることに。
*
――彼女の中の〈私〉。私の中の〈彼女〉。私は彼女になっている。なろうとしている。もしその日の「議論」のように「盗る」の話なら、盗られたのは歳ではない。私の存在。だから取り戻さなければならない。私がまだ私でいられるうちに。そして私が医師を続けていくために。いかなければならない、そう自分に言い聞かせられるうちに。そうしなければ彼女を救うこともできなくなってしまう。
でも私の中には、彼女から彼女たちへと、幾重にも閉ざされた時間の扉が開けては閉められ、ドアのノブを握る感触が私の手もとを離れ、彼女や彼女たちの手でしか開け閉めできなくなっている。「議論」を間に置いて、それまで二つの椅子の向こうとこちら側で区別できていたことが、椅子の位置関係だけではなく、椅子そのものがなくなってしまう。そして、いつか「議論」だけが残り、その場にいなくなった私を裏側に探すと、「議論」の中に囲いこまれ、搦めとられている。
でもまだこの程度――つまりたとえ裏側でも探すことができる状態にあるならまだそれほどのことではない。囲いを解いて外に出てくることは、経験から言ってもそれほど難しいことではない。たんなる没我状態である。待っていればかならず醒める。それに醒めることが前提となっているだけに、逆に深い没我状態も可能となるのである。
それがそうならなくなってしまう。それまでは囲いの中から外に出てくる私を、最初から外で待っていた私が、違和感も疎外感もなくその状態として(つまり容易く出てくる状態として)見ていられていたのが、そしてその後では、足の痺れが自然と消えてもとの足に戻るのと同じように、私が私として一つに戻るのも、つまり精神的には疑いない同体感の獲得だったものが、いつか知覚としては感知できないものになって、外も内も区別のない、境界のない状態になってしまうのである。
辛うじて私でいられるのは、これが(「議論」が)、カルテの上の文字であることを忘れずにいられるからである。
でも私は精神科医ではないという。彼女が創った医師でしかないという。しかも彼女は彼女で、私が創った〈私〉として「カルテ」のなかにしかいないというのである。となると、私も「カルテ」のなかで生きているだけになってしまう。それでは彼女の言うとおりになってしまう。
ならば、「カルテ」を見ているのではなく、「カルテ」が私をみていることになり、この先、「カルテ」が「カルテ」を書くことになる。それでも「カルテ」があるかぎり、医師としての私は存在する。
いずれにしても、後任の医師が、カルテに前任者の〈私〉を変わらずに引き継いでくれるか、今の私を私として支えるのは、この思いにかかっている。なぜなら彼女は私の妻だからだ。だれよりも彼女を奪った張本人だからだ。せめて彼女だけは私の手で完結させなければならない。それが許されないとしても、「カルテ」のなかに〈私〉を継がなければならない。
でも今の私は、私のなかに逃げ込もうとしている。敗者の側に就きたがっている。これも彼女の復讐かもしれない。それならそれでかまわない。自覚の上で追い詰めるのなら、私は救われる。解かれる。敗者に解かれる。
4 Aの仕事
Aのお茶汲みは定年まで続いた。新しい子たちは先輩(大先輩)にしてもらっているのをいつまでも気にする。
「いいのよ、ほんとうに気にしないで」と言ってあげる。ときには若い子に淹れてもらった方が喜ばれるけどねと、柄にもないことまで口にする。
でも〝おちゃめ〟なればと、Aは自分に言って聞かせる。「おちゃめ」というのは、Aが自分につけたニックネームだった。「お茶女」とひとりでこっそりと呼んでいたのである。
工場の人たちからは、「おはなやさん」と親しく呼ばれていた。理由があって後からつけられたニックネームである。仕事では昇進後「主任さん」だった。最初の一五年でいくつかの部署を回って、女子社員が回るところをひと回りすると、その後は最初に配属された経理課に戻った。主任で戻された。
それから経理課一筋だった。主任のままで定年を迎えた。男子社員ならありえないこと(許されないこと)だったが、「主任」という肩書きが好きだったAは、「異動希望調書(個人用)」には、毎回、「希望しません」に丸をし、自由記載欄には、「自分の力が一番発揮できるので」と書き、「毎日やり甲斐があります」とも書き添えた。
商業高校を卒業して四二年間だった。Aは工場の最古参だった。今では全国に幾つかの工場を構える業界の中堅にまで成長したが、会社の起こりはこの工場からだった。だから偶々とはいえ、Aは創立社員の一人だった。
伯父の紹介だった。たとえ紹介でなくても、最初から転職など考えにはなかった。それに転職しないでも普通でいけばいずれ結婚退職だった。Aもそうなると考えていた。
でもAの場合、結婚退職は世間並みでなく終わってしまった。なく終わってしまったというのは、そうならなかったので、つまり独り身のままきてしまったので、その機会がなく終わってしまったのである。
四二年間ねえ、とAはよく言われる。しかも三〇年近く経理課一筋できたのである。なかなかできないわね、と言われる。「褒め言葉」の裏では、変わり映えしない四二年間、感覚の麻痺それとも惰性、お給料のためとはいえつまらない人生――と揶揄されている。
Aもそう思った。でもそう思ったのは最初のうちだけだった。入社したての一か月だけだった。
学校でイヤというほど見つめてきた数字。就職してみればそれをはるかに上回る、洪水のように次から次へと押し寄せてくる数字のなかの毎日。目先の変わった仕事をと自然と思う。でも仕事のおもしろさを知らないだけのこと。最初の給与袋を手渡されたとき、Aが痛感したのは、自分の若さや未熟さだった。
実際そうだったのだ。単純な計算ミスの廃除や集計の手際の良さは、それが迅速かつ正確さの自己課題に置き換わった時、学校で味わったことのない達成感をAにもたらした。定期試験では得られない充実感だった。
これが仕事かと、仕事のことが少し分かるような気分になった。仕事に単純なものはなにもない。ほかの人にそう見えるだけのこと。そう思うこと自体が発見だった。
綺麗な伝票を起すこと、処理伝票の枚数がいつもりより多くなっても処理を滞らせないこと、伝票や書類を製本作業のように綺麗に整った綴りに仕上げること、求められた伝票や書類をすぐに取り出せること、どれ一つをとっても自分が試されることだった。
ペン習字の腕を買われて課長の代筆をして満足できる仕上がりになったときもそうだった。課長が浮かべてくれる満足げな表情は、学校でもらった賞状のときとは違う自分を、他人から発見してもらう、輝いた新しい自分として感じさせてくれるものだった。
それだけではなかった。異動の多い男性課員とは違い、Aは自然と課の先輩格になっていく。自分の仕事をこなすだけでなく、職場環境にも気を使えるようになる。それも自分の裁量で。壁に小さな絵を飾ったり隅に置台を据えて花瓶を置いたり、事務所の雰囲気を良くするための気配りは、いつか事務室を「自分の部屋」に変えていく。
事務室だけにとどまらなかった。工場の一画に花壇を造ってもらうために働きかけたこともある。生産向上が至上命令だった時代だった。新任の工場長が容れてくれたのである。社長が視察に来場した折、「あれは好いね」と言われていたと後で聞かされる。ほかの工場にも勧めてみようと言われたとも。
Aは、工場長から花壇の拡大について相談される。それまで早出したり休日を使って手入れしたりしていたのが、業務になった。Aは班長に抜擢された。例のニックネーム(おはなやさん)もつく。
花壇がきっかけで植栽がはじまった。工場の壁沿いに一斉に苗木が植えられた。成長の早い常緑樹だった。さらに多くが増員された。工場街でも評判になった。採用する工場も現れた。地方版にも花壇や植栽のことが写真付きで載った。
――「女子事務員の発案!」の見出しが紙面を飾った。大気汚染や河川の汚濁が社会問題になっていた頃だった。開いた新聞紙を前にAは、自分が特別な存在になった、火照った気分を味わうことになる。
お茶汲みの時の、ひとり窓辺に立つひととき。そのとき窓から外に眺める景色。いまでは無色に近いまでに澄んだ煙突の煙。かつて空に向けて黒々と吐きだされていた黒煙。汚された空。青色を取り戻した空。高く繁って風に枝葉をそよがせるヘンス際の樹々。
自宅の壁には、会社からもたった賞状が飾られている。職場環境の向上に関する工場長名で出された功労賞である。その隣には特別永年勤続賞もある。社長名による退職時の感謝状である。会社創立時の社員だったからである。
二つの立派な額に挟まれて、一枚の写真を入れた小さな額が飾られている。埋もれてしまう小ささである。〝隠し撮り〟されたお茶汲みの写真である。退職時に写真立てに入られて贈られたものである。それを壁かけにして間に飾ったのである。写真の下には「お茶女」とある。Aがあとから書き入れたタイトルである。
5 『日記』
貯えもできた。退職金もある。なにもしないで悠々自適の生活を送るのも十分可能だった。会社からは非常勤で務められるなら是非そうしてもらいたいと言われた。考えがあるからとAは会社の申し出を辞退した。
すぐに新しい仕事に就いた。病院の庶務係だった。雑用係である。掃除・洗濯・売店ほか雑用と名のつくことはなんでもする。同じ勤務の人たちが数人いる。Aが一番歳上だった。あとはいろいろの年代にまたがっていた。タイミングによっては、二〇代から六〇代までの各年代が揃うこともあった。
社会復帰のために病院が用意した仕事だった。事情を知っていてこの仕事に就いた。自分で申し出た。すでに七年が経っていた。あと三年でここも退職である。
Aたちのために小さな休憩室がある。清潔に保たれている。花も欠かさず活けられている。あたらしい「自分の部屋」だった。ここでもお茶汲みは日課だった。Aを訪ねる医師もいる。Aの淹れるお茶を飲みたいからだが、Aとの雑談を愉しむためである。
Aには日記をつける習慣があった。字が書けるようになった小学生の低学年の時からの日記が、今に至るまで一年も欠けることなく残されている。まだ年若い医師は、それを知って感動的に問い質した。
「いまだに一日も欠かさずですか」
「ええ、欠かさずに」
病気の時とか、気が滅入った時とか、気分だけではなく用事ができた時とか、人間だからいろいろあるでしょう、書きたくても書く時間がとれないとか。そうか後でまとめて書くわけですね、といろいろに訊き、そのたびにAが「いいえ」と言い続け、首を縦に振らないのを訝しがって、「驚いたな、本当ですか」と目を剥いて驚きを隠さない。
「でもこれからはどうなるか分かりません。幸いこれまでは病気一つしないで来られましたが。でもこれからはなにがあるか起こるか分からないし、認知症になるかもしれませんし」
「それはないでしょう、Aさんに限っては」
「このところよく読み返すんです。歳をとったからかしら。よく子供にかえるというではありませんか、認知症になると。このところ昔のことばかり懐かしんでいるでしょう。すこしその気が出てきたのかなと思ったりしてしまうんです。でもあまり昔のことだと同じ自分に思えなくて。還った気になりませんけど」
「だから良いんです。回帰ではなくそれは回復ですよ。違う、蘇生ですよ。いや、それでもまだ違うな。再会ですよ。もう一人の自分との。だから同じ自分に思えないし、思えないからこそ新しい刺戟が生まれるんです。これは得難いものですよ。求めても誰にでも得られるものではありません。Aさんしか得られない、生きることに直接触れるような刺激です」
医師は読みたがった。でも他人の日記である。
「読んでいただきたいな」
子供時代、少女時代、青春時代、可能ならその先も。もう読んでもらうのが決まった感じである。それなら読んでいただくのは、「日記」ではなく「記録」なはですから。Aさんもひとまず自分から離れて、立会人のように「聴く」ことができるはずですし。等々と独言状態だった。
求めに応じた。ひとまず二〇代までにしてもらう。
できれば順を追ってではなく、いろいろの時代を無作為に手に取ってと要請される。しかもそれを一度テーブルの上でバラバラにして、その中から眼をつぶって選んだ一冊を読んでください、となにか手品みたいなことを頼まれる。
小学生がいきなり高校生なったかと思えば、逆もあり、会社に入社したてもあれば幾つか課を異動した後もある。社会人から小学生に戻るときはさすがに違和感がある。ついていけなくなる。
「自分から離れていってしまう感じです。遠ざかってしまうような」
そんなとき、医師は、Aの困惑を余所に、病棟の廊下で出会ったときの、重たげな表情から熱い思いを内に秘めた、医学生のような顔に戻っている。そして、六〇年前の自分に困惑を浮かべるAにも同じ感動を求める。
「そこがいいですよ。そこが」と。
「少なくとも確実に一時期の『自分』だったわけで、どう見ても『他人』ではないわけですから。まさに再会です、今の自分との。Aさんだけに許された……」
Aは、思わず口にしてしまう。
――そんなことおっしゃって。ここには(この病院には)、「自分」がない方たち、失った方々がいらっしゃるからですか。わたしの「自分」はやはり(実験台ですか)……。
「医学生」を傷つけるのは本意ではなかった。
医師は釈明する。謝る。別に試そうとしていたわけではありませんからと。以前にも、「実験台ですか」と、なにかの拍子に言われてしまったことがあったのである。
老人の意識を試すような、悪く言えば探るようなことをしようとしている、求めようとしている、そうとられていたと思った「医学生」は、気真面目な顔で言う。
「ちがいます。僕に無いものだからです。人生です。僕が聴いているのはその人にしかない『人生』です。しかもその『人生』が、いとも簡単に目の前から取り出されるからです。感動しているんです。その取り出しに。動揺してしまうほどに」
Aはこの若い医師に親近感を覚えていた。赴任したての時からである。だからそれがときどき意地悪な気持ちに変わる。いまもそうなっている。
「先生のお取り出しになられたいのは、『人生』ではなく、『カルテ』の方じゃないのかしら」と言って「かまいませんよ、わたしでよければ……」いくらでもと付け足す。微笑みをいつもよりたっぷり浮かべて。
若い医師は、さらにあわてて、ちがいますを繰り返す。「苛めないでください」と顔を赤らめる。
6 最後の公園
病院の回りには常緑樹が植えられている。大きく育っている。病棟との間には散策路が延びている。ひろい空間だった。毎日掃除する。いっしょに綺麗にする。わたしたちの仕事。
傍らには「議論」の大好きな子がいる。もちろんエイコ君のこと。若い医師も彼女の「哲学」にはいつもお手上げ。わたしからあげた「過去」も、いまではいささか物足り気な様子。
見上げると梢を飛び交う小鳥たちが騒がしく鳴き交わしている。すっかりお仲間同士。エイコ君は鳴き真似で応じている。返されるのを待っている。目はわたしに向けている。
*
日々の会社。工場の事務所。
入社以来、毎日、黙々と数字に向かい、数字を算盤玉に変え、あたらしい数字に変える。変換は生甲斐へのそれ。充実した毎日。これは本当の話。話に嘘はない。
それをもう算盤じゃ困ると言われた。経理課に戻されて少し経ってからだった。主任で戻されたわけではない。なかなか手離さずにいると、いまどき算盤などと吐き捨てるように言われた。電子計算機を使えと言われた。「電卓」だった。命令された。
使って算盤で検算した。反抗しているのか、と言われた。机に仕舞えと言われた。
休み時間に検算した。認めた上司に嫌味でやっているのか、と言われた。算盤をとるか会社をとるかどちらか選べと言われた。
会社を選んで、算盤を家に持ち帰った。
若い子たちは数字盤を見ないで打っていた。覚えた。覚えなければ会社にはいられなかった。上達した。手書きからワープロに替わった。これも覚えた。若い子と同じようにできた。
パソコンになって自動計算になった。もうだめ。敵わなかった。ソフトが使えこなせなかった。横文字だらけである。意味がとれない。覚えられなかった。次から次へと新しい聞き慣れない横文字にとり囲まれて、なにが分からいのかさえ分からなくなってしまう。
教室に通った。若い人たちばかりだった。言葉が通じなかった。訊けなかった。訊いてはいけない雰囲気だった。会社の事務室のなかと同じだった。言葉を交わすのが怖くなった。
会社の定期健康診断の問診で見抜かれた。
通った。通院することになった。退職を勧められた。定年退職を選んだ。選んだところまでしか覚えていなかった。
*
――現在形に変換された過去形。それが彼女の『日記』。Aは書き続ける。『日記』の中を生きる。でも生き直しではない。ひたすら生きているのだ。彼女にあるのは「現在」だけ。現在形だけなのだ。
Aの場合、過去形は、彼女が『日記』を開いて読むとき、向き合うとき、それも他人を前にした、そのときに他人のなかに手に入れられるもの。
でも私は聞かせてもらえないだろう。立ち会うこともできないだろう。私のなかから彼女にとっての「他人」が失われているからである。もうその寸前に立っているからである。
もしも私がこのまま自分までも失ったときには、かわりに貴君が一号室の彼女に聞かせやって欲しい。わたしの『日記』を。君が聞かされているAのそれのようにして。
だから知らせておきます。一号室の彼女は私の妻です。でも妻には夫の記憶がありません。思い出せないのではなく、思い出せないようにしているのです。その囚われた思いを解いてあげて欲しい。わたしを思い出すためではありません。彼女が自分を思い出すためです。私などと知り合う前の自分をです。私と出逢わずに済む、新しく生き直すための自分をです。
せめて私が自分を喪うことが、彼女の生き直しを早めるなら私は私を許すでしょう。ただ遅すぎました。精神科医としては失格です。でも青いことを言わせてもらえるなら、妻への執着だったのです。愛情だったと信じていたいのです。信じたまま自分を失いたいのです。お笑いください。貴君に敬われるような先輩ではありませんので。
これがもしかしたらカルテに書きこむ私の最後の言葉になるかもしれません。私のわがままです。罪深い精神科医の懺悔として受け取ってくださればありがたい。あとは君に託します。妻をたのみます。
*
傾きかけた陽。木立のなかに射しこむ西日。のびる影。わたしの影でもある影。立ち退きを促す雀たちの喧しい囀り。
木立の中で木立とともにのびる影。自分の小さな影。その影が消えるのもそう遠いことではない。わたしがわたしから正真正銘抜け出す日。もういつでもかまわない。そう遠くないはず。
その日が近づいたら知らせるわね。その日は飛びたってよ。空高くね。どこまでもあなたたちの空を。囀りが聴こえなくなるまで。
そして地上からは、生きることを問いたいの、の一声の送辞(弔辞)――あいかわらずのエイコ君の「哲学」というわけ……。
もうすこしね。いくつもの公園を回ったわ。彼女も一人で行けるようになったし。あとはあの公園。わたしの公園。これからはエイコ君の居場所になる公園。最後に残した試験。最終試験。
すこし心配だけど――いろいろな人が行き交うから、迷っていると声をかけられてしまいそうだから。でも大丈夫でしょう、一人で行けるでしょう。
それに待っていられそうもないの。わたしの体。頑張ってみるけど、もし間に合わなかったら、地上に蘇ってでも見守っていてあげるから。でもそのときは、おそらく白装束ね。仕方ないわね。