隣のクラスに一人の男の子が転校してきた。男の子はすこし足を引きずっていた。男の子の傍をみんなが駆け抜けて行った。
だから6月の運動会を心配していると、男の子は玉入れ合戦に出場した。わたしも選手だったが、男の子の玉入れに気を取られていた。ほかの競技には出なかった。
でも歌声がとても綺麗だという噂だった。音楽の授業の時、一人で歌ったと聞いた。みんな驚いたと言っていた。聴きたいと思った。声だけでも聞いてみようと思った。
途中まで帰宅方向が同じだった。声が聞こえる近さまで近づいてみた。同じクラスの子たちと話していた。でも聞きとれなかった。さらに近づいてみて事態が判明した。喋っているように見えただけで喋っていなかった。頷いているだけだった。廊下でも同じだった。わたしはいつか真後ろに立つようになっていた。
わたしの行動を怪しんだクラスのA子に監視されていた。そのA子から言われた。
「好きなの? あの子のこと」
顔には出さなかったが、わたしは女の子が嫌いだった。自分が女の子だったからにちがいない。でも可愛くない女の子がそんなことを理由にしても笑われるだけだった。
ただA子のことは嫌いではなかった。クラスのなかで気持ちを許せる唯一の子だった。男の子のことを面白おかしく話題にするA子にいつも驚きを隠せなかった。敬うような思いも抱いた。考え方も、そして体格もわたしよりずっと大人びていた。
「だいじょうぶ、だれにも言わないから」
ある日、学校の帰りがけ、A子は、「あッ、あの子だ」そう言ってすこし前を一人で歩いていた男の子を呼びとめた。振り返ってわたしに手招きし、早く来るように促した。
わたしはずっと俯いたままだった。A子は遠慮なく話しかけた。初めてではなかったのだろうか。でもどうであろうが関係なかった。男の子は頷いたり、首を横に振ったりしたけれど、口は開かなかった。男の子にA子はいらついていた。
「しゃべれないの?」
男の子は小さく頷いた。そしてその場を立ち去った。
「わたしたちのこと嫌っているのかしら?」
A子は怒っていた。そんなことないと思うけど、とわたしは言った。じゃなんで? とA子は、男の子の味方をしているわたしを咎めるように言った。本当にしゃべれないのよ、きっと。わたしはそう言った。
しゃべれない? A子は呆れ顔になった。なにか知っているの? 疑いの目を向けた。なんとなく、ただそんな感じがするだけだけど。言い訳するわたしに、ぜったい嫌っているのよ、とA子は決めつけた。
「ああ、なにかソンした感じ」と言って、「急ぐから、じゃまた明日ね!」とA子はその場を急ぎ足で立ち去った。
実はわたしも声が出せなかったことをA子に隠していた。わたしも転校生だった。4年生の新学期からだった。A子は別のクラスだった。A子とクラスがいっしょになった次の学年ではほとんど普通に喋れるようになっていた。
転校してきた最初の新学期の間、わたしはしばしば学校を休んだ。「声が出ないんです」とママは学校に説明した。担任の先生は、クラスの子に「○○ちゃんはすこしお体が悪いので」と説明し、「みんなで助けてあげましょう」と言った。声が出せないのは体が弱いせいになった。幸いわたしは痩せていた。青ざめていたわけではないが、俯き加減だった。なにかにつけて具合悪いの? と訊かれた。
わたしは、胸に手を当ててすこし苦しそうにして見せた。いいから、と言って声の出ないわたしをクラスの子たちは庇ってくれた。自分から喋らなくても、頷いて見せるか、手真似で合図するだけでもクラスの中でやっていくことはできた。女の子たちのお喋りの輪のなかにいても、みんな自分が喋りたくて、喋らないわたしのことは最初から聞き役としていたし、輪の中からはずれても、女の子たちの気分を損ねることはなかった。
男の子たちは男の子たちで「病弱」で暗くて可愛くもないわたしに関心も示さなかった。なにかあったとしても女の子たちが守ってくれた。
それは数か月が過ぎた頃のことだった。曲がり角で男の子がわたしを待ち構えていた。あッ。思わず声を上げてしまったわたしを男の子は不思議そうに見つめていた。
思いつくままに言い訳わけした。別につけていたわけではないと釈明した。男の子は別段咎めているふうではなかった。かわりに手の平を広げてみせた。その上に指で文字を書いた。読めなかった。何度も同じ文字を書いた。やはり読めなかった。
わたしは俯き加減になってしまった。このまま離れて行ってくれるのを待った。すると男の子の手が伸びてきてわたしの手を取ろうとした。反射的に手を引っ込めたが、男の子の手の方が早かった。しっかり握られていた。人さし指を起こされた。男の子はわたしの指を使ってまた手の平に文字を書いた。
――コエヲダシタイ。
同じ文字が3回書かれた。
「声を出したい」
3回目のとき、わたしはその文字を声でなぞった。
――オシエテ。
「教えて」
――シッテル。
「知ってる」
――ダゼタンダヨネ。
「出せたんだよね」
――オシエテ。
「教えて」
その直後、指文字は突然止まった。背後から声が聞こえてきた。学校の子たちだった。男の子は、わたしの手を引いて次の四つ角を目がけて小走りに駆けだした。男の子の足を踏まないようにわたしは横に並んだ。
四つ角を曲がって、すこし行くと楽器店があった。お店の自動ドアが両側に開いた。男の子はわたしの手を取ったまま店の中にはいった。若い女性の店員が一人で店番していた。
「ヨシヤくん、珍しいわね、お友達?」
女性店員は、手を取られているのを勘違いして、「あらガールフレンド?」と言って、わたしたちに視線を浴びせた。手を振りほどこうとしたが、ヨシヤは離そうとしなかった。
そのままわたしを連れて、壁伝いに延びた階段を上がった。引き上げられているようだった。足は不自由でも男の子の力だった。二階に上がると、いくつか並んでいる小部屋の一つに入った。ブラインドが外の光を遮っていて小部屋は薄暗かった。わたしは片手でヨシヤの手首をつかんでその手から自分の手を引き抜いた。ヨシヤは咄嗟にドアに背中をつけて部屋から逃れようとするわたしを遮った。
「どいて! どいてよ!」
ヨシヤは首を振ってイヤダと言ってみせた。
――ニゲナイデ。
と言っていた。
二階は音楽教室だった。ここでヨシヤはピアノのレッスンを受けていた。その日もレッスン日のようだった。ほどなくしてピアノ講師が入って来た。若くて綺麗な女性だった。ヨシヤはピアノ講師に指文字でなにか説明していた。講師はなぞらずに黙って頷いていた。掛けなさい、そう言われた。言われるままにわたしは部屋の片隅に置かれた小さな椅子に腰かけた。
上手だった。聴き入ってしまう程だった。でもその直後だった。ピアノ講師に促されるようにして講師の伴奏でヨシヤが独唱をはじめた。ヨシヤの天使のようなボーイソプラノがわたしの知らない外国の言葉を自由に操って歌声にしていた。透き通った清らかな歌声だった。メロディーも美しかった。ピアノ講師は、曲の解説をしてくれた。
「あなたも歌う?」
ピアノ講師は、なにか勘違いしているようだった。
数曲を歌い終えると、ヨシヤはノートを取り出し、なにかを書きつけて、書き終わるとピアノ講師に手渡した。受け取ったピアノ講師は、読み終えると、「そういうこと」と先とは違って少し硬い表情になって、小部屋の片隅のわたしに疑い深げな顔を上げてみせた。
問い詰められているようだった。重苦しい沈黙が広がっていた。ヨシヤはわたしのことをどう説明したのだろう。
「では今日は許可を得に来たというわけ?」
ヨシヤが筆談を再開した。ピアノ講師はノートを受け取るたびに首を横に振るだけで、すぐにノートをヨシヤに突き返した。何回か同じことが繰り返され、「やはり賛成できないわ」と最後通牒のように声高に言うピアノ講師に、声の出ないヨシヤの口が小さく開かれてコトバを呟いていた。
「先に帰ってくれる、わたしたち少し話し合う必要があるから」
ピアノ講師はわたしに部屋を出ていくように求めた。自分の意志で来ているわけでもないのに、そう思って不満な顔を残しながらわたしは言われるままに小部屋を出た。扉を閉めるとき、ヨシヤの顔がイカナイデと言っていた。
1学期の間、ヨシヤとはそれきりになって学校は夏休みに入った。ピアノ講師から連絡があったのは休みに入って10日ほど経った頃だった。電話番号をどこで知ったのだろう、そう訝しがっていると、前から知っていたのよと告げられた。
明日、音楽教室で、と同意も求めないで一方的に電話は切られた。指定された時間に楽器店を訪ねた。ノックする間もなく扉が開けられ、中に入るように促された。ヨシヤの練習日だったはずだ。
「ヨシヤ君のことですか?」
わたしの問いかけにピアノ講師は、曖昧にしか答えようとしなかった。でもやはりヨシヤのことだった。ただしそれだけではなかった。
あなたのことも相談されたことがあったのよ、といきなりわたしのママの話になった。
声が出ないので音楽をはじめればなにか変わるのではないか、声も出るかもしれない、そう言って頼まれたの。でも私は音楽療法士ではないし、その方面の知識も持ち合わせていません、と申し上げたけれど、お母様は音楽療法にもかかったことがありますと言われて、効果が認められなかったので、それではだめだと思って、今度は純粋に音楽に接近させてみたらどうだろうかと思って、それでご相談に伺いました、とあなたは知らなかったと思うけれど、以前、そんなことがあったの……。あなたが転校してきた時のことよ、だから2年前。それであなたのことは知っていたの。あなたが帰った後、ヨシヤ君と話していて、ああさっきの子が、と思ったわけ、そういうことよ、了解?
でも結局お断りしたの。お母様のお気持ちを考えると、お役に立ちたいと思わなかったわけではないけれど、自信がなかったの。もっと状態を悪くさせてしまったらと思うと怖かったの。それに声の出せない子とどう接していいか分からなかったしね、その時は。
お母様はご自分が間に入るからとおっしゃられていたけれど、でもそれではだめだと思うの。直接、接するのでなければやはりできないのよ。それ以上のレベルに進むためにはね。とくにあなたはもう十分基礎的な練習は積んでいたということだったので。お母様、(以前)ピアニストだったのね。幼い頃からずっと教えていたとおっしゃっていたわ。それがいけなかったともね。そして他人に教わるのでなければだめともね。
録音テープを聴いたわ。あなたのよ。教えることないわと思ったわ。基礎的なピアノどころかもうその年齢で芸術的なピアノの段階にまで達していたからよ。いくら母親がピアニストだったからと言え、正直驚いたわ。コンクール出なかったの? なら私の手で出してあげる、そう思ったわ。だから矛盾しているようだけれど、手助けしてあげたいと強く思ったわ、あなたの〝芸術〟にね。
始めれば言葉のことも何とかなるかもしれない、そう思い直したの。でもやはりお断りしたの。やはり逆の結果を招いてしまうのではないかと心配になって。それにすこし病的な感じだったわ。とりつかれたようで。怖かったの。自分まで深入りしてしまいそうで。
「ヨシヤ君はどうしているんですか?」
それ以上、自分の話を聞かされるのは疎ましかった。
「あなたのことをもうし少し話してからではだめ?」
「しゃべれるようになったことをですか」
そうよという顔だった。ピアノを弾いていいですかと尋ね、わたしは50小節に満たない小曲を一息に弾いた。
それが答えだった。ピアノ講師なら十分に分かるはずの答えだった。
なるほど、とピアノ講師は溜め息をついてみせた。
声を出せなくなってしまったのは、小さい頃から私があの子をピアノにくぎ付けにしたからです。最初、だんだん口数が少なくなっていくのを横で見ていながら、それはピアノに夢中になっているからだとむしろ歓迎していました。そのうちに学校の担任の先生がいらっしゃって、音子(おとね)ちゃん、この頃、学校のなかであまり喋らなくなってしまったので、どうしてしまったのかと心配になって、お家ではどうなんでしょうかと尋ねられるんです。親の贔屓目なのかもしれませんが、音子にはピアノの才能があるように思われて、学校で喋らなくてもいいからその分ピアノに夢中になってくれればと思いました。だから、なにも心配しておりませんと申し上げました。担任の先生はそれでもなにか心配そうでした。その後、まるで喋らなくなるまでに数か月とかかりませんでした。喋らないのではなく、そのときには喋れなくなっていたのです。先生がまたいらっしゃいました。今度は私の方で学校の様子を尋ねていました。
「少しピアノ、お休みした方が……」
楽譜を持ち歩いて手放さずにいる音子に不安を感じたと言われました。
私もそうした方が良いと思いました。ピアノに向かう感じが前と違ってすこし変な感じがしていたものですから。でも禁じても音子は止めませんでした。ピアノの部屋に鍵を付けました。その部屋の扉の前から離れようとしませんでした。指を動かしていました。鍵盤を叩いていたのです。体を揺らしていました。メロディーが体のなかに流れていました。思わず身震いを覚えてしまいました。鍵を開けました。そして好きなだけ弾かせることにしました。
学校ではクラスから孤立してしまったようです。こんなことを言うのは憚れますが、クラスの子たちには薄気味悪かったにちがいありません。母親から見てもそうなのですから。ひどい母親ですね、自分の娘のことをこんなふうに言うなんて。
担任の先生がまたいらっしゃいました。すごく心配です。でも何もしてあげられないのです。申し訳ございません、力不足で、と言われるのです。もちろん、先生など少しも悪くありません。まだ大学を卒業して何年もたっていない先生でした。優しそうな方(お嬢様)でした
精神科に相談しようと決意しました。直接診察してみないとはっきりしたことは申し上げられませんと言われ、でも音子を連れていくことは躊躇われて、結局、連れて行くことはせず、これまでのことをできるかぎり詳しくお話しして、小さい頃からのいろいろの写真や発表会の録画などを持参しました。そのなかに『音楽日記』がありました。見てはいけないものでしたが、そのうちの一冊をこっそりと持ち出して精神科医にお見せしたのです。私は開いていません。それは許されないことです。精神科医の先生にもそう申し上げました。
「そうですね……」
と頷くようにして先生は言われました。
「たしかにピアノはすこし問題ですね」「問題ですけれど、『問題』と捉えてしまうのも問題でしょうね」「お子さんにとってはなに一つ問題があるわけはないからです。それどころかなくてはならないものになってしまっているのでしょう。お母さんが言われるようにまるで一体になっているのかもしれません」「どこまで内容をお話してよいか分かりませんが、お子さんにはピアノだけでなく『日記』もたいへん大事のようです」「いじめがあったのかどうか分かりませんが、先ほどのお話ではとくにそういうことはないということでした。『日記』にもでてきません。でもお子さんの日記にはイニシャルが出てきます。誰か特定の個人かもしれません。でも作曲のためのようです。イニシャルを標題にして曲が作られていますから。作曲のことご存知でしたか? そうですか、ご存知ではありませんでしたか。音楽の才能はたしかに伸ばしてあげたいですね」「なかなか判断が難しいのですが……ピアノをどうするかは」
また、ピアノ講師は言った。
「実はね、その後しばらくしてまたお母様がお見えになられていろいろ話していかれたの。今のようなこと。音楽家同士ということで。音楽家の道の方が好いんじゃありません、用意していたわけではないけれど、私はそう申しあげてしまったの。お母様、考えを決めておられたみたいだから。でも決めてしまってはいけないのではないか、音楽の力をもっと信じるべきではないのかと思われたから。それにピアニストならそう考えるはずだし、お母様の代りになって申し上げたつもりだったの……。でも結局止めさせられたんでしょう。それからずっと弾いていなかったわけ?」
ピアノ講師は残念がってもったいないみたいな顔をしていたが、思い直したように「もう少し教えて、あなたのこと」と最後の「あなたのこと」を一音々々区切るように言った。
声が出せるようになってからすでに1年以上も経っていた。以前声が出せなかったことなど自分でも不思議に思えるほどだった。声が出せずにいたこと、A子に話しても「なにそれ?」と本気に取り合ってもらえそうになかった。
「でもいろいろ苦しかったんでしょう」
たしかにそうだった。頭が反応して咽喉を刺激する。嘔吐できないときの苦しさとは違うが、吐き出せないことには変わりがない。咽喉の奥が緊張してくるので咽喉元に手をやる。咽喉のもがきが手先に伝わってくる。しだいに頭が締め付けられる。目を閉じて頭の中で言葉を吐き出す。絞り出してみる。誰も反応しない。気がつかない。体が強張ってくる。手首が震えだす。隠すために両手を強く握り締める。後ずさりする。できないときは座りこんでしまう。膝頭を抱えこんで頭をつける。我慢できなくなって音楽教室に駆け込む。ピアノの前に佇む。
楽譜を持ち歩くようになってから少し気持ちが楽になった。教科書以外でそんなに大きな本はスケッチ帳ぐらいだった。抱えこんだ楽譜に顎を乗せるようにして歩く。いつも離さない。変な格好だっった。
「でもどうしてそんなに女の子のことが嫌いだったの?」
そんなことを言ったつもりはなかった。
「そんな感じがしたの。原因は〝人嫌い〟かなって。人といえば女の子よ。あなたは、女の子らしくないわね。よくいじめられなかったわね。それともいじめられないためだったのかしら。声の出せない子、気持ち悪いし、しかも病気のようでなんとなく怖いし……。怒った? ごめん、そんなつもりで言ったわけではないのよ。私はあなたのこと、音楽家になるべきだと思っているから。応援もしたいし」
転校先の新学年になってわたしは楽譜の中に『音楽日記』を挿しこむことにした。毎月ノートを新しくした。落とさないように楽譜の表紙の裏に中袋をつけた。五線譜を印刷した紙袋だった。
紙袋に入れるとき、思わず声が出た。出たのではない。『日記』の声につられていたのだった。『お守りよ、わたしは』そう喋っていたからだ。
名前だけを黒板に書いたきり何も喋らない転校生をクラスの子たちは怪訝そうに見守っていた。そんなクラスに向かって、音子さんは咽喉の力も弱くて声があまり出せないのでと言って、先生は、わたしの代わりにどこから転校してきたのかとか、どこに住んでいるのかと話してくれた。
ママがすべて先生と相談してくれたことだった。さぁ、心配しないで行ってらっしゃい。一緒について行こうかと言うので、わたしは「いい」と断った。
「でも出せるようになったのよね。5年生になるまでには」
そうだった、その学年の最後の学期だった。
「で、本当にピアノ止めたから喋れるようになったの? ピアノ、すぐ止めてしまったの?」
よく分からない。今は弾いていない。でもいつから弾かなくなったか正確な日付は、はっきりと覚えていない。確かなのは3学期がはじまってそんなに時間が経っていないことだった。音楽教室にピアノの調律師が来ていて、わたしが楽譜を抱えこんでいたのを見て、終わったら弾く? と訊かれ、弾かないと答えたからだ。
「ママは、ピアノがいけなかったんだと言って、もう(ピアノは)いいからね、と言っています。センセイはどう思われます?」
「違うんじゃないかしらと思うけど。ピアノの所為じゃないと思うわ」
「ならママに頼んでください、やはりピアノ弾いていた方がいい。また喋れなくなってもかまいません。センセイから頼んでください。ママ、センセイのこと立派なピアニストよと言っていましたから」
「困ったわね。お母様からも言われているの。娘が訪ねて来るかもしれませんが、弾かない方が好いと言って下さいって。でもあの子の才能伸ばしてあげたい、とぽつりと口にされていたわ。母親ですものね。あなたのこと誰よりもよく分かっていて苦しんでいるのよ。それにピアニストだったんですもの。両方できるというわけにはいかないのかしら? お喋りも、ピアノも。でもできないのよね、それが。ヨシヤ君もそうだから」
「ヨシヤ君も『日記』つけているんですか?」
「さあどうかしら、知らないわ。見せてもらっているのは日記ではなく、ノート。手紙ノートよ。レッスンの前にそれを見せてくれるの。読んでからはじめるの。だから言葉で話すことなんか要らなくなるの。十分気持ちが分かり合えるから。かえって話なんかしない方がいいくらいよ。手紙ノートの後のあの歌声、たとえれば『声』を忘れた『歌声』ね。伴奏も長くしているけど、こんな経験したことなかったわ。伴奏している手が震えているの、涙が浮かんでしまうの、指先で泣いている感じ。私もほんとうに『声』を忘れているの。歌い終わったヨシヤ君を私は思わず抱きしめたくなる、自分自身を抱きしめるように。でもこれこそが音楽よ、そうでしょう」
ピアノ講師はわたしを前にしていることを忘れていた。
でもヨシヤ君、喋りたいって、頼みにくるかもしれません。教えていいんですか。教えます。いいですね。
「考えがあるの」とピアノ講師は急に思い立ったように言った。「あなたに伴奏をしてもらおうかなって。どうかしら、ヨシヤ君の伴奏するの?」
「伴奏?」
「そうよ、伴奏よ」
「でも伴奏だけですか」
「ええ、ようよ。伴奏だけではいや?」
「いつまでですか」
「しばらく」
「声が出せるまでですか」
「それは少し違うみたい。そうではないのよ。それは声を出せないより出せた方がいいかもしれないけれど、でもヨシヤ君のために一番いいのは、彼の才能を伸ばしてあげること。もしそのために声を出せない方がいいのなら、それでいいのよ。あなたの時のように」
お母様――と言っても今度はヨシヤ君のお母様ことだけど、ピアノを習わせたいと相談に来られたときのこと、いまでもはっきり覚えているわ。
1年前のことよ。まだ前の学校に通っていた頃よ。来年この街に越してくることになっているとおっしゃられていたわ。すこし遠いけど先にピアノ教室に通わせておきたいともね。そういうことだったの、ヨシヤ君を教えていたのは。
ともかく、母親の陰に隠れるようにしていたヨシヤ君から目が離せなかったわ。「声が出せません」とお母様から事情を聞かされて、そして「ご迷惑かもしれませんが」と断わられるのではないかと心配そうにしている母親の傍らで、なにか良くないことをしてしまったようにうな垂れているの、その男の子は。
入ってくる時の姿もそうだった。不自由そうにして引きずっている足を隠そうとしているの。足が不自由な上に声まで出せないなんてなんて可哀想なの。「すこしでも元気になってもらえればと思いまして」と言われるときのお母様の声はすこし涙ぐんでいたわ。私も涙が浮かんでしまったの。私はすぐに「大丈夫ですから、すこしもご心配いりませんから、いつからでもいらっしゃってください」と申し上げていたの。あなたのお母様の時とは違ってね。別に差別したわけではないわ。私そんな人間じゃないから。
そして始めたの。でも元気がないの。出せないからではなく出そうとしているから。「大丈夫よ、少しずつ始めましょう」そう私は声をかけたわ。傷つかないように言葉を選んでね。でもそれが却ってユシヤ君を硬くさせてしまったの。
だんだん分かってきたの。ヨシヤ君の傍らにいて彼の心に寄り沿おうとしているうちに、『声』は必要ないって。むしろ声がない方が好いように思われたの。そして私も声を失うことにしたの。
最初、私もヨシヤ君も、声を失ったことにすこし戸惑ったけれど、すぐに馴れたわ。それに自然だったわ、声がないことの方がむしろね。そして失ってみたらよく分かったの。ヨシヤ君の思いが、心の動きがね。心の声と言った方が好いかもしれないわ。歌っていたのよ、その声は。
ピアノは教える必要がないほど上手だったわ。あなたのようにね。でもあなたの録音テープを聴いた時とは違っていたの。あなたのピアノは研ぎ澄まされすぎていて、他の人を寄せ付けないような音だったけれど、誤解しないで、凄いと言うことよ。その点、ヨシヤ君の音には何かを受け入れようとしているところがあったの。もしかしたらと思い、ヨシヤ君に伴奏させることにしたの。
そう思ったら居ても立ってもいられなくなって、後輩を連れてきてしまったの。その日は、私が伴奏するところを見せて、ヨシヤ君には次回やってもらうつもりだったの。思ったとおりだった。ヨシヤ君、後輩の歌声に驚いたように聴き惚れていたの。生き生きしていたわ。顔も輝いていたし。伴奏している私に顔を向けるの。なにを言おうとしているのか分かったわ。だから、次はあなたの番よと言ったの。後輩が帰った後、ヨシヤ君は後輩が歌った譜面を食い入るように見つめていたわ。心が躍っていたみたい。譜面を抱きかかえて帰って行ったわ。猛練習したのね。見事に伴奏を務めたわ。後輩も驚いたくらいに。
その後はこうだった――今度は伴奏が歌唱に取って代わることになる。でも最初、ピアノ講師はすこしも予想していなかった。それが予感に変る。ヨシヤの口元が伴奏の指先に合わせてしだいに動き出していったからだった。
そしてピアノの前から立たされることになる。伴奏の席にはピアノ講師が着く。ヨシヤには意味が分かっていた。口元から最初の歌声が発せられるまでにそれほどの時間はかからなかった。まるで前から歌っていたかのように自然と口元が開き、咽喉の奥からは待っていたかのように歌声が発せられる。あまりに美しい歌声だった。ピアノ講師は、彼女の後輩のソプラノの音大生と顔を見合わせて、二人の驚きと感動を確認し合うことになった。
「こうしてヨシヤ君のあたらしい『人生』がはじまって行ったのよ。まさに人生がね。でも私はその人生をきっと無責任に開いてしまったのね」
ピアノ講師は、音楽の専門家でありながら重大なことを忘れていた。それもヨシヤの声があまりに美しすぎたのだ。自己弁解だった。
最初、ピアノ講師が期待したのは、歌えるか歌えないかではなかった。歌えるわけもないと思っていた。音階上の一音でも二音でもいい、まず声ではなく音を出して体感してもらいたいと思っていた。きっかけが必要なのだ。咽喉に問題があるわけではない。母親は専門医の診察も受けていた。精神的に出せないだけなのだ。いつか歌声から喋り声が誘発される。ピアノ講師は確信していた。
ピアノ講師は、伴奏用の楽譜にカタカナを振ってドイツ語の発音をヨシヤに覚えさせた。意味も教えた。伴奏を愉しませるためだった。それが、ピアノの傍らに立たされた時、最初の目的とは違う結果をヨシヤの身に起こすことになった。思いもよらない結果だった。歌声になっていたばかりか最初から流暢なドイツ語の発音で歌われていたからだ。歌唱力も備わっていた。体が覚えた歌唱力だった。ピアノ講師たちは自分たちの耳を疑がった。でもなによりも二人を驚かせたのは声の美しさだった。
「ヨシヤ君自身がなによりも驚いていたのではないかしら、自分が歌っていることに、そして自分の歌声に」
でも喋れるようにはならなかった。あれほど伸びやかに歌えても歌い終わるとその口元から声は出なかった。違う曲を歌わせたと言った。やはり同じだった。口元は喋るための声をついに出そうとしなかった。
ピアノ講師がヨシヤに歌わせていたのはドイツ語の歌だった。日本語ではなかった。
日本語では歌わせないのですかとわたしは訊いた。
ピアノ講師は「怖わかったの」と言った。
そうしてみようかと考えなかったわけではないのよ。あるいはその方が(日本語の方が)声を導き出せるのではないかとも。でも正直怖かった。歌えないことが分かるのではなく、逆に歌えることが分かるのが怖かった。なぜかって? それは、歌い終わった後、それが声に変換されない、その場面を確認し合うことが怖わかったからよ、そう言った。
でもヨシヤ君は満足そうだった。たとえ外国語であれ歌声になっていることが。そして嬉しそうだった。それで好いではないか。たとえ喋れなくても音楽によって満たされる心はなにものにも代えがたい。音楽家である自分が一番分かっていることではないか。一緒に喜ぼう。ヨシヤ君の心といっしょになろう。そう思い直すようになったと言った。
「そのとき」とピアノ講師は言った。
「私は重大なことに気が付いたの。当たり前のことを忘れていたの。音楽家でありながら。男の子の変声期のことを。男の子に声変わりが訪れることを。そのとき起こることをね。それなのに、気が付いた時にはもうヨシヤ君は歌と一つになっていた。いったい私はなにを考えていたのかしら。あまりの愚かしさにただただ情けなくて……」
「なにが起こるんですか」
「声がかすれるの。風邪をひいたようにね。そして高い音が出なくなって、音も外れて、もう自分の声ではなくなってしまうの。女の子には分からない男の子の『変化』なのよ」
「つらいんですか」
「つらいとかつらくないとかという問題ではないのよ。誰でも経験することだからそういう意味ではつらくないでしょう。でも少年合唱団で歌っていたような子にはつらいことよ。脱会しなければならないことになるでしょうから。でも喋り声までが失われるわけではないわ。大人になることだと思えば成長した自分を感じることができる。また前に進んでいくことができる。でもヨシヤ君は――」
「ヨシヤ君はどうなるんですか」
「分からない。怖いわ。なんてことしてしまったのかしら。ヨシヤ君をどんなに傷つけることになるのか、そのことを考えると、自分のしてしまったことが怖い。怖いなどと無責任なことをいって、本当は許されないことなのに」
「本当に歌えなくなってしまうんですか。ヨシヤ君、分っているんですか」
「知っても分かってもいないわ。でも歌えなくなってしまうわ。まだ少しも変化は出ていないけれど。でもいずれ来るわ、その時が。稀に声変わりしないで高音域を保ったまま成人できる人もいないわけではないようだけれど、ほとんどありえない部類」
ピアノ講師はヨシヤの母親に無断で歌唱を教えていた。母親から頼まれたのはピアノだけだった。それも伴奏ピアノなどではなかった。ヨシヤをピアノ教室に送り出すとき、母親はピアノの前に一人で座っている以上のわが子の姿を思い浮かべたりはしない。
「これでお母さんにも喜んでもらえる、そう思ってしまったの。『声が出ました』ってそう伝えられるかと思うと、身勝手なことをしているとは思えなくて」
「じゃお母さん、歌えることも知らないんですか」
「ええ、そうよ。『どう僕の歌声?』とお母さんを驚かせてもらいたかったの。すぐにも声が出せるものと思っていたから」
「でも無理だったんですね」
「そうよ。だからせめて歌っているところだけでもと思うようになったけれど、いずれ歌声も出せなくなってしまう。一度出ていたものが出せない。失うのよ。いままでとは違う。なぜなら声が出せなかったのは、声を失ったことではないからよ。でも今度は違う、失うのよ。本当の意味で『声』を失うのよ」
ピアノ講師は、もう決めつけていた。そして「私が失わせたのよ」と言った。
「でもまだ決まったわけではないんでしょう」
「そう、だからいろいろ考えたの。出せるかもしれない、いいえ、出せるようにしてあげなければならない。残された時間がどのくらいあるのか分からないけれど、そう思ったわ」
そう言ってさらに続けた。
「そうだ、合唱団はどうだろうと思ったの。すぐに録音したの。そしてテープを知り合いの合唱指揮者に聴いてもらったの。言われたわ、『稀にみるボーイソプラノですよ』って。一流の少年合唱団にも入団できるでしょうって。一度連れてきて欲しいとも言われたわ」
「連れて行ったんですか」
「行かなかったわ。今度こそ無断でそんなことできないでしょう。でも合唱指揮者のところに相談に行った時は、お母様に本当のことお話しようと思っていたの。そしてお母様にも了解してもらうつもりだったの。そう思って、ヨシヤ君に話したの。合唱団のこと。そしたら、『イヤダ』と言われたの。『どうして? 大丈夫よ、合唱の先生がちゃんとしてくれるから、私も一緒に行くわ。だから歌ってくるだけよ。終わったらすぐいっしょに帰りましょう』、そう言って安心させようとしたの。でもヨシヤ君は首を横に振って応じてはくれなかったの」
わたしは理解した、ヨシヤの気持ちを。ヨシヤが声を出したいと思っているのは、自分のためではなく、ピアノ講師のためだったにちがいないと。
二学期になると、ヨシヤの姿がなかった。転校したみたいよ。クラスの女の子が教えてくれた。何処に? 知らない、なんでも外国みたいよ。
わたしが代わりになってあげる。そう思っていた。ヨシヤの声の代りになる。わたしでなければできないこと。だからピアノ講師はわたしに頼んだのだ。
ピアノ講師は歌声の翻訳者、わたしは声の翻訳者。ヨシヤも願っている、「コエガダシタイ」と。オシエテアゲル、コエノダシカタ。
でもヨシヤはいなくなってしまった。
「あなたピアノどうする?」とピアノ講師は尋ねた。
「(もう)いいんです」
「弾きたかったでしょう?」
わたしは答えなかった。
「あなたはどうして喋れるようになったの? 前にも訊いたけど……」
「隠していただけです。喋れたんです。喋れないと自分に思いこませていただけです」
「ちがうわ、本当に喋れなかったのよ」
「……」
「思い出したくない? やめましょう、もうヨシヤ君はいないんだし。これでよかったのかもしれない。危うくあなたまで巻きこんでしまうところだったわ。また喋れなくなったら大変だし。あなたにこの先なにも起こらないことを祈らなければね。ピアノはじめたくなったらいらっしゃい。お母様に私から頼んで上げてもいいわ。本当はその方がお母様のためにも好いと思うの。ともかく元気で。それが一番大切だから」
ヨシヤに向かって喋っているようにしか聞こえなかった。
勝手にいなくなったくせして。それに歌えなくなったからってそれがなに。喋れないのがどうしたのよ。わたしだって喋れない時の方がよかった。
ピアノ講師とわたしの気持は遠く離れていた。
※
「音子(おとね)って誰? あなたのこと?」
顕子は訊いた。
「違うわ。でも自分の事でもあるかもしれない。しかも音子だけではなく、ヨシヤも二人の母親もそれにピアノ講師もそうであるような、そんな気分がしているの」と子秋は答えた。
「では音子ではないわけね」
「そうね。すくなくとも、私は自分が喋れることすごくありがたく思っているから。それに自分で言うのも変だけど、それほどお喋り下手とも思っていなし」
そう言って子秋は笑って見せた。
「カウンセリングいつから掛かっていたの?」
顕子は訊いた。
「子供の頃からよ。もう長いわ。塞ぎがちだったことは確かだけど、でも特別な思いで通わされていたわけではないわ。教会の日曜学校へ行かされるみたいなものかしら。美味しいお菓子も用意されていたし。途中から男の子もいっしょになったの。カウンセラーと3人でお話を愉しんだの。その子は学校に行けなかったみたい。カウンセラーから提案されたの。別の人になりましょうって。そこで名前からということになって、それも自分では付けない、相手に付けてもらうということで」
これはまた別なお話しなの? 顕子は訊いた。
別とも別でないともどちらとも言えないし、両方であるとも言えるし、と子秋は答えた。実際、私に付けられた名前が「音子(おとね)」だったし、私がその子に付けた名前が「ヨシヤ」だったから。
「でもヘンだった?」と子秋は問い返した。
「普通、小学生が付ける名前じゃないでしょう。それともヨシヤという人物のこと知っていたの」
「後で知った。ヨシヤ(ヨシア)って、ユダ王国の王でしょう。ユダヤ教では優れた王とされているね。『旧約聖書』の世界だったのよね。そう知ったのも付けられた本人(ヨシヤ)から教えられて。だから知らないで付けたのって呆れたように言われた。知っているわけがないでしょう、そんなことより一生懸命考えて付けたんだから感謝してよと言って上げた。
困った顔していた。替えてって頼まれた。ダメって言った。それより、王になれば好いでしょう、イヤなの、王じゃ? 厭だ!って言うの。王は嫌いだって。人の上に立つ人は嫌いだって。指図する人はもっと嫌いだって。じゃわたしも替えて。わたしのこと音痴って知っていて付けなかった? 知っているわけがない。ホント? じゃ、オトコ(音子)ってこと? わたし男みたい? 可愛くないからね、そう言いたかったんだ――」
子秋の喋り方は一人芝居のようだった。
「そうじゃなかったでしょう、違う?」
顕子に先回りされていた。
「ええたしかに。そのとおり。そうじゃなかった、わたしの単なる思いすごし。被害妄想。ヨシヤはただ音楽が好きだった、それだけだった。小さい時からずっとピアノ習っていたみたい。将来は音楽家になりたいと思っていたみたい。『オトネ』は、ヨシヤのミドルネームだったの」
「ミドルネーム?」
「ええ、洗礼名のようなものだったの。姓・オトネ・名と言うわけよ。それも秘密の名前だと言うの」
そう言って、子秋もミドルネーム入りの姓名を三分割に区切りながら口にしてみせた。
「それじゃ本当に勘違いもいいとこね。正反対じゃない。親愛の情の最高の表れ。大人だったら光栄の至りと感謝すべきこと。それでは傷ついたわね、その子」
そのとおりと頷いた。でも子秋は言った。
「ならわたしも同じじゃない。『ヨシヤ』は、わたしにとっては最高の贈りものよ。わたしでなければ付けられない名前だから。ともかく君は他所の国の人みたいだったから。それに向こうの国の名前だったら呼び捨てにできるでしょう。響きも音楽のようだったし。
それにヤ行はわたしのお気に入りなの。その行だけ違うようで。だって発音が舌足らずでしょう。すこし変なの。でもその舌足らずなヤ行が生まれ変わったような引き締まった発音になるわけ、『ヨシヤ』なら。最初からヤ行と決めていたの。ヤイユエヨ。イとエはア行やワ行にもある。だから二心の持ち主(大人ぽっくてイヤな言葉だけど)みたいで外したの(日本語の発達史はとりあえず無視、だって小学生なんだから)。残った3語。ヤユヨ。この3語では並びを入れ替えても駄目だったの。どう組み合せても。君を表す発音にはならなかったの。ほかから1語持ってくることにしたの。そうしたら『シ』しかなかった。たくさんあるのに。試してみて。そうすれば分かるから。本当にないことが。しかもヤとヨを入れ替える組み合せしかなかったの。一語一語確かめてだんだん絞られていくうちになにか大事なこと発見したみたいな気になって。本当にわたししかできないことのような気になってしまい、分かるでしょう、この特別な気持ちのこと、言いたいこと――そう胸の内を明かすように言っていたの」
※
ヨシヤは再び日本に戻って来たという。いまだにヨシヤと呼んでいるという。音子とも呼ばれているらしい。
創られた話ではなかったのか。カウンセリングの上のことだったはずだ。二人(子秋と顕子)の遣り取りを疑う。いまにもここにヨシヤが現れそうなことまで言いはじめている。顕子に紹介すると言っている。顕子もその気になっている。ヨシヤの声を聴きたいと言っている。
実は声変わりしなかったの。その声(歌声)はいまだに生きているの。子秋は怪しい世界を演出しようとしている。
外国に行き、その国の教会で聖歌隊に加わったと言うの。黙って行ってしまったのは、哀しくなるからだったと言うの。ピアノ講師との別れが? と問いただしそうになっている自分が恥かしくなってしまった、もう大人の女性よ、昔みたいにはいかないわ。そんなことまで打ち明ける。しかも弾んだ口振りで。
ヨシヤという名前が僕の人生を運命づけた。教会が僕を手放さない。僕は決めた。この声(音楽)で生きるって。またすぐ教会に戻らなければならない。音子にも聴いてもらいたい。姿を見てもらいたい。子秋は胸を躍らせるように語り続ける。
まさかカストラート※になってしまったの、とでも言うつもりなのか。二人はまるで前方にヨシヤの姿を探している。
――傍ら(のベンチの上)で身じろぎもできないでいるもの一人。
※教会史を遡ると女性は教会内では歌うことは許されていない。たとえばグレゴリオ聖歌のように男声合唱だけであった。カストラートは、教会音楽史のこうした制約のなかで生み出されていった。「カストラート casutrato[伊] 去勢された男子。音楽用語としては少年期に睾丸を手術して人工的に変声を止めた男性ソプラノとアルト歌手をさす。16世紀後半から教会聖歌隊に採用され、力強さと柔軟さを兼ねそなえる声楽的卓越により18世紀末までのオペラ・セリアで重用された。」(『新編 音楽小辞典』音楽之友社、2004年)
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