アテネの劇場は、アクロポリスの丘の南東麓に造られた、ディオニッソス神殿の神域内にある。周知のディオニッソス劇場である。やはりローマ時代に一部手が加えられ、本の姿は留めていないが(とくに舞台が大きく迫り出したことによる円形舞踏場の半円化)、その壮大さは、ローマ時代以前の姿(ただし前4世紀)をアクロポリスの丘に深く沈めた円錐形の観客席とともに、往時を今に甦らせてくれる。
このディオニッソス劇場は、それまで(前6世紀)アテネのアゴラ(広場)の特設会場で上演されていた悲劇を、常設会場で行なうために建設された、最初の円形劇場である。建設年代は、前5世紀への変わり目を迎える頃であったという(村田数之助「ギリシア劇場と服装」『ギリシア悲劇全集Ⅰ』人文書院、1960年、56頁)。以後、ギリシア悲劇全盛期の前5世紀を通じて、この劇場で多くの名作が競演状態で上演されることになる。ここに取上げる三大悲劇作家の一人であるソポクレスの劇もまた然りである。
このディオニッソス劇場は、それまで(前6世紀)アテネのアゴラ(広場)の特設会場で上演されていた悲劇を、常設会場で行なうために建設された、最初の円形劇場である。建設年代は、前5世紀への変わり目を迎える頃であったという(村田数之助「ギリシア劇場と服装」『ギリシア悲劇全集Ⅰ』人文書院、1960年、56頁)。以後、ギリシア悲劇全盛期の前5世紀を通じて、この劇場で多くの名作が競演状態で上演されることになる。ここに取上げる三大悲劇作家の一人であるソポクレスの劇もまた然りである。
叙述の背景 ところで、ブログ執筆者は、日頃、創作に思いを寄せるところがあり、このWeb上にも拙い作品をアップしているところである。創作論を形成するほどにはなっていないが、創作とはなにかとは、常に頭の中にある関心事である。時には作家論への誘いとして立ち顕れることもある。分野を違えていろいろに執筆アップする場合であっても、一言では説明し切れないが、実は「創作」の周辺である。
しかし、今回、ブログ執筆者を誘う「創作」への想念は、副題に個人名を掲げているとはいえ、個別の作家論に本格的に向かうものではない。また通有の作品論でも人物論でもない。なんと言っても相手は、西洋の古典中の古典ともいうべきギリシア悲劇である。論を立てるために必要な準備は、概説書では到底間に合うものではなく、学識として要請される範囲のものである。西洋古典に対する敬虔的な態度の上からも、然るべく求められるものと言わなければならない。これは、西洋古典に限られない、世界の古典一般に対する基本姿勢でもある。
しかし、読むだけなら話は別である。最低の知識――たとえば、上演の決まりごと、作品が典拠する神話・伝説の概要、劇中に登場する地名の地理情報などに関する一定の知識さえあれば(訳注で補われる)、作品を味わう上に、また受け取る感動の質に、学識の欠如が決定的な要因になるわけではない。不要でさえある。なんとなれば、学識を超えて自立しているのが文学作品の本来の在り方であるからである。それは古典であっても事情は変わらない。仮に、面白くない、と思ったなら(たとえ学識不足に一因があったとしても)、構わずにそう思えばよいのである。乱暴かもしれないが、作品から受ける感動だけで筆を執る裏付けとなるものである。
ソポクレスを選んだのは、ブログの順列上の事情([そ]音)もあるが、ギリシア悲劇中の最高傑作とも言われる『オイディプス王』をはじめ、感動を受ける上においては同作にひけを取らない作品(『アンティゴネー』『コロノスのオイディプス』など)を為した作者であるからである。しかも、その感動が、創作的感動を刺激してやまないからである。たとへ必要な知識(「学識」)から程遠いにしても、それを理由にこの創作的感動の在り処を覗いてみたいとするアプローチ――どうしてそのような感動が齎されるのを知りたいとする分析的欲求やそれによる読み直しを諦めるよりは、創作的感動をより高められることに積極的意義を見出して、言い換えれば拡大化した上記理由を拠り所にして、ブログ執筆者をしてソポクレスを「創作論」から読み直す方向に踏み出させるのである。
Ⅰ 『オイディプス王』を創作的視点で読む
1 全体構成
劇の内容は、父親殺しと母子相姦というおぞましい運命の自覚劇である。本になっているのは、ホメロス(以前)に遡る伝説的説話である。まずは、テキストの全体構成を岩波版『ギリシア悲劇全集3』(岩波書店、1990年)により掲げておく。同全集が拠る劇構成上の「用語」は、アリストテレス『詩学』(後述)の第12章「悲劇作品の部分について」に拠るものである。『詩学』については後述する。なお、以下の本文では、引用部分を除き、長母音表記が省かれたカタカナ表記を使っている。
「プロロゴス(はじまりの部分)」(1-150行)~「パロドス(登場歌)」(151-215)~「第一エペイソディオン(俳優の対話と所作の部分)」(216-462)~「第一スタシモン(間の歌)」(463-512)~「第二エペイソディオン」(513-648)/「第一コンモス(哀悼の歌)」(649-862)~「第二スタシモン」(863-911)~「第三エペイソディオン」(912-1085)/「第三スタシモン」(1086-1109)~「第四エペイソディオン」(1110-1185)~「第四スタシモン」(1186-1222)~「エクソドス(終わりの部分)」(1223-1296)/「第二コンモス」(1297-1531)
2 筋立てと読解
(1)プロロゴス
舞台(オイディプス王の館の前)にオイディプス(テバイの王)が登場し、年老いた神官と交わされる遣り取りから開始される。話の内容は、市内に猖獗を極める悪疫の鎮めについてである。
鎮められるのは、オイディプス王(以下「王」を省いて「オイディプス」とのみ呼ぶことが多い。単に「王」と呼ぶ場合もある)のみと語る神官。なぜなら、かつてこの国(テバイ)をスヒンクスの謎かけ(答えられない者は命を奪われる)の危機から救った人であり、その功績で現在の王位と亡くなった前王の后の新たな夫となる権利を獲ているためであった。地位とかつての実績が恃まれたのである。
すでに手は打ってあると応じて見せるオイディプス。神託を求めて儀弟クレオンを遣わしてある、そのクレオンもおっつけ立ち戻るはず、と。派遣先は、デルポイのアポロン神殿である。劇を裏で操る神殿であるが、かつてオイディプスに下された神託を含め、観客は、既知の「伝説」として、その大枠を了解している。この大筋の了知は、観劇の前提であるとともに、劇作家(「詩人」と呼ばれる)の創作的態度の前提ともなっている。
舞台はクレオンを加え3人となる。なお3人という俳優数は、ギリシア悲劇史上ソポクレスの独創であった。先輩格のアイスキュロスでは2人であり、さらに成立段階6世紀後半では単独であった。俳優数の増加は、緊張関係の複雑化によって、時に劇の密度を高める物理的要因をなすが、ソポクレスは、見事に増員に応えて見せた。
齎され神託は、前王ライオスに対する鎮魂を条件とするものであった。前王は、何者か(この段階では「盗賊」)によって命を失っていたが、その犯人が捉えられていない、そのために悪疫が蔓延している、神託はそう告げたのである。オイディプスは2人に向かい、「(前王)の仇を討つ」強い決意の程を示して見せる。加えて(それが後に自分に返されることなど微塵も疑わず)、それは「わたし自身のためなのだ」とも言う。しかしこの一言こそは、悲劇のクライマックスに向けて、その核となる付言だったのである。技法的には伏線であるが、意味を無限大に膨らませる伏線となっているのは、まさしく時代を超えた創作的技法を早々と手中にしていたことを教えている。
プロゴロスは、次の神官の独吟によって締められる。以下、引用は岩波版全集の「オイディプス王」(岡道男訳)による。
子らよ、さあ立とう。われわれがここにきて
もとめたことは、王がみずから約束してくだされた。
願わくはこの神託を送られたポイボスが救い主として
あらわれ、疫病の終息をもたらしたまうように。
ポイボス(「輝く者」)とはアポロンのことである。その神を「救い主」とするのは、繰り返しになるが、同じ伏線を言い換えているのである。しかし、言い換えによって、修辞上は位相を異にした重層的伏線となる。
パロドス パロドスとは、合唱隊の通路を呼ぶ名称でもある(上掲村田。以下の劇場構造に触れた部分も同様にほぼ村田に拠っている)。劇の進行上はコロス(合唱隊)によるはじまりの歌である。韻律を整えた詩文である。韻律が読み取れなくても、文字の力だけによる詩文として読める。訳文の先に内的な言葉の体系が読み取れるからである。詩行が豊かだけではない。それを容れる正反関係からなる詩体が形式的に整えられているのである(形式解説は「第一スタシモン」に譲る)。二聯を一単位として三単位(すなわち計6聯)からなる詩文は、抒情詩風ながら理知的で劇の進行に参画的である。
内容は、神(アポロン、アテナ、アルテミスの死を祓う三柱)への訴え(1・2聯)、人が今荷なう苦悩(疫病の猛威)への嘆きと救済への訴え(3・4聯)、疫病神(アレス)の追い出しあるいは打ち倒しに対する神(ゼウス、アポロン、アルテミス、バッコス)への祈願(5・6聯)。
ああ、この身に荷なう苦しみは
かずしれず、わが民は
みな病み、身を守る思案も手立ても
尽きた。ほまれ高き大地に
実りはそだたず、生みの苦しみに
叫ぶ女はむなしく
床から立ちあがる。
見よ、一人また一人、たえまなく
さながらたくましい翼をもつ鳥のごとく
燃えさかる炎にもましてすみやかに
西方の神の岸辺へ飛び行くを。
以上は第3聯である。「ああ」と「見よ」が詩的抑揚感の向上に効果的である。感嘆詞は詩文に常套的ながら、受ける詩句は失墜していない。まさに劇作家を「詩人」と呼ぶに相応しい詩作力である。
(2)第一エペイソディオン
本番開始である。エペイソディオンとは、言ってみれば「幕」ないし「場」であるが、『詩学』では、「エペイソディオンとは、悲劇のなかでコロスのまとまった歌唱全体と(次ぎの)コロスのまとまった歌唱全体とのあいだにある部分全体のことである」と説明され、「場面」という用語を用いている。たとえば「筋書きを場面につくり上げ」とか「さまざまな場面をつくらなければならない」とか「劇では場面を短くすることができる。これにたいし、叙事詩は場面ゆえに長くなる」(以上第17章「悲劇の制作について」)とか、の如くである。
エペイソディオンは、主役による朗唱(導入部)にはじまり、それを受ける形で最初の対話(第一の会話)が開始される。応答・応酬を繰り返し、朗唱的な科白(独白)を差し挟みながら、科白の長さに緩急をつけては、山場を設える。十分に観客の目を惹きつけたところで、終結的な朗唱で「一幕」を閉じる。
余韻を留めながら閉じたところにコロスが待っている。スタシモン(第一)と呼ばれる朗唱である。俳優とコロスとは劇場内での立ち位置が異なる。半円形のすり鉢状の劇場の客席から見てもっとも底になる部分、そこに設けられた直径19.6メートル(ディオニッソス劇場、ローマ時代の改変のない前4世紀のエピダウロス劇場では26メートル)あまりの円形舞踏場(中央部には祭壇(テュメレ)が据えられる)、それがコロスの持ち場である。本来未舗装の平土間である。「オルケストラ」と呼ばれ、オーケストラの語源であるが、オペラ上演時のオーケストラピットは、位置関係だけでいえば、今に繋がる起源的な姿である。コロスは劇の開始から終了までオルケストラに留まって、合唱し時には舞台上の俳優と遣り取り(応酬)を交わす。なお俳優の科白は、遣り取り部分だけでなく全て韻文である。
一方、舞台はオルケストラの背後に造られ、建物(楽屋小屋)を背面としている。建物の壁面は背景として活かされる。舞台はオルケストラ(及び客席)に比べて時代的変遷が認められ、時には大きく変更される。前5世紀段階に屋根が架けられていたかは議論があるところだと言うが、上演上の重大な変革はヘレニズム時代であると言う。階層構造となり、演技は2階部分で行なわれるようになったからである。ギリシア悲劇の衰退及び消滅は、コロスの役割の衰退にあるとも言われる。舞台の階層化により観劇の目線が次第に階上に集中することになったからである。しかし、前5世紀の三大悲劇詩人の時代(クラッシック時代)では(本稿部分では)、本来、劇場(ギリシア劇場)がオルケストラ(劇場以前の円形踊り場)に起源があると言われるように、階層化されておらず、視覚的にも舞台と相対的関係を保って、オルケストラと一体化したコロスの役割は、舞台との遣り取り場面も含め、時に情感の高揚においては主導的である。
では、『オイディプス王』の「第一エペイソディオン」の場合はと言えば、パロドスの終了を待って登場(再登場)したオイディプスによって導入部が朗々と吟ぜられる。その長さは60行に及ぶ。パロドスを承けてなおかつ別の調べとするに、分量的にも十分である。内容は、下手人を挙げるための民への呼びかけである。合わせて祈りである。以下はその一部を断片的に掲示したものである。
おまえたちのうち、ラブダコスの子ラーイオスが
だれの手にかかって果てたか知る者がいるなら、
その者にわたしは命じる、いっさいをわたしに告げよ、と。
わたしは禁じる、――その男に、それが何者であろうと、
わたしが王座と権力をもつこの国の者はだれ一人
宿をかすことも、声をかけることもならぬ。
神に捧げる祈りと犠牲に加わらせることも、
浄めの水を分けあたえることもならぬ。
わたしは祈る、――そのかくれた犯人が
一人であろうと、仲間がいようと、呪われた身を
悪人にふさわしく惨めにすり減らすよう
さらに祈る、――もしわたしがそれと知りながら
犯人を館に入れ、かまどを分かちあうならば、
かれらにいまかけた呪いがこの身にふりかかれ!
神々にわたしは祈る、――この命令に
従わぬ者には、大地も実らず、女も子を生まず、
いまの災厄が、いや、これよりもっとみじめな
禍いが、破滅をもたらすように!
次は長い対話(応答/応酬)に移る。最初はオイディプス王とコロスの長との間で。次は王と預言者テレシアスとの間で。さらに次の対話への切り変えに当たっては、新たな俳優の登場を印象づけるかのように、朗唱的な科白(独白)が挿入される。ここでは16行分。
王と予言者の対話は、第一エペイソディオンのメインである。知っているが答えられるという神官と、それを声高に咎める王との緊張した遣り取りが応酬的に交わされる。なぜ答えられぬのか、それは王こそがその下手人(犯人)であること――一度は免れていたと考えていた王の安心を他所に、相変わらず神託が生きていたことを、彼(神官)だけが知っていたからである。遣り取りに緊張感があるのは、対話が1、2行の短い切れの良い科白で、しかも定量的に繰り返されているからである。ちなみにその遣り取りは、18回(18応酬)からなる。一括りとして適量であるだけでなく、遣り取りにはクレッシェンドが利いている。近代的小説の「会話」と位相を同じくしている。形式的なことだけではなく、まさしく高まり方という内実的な操作においても。
しかし、いくら高まっても、あまりに長引かせては平板化を招きかねない。退かせどころを十分心得ているかのように、さらなる上昇化が見込まれる手前で一度退いてみせる。神官に真実を仄めかせてそれ以上は口にさせないのである。効果覿面である。しかもそれだけではなかった。劇の進行を反転的に切り拓く「ため」にもなっていたからである。あまりに明かさないのに怒りを抑えきれぬ王が、そういう態度は義弟の指図によるものに違いない、と思いがけない(観客には予想外の)一言を言い放ったからである。民衆の期待に答えられなければ王位を退かなければならない(自分で自分を滅ぼさなければならない)。王座を狙った陰謀であろう、そうに違いない、と声を荒げる。
それまで一人の胸のなかに抑えていた真実(の片鱗)が、見当違いの疑惑を王が抱くに至ったのに憤然として、止むを得ず神官の口が押し開らかれる。そして、「クレオーンがこの企てを思いついたのか、それともおまえか」という二者択一的に言いかかるオイディプス王に対して、決然と言い放つ。
あなたを滅ぼすものはクレオーンではない、あなた自身だ。
この一言を承けてオイディプス王の独唱へ移る。音楽技法に擬えれば転調である。以下の7行はその冒頭部。全体では24行である。
おお、富よ、王権よ、妬み多き世のなかに
あらゆる才能を凌駕する才能よ。人がひそかに
おまえたちにいだく妬み心のなんと大きいことか。
まさにこの王位のため、求めてもいなかったおれに
この国から贈られ、ゆだねられた王位のために、
信頼すべきクレオーン、古くからの友が
ひそかに忍びより、おれを追放しようと望むとは!
次に神官の応答的な朗詠が続くが、コロスの長から感情的な言葉は抑えるようにと、諌めるような一言が口にされる。4行のみの短文である。しかし、繋句的役割を果たす以上に対立軸を際立たせる効果的(暗示的)な行句――「求められているのは、そのようないさかいではなく、神のお告げを/どうすれば申し分なく果たせるか、これを考えることです。」(傍線引用者)となる。
神官朗唱(21行)は、我が身の立場(自身が使えるのは王ではなく神=アポロンであること)、何も見えていない王への呪訴、とりわけ王の身に訪れる不幸への示唆、さらには自身一人では収まらないであろう、お子らへ波及する禍いついての予言的言及、の高唱である。そして、次の行句で締めくくられる。
わたしにもさんざん悪態をつくがよい。世の人間のなかに、
あなたほど惨めに押しつぶされる者はいないからだ。
決定的に言い放たれてしまう。両者の修復はすでに望むべくもない。さらに激しい応酬がこの「場」の終演に向かって交わされる。すでにコロスの長の出る場面ではなくなっている。
第一エペイソディオンは、16行分の朗唱によって閉じられる。閉じたのは神官である。神託ともいうべき語り明かし(父親殺し・母子相姦)を口にせずに終わらせることができず(王に追い詰められたため)。ただし主語は伏せる。それがオイティプス王であるとまでは言わない。でも言っているようなものである。なぜなら「(その)男はここにいる」と語っているからである。この場合、かえって名指しでなかったことが、事の重大さを内側から膨らませることになる。一種の暗喩である。しかも筋立てに波及するものとしての。これも創作的態度が然からしめるものである。
第一スタシモン 「間の歌」の間とは、次のエペイソディオンとの間という意味である。さらに『詩学』が説くところでは、「スタシモンとは、アナパイストスとトロカイオスの韻律を含まないコロスの歌のこと」とされている。これだけでは門外漢には理解できない。同書「訳注」によれば(第7章及び第4章訳注)、「アナパイストス(anapaistos)は短短長脚のこと」で、同じ韻律でも「トロカイオス」の場合は長短脚で創る韻脚のことのようである。その他、叙事詩やギリシア悲劇に用いられる韻文は多義に渉るが、原語の知識なしには理解が難しい。その代わりと言うわけではないが、同書訳注ではスタシモンについてその意味と役割について詳しく解説している。参考になるので、長さを厭わず掲げておく。
――「スタシモン(stasimon)は、コロスがオルケーストラー(円形舞踏場)に入場してから定位置(スタシスstasis)につき、隊列を組んで斉唱する歌のこと。正旋舞歌(ストロペーstrophe)と対旋舞歌(アンティストロペーantistophe)が一つの対をつくり、このような対が二回以上繰り返されるのが一般的な形である。一つの対(正旋舞歌と対旋舞歌)で歌われる抒情詩の律は同一であるが、二番目以降の対で歌われる抒情詩の律は原則として最初の対のそれとは異なる(ときにはアンティストロペーのあとに、ストロペーに対応する律をもたない、結びの歌(エポードスepoidos)と呼ばれる歌がくることがある)。このような形はストロペー構成と呼ばれるが、この形式をとらないスタシモンもある。劇のなかではスタシモンはふつうエペイソディオンの数に応じて三回から五回あり(第一エペイソディオンのあとに第一スタシモンがくるという形)、劇全体をいくつかのエペイソディオンに分ける働きをするのが認められる」(『詩学』第12章訳注(9)、岡道男による)。
第一スタシモンは「二対」からなる。その構成は、最初の対で、まず、この世の忌まわしい罪を論う詩文(正旋舞歌(1聯)を掲げ、それを承けた不条理(デルポイ(アポロン)の神託)から逃れようとする「男」のもがきの様(対旋舞歌(2聯)を詩行に塗りこめる。
だれだ、神託をつかさどる
デルポイの巌のお告げによれば
手に血を染め、口にするのも
忌まわしい業をなしとげたのは。
――一(1聯冒頭部4行)
道なき森のなか、洞窟のなか、
巌のあいだをかの牡牛はさまよい、
あわれにも孤独の足どりで
大地のへそ、デルポイの神託を
逃れんものと足掻く。(略)
――一(2聯中間部4行半)
転じて現実直視の詩聯(3・4聯)。神官の予言に対する不審。抗議。オイディプス王への弁護。擁護。それがかえって真相の恐ろしさを浮かび上げてしまう。逆説的な架構である。言葉の働きを熟知した者の手になる詩文である。
おそろしい、かくもおそろしい心の乱れを
知恵深き鳥占い師はひき起こす。
信じることもしりぞけることも
かなわず、何を言うべきか
――(3聯冒頭部4行)
(略)かの言葉に誤りなしと
示されるまで、わたしは王を責める者に
組みはせぬ。
(略)
まぎれもなく国に尽くす者と
証された方だ。わたしの胸が
その方を悪行の主と
断じることはありえない。
――(4聯中間部2行半・末尾4行)
(3)第二エペイソディオン
最初に疑いをかけられた義弟クレオンの登場及び10行の独唱で開始される。疑念を抱かれ我慢がならずやって来たと言う。誹謗を甘受しては生きる意味がないとも。その前口上の後で手短なコロスの長との遣り取りがあり、オイディプス王の出でましとなる。
登場したはいいが、姿を表すなりの義弟に対しての罵詈雑言の雨嵐(11行)――「おい、おまえ、どうしてここへきた。おまえの面の皮は/こうも厚いのか、まぎれもなくこの身を狙う/暗殺者、だれの目にも明らかなわが王位の/簒奪者でありながら、おれの館にやってくるとは。」
直ちに、第一エペイソディオンの神官との遣り取りを彷彿させる息詰まった応酬――責め苛むような王の問い質しと義弟からの義に背くはずもないという反論――が交わされる(16応酬)。現代小説にも引けをとらない緊迫感である。応酬の切り上げ方やその後の独唱も形式的には前回踏襲であるが、マンネリ化は感じられない。むしろ、相乗効果を生んで、神官との応酬場面さえその時点に遡って、一段と緊迫の度を高めるかのようである。そのためもありここではより高揚感を高めて、緊張感を漲らせることになる。
その独唱とは、あらぬ疑いをかけられた義弟クレオンの、なんで王位など欲しいものかと跳ね返す、正々堂々とした独白(33行)である。ここでは、足りないが、その最後の5行に衝き上げられた胸の内の程を代弁してもらうことにする。
わたしに言わせれば、まことの友を捨てるのは
いちばん大切な自分の命を捨てるのと変わらない。
時がたてばこのことは確実に理解していただけよう。
正しい男をあらわすのは時しかないが、悪人は
たった一日のうちにでもその正体を見ぬけるからだ。
間の手状にコロスの長の繋ぎの一句(2行分)を挟んで、応酬の再開となるが、今度は短く終えられる(7応酬)。王は、おそらくクレオンを正しい者と認識しはじめていた。でもできなかった。神官の一言(予言)のためだった。すでに宿命の扉を自らの手で空けることになることに気が付きはじめた王は、その自覚化に怯えはじめていたのだった。
そこに運命の具現者の一人たる王の妃イオカステが現れる。現れたのを見て取ったコロスの長は、繰り広げられる応酬の制止を再び求める。その後の三者の簡単な対話は、性格的には次の展開(第一コンモス(哀悼の歌))のための予備的な応酬に様変わりしている。そのためもあり、すぐに閉じられる。閉じ際の妃イオカステ――実は王妃ではなく「母」。でもまだこの段階では王も王妃もそのことには気が付いていない――が語った行句は、次のように、無意識裡に真実の具現者であることを物語ってしまっているかのようである。
後生でしから、オイディプース、この言葉を信じてやってください、
わけても神々へのこの誓いをおそれ敬い、ひいてはわたしのこと、
またあなたのそばにいる者たちのことをお案じくださるように!
第一コンモス 「哀悼の歌」は、アリストテレスによれば、「コンモスとは、コロスと舞台上の俳優のあいだに交わされる哀悼の歌のことである」(同上『詩学』)とされているが、さらに若干の補足が必要のようである。同書訳注を再び掲出しておきたい。
――「コンモス(kommos)は、元来哀悼のさいの頭や胸をたたくことを意味する。アリストテレースはコンモスを原義に近い哀悼の歌という意味にとっているが、一般にコンモスというとき、それは俳優とコロスの間に交わされる歌のことであり、必ずしも哀悼の歌とはかぎらない。一方、俳優同士の哀悼の歌は、タ・アポ・テース・スケーネース(俳優の歌・引用注)に属するとみなされる。コンモスはエペイソディオン、エクソドスにおいてのみならず、パドロスにおいても見られる」(同書第12章訳注(10))。
対話形式から一転、劇は、舞台(俳優)と円形舞踏場(コロス)との両者によって、コントラスをつけるかのように立ち位置を異にして進められる。対位法的な効果が発揮される場面である。コンモスの劇効果が試される場面でもある。
円形舞踏場のコロスによる舞歌は、舞台(3俳優)との遣り取りを取りこんで、ストロペー(正旋舞歌)とアンティストロペー(対旋舞歌)との定型で行なわれる。歌の内容は、対話文を抒情詩的な詩文に読み替えたものである。舞台との往反は単純でなく、トゥッティ(総奏)ともなり、二重奏・三重奏的な舞歌ともなるコロスを中心にして、俳優同士のみの歌唱部を加えた多旋律的な編成であり、所作を欠いた「白文」状態でも(文字面を追うだけであっても、という意味であるが)、十分に一篇の詩を観賞する機会を提供されるものとなっている。すでに現代詩的な構成感でさえある。
コンモスを挟んで再び対話形式となる。クレオンは、すでにこのなかで退場している。計165行を費やした長い対話である。全行からは、いよいよ開かれようとする(明かされようとする)運命の扉の軋みを聞くかのようである。
しかし、それだけでは165行を通じて一定の緊張を保つことはできない。対話中には大きく二回、独唱場面が差し挟まれる。引き金になったのは、イオカステの独唱部。王妃は、良しと思って、かつて、前夫ライオスに下された神託(ポイボスの神託=自分の子に殺される)を打ち明ける。打ち明けたのは、実現されなかった(と思いこんでいた)神託を掲げることで、それと同じだと慰めるためであった。自然死でない状態で亡くなったことは確かでも、神託のようにわが子によって殺されるようなものではなく、盗賊によるものだったのだからと(思いこんで)。
しかし、このことでオイディプスは知らなかった新たな事実を突き付けられることになる。ライオス王が襲われた場所のことである。それが「三叉路」であったことをである。なぜなら、かつてその場所で道をどちらが譲るかの言い争いがこじれて、先に暴力を振るわれ我が身を守る所為があったとはいえ、オイディプスは、相手方を撃ち取ってしまった過去をもっていたからである。その場所と重なったのである。オイディプスは、さらに問い質す。ライオス王の身体的特徴を。しかしそれも合致してしまう。オイディプスは懼れ戦く。
わたしはおそろしく不安だ。あの予言者は目が見えるのではないか。
予言者とは第一エペイソディオンで登場した神官のこと。神官は盲目であった。堪らずにライオス王一行の人数を問い質してみる。やはり記憶に合致してしまう。オイディプスの次ぎの関心(不安)は、一人だけ生き残った下僕に及ぶ。王妃にライオスの死の知らせをもたらした男である。今は都から遠く離れた田舎の牧場で家畜の世話している、と聞かされる。会いたいと請うと、「これますとも」と即座に返されるものの、王の様子を訝る王妃からは、「でも、なんのためにそれをお望みですか」と、訳を尋ねられることになる。
后よ、わたしはおそれているのだ、あまりにも
多くのことを口にしたのではないかと。だからその男にあいたいのだ。
そして、この一言を皮切りに堰を切ったようにして、不安な胸中を明かす、63行に及ぶ長い独白(独唱)へと移っていく。オイディプスは、現在の地位(テバイ王)を譲られる以前、故あって祖国コリントスを離れなければならなかった。たまたま宴席の酒に酔った一人の男から、お前は今の父の子でないと告げられたからであった。ただ立腹して見せる父母の姿に一度は安心したものの、その後も刺のようになった一言に苦しみ続けられ、思い切って父母には内緒でデルポイのアポロン神殿に赴く。しかるに、お告げは、驚くべきもの(恐るべきもの)であった。当の真偽の程が明かさないどころか、まるで予想だにしていなかった神託だった。
おそるべき、悲しむべきお告げを明かされた、――
かならずやわたしは母と交わり、見るに耐えがたい子孫を
人前にあらわし、じぶんを生んでくれた父の殺害者となろう、と。
かくしてオイディプスは、神託が成就されない安全な場所を求めて、自ら亡命の道を選択することになった。「三叉路」の事件が起こったのは、まさにその道中であった。まだ確定事項となってしまったことではないが、オイディプスは、「全身穢れにまみれた男」として、すでに自分を呪いはじめてしまう。かりに今の推測が外れていて、前王ライオンを手に掛けた者でなかった場合であっても(まだその可能性は「客観的」には十分ある)、今度神託が向かう先は、再びコリントスの地になることであろう。(立ち戻って)母(ドロス)と交わり父(ポリュボス)を殺す運命に従わされことになるにちがいない。自身を襲う宿命にオイディプスは押し潰される寸前であった。
けっして、いとも尊き神々よ、わたしがそのような日を
みることのないように! そのようにまがまがしい
汚辱がこの身にふりかかるのを見るまえに、
わたしがこの世から消え去るように!
上記「(まだその可能性は「客観的」には十分ある)」の文中の客観的に鉤括弧を付けたのは、王妃イオカステの主観に拠っているためである。なぜなら、イオカステが前夫ライオスとの間に儲けた子(男の児)は、「わが子に殺される」という神託を懼れて、ライオスが山に捨てさせてしまった、だからこの世にはいない存在であった(そうでなければならないはずだった)からである。だから不安におののく「夫」オイディプス王に向かい、イオカステ王妃は説き聞かす。
(略)ロクシアー(アポロンのこと。「脚注」転載、以下同じ)の定かなお告げでは、あの方は
かならずわたくしの子供の手にかかって命を落とすとのことでした。
でもあのふしあわせな子はあの方を殺しはなかった、
自分のほうが先に死んでしまったのです。
しかし、一度兆した疑念は止まない。それぞれの想いを舞台に止めたまま、第二エペイソディオンを閉じる。文字面(とその叙述法)を追うだけでも手に汗握るような胸の高まりを覚える。まさに創作的世界と言わなければならない。
第二スタシモン
「2対」の詩文からなる神への祈りあるいは対峙。まずは神の御許に生れた定めと、その尊さへの言挙げ。仰ぎ奉る神への信念。以上が最初の旋舞歌一対。しかし次の対舞歌では、人の思いの丈から発せられる、それも真実であるはずとした、ただ神を祈るだけではない、誠意の先に覗かせた人為に対する矜持。そして激した思いの丈は、逆説的な訴え・祈りを詩行に刻んで、最大の山場第三エペイソディオンへと厳かに繋がっていく。以下は2対目の対旋舞歌(全詩文)。
もはやわたしは聖なる
大地のへそ(デルポイの神殿のこと・脚注)に詣でず、
アバイの神(アポロンのこと)の社にも、
オリュンピアーにも参詣すまい、――
これらの予言が成就し、なべての民に
指し示されるのでなければ。
支配者よ、万物を統べるゼウスよ、
御名のとおりなら、このことが
あなたのおん目を、あなたの
不滅の統治をまぬかれぬように!
昔、ラーイオスにくだされた予言は
いまないがしろにされ、消えんとす。
アポローンを崇める者は
いずこにも見えず、神を
尊ぶ心は失せんとす。
(4)第三エペイソディオン
王妃イオカステの登場から始まる。いたずらにうろたえる夫オイディプスに平安を取り戻してもらうために、アポロンに祈る場面(開始場面)である。そこへ予定していなかった人物が現れる。「知らせの者」と呼ばれる「よその国」の者である。
吉い知らせをもってきたという。コリントスからやって来たのだという。オイディプスの祖国である。なにが「吉報」かと明かされれば、亡くなったコリントス王のあとに民衆がオイディプスを王に迎えたいとしているからだと。「吉報」だと。その吉報を携えていち早くやって来たのだと。
知らせの者は、なぜオイディプスが祖国を離れたのかの理由を知らない。だから尋ねられるままに、コリントス王に訪れた死が、老弱による死(自然死)だったと答えると、オイディプスとイオカステとが互いに納得し合って、安堵に胸を撫で下ろしているのを前にしても、なぜなのか見当がつかない。しかも、まだそれでも安心できない、それは「生みの母」がこの世に生きているからだと言って、それを聞いたイオカステからそのようなこと(母子相姦)は意に介すべきではない、と諭されている様子に思わず口を差し挟まずにはいられなくなる。
どなたですか、あなたがおそれておいでのご婦人とは。
プリュボスの后メロペーのことだ、とその名を聞かされると、なお一層訳が分かららくなる。「あの方の何がおそろしいのですか」と、言わずもがなのことを尋ねてしまう。聞かされたのは、「神託」の一件であった。ようやく合点がいく「知らせの者」(老人)――還えるつもりなないという、神託に縛られ続けるオイディプスを前にして、「知らせの者」の老人は、「知らせの者」から「明かしの者」へと姿を変えていくことになる。オイディプスの意表を衝くような語り口は、すでにオイディプスの過去をわが手で荷った者の一人であることの自己表明でもあった。
息子よ、どう見ても何をなさっているかお気づきでないようだ。
そしてこの後、二人の間で緊迫した一行ごとの対話(「スティコミューティアー」)が交わされる(20回分)。「明かし者」は、二人は実の親ではないと明かしてみせる。自分がこの手でお子のなかったお二人に手渡したのだと。
おまえはわたしを金で買ってあの人にわたしたのか、それとも拾ったのか。
キタイローンの深い山間で見つけました。
その時の様を尋ねるオイディプスに「明かしの者」は、足の傷に触れる。すべての「証拠」だからである。でもまだ自分を捨てた者、両足を刺し抜いた状態(迷信上の措置)にして棄てた者(実の親)のことは明かされない。実は明かしようがない。なぜなら、拾ったというのは、「明かしの者」の虚言であって、実際に拾ったものは別にいたからである。「明かしの者」は、その人物から貰い受けただけであった。それは誰か、と問い質すオイディプスが聞かされた名前は、ライオス家の者でしかも羊飼いであった。すべての話が繋がる寸前にまで事は立ち至っていた。生きているのか、会うことができるのか、と慌ただしく問い質すオイディプスに、事の成り行きを固唾を呑んで見守っていたコロスの長が、その時口にしたのは、告げてはならぬ一言であった。
その羊飼いこそ、さきほどから会いたいとおっしゃっている
田舎の者にちがいありません。だがそれを申し上げるには
ここにおいでのイオカステーさまがいちばんふさわしいお方でしょう。
そう聞かされて、イオカステに確認を求めるオイディプスに、「ご自分の命が大事とお思いなら/その詮索はもうよしてください」と、苛立たしさを抑え切れないイオカステは、要請を突き返す。そして、「後生です。それだけは(出生の秘密を探るのは・引用注)ぜひおやめください」と懇願する。
イオカステは、「明かしの男」の話ですべてを知ってしまったのだった。この世にあってはならない真実を。今残された道は、せめて我が子である夫オイディプスが、その真実から永遠に遠ざかっていて欲しいと願うだけであった。願うだけでは済まなかった。どうしてもそうあってもらわなければならなかった。
しかし、王妃がまさか生母であるとは気づいていない我が子は、ひたすら自分の過去(出征の秘密)を探り出したいと考えを改める気配は一向にない。たとえ奴隷の子であると分かったとしても構わないと、見当違いなことまで口にする。今やイオカステを待っているのは絶望だけだった。絶望の淵に佇んでしまったイオカステは、もはやこの場に留まっているのには耐えられなかった。
ああ、ふしあわせな方。あなたをおよびする名は
これしかない、別の名でお呼びすることは二度とありますまい。
去り際に言い放たれたこの一言。しかしオイディプスには届いていない。その真の意味を知るには、まだ彼の方は「真実」に手が届いていない。しかし、同じ絶望を共有するまでに許された時間はほんのわずかでしかなかった。
第三スタシモン 究めて叙情的詩行で綴られる一対から成るスタシモン。おそらく、清澄な歌声に神への問いかけを忍びこませたコロスの舞歌も、なお重い足取りをオルケストラの円形平場の「土間」に引きずっていたことであろう。以下、対旋舞歌全詩文を引き、第四エペイソディオンに移ることとする。
わが子よ、だれがあなたを生んだのか、
命長きニンフのだれが
山中をさまようパーンに近づき、
この神を父にしたのか。それとも
なべての高原の牧場を愛したまう
ロクソアースに添い寝して
あなたを生んだのか。
またはキュレーネーを治める神(ヘルメールのこと)か、
または山の頂きに住まう狂舞の神(バッコスのこと)か、
いつもともにたわむれる
ヘルコーン(詩歌の神ムーサの住む山)のニンフのだれかより
落とし子のあなたを受けとったのは。
かく生み出された詩語・詩句・詩行そして詩想に抒情詩を超えた、心の中だけで終わらない奥行きが見られるのは、訳文の力に与るところ大であるとしても、名訳を引き寄せるのは、「ギリシア悲劇」という世界の文学的な営為の力によるものである。我々は、単に振り返るのではなく、還されるのである。ここには2,500年の隔たりを遮るものは何もない。文学が乗り越えた時空である。
(5)第四エペイソディオン
オイディプス、「知らせの者」のほか、鍵を握る「羊飼いの男」が加わる。オイディプスによる問い質しが開始される。ライオスに仕えていたのか? 仕事は? どのあたりに住んでいたのか? すべて事前に予測された答えが返される。やはり男はキタローンやその近くに住んでいたのだった。
「羊飼いの男」は、最初から下を向いたままオイディプスの顔を見ようとしない。すでにその姿が答えになっていた。怯えていたのである。まさにライオス殺しの張本人であったからである。それと分かっていたのである。しかし男は、事実を明かすまいと密かに決めこんでいる。それまで素直に答えていた男が、「知らせの男」に話が及んでキタローンでこの男を見たことがあるな? と詰め寄られた時に限って、一言のもとに覚えがないと突き返す。「知らせの男」が思い出させようとその当時の思い出を事細かに語って聞かせ、どうだそうだろうと問い質す。今度は跳ね返すこともできず、そのとおりだが、と肯定しても、昔のことだと、それ以上は思い出せないと否定の響きを含ませる。「知らせの男」は、気持も分からず詰め寄る。
では言ってみよ、あのころおまえがおれに赤子をくれたのを
覚えていないか、おれの子として育ててほしいと頼まなかったか。
怒りをあらわに男は、「知らせの男」に「黙らぬか」と声を荒げる。オイディプスが間に入る。なぜ答えぬかと質す。何も知らないくせにいらぬ節介をするからです、と答える。言い逃れと解とったオイディプスは、今度は厳しい口調で問い質す。こんな年寄りを辱めくださるなと請う男に対して、オイディプスは、「だれかいなか」と声を発する。締めあげてでも男に本当のことを言わせようとしていたのだった。
たしかに手渡したとまでは明かされた。でも子供の素性を質すと再びはっきりと答えない。「わたしの子ではありません、よそからもらいました」としか言わない。どこの家だ、と詰め寄るオイディプスに男は懇願する。
神々にかけて、王よ、それ以上おたずねになりませんように!
しかし、男が聞かされたのは、「おまえはおしましだ、もう一度おれにたずねさせたなら」という最後通牒だった。男は言ってはならぬ(聞かせてはならぬ)真実を答えざるをえない――「ラーイオス家の子でした」と。でもそれだけならまだオイディプスには「真実」から逃れられる余地が残されていた。家で働く奴隷の子でもあるかもしれないからだった。でも不安が自分に不利な問い方をさせてしまう――「それともあの人と血でつながった子か」と。
終に最後の一瞬が待ち構えていた。宿命との邂逅だった。男は絶望的な思いで答える。前王の子であると聞かされた、と答える。間接話法だった。そこで繋げる。それ以上にお知りになりたいなら、事の次第を語るに一番相応しいお方は王妃である、と。
すでに分かっていたことだったが、オイディプスは、なお男に確認してみる。なんのためだ、お前に手渡したわけは? 始末を命じるためでした、という答えが返される。なぜ始末などを? 神託でした。 神託? 子によって親が殺されるという神託です。いまとなっては問い質しても意味のないことだったが、ではなぜ言いつけに従わずにこの男(「知らせの男」)に手渡したのか、とオイディプスは訊く。不憫でしたから。その憐憫が恨めしくてもどうにもならない。オイディプスの口を衝いて出た嘆きの言葉は、すでに男たちに向けられたものではかった。自分自身へだった。あるいは自分を超えた「生」に向けられた嘆きだった。
ああ、すべてがあやまたず成就したではないか。
生れはならぬ人から生れ、交わってはならぬ人と
交わり、殺してはならぬ人を殺したと知れたこの男には、
日の光よ、おまえを見るのも、これが最後となろう。
かくしてイオカステと絶望が共有される。「日の光よ、おまえを見るのも、これが最後となろう。」共有者同士が語る同質の言葉だった。しかし、オイディプスは、まだ王妃(母)が言い残していった言葉の真の意味までは共有化できていなかった。最終場面(エクソドス)が語るのは、その共有化だった。エクソドスを目前にして最後のスタシモン(第四スタシモン)が厳かな舞歌を繰り広げる。
すでに何度か繰り返したことだが、相変わらず緊張感に溢れた行句である。対話の展開にはいささかの冗漫さもなく、湧き出る泉の如く新しい創意に満ちた応酬を布置して、時間の停滞を回避する。一字一句に心意が行き亘っている。創作的内面で対峙化された言葉である。文字作品であると見做すべき所以である。まさしく現代と較べても水準に差のない、あるいは超えている、普遍的な創作世界である。
第四スタシモン 絶望の深淵を覗きこんで、時間が止まってしまったかのようにコロスの舞歌も嘆きを引きずる。新たな時間の訪れに抗するかのように、正旋と対旋の舞歌は、2回演じられる。以下は第1回の正旋舞歌の全詩文である。
おお、めぐりうつる人の世よ、
おまえたちが生きるその生は
なんと物のかずにも入らぬ。
似て非なる仕合せを得て、
得たと思うと身を滅ぼす――だれか、
いったいだれが、それにまさる
仕合せを手に入れるのか。
あなたの定めはそのためし、
あなたの定めを見れば、
あわれなオイディプスよ、人の子の
だれを仕合せと呼べようか。
自ずからに誘い出されて歌い出されたような、一身を自分たちでも引き受けたいとする詩文に埋め尽くされた一聯である。すでに言葉(詩語)は、物語(筋)を超えたところで発語されている。単独なら感傷主義に留まっても、創作内に呼び込まれた詩文には、相まって高みに突き出る呼気に溢れている。再び過ぎ去った遠大な時間を想う。しかし言葉と向かい合う緊張感に「時」の壁はすでにない。ソポクレスはその実証であり証明者である。
(6)エクソドス
死の知らせとして開始されていく。すでに舞台を離れて久しい王妃イオカステの死(自死)である。必要な分だけ時間をしばし遡らなければならない。イオカステの死にまでである。コリントスの「知らせの者」から告げられた真相に、オイディプスに先んじて真実を知ってしまった王妃は、「狂乱のてい」で館にもどると、髪の毛を掻きむしりながら夫婦の臥床(ふしど)に駆けこむように入りこみ、固く扉を閉じてしまう。洩れてくる嘆きには取りみだした恨み事さえ込められている。
時遅れて真実を知ったオイディプスが、固く閉じられた臥床の扉をこじ開けて中に入った時、そこに見たものは、空しく体を宙で揺らしている王妃(母)の姿であった。悲劇はこれで終わらなかった。イオカステを床に降ろしたオイディプスは、后の衣を留めている留め金を手にとるなり、自分の両目に突き立ててしまう。その際の様子を「第二の知らせの者」はかく語る。
――「両目がご自分のこうむった災難を、ご自分がおかした/悪行を見ることのないように、また今後は見るべきでは/なかった人を見るのも、見分けたいと願っていた人々を/見分けぬのも、闇のなかで遣るのがよいと叫びながら。」
さらにその後も何度も目を突かれたとも語る。
コロスの長が尋ねる。それで今王はどうしているのかと。それで苦しみが少し和らいだのかと。
答えられる。王は人々に自分の今の姿をあえて晒したいと。そしてこの館から追放されたいと。
王は間もなく現れることでしょう、そのお姿を前にして、哀れまずにいられない者は、誰一人としていないでしょう。「第二の知らせの者」は、そう言って口を閉じる。
第二コンモス この場面でのコンモスは、「嘆きの歌」である。この展開(筋)でこれ以上に相応しい場面はない「嘆きの歌」の挿入である。第二コンモスは、「導入部」と二対の「正旋舞歌」及び「対旋舞歌」とで構成される。主導するのは、舞台上のオイディプスである。オルケストラのコロスは、導入部の冒頭を除いて、終始相槌を打つ感じで、その痛ましさ、嘆きの深さ、懊悩のほどをオイディプスとともに受け止める。以下はその一部。
無理からぬこと、かくも大きな苦痛のなかで
二重の悲嘆に沈み、二重の不幸をになわれるのは。
知恵ゆえに、その成り行きゆえに惨めな方よ、
もともと何もお知りにならなければよかったものを。
お決めになったことが正しいとは申せないでしょう。
目を失って生きるよりはいっそこの世をされたほうがましでした。
最後の2行(同時に第二コンモスの最終行)だけが(中間部もそうかもしれないが)、オイディプスを離れ、嘆きを共にする歌われ方から非難に転じている。もちろん、救い難い事態の傷ましさを言い表わしているのであって、オイディプスを否定しているわけではない。冒頭部(の6行)が歌うとおりである
人の子には見るもおそろしい災難よ、
いまにいたるまで目にしたためしもない
おそろしい禍いよ。どのような狂気が、
あわれな方よ、あなたを襲ったのか。
どの神が跳びうる限りをなお越えて、神に
呪われたあなたの定めに跳びかかったのか。
スタシモンに立ち戻った場面は、上掲「最後の2行」を巡るオイディプスの葛藤をそのまま科白とする。たとえ死を選らんだとしても(ハーデスの国へ行ったとしても)、目が見える限りは先に行った父母の顔を見なければならない。それをお二人が望むことと思うか。現世にあっては、あれほどにライオスの殺害犯を呪い、罰によって穢れを祓わなければならないと人々に強く布告した私だ、そのわたしが今や人々をまともに見られると思うのか。それどころか、こうして目を潰しても、耳を通して人々の声が聴こえてくるだけでも耐えがたいほどである。なぜ、わたしを受けとったのだ、キタローン! なぜすぐに殺さなかったのだ!
悲嘆は過去に向かい、育てられたコリントスの父母や館を思い、なんと「悪に爛れた者を育てたことか」との呪いや、運命の岐路でもあったあの「三叉路」(父親殺し)に及ぶ。そしてその後の不浄――母の花嫁となったこと、同じ母胎で生れ生ませたこと――の断罪に向かう。この上は我が身を追放してくれ。「殺してくれ。海のなかに投げ込んでくれ、」「わたしの禍はわたしのほか人間のだれにもになえないのだ。」
コロスの長には返す言葉はない。そこへ人の身である者のなかで唯一言葉をかけられる義弟(王妃クレオンの実弟)が姿を現す。
やってきたのは、嘲笑するためではない、非難するためでもない。クレオンは、「義兄」の哀れな姿が人前に晒されているのに、身内として耐えがたかったのだった。早く館のなかへと促す。しかし、オイディプスが求めるのは、クレオンに対しても我が身の追放でしかない。クレオンは言う、でもまずは神に尋ねるべきであると。なにをいまさら。神はすでに我が身を滅ぼしたではないかと応ずるオイディプス。その上でなおクレオンは言う、「あなたも今なら神に信頼をおけるだろうと」。逆説である。
しかし、劇の範囲では神託伺いは行なわれない。行なわれたとしたなら、おそらく「劇の外」(悲劇作品のテクニックの一つ)であったことだろう。ここでは、終演を前にオイディプスの独白的科白が、先を失ったなかで2度繰り返される。最初は「王妃」の埋葬について。そして再び自分の追放について、その具体的な場所について。
すなわち、あの最初の場所(「墓地」)であるキタローンの山へと、と。次は4人の子供(二男二女)たちのことについて。二人(男)のことは心配ない(余談だがこの二人は別の悲劇作品へと発展していく)。問題は二人の娘のこと。クレオンよ、「この者たちの身の上を心をかけてくれ」、そして、できれば今一度だけ我が子にこの手で触れさせてくれ。
聡明で心優しいクレオンは、オイディプスの気持を分かっていてすでに二人の娘を呼び寄せてあった。その娘の声(涙声)が聞こえてくる。ただし「劇の外」的扱いで、詩文上では隠されているので、われわれは行間で読むことになる。やはり効果の高い「テクニック」である。
そして最後の独白。娘たちへの熱い思い。行く末を思う父親として悲涙。自身への呪いの再燃。そしてあらためてクレオンへ向ける訴え――あなたしかいない、あわれみをかけてほしい、「承知してくれ、気高い方よ、その印にあなたの手で(娘たちに・引用者補注)触れて欲しい」と。
最後(コロスの退場直前)は、「アラティラバイ」で終えられる。一行の半分を一人が、後の半分をもう一人が歌う歌唱法(歌い分け)。ここでは前半句をオイディプスが、後半句をクレオンが担う。字句を追うだけでも臨場感に浸かることができる。実際の観劇にはどのような感動が待ち受けていたのであろうかと思わざるをえない(後述)
アラティラバイを経て、舞台は無人となる。舞台前面のオルケストラには、空白の舞台を埋めるかのようにコロス合唱が最後の合唱を響き渡らせる。短い11行詩である。
――「死すべき者のだれもが仕合せと呼んではならぬ、/いかなる苦しみにもあわず/生の果てを超えるまでは。」
この3行は最終の詩句である。歌い終え、やがてコロスは、静かに、オルケストラから離れて退場の「パロドス」(通路)に後ろ姿を晒す。終演である。
Ⅱ 『詩学』に見る悲劇と叙事詩との対比論
文字文学の画期性 上記のように創作的視点で読み通したとしても、それだけではギリシア悲劇の画期性には気がつかない。画期性は、感動とは別の仕組みに求められるからである。必要となるのは、口誦文学との比較である。画期性が単なる文学史的位相の一通過点に終わるものではないことを、原点的な部分で教えてくれるからである。話し言葉(詠い言葉を含む)と文字との違い、その相違を通じた文字による文学作品の表記の問題、そのなかに立ち顕れてくる画期性――今、問われなければならないのは、この文字文学の画期性である。
早くは、アリストテレスが、この視角から悲劇に向い合い、叙事詩との対比を通じて、悲劇が同時代に占める文学性の高さを、最高位にあるもとしている点が注目される。三大悲劇詩人が活躍した前5世紀の、悲劇の栄光を引きずる次の世紀(前4世紀)を生きた哲学者(前384-22)である。文芸評論家としての仕事も少なくないが、残されているのは、『詩学』と『弁論術』のみである。後者は、前者よりはるかに紙数が費やされた大部の著作で、「文体表現」ほか「表現方法」などに章が立てられているが、弁論に向けられた章である。文学評論としては、『詩学』が専論書の体を成している。一書としては散逸部分(喜劇論の部分)を大きく抱えるが、幸い、悲劇と叙事詩とを詳述した全26章までは冒頭から散逸を免れている。
文芸評論に接しただけでも、あらためてアリストテレスの明晰性が再認識されるが、『詩学』全26章から取上げるは、多角的に論じられたポエーシス考のその一部にしかすぎない。悲劇と叙事詩とを対比的に論じた評価(「同時代的評価」)に関するくだりである。そのなかでも「創作性」に触れる部分でしかない。しかし、後掲小見出しの一つとした「同時代的評価」に仮に目を転ずれば、それ自体を文学史的に議論することも可能となる。曰く評論史としてである。ここでもアリストテレスの明晰性(先取性)が再確認されることになるが、その前に軽卒の誹りを免れられない。それに「同時代的評価」という用語も、本稿を超えて意味があるわけではない。
『詩学』の見解 冒頭、関係箇所を任意に掲げる(松本仁助・岡道男訳『アリストテレース詩学・ホラーティウス詩論』岩波文庫、1997年)。
①「それゆえソポクレースは一方では、ホメーロスと同じ種類の再現者(ミーメーテース)であろう。というのは両者ともすぐれた人々を再現するからである。しかし彼は他方では、アリストパネースと同じ種類の再現者ということになろう。というのは両者とも行為し行動する人々を再現するからである。」(第4章、26頁)
②「さて、叙事詩が韻律を伴う言葉による高貴なことがらの再現である点までは、悲劇と一致する。しかし叙事詩は、一種類の韻律のみを使用し叙述の形式をとる点では、悲劇と異なる。」(第5章、33頁)
③「さらに、長さの点でも両者は異なる。(略)叙事詩は時間の制約をうけず、その点でも悲劇と異なる。」(第5章、33頁)
④「劇では場面を短くすることができる。これにたいし、叙事詩は場面のゆえに長くなる。じじつ、『オデュッセイア』の筋書きは長くはない。」(第17章、67頁)
⑤「さらに作者は、(略)叙事詩的な構造を悲劇につくり上げるようなことをしてはならない。わたしのいう叙事詩とは、多くの物語を含むことである。」(第18章、70頁)
⑥「さらに悲劇は、たとえ身ぶり動作を伴わなくても、それ自身の効果を生み出すことができる。この点は叙事詩と同じである。なぜなら、ある悲劇作品がどのような性質のものであるかは、それを読みさえすれば明らかになるからである。」(第26章、107頁)
⑦「悲劇は叙事詩が持っているものをすべてもっている。じじつ、悲劇は叙事詩の韻律を遣うこともできる。さらに、悲劇はその少なからぬ要素として音楽(歌曲)と視覚的装飾をもっているのであり、それによって、悲劇がもたらすよろこびはきわめて生き生きとしたものになる。(改行)また、その生き生きとした効果は、悲劇作品が読まれるときにも上演されるときにも、同じように生じる。」(第26章、107頁)
⑧「さらに、悲劇は叙事詩よりも短い長さでその再現の目的を果たすことができる。なぜなら、凝縮されたものほど、多くの時間によって水増しされたものにくらべて、いっそう大きなよろこびをあたえるからである。わたしがいうのは、たとえばソポクレースの『オイディプース王』を『イーリアス』と同じ数の詩行におきかえるならどうなるか、ということである」(第26章、107頁)
⑨「さらに、叙事詩人による再現は、悲劇に比べて統一性が少ない。(略)統一性が少ないとわたしがいうのは、叙事詩が多くの行為から構成されているということである」(第26章、108頁)
⑩「このように、もし悲劇がこれらのすべての点においてまさっているのみならず、さらに、詩作の技術による効果においても――(略)――まさっているとすれば、悲劇は、叙事詩にくらべてその目的をよく達成するゆえに、よりすぐれたものであることが明らかである。」(第26章、108頁)
「他者」の発見 ここに挙げたのは、両者(悲劇と叙事詩)は同じと述べられている場合でも、悲劇と叙事詩とが対立関係にあることを言うために、前置きに使った部分である。たとえば①では、最初両者は同じであると言いながら、アリストパネスを引き合いに出し、結局は相違すると言外に匂わせている。つまり、主体が神や英雄に限定的な叙事詩に対して、悲劇では人間をも扱う点からである。やはり両者は相違するとする、そう暗黙裡に語るのである。
ところで、さらに問題を膨らませれば、「行為し行動する人々」の再現が、叙事詩では為しえない点についてである。なぜなら、創作的観点に引き付ければ、叙事詩には原則として「他者」が不在だからである。もっと断定的に言えば、「他者」を知らない世界であるからである。
「行為し行動する人々」とは、その点「他者」に繰りこまれる存在態である。①から析出されるのは「他者」である。これは、「創作」の条件であり、あるいはギリシア悲劇によって本格的に発見されたものであった。核心部分である。前提となるのは、文字と文字に拠った思考法である。叙事詩にはそれがない。文字使用以前であり、それ以降であっても未発達状態に止まっているか、あえて文字に拠らない制作態度が踏襲されているからである。
なお、「行為し行動する人々」とは、「訳注」の解説するところでは、「自分の行為についてなんらかの倫理的責任を負うもの」とされ、さらに「行為」のみに関して言えば、アリストテレスが悲劇に関して使う場合の「行為」とは、「複数の人間によってなされる一つの行為」の意味であるらしい。そして、「作者(悲劇作者・引用注)は複数の人間の複数の行為から一つの緊密な連鎖の構造を読み取り、これを一つの行為として劇のなかで再現する」(第6章訳注(10))と付け加えられる。「行為」は、「筋」と対で用いられているとも解説する。いずれも「他者」関係として捉え直すことのできる創作行為そのものである。しかも、それを「筋」で体現しようとする思考法は、ほとんど文字の機能を介して、はじめて参入が可能な範疇である。
長大性と「叙述」 ②は、形式が抱えこむ、ある種の限定性に触れた見解である。言外にマイナス性に触れているとも解釈できる。近現代的感覚でいけば、劇に比べて付加要素に乏しい、言葉を「叙述」という「形式」だけで表す側により文学性(芸術性ではない)が見出せるが、ここでは必ずしもそうなっていない。叙述形式それ自体が叙事詩の文学性を制約していると捉えられている。④⑤⑧⑨でマイナス性に言及するからである。要約すれば、筋に対して長すぎる(場面が多すぎる)、それ故に統一性に欠ける(言い換えれば緊張感に欠ける)と言っているのである。具体的な数値を示してみよう。行数である。なるほどと合点がいくことになる。
叙事詩の代表作であるホメロスの2作品の場合、『イリアス』では総数15,693行、『オディッセイア』では12,110行であるが、この長さを④として批判的に捉えるために、『詩学』中にアリストテレスによって要約された『オディッセイア』の筋書を引くと――「ある男が長年家を留守にしていた。彼はポセイドーンに監視され、しかもたった一人きりであった。その上、故郷では財産が彼の妻の求婚者たちによって浪費され、息子は生命を狙われていた。彼は嵐で難破したのち帰国し、幾人かの者に自分が誰であるかを明らかにしてから、敵を襲った。そして自身は救われ、敵は滅ばされた。」これだけの筋のために、あれほどの長さ(12,110行)が費やされた、と言っているのである。何のために費やしたか。それは「場面」のためである。その場面を劇ではより短縮し、凝縮したものにできるし、そうでなければならないと言っている(④⑧)。それを、「叙述の形式をとる点」がそうさせないと言っているのである。「叙述」は、叙事詩にとってマイナス性としてしか作用しない、そう考えている。
後述するように「叙述」は、叙事詩の成立要件であるわけではない。後付けされた付加要因である。アリストテレスは長大性とそのための凝縮性の欠如に批判的なために、勢い「叙述」を用いる。ほかにこれに代わる適当な語彙を用意できなかったからであるが、「叙述」の性格付けを欠いた評言であった。後述のためにも明らかにしておけば、「叙述」は文字を前提するが、叙事詩が前提とするのは文字ではなく声である。言い方を変えれば「発語」である。「発語」と「発語」によって成り立つ思考(ジョジュツ)である。そして叙事詩を長大性に導く枯れることのない源泉である。
文字性 いずれにしても、長大性が「叙述」の形で再現されたなら、たちまち退屈さとして返され、「再現者」は、甘んじて最下位を受け取らなければならない。大ディオニュシア祭に上演される悲劇は、予選を通過した三作家(詩人)の競演形式で一人一日の割合で計3日間行なわれ、最後に審査員による厳密な投票によって順位が付けられる。したがって最下位とはいかにも不名誉な記録であり、いやが上にも創作的競争心が煽られることになる。
しかし、それだけで悲劇が創作的高みに導かれたわけでない。あくまでも源泉となるのは、文字であり、文字性という力である。しかもその力は、上演を前提とした「叙述」であっても、読むだけでも同じ効果をもたらすことになる(⑥⑦)。まさしく「創作」となっていた所以である。したがって、文字の未発達な、非識字時代のホメロスの叙事詩を同じ基準で比べるのは、比べること自体が、上記のとおり問い直されなければならないが、文字の画期性を再認識するには、一方的なマイナス性(④⑧)にひとまず目をつむれば、それを知らなかった世界によってはじめて見える、深い理解がもたらされることになる。そのためにも非識字作品の文学史的理解を正しく押さえておかなければならない。
ただし、「非識字」は識字世界から見た場合の用語なので、文字を必要としない、必要としないことに意味がある点では、用字法に拘らなければ、「非文字」の方が相応しい。以下は「非文字」に拠ることとする。
「非文字文学」と「声」 いずれにせよ、「マイナス性」は、「叙事詩」(口誦文学)の文学性とは直接には関係のないことである。あえて難しく言えば、文字文学は視覚機能だけでも成立するが、「声」(その具体的な在り方としての「発語」)と一体の口誦文学の場合は、聴覚機能に重きがあって、視覚機能も身体性(伴奏スタイルや身振り)を把握する場合に限って有用的である。厳密には作者(発吟者)の側ではなく、鑑賞者側に期待されることになる。言うまでもなく上演ものだからである。因みに具体的な上演場は、祭礼場や貴族の館の宴席である。催しものとして行なわれるのである。吟遊詩人の輩出(前6世紀頃)をみてからは、村々を回る興業性が付加されることになる。
なお「声」も、「発語」から「再現」(上演)に場所を変えた場合、特に「再生」(伝承)のなかでは、韻律に傾けられる特定器官とともに、肢体的な身体性が同等以上に重要視されることになる。後述(「太鼓ことば」の世界)のとおりであるが、その前に、「文字」の有用性(画期性)を知るために、今度は、「マイナス性」の前に立ってもらうことにする。読書のなかの「非文字文学」 手許にホメロスの二作がある(岩波文庫)。上(中)下巻を合わせると、700から800頁以上に及ぶ部厚さである。しかもアリストテレスが指摘する凝縮性(⑧)に問題を残した分量でである。「場面」は多いが、「場面」間は、構成的に平板で起伏に乏しく、「場面」を埋める談議形式の会話部分は、内容の深刻さ(大仰さ)や非日常性(神話性)に対して、あるいはそれ故に、全体としてはステレオタイプ化に自発的である。すべからく「叙述」故である。
最初から文字で創られた「文字作品」からみると、口誦文学のように後世に文字化された「文字作品」は、叙述(エクリチュール)以前に留まる。地の文(語り部分)と会話部分(談議部分)が癒着し、上辺の話題性だけで好いならともかく、内面化に引き寄せようとする限り、企ては上滑り気味である。研究者的関心以外で、一書(歌)から数書(歌)の範囲ならならともかく、この叙述法で同じ緊張感を保てるとしたなら、古代ギリシア世界に特別に親和的である人、ないしは最初から読書態度が違っている人でなければならない。暴言を吐けば、「読書」向きではない。正しくはそうできていない。それは訳出形式の違い(詩文体形式と散文体形式)の味わいが、決定的な違いまでにはなっていないことがはらずも物語るところである。たとえば岩波文庫版で言えば、呉茂一訳(詩形式)と松平千秋訳(散文形式)との訳出の在り方である。両者には訳出年代に20年から40年差があり、前者が詩文体形式、後者がが散文体形式であっても、その違いを超えて大きな差があるわけではない。
訳出上のことではないが、叙事詩の韻律や一部伝承のことに触れる部分がある。参考になるので該当箇所を掲げておく。
――「(略)いわゆる叙事詩篇 epic dialect により、各行がみないわゆる英雄詩律で、長短々格六脚律 Heroic,s.dactylic hexameter から成り立つ」/「至って弾力性と適応性に富むもので、極めて自由に歌唱者の意図に従い、表現の性能にゆたかであるのは、西欧後世の代替物といえる Alexandrin や blank verse に遥かにすぐれ、わが国の七五調の単調さやマンネリズムと全く異なっている」(呉茂一『オデュセイア(上)』「はしがき」/「解説」390頁、1971年)。
あるいは、「口頭詩は全面的に記憶力に依存している。ラプソードたちが自ら詩を創作し、口演し、またそれを次の世代に伝えるのも強靱な記憶力だけが頼りである。従ってまた、叙事詩もなるべく記憶しやすいように作られなければならない。元来が謡い物として、楽器の伴奏で歌いながら演ぜられたものであるから、一定のリズムを伴った韻文で創られている。古代のギリシア語は高低の差がかなり大きいアクセントで語られていたから、普通に発音しただけでも、十分音楽的に快く聞こえるのである。」(松平千秋『イリアス(上)』「解説」442頁)など。
中断してしまったが、いずれにせよ、いったん吟誦に転じさえすれば、別の姿に生まれ変わることになる。たとえ上演に時間26~27時間(『イーリアス』)を要したとしてもである(時間算出は、『詩学』第26章訳注(10)による。因みに『オイディプス王』(1,530行)では3~4時間)と算出される)。「声」に立ち戻って開かれる世界は、それだけで終わらない。われわれに根本的な変更を要請する。すべての見方・考え方を変えなければならない(反転させなければならない)。この分量をむしろ脅威と見なければならない。文字化に顕れた画一性を乗り越えている想像力が、この場合、「文字」を超えているからである。
――「(略)いわゆる叙事詩篇 epic dialect により、各行がみないわゆる英雄詩律で、長短々格六脚律 Heroic,s.dactylic hexameter から成り立つ」/「至って弾力性と適応性に富むもので、極めて自由に歌唱者の意図に従い、表現の性能にゆたかであるのは、西欧後世の代替物といえる Alexandrin や blank verse に遥かにすぐれ、わが国の七五調の単調さやマンネリズムと全く異なっている」(呉茂一『オデュセイア(上)』「はしがき」/「解説」390頁、1971年)。
あるいは、「口頭詩は全面的に記憶力に依存している。ラプソードたちが自ら詩を創作し、口演し、またそれを次の世代に伝えるのも強靱な記憶力だけが頼りである。従ってまた、叙事詩もなるべく記憶しやすいように作られなければならない。元来が謡い物として、楽器の伴奏で歌いながら演ぜられたものであるから、一定のリズムを伴った韻文で創られている。古代のギリシア語は高低の差がかなり大きいアクセントで語られていたから、普通に発音しただけでも、十分音楽的に快く聞こえるのである。」(松平千秋『イリアス(上)』「解説」442頁)など。
中断してしまったが、いずれにせよ、いったん吟誦に転じさえすれば、別の姿に生まれ変わることになる。たとえ上演に時間26~27時間(『イーリアス』)を要したとしてもである(時間算出は、『詩学』第26章訳注(10)による。因みに『オイディプス王』(1,530行)では3~4時間)と算出される)。「声」に立ち戻って開かれる世界は、それだけで終わらない。われわれに根本的な変更を要請する。すべての見方・考え方を変えなければならない(反転させなければならない)。この分量をむしろ脅威と見なければならない。文字化に顕れた画一性を乗り越えている想像力が、この場合、「文字」を超えているからである。
「太鼓ことば」の世界 以前、無文字社会の「歴史表現」に関する論考を興味深く読んだことがある。西アフリカ・モシ族に関する研究である(①川田順三『無文字社会』同時代ライブラリー16、岩波書店、1990年、初出1976年)。このなかで教えられたことは、無文字社会を通じた「文字」の意味であった(同書「3 文字記録と口頭伝承」「19 文字と社会」)。無文字社会のモシ族にも「文字」(に代わるもの)があったからである。「太鼓ことば」だった。同著者によって著わされた最近の著書(②同『もう一つの日本への旅』中央公論新社、2008年)にその後の研究も踏まえて、分かりやすく解説されている(同書「15 消滅に瀕している文化遺産」)。
要点のみ記せば(一部①を含む)、「太鼓ことば」とは、太鼓を叩く指先の微妙な感触よって語り言葉にいたる、「体内に内装されたことばの記憶」であるということ。それが証拠に太鼓(ペンドレ)を抱えない状態では、「ことば」は、体系としては発せられなくなること。体系とは、王朝(モシ族)の系譜物語り(「王朝史」)のことである。「太鼓ことば」は、王に従属する楽師集団(楽師は太鼓名同様に「ペンドレ」よ呼ばれる)で、父子伝承である。神聖なものであり、王の許しなしには、太鼓から「ことば」を引き出すこと(発語すること)はできない。すなわち王の名を口にすることも王朝系譜を語ることも許されていない。通常は供犠さえ要する。音(「ことば」)を出す(発する)ための。しかし一度発せられた「ことば」は、「男のことば」と「女のことば」との両局にも渉ることができるという。なお、念のため記しておけば、仮面劇であるギリシア悲劇も、俳優・コロスは男性に限られ、仮面の下から「女のことば」を発することになる。
川田は、身体運動の連鎖関連に関する心理学用語から「手続き的記憶(procedural memory)」に注目するが、「体内に内装されたことばの記憶」とは、さらに普遍化された、同著者によって見出された「ことば」の概念である。「文字と社会」を著わす本となる「ことば」論でもあった。
この「太鼓ことば」の世界は、長大な叙事詩の作詩上の問題(「枕詞」(エピテイン)や常套句、個別の形容詞(句)の創出法、詩行・詩文の構成法(「場面」作り)など)だけでなく、一部指摘しておいたように、口誦上の問題(無文字性(無テキスト性)のなかでの上演(再現)と伝承(再生))にも示唆的である。もとより門外漢の興味にすぎないが、それでも拘るのは、「叙事詩」の世界が、「創作」以前ではなく「創作」とは種類を異にするものであること、そう捉え返すことによって「創作」の画期性を、構造的理解以上に原理的理解で捉え直せるからである。
さらに言い添えれば、「創作」の成立によって忘却されてしまった「思考法」の喪失は、回復的理解ではなく、「創作」のなかの反創作性として再措定する時、そこに内蔵されている想像性のマグマは、「創作」にとっての大きな刺激(あるいは覚醒)となるはずである。抒情詩一般の再考の道標にもなるかもしれない。なぜなら、文字文学以降では、「発語」はすでに叙事詩を離れてしまい、同じ文字文学でも抒情詩に「発語」の遺制が見こまれるからである。
「同時代的評価」への「批判」 いずれにしても「創作」にとってホメロスが問題になるのは、口誦文学の段階ではなく、文字化段階である。厳密には口誦文学の段階は対象とすべきではない。アリストテレスの『詩学』にしてもまた然りである。テキスト性に触れる限り、ホメロスはホメロスではなくなる。口誦叙事詩人から識字詩人に再生させられてしまうからである。しかし、テキスト性に触れる『詩学』における叙事詩の取り扱いは、未分化状態で行なわれている。
悲劇が、叙事詩より優れていると判じた『詩学』の結語(⑩)は、テキスト性の上に成り立っている。したがって、「叙述」と「韻律」との「未分化状態」が創り出した当然の帰結であった。判じる以前だったことになる。それでも文芸批評に顕れたホメロスの文字化問題に対する「同時代評価」として見るなら、先にあげた「評論史」に読み直すこともできる。しかし、これ以上言及することは慎まなければならない。
本章の上で参照した専門書を一冊だけを挙げるとすれば、久保田正彰『ギリシャ・ラテン文学研究――叙述技法を中心に――』(岩波書店、1992年)である。とりわけ、「第1部第1章 ことばから文字へ――ホメロス叙事詩の文字化について――」に多くを学んだ。
川田は、身体運動の連鎖関連に関する心理学用語から「手続き的記憶(procedural memory)」に注目するが、「体内に内装されたことばの記憶」とは、さらに普遍化された、同著者によって見出された「ことば」の概念である。「文字と社会」を著わす本となる「ことば」論でもあった。
この「太鼓ことば」の世界は、長大な叙事詩の作詩上の問題(「枕詞」(エピテイン)や常套句、個別の形容詞(句)の創出法、詩行・詩文の構成法(「場面」作り)など)だけでなく、一部指摘しておいたように、口誦上の問題(無文字性(無テキスト性)のなかでの上演(再現)と伝承(再生))にも示唆的である。もとより門外漢の興味にすぎないが、それでも拘るのは、「叙事詩」の世界が、「創作」以前ではなく「創作」とは種類を異にするものであること、そう捉え返すことによって「創作」の画期性を、構造的理解以上に原理的理解で捉え直せるからである。
さらに言い添えれば、「創作」の成立によって忘却されてしまった「思考法」の喪失は、回復的理解ではなく、「創作」のなかの反創作性として再措定する時、そこに内蔵されている想像性のマグマは、「創作」にとっての大きな刺激(あるいは覚醒)となるはずである。抒情詩一般の再考の道標にもなるかもしれない。なぜなら、文字文学以降では、「発語」はすでに叙事詩を離れてしまい、同じ文字文学でも抒情詩に「発語」の遺制が見こまれるからである。
「同時代的評価」への「批判」 いずれにしても「創作」にとってホメロスが問題になるのは、口誦文学の段階ではなく、文字化段階である。厳密には口誦文学の段階は対象とすべきではない。アリストテレスの『詩学』にしてもまた然りである。テキスト性に触れる限り、ホメロスはホメロスではなくなる。口誦叙事詩人から識字詩人に再生させられてしまうからである。しかし、テキスト性に触れる『詩学』における叙事詩の取り扱いは、未分化状態で行なわれている。
悲劇が、叙事詩より優れていると判じた『詩学』の結語(⑩)は、テキスト性の上に成り立っている。したがって、「叙述」と「韻律」との「未分化状態」が創り出した当然の帰結であった。判じる以前だったことになる。それでも文芸批評に顕れたホメロスの文字化問題に対する「同時代評価」として見るなら、先にあげた「評論史」に読み直すこともできる。しかし、これ以上言及することは慎まなければならない。
本章の上で参照した専門書を一冊だけを挙げるとすれば、久保田正彰『ギリシャ・ラテン文学研究――叙述技法を中心に――』(岩波書店、1992年)である。とりわけ、「第1部第1章 ことばから文字へ――ホメロス叙事詩の文字化について――」に多くを学んだ。
Ⅲ ソポクレスの創作性
ジャンルとしての「創作」 後の時代の書誌学に大きな影響を残した、「初期文献学史の金字塔」とされるカリマコス(前4世紀末―前3世紀半ば)の『ピナケス』は、有名なアレクサンドリアのムーセイオンの付属図書館に所蔵されていた、40万点以上とも言われる膨大なパピルスを分類した詳細な分類目録である。文学ジャンルに上げられるのは、「修辞学・叙事詩・抒情詩・悲劇・喜劇・哲学・歴史」であるが、「創作」を小説に限定した場合、『ピナケス』には直接対応するジャンルは見出せない。後述するような初期的小説がカリマコスの一世代前には登場しているが、ジャンル的には「歴史」であった。よくてもそのなかの「歴史的エピソード」でしかなかった。小説が、後発の文学形式であることの書誌学的証明である。悲劇を取り上げるのは、そのための代役としているからではない。内実が小説そのものであるからである。作品形式も問題とならない。内容性の程度を対象としているためである。たとえば、文学の香り高く言えば、言語(ここでは「文字」)による生の全体性の獲得を、時空間の再生・編成のなかで独自に達成し、時代を超えた普遍化を手に入れているからである。
「文体」の視点 ところで、その際、内容性を達成する手段となるのは、悲劇の場合、①物語性であり、②叙述性であり、③上演性であるが、「創作」に関係するのは、①②の範囲である。③が問われる場合は、②に読み替えられる範囲内に限定される。
両者は有機的に関連し合っていて、別立てで論じられるものではないが、①を仮にアリストテレスの「筋」(ミュートス)に特定するとすれば、議論は勢い②に集約的になる。悲劇の場合、神話・伝説に「筋」の素材を求めなければならない限り、独創性は主に個別部分の再解釈に限定的とならざるを得ないが、その場合であっても叙事詩以来の蓄積が前提となるはずである。そうした前提(制約)の上で、①を超えて「創作」に達成させるのが、②である。
「創作」の筋書きは、単なる「筋」(ミュートス)=「行為の再現」(ミーメーシス)ではない。「ミーメーシス」である前に文体と相即的であり、むしろ文体を前提とする。文体により「筋」が立てられ、立て替えられる。立て替えるために文体の側でも内部変革を迫られる。相即的であるの意味(内実)である。ここで言う②とは、この「文体」のことである。そして、上述叙事詩(文字化叙事詩)には、「文体」はないことになる。
なお、アリストテレスは、『詩学』に「文体」を一章(第22章「文体(語法)についての注意」)に立てている。冒頭、「文体(語法)の優秀さは、明晰であってしかも平板でない点にある」と今に通じる意見を述べているが、それ以下の部分で多くを費やすのは、「語法」についてである。したがって、章名も実態的には修辞法とすべき内容である。おそらくそれを「文体」と呼ぶのは、「ミーメーシス」のためである。個別の「語法」とその間(ミーメーシス)には、「何かが在る」と理解していたからである。それが「文体」である。本稿の「文体」でもある。
『アナバシス』の文学性 今、この「文体」を、最終的には悲劇のなかに求める過程で注目されるのが、『ピナケス』のなかの一ジャンルである「歴史」である。「歴史」といえば、前5世紀に活躍したヘロドトスやトゥキュディデスがすぐ思い浮かぶが、ここで挙げるのは、クセノポンの『アナバシス』(松平千秋訳、岩波文庫、1993年)である。ジャンルも前5世紀的な「歴史」というよりは、自己体験をバックボーンとした「自伝」(傭兵記)である。脱出記でもある。アナトリア高原6,000キロの、2年(前401年3月~前399年3月)に及ぶ、アナバシス(サルデイスからバビロンへの侵攻(=上り))とカタバシス(クナクサからバルガモンまでの脱出行(=下り))の体験的記録である。
分量的には、ヘロドトスの『歴史』に比べると約3分の1であるが、それでも文庫本で約360頁である。分量を挙げるのは、叙事詩を思い浮かべるからである。上述「冗漫さ」の一件である。それがないのである。記録文学の傑作とされているが、まさしく「文体」的にも傑作である。徒に長く綴られているのではない。生きたディテールを積み上げた結果である。細部に言い及ぶことはできないが、ホメロスの叙事詩(文字化された叙事詩)で冗漫なのは、とりわけ「談議」の部分である。たとえば、「(某々が)こう語りはじめた」と起こすと、「それに向かって、今度は(某々が)言うには(あるいは答えるには)」と返され、返されると再び「それに向かって、今度は(某々が)言うには(あるいは答えるには)」と、とめどなく反復的に繰り返されていく。繰り返すのは構わないが、会話一つが徒に長い。時には数頁分にも及ぶ。小説を味読しようとする読書的な態度で接するかぎり、閉口気分に逆らえないことになってしまう。アリストテレスの気分でもある(はずである)。
構文的には、『アナバシス』も「談議(弁論)」部分を少なからず抱えこみ、叙述フレームの一つとして多用している。時には長い。しかし、冗漫さからその都度回避されているのは、地の語り部分と会話部分の起こし方・承け方が、内的連携を保っているからである。画一的にならない要因の一つである。たとえば、起こしは会話文でも、承けは語り文に繰りこんで間接話法にしてしまう。あるいは、当人になり替わって地の語りの中でまとめ上げてしまう。会話と語りが、文体的な区別として意識化されていてはじめて可能な叙述である。違うくだりでは、起こしと承けが逆転処理される手法(話法)も採り入れられる。その場合は承けの会話文が長文化することになっても、前置きが利いていて、必然の長さとして受け入れられることになる。
以上だけでも、保たれる緊張感のあり方には、近代小説(同時に現代小説)の読書体験に近いものあるが、そのほかでも会話文には、短文化した同士の応酬もあり、リズミカルなテンポで変化に富んでいる。語り部分も、一定以上の評価を下されてしかるべき内容を誇っている。情感性に豊かで息継ぎのある語り口である。もとより名訳故であろうが、名訳は、原書の名文によっても保証されていたのである。「(略)あのように平明簡潔で達意の文章というものは到底凡手の及ぶところではないのである。」訳者(松平千秋)の述懐である。
小説家クセノポン クセノポンの「達意の文章」は、自己体験を中核に据えた物語性が要請した高さでもあるが、体験記を離れた部分でも物語性に秀でた「作家」である。筆者がそれを知ったのは、『ギリシア恋愛小曲集』(中務哲郎訳、岩波文庫、2004年)に収められた、クセノポンの「パンテイアとアプラダス(『キュロスの教育』より)」であった。解説によれば、クセノポン作を含む同小曲集(計4作)は、「古代小説の起源との関連でしばしば引き合いに出されるものである」とされるので、本来的には、形式上からも「創作」論の直接的な題材としなければならない。
しかるに結論としては「否」である。「古代小説の起源との関連」如何には、なるほどと納得するに足りる内容性が見出されないでもない。しかもその後、この強い絆で結ばれた夫婦愛の物語が、古代の文人のよく知るところとなり、少なからざる影響を与え続けてきたと説かれている点(同「解説」)からは、さらなる分析的関心が誘発されないでもない。とりわけ、「作中人物」が「伝説」を超えて成立している点では、特別の関心が湧く。しかし、「悲劇」と較べる以前にまず、クセノポンとして自身のなかで『アナバシス』に及ばないからである。緊張感は物語性に偏りがちで、叙述性は、必ずしも物語性のダイナミズムを受け止め切れていない。あらためて、『アナバシス』が達成した文学性を、叙述性として再評価しなければならないが、その時でも再評価の先に浮かぶギリシア悲劇の創作的達成度は、その上を行くことになる。念のために確認しておけば、前430年頃と推定されている『オイディプス王』は、『アナバシス』(前4世紀前半)より制作時期的にも半世紀ほど先行している。
悲劇と二項対立 それは、やはり①の物語性と②の叙述性からもたらされる問題である。『アナバシス』は、②が①の牽引役になって、①のダイナミズムを保証していても、②によって①をメタモルフォーゼの位相にまでは導いていない。その点では記録文学の傑作以上ではない。その点、ソポクレス(一先ず『オイディプス王』の作者としてのソポクレス)は、既知の①をあらたな真実にまで高めている。②によってである。ただし断っておけば、悲劇の②には形式上散文化された語り文がない。条件的には叙述性が制約されていることになる。それにもかかわらず、高い文学性が達成されている。
実は、叙述性がそのように制約的である故なのである。おそらく形式的制約が、②に舞台と円形舞踏場に分かれる、異なる韻律を要請した。科白と合唱歌である。重要なのは、単に二分化されただけではないことである。「二項対立」であったことである。しかも、高次元で構成化された正反関係であった。たとえば、「スタシモン(間の歌)」による「場」の転位、「コンモス(歎きの歌)」による「場」の同化融合がある。いずれも制作的意識に発する「二項対立」であった。
転移・同化融合の中に響き渡る、対位法的な合唱や応酬的な遣り取りは、平面的な空間対置であったものを、垂直方向に収斂的な立体空間に響き渡る声とし、「他者」の声の再生が謀られる。内声的な響きの実現である。時空間の編成が、非日常を呼び込む始まりともなり、始まりが次の始まりを生む。連鎖であり、その都度の更新でもある。まさに「コロス」が生み出した、独自かつ個性的な叙述性である。
ソポクレスの失われた作品には、「コロス(合唱隊)について」という論文があったという。人数を12名から15名に増員したのもソポクレスである。そして、「コロス」が生み出す高い二項対立的な効果を、アイスキュロス(前524-前456・5年)以上に内容性のある深い詩文として韻文に刻みつけることもできたのもソポクレスである。
二項対立はコロスに止まらない。俳優間の科白の根幹としても活かされている。上掲(Ⅰ)でその都度指摘したように、科白の一々に亘って創作的意識が行き渡っている。「エペイソディオン」に見る、導入部の独唱と、その後に開始される応酬的な科白の分量的な必然性、テンポ感のある遣り取り(「スティコミューティアー」)や、時には1行を二人で分け合う朗唱(「アンティラバイ」)による多声を生み出す工夫など、総じて単調に流れない科白の布置とその構築である。
さらに言えば、応酬から独白に移る転換部の転調は、感情的高まりに対して十分に刺激的であり、その制作態度は、感情表現に敏感な作曲的態度でもある。重奏化した独白とも喩えられるからである。応酬に場面が戻された後でも、一端複声化された声(文字)は、次の独白(「結」)にまで持ち越され、さらに倍音化した状態でスタシモンへの架橋となる。「創作」への架け橋でもある。
実証者ソポクレス とは言え、以上はすでに同じことの繰り返しになっているので、創作的評価は上記(Ⅰ)の各部分に譲る。いずれにしても悲劇を形式的制約とすることで、逆に高い叙述性を得ることができ、物語性に立ち返っては、既知を未知にも書き換える。アリストテレスが言う「逆転」概念を言い換えただけにすぎないが、単に「筋」のそれに終わらない「逆転」が切り拓く普遍性との同化は、ギリシア悲劇が、単に「創作の一始原」に終わるものではなく、ギリシア悲劇に固有の創作性を生み出すに至っている。その一回性は、創作の始原において同時実現的に達成された、ほとんど奇跡的な部類に属するものである。繰り返せば、『オイディプス王』を世に生み出したソポクレスは、その実証であり証明者である。まずは、「ソポクレスの創作性」を象徴的に言い換えたものとしておきたい。
いささか、まとめを欠くが、この先別な分析材料が見出されるようであれば、あるいは抒情詩をその材料につけ加えて、あらためて「まとめ」を企図することとしたい。
おわりに
旧訳の香り ギリシア悲劇(文学)の大海原に泥船を漕ぎ出した理由は上述したとおりである(「執筆の背景」)。これまでギリシア悲劇に本格的に触れたこともなかったし、おそらく「創作」の一語がなかったなら、これからも筆を執る機会が用意されていたか、定かでない。ただブログ執筆者の書架には、70年代の中頃までには全集が揃えられていた。最初の全集本である全4冊からなる人文書院版である。古書店で求めたものである。その内のソポクレスを収めた『全集Ⅱ』の奥付は、昭和39年2月20日の日付をもつ重版発行である。初版発行は昭和35年3月25日である。函の裏には最初に求めた人(?)の名前(男性)が書きつけられている。
今では最新の研究成果を盛り込んだ新訳の岩波全集版があり、人文書院版は科白を行に分かっていないこともあり(同版だけではないが)、お蔵入りの感が強いが、一時代昔の古文調の訳文には味わい深い響きがある。試みに上掲中に引いた「第二スタシモン
」(対旋舞歌(全詩文))を掲げてみよう。ただし長くなるので改行は「/」で済ます。訳者は高津春繁。
もはやわれは敬いゆかず、大地のかしこき臍に/アバイなる神に社に、/はたまたかのオリュンピアに、/これらの神のみ告げ所が当を得ず、/よろずの人の指針となり得ずば。/いなよと、天が下よろずを治し召す/君なるゼウスよ、その名がまことにしあらば、/御身と不滅の御支配とをまぬがれることなかれ。/ライオスが古きみ告げは失せんとし、/人ははや軽んじつつあり、/アポロンを尊ぶものはいずくにも見えず、/神々のまつりは絶えなんとす。
そのほか、末尾にその解説文の一節を引用することになる藤沢令夫訳(同者訳『ソポクレス オイディプス王』岩波文庫、第1発行1967年)も、格調の高い流麗な調べを添えた名訳である。
「情熱と狂気」のなかの悲劇 ところで、ギリシア悲劇の上演や翻訳に関して次のような見解がある。
(略)ギリシャ人の創造するギリシャ悲劇はとても乾燥している。(中略)殺人行為や近親相姦は行為は実際に行なう行為としては思いはずだが、乾きのイメージのために不思議に軽く感じる。一方、ギリシャ悲劇の日本語訳の台詞は、内へ内へ、陰へ陰へと籠り、暗い地底を這うかの如くである。(中略)(改行)言葉の発音だけではない。「悲劇」の発想も重くて暗くて湿っている。連続殺人や尊属殺人が頻繁に起こるギリシャ悲劇を、血の匂い紛々たるおどろおどろしい怨念の世界として捉えることが多い。日本人の創造するギリシャ悲劇は、常に暗くジメジメとしている。問題の深刻さは情念に傾き、理性や狂気には傾かない。ギリシャ人の演じる悲劇には、おどろおどろの怨念と情念の代わりに、カラカラの情熱と狂気がある。
――山形治江「乾燥した国の《乾いた悲劇》」
山形治江『ギリシャ悲劇 古代と現代のはざまで』(朝日選書480、朝日新聞社、1993年)の一節(61~62頁)である。著者は、アテナ大学留学経験者であり、ギリシア悲劇研究の中堅である。『オィデプス王』を含む数冊の悲劇の訳書がある。残念ながらまだ接していない。「カラカラの情熱と狂気がある」に通じる訳出か、いずれ機会を得て手に取ってみたいが(ちなみに「2003年度湯浅芳子翻訳賞」を受賞している)、たしかに古代における上演時間は日中で(しかも1日1人3作にサチュロス劇1作を6~7時間かけて行う)、それだけでも「暗くジメジメ」していない。上演季節は、大ディオニュシア祭の3月下旬から4月上旬である。筆者がアテネを訪れたのは3月だが、抜けるような空の青さは印象に残っている。
「アナバシス」実践者~友人のこと~ 言わんとしているところは理解できなくはなく、非日本的風土のなかに悲劇をはじめギリシア文学を読み解くべきであるという意見にも賛成である。それは、限られた自己体験以外に、それ以上の体験(交友体験)として、自ら「アナバシス」を地で行く踏破行(約1か年)を早く70年代に敢行した友人を近くに得ていたからである(同じアパート)。
彼の向かっていた眼差しも、「カラカラ」という表現はともかく、荒涼とした山地や高原地に育まれた「情熱と狂気」の最中にあった。彼の著わした文章(70年代)に筆者は「非日本」を衝撃的に学んだ。
ここに「創作の一始原」を掲げたのには、「叙述の背景」とは別に、日本の古代文学に同じ始原を求めることができないか、という比較論的な発想もあった。具体化しなかったのは、踏破行で身体化されていた友人の、「非日本的風土」的な精神性を、今に至っても昨日のことのように回顧するからであった。それもあり、対比できるような創作的契機は、我邦の古代(上古)の古典には見出せなかったのである。着眼点不足かもしれないが、見出すべきかそれ自体が疑問視される、それが目下の結論となってしまった。
しかし、本稿が求めようとしていた「創作」の、その始原的作品がもたらす感動の質は、風土や時代を超える意味でも、したがって比較論をも超えるものとして、比喩的ながら「感動の始原」に触れるものでなければならない。今は先に予告しておいた次の一文を引き、冗漫に過ぎる本稿を閉じることとしたい。
引くのは、上掲「解説」(藤沢令夫)に立てられた一項目(「『オイディプス王』の上演」)中の一部である。「実現された感動」の紹介文でもある。以下は、「ハーバード大学における完全上演の試みは、すでにずいぶん昔(1881年)のことであるが、その記録がくわしいので興味をそそられる」に続く部分である。
この時には古典学者・考古学者・音楽家・美術家が総動員されて、上演形式のこまかい点にいたるまで完全な復元が企図され、必要な観客にはあらかじめ訳文を配布したうえで台詞もギリシア原語でなされ、原作のどのような細部も省略されたり変更されたりすることがなかった。結果は、千人の観客が最初から最後まで、呪縛されたごとくに魅せられて動かず、劇が終わるや、一瞬の深い沈黙ののち、劇場は爆発的な歓声と拍手にどよめいたが、しかしすぐにまた、あたかも神聖な何ものかをみだすのを恐れるかのように声は突如やんで、観客は静粛の支配のうちに立ち去った。そこでは、「悲劇とあわれみと恐れをひき起こすことによって、この種の諸感情の浄化(カタルシス)を達成するものである」という、さまざまな議論をよんだアリストテレスの「悲劇」の定義が、期せずしてそのまま現実のものとなったと言われている。
――藤沢令夫「解説」(『オイディプス王』)
――藤沢令夫「解説」(『オイディプス王』)
[付記] 遅まきながら本稿を友人(K・H氏)に捧げる。
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