そして始まっていった物語。
某刻。某所。そして某氏。違う。某男・某女たち。でもその前に――
彼女は今年で四二歳。ライター。窓辺の机。窓の外に広がる公園。都会の中の公園。大きくもなければ小さくもない。自分の公園。彼女はそう思っている。だから公園と言わないで時には親愛の情を込めて「お庭」と言う。そして声をかける。
――「お庭」に出てくるわ。
でも誰からも返事が返ってくるわけではない。それを承知で続ける。
――一緒に行く?
返ってこない返事。でも返されない返事にまた声をかける。
――たまには外に出てみるものよ。そうやって部屋に閉じこもってばかりでは、思い浮かぶものも浮かばなくなってしまうわ。空気って、人の体に摂りこまれるとき、空気と言わないで酸素と呼ばない。そうでしょう。成分的には同じではないわけ。だから部屋の空気ではなく部屋の酸素と言われたらどんな気分? なにか息苦しくならない。足りないような感じがして。でしょう、だから外に出ましょう! 酸素を補給しに。摂り入れに。
表に出た彼女は、「お庭」から自分の部屋の窓を見上げる。誘ってもついてこなかったあの人に手を振る。レースのカーテンが揺れる。早く戻ってきて、と頼りなさそうにしている。
――分かったわ。
と背中を見せながら手を振る。
でも実際にはカーテンは揺れていない。揺れないことが最初から分かっている人は、だからその振る舞いを危ぶむ。いかにもお互いに手を振っているといった感じだった。だからそれだけに精神状態に疑いを差し挟む。そして憐れむ。上辺を普通に装っている分、深い心の傷を抱え込んでいるに違いないのを。
弁解すれば、最初からそうだったわけではない。仕事を始めるようになってからである。年齢的には三五歳過ぎから。それでも五年以上になる。怪しい精神状態なのは。
部屋を出るときだけではない。在室中も同じである。何かあるとすぐ話しかける。返事は気にしない。構わない。あろうがあるまいが、お構いなしに話しかける。話しかけるだけではない。「それとって」とか「手が離せないから電話に出てとか」「テレビの音小さくして」とか「電気消して」とか、そのたびに「ほんとうに何もしてくれないのね」と、そのときは睨みつけることになる。
――前はそうではなかったのに、どうして? なにが気に入らないの? あなたと私の関係よ。隠し事なし。約束だったわよね。
もちろん分かっている。なにを言っているか、しているのかは。「前はそうではなかったのに」と言っても、すべて自分に向かって言っていることだった。承知の上のこと。
だから人からとやかく思われるようなことでも、心配されるようなことでもない。心など病んでいない。笑ってしまう。もしそう思われていたとしたら。
なぜなら正反対だったからだ。精神状態はすこぶる活発。気力も充溢。
でもそれも「話し相手」を得たことによる。それはそれで確か。訂正不要。だから結局人の疑いは晴れない。しかたがないわね。打ち明けましょう。
ともかく空想上の相手ではないの。目の前にあるの現実なの。でも本物の現実ではないの。必用に迫られた「現実」なの。少なくとも私にとっては。そいうこと。
言い換えれば仕事だったのである。それが彼女の。同じライターでもゴーストライターだったのである。相手はいつもいたのである。なり切らなければならない相手として。そういうこと。
でもはじめからゴーストライターだったわけではない。それが唐突に言われたのである。
「お願い。一回だけ。助けると思って。長い付き合いじゃない。そりゃ分かってる、貴方のしたい仕事ではないこと。もしかしたら傷つけてるかもしれないこと。それも分かっていてお願いしたいの。あなたでないと頼めないの。だからさ――」
決まっていた人が直前になって廃業を宣言してしまったというのだった。随分無責任ねと言うと、しかたなかったの、と言われてしまう。病気だったの。心の……。
それでどんな本なのと尋ねると、待ち構えていたように大きな本だと返される。ただ大きな本と言っても、本の厚みのことではない。大きなとは、「著者」のことを指していた。社会的立場のある人の本だという。それに切迫しているのは、出版日も決まっているからだという。大きな出版記念パーティーが開催される。間に合わせるだけではなく、見合う本にしなければならない。こういうことよ。分かるでしょう、お願い。
代役を探したが、それぞれ仕事を抱えていて手の空いているゴーストライターはみつからない。ライターならいくらでもいる。でもこの仕事には信頼関係が要る。人間的に信用できる人でなければならない。特に今回の「著者」の場合は。
たしかに彼女がこれまで定職にもつかずなんとかライターだけでやってこられたのは、いつも彼女のことを気に留めてくれた編集女史のお陰だった。たとえ雑文でも割のいい仕事を優先的に回してくれたのである。
彼女も期待を裏切らなかった。記名もされない文でも心血を注ぐ。たとえば趣味や旅行などの一般誌でも、若い女性を対象にしたファッション誌でも、彼女の気持ちのなかにあったのは世間に名の通った一流の文芸誌を飾る紙面だった。その一頁を思い浮かべながらの執筆になる。
コラムも担当するようになる。文末にはイニシャルが添えられる。未記載のままでもよかったが、イニシャルを付けるよう求められる。本名のイニシャルではなく、筆名を真似たそれにする。
ライターを気取ったからではない。気恥ずかしかったからである。文章にも以前より力が入っていたとすれば、それも気恥ずかしさのためである。個人を文の裏側に隠す。沈める。浮かび上がらせない。それが結果として読者を惹きつける力に変わる。
編集部に届く読者カードには、〈なんかイイんだよね〉〈読んじゃう〉〈読まされたよね〉などと彼女の文に対する好ましいコメントが毎号寄せられる。なかには〈このコラムだけで買っちゃうの〉〈これってもしかしてブンガクじゃん〉などと書き寄せて来るものもある。
そこに持ち込まれたのが、ゴーストライターの仕事だった。引き受けるしかなかった。決めるのは彼女ではなかったから。
今回限りという約束は守られた。でもほどなくして準ゴーストライターのような仕事が回されてくる。結局守られなかった。ただ女史は守ったつもりでいる。仕方なかった。
「本当に素晴らしい文章力!」
煽てられる。
「なにかしら、今度は?」
添削だった。自費出版関係の。編集女史の付き合い先の仕事だった。正確には女史の副業だった。社長の一代記や個人史の類や、自分は金儲けだけではない、文学・芸術にも造詣が深いんだ、研究だってやる、の成功者のステータス向上書の類である。
再び引き受ける。もちろん、そうせざるを得ないからだった。それはいいとしても今回は問題を引き起こしてしまう。彼女の性分の所為だった。妥協を許せないからだった。
適当な朱入れで済ましてしまえばいいものを、それでは気が済まない。そのために大胆に書き替えてしまう。代筆に近いくらいに。「無礼者!」と〝お手打ち〟を覚悟しなければならなくなるかもしれない。編集女史にも迷惑がかかってしまう。関係も悪化してしまう。場合によっては解消しかねない。それでも彼女の文学的誠実さが頑として許容しようとしない。
それが杞憂とはまさにこのことだったようにして、心配とは裏腹に特別ボーナスが弾まれる。もともと関係者だけに贈呈する私家本(非買本)だった。それに本人の自尊心を云々する以前の文章力だった。むしろ本人は大胆な添削を望んでいたのである。大喜びだったという。一度会いたいと持ちかけられる。出版契約ではそれはできないことになっていた。代わりに用意されてたのが、誠意を表したいという著者からの特別ボーナスだった。
たしかに彼女の技量は、元の文章の雰囲気を最大限活かした至芸品だった。まるで本人による書き替えだった。
「私としても鼻が高いわ」
編集女史も満足げだった。彼女のポストにも貢献した様子だった。大物はどこで繋がっているか分からない。どうもそういうことだった。編集部での女史の立場が上がったのである。念願の文芸誌担当のチーフへの昇進だった。
さらに仕事が増える。いよいよ編集女史の裏方だった。生原稿の手直し(加除筆)の仕事が回されてきたのである。チーフでなければ割り振れない仕事である。目にするのは、普通の生原稿ではない。「一流」の原稿だったからである。でも一流でも、ときには一流であればあるほど、編集部での手直しを見込まれた状態で送られてくる。生原稿以前の状態で。もちろん「一流」だからである。超多忙なためである。いずれにしても生原稿は、彼女の手によって成稿となる。その「手」を仰せつかったわけである。
編集女史にかんして一言付け加えておけば、女史は副業から足を洗うことになる。将来に自信が持てるようになったからである。それまでは左遷(部署替え)も覚悟の日々だった。そうなったら退社する。その時のための副業(保険)だった。そのときはわたしの処の専属社員よ、あなたは。引き抜きじゃなくヘッドハンティング。真顔だったので彼女は笑えない。でも女史にはそんな暇もなくなる。それに心配も。
女史の編集部での地位は、盤石なものとなる。いまや押しも押されもしない辣案編集者だった。作家からの信頼も大きくなる。女史の下で充実した誌面が作られていく。
彼女のもとに回されてくる仕事の分量もさらに増える。致し方なく、自費出版の添削(準ゴーストライター)の仕事から足を洗わなければなくなる。
「貴方には本物の〝直し〟の方がお似合い」
おそらくゴーストライターやリライターのことを女史は勘違いしている。辞めたくて辞めたわけではない。彼女は、女史が思っているのようにはゴーストライターのことを考えていなかった。はじめる前だけだった。たとえそう思うこと(低く思うこと)があったとしても。今では、「著者」と一体になる代筆役は、味わったことのない刺激となって彼女の心の支えにさえなっていた。辞めたくなかった。できれば女史の仕事を断りたかった。
こうして彼女のゴーストライター業は終わったかに見えた.。気持ちも切り替えなければならなかった。「一流」との関係から。でもできない。味わうのは虚しさだけだった。疎外感にも襲われる。さらに切り替える。女史のためだと。
その女史から思いがけなくゴーストライターの話が持ち出される。
一瞬、彼女は、日頃見せたはずもない心を読み取られていたような気恥ずかしさに襲われる。もとの仕事に戻りたがっているような、現状をよしとしていないような、そんな不満な思いでいる心を。それは違うわ。勘違いよ。赤らめたことのない顔を赤らめる。
でも女史は気がついていなかった。彼女を襲った動揺には。むしろ逆だった。女史の方だった。心の内を見せることになるのは。
実はゴーストライターと言っても現役作家のそれだったからである。下書きをしてもらえないかというのである。
下書き?
意味がわかない。ええ分からなくて当然。上書きのための下書きよ。
それでも分からない。プロの作家でしょう、その作家がなにをしようとしているの?
「誰?」と言いかけた口を閉じる。
名前は教えられなかった。
「Ⅹ氏としておくわね」そう言って一通りの説明が加えられる。でも一通りの話ではない。込み入った、訳の分からない話だった。
「そのⅩ氏だけど、無名の作家を発掘するのが趣味なの。発掘と言ってもその人を世に売り出すためではなく、自分のため。言葉は悪いけど〝餌〟にするため」
しかもそれが発想の源になっているというのである。
「書き替えるのよ。文も筋も。大きく。でも「原作者」が読めば分かるかもしれない。分かるようにしてあると言ったら言いすぎかもしれないけど、ともかく微妙な問題だから。でもどこかに「原作」を叩きのめしたいと思っているところはあるわね」
なぜそんなことを?
「優越感ね。書き替えの見事さを味合わせたいのね。とても叶わないと思わせるために。プロとアマチュアの差を見せつける。見せつけたい。偏執的と言えば偏執的かも。でも悪くは取らないで欲しいの。それに普通に読んでいたなら気がつかないはず。でも気づくと打ちのめされるわけ。思い知らわれるの。どうにもできない、自分の力では。そのくらいレベル差があるわけ。だから、盗作ではないし、当人も盗作されたとは思わない。思っても名乗り出る気力は残っていない。それくらい気力が削がれてしまっているはずだから。いずれにしてもすべて純粋な創作的行為の範疇。そういうこと」
にわかには信じがたい話だった。でもなんでそれが自分のところに回されなければならないの。餌にされるという話なのに。
「あなたのこと気に入ったみたいなの」
そう言って昔の雑誌をバックから取り出し彼女の前に置く。
「X氏が言うの。どうしてプロを目指さなかったのかって。これだけの文章力があって、内容もストーリーテラーを思わせるような、発想力の豊かさも持っていて、その気になればいいものが書けるはずだって」
女史はページをめくりながらこうも言う。
「どうして勧めなかったのかって。そう言われたわ。灯台下暗しだって。ほんと。X氏のいうとおりだわ。これを貴方に勧めるのは、言ってみれば編集者としてのわたしの仕事」
平然と言い放つ。これまで感じたことのない、不誠実を感じる。でもまだ話は見えていなかった。なぜX氏の目などにとまらなければならなかったのか。作家が読むような雑誌ではないはず。
「題材を探していたのね。資料として当たっていたというわけ」
雑誌も記事も探そうと思えばいくらでもある。そのなかからわざわざ自分の書いたものを選ぶ。不誠実だけではなく策謀めいたものを感じる。女史は答えなかった。
「どう、挑戦してみたら? 餌だなんて言葉が悪かったわ。でも単なる〝餌〟じゃないのよ。自分の〝餌〟。どう書き換えられたか。打ちのめされたと思ったらそれはそれでいいじゃない。発奮材料になるかもしれないし、無理だと思ってもこれからの仕事にきっと役立つはず。それに逆にプロでこの程度ってということもあるかもよ。そうすれば自信つくじゃない? 作家目指しましょう」
疑ったことのない女史の心を疑う。なぜ疑わなければならないのか。疑うこと事体が我慢ならない。
意味が分からないと返す。でもそれ以上になんて返せばいいの。
「意味なんかないわ。もし気になるなら、単純に仕事と思ってもらえればいいの。ともかく下書きでいいんだから。それに原稿料も悪くないはず」
原稿料と言われて、たしかに原稿料かもしれないが、〝材料費〟じゃないの、と腹立たしくなる。
それに正確に答えてもらってない。
潰したいんでしょう。餌にするってこと。要するにそういうことじゃないの。そのⅩ氏とかいう作家は。「原作者」のことを。
わたしはどうなの? 「原作者」じゃないの? 言っていること。そういうことよね。どこが作家になる道なわけ。
潰されるのが怖いわけではない。それに潰されるなんて思わない。自分がそんなに軟だなんて思ったことがないから。ただ我慢ならないだけ。
でも彼女は精一杯我慢する。女史を信じていたからだ。
訊いてもいい? 彼女は口を開く、口らしい口を。もしかしたならその日はじめての。
でも訊こうなどと思っていたことではなかった。
口にしたのは原稿料の支払い元のこと。会社なのか、作家なのか。さらには税関係のことも。確定申告の税項目のこと。
訊きながら自分が訊いていると思えなくなる。それにこれではまるで引き受けるのを前提にしているみたいではないか。
女史も意外な顔をする。訊こうと思って訊いているわけではないのが分かる。でもつとめて事務処理的に応じてみせる。
支払いは作家であること。「もちろんだけど」と付け足して。でもなぜもちろんなのだろう。よく考えれば答えに窮する。どうでもいい。こんな話。
次は支払い項目。「正確に言うと、原稿料とは少し違うかも」そう前置きして「実質は原稿料であっても、作家から原稿料が支払われるのはおかしいから、取材に対する対価か、執筆に対する協力費、したがって名目としては報償費ということになるはず」と答える。
次は税関係。確定申告のことね。スマフォの画面を見せる。開いたのは国税庁のホームページ。説明されていたのは、個人が支払者の場合の税の取り扱い関係。今回のような場合(個人が支払者の場合)であれば、源泉徴収しなくてよいと説明されている。
「それに領収書も出ないんだから確定申告は必要ないんじゃない」
名前は出ないはず。言いそうになってしまう。
説明はしたものの、なんのための説明だったか分からなくなる。分かっていたのである。彼女の憤りが。不信感が。女史は女史で。自分の理不尽を。
しばらく二人の口は閉じる。待っていたように重い沈黙が二人の間に流れこむ。
「訊きたいことがあるけど」
もう訊いたんじゃなかったの? まだなにかあった?
「当面はって?」
女史は、事務的な説明の中で「当面は」という言葉遣いをしていた。どこで? そんなことを言った覚えはないけど。気がつかなかったのは本人だけだった。
「一回では終わらないということ?」
「X氏次第。あるかもしれない。おそらくあなたならあるかもね」
投げ遣りになっている。言わなくてもいいことまで言ってしまう。
「でもそうなったら作家への道は近いってわけ」
なんて嫌な笑い方。見たくないわ。もう我慢がならなかった。彼女は断罪するように言う。
「会社は承知していることなの?」
「今日は質問攻めね」
そう言ってはっきりと不満げな顔をつくってみせる。そして言う。
「絶対の秘密事項よ!」
当り前じゃない。これ以上言わせないで。
彼女は、そうなのとも、それでいいのとも言わなかった。言ってはいけないことだった。いくら彼女と女史との仲であっても。
疲れたわ。
再び沈黙が流れ込む。でも今度は二人して沈黙を受け入れた。待っていたようにして。
*
話は一〇年近く前に遡る。
X氏の担当だった女史は、提案したのである。X氏がもう書けそうもないと弱音を吐いたからである。弱音どころではなかった。絶望的なほどの落ち込み方だった。即座に「異変」を感じ取った女史は、一計を案じたのである。それが「手直し」だった。
X氏の泣き言は今に始まったことではなかった。これまでもさんざん聞かされてきたのである。ただこれまでは創作意欲と背中合わせになっていて、始動を告げる前触れのようなものだった。癖だった。だから喜ばしいほどだった。
女史は分かっていて言う。言いたいことがあるなら何でも言って欲しいと。作家と編集者は一心同体なのだからと。
それも少し芝居がかっているくらいがよかった。母親から認めてもらえばそれで気が済む駄駄っ子。しばらくすればペンが走り出す。その程度でいいのならお安いもの。なんだって言える。いくらでも演じて上げられる。
いつ頃からだったのか。担当編集者としての務めと思っていたものが、編集者の仕事の範囲を超えて、女史の個人的な野心に変質してしまう。スイッチ役程度にしか考えていなかったのが、いつか作家(X氏)の体を流れる電流となっているのを、そして電圧ともなって本人を衝き動かしているのを自覚する。
書くのはX氏でも書かせているのは自分。最初は助手だったかもしれないが、今では全体を見守る演出家。衝き動かすだけではなく意のままに操る側。そう思うと気持ちの高ぶりが抑えられなくなる。さらに昂じて精神的な征服感までもが芽生える。
野心と言えば野心かもしれない。しかし、これこそ正当な「文学行為」。そして編集者の行き着くところ。間違っても邪ななどとは誰にも言わせない。
実は女史を個人的に問いただせば、着想においては、女史は一流の作家だったからである。問題は叙述力だった。ついていかない。女史の抱く着想にはそれに見合う独創的な叙述が必要だった。あると信じて疑わなかったが、いつも裏切る方向に作用しても実現する方向には作動していかない。
文学少女だった女史は、女子高生の頃から始めていた執筆熱が昂じて、所属した大学の文芸サークルでは中心的役割を演じてサークル誌には欠かさず作品を掲載し、文学新人賞にも果敢に応募を繰り返した。でもいつも一次通過止まりだった。
卒業後も筆を止めるつもりはなかった。ずっと書き続けるつもりだった。それが中断してしまう。断ち切り状態で。
念願の出版社への就職が決まって仕事に忙殺される日々だった。それもあった、でも直接の理由は、卒業後に参加した同人誌だった。打ちのめされてしまったのである。
プロと変わらない実力者揃いだった。その合評会の席だった。責められたわけではない。逆だった。責められなかった。それがかえって堪える。追い詰められることになる。無批判の意味を自覚しなければなくなる
大学サークルのように好き勝手に言い合っていた合評会は、批判が発奮材になることもあっても自己否定に転化することはない。何も分かってないくせに、の一言で済む。そもそも自分の作品に目をつぶって、自作品に裏切られるような批評を平気で展開できるのが学生の批判レベルである。
でも本物の同人誌のなかでは誰も何も言わない。たくさん書いてこられたご様子、次も楽しみですね。次も楽しみ? 顔にはそう書いてない。発言者だけではない。参加者の誰の顔にも。発言者にしても沈黙が気詰まりだったからにすぎない。そうですねという遅ればせながらの、ほかの参加者からの相槌にも。
季刊誌だった。例会は毎月開かれる。女史は欠かさず出席する。合評会の月とは雰囲気が違う。和気あいあいとしてそのまま二次会に移行する。多くの言葉がかけられる。親近感のある語り掛けだった。女性会員も少なくない。それが合評会になると誰もが別人になる。とくに女史の作品の番を迎えると。例会の折の親近感は、そのまま疎外感となって女史を襲う。
五作目は寄せなかった。出さなかった。脱会を選ぶ。ちょうど二サイクル目をむかえるところだった。選考性を布いていた。毎回掲載してもらえたのは、会として新入会員を育成したいためだった。女史だけが特別扱いされたわけではない。「ライバル」もいた。ライバルを含め、「新入会員の作品」と銘打った頁は、組み方もほかと違って二段だった。
一年が過ぎると選考対象に移行する。顔を知っている選考者である。文芸誌への応募の時のような、顔も見えない影の読み手ではない。
渋い顔だけではない。ため息をつく顔さえ浮かぶ。耐えられないことだった。それにライバルが拍車をかける。育っていたからである。
仕事を口実にした。都合がつくようだったら月例会だけでも顔を出してください。優しい言葉に追い打ちをかけられる。行きたくても行けなった。
Ⅹ氏の担当になったのは入社して一〇年近くが経った頃だった。専任となる最初の担当作家だった。Ⅹ氏も駆けだしだった。いまの地位は一緒になってつくったものだった。簡単な道のりではなかった。
高く評価された新人賞の後、たて続けに発表した数作は、新しい文学の到来ともてはやされ、新たな文学賞を獲得したものの、受賞作を限りにそれを超える作品が生みだせないまま数年が過ぎる。筆力は衰えなかかったが、テーマもマンネリ化し、筆の冴えにも次第に陰りが見えてしまう。芳しい批評も受賞作品を最後に寄せられない。数年が経つうちに世間の話題からも遠ざかってしまう。
文章力は秀でていた。新人賞の受賞作も新しい叙述世界だとテーマの新しさとともに高い文章力に注目が集まった。より大きな文学賞の受賞作品は、近年にない快挙とまで評された。Ⅹ氏の将来を高く買っていたのは女史だけではなかった。
それが受賞作を最後にⅩ氏の新作が雑誌に載るたびに文芸誌担当チーフの渋い顔が浮かぶようになる。そのうちに編集部でⅩ氏の名前が呼ばれるたびに、女史は、それが自分に向けられていたような気詰まりな思いを覚えなければならない。皮肉っぽい呼び方だったからである。
良いものを生み出せないのは自分の所為だと思い詰める。作家を育てられない無能な編集者。編集者失格。重圧に押し潰されそうになる。
一計を案じる。でもまともな編集者が思いつくようなことではなかった。実に奇抜な策だった。追い詰められていた証拠だった。
学生時代の自分の作品を読ませたのである。ただ読ませるだけではなかった。書き直させるためだった。最終的には作品化させる。Ⅹ氏のものとして。
どう? と何げない顔で話を持ち出す。勧める。X氏は憤りを露わにする。当然である。
「違うわよ。なにか勘違いしてない」女史はそう言って、発表用にしてもらいたいわけではないと宥める。
「目先を変えてもらいたいだけ。言ってみれば少し趣向を変えた筆の遊び。単なる気分転換。自分でもよく分かっているはず。いまのままでは刺激が足りないこと。でもこれなら少しは文学的刺激にならない? こういうことよ。勘違いしないで」
これまでもⅩ氏の気分転換を図るために、女史はいろいろに考案した。スポーツクラブに通わせた。趣向を変えて音楽教室を勧めた。ともかく文学を少し離れさせた方がいい。
運動の方はだめだったが、音楽教室は覿面だった。効き目があった。副産物が生まれる。音楽を題材にした作品だった。
上向きかけたかに見えた創作力も次に続かない。かえって削いでしまう。書けない言い訳にされてしまう。楽器ばかりの毎日になってしまう。プロを目指そうか。馬鹿なことまで言われてしまう。なにをしても裏目に出るばかりだった。ついに原稿にも向かわなくなってしまう。
女史は言った。「どうして私には文学賞は獲れなかったのかしら? 教えてもらえない」と。
文学賞という一言がX氏に眠っていた闘争心を呼び起こす。それにどことなく験されている気分である。癪に障る。反発心が湧く。
「サークル誌のなかでは結構高く評価されていたんだけど」
この一言がX氏を活気づかせる。
案の定、計略どおりに返ってくる。獲れるわけがないと。だいたいお飯事みたいなサークル誌と文学賞を一緒にするなんってと。
X氏の添削は、文章の添削に終わらなかった。プロットにも及ぶ。筋の入れ替え、それに伴う大胆な削除、加筆の断行に及ぶ。
添削・改変は、当初の目的を変える。知らぬ間に日頃の鬱憤晴らしになっている。女史に攻め続けられてきたからである。
書けないわけがないわよ、気持の集中が足りないのよ、もっとハングリーにならなければと。前はそんなじゃなかったわ。
そんなふうに言われる筋合いはない。この程度のもしか書けなかったくせに。よく編集者をやっていられるものだ。担当だったから我慢していただけ。意見を言うなんて一〇年早い。
女史の前には二種類の異なる版が差し出される。B6版の原版は、A3版に拡大されている。余白が必用だったからである。でもそれ以上に見せつけるためだった。
真っ赤な版面に女史は溜息を漏らす。漏らしながらも満足する。予想以上にX氏の顔は輝いている。紅潮していたと言っても嘘ではなかった。
次にもう一つの版を手に取る。添削版をもとにした改変版(書き直し版)だった。最初の数ページに目を通す。期待していた以上の出来栄えだった。大きく溜息をつく。溜息はそのままX氏の満足感に生まれ変わる。誇らしげだった。見たい顔だった。「自作品」として発表したがっているのは明らかだった。
幸い女史の卒業とともに廃部となったサークルだった。本物を求めすぎた結果だった。もともと女史を中心に新しくできた同好会程度の小さな集まりだった。卒業時には「永久欠番」の称号が贈られる。賛美ではなかった。廃部を予告する後輩たちからの「送る言葉」だった。
半年も経たないうちにサークル活動休止の通知が入る。あらたなサークル活動を模索中であると。その後、連絡は途絶えた。同窓から廃部したようよと知らされる。
参加した同人誌への力の入れようにはこんな背景もあったのである。文学を甘く見ないでとの憤りにも似た後輩たちへの思いが。活躍ぶりを見せつけてやりたかったのである。後輩たちだけでなく、女史を煙たく思っていた同窓たちに対しても。
女史は苦笑する。一時は憤慨した「廃部」が、こんな形で役立とうとしていることに対して。サークル誌も屑扱いされているに違いない。さ程出回っていない。かつての部員でその後熱心に文学を続けている者がいる話も聞かない。だれも気がつかない。「底本」があるなどとは。
これがきっかけだった。見違えるような創作欲に燃える。くすぶっていた分を合わせて。評判も上々だった。新しい境地が切り拓かれたと評価される。この間の停滞もいわばこの日を待っていたのだ。やはり本物の才能だった。褒め過ぎと思えるものもあった。
女史は穏やかではなかった。純粋な創作欲ではない。改変欲がもたらしたものにすぎない。次は自分の内面から生み出してもらわなければならない。
嫌な予感が当たる。あらたな「底本」が要求される。
次を求められたとき、女史は躊躇った。きっかけづくりで考案したことにすぎない。一回限りのつもりだった。次は黙っていても本人の中から自然と生み出される。そうならなければ困る。文学行為の見地から見ても。本人にも当然分かっていることである。
でも欲しいと迫られる。ないなら書けない、書かない、書くつもりもない、と言われる。ほとんど脅迫だった。
女史を決断させたのは「自作品」だった。文芸誌のなかの「自分」だった。大きく改変されていたとはいえ、それでも自分の痕跡はそこ彼処に拾えた。拾えただけではない。自分で書き替えた気分になる。単なる改版版ではなかった。
事実、手渡された添削版を浄書してみて女史に分かったのは、さらに新しいストーリーの展開だった。改変版と比べても見劣りしない。上を行く。だから思う。「改変版」も「自作品」みたいなものだと。
女史は浸る。文学的興奮の中に。世に知られた文芸誌のなかの「自分」に。編集者ではない作家としての姿に。
考え方は一八〇度変わる。自分の「作品」であることを微塵も疑わなくなる。紙面に溢れているのは自分のDNAだった。自分なしにはX氏は存在しない。しえない。そうであるなら、そうか、自分は「ゴーストライター」なのだ。しかも普通のゴーストライターでなければ編集者でもない。ゴーストライターと編集者との一人二役。誰にでもなれるものではない。
女史は、運命的なものを感じる。かつての副業が回りまわってこんな形で戻ってきたのである。たんなる副業ではなかった。救い手になってくれたのである。
それでも後ろめたさは消えない。残る。否が唱えられる。心の迷いを断ち切るためも女史はさらに偏執的になる。ゴーストライターとしての立場に。
女史は自作品を提供する。積極的に。文芸誌に「自作品」を見るたびに女史は現実との見境がつかなくなってしまう。次はいいと言われないか心配になる。
――これは自信作よ。
そう言って挑発する。
心配は不要だった。挑発も要らなかった。Ⅹ氏の方だった、女史以上に心配していたのは。。
――まだある?
不安げに訊く。次を出してもらえないのではないかと。
――そっちの方は心配ないから。多作だったのよ。
嘘だった。勢いで言ってしまう。執筆に集中させるためだった。数は限られていた。でも先のことは考えない。考えないようにしてしまう。
でも来るべきものが来る。それが現実だった。分かっていても考えないようにしていただけだった。残りが二作となる。筆の勢いを落としてもらいたい、そう思ってしまう。
現実を明かせない。残り一作となってこれで最後と告げられた時の、最後通牒を突きつけられたようなⅩ氏の困惑と狼狽ぶりが目に浮かんでしまう。絶望感に晒された姿を見なければならない。そんな情けない姿は見たくない。させたくもない。追い詰められたⅩ氏が女史を突き動かす。
奇策だった。再びの。「書きおろし」だった。ただし書くのは(先ず書くのは)女史の方。
必要な時間は、短篇集の刊行で稼ぐ。「改変作」をまとめた短編集は、当初からの計画だった。分量としても一冊では厚すぎる。二冊分がとれそうである。話を持ちかければ、すぐにその気になるはず。時期が早まっただけだから。それに本人としても次の展開を望んでいる様子だから。
再編には相応の時間を要する。足りなければ随筆でいく。旅行記でもよい。音楽体験記ならもっと面白い。勧める。いずれ随筆集も必要になるのではと。今の地位から見ても、作家としての幅の大きさを見せる必要があるのではと勧めて。
その間を活かして「新作」を書き上げる。これで行く。行ける。
その日から筆を執る。温めてきたテーマもあった。でも書けない。楽観的になっていた気分は急速に萎む。
構想だけでは昔は戻ってこなかった。誌上の人になってしまっていたからだ。女史はもう一流の「作家」だった。それが実際に筆を執ろうとすると、たちまち「作家」でなくなってしまう。
すべては文章だった。必要な叙述力が伴わない。もともと不足していたものだ。あの真っ赤にされた添削版が、不足に追い打ちをかける。筆を擱かざるをえない。文学からのしっぺ返しだった。拒絶反応だった。ゴーストライターを否定されたのである。
編集部の書庫には各地の同人雑誌が多数保管されている。いよいよ禁じ手だった。分かっていながら人目を忍ぶように漁る。これなら、という目ぼしい作品がみつかる。知らない地方雑誌である。手を出したくなる。感覚が麻痺している。女史だけではない。Ⅹ氏もだった。大丈夫、分からないように書き替える。言いながら喜びを抑えきれない顔が浮かぶ。
だめだ、できない。やってはいけない。
罷り間違って剽窃の疑いがけられでもしたならそれでお終い。全てを失う。X氏だけではない。自分も。業界から永久追放される。それでは済まない。社会的に抹殺される。人に知れてはならない。これだけは。二人だけの秘密、永久の。
編集者の良心が女史を止める。踏みとどまらせる。忘れていたのだ。本来のあるべき立場を。感謝する。自分に。編集者だった自分に。
でもそうではなかった。止めたのは自分ではなかった。感覚の麻痺していた女史ではもう自分は、止められなかった。止められたとしても一時だけ。それが証拠に気がついたときには書庫から持ち出している。忍ばせるようにして机の抽斗にしまい込まれている。止めるどころではない。具体的に進めようとしている。同人誌の周辺調査を始めていたのである。
要するに、再び書庫に戻すように促したのは、女史ではなかった。言い聞かせたのは別の個人だった。ある人物だった。それが彼女だった。自分で止めたのだと、後追いで自分自身に言い聞かせただけだった。それに彼女だったとしても、思い浮かべていなければはじまらない。思い浮かべたのは彼女ではない。自分である。自分が止めたことに違いない。
理屈だった。それでもこの理屈なしには次に進まない。女史の面子を立てるなら、そういう意味でこれが始まりだった。
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