2012年5月20日日曜日

[あ] 顕子と子秋

[] 季節なら「秋」。でも今は初夏。時刻なら「明け方」とか「朝」。でも今は昼時。処・場所なら? でも本籍・現住所・生地・転地先程度しか思いつかないけど。なら心の内なら。さっそくだけど「愛」では? 定番すぎる、これでは。たしかに。でもいいわよ「愛」でも……。投げやりな言い方ね。関心が湧かないみたいね、どうもそういう顔。
 「ではあなたなら『あ』で始まるものなに?」
 「訊いているのはわたしの方よ」
 「そうだったわ。なら『あ』を重ねて『嗚呼』かな」
 「なに思いついたのが、ただの溜息なわけ。ほかにないわけ。もっと前向きなもの」
 「『嗚呼』ではだめ? あきれた? でも『呆れた』も『あ』からよ。見越してたわけではないけど」
 「もういい。『アウト』、よく分からないけど」
 爽やかな5月の風に木々の緑が戦ぐ。公園のなか。ベンチの上。二人の上の高い空。
 「名前を付けなければ。顕子でいい、わたしは」
「じゃ私は。子秋」
「コアキ? なにそれ、たんなる入れ替えじゃない」
「入れ替えじゃないわ。最初も最後もアキ。だからあなたでもあり私でもある。でも私の場合、『秋』の字使ってるから今のところ出番なしかな」
 

 そうだった、二人はまだ名乗りあっていなかったのだ。本名でも好かったが、本名出してしまうとなにかこの自然な出会いも気分が薄れてしまう感じだったのだ。
 今、こうして名前を付け合う。「産まれたてみたい、わたしたち」と顕子。
 子秋も応える。  
 「まずは顕子、あなたからよ。あなたの場合、『顕』だから季節に関係ないし、いつでもOKって感じ。実にあなたにお似合い。自分のこと知っているのね、顕子と付けられること」
 「じゃ『子秋』は秋だけ。4分の1だけ。出番は?」
 「4分1だけだって多すぎ。本当なら私は要らないのよ」
 「寂しいこと言わないでよ」
 「少しも。顕子だけで十分。分かったの。会った瞬間に」
 「なにが? わたしが出しゃばりだとか、欲張りだとか」
 「そうじゃないわよ。あなた十分控え目よ。でも、顕子、あなたに上げる、わたしの4分1」

 話はどのようにでも始まっていく。あえて事件は要らない。必要な時に待っていたようにやってくる。それにこうして始まったからといって、次の一言でまた別の展開が待っているかもしれない。変わってしまうかもしれない。どうにでもなる、話も事件も。でもそのように好き勝手に思い描いたとしても、[あ]で始まったことには十分意味がある。[あ]の次が[い]だからだ。
 しかたない。決まっていることだから。だからそれを活かして逆にゆっくり考える時間が与えられている、そのことを再評価してみる、という考え方に立っててみる。なるほど。
 でも決まったことだからと言え、五十音順の場合、それがたまたま[い]だっただけのことで、別な決まり事でもかまわない。とくに自分の中に決まりごと(辞書というわけではない)があるならそれを使えばいい。借りてくることはない。要は変えられないこと、そこからはじめたとき、ゆっくり時間が使えるということ、それだけのこと。そして、今、「たしかに」と、顕子と子秋の二人が語り合っていたところ。
 でも二人がどのようにこれから時間を使かおうとしているのか(あるいは使ってきたのか)、「4分の1(上げる)」なんてなぜ口にしたのか、その意味合いを含めてまだ話の先を待たなければならない。

 今のところ遠くを見つめたままそれぞれの思い(相手の思い)に沈んでしまっているようだけど。

                                       ――傍らからのベンチ報告。















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