2016年7月29日金曜日

[ろ]4  ロマン(連載4) 旧市街地の公園~とある南米の港街~


年代を感じる石造りの家。壮麗なアパートメント。重々しくても親しみを覚えるのは、カラフルに彩られた窓枠が、家々のファサードを飾っているためであるが、街全体としてもそう感じられるのは、アーケードのように歩道に大きく迫り出したベランダのためであって、それも窓枠と同色だからである。個々の家を超えて街のファサードとなっているのである。
思い思いに大きな鉢が置かれ、鉢から伸びた濃い緑の植物で覆われたベランダは、歩道に程よい日陰をつくっている。なかにはベランダだけでは足らずに、蔦状の植物を屋根上に高く伸ばしている家もある。歩道上に置かれた鉢植えの緑とともに、街全体には言い知れない、肌触り感のある親しみが広がっている。
この懐かしさを内側に漂わせた雰囲気は、いまでは観光産業にも一役買って街をさらに開放的で賑わいのあるものにしているが、観光のために急拵えでつくり出された上辺だけのものではない。もともとのものである。
それを教るのが、並びが家並の一部と化している街の教会の佇まいである。
たとえば、その前に来てはじめて分かる、今、教会の前にいるのだという不意を衝かれた感じ。予告を欠いた刹那的な告知の前に立たされた感じ。しかも好ましいのである、意外感が。時空を異にした遠隔地でなければ味わえない、深い繋がりの覚醒感となって還ってくるからである。
観光客にさえそうであるなら、街の人にとってはなおさらである。自分たちの一部になっているはずで、ほとんど皮膚感覚にも近いはず。教会が日常と化している何よりの証拠である。だから今に始まったわけではない。
しかもまだこれには先があって、「親しみ」とは、これを(つまり先の話を)含めた上でのことで、むしろ問題なのは、この先にある。家並と化していることの別の意味。核心であって魂に触れる部分。例外なく襲ってくるのである。前に立たされた者には。
これが固く扉を閉じているなら別だった。でも正反対である。開け放たれていたのである。大胆に。その分、堪えるのである。一歩を踏み入れただけで。待ち受けているのが、「親しみ」がつくる〝罠〟だったからである。
いとも簡単である。立ち入ること事体は。家並の一部だから。扉は両側に大きく開け放たれているのである。
しかし一歩足を踏み入れるや否や、瞬時に覚えるのは、身の内に惹き起こされる違和感である。背中を日常に向けながら正面を別世界に晒すという両極に向き合う自分。それが前触れもなく襲いかかってくるのである。肝心なのは、違和感も襲来感も自分の思いによって生じていること、自分を境界としていること。
現実にはそこにある天を衝く高い天井によってはじまっていく。目眩に襲われるのである。一歩を踏み入れた次の瞬間に。襲うのは目眩だけではない。瞬時にして変わる気圧もである。外気に馴染んでいた肌はとても敏感になっている。
そのまま頭上に高さを感じながら正面を見据える。奥深い教会堂の内部。奥行きの深さを演出するアーチ状の柱列。足取りを硬い床に一歩々々確かめるようにして進む。
近づく身廊の先の大きな石造りの祭壇。祭壇の前衛をなす厳かな十字架。磔刑のキリスト像。像は磔の十字架と同色の農茶褐色に彩られている。十字架の両側には、キリストの創を負った胸元の高さに届く、計6本の大蝋燭が左右三本ずつ立て並べられている。背面には、磔刑像の背景をなす灰白色の、石製祭壇の後衛が聳え立ち、蝋燭を含めて磔刑像の前面性(受難性)を否応なしに際立たせている。
後衛をなす石製像の圧倒的な大きさ。それは、磔刑像を数倍も上回り、どこかの国の山上から街を見下ろすキリスト像のそれを思わせるが、その像とは違い、両手は胸許に重ね合わさる。復活したキリストに相応しい端正な佇まいである。
識っている人は思う。あのゴルゴダの丘でキリストが叫んだ最期の言葉を。
〝エリ エリ レマ サバクタニ!〟(私の神よ、私の神よ、なぜわたしを見捨てられたのか!)
これで終わってしまったなら、絶望的とも言える世界に突き落とされてしまうことになるが、それが最期ではなく、はじまりだったことをさし示すかのように、今、こうして復活し、高い明かりとりから採りこまれた、淡い外光を頭上に浴びながら、前衛の磔刑像を慈愛で包みこむようにして立つのである。
祭壇のドームが演出する採光法は、しかし見る人によっては、受難を生き続ける十字架上のキリストの受難をさらに際立たせてしまう。前衛ではなく、永遠の孤絶化を突き付けられた感じに。故に孤独に受難を生き続けるのである。
復活したキリスト像の上、高い祭壇の最上部。向き合う一対の天使。さらにその上部には、ステンドグラスがはめ込まれている。地色を淡い灰白色にして、その上に三人の聖人の姿を色鮮やかに浮かび上げている。
祭壇を一体として覆う円形ドーム。ドームを飾る色鮮やかなステンドグラス。淡い陽の光に浮かび上がる宗教画。
 開放感の真後ろに待ち受けていた凝縮の世界(内界)。もう罠などと安直なことは言っていられなくなる。言うなら「囚われ」だった。

その教会(「境界」)を出る。再び街中。ふたたび「親しみ」が出迎えてくれる。濃くなった同血感で。
真っ直ぐに延びる石畳の街路。街路沿いのフラッグ。黄色、青色、赤色、の三色旗。今は昼の暑さでしなだれているが、夕暮に流れ込む潮風を待っている。
建物に遮られて気配も感じられないが、目と鼻の先には、海岸が迫っているのである。海賊から街を守る高い防塁も辺り一帯を巡っている。ここは歴史ある港街である。なかでも古い市街地として知られた歴史地区。そこに女はいる。
さらにその一角。ひとつの曲がり角。女は、角を曲がって路地に入ろうとしている。同じ石畳みの続き。両側には店が建ち並んでいる。洒落たレストランが客を待っている。なかを知りたくなる。
身体が正面に向かいかけたところで、待ち構えていたようにドアが開く。白い前掛けを腰元に強く絞めた店員が姿を現わす。瞬時に足が止まる。呼びこまれるのではないかと身体が硬くなる。顔を逸らす。
でも杞憂で終わる。出てきたのは、出迎えではなく見送りのためだった。程なくして数人の客が現れる。一人の年配の白人男性は、満腹感にお腹を大きく突き出している。傍らの婦人は、赤らんだ頬を両手で押さえている。酔いを隠すためだけではなさそうである。それ以上に零れ落ちそうな笑みを頬の上に支えるためだった。
満足そうに店員の肩を叩く者もいる。ひと時を楽しんだ笑顔は、これから何処に入ろうか決めかねている者たちにとっての誘い水となる。実際、辺りを窺っていた一団が、店員が中に入る前にと足早に近寄って来たのである。
もう心配する必要もない。大胆に歩み寄ってなかを覗く。壁一面を埋め尽くす壁掛けの絵や額入りの写真が目に飛びこむ。数人からなる生演奏者の姿も目に入る。
座席は混みあっている。満席に近い。評判の店なのだろう。入ろうか。感じの良さそうな店員だった。丁寧に応対してくれるだろう。でも混雑している。時間を取らせることになる。注文の決められない客になりたくない。

散策を続ける。別の路地に入る。カメラを取りだす。撮りたいがものが目に入ったのである。一対の全身を黒褐色に塗り固めた、合成樹脂かなにかで作られた人工の人体像だった。近寄る。構えたカメラを縦長に傾ける。背景も好い。文句なし。白っぽい石壁に黒色の人体像の輪郭が際立つ。ピントも問題ない。
シャツターに手応えを感じた瞬間だった。動くはずのない人体像からおもむろに腕が伸びてくる。一体は、ポロシャツに丈の短いパンツ姿の長身痩躯の青年像だった。伸びてきた手には、さっきまで被っていた麦わら帽子が握られている。麦わら帽子も身体と同色である。裏返される。料金の請求だった。なかに入れて欲しいと待っている。内側も同じ黒色だった。
端から疑わなかったのである。どこからどう見ても作り物にしか見えなかったのである。女は両手を広げて、「アラ、マッ!」という仕草をつくる。
オウム返しに青年像がパントマイム風に同じ仕草を見せる。でも今度は帽子の方ではない。傍らのもう一体の方だった。帽子を差し出した一体と対照的に、背の低い、女とあまり背丈の変わらない、だぶつき気味のシャツを長く垂らした青年像の方だった。表情を知らないはずの黒一色の顔面の奥の眸に、小さな笑みを控えめに浮べてみせる。生きている。生きた「作り物」だった。
外国紙幣だと金銭感覚が鈍る。日本円だと千円札相当だったのかもしれない。ワンショット千円。撮ってもらうのではなく、撮ってしまったための。相場を大きく超えるこの金額への返礼として、「作り物」は、大きく手を広げ、片膝をついて胸許にその手を引き寄せて見せる。もちろんパントマイム風にである。
その仕草につい嬉しくなってしまい、女は、思わず手を差し伸べてしまう。温かい手で握り返される。正真正銘の人間の手だった。人工の無機質な手ではなかった。
気持ちが一気に昂ぶり、味わったことのない愛おしさを感じてしまう。でも自分の方から差し出してしまったはしたなさが、後追いとなって、愛おしさを感じる以上に女を気恥かしさのなかに捉え返してしまう。もうそんな年でもないのにと、自嘲気味になったとしても。
青年像は、一時前から一連の光景を見ていた通路上の人(若者)を呼び寄せると、自分たちを撮るようにと促す。それでも無言劇は崩されない。
真ん中に女を入れて、青年像たちはもとの「二体」に戻る。
――でも「三体」。
女は言う。自分に。そのとき身に纏っていたのは、麻の白色のワンピース。頭には大きめのサングラス。手には茶色の波打ったキャプリーヌの帽子。
――モウ一枚。
と撮影者から言われた時、女はサングラスを目許におろし、帽子を被る。別のスナップが欲しかったというより、青年たちの一員になり切りたかったからだ。
道行く人が、つられて「三体」にカメラを構えはじめる。インパクトのある取り合わせだったにちがいない。
数分間、女は作り物の人体像の一員を演じる。
観光客たちは、手慣れた感じだった。近寄ってきては小銭を受け取るようにと差し出す。帽子を取ろうとしない青年に代わって女は手の平をひろげる。置かれたコインを握りしめながら、機械仕掛けを真似たような仕草でぎこちなく空いた右手を伸ばす。握手を返すためである。
――アリガトウ。
言葉をかけるのは、撮影者の方だった。女は手に力をこめるだけ。表情も変えない。姿勢も揺るがさない。
最初に呼び止められた、地元の若者らしい青年は、面白そうに女と観光客のやり取りを傍らから撮り続ける。
クローズ。
途切れたところを見計らって「一体」からバツ印がだされる。青年からカメラが手渡される。彼もパントマイムを真似てみせる。
それでも最後は堪えられなかったように笑い顔に戻る。笑いながらパントマイムの真似を続ける女と握手を交わしながら、顔見知りだったのだろうか、
――ジャ、マタ!
のような言葉を「二体」にかけてその場を離れる。
女は手にしていたコインを帽子の「一体」に差し出す。帽子を取ってもらわなければならない。
――要ラナイ。
と、小さく片手が振られる。
もう「一体」も同じ仕草を見せる。
――貴方ノ取リ分。
と言っている。
――ならもう一度。
と、女は人体像にカメラを向ける
撮り終えると、コインを差し出す。意味は分かっているはず。でも人体像は微動だにしない。
――ゴメンナサイ。
という断りの仕草をみせながら、女は自分から帽子に手を伸ばす。
――分カッタヨ。
「帽子」は言う。溜め息交じりに。仕方なく三体で稼いだ撮影料を受け取る。帽子に入れさせる。
 再撮影料を入れようとしたとき――今度は少額だったが――寸前で帽子は引き上げられてしまう。
 ――ダメ。
「帽子」は言う。言おうとしていた。
彼は、先端に国旗を取り付けた長い棒を片手に掲げていた。つまり両手は塞がっていた。
女の思いは、もう「一体」の彼が受け止めてくれた。
ハグしてくれたのである。最初からそうしたかったかのようにして。分からせるように抱きしめられたのである。ハグを超えた強さで引き寄せて。
背中にまわされていた腕が解かれた時、女は思わず口走ってしまった。
――あなたッ!
「彼」は「彼」ではなかった。「彼女」だった。
だぶだぶシャツの下に女を隠していたのである。でも「彼」だった。「彼」として秘密を明かしたのだった。感謝の印だった。本物の。
その後、表通り戻ると、ちょうど時代がかった馬車が観光客を乗せてゆっくりと通過していくところだった。乗っていたのは仲が良さそうな老夫婦だった。妻の肩には夫の手がやさしく回っていた。「彼」から受けた強くて軟らかい「ハグ」が、まだ女の身体を痺れるように包んでいた。

女は、ツァー旅行の自由時間中を一人で過ごしているところだった。集合時間にはまだしばらく間があった。
街路をもとの入り口側に戻る。目的は公園だった。解放感に溢れていて休憩するには手頃な場所だった。
偉人たちの胸像が、公園の一画に建ち並んでいる。港街の防御や街の発展に功績のあった人たちである。撮影済みである。
その際には見かけなかった、広場の芝生に円陣を組んだ小学生たちの一団が目に入る。学年別なのだろう、男子女子の別以外にも2色ずつに分かれた制服を身につけている。
円陣のなかには、引率の教師が立っている。腰回りの豊かな、日本だったら十分肥満体形にカテゴライズされてしまう、大柄の中年女性だった。この国の言語独特の強いイントネーションをフル回転して大きな声を出している。
一人の少女が、ベンチの見慣れない外国の女に気がついて、円陣のなかから覗き見を止めない。制服姿から見て下の学年のようである。同じ制服の他の子たちにはまだ幼さが残っているのに、その子だけは少し大人びていて、もう十分に自分の美貌を意識している感じだった。
ここは世界に知られた観光地。世界各地から多くの人が訪れる。外国人が珍しいわけではない。少女が見ようとしていたのは、女が異邦人だったからではなく。女として火照っていたからだ。それも決して若いとは言えない、少女の担任ぐらいの年齢。それなのにと。なぜそんなに上気している? そうやって見ていたのである。
教師に見咎められて、輪のなかに顔を戻すが、隙を見てはベンチを窺い続ける。見つめ返すと、慌て気味に異邦の女の視線を逃れ、なにもなかったかのように円陣の一員に戻る。
でも口にしている。やはりそうだったのね、どうもヘンだと思ったわ、と。でももういい、見ないわ、と。それからはなごともなかったかのように先生の話に集中している。違う。見せつけようとしている。
なにもかも考えすぎだった。目を惹いたのは、なにか別なことだったのだろう。そうだと思っても、相手が年端もいかない少女だったことで、かえって「罪」の意識が増殖してしまう。
先生の身ぶりや指差し方からして歴史街の説明のようだった。熱の入った話し振り。野外授業。同じだ。なにか懐かしくなる。でも時間から見て見学は終わったはずなのだ。なら締めくくりなのだろう。それとも宿題? そうだ、きっと宿題が出されているところなのだ。見学の感想文の。明日までに書いてこなければならないのだ。

ここでこのまま時間を過ごそうと深く腰を掛けなおす。公園の向こうには高い石壁。防塁である。その上に広がる夕暮の接近を予告する、幾分か赤みを帯びた空。でも上空には、まだ青みを残したままの空が高く広がっている。その下の椰子の緑。こんもりとした常緑樹の濃い茂み。辺りが静寂に包まれるなら、今すぐにでも防塁の向こうから聞こえてきそうな海の音。
聞こえるかもしれない。耳に手を翳す。でも聞こえてくるのは、やはり走行音だけ。海岸沿いには、交通量の多い幹線道路が走っている。自分たちもその道を来たのである。
野外授業の円陣といい、どこか日本の公園の風情を思い出していた女に、訝しげな光景が目に飛びこんでくる。方角としては円陣の少し斜め奥である。早くから気づいていてもおかしくない近さである。あの子の所為である。
奇怪な光景は、実に厳粛に繰り広げられていた。「実に」と念を押すのは、そうでもしないかぎり、演じられている現実の光景が、子供たちから程遠からぬ場所であることの説明がつかないからである。
それにしてもなんという共存・併存!
裏切られた感じだったのである。日本と同じだなどと、ノスタルジーに浸っていたことが。
ソルジャーだったのだ、そこにいたのは。迷彩服に身を包み、部厚い軍靴を固く締めて、肩からは自動小銃を重々しく下げている。一人は黒人兵だった。痩身の体躯が、黒褐色の地肌を一段と引き締めている。首筋は妖しく輝いている。見るからに頑強そうだった。
でもそれだけではない。迷彩服が、背後の空に浮かべる輪郭は、夕暮を間近に控えていたこともあって、どこか艶めいている。美しいのである。
深い褐色のもう一人の兵士もだった。負けずに美しい。ともに男の美しさだった。
都市部は、平和で安全だが、山岳部は違う。場所によってはゲリラの支配地である。そういうお国事情を抱えている。知っていたし、ガイドにも尋ねた。安全について。それとなく。
地元のガイドは、遠く霞んで見える山岳をはるか彼方に指差しながら説明した。
――エエタシカニアノ山ハ……。
と、そこが治外法権であることを隠さない。
――デモココハトテモ安全デスカラ。
不安そうにしていた女に、心配しないでくださいと、顔面の笑みを絶やさないようにしながら太鼓判を押す。それもガイドの大事な務めであるかのようにして。
それなのに兵士が居る。配備されている。そうだ、今日は誰か要人が街を訪れている。よく聞き取れなかったが、そんなことを言っていた。そうだったのか、大統領だと言っていたのだ。なら特別警護だった。
だからなおさらだった、奇怪なのは。もし警護というなら、そのとき兵士が就いていた「警護」である。ありえないというしかない光景だったからだ。実際はそれでもまだ足りないくらいだった。警護していたのは、なんと若い女たちだったのである。しかも普通の「警護」ではなかったのである。
問題の舞台は、船の錨のモニュメントを据えた、数人が腰掛けられる石の基壇上だった。錨を背に兵士たちは腰かけていた。一人の女は、兵士の膝を枕にして壇上に若々しい肢体を長く伸ばしていた。黒髪に手を差し入れて優しく櫛いている兵士は、無言でじっと女の顔を覗きこんでいる。黒人兵の方だった。
彼だけではなかった。もう一人の兵士も同じようにカップルになっていた。違うのは、女が座っていることだった。でもただ座っているわけではなかった。片足を兵士の膝の上に大きくかけている。兵士は兵士で女の腰に手を回し、空いた手で女の腿を押さえている。五十歩百歩。二組に「警護」の程度の差はない。
女教師の大きな声は、「見ないで!」であったのだろうか。違う。そんなふうに思ってしまうのは自分だけだ。やはり自分は日本人なんだ。女は嘆く。情けなくなる。
それに時間は、夕方の5時を回っているではないか。時間外だった。もちろん大統領がまだ滞在中ならそうはいかない。だから大統領は、もう街を後にしたのだ。正真正銘のフリータイムだったのだ。
回収車を待っていたにちがいない。その間を使ってガールフレンドを呼び寄せたのだ。予め決めてあったのかもしれない。彼女たちにとってもここは観光地だった。観光させていたのだ。彼女たちだけを。
――モウOK! 公園デ待マッテル!
携帯電話で連絡したのだ。
でも大胆すぎる。回収車には同僚たちだけではなく上官も乗っているかもしれない。糺される。きつく。いくら日本でなくても。
公園を見渡すと、木陰にカーキ色のバイクが一台停まっているのが目に入る。マウンテンバイクだった。一台しか見当たらない。とするなら2人で一台。二人乗りだ。回収車は来ない。待っていたのではない。
返す言葉が見つからない。勤務時間外ならなんでも許されるのだ。個人の時間として。恋人とのひと時に費やすことを、迷彩服も肩の自動小銃も邪魔しない国。平和な国? 違う。山岳地帯にはゲリラがいる。ゲリラ戦に出撃することもあるかもしれないのだ。なら本物の男たちだ。
女の心はベンチを離れ、兵士に近づく。兵士からの抱擁を待っている。違う。勘違いしないでよと言う。待っているのは自動小銃の方。銃の台尻や銃身の先が、肩や腰に当たるのを。そのときの感触を。生きている感触を。血の流れを。そう言い聞かせようとしていた。弁明のようにして。忍び寄る大きな虚しさを一方に感じながら。

そろそろベンチを離れなければならない時間だった。
生徒たちはまだ輪を作っている。スクールバスがまだ来ないのだ。
あの子は、あどけない少女に戻っている。きっとあのときも実はそうだったように。
質問が出されている。われ先にとあの子も大きく手を上げている。
なかなか当ててもらえない。さらに大きく挙げている。
同じだ。子供たちは。しかめっ面のところも。
だからだ。思い知らされるのだ。
思い出してしまうのだ。
でもいいそのことは。
帰国してからのこと。

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