2019年12月17日火曜日

岡田幸文さん追悼2


ここでは引き続き、No.102019731日発行)と№.92019531日発行)に掲載された詩篇並びに礼状を掲げる。日誌的に記せば、発行日近くでは、No.10の場合、810日(土)にミッドナイト・プレス第15回八木塾(「石川啄木と若山牧水「現代詩に受け継がれるべきその近代性と流浪」」が、No.9の場合、68日(土)に同第14回山羊塾(「金子光晴「松本亮 金子光晴にあいたい』を読んで」)が開かれている(ともに会場は東京芸術劇場ミーティングルームで講師は八木幹夫氏)。

詩塾後の2次会・3次会。とりわけ3次会として定席的になった、池袋駅西口の路地裏の一角にあるこじんまりとした某大衆酒場2階席での、講師を筆頭(?)とした居残り組の懇談。東京芸術劇場が建てられる前のかつての池袋西口公園周辺は、現在とはまるで違った雰囲気で、路地裏を流れる空気には、どこか薄暗い厭世的なイメージがあった。岡田さんや僕らの年代には、それが(どこか世間から離れた隔離的な雰囲気――時代を遡れば闇市からさらには池袋モンパルナスに繋がるかもしれないようなそれが)かえって居心地いいことになるわけだが、構えだけでなく店の主人にも当時の面影が色濃く残っていた酒舗内では、とくに日本酒が好きな人(岡田さんもそのお一人)にとっては自然とお酒の進み具合がよくなってしまうことになる。

ではその折の、ときに現代詩の在り様に熱くなっていた岡田さんを思い浮かべながら、遡及的にまずはNo.10から。

偶作                  岡田幸文

東山に月が出た
それははじめて見る月のようであった
月の光は明らかであった
そのとき明らかにされたものはなにもなかったのだが

気を取り直して川岸のビヤホールに入ると
洞山和尚が生ビールを飲んでいた
なにか見透かされたような気がする
和尚と背中合わせの席を選んで生ビールを注文した

闇は深まるばかりだった
だが闇が深まるにつれて見えてくるものもないわけではなかった
闇が闇を殺すこともあるのだ
そのときすでに和尚はいなかった

外に出ると月の光はいよいよ冴えていた
橋の上から川の流れを眺めると
それは生きている龍のようであった
No.10号)

〈礼状〉
拝復 ようやく猛暑も一段落の気配。その後お変わりなくお過ごしのことと存じます。
 さてこの度は、貴個人誌No.10をお届けくださいましてありがとうございました。まずは10号という節目を迎えられたことに敬意とともに祝意を表します。今号の一篇、思うに、詩題こそは「偶作」とありますが、良寛論を拝読するかぎりは、裏面との「合作」(合わせ技)として読み取るのを許した一篇かと。たとえば「生ビール」のこと、ジョッキを傾ける洞山和尚の姿のこと――それを思わず「受食、乞食」の食(飲)にとってしまうのも、決して不謹慎とは思えず、かえって現代の仏道との縁を巷の一隅にて果たす機会が招来されているかのようで、結果、和尚を挿んだ前後連のもの思いがちな語り口にも、また詩篇全体にも、〝偶(たまたま)〟以上の機縁を孕んだ詩行の挿入が企図されていたのを知ることになります。しかも「闇が闇を殺すこともあるのだ」の穏やかならざる一行などは、「そのときすでに和尚はいなかった」にしても、じつは図らずも「背中合わせ」に交わされていた問答に応答した文句ではなかったかとも思え、牽強付会が過ぎているかしれませんが、読詩を再読へと誘う「縁」としてくれるのです。一言、感想まで。ご自愛のほどを。
2019820
                           渡邉 一
岡田幸文様

* 「これから良寛と托鉢について考えていくのだが、そのテキストとして取り上げるのは、良寛の「請受食文(しょうじゅじきもん)」という詩である。良寛は、このほかに、「勧受食文」という文章も書いているが、いずれも托鉢(受食、乞食)が修行僧のいのちであることを表明していて、ほぼ同じ内容である。念のため、それぞれの冒頭を引いてみよう。/「食を受くるは仏家の命脈なり」(「請受食文」冒頭)/「()れ僧伽の風流は、乞食を活計と為す」(「勧受食文」冒頭)(No.10より部分)


次はNo.9


川に沿うて              岡田幸文

むらさき色のもやがあたりを覆いはじめるころ、私を誘うものがある。そ
のなにげない仕草は、私を愛しているのだろうか、それとも憎んでいるの
だろうか。いや、それはただ、私を誘っているだけであったのかもしれな
い。二度と戻りたくない道へと。それにしても、そんなことをして、いっ
たいどうするのだ。
           川が流れている。川が流れていた。川の流れをしばら
く眺めていると、水がある動きを周期的に繰り返していることに気がつい
た。それは川が終焉に向かっていることを語っているかのようであった。
                                川に
沿うようにして、道を歩きはじめる。それは二度と戻れない道を行くこと
でもあった。すると蠢くものたちがいる。浄化されていない音や映像が川
面を流れていく。そのとき、許されるものがある。価値はなにによっては
かられたのだろうか。
         川の起源をたずねることは可能だろうか。いや、ここでは
それを問うことは禁じられていた。断念ゆえにか。あるいは悔恨ゆえにか。
                                  道
を行くものはすでにひとではない。川を流れるものはすでにものではな
い。名づけられないものたちがさまよっている。さまよいながら、散乱し
ていく。赫く光り輝くものに摂取されていくかのようにして。
No.9号)

〈礼状〉
拝復 真夏日に見舞われている昨今、お変わりなくお過ごしのことと存じます。
貴個人誌No.9ありがとうございました。まずは「川に沿うて」の一詩拝読。まるでそれ自体(詩体の視覚性自体)が川の流れを表しているかのような、しかも途絶えがちな川筋が任意に細流を寄せ集めて未明の先に新たな一本と化した本流の川筋をつけよう(求めよう)としているかのような、いずれにしても自らが先頭だって困惑を深めているあたり――それが「川に沿うて」の、憂愁感漂うタイトルの詩情を見事に裏切ってみせる内容の難解性と合わさって、その位相差を読詩に埋めこむ本詩篇の独自の味わいの仕掛けとなっているようです。加えて待ち受ける良寛詩「托鉢」の高い吟(志)と合わせて読み直すと、それはそれでまた別な味読感に誘うのも本号の詩誌としての企みなのではないでしょうか。五合庵を訪れた由**、良寛との日々がさらに深まるものと次号を鶴首しております。一言お礼まで。
20196月 日
                           渡邉 一
岡田幸文様

* 「我兮亦是釈氏子(われまたこれ釈氏の子)/一衣一鉢迥灑然(一衣一鉢(いちえいっぱつ)はるかに灑然(さいぜん)たり)/君不見(君見ずや)/浄名老人嘗有道(浄名(じょうみょう)老人かつて()うあり)/於食等者法亦然((じき)において等しき者は法もまた然りと)/直下恁麼薦取去(直下(じきげ)恁麼(いんも)薦取(せんしゅ)し去れ)/誰能兀々到驢年(たれかよく兀々(ごつごつ)として驢年(ろねん)に到らんや)」(良寛作「托鉢」の最終6行のみをNo.9から転載)
** 「五合庵をたずねたとき、ここに良寛はいたのかと、その孤絶の相に絶句した。(同〈あとがき〉より)

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