創刊号のNo.1(2018年1月30日発行)まではまだ先がある。No.8(2019年3月31日発行)とNo.7(2019年1月31日発行)まで、ちょうどそれは今年分になるのだが、2号分だけを掲げてひとまず擱筆する。〈未了〉のままであらためて岡田さんのことを考えてみたい。そう思ったのである。
ただこうして「竝び机の詩窓」のタイトル(ミッドナイト・プレスHP上に連載してきた筆者の詩論のサイト名)のようにして岡田さんの詩に向かい合ってみて、その存在の在り様にいろいろに思いが至る。思うところをすこしだけ書きとめておきたい。
その前に引き続きの形でNo.8とNo.7の詩篇と礼状を掲げることからはじめる。まずはNo.8から。
海の思い出 岡田幸文
水平線をながめていると
鎌倉の海だったが
むこうからなにか得体の知れないものがやってきて
ここから先には行けぬという
夢を見ていたのだろうか
メキシコの海岸だったが
津波に襲われたものたちが波間に漂っていた
そのとき
天から垂直に駆け下りるものがあった
それは私の身体を刺し貫き
そして地心に向かった
目が醒めた
丹後の海辺だったが
生まれたばかりの赤子が母親と戯れていた
(No.8号)
〈礼状〉
拝復 満開の桜の花が処々に咲き乱れている昨今、お変わりなくご健勝にて日々をお過ごしのことと存じます。
貴個人誌№8ありがとうございました。こうして戴くたびに一紙が一誌として反復されかつ重なりとなっていく様が、なにかしずかに時を刻む漏刻のようにも思われ、忙しさにかまけている心がしばし静まりかつ正される思いです。そう思うときの今回の詩篇――「時」の繰り返しの原初ともいうべき打ち寄せる波に対面する内景。高まる叙景。杳として行方知れない海景の広がり。その異なる海・海岸への思いを膨らませていた最中の、まさに「そのとき」の天地間を貫く一つの覚醒。何事かの思いを「地心」に向けながらも佇むのは再びの海辺。そして目にする眼前の戯れ。循環とも再生ともいろいろに読める本詩篇。「一紙」と共にあることがかえって叙景性を際立たせているようにも思え、あらためて心静まる思いで貴誌を手にしているところです。良寛論*、「アフォリズム」**とも味読しました。次号を楽しみに、一言お礼まで。
2019年4月7日
渡邉 一
岡田幸文様
* 「円通寺(良寛が12年間修行を積んだ寺、現倉敷市。引用者註)を出たとき、良寛は「僧」と、「寺」と、別れたのだと思う」(No.8より)の意味を良寛詩から読み解こうとしていた「良寛論」のこと。
**「〈あとがき〉シオランのアフォリズムに惹かれるのは、箴言のなんたるかを実践しているからだろうか。「音楽とは悦楽の墳墓、私たちを屍衣でつつむ至福」ということばは、my favorite thingsのひとつだが、「アフォリズムというのは瞬間の真実なのです」というアフォリズムもまた味わい深い。(岡田)」
次はNo.7。
第二章 岡田幸文
捨てられているものがある
捨てる人がいたということか
夢を見る
夢を見られたということか
わたしはまたしてもその門の前に立っていた
なぜ あの角を曲がらなかったのか
そこにだれもいないことはわかっていたのだから曲がることはできたのに
門の前は無人だった
捨てられたものはそのまま朽ちていくのか それとも
風に吹かれながら転生していくのか
空を見上げると鴉が西の方に飛んでいくのが見えた
遅れてやってきたものが いまあの角を曲がっていく
(No.7号)
〈礼状〉
拝復 このところ寒暖差の激しい日々が続いておりますが、お変わりなくお過ごしのことと存じます。
この度は、貴個人誌No.7をお送りくださいましてありがとうございました。着実に2年目(あるいは「第二章」にも読むべきでしょうか)に入られたこと、ご同慶の至りです。まさにあらたな幕開けかと存じます。雑然とした世の中にあって、浄福感を味わえるような静謐感漂う誌面に襟を正される思いです。
そして継起的かつ新規にも問いただされるものの、その一回性を担う、詩篇や散文が、今回もいろいろに時間や空間の隙間に働きかけ、「人」の気配をたっぷりと忍ばせて、現代社会に敲くべき「門」*があるのかさえまでも問わしめる、そのような視角を切り開かれているかのようです。また1年、貴誌の読者となれる喜びに感謝を抱きつつ、感想にもなりませんが、一言お礼まで。
2019年2月吉日
渡邉 一
渡邉 一
岡田幸文様
* 毎号の詩篇は、号によっては明らかに良寛論とのコレスポンダンスとして「合わせ技」として読むことでまた異なる味わいが得られる。この「門」に触れたのは、同号に引かれた良寛詩「五合庵」との照応(交感)の在り様におおいに触発されたからである。「五合庵」は、岡田さんにとって特別な時空である。以下良寛詩を転載したおきたい。
五合庵 良寛
索々五合庵 (索々たり 五合庵)
室如懸馨然 (室は懸馨のごとく然り。)
戸外杉千株 (戸外には 杉 千株)
壁上偈数篇 (壁上には 偈 数篇。)
釜中時有塵 (釜中ときに塵あり)
甑裡更無烟 (甑裡さらに烟なし。)
頻叩月下門 (しきりに叩く 月下の門)
◇
ここまで詩篇を掲げてきて(読み返しでもあったのだが)、あらためて岡田幸文さんのことを、その存在の在り様として稀なるとろころをしきりに思う。自分のことをほとんど語らない岡田さんが、ある意味、自らを進んで表に出してきたのが、この「岡田幸文個人誌 冬に花を探し、夏に雪を探せ。」である。思うのは、この個人誌の体裁である。岡田さんが、自己表出にあってなにかを自らに許したものがあるとするなら、なによりもこの体裁であったと思われるのである。
送られてきた同誌をはじめて手に取ったとのきの印象はとても新鮮だった。驚きと言い替えた方がいい。とても普通の郵便物には思えなかった。その折の思いを含めて礼状に次のように認めた。
とても美しい紙面。鮮やかな墨跡も麗しく料紙を際立たせるかのようです。良寛の「文筆詩歌」への厳しさが、この、なにか日常の中に予め枠取られたかのような、森閑とした一畳の間の中でどのように読まれ応じられていくのか、次号を鶴首しております。(No.1への礼状より)
すでに記したように個人誌の体裁は、「少し厚手の真白い一紙の表裏を誌面としたもので、表面には自作詩1篇が載せられ、裏面には連載形式の良寛論がおかれている。さらに版組を変えて〈あとがきが〉が加わる」。補足すれば、版型は三つ折り(巻き込み型)のA4版で、誌名となる墨痕鮮やかな「冬に花を探し、夏に雪を探せ。」が、あたかも一幅の掛け軸のようにして折り面の1頁分を表紙としておおきく飾っている。その設え感の端正さもあって、体裁全体をまさに現下のなかにおける「森閑とした一畳の間」と評した所以であるが、新鮮さを際立たせていたのはそれだけではない。紙である。白一色の、白が色として放つ彩である。別の号ではこう書き送った。
かく一篇の詩とともに送り届けられる真白いレター(個人誌)。それが疎ましい現下の雑然とした世情のなかで特段に「白さ」を際立たせてならないわけです。(No.5・6への礼状より)
郵送には透明なフィルム封筒が使われている。まさに「疎ましい現下の雑然とした世情のなかで」と、その白さを特別なものとして目にとめざるをえなかったのもそれ故である。単なる白さではない。自らを深める白さである。
深めるのは、あるいはフィルム封筒のもつ透明さであるかもしれない。正確には介在としての透明性である。しかしそのことで岡田個人誌はなにかを手中にする。透明性とは、まさしくこの場合、明晰性にほかならないからである。
明晰性に言及したのも、それが自己の在り方に強いられているからである。しかも強い方そのものが再び明晰性を求めているのである。白としての、一紙としての、その在り方が生む「明晰性」である。すでに明晰性とは存在性の謂いにほかならない。ゆえに思ったのである。この個人誌(真っ白いレター)は、まさに岡田さんにとって「存在の料紙」にほかならなかったと。違いますか、岡田さん。合掌
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